20230522

 夜中か朝方か、一度目が覚めたときに、吐き気のきざしをおぼえた。ろくにメシも食っていないし胃液しか出ないだろうと思いながら起きあがると、すぐに脂汗のにじみはじめる感触があったのでベッドからおり、すぐそばにある快递の段ボールに顔をむけた。吐き気はたった一度えずいただけでおさまった。気絶することもなかったし、視界が白飛びすることもなかった。血糖値か貧血かわからんがとにかくいつものやつだろうと察した。コロナそれ自体の症状ではない。
 しかし熱がしんどい。解熱剤が飲みたい。マジで眠りが続かない、ようやく眠れたと思っても30分ほどで目が覚める、じぶんのうめき声に起こされることすらある。7時ごろ、さすがに耐えられなくなり、学生になんでもいいから胃に入れるものを持ってきてもらおうと連絡。まずは(…)さんと(…)さんとこちらの三人からなるグループチャットでSOSを送ったが、どうやらまだ眠っているようだったので、だったらと二年生のグループに「誰か起きていますか」と送信。すぐに複数から返信があったので、熱がひどくてほとんど一睡もできていない(誇張)、解熱剤を飲みたいのでなんでもいいので食べ物を持ってきてくれませんかとお願いすると、「すみません、先生、私たちはまだ早自習しています」と(…)さん、「私たちは8時に授業があります」と(…)さんから返信があり、や、別にそんなのなんとでもなるでしょうという話なのだが、すぐに(…)くんからグループ外で直接メッセージが届いた。いまから持っていくという。自習はだいじょうぶなのかとたずねると、行っていませんというので、班長なのにサボってんのかよとちょっと笑ってしまう。それで外国人寮の場所とこちらの部屋番号だけ教える。(…)くんは最初ハンバーガーを買うつもりだったらしいのだが、早朝ということもあってまだ店が開いておらず、それで包子四個と豆乳を買ってきてくれた。もちろん、直接受け取りはしない。玄関先に置いておいてくださいとお願いする。階段をおりる(…)くんの足音が去っていったところでドアをあけてブツを回収。しかしじぶんでもびっくりするくらい食欲がなかった。正直メシは食えるだろうという感じはあったのだが、実際に包子を口にしてみたところ、一口でもういいわとなって、中の餡までたどりつかない。多少無理して食ったが、それでも小さいやつをひとつ食うので限界、こりゃいったん解熱剤を服用しておいて、体調のいいときにまた食ったほうがいいと判断。
 で、その解熱剤のおかげでずいぶんよくなった、熱は一時期36度台まで下がった。とにかく風呂に入れていないのと歯磨きができていないのが不快だったので、解熱剤のきいているうちにちゃちゃっとシャワーを浴びて歯磨きをした。そのあとは寝るつもりだったのだが、意外なことに眠気がおとずれず、だったら書見でもするかとなるわけだが、このコンディションでは洋書も樫村愛子もしんどい、それで『喧嘩稼業』(木多康昭)を読みはじめたのだが、解熱剤で楽になっているとはいえ、やはり漫画をずっと読み続けるのはそれはそれでしんどく、たびたび中断をはさんでしまう。学生たちからもちょろちょろメッセージが届く(書き忘れていたが、前夜は三年生の(…)さんや(…)一年生の(…)くんから心配のメッセージが届いた)。昼飯前には二年生の(…)さんから昼ごはんを持っていきますというメッセージが届いたので、だったら第三食堂の扬州炒饭でお願いしますといった(しかし彼女は体調が悪いときはもっとさっぱりしたものを食べたほうがいいと言い、「ラーメン」や「寿司」をこちらにすすめた、どこがさっぱりしとんねん!)。同じく二年生の(…)さんからは大学食堂で利用できるものらしいデリバリーアプリのようなものが送られてきたが、見知った学生らに頼んだほうが手っ取り早いので、これはパス。

 二年生の(…)さんからは喉の痛みがあるという微信が届いた。やはりこちらが移してしまったかもしれない。おなじ二年生の(…)くんからは彼も病院にいるというメッセージがグループチャットに投稿された。詳細はたずねていない。いまから食事を持っていこうかというので、(…)くんが持ってきてくれたのでだいじょうぶと受ける。
 昼過ぎ、(…)さんが扬州炒饭を持ってきてくれる。もちろん、おもてには出ない。微信でお礼だけ告げる。差し入れは扬州炒饭のみならず、ヨーグルトもスイカもあった。これはありがたい。しかし扬州炒饭は全然食えなかった、がんばっても三分の一でギブアップ。だからこのタイミングで二度目の解熱剤を服用したのだったかもしれない、それでのちほど空腹を感じたときにチャーハンの残りをたいらげた記憶はある。モーメンツのほうでもいろいろコメントが届く。二年生の(…)さんは二度目の感染をしたらしく、現在、体温が39度あるという。(…)先生からは非対面式のサービスを利用して薬や食事の差し入れを送ろうかという提案があったが、いまのところ間に合っているので大丈夫と返す。あと、元(…)大学の学生であり、前回電話したときはたしか北京で通訳として働いているといっていた(…)さんからもコンタクトがあった。モーメンツのコメント欄で具合をたずねられたので、これこれこんな具合で応じたところ、その流れでサシのやりとりにチェンジした格好。彼女は去年感染。37度代の微熱とのどの痛みが丸一ヶ月続いたという。歌うことが好きなので、特にのどの痛みが続いたときはかなり不安だったとのこと(いまはどうか知らないが、彼女はたしかビリビリ動画で日本の楽曲をカバーした動画をたくさん投稿していてそれがけっこうバズっているときいたことがあるし、あとはたしか日本語の発音指導の動画もあげているんではなかったか? とにかく彼女はモノが違って、中国全土から優秀な日本語学習者が集うことになる日本語特訓合宿の場でもやはり周囲から一目置かれている存在だったと以前(…)さんが言っていたし、たぶん日本語学習界隈ではかなりの有名人なのだと思う)。来月の下旬に日本に行くことになるというので、出張でかとたずねると、大学院に進学するつもりだという返事。以前電話がかかってきたときは、あれはまだオンライン授業をしていた頃だったが、日本の大学院進学を目指していたタイミングで父君が亡くなったり、あるいはコロナ禍が発生したりで、進学のタイミングを逸してしまったので就職することにしたと告げられた記憶があるのだが、やはり進学したいと最近考えなおしたとのこと。早稲田か横国に行きたいというので、きみの実力だったらどこでも合格できるでしょうと受ける(実際、マジでどこでも受かると思う)。また会いたいというので、日本でも中国でもいつでも会えるよと受けると、本当ですかーと懐疑的。「ぼくの出不精だけがちょっと問題だけどね」と受ける。
 しかしよくよく考えてみるに、いまここでこうしてコロナに感染したからには(とはいえ、検査をしたわけではないので、これがコロナではなく風邪やインフルエンザである可能性もなくはないのだが)、夏休み中は抗体持ちの無敵状態になるわけだから、京都だろうと東京だろうとわりと気軽に旅行できるのか。そう考えると、チャンスがあるかどうかまだちょっとわからんが、前回みたいに(…)くん、(…)さん、(…)さんらに会うために東京に行ったついでに、彼女と関東で会うのも悪くないかもしれない。ただあの子はちょっと転移を起こしやすいタイプである気がするので(父君を亡くしてからはなおさらそういう印象を受ける)、距離感だけ気をつけないといけないが。
 あと、(…)さんからも連絡があった。本来は6月に故郷にもどるつもりだったが、東京での仕事がまだまだ長引きそうなので、荷物は来月実家のほうに送ってほしいとのこと。了解。
 夕飯は(…)さんと(…)さんのふたりにお願い。まともにメシが食えるかどうかわからないので、とりあえずパンと大量のフルーツだけ買ってきてくれとお願いする。

 で、実際、ふたりは山ほどの差し入れを持ってきてくれた。ドアの前で「せんせー! だいじょうぶ?」と呼びかけてみせるので、少し離れたところからドア越しに「たぶんだいじょうぶ! ありがとう!」と応じる。で、ふたりが階段をおりていく足音が聞こえたところで、ドアの外に出てブツを回収。食パン二袋。ドラゴンフルーツ二個。バナナ二房。串にささったメロンひとつ。梨が三個とマンゴーらしきものが五個。それにくわえて雑多な菓子や漢方薬やのど飴がたくさん入った袋もひとつあって、ありがたい! これだけあったらとりあえずしのげる!
 解熱剤は服用しすぎないほうがいいという話を聞いたおぼえがあったのでネットで確認した。体内で熱を発生させてウイルスをぶっ殺すのが人体の仕組みであるのだから、熱が上昇しはじめたタイミングで解熱剤を使ってしまうとむしろずるずると症状が長引く可能性があるとのことだった。それで夜は解熱剤を服用せずそのまま眠るつもりだったのだが、これが完全に判断ミスだった、夜中にじぶんのうめき声で何度も目が覚めるはめになった、一日前とまったくおなじだ。熱は38度以下だったが、体感としてはあきらかにそれ以上にきつい、もしかしたらろくにメシを食っていないそのせいで体力が落ちているのかもしれない。それでこのままだと地獄だわとなり、夜中にいちど起きて無理やり食パンをねじこんで解熱剤を服用。その後、胃腸の気持ち悪さに多少悩まされたが(食パンをねじこんだとはいえ、空きっ腹に解熱剤を二錠もぶちこんだからだろう)、ひさしぶりにまとまった睡眠をとることができた。

20230521

 11時ごろ起床。外は雨。傘を差して13舎近くの快递に出向いてトイレのタンクに入れる青色の固形物というかブルーレット的なやつを回収。そのまま最寄りのパン屋でクロワッサンとソーセージパンを買って帰宅。食し、洗濯し、コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。それから2022年5月21日づけの記事を読む。以下はそのさらに一年前、2021年5月21日づけの記事より。

(…)綾屋さんの研究に話を戻しますが、彼女の「アフォーダンスの配置によって支えられる自己」は、タイトルからもわかるように、彼女が当事者研究のなかで、アフォーダンス理論を使って自分の経験を記述したものです。そのなかで綾屋さんはこう書いています。「私は他の人より意志が立ち上がりにくい」。つまり、「内発的な意志が立ち上がりにくいのだ」と。どうしてかといえば、彼女の身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスがやって来るからなのだ、と。前回にも空腹感についての綾屋さんのお話を少し紹介しましたが、もう少しご説明しましょう。
 例えば、胃袋が、今から何かすぐに食べろとアフォーダンスを与えてくる。そして、目の前にあるたくさんの食べ物は、私を食べろとそれぞれがアフォーダンスを与えてくる。つまり、身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスが彼女のなかに流入してくるけれども、それをいわば民主的に合意形成して、一つの自分の意志としてまとめるまでにすごく時間がかかる、とおっしゃる。
 綾屋さんは、多数派が意志と呼ぶものが立ち上がるプロセスを、先行する原因群を切断せずにハイレゾリューション(高解像度)に捉えていると言えるでしょう。また綾屋さんは同書において、「内臓からのアフォーダンス」という新しい表現でアフォーダンス概念を拡張しようとしています。外側からばかりではなく、胃袋をはじめとする内臓からもアフォーダンスが絶えず届けられているのだと。そしてそんな大量のアフォーダンスを擦り合わせる過程を多くの人々は無意識のうちに行っていて、そこではいわば中動態的なプロセスによって意志、あるいは行為が立ち上げられているのだとおっしゃいます。
 綾屋さんにとって、このプロセスは無意識どころではありません。彼女はまさに選択や行為を自分に帰属するのではなく、身体内外から非自発的同意を強いられた結果として捉えており、その意味で中動態を生き続けているのだと言えると思います。アフォーダンスが氾濫するなかで、なかなか意志も行為も立ち上がらない。だからこそ、「ゆめゆめ、中動態は生きやすいなどと思うなよ」とおっしゃる。それは当然のことだろうと思います。もしかしたら、中動態が希望か救いのように語られることもあるのかもしれない。しかし、そのように語られる「中動態の世界」の実際とは、アフォーダンスの洪水のなかに身を置くことを意味しているのです。
 ここには、人がなぜ、「傷だらけになる」にもかかわらず、能動/受動の世界を求めるのかを考えるヒントがあるのではないか。つまり、「犯人は誰なのだ?」のような、近代的な責任の所在を問うという理由だけで、能動/受動という言語体制が維持されるわけではないのではないだろうか。つまり、ひとりの人間が中動態を生き続けるというのはかなりしんどいことなので、多くの人は無意識にそれを避けるようにできているのではないか。彼女の研究からは、そういうことも示唆されます。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.144-147 熊谷発言)

 さらに2013年5月21日づけの記事も読み、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)時代であるが、「12時半起床。引き戸が修理されている。こちらがねむっている間に顔もしらない大工が合鍵で勝手に部屋に入ってきて勝手に修理して勝手に出ていったものとおもわれる」との記述に、どんな暮らししとんねんと笑ってしまう。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は14時前。ひさしぶりにEmeraldsを流しながら作文の添削を最後まで片付ける。(…)一年生の(…)くんから期末テストでおこなう自己紹介の文章を修正してほしいと作文用紙を写真に撮ったものが送られてきたので、修正はするが手書きではなくデータで送りなおしてほしいと返信する。
 その後、三十分ほどだらけたのだが、妙な寒気を感じた。コロナかなと思ったが、今日はいつもより冷えるし、時間帯的に空腹のためであることも考えられる。(…)さんから「世間」という単語のアクセントをたずねるボイスメッセージが届いたので、その場で返信。それから第五食堂で夕飯を打包。
 さて、その後は記憶があいまいになる。四年生の(…)くんから先生彼女ができたのかとたずねるメッセージが届いたのはおぼえている。他学部の友人が先生が女性といっしょに歩いているのを見たと言っていたというので、そんなもん学生に決まっているだろうと返信。しかしその後ベッドに移動したのではなかったか? たしかこの夜はシャワーを浴びなかったはず。どうも寒気が続くようだったので、体温をはかってみたところ、38.5度をオーバーしており、ああ、とうとうきたな、と思ったのだ。しかし夏休みの一時帰国中にウイルスを実家に持ち帰ることになるかもしれないというおそれがずっとあたまにあったこちらとしては、まあここらでいっぺん感染しておくのも最悪とはいえないよなという感じ。
 で、その後どうしたのだったか? まず(…)に連絡した(発熱した場合は連絡するようにという話があった)。それからモーメンツに体温計の写真を投稿しておいた(こうしておけば学生らも授業が休みになることをうすうす察する)。あとは(…)さんと(…)さんとこちらのグループチャットを作成し、前回友阿で一緒に遊んだりメシを食ったりしているあいだにもしかしたら移してしまっているかもしれないと警告。とはいえ、ふたりとも去年の時点で感染しているので、おそらくだいじょうぶだとは思うのだが(抗体はまだいくらか残っているはず)。
 あとはそうだ、卒業生の(…)さんからいまさら友達申請があり、なにかと思ったら、Amazonのやらせレビュー依頼だったので、悪いけれどもそういう不正行為はいっさい受けつけていないと断った。
 解熱剤ははやい段階で飲んだ。みるみるうちに作用し、すぐに平熱にもどったので、ベッドでごろごろしながら過ごしたのだったし、もしかしたらまとまった睡眠もとったかもしれない、ちょっとよくおぼえていないのだが、いずれにせよ、地獄は夜中だった。解熱剤の効果が切れて熱がぶりかえしてきたのだが、食い物をすべて切らしていたので、肝心の薬を飲むことができない。無理して寝ようとするのだが、熱のせいでうとうとが30分も続かずに破れてしまう、去年備蓄しておいた粉末のポカリだけとりあえずぐびぐび飲むのだが、とにかく眠れないのがつらい。熱がしんどくてすぐ目が覚める。大学一年生の秋、急性扁桃炎で一週間寝込んだときもこんな感じだった、日中はそれほど問題ないのだが夜に熱が悪化し、じぶんのうめき声で目が覚めるのだ。その感覚に似ていた。熱は38度を行ったり来たりという感じだが、体感ではそれよりもう少しきつかったし、腰より下の関節痛もあって、風邪よりもやっぱりインフルエンザに近いなという印象。しかし多くの学生らが悩まされていた喉の痛み、まるで刃物を飲みこんでいるかのようだという例の痛みとは無縁、喉に関しては多少の違和感がある程度だったので、そういう意味ではラッキーだったかもしれない、これは軽症なのかもしれない。しかし解熱剤を飲むことができず、朝方までうんうんうなされ続けるのはなかなかしんどかった。

20230520

 The old lady settled herself comfortably, removing her white cotton gloves and putting them up with her purse on the shelf in front of the back window. The children’s mother still had on slacks and still had her head tied up in a green kerchief, but the grandmother had on a navy blue straw sailor hat with a bunch of white violets on the brim and a navy blue dress with a small white dot in the print. Her collars and cuffs were white organdy trimmed with lace and at her neckline she had pinned a purple spray of cloth violets containing a sachet. In case of an accident, anyone seeing her dead on the highway would know at once that she was a lady.
(Flannery O’Connor “A Good Man Is Hard to Find”)



 11時前起床。朝昼兼用の炒面を第五食堂で打包。その後はひたすらきのうづけの記事の続きを書きまくる。17時になったところでふたたび第五食堂へ。食後は30分ほど仮眠。その後、ふたたびデスクに向かい、きのうづけの記事を投稿。25000字。アホや。こんなもんばっか書いとるからほかのことがなんにもできやんくなんねん。
 ウェブ各所を巡回。2022年5月20日づけの記事を読み返し。梶井基次郎「路上」の以下のくだり、いつ読んでもすばらしい。

 それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。
 いつもの道から崖の近道へ這入った自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなっていることに気がついた。人の足跡もついていないようなその路は歩くたび少しずつ滑った。
 高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。
 傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、自分はきっと滑って転ぶにちがいないと思った。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片肱をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。
 誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっているように見えるにちがいなかった。――誰も見ていなかった。変な気持であった。
 自分の立ち上ったところはやや安全であった。しかし自分はまだ引返そうともしなかったし、立留って考えてみようともしなかった。泥に塗れたまままた危い一歩を踏み出そうとした。とっさの思いつきで、今度はスキーのようにして滑り下りてみようと思った。身体の重心さえ失わなかったら滑り切れるだろうと思った。鋲の打ってない靴の底はずるずる赤土の上を滑りはじめた。二間余りの間である。しかしその二間余りが尽きてしまった所は高い石崖の鼻であった。その下がテニスコートの平地になっている。崖は二間、それくらいであった。もし止まる余裕がなかったら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかった。しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることができなかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。
 石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止った。それはなにかが止めてくれたという感じであった。全く自力を施す術はどこにもなかった。いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。
 飛び下りる心構えをしていた脛はその緊張を弛めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとんとした。
 どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空の下に大きな邸(やしき)の屋根が並んでいた。しかし廓寥(かくりょう)として人影はなかった。あっけない気がした。嘲笑っていてもいい、誰かが自分の今為(し)たことを見ていてくれたらと思った。一瞬間前の鋭い心構えが悲しいものに思い返せるのであった。
 どうして引返そうとはしなかったのか。魅せられたように滑って来た自分が恐ろしかった。――破滅というものの一つの姿を見たような気がした。なるほどこんなにして滑って来るのだと思った。
 下に降り立って、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢奮しているのを感じた。
 滑ったという今の出来事がなにか夢の中の出来事だったような気がした。変に覚えていなかった。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺り込んだ危険、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。
 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。
 帰途、書かないではいられないと、自分は何故か深く思った。それが、滑ったことを書かねばいられないという気持か、小説を書くことによってこの自己を語らないではいられないという気持か、自分には判然(はっきり)しなかった。おそらくはその両方を思っていたのだった。
 帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた。
梶井基次郎「路上」)

 以下は2021年5月20日づけの記事より。

(…)フーコーアレントはどちらも権力と暴力を区別しているけれども、じつはこれらを違った仕方で整理している。アレントも興味深いですが、私にはフーコーのほうが興味深かった。フーコーの整理では、権力というのは、行為に作用するのだと。それに対して暴力は身体に働きかける。つまり、作用点が違うわけですね。権力は、例えば銃口を突きつけて、脅して他人を動かす。直接、相手の身体に触れないで、行為に影響を与えるわけです。それに対して、暴力は物理的に相手の身体になんらかの影響を与えるような振る舞いです。
 ところで、やはり直接的、物理的に相手の身体に触れずに、行為に影響を与えるというものにアフォーダンスというものがあります。アフォーダンスとは何か。簡単にご説明します。
 人でも物でもいいのですが、例えば、私がここにいて、目の前にコップがあるとしましょう。その場合、そのコップは私に対して、「持ちますか?」とか、「水を注ぎますか?」、「注いだ水であなたは喉を潤しますか?」とか、いろいろな行為を促してくると考えます。これを、コップは私に対して「持つ」とか、「水を注ぐ」という行為をアフォード(afford「与える、提供」)している、という言い方をします。目の前のコップから手が生えて、無理矢理私の手を持って、水を飲めと物理的に影響を与えているわけではなくて、存在そのものが私にある種の行為を促してくる。人であれ、物であれ、非接触的に相手の行為に影響を与える力をもっている。その力のことをアフォーダンスと呼んでいます。
 そう考えると、フーコーの権力観は、とてもアフォーダンス的なのではないか、だから、もしかしたらフーコーの権力論とアフォーダンス理論というのは相性が良いのではないか、などとも思いました。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.142-144 熊谷発言)

 それから2013年5月20日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は22時だった。5月20日、すなわち、恋人の日ということもあり、モーメンツの話題もわりとそれ一色という感じ。作業中は『How Sad, How Lovely』(Connie Converse)や『Spiritflesh』(Nocturnal Emissions)を流した。(…)一年生の(…)くんから『余命10年』というタイトルだけで観る気の失せる映画がおもしろかったという微信が届く。

 シャワーを浴びる。ストレッチをしたのち、(…)さんの作文コンクール用原稿を添削する。こちらのことを手放しでべた褒めする内容なので、これをおれは自分で添削するのか……と若干戸惑う。夜食はトースト二枚とプロテイン。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、その後はひたすら写作の課題添削。2時半になったところで中断してベッドに移動。今日はただただ敗戦処理の一日という感じ。たまっていた日記と仕事を黙々と片付けるのみ。

20230519

 現在は、統合失調症の原因は神経伝達物質の一つのドーパミンの過剰であり、うつ病のそれはセロトニンノルアドレナリンの不足によると広く信じられており、統合失調症に対する抗精神病薬うつ病に対する選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI)およびセロトニンノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)などを処方する医師もそうした説明をすることが多い。しかしながら、こうした説明はドーパミン仮説やセロトニン-ノルアドレナリン仮説と呼ばれるように一つの仮説に過ぎない。研究者によっては、これらの仮説には科学的な根拠が乏しいと主張する者もいる。
 生物学的精神科学者のヴァレンスタインもこうした立場の研究者の一人で、うつ病セロトニン-ノルアドレナリン仮説には科学的な根拠が乏しいということを示すために、以下のような論拠を列記している(…)。

セロトニンノルアドレナリンなどが著しく減少しても人間ではうつ病は引き起こされない。
アンフェタミン覚醒剤)やコカインのようなセロトニンノルアドレナリンの活性を上昇させる薬がうつ病に有効ではない。
うつ病患者で、セロトニンノルアドレナリンの分解物の濃度、またはその両方の濃度が低い人もいるが、大多数はそうではない(二五%ぐらいは分解物の濃度が低いと言える)。
うつ病に罹ったことのない人間でも、セロトニンノルアドレナリンの分解物の濃度が低い人もいる。
精神疾患の最初の生化学説が提唱されたとき、神経伝達物質は四つか五つしか同定されていなかったが、現在は神経伝達物質あるいはニューロンの活動に影響を及ぼす神経修飾物質は一〇〇種以上見つかっており、一つの神経伝達物質で一五もの違った種類の受容体に結合するものもあって、その生理学的変化は極めて複雑である。したがって、特定の神経伝達物質または受容体とある精神状態の間に、単純で唯一の関係があるとは考えにくい。しかも向精神薬はそのほとんどが当初考えられていたよりももっと数多くの神経伝達物質に作用することが明らかになっており、精神状態の変化は何に因るのかの推定は極めて困難である。
セロトニンノルアドレナリンなどの化学的なバランスの崩れは、病気の原因というより、うつ病などの精神疾患に伴うストレスや行動上の特色によって引き起こされているかもしれない。

 ここで注意してもらいたいのは、ヴァレンスタインは薬物療法で改善する人は確かにいると考えており、精神疾患の生物学的要因の重要性を確信しているということである。そのように考える研究者であっても、上記のような理由から、うつ病セロトニン-ノルアドレナリン仮説などの「科学的論拠は実に脆弱である」(…)と述べている。
 こうした脆弱性が指摘されつつも、精神疾患の生化学説(ドーパミン仮説なども含めた生体アミン仮説)はこの五〇年間大きく変化しておらず、この仮説に依拠した新しい向精神薬は開発されつづけている。その理由の一つは「よく売れている薬と類似の薬を開発しようという製薬会社の思惑があり、そのために既存の理論を見直すことなく支持したほうが好都合である」(…)からである。つまりは、薬による治療を推し進めてもっと利益を生み出そうということである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第八章 ラカン派のオリエンテーション」 p.203-205)



 9時にアラームで起床。歯磨きと洗顔。メシは白湯と飴玉ふたつですませる。10時前になったところで身支度を整えて図書館前へ。(…)四年生の姿がある。ひとまず男子学生らに合流。(…)くんと(…)くん相手にひさしぶりと声をかけていると、(…)くんもやってくる。インターンシップで日本に渡ったのではないかとびっくりしてたずねると、仲介会社の不手際かなにかで結局流れたとの返事。これからどうするのかという質問には、初心にもどって夢をかなえたい、つまりラノベの編集者になりたい、だから日本で大学院に進学する道はないか一年かけていろいろ手を尽くしてみるつもりだという返事。(…)くんは浪人してもういちど(…)大学の院試に挑戦するという。(…)くんは軍隊に入るつもりだというので、去年(…)くんと(…)くんがたどったのとおなじルートだな、期限つきのバイト感覚でやる入隊だなと察した。(…)くんは11年間の計画だと語ったが、あれはたぶん11ヶ月間の間違いだろう。入隊のためなのかどうかわからないが、(…)くんはレーシック手術を受けたらしく、裸眼になっていた。あと、彼はいつもキャップをかぶっているのだが、集合写真の撮影の際に博士帽にかぶりなおし、さらにそれを毕业快乐! のかけ声とともに宙に放りなげたその後は帽子をかぶらずに過ごしていたのだが、前髪がかなりハゲていたし、びっくりするほど白髪が多かった。ハゲているといえば、(…)くんと(…)くんの頭頂部もかなりやばかったし、それでいえば去年の卒業生である(…)くんもがっつりハゲていたし、さらにやはり去年の卒業生である(…)くんが仕事をはじめてから日に日にハゲていくとがっつりM字になった生え際の写真を今日モーメンツに投稿していたしで、(…)省の男マジでハゲすぎやろと思う。いや、男だけではない、女の子ですら薄毛が目立つ。
 ほどなくして(…)さん、(…)さん、(…)さんの女子一軍グループがやってくる。会話にはまったく困らないレベルの三人に、ふだん一緒にいるところをあまり見た記憶がないのだが、(…)さんも加わって、せんせー! ひさしぶりー! という。(…)さんはエスニックな白シャツとカーキのスカート(たぶん生地は麻だと思う)。やっぱり卒業式であるし特別な服装で来るんだなと思ったら、じぶんの私物ではなく(…)さんのものだという。わたしはスカートがきらいだからというので、たしかにきみがスカートを穿いているところを見るのは初めてだと受ける。髪の毛もショートカットだったのがいつのまにかロングヘアになっている。(…)さんは中華風の衣装がこらされた上下黒っぽい服装にやっぱり中華風の模様が散らされた日傘というがっつりコンセプチュアルな服装。(…)さんはJKファッション。(…)さんと(…)さんは院試に失敗したわけだが、浪人するのかどうかは知らない。(…)さんにどこで働くつもりなのかとたずねると、わからないが故郷には戻りたくないという返事。
 かなり暑かった。待ち時間のあいだにじりじり汗を掻く。ほどなくしてアカデミックドレスが配布される。(…)さんと(…)さんからそれぞれツーショット写真を頼まれる。(…)さんはさっそくその写真を鹿児島滞在中の(…)さんに送ったようだ。(…)さんは(…)さんで、やはり鹿児島滞在中の(…)さんとビデオ通話し、その模様をスクショすることでふたりの卒業写真の代わりにするようだったので、後ろから背後霊のようにして何度も映りこんでやった。(…)さんとあと数人、たぶん(…)さんや(…)さんだと思うが、仲良しグループに声をかけられたのもこのタイミングだったと思う。(…)さんはたしか(…)だったろうか、具体的にどこであるかはちょっと忘れてしまったが、(…)省の高校で日本語教師として働く予定とのこと。彼女の明るくてユーモラスなキャラクターはたしかに教師向きかなと思った。(…)くんからも声がかかる。さっきはスマホゲームをしていたのであいさつしそびれたと言ったのち、すいかのおもてみたいな模様の柄シャツを着ているこちらに対して、先生の服装は本当に日本人という感じがする、中国でもそういうシャツは売っているが着るひとは少ないというので、よく言われるよと応じた。
 学生らの着替えがすんだところで撮影開始。(…)のときとは打って変わって、こちらと(…)先生のみならず、(…)先生もいるし彼女らの担任教諭である女性教諭もいる。撮影のすんだあとも、学生らからひっきりなしにプライベートな撮影の依頼が続いて、スマホだけではない、先輩や友人たちから借りたというSONYやCANNONの一眼レフを持っている姿もちらほらあって、そうそう、卒業写真の撮影といったらこういう感じだよと思った。先日の(…)がやっぱりイレギュラーなのだ。あのクラスは失敗の巻や!
 かなりの数の写真を撮った。写真を撮るときは一枚はまじめにし、もう一枚は白目をむいて中指を立てた。(…)先生と(…)先生もかなり撮っていたと思う。これで全員分終わったなというところでふたりが近くに停めてあった車にのりこんで去ろうとしたそのタイミングで、わたしたちはまだ一緒に撮っていな〜い! と女子学生が呼びかけて連れ戻すなどする一幕もあり、なかなかアキワイワイ((…)語)した雰囲気。中国人教師ふたりが去り、こちらに声をかけてくる学生もいなくなったところで(たぶんほぼ全員と写真を撮ったと思う)、みなさんご卒業おめでとうございます、とグループごとに声をかけてその場を去った。
 第五食堂に立ち寄って昼飯を打包。食し、きのうづけの記事の続きを書く。(…)さんからすぐにツーショット写真が届く。(…)さんと(…)さんからも同様の写真が届く(驚いたことに、彼女らとはまだ微信の連絡先を交換していなかったらしく、やりとりは友達申請からはじまった)。コーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書く。

 また寮を出る。第五食堂の一階でミネラルウォーターを買う。外国語学院に向かう道中、電動スクーターにのった(…)くんが後ろからやってきて声をかけられた。彼もスピーチコンテスト校内予選に観衆として参加しなければならないのだ。そろって外国語学院に向かう。会場となる教室は三階にあるすり鉢状の大講義室。教室後方から中に入り、審査員席のある最前列におりていく。審査員席には四年生の(…)くんがいる。召集を受けたらしい。コロナになった(…)先生の代わりに審査しろということだろう。(…)さんと(…)さんは司会。(…)さんはスピーチコンテスト当日に着用したセーラー服を着ている。(…)さんも普段とは違う晴れやかな服装。先取りして書くと、予選に参加した学生らも、男子学生らは別段いつもどおりだったが、女子学生らはだいたいみんな着飾っていた(日本語学科ということもあり、JKファッションの子がやはり目立った)。
 始業時間のベルが鳴ってほどなく、(…)先生と(…)先生がやってくる。今年から指導教員になるはずの(…)先生はやってこない。例年に比べるとずいぶん審査員の数が少ない。(…)先生についてはのちほど(…)さんから今日の午前中にあった彼女らの授業にも出席しておらず自習というかたちだったと聞かされたが、その前にあった他学部の日本語の授業は普通に行っていたらしいというので、え? 陽性で普通に仕事してたの? マジで? とちょっとひいてしまったが、ここで彼女が語った「その前」というのは前日のことかもしれない、陽性が確定する前の話かもしれない。二度目の感染は症状が軽いからだいじょうぶだと(…)くんがいったが、そんな話こちらはこれまで聞いたことはない、むしろ後遺症になる確率が高くなるというアレではなかったかと思うのだが。
 会場には日本語学科以外の学生の姿もちらほらあった。ほとんど男子学生。だれだよとあれとぼやいていると、興味がある学生かもしれないと(…)くんはいったが、しかし実際にコンテストがはじまってみると、大半は手元のスマホをいじっているのみ。サクラかなと思った。教室に空席が存在してしまうと見栄えが悪いということで、行事ごとには毎回カメラも入ることであるし、満員をアピールするために外国語学院が動員した連中かもしれない(中国社会ではこういうまったくもって「形式主義」的な論理がいたるところで作動するのだ)。手元のスマホでいえば、これもやっぱり例年のことであるが、見学を強いられている一年生から三年生までほとんどすべての学生が、壇上でスピーチしている学生のほうなど見向きもせず手元のスマホばかりいじっていたし、それは審査員として最前列にいる(…)先生や(…)先生や(…)くん、あるいは司会役の(…)さんと(…)さんもおなじで、おれはやっぱりこういう他者に対する敬意の不在がデフォルトであるコミュニケーションのあり方にまったく魅力を感じないなとあらためて思った。「先生、日本人は冷たいですか? 東京の人は冷たいですか?」とどこかで仕入れたステレオタイプを裏打ちしようと試みる学生らに対しては、ところできみたちはこういう光景を冷たいと感じることはないのかと聞いてみたい。
 コンテストがはじまるまえに審査員の紹介。(…)先生、(…)先生、こちら、(…)くんの順番に名前が読みあげられるわけだが、こちらの名前が読みあげられたときだけ歓声と拍手がわーっとわきおこったのを聞いた(…)くんが、先生やばいな、すごく人気者だな、とびっくりしたようすで言った。(…)四年生のあの暗くてどよーんとした空気のなかで生活してきた彼にはおそらく、一年生のお祭り騒ぎみたいににぎやかな授業のようすであったり、こちらと学生のほとんど軽薄といっていいくらいフレンドリーな関係であったり、そういうもろもろがまったく想像できないのだろう。
 点数を記入する用紙が配られる。最低点を80点、最高点を100点にして付けようと、となりの(…)くんと相談して決める。まずは一年生から。一番手は(…)くん。暗記した原稿が途中で飛んだ。85点。二番手は(…)くん。そもそもスピーチの趣旨を理解していない。彼が用意した原稿は村上春樹的な喪失感を感傷的につづっただけのポエムみたいなもので、それを読みあげる声もスピーチというよりはほぼアフレコで、暗く沈鬱な情感たっぷりの声色でぼそぼそと語るそのようすに会場がちょっとざわついたし、(…)くんはひとこと「中二病だな」といった。基礎能力の高さは認めるが、あくまでもスピーチとしての点数をつけるのが今日なので、最低点の80点。三番手は(…)さん。発音にやや癖があるが、まずアニメ声なのでスピーチ映えするし、原稿もけっこうしっかりしている。90点。四番手は(…)さん。(…)さんほどではないが、やはり声がよく通る。90点。五番手は(…)さん。緊張が目立った。声がかなり震えており、かぼそかった。発音もやはり難がある。しかし90点をつけたのだったか? もう少し下にしたかもしれない。87点か85点をつけた気がする。六番手は(…)くん。今日の参加者のなかでは最低点をマークするだろうというのが事前の予測だったが、おもいのほかしっかりしていた。発音に問題はあるが、文章がもっともスピーチコンテスト然としており、(…)くんも「スピーチらしいな」といった。しかし普段の能力の低さがやや気になるのでそこを差っ引いて85点。七番手は(…)さん。転学組にもかかわらず大健闘。授業中もしばしばそういう印象をもっていたが、かなりできるし、やる気もある。90点。
 二年生。これ以降の点数はおぼえていないので印象のみ。(…)さん。最近勉強を猛烈にがんばりはじめたという噂通りの大健闘。とはいえ、(…)くんと付き合っていた期間中のノー勉がたたってやはり高得点とはいかない。これからのがんばりに期待。(…)さん。緊張で言葉が詰まる時間が長かった。コロナ明けというハンデもある。やむなし。(…)さん。前半の発音がおもいのほかよかったのでびっくりしたが、後半はボロボロ。(…)さん。ボロボロ。(…)くん。優勝候補のひとり。本人もやる気まんまんで、マイクを使わずステージ中央に立って声を張りあげたが、まさかの緊張で暗記した原稿が飛ぶというハプニング。あれはかなり悔しいだろう。パフォーマンスを終えてこちらのかたわらを通りすぎる際、「失敗した」と日本語で漏らした。(…)さん。可も不可もない。(…)くん。原稿を暗記しているわけではなかったが、おもいのほかよかった。とはいえ彼の基礎能力はゼロに等しいし、今回の参加も思い出作りにすぎないものなので、代表に選出することはない。(…)さん。優勝候補のひとり。そつなくこなした。(…)くんが失敗したため、ほぼ自動的に彼女が代表ということになるわけだが、うーん、でも日頃の授業態度を見ているとちょっとなーという感じ。
 三年生。(…)さんにビビる。もともと推していた学生ではあったが、まさかこれほどまで発音がいいとは思ってもみなかった、嘘でしょとびっくりした。最高得点の97点をつける。(…)さん。ボロボロ。(…)さん。けっこういい感じ。しかし(…)さんの手前どうしても印象がかすんでしまう。ちなみにクラスメイトの(…)さんによれば、彼女は院試組であるもののスピーチコンテストにも興味を持っているとのこと。そういう意味では代表第一候補。(…)くん。緊張が目立つ。(…)くん。想定していたよりはよかったが、内容がちょっと不足気味だったし、なにより基礎能力の低さが気になる。(…)さん。四級試験でクラス最高得点をゲットしている子であるが、スピーチはそれほどパッとしない。
 三年生のみ続けて即興スピーチとなる。即興スピーチの準備中は場つなぎということで(…)くんが中国語でちょっとした講演。弁論チームでの経験やスピーチコンテストでの経験を後輩らの前で立て板に水で滔々と語り続けるのだが、これがまあクソ長い、ふつうに10分以上ハイテンションでしゃべりつづけていたのではないか? とはいえ、学生らの多くは例によってスマホをいじっているだけなのだが。のちほど(…)さんから聞いたのだが、(…)くんの堂に入ったしゃべりっぷりを前にした(…)くんは、あのひとは会社の社長かなにかなのかと口にしたらしい。笑った。こちらの後ろの席には三年生の(…)くんがいたのだが、ひとまえで話すのが苦手な彼は、(…)くんみたいに堂々としている人間がうらやましいと漏らした。途中から(…)さんも後ろにやってきた。班导として一年生の結果が気になるらしくどうですかというので、だれを選ぶのかちょっとむずかしいねといった。三年生はどうですかというので、(…)さんはめちゃくちゃ上手だね、ちょっとびっくりしたよと応じる。
 その(…)さんから即興スピーチがはじまる。ここでもまたびびった。完璧だったのだ。即興スピーチをすることなんてはじめてだと思うのだが、文章のミスもほぼ見当たらないし、なにより発音がいい。本人を前にしては言えないが、もしかしたら去年の代表である(…)さんより普通に実力が上なんじゃないかと思う。このままコンテストに出場してもけっこう通用するのではという感じ。マジでびびった。こんなにできる子だったのか。(…)さんはテーマスピーチにひきつづきボロボロ。途中で完全に言葉に詰まってしまい、がんばれー! の意味の拍手が巻き起こった唯一の学生となった。(…)さんも十分さまになっていたが、やはり(…)さんの才覚の前ではかすれてみえる。(…)くん、(…)くん、(…)さんは似たり寄ったり。
 最後に(…)先生が総括を発表。それで解散となる。(…)先生は用事かなにかがあったのか、途中で抜けていたので、こちらと(…)先生のふたりでひとまず印象のすりあわせ。一年生の(…)くんと(…)くんのふたりがさっそく点数を聞きにやってきたが、いまから会議! 帰れ! 帰れ! と追い払う。(…)先生は一年生の授業を担当していない。しかるがゆえに今日の出場者に対する日頃の印象をざっと伝える。こちらとしては正直、(…)くん以外であればだれが代表になっても相応の結果を残すことはできると思うのだがと伝えたうえで、(…)くんには最低点をつけたが、日頃の会話能力だけであれば彼が一番であることを補足する。意外なことに(…)先生は彼のスピーチにかなり高い点数をつけていた。発音だけで見ればという判断だろう。(…)先生は(…)さんの能力にも感心していた。転学組であるから半年遅れているはずなのにというので、彼女はすごいですよ、授業中もぼくの発言をほとんどすべて聞き取れていますからね、と太鼓判を押した。
 二年生はやはり(…)さんということになる。ただ、今日はちょっと失敗してしまったものの、(…)くんは会話能力も作文能力も高いと伝える。(…)さんは授業態度がよくないし、集中力もないようにみえるから、スピーチの練習についてこれるのかどうかが気がかりだと率直に伝えると、(…)先生の授業でも同様なのだろう、わかりますわかりますという反応。
 三年生は(…)さん一択であるが、彼女は院試を優先するだろうと話す。話しているところに当の(…)さんと(…)さんがやってきたので、(…)さんはスピーチの代表になれないよねと確認すると、ごめんなさいできませんという予想通りの反応。即興スピーチで完全に詰まってしまった(…)さんは半泣きになっている。今日の参加者のなかで大学院試験に参加しない学生はいますかとたずねると、いないと思うという返事があって、え! みんな受けるの! とびっくり。(…)さんは代表になることに興味がるようだという話を(…)先生に伝えると、じゃあもう彼女でいい、万々歳! みたいな反応。去年の(…)さんみたいに途中でおりるということにならなければいいけど。
 スピーチ練習は来月からはじまる。夏休み中の特訓もあるというので、15日に出国するのでそれまでだったらだいじょうぶですと伝える。今年もよろしくお願いしますとおたがい日本式にお辞儀をする。学生らの去った教室にはなぜか三年生の(…)さんがひとり残っていた。彼女は先学期こちらの担当する授業の期末試験で赤点をとっているはずなのだが、教務室のほうからいっこうに追試の連絡がこないのはいったいどういうわけだろう? そもそも教室にひとり残ってなにやってんだ?
 教室を出る。便所で小便をする。壁にむけて小便をする趣味はないので、大便用の個室に入るわけだが、ふつうに流していないうんこがそのままになっていて、これはいったいどういう哲学の産物なのかと思う。なぜ外国語学院の便所にはしょっちゅう流していないうんこがあるのか? 近平の旦那はじぶんの政治思想を高等教育機関で必修化する前にまずは便所のクソを流すことを全人民に徹底させるべきでは?
 ケッタに乗る。(…)さんから微信が届いている。いっしょに夕飯にいきましょう、と。16時半という中途半端な時間だったので、いったん寮にもどってのちほど集合かなと思ったが、友阿にあるセブンイレブンにまた行きたいというので、だったら多少の遠出になるわけであるし、このまま行こうかとなる。それで寮にはもどらずケッタで直接女子寮前にいく。教室から寮に戻る途中らしい二年生の(…)さんと(…)さんから「先生!」と呼びかけられる。女子寮前にある段差に直接腰かけて樫村愛子の続きを読む。ほどなくして(…)さんと(…)さんのふたりがあらわれる。あ、今日はこのコンビなのね、と思う。(…)さんは司会をしていたときと同じ服装のままだったが、(…)さんはさすがにセーラー服は暑すぎたのか、デニムのショートパンツに蛍光緑のTシャツというラフな格好に着替えていた。彼女は東北人で背が高く、足もたいそう長くすらりとしているので、なかなか画になる。
 歩き出す。さっそくスピーチコンテストの印象をきかれる。三年生については(…)さんがダントツ、次点で(…)さんという意見も一致。もし(…)さんがやっぱり院試に集中したいと言い出したらだれを代表にすればいいのだろうと漏らすと、(…)くんはどうだろうかと(…)さんがいう。しかしこれにクラスメイトの(…)さんは反対。こちらもどちらかといえば反対。さらにいえば、彼はインターンシップでこの夏日本に渡る予定だ。二年生はどうですかというので、今日の結果だけでみれば(…)さんだろうと応じる。クラスメイトのなかでもそういう空気ができあがっていると(…)さんがいうので、でも彼女が練習にまじめに取り組むかどうかけっこう疑問なんだよなと漏らすと、(…)さんは授業中いつもスマホをいじっていますと(…)さんがいう。こちらの授業だけではなく、すべての授業でそんな感じらしい。先学期まではまじめに勉強していたが、今学期はまったくそうでないとのこと。いっぽう、(…)くんはやる気がかなり高いという。英語学科の彼女も成績優秀で、ふたりそろって大学院進学を考えているらしく、モチベーションも申し分ないし、中国の学生によくある恋愛が勉強の足を引っ張るという例のパターンも彼には当てはまらない——という口ぶりから察するに、(…)さんは(…)くんを推しているようす。最終的に判断するのは二年生——というか新三年生ということになるのか、そこの担当教員であるので、どうなるかはわからない。
 二年生といえば、(…)さんも思っていたよりよかったねという。その(…)さんの元カレである(…)くんに最近あたらしい彼女ができたという話もあった。
 南門の入り口ではおばちゃんらがなぜか無料で薔薇の花を配っている。卒業シーズンだからだろう。三人そろって一輪ずつ受けとる。それからいつものバス停に移動し、ほどなくしてやってきたものに乗り込む。満席だったので吊り革を握って横並びになりながら立ち話。席が空いたところでそちらに移動。学生ふたりとやや離れたところに座したこちらは樫村愛子の続きを読む。
 友阿の前でバスをおりる。まずはセブンイレブンへ。海老マヨのおにぎりとサーモンの巻き寿司を買う。(…)さんはおにぎりとポテサラとホットスナックの焼き鳥、(…)さんはケーキを購入。店の前の広場には以前はなかった真っ赤なハートのオブジェがある。それで明日が5月20日であることに気づく。5月20日恋人の日になったのはいつぐらいからなのとたずねると、たぶん10年くらい前からですという返事。
 それから友阿の中に入り、四階か五階まで直行するクソ長いエスカレーターに乗る。これ耐震構造とかそういうのどうなっているんだろう、本当にだいじょうぶなんだろうかと、乗るたびにけっこう恐怖する。以前ここにおいしい韓国料理店があったのだが閉店してしまったと(…)さんがいう。こちらは(…)さんや(…)さんといっしょにおとずれた鉄板に川魚と野菜とトマトをいっしょくたにして煮込む料理を出してくれる店が印象に残っていたので、ひさしぶりにそこでもいいかなと思っていたのだが、どうやらそこも潰れてしまっているようだった。ほなどこで食えばええねんとなったところでゲームセンターが目につく。クレーンゲーム狂である(…)さんが食後を待たずに突進し、すぐさまゲームのプレイに必要なコインを購入する。そしていっしょにバイクのレースゲームをしましょうという。パチモンにバイクにまたがってブンブンするやつ。(…)さんはむかしからこのゲームが大好きなのだという。それで彼女のおごりでこちらもやってみることに。コースはもっとも簡単なやつをセレクト。アクセルをぶんまわすとモニターのなかのバイクがウィリーする。それはぶんまわしすぎということなのかなと思ってゆるめると、今度はまったくスピードが出ない。ウィリーしても問題ないということに気づくまでちょっと時間がかかった。よくわからんままゴールする。すると総合スコア7位にランクインしたが、7位のところにこちらの顔写真がはっきり記録されていて、レースの前に撮影があったのはそういう意味かとなる。ちなみに(…)さんはその撮影の瞬間に顔を横にスライドさせてカメラから逃れていて、そういうところもふくめて手慣れている。のちほど(…)さんはわれわれふたりがおもちゃのバイクにまたがっている後ろ姿の写真をモーメンツに投稿していた。撮影は(…)さん。こんなクソゲーではなくスーファミマリカーさせてくれと思う。こちらはノコノコ、弟はキノピオで、いったいこれまで何千レースプレイしたかわからないくらいだ。
 その後はあまったコインでクレーンゲーム。(…)さんはここでも才能を発揮し、けっこうでかいアヒルのぬいぐるみを一発でゲットした。彼女がコインをわけてくれたので、こちらはだれが見ても一発でパチモンとわかる尻を丸出しにしている邪悪なドラえもんのぬいぐるみをゲットするべくがんばってみたが、箸にも棒にもひっかからんかった。結局その後こちらも(…)さんも10元ずつコインを購入し、都度分け合いながらクレーンゲームに挑戦したが、それ以上の成果を得ることはできなかった。
 エスカレーターでさらに上のフロアに移動する。海底捞がある。高級ビュッフェがある。そして潰れたと思っていた魚の鉄板焼きの店がここで見つかる。じゃあもうここしかないだろということで入店。席についてオーダーする際、スマホの写真をチェックしてみたところ、前回入店したのは2018年のことらしく、2018年! おれはもう五年もこの仕事しとんか! とびびった。とはいえ、そのうち一年半以上は実家からオンライン授業をしていたわけだから、なんというか感覚がバグる、ちょっと損をした気分になる。店員のおばちゃんは愛想がとてもいい。あんた(…)人かというので、日本人だよというと、あれま! 日本人かん! みたいなリアクション。(…)さんについてはすぐに東北人だとわかった模様。背が高いし、発音も東北訛りだからだろう。去年のスピーチおつかれさまというアレで会計はこちらがもつことに。好きなものを好きなだけ注文しなさいと伝える。
 鉄板にトマトスープを薄く張る。そのなかにすでに焼きあがった川魚が横たえられる。その上にさらに輪切りにスライスしたトマトが重ねられる。そこに追加注文したパクチー、木耳、レタス、ジャガイモなどをさらに加える。それとは別にチャーハンも注文する。ひさしぶりに食ったが、相当うまかった。食いすぎたので、また腹が痛くならないかとちょっと心配になったほどだ。
 食事中もまたたくさん話した。印象に残ったのは二年生のトラブル。ここ二、三日クラスで問題になっていることがあると(…)さんがいうので、どうしたのとたずねると、密告があったという。自習に参加していない学生がいるとクラスメイトのだれかが学生会のトップに密告したらしく、それでクラス全体が学生会から注意を受けるという出来事があったのだ、と。告げ口した人物については現在も不明。それでクラス内に疑心暗鬼のやばい空気が渦巻いているというので、ひえっ! くわばら、くわばら! と思った。なぜそんなことをするのか理解できない、するにしてもなぜこのタイミングなのかも理解できない(というのも自習の義務があるのは二年生後期までであり、つまり、あと一ヶ月ほどであるので)と(…)さんはいった。
 (…)さんはその学生会の仕事もしている。しかし今学期いっぱいでもう離れるつもりだという。最近学生会のなかで特に献身的だった人物に賞状が与えられるという機会があったのだが、日本語学科の二年生で学生会に所属している彼女も(…)くんも(…)くんもいっさいその手の栄誉に浴することがなかったのだという。そのことで(…)さんは相当あたまにきているようだった。仕組みがよくわからんのだが、たぶん学生会のなかでは相互評価システムみたいなものがあるのだろう、それである程度高く評価された人間だけが賞状を得ることができるということなのだと思う。ずっと以前、だれからだったか、それこそ学生会でトップを張っていた(…)くんからだったかもしれないが、学生会のなかでも政治的な駆け引きがあり縁故的な裏工作があるみたいな話を聞いたおぼえがある。あれはあれで中国社会の縮図なのだろう。
 学生会は離れるが、新入生の班导には立候補するつもりでいる。しかし班导は各クラスにつき二人必要。新入生は二クラスなので、合計四人必要なのだが、(…)さん以外にやりたいという学生はいまのところいないという。
 大学院進学の競争率が高くて不安だという話もあった。父親はじぶんに教師になって実家の近くに住んでほしいと願っているが、大学院に進学してまで教職に就きたいとは思わない。かといって翻訳や通訳にもあまり興味がない。きみは日本の妖怪や幽霊が大好きだと言ってたでしょう? だったらそういう研究をすればいいんじゃないの? というと、将来を考えるとそれでいいのか不安になるみたいなことをいうので、就職の役に立つか立たないかで研究を選ぶとのちほど絶対に後悔するよと、興味もない言語学を専攻したことによって苦しい院生時代を送った(…)くんの例や、金になるからという理由で留学先で法律を専攻しようとした(…)さんを説得した話などをした。(…)さんは推理小説を書くのが趣味である。だったら(…)さんみたいに心理学を研究するのもおもしろいんじゃないのというと、社会学に興味があるという返事があった。ちなみにいまは推理小説だけではなくホラー小説も書いているらしい。だからやっぱり日本文学を対象とし、日本の怪談を研究するのもおもしろそうだという。
 店を出る。エレベーターで一階まで移動しようとするが、なかなかやってこないので、結局エスカレーターで一階ずつ移動することに。一階にある雑貨屋をのぞく。文具コーナーをのぞくと、商品の半分以上が日本産。雑貨屋をのぞくたびに思うのだが、家電業界や自動車産業では(少なくとも中国において)存在感をほぼ失っている日本であるが、いわゆるkawaii系産業ではまだまだ第一線らしい(それも5年後10年後にはどうなっているかわからんが)。おもしろ消しゴムのコーナーがある。犬猫などの動物、お寿司やラーメンなどの食い物のかたちをした、使うのがもったいないタイプの消しゴムがセットになって袋詰めされている。バラ売りもある。そのなかに洋式便器の消しゴムがあった。蓋がちゃんと開くようになっているし、なかには律儀にまきまきうんこもある。これちょっと欲しいなと思った。店内を順次見聞する。文具だけではなく、恐竜や動物のフィギュア、ガンダムっぽいプラモデル、ウルトラマンティガのフィギュアやトレーディングカード、外国産の酒やジュースやお菓子などを見る。(…)さんはいくつかの文房具のほか、パッケージにドラえもんが印刷されたダイドーの麦茶やペリエを購入。こちらはその(…)さんがおすすめしてくれたサンザシの瓶ジュースを購入。われわれふたりから離れてひとり行動していた(…)さんを迎えにいくと、文具コーナーで大量のかわいらしいメモ帳やシールを手にしていたので、ちょっと笑ってしまった。しかし若い女の子たちがこうしたかわいい文具をめでる姿というのはいいもんだなと思う。雑貨屋は前回三年生らとのぞいた店と地続きになっていた。レジも共有。前回検分したばかりであるが、そっちの商品もいちおうあれこれ物色する。前回看過していたルームフレグランスをひとつひとつ確認する。(…)さんが実家で使用しているルームフレグランスも売っていた。
 会計をすませる。となりにある(…)で(…)さんがミルクティーを買いたいという。打包するのかと思ったが、店内に滞在する流れに。密告の話の続きになる。実をいうと、密告嫌疑がかかっている人間は三人いるという(のちほど「三組」であることが判明)。だれ? とたずねると、さすがに最初はしぶってみせたが、ゴシップはけっこう好きなので重ねてたずねると、まず一人目は……とあっさり口を割った。そもそもこの話題をみずから口にしてみせる時点で、彼女のほうでもきっとこちらに聞いてほしかったに違いないわけだが、さて、最初に名前があがったのは(…)さんと(…)さんのふたり。そもそもふたりともまったく勉強熱心ではないのだし、自習をしていないひとがいます! とチクるようなタイプじゃないでしょとこちらは思ったわけだが、ふたりとルームメイトである(…)さん曰く、ふたりがこそこそベッドに隠れてスマホをいじっているのを目撃したことがあるのだという。いや、それだけで犯人扱いはちょっとと思うのだが、まあほかにもいろいろあるのかもしれない。二組目は(…)さんと(…)さん。このふたりもやっぱり全然勉強してないでしょと思うわけだが、(…)さん曰く、そうではない、ふたりでよく勉強しているという反応。それであのていたらくか? と思うわけだが、ところで、ふたりはもともと(…)さんらのルームメイトだった、しかし関係が悪化し、結果、たぶん先学期のことだと思うが、ほかの部屋に移ったという事情がある。クラスのなかでもふたりはかなり浮いているというので、たしかにはっきりと排他的な関係をかたちづくっているよなと授業中の印象を思い返す。三組目は(…)さんと(…)さん。(…)さんはまじめな学生だが、口数が少なくて大人しく、内心なにを考えているかわからない。さらに彼女は野鳥保護のボランティアに所属しているので、学生会のトップとも個人的にコンタクトをとることができる。
 二年生は関係の良くない学生の姿がちらほら目立つよねと受ける。教壇に立っているだけでもわかるよというと、グループが多すぎますと(…)さんがいう。グループというよりはペアだ、コンビだ、二人組で行動している女子学生があまりに多いのだ。ほかでもない(…)さんも(…)さんとペアであるし、先ほど名前があがった(…)さんと(…)さん、(…)さんと(…)さん、(…)さんと(…)さんもそうであるし、(…)さんと(…)さん、(…)さんと(…)さん、(…)さんと(…)さん、みーんな常にほとんど排他的といっていいペアで行動している((…)さんと(…)さんもかつてペアだったが、いまはそこに(…)さんが加わってトリオと化している)。
 それに比べると三年生はわりと平和だねというと、(…)さんは笑顔でうなずく。特に彼女の部屋のルームメイトたちは関係がいい。もちろん、こちらの目につかない場所で多少のいざこざはあるのだろうが、大きく割れているという印象はまったく受けない。クラスで唯一揉め事らしい揉め事があったのは(…)さんだけだという。ルームメイトは(…)さんや(…)さんであるが、彼女らから無視されると訴えて部屋を出たという。しかし訴えられたふたりはそんなことしていないと否定。真相は知れないとのこと。(…)さんのような自立心のある文学ガールと、タトゥーに鼻ピアスの(…)さんとでは、そりゃまあ相性もよくないわなと思う、と、ここまで書いていて気づいたのだが、外見は(…)さん寄りで内面は(…)さん寄りであるじぶんのような人間はやっぱりちょっとめずらしいのかもしれない。
 (…)さんの髪の毛が長いという話にもなる。中国人女性は日本人女性よりもやはり圧倒的にロングヘアが多いという印象を受けるのだが、鏡餅みたいに丸めた髪の毛にかんざしをさしている(…)さんがその髪の毛をほどいたところ、先端が腰にまで達するほどの長さになっていたので、マジで! そんなに長かったの! 日本ではここまで長いひとはなかなか見ないよ! と驚く。(…)さんでも十分長いと思うのにというと、わたしは高校生のころ男の子みたいな髪型でしたという。それで高校時代の写真を見せてくれたのだが、(…)さん並にボーイッシュな(…)さんの姿があったので、えー! めっちゃかっこいいじゃん! 女の子からモテたでしょ! といった。
 (…)さんは大好きなアイドルのコンサートに行きたいといった。SUPER JUNIORというアイドルが好きなのだという(中国のアイドルだと思っていたのだが、いまググってみたところ、韓国のアイドルらしい、しかし旧メンバーには中国人もいたようだ)。大好きなメンバーの年齢が37歳だというので、おれと同い年やんけ! とびっくりする。写真を見せてもらったが、化粧と加工ありであるとはいえ、二十代にしかみえない。日本のドームで公演をしたこともあります、わたしは日本で彼らのコンサートに参加したいです、と(…)さんはいった。(…)さんはアイドルに全然興味ないよねというと、ないという返事。きみはスマホでゲームもしないもんねというと、実は最近ゲームをしていますと恥ずかしそうにいう。全然そんな印象がなかったので、え? マジで? と驚いてたずねかえすと、去年の夏休みからするようになったといって当のゲームを起動してみせてくれたが、二次元のイケメンたちがずらりと表示されて、どうやらいわゆる乙女ゲームらしかった。しかも微妙に課金しているというので、あーもう大学生のあいだに彼氏できないわと茶化した。(…)さんもこのゲームにハマっているというので、ちょっと「うん?」と思った。彼女は同性愛者であるはず。それとこれとは関係なしにゲームを楽しんでいるということだろうか? (…)さんが同性愛者であることは公然の事実としてすでにルームメイトのなかで共有されているようであるのだが、(…)さんに関してはそのあたりのところがちょっとよくわからない、けっこう以前(…)さんと(…)さんと散歩した夜、ふたりが(…)さんに「彼氏」ができることを期待していると口にするのを聞いて、あれ? まだカミングアウトしていないのかな? と思ったものだったが、やっぱりそうなんだろうか? カモフラージュとして乙女ゲームをプレイしているのだろうか? ちなみに(…)さんは推理ゲームのアプリをときどきするという。小説の練習らしい。そんなゲームをしている学生は初めてだよというと、わたしもですと(…)さんも言った。
 となりの席にひとりで座っていたおばちゃんが突然声をかけてきた。どこの地方の出身だとたずねてみせる。われわれの日本語を方言と聞き違えていたらしい。それで、このひとは日本人教師だ、わたしたちは大学で日本語を勉強している中国人だ、ひとりは(…)人でひとりは大連人だ、と学生ふたりが中国語で応じる。おばちゃんはその後、方言の違いや(…)について長々と、マジでクソ長々と中国語で語り続けた。相槌も返事もないままずっと話し続けるそのようすをながめ、その言葉を単なる音としてききながら、ロメールゴダールの映画のワンシーンみたいだなと思った。女性による一方的な語り。相槌も合いの手もなく、とにかく語る。語り続ける。長引くとめんどうくさいので、ふたりに通訳は頼まなかった。
 店を出る。すでに時刻は21時をまわっていた。友阿の外へ。広場には屋台がたちならんでいる。そのなかを通り抜け、広場ダンスしているおじさん(!)を尻目に、道路のほうに近づく。すでにバスはないという。それで滴滴で呼んだ車に乗り込む。助手席に(…)さん、後部座席にこちらと(…)さん。(…)さんは祖父の話をした。現在80歳だが、身長は180センチほどある(若いころは185センチあったらしい)。すごくかっこいいといいながら現在の写真を見せてくれたのだが、折りたたみ椅子に腰かけている屈強な体格の老人の、サングラスをかけて口髭をたくわえているそのようすに、ヤクザやねえか! と爆笑してしまった。実際、若いころは酒に酔ってしょっちゅう近所の人間とケンカばかりしていたらしい。しかし孫娘である(…)さんに対してはたいそう優しいとのこと。
 車が南門に到着する。(…)さんも(…)人にしてはけっこう背が高い。父親の身長をたずねると、172センチくらいだというので、ぼくとおなじじゃんと受ける(ちなみに(…)さんも172センチ)。先生は日本人としては高いほうですかと(…)さんがいうので、若い子はどうか知らないけどぼくの世代の平均身長はたしか170センチくらいだったと思うからまあ平均だねと受ける。(…)さんは中学生の妹のほうがもっと背が高いといった。(…)さんは四姉妹の長女。中学生、小学生、幼稚園の妹がいる。『若草物語』や『細雪』のようだ。田舎でのんびり四姉妹の生活なんてちょっと物語のようだねというと、でもすごーくうるさいです! という反応。そりゃそうや。
 女子寮前に到着したところで解散。ケッタに乗って寮にもどる。帰宅してモーメンツをのぞくと、(…)の四年生らが卒業をお祝いする写真をガンガン投稿している。(…)の四年生とは全然違う。(…)くんに例の手紙を送る。クラスメイトらに転送しておいてください、と。それから(…)さんに激励のメッセージも送る。はじめての挑戦であれほど上手に即興スピーチできる学生を見たことがない、院試の二次試験は日本語での面接だと思うが、あのレベルだったらまずまちがいなく合格できるよ。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。(…)さんと多少やりとりを交わしたのち、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回する。それから2022年5月19日づけの記事を読み返す。以下は2021年5月19日づけの記事より。一回性の記憶(トークン-現実的なもの)を言語(タイプ-象徴的なもの)を介して他者と分かち合うことで予測の体系(象徴秩序)におさめて御すというところが特におもしろい。

 さて、ここである疑問が生じます。今までお話ししたことからおわかりいただけると思うのですが、人は、予測を洗練させていくことで、世の中の見通しを立てていくことができるようになる。逆に言えば、人は予測誤差をなるべく避けようとする、ということです。多くの研究者たち、そしてご存知のとおりフロイトも「快感原則」という言葉で、そのように語っています。
 であるはずなのに、われわれは、わざわざ予測誤差をみずから求めにいくことがある。みなさんにもきっと思い当たる節があるのではないでしょうか。ということは、そもそも本当に、人間は予測誤差を減らしたいだけの生き物なのだろうかという疑問が立ち上がってくるのです。
 最も予測誤差が生じないのは、暗い部屋で何もしないで、じっと閉じこもっている状況です。もしも人間が快感原則だけで生きているなら、それが一番心地よいことになるはずです。しかし人はそれを求めない。認知科学などの分野ではこれを「ダークルーム・プロブレム」と呼び、ずっと議論が続いているテーマでもあります。
 さて、ここまでお話ししてくると、この問題が、國分さんの『暇と退屈の倫理学』のテーマと重なることがおわかりでしょう。人は予測誤差を減らしたいはずなのに、なぜわざわざ自分から進んで予測誤差を取りに行くようなことをするのか? 言い換えれば、人はなぜ愚かにも「退屈しのぎ」をしてしまうのか。この問題を解く鍵は、トラウマ、つまり予測誤差の記憶にあるのではないか。何度も國分さんとディスカッションを重ねてきて、私たちはそのような仮説を立てています。
 私たちは、生まれてから今日に至るまで、大量の予測誤差を経験しています。過去の予測誤差は、それを思い出すたびに叫び出したくなるような「痛い」記憶が多々含まれていると思います。誰でも痛いのは嫌です。わたしももちろん嫌です(笑)。しかも予測誤差の記憶は、範疇化を逃れた一回性のエピソード記憶の形式をとります。予測可能にするためには、反復するカテゴリー(タイプ)の一例(トークン)として、その予測誤差の記憶を位置づける必要があるわけですが、一回性の記憶は私のなかでは反復していませんから、論理的に無理なことです。
 おそらくそこで重要になってくるのは、類似したエピソードを経験している他者との言語(タイプ)などを通じた分かち合いだろうというのが、私の考えです。一回性の記憶は、他者を媒介に反復させることによってトラウマ記憶ではなくなるのではないか、という考えですね。そうすることで、集合的な予測のなかに自分のエピソード記憶が位置づけられたときに、それはなまなましいトラウマ記憶ではなく、通常の嫌な記憶として御しやすいものになっていくのでしょう。
 ところが、そういった他者がいないとか、媒介する言語が流通していないなどが理由で、予測誤差の記憶がセピア色の思い出になってくれない場合があります。このような予測誤差の記憶を、私たちは「トラウマ記憶」と呼んでいるのではないか、と私は考えています。これは特別な人にだけ起こり得ることではなく、大なり小なりおそらくすべての人がトラウマ的な記憶をもっていると思いますし、忘れていたはずの過去のそんな記憶の蓋がある日突然開いてしまうこともあるかもしれません。とりわけ重要なのは、その人の覚醒度が落ちたり、あるいは何もすることがなくなったりした瞬間に、蓋が開きやすくなるという点です。
 記憶の蓋を開けないためには、例えば、覚醒剤とか鎮静剤にひたる、あるいは仕事に過剰に打ち込もうとすることで覚醒度を〇か一〇〇にしていると考えられるのではないか。つまり、痛む過去を切断して、未来に向けて邁進するような方向に向かうのではないか、と。予測誤差の知覚は、覚醒度を高める効果があります。それによって、地獄のような予測誤差の記憶に蓋をすることができる。こうして、予測誤差を求めてしまう人間の性を、予測誤差の記憶の来歴によって説明できるのではないか、というのが、私が國分さんとの数年の討議を通じてたどり着いた仮説でした。しかし、予測誤差の知覚は、当然すぐさま予測誤差の記憶へと沈殿していきますから、このサイクルは終わることがありません。しかも、予測誤差の知覚を与えようとして繰り返し気晴らしを行えば、反復によってそこで得られる知覚は予測可能になっていくので、気晴らしはエスカレートせざるを得ない宿命にあります。
 誰もが大なり小なり傷ついた記憶を持っている。そんなわれわれ人間にとって、何もすることがなくて退屈なときが危険なのではないか。そんなときに限って、過去のトラウマ的記憶の蓋が開いてしまう。だから私たちは、その記憶を切断する、つまり記憶の蓋をもう一回閉めるために予測誤差の知覚を得ようとして、いわゆる「気晴らし」をするのではないだろうか、と。
(…)
(…)今でもこれは有力な仮説ではないかと私は思っています。人はたしかに予測誤差を減らしたい生き物ですが、実際、生きていれば、予測誤差は必ず生じる。そういう意味で、私たちはみんな傷だらけなわけです。だからこそ人は退屈に耐えられない。退屈というのは、古傷の疼きの別名ではないだろうか。これが、國分さんが二〇一五年に、増補新版の『暇と退屈の倫理学』を出される前あたりでの、私と國分さんとのあいだの暫定的な答えでした。
 そして國分さんは、同書の増補部分において、ルソーを引きながら、予測誤差をおおよそ次のように整理されたかと思います。
——予測誤差を少しでも減らしたいという特徴は、おそらく人間が生まれつき持っているものだろう。傷を得る前から、生まれながらに備わっている、身体が宿している特徴や傾向、人間の本性というべきものを「ヒューマン・ネイチャー Human Nature」と呼ぶことができる。ところが、生きていると無数の傷を負う。すると、先ほど言ったように、「ヒューマン・ネイチャー」に反して、自分から、傷を求めるような行為をしてしまう。だから「ヒューマン・ネイチャー」からだけでは、なぜ人が退屈になるのか、なぜ人が愚かな「気晴らし」にのめり込んでしまうのか説明できない。生きていればやむなく、ほとんどの人間が自分を傷つける経験をしてしまう。誰も無傷ではいられず、傷だらけになる運命にある。その運命に基づく人間の性質や行動を「ヒューマン・フェイト Human Fate」と呼ぶことができるのではないか。考えてみれば、そういう少し悲しい運命が、例外なくすべての人に課せられている。こう考えると、「ヒューマン・ネイチャー」と「ヒューマン・フェイト」の両方を踏まえたときにはじめて、なぜ人は退屈になるのか、そして退屈に対する体制の個人差が生じるのかが説明がつくのではないか。
(…)
 國分さんのこの整理は、私にとって非常に納得のいくものでした。では次に、退屈と中動態がどう関係しているのかに移ります。今ご説明した「ヒューマン・フェイト」の話がヒントになろうかと思いますし、その接点は、おそらく先ほど國分さんが話された「無からの創造」にあるかと思います。
 順番に説明します。まず、これは仮説なのですが、一つに、先ほども薬物の例でご説明したとおり、依存症とは、痛む過去を切断しようとする身振りなのではないかということです。過去の記憶の蓋が開けば地獄が訪れる。そういう人にとっては、蓋は閉まっていた方がいい。そのためには、過去を切断して、それ以上遡れない状態にしたい、今を出発点にしたい。つまり過去とは無関係に、現在や未来を「無から創造」したい。過去の記憶がよみがえることで訪れるのが「地獄」だとしたら、意志の力で、現在と未来しかない生を生きたい。言い換えれば、中動態を否定して、一〇〇パーセント能動態の状態になりたい。地獄の到来が想定されるのなら、そのように思ってもなんの不思議もありません。そして私には、國分さんの『中動態の世界』は、この「切断」あるいは「無からの創造」という考え方そのものへの批判として読むことができたということを述べておきたいと思います。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.128-136 熊谷発言)

 それから2013年5月19日づけの記事も読み返し、「×××が塩の柱になるとき」に再掲。高校時代の同級生である(…)(サッカー選手のトッティに由来するあだ名)との思い出が書きつけられている。最初に出てくる(…)は当然(…)のこと。

サイゼリヤを後にして(…)にはしご。めずらしいくらいガラガラの店内。雨降りのせいだ。ひきつづき(…)とどうでもいい話ばかり交わす。どうでもいい話というのはすばらしい。どうでもいい話というのは最高だ。なにもかもがとりかえ可能で、なんら必然性のない、意味の濃度の低い会話の、贅沢と余剰だけがもたらすことのできる飽食の豊かさ。(…)は来週高校時代の同級生の結婚式に参加するらしい。その同級生というのは脱サラしてカルボナーラ専門店を地元ではじめると息巻いていた例の同級生なのだが、ひそかに段取りをすすめていたその計画を婚約者に伝えたところ、いずれ子供ができて大きくなってからでもいいでしょとあっさり拒否されたという。高校二年のころか三年のころか、たぶん春休みか夏休みだったと思うのだけれど、朝の5時だか6時だかにその同級生からいきなり電話がかかってきたことがかつてあって、出ると、こんなに朝早く悪いのだが話があるからどうか会ってほしいと言われ、なにをいっているんだときょとんとしていると、すでにこちらの実家近くにあるサークルKにまで出てきているのだといって、彼の実家とじぶんの実家は自転車なら片道一時間程度はかかる距離である。これはただごとではないと思ってすぐに支度をして出かけると、早朝サークルKでジャンプを立ち読みしている彼の姿があって、泣き笑いの表情で、話をきいてみると、彼女にふられかけているという。生徒会か何かしらんが他校の生徒と交流するなにかの行事に出席した彼女がそこで将来の目標をしっかりともってすでにそれにむけて前進しつつあるバイタリティの高い男子生徒に出会ってしまい、それでひるがえってじぶんはいったい何をやっているんだろうという実存的苦悩にはまりこんでしまったのか、わたし将来なにをやればいいんだろう?とメールで漏らした弱音にたいして、彼氏たる彼は、おれのお嫁さんでええやん、と、ある意味では空気がまったく読めていなかったわけだがしかしそれ相応にかわいらしいメールを返信したところ、そういうのを欲していなかった彼女の心が一気に遠ざかってしまい、みたいなあれやこれで、その日早朝から我が家にやってきた彼、というかこの旧友のことをなぜ彼という人称代名詞で記述しているかといえば彼の呼び名のイニシャルが(…)で、これだといつもの(…)と混在してややこしくなってしまうから彼と記述しているのだが、しかしそれと同時にまた、すでに没交渉になってひさしい年月がまたじぶんにこのような記述の採用をうながしているのかもしれない。それでとにかくその彼はたしか二晩だか三晩つづけて我が家に滞在することになり、それはちょうど例の交流会でふたたび遠方に出かけていった彼女が地元にもどってくるまでの不在期間だったと思うのだが、とにかく出先からもどってくる彼女とどうにかして駅前で会い、じぶんの気持ちをあらためて伝え、すでにバイタリティの高い例の男に引きつけられてしまっているその心を取り戻すのだと、そういう決心で、ただその決行日がやってくるまでの二日間だか三日間をひとりで過ごす気になどとうていなれない、そういうアレでじぶんのもとに転がり込んだのだったが、作戦決行日、われわれはケッタにのって(…)に行き、なにもかもがうまくいくようにお祈りしたのだった。駅前で彼と別れ、作戦がおわるまでのひとときをどこでどう過ごしたのだったか、もはやはっきりと覚えてはいないが、ひとりでぶらぶらしながらたぶん時間を潰し、それから作戦が失敗した、正式にフラれたという彼からの報告があり、とりあえず落ち合い、近所にあった和食ファミレスのさとに出かけたのだったが、そこでうどんセットか何かを注文した彼が、一口目をすするがいなや、やはり泣き笑いのような表情で、(…)ちゃんやべえ、マジで食えへん、とこぼし、ごめん、おれの分も食べてくれと、さしだされたものを前にして失恋のショックで飯を食えなくなるなんてことが世の中には本当にあるのだと、心の底から驚いた記憶がある。それからたぶん半年後くらいだったと思うけれども、その彼が京都だか大阪だかに出かけて服を買いにいくというので、ちょうどドラムバッグが欲しかったじぶんは金だけ彼にあずけて、なんか適当にいいものを見繕って買ってきてくれと頼んだのだったが、その彼から夜、ちょうどカラクリテレビのご長寿早押しクイズを見ているときだったように記憶しているが、電話があって、出ると、ぜんぜん知らない男の声で、(…)ちゃん?おれ、おれ、(…)、(…)と、われわれがふだん(…)とあだ名で呼んでいる彼のファーストネームを告げる声があり、その瞬間に、ああこれはたぶんめんどうな事態だと察せられたので、おまえだれやコラとたずねかえすと、電話が切れて、それからまもなくもういちど電話があり、出ると、今度は本物の(…)の声で、(…)ちゃん、おれおれ、あのさあ、悪いんやけどさあ、立て替えといた鞄のお金ちょっといま持ってきてくれへん、いま(…)のさあ、(…)橋のあたりにおるし、とあって、わかった、ほんならいますぐ行くから待っといて、と応じて、電話を切り、するとそれらのやりとりをかたわらで聞いていた食卓の母がどうしたんやというので、(…)がたぶんカツアゲされとるみたいやからちょっと行ってくるというと、ほんならさっさと行って助けたんないとあって、するとやはりかたわらにいた兄が、同行する、車を出すといってくれたので、それならとこちらはこちらで木刀を用意して、それでやはりその場にいたのであったかそれとも支度をととのえている途中に事情を問われて答えたときだったか、いずれにせよ就寝前の父から、おれの車のトランクに鎌ふたつ入っとるから持ってけといわれ、そんな物騒なもん持ってけれるかというアレでひとしきり笑ったわけだが、とにかくそういう段取りで車を飛ばして現場にむかうその途中だったかにふたたび電話があり、出ると、もう大丈夫だ、カツアゲはすんだと報告があって、話を聞いてみると、どうも彼のふりをよそおってこちらに電話をかけてきたリーダー格の男がこちらの電話対応の様子からひょっとするとまずいやつかもしれないと察したらしく、もともとの魂胆としては(…)をよそおってこちらに電話で金をもってくるよう命じて現われたところをボコって有り金いただくみたいな作戦だったようなのだが、撤回し、(…)から奪うものだけ奪ってこちらが現場に到着するのをまたずして逃走したらしかった。カツアゲされているにもかかわらずおれは冷静だった、一万円よこせというところを最終的に三千円にまで値切ったのだと、次の日高校でみずからの醜態をおもしろおかしく吹聴してまわるそんな(…)の底抜けにあかるい性格が大好きだった。と、こんなふうに記憶をたどりよせていくうちに、(…)と、疎遠になった彼のことを当時の呼び名で書き記すことにたいする抵抗がどんどん薄れていくところがある。その日は兄とふたりで一時間ほど、(…)から聞いた三人組の特徴を追いながら夜の町を車で徘徊しまわった。結局犯人をつかまえることはできなかった。途中でそれらしい三人組を見つけたので助手席から飛び出したが、ひとちがいだった。兄から落ち着けといわれた。

 作業をすすめながらセブンイレブンで買ったおにぎり他を食す。それから今日づけの記事にとりかかるが、当然終わるわけがない、2時半に中断。続きはまた明日。

20230518

 前節で論じたような理論的な変遷と臨床実践の変更に関して、筆者は前期と中期との関係を認識論的発展の関係ではなく、理論的な深化によって結ばれる関係であると指摘した(…)。つまり、同一化の臨床を終えて、次に幻想の臨床に進むのではなく、分析の終わりまでの同じ過程に関して、同一化の臨床をより深く考察したものが幻想の臨床であると考える立場である。
 この深化という見方は、もう少し詳細に述べれば、症状的なものの厳密化と言うことができるだろう。ラカンの体系の展開とは、おそらく「対象の欠如」[−φ]に基礎づけられた主体がこうむる症状的なものを厳密化していく過程である。それは、無い対象を存在させ、無い関係に関係を持たせにやって来る想像的なものと象徴的なものをどのように扱うかという問題をめぐって、理論および臨床実践が変化していく過程であると考えられる。同一化の臨床においては、症状が問題の中心となり、自我理想[I]と対象aの重なりによって、症状は治癒を見る。しかし「症状を超えたところに幻想がある」(…)。幻想が問題となる幻想の臨床では、自我理想[I]と対象aの引き離しによって、根源的幻想の構成を通して主体は対象aと出会う。このパスの経験において、享楽に入るための障壁を越えると、そこには意味の拒絶に拠っている突然変異すなわちサントームがある(…)。サントームの臨床においては、問題となるのはサントームである。ここでは自我理想[I]はもはや存在せず、対象aを基礎に享楽を審級化するという、いわば対象aの拡大とでも言うべき事態が起こる。このようにラカンは、症状的なものを始めは症状、次いで幻想、最後にサントームといったように厳密化していくのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第八章 ラカン派のオリエンテーション」 p.194)



 10時起床。(…)四年生の(…)くんから微信。明日の午前10時に図書館前で卒業写真の撮影があるので来てくださいとの由。了承。(…)先生からも微信が届いている。明日の14時半からスピーチコンテストの校内予選があるというリマインド。それに続けて、一年生の(…)さんについての印象を教えてほしいという質問も届いた。これは初耳だったが、彼女は芸術の道に進むために大学を辞めるつもりでいるらしい。それを知った外国語学院が、たぶん滅多にいない退学者が出るということで、いったいどうなっているんだと探りを入れてきたということなのだろう、一年生の学習状況を知りたがっているらしく、授業を担当している教員全員に意見を求めているというので、まず肝心の(…)さんについていえば、そもそも彼女は先学期クラスに加わるのがかなり遅かった、両親から別の大学に進学するために浪人するように求められて揉めていたのが原因だと聞いている、そういう事情もあったので成績自体は決してよくなかったが授業そのものにはごくごく普通に参加していた、一年生全体の印象はかなり良い、例年であれば(…)の学生のほうがあかるくにぎやかで積極的であるのだが、現一年生についていえば、(…)の学生のほうがはるかに授業をやりやすい空気をもっている、もちろん二年生、三年生となるにつれて勉強しなくなっていく子たちは増えるだろうし、どのクラスであっても一年生のうちは比較的熱心な子が多いものであるが、そうした一般的な傾向を差っ引いてなおいまの一年生は割合熱心だと思うと返信。(…)先生はちょっと嬉しそうだった。来学期の新入生についてはクラスが二つになるわけだが、これについて競争効果が生まれるのを期待しているというので、なるほどたしかにこっちの学生はやたらとそういうのを気にするもんなと思った。要するに「面子」文化であるわけだが、たとえば、四級試験やN1の合格者数について、(…)と(…)のどちらが多かったかみたいな話を、教員ではなく当の学生たちのほうが意外に気にしたりする、それも普段それほど熱心に勉強しているわけではない学生もふくめてそういう意識を持っていたりすることがあって、ああいうのはやっぱり「面子」なのだろう、と、ここまで書いて思ったが、それと同時に、帰属意識もおそらくあるのだろう。たとえば中国社会には「一致団結」的な感性の裏地になっている全体主義に対する警戒心というものはまったく存在しないし、愛国愛党精神をはじめとして、むしろそういう「一致団結」的な感性をとことんブーストする方向に文系教育の掛け金があるといってさしつかえないかたちで教育システムができあがっているようにみえるのだが、そういう環境で育てば、みずからが帰属するグループに対する(悪しき)「愛」も、なるほどたしかに狂い咲きするというものだ(そしてもちろん、その反転形態たる「憎悪」もやはりひとしく増長するわけだ)。
 朝昼兼用のメシは第五食堂の炒面。食事中、YouTubeのトップページに表示されたサムネイルに映りこんでいるT-Pablowのバストショットが、三年生の(…)くんにそっくりだったので、おもわずスクショを撮って本人に送った。食後はチケットのチェック。きのう(…)と相談して決めたとおり、7月15日に中国を出て8月23日にもどってくる計画で往復チケットを確認、購入前に旅程のスクショを撮ってこれで問題ないかと(…)に送ったわけだが、問題ないという返信がいくらか時間を置いて届いたところでいざポチろうとしたところ、復路のほうがすでに売り切れてしまったと表示されたので、なんじゃそりゃ! となった。それで22日に予定変更。価格は2万円ほど高くなってしまったが、(…)によれば問題はなし。
 しかし実際にポチったのは(…)での授業を終えて帰宅してからだった。

 寮を出る。南門のそばに自転車を停めてバス停に移動する。先着していた女子がマスクをつけていたので、あ、やっぱりそういうムードになりつつあるのかなと思った。こちらもバス乗車中はマスクをつけておくことにする。バスがやってきたところで、いつものように一番後ろの席に腰かける。バスがいったん発車しかけたところで、乗車しそびれていたビート博士が側道にあらわれて手をふり、おーい! おーい! とバスを止めた。ビート博士はマスクをつけていない。着席するなり、いつものようにでかい音で音楽を鳴らしはじめる。車内のマスク装着率は30%か40%くらいだろうか? この一週間でちょっと潮目が変わった感じ。
 移動中はBliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進める。“Prelude”がやっぱりすばらしくて惚れ惚れとする。

In the servant girl's room there was a stay-button stuck in a crack of the floor, and in another crack some beads and a long needle. She knew there was nothing in her grandmother's room; she had watched her pack. She went over to the window and leaned against it, pressing her hands to the pane.
Kezia liked to stand so before the window. She liked the feeling of the cold shining glass against her hot palms, and she liked to watch the funny white tops that came on her fingers when she pressed them hard against the pane.

 まず、こういうなんでもない描写にぐっとくる。Mansfieldの小説に出てくる少女たちの描写を読んでいると、じぶんの子ども時代をとてもみずみずしく思い出す。
 子どもというと、以下のくだりもすばらしい。ほんとうにかわいい描写だ。

"Where are we now?" Every few minutes one of the children asked him the question.
"Why, this is Hawk Street, or Charlotte Crescent."
"Of course it is," Lottie pricked up her ears at the last name; she always felt that Charlotte Crescent belonged specially to her. Very few people had streets with the same name as theirs.

Later she heard her children playing in the garden. Lottie's stolid, compact little voice cried: "Ke–zia. Isa–bel." She was always getting lost or losing people only to find them again, to her great surprise, round the next tree or the next corner. "Oh, there you are after all.”

 それから、引越しをようやく終えた一家の夕餉の席の場面。大黒柱であるStanleyと義理の妹であるBerylが冷戦じみたやりとりを交わしたのち、後者が席を立ったところで、前者が彼女に対する批判を口にする——そうした大人たちのぎすぎすしたやりとりの最中に、突然、少女イザベルのいかにも子どもっぽい告げ口が挿入されるのがまたすごい。このタイミングか、と。

"How long do you think it will take to get straight–couple of weeks–eh?" he chaffed.
"Good heavens, no," said Beryl airily. "The worst is over already. The servant girl and I have simply slaved all day, and ever since mother came she has worked like a horse, too. We have never sat down for a moment. We have had a day."
Stanley scented a rebuke.
"Well, I suppose you did not expect me to rush away from the office and nail carpets–did you?"
"Certainly not," laughed Beryl. She put down her cup and ran out of the dining-room.
"What the hell does she expect us to do?" asked Stanley. "Sit down and fan herself with a palm-leaf fan while I have a gang of professionals to do the job? By Jove, if she can't do a hand's turn occasionally without shouting about it in return for . . . "
And he gloomed as the chops began to fight the tea in his sensitive stomach. But Linda put up a hand and dragged him down to the side of her long chair.
"This is a wretched time for you, old boy," she said. Her cheeks were very white, but she smiled and curled her fingers into the big red hand she held. Burnell became quiet. Suddenly he began to whistle "Pure as a lily, joyous and free"–a good sign.
"Think you're going to like it?" he asked.
"I don't want to tell you, but I think I ought to, mother," said Isabel. "Kezia is drinking tea out of Aunt Beryl's cup."

 しかしこの少女Keziaシリーズで要となっているのはやはり母親であるLindaの存在だよなと思う。病弱で、神経質で、かぼそくはかない狂気を感じさせるこの人物がいることによって、この群像劇は貴重なコントラストを獲得することに成功している。頑固な堅物でありながら同時にナイーヴな内心を有している大黒柱のStanley、白馬の王子様的な幻想を抱いている未婚のBeryl、Keziaのお気に入りである祖母Burnell夫人、そのKeziaをはじめとするそれぞれ性格の異なる三姉妹やservantたちだけでも十分カラフルで、仮に彼らのエピソードだけを抽出して再編したとしても、このシリーズは群像劇として一流だと思うのだが、ほかの面々とはあきらかに異なる内面を有するLindaの、ほかでもないその内面に即した語りが中盤挿入されることによって、ほとんど外傷的なコントラストが作品に生じ、その裂け目こそが、この作品を傑作としている。以下はそのLindaが寝室でひとり寝転がっている場面。上に引いた少女らの描写と以下のモノローグが同居している小説なんてほかに存在しないでしょと思う。

Then she did not hear them any more. What a glare there was in the room. She hated blinds pulled up to the top at any time, but in the morning it was intolerable. She turned over to the wall and idly, with one finger, she traced a poppy on the wall-paper with a leaf and a stem and a fat bursting bud. In the quiet, and under her tracing finger, the poppy seemed to come alive. She could feel the sticky, silky petals, the stem, hairy like a gooseberry skin, the rough leaf and the tight glazed bud. Things had a habit of coming alive like that. Not only large substantial things like furniture but curtains and the patterns of stuffs and the fringes of quilts and cushions. How often she had seen the tassel fringe of her quilt change into a funny procession of dancers with priests attending. . . . For there were some tassels that did not dance at all but walked stately, bent forward as if praying or chanting. How often the medicine bottles had turned into a row of little men with brown top-hats on; and the washstand jug had a way of sitting in the basin like a fat bird in a round nest.
"I dreamed about birds last night," thought Linda. What was it? She had forgotten. But the strangest part of this coming alive of things was what they did. They listened, they seemed to swell out with some mysterious important content, and when they were full she felt that they smiled. But it was not for her, only, their sly secret smile; they were members of a secret society and they smiled among themselves. Sometimes, when she had fallen asleep in the daytime, she woke and could not lift a finger, could not even turn her eyes to left or right because THEY were there; sometimes when she went out of a room and left it empty, she knew as she clicked the door to that THEY were filling it. And there were times in the evenings when she was upstairs, perhaps, and everybody else was down, when she could hardly escape from them. Then she could not hurry, she could not hum a tune; if she tried to say ever so carelessly–"Bother that old thimble"–THEY were not deceived. THEY knew how frightened she was; THEY saw how she turned her head away as she passed the mirror. What Linda always felt was that THEY wanted something of her, and she knew that if she gave herself up and was quiet, more than quiet, silent, motionless, something would really happen.
"It's very quiet now," she thought. She opened her eyes wide, and she heard the silence spinning its soft endless web. How lightly she breathed; she scarcely had to breathe at all.
Yes, everything had come alive down to the minutest, tiniest particle, and she did not feel her bed, she floated, held up in the air. Only she seemed to be listening with her wide open watchful eyes, waiting for someone to come who just did not come, watching for something to happen that just did not happen.

 ちなみに、こうしたS親和者な感受性は、三姉妹のうち少女Keziaにのみ受けつがれているらしいことが、描写の端々からうかがいしれる。一番上に引いたのは、Keziaが引越し準備を終えて空き家と化したもともとの家をうろうろしているくだりなのだが、このくだりには続きがある。そしてそのくだりを、Lindaのモノローグと重ねて考えることもおそらくできる。

In the servant girl's room there was a stay-button stuck in a crack of the floor, and in another crack some beads and a long needle. She knew there was nothing in her grandmother's room; she had watched her pack. She went over to the window and leaned against it, pressing her hands to the pane.
Kezia liked to stand so before the window. She liked the feeling of the cold shining glass against her hot palms, and she liked to watch the funny white tops that came on her fingers when she pressed them hard against the pane. As she stood there, the day flickered out and dark came. With the dark crept the wind snuffling and howling. The windows of the empty house shook, a creaking came from the walls and floors, a piece of loose iron on the roof banged forlornly. Kezia was suddenly quite, quite still, with wide open eyes and knees pressed together. She was frightened. She wanted to call Lottie and to go on calling all the while she ran downstairs and out of the house. But IT was just behind her, waiting at the door, at the head of the stairs, at the bottom of the stairs, hiding in the passage, ready to dart out at the back door. But Lottie was at the back door, too.
"Kezia!" she called cheerfully. "The storeman's here. Everything is on the dray and three horses, Kezia. Mrs. Samuel Josephs has given us a big shawl to wear round us, and she says to button up your coat. She won't come out because of asthma."
Lottie was very important.

 Lindaの感じるTHEYとKeziaの感じるITは別物であるし、〈もの〉のざわめきと幼稚な恐怖もまた別物であるのだろうが、それでもなおそこに連絡し通底するものはあるとしたうえで、これらをペアとしてみなせば、けっこうおもしろい読み筋が見つかると思う。
 (…)に到着する。売店でミネラルウォーターを買う。お姉さんが「こんにちは」と日本語であいさつしてくれるので「こんにちは」と日本語で返す。支払いのためのQRコードを読み込んでいると、「日本語……」とぽつりとこぼすのが聞こえる。支払いを終えたこちらに「ありがとう」というので、不用谢! と応じる。
 教室へ。(…)くんがひとり机に突っ伏して居眠りしている。ほかに学生の姿はない。めずらしいシチュエーションだ。14時半になったところで授業開始。日語会話(二)。期末試験について説明したのち、前半を使って「道案内」の復習。後半は「心理テスト」。やっぱりバカみたいに盛りあがる。みんなゲラゲラ笑う。しかしこれで東院の通常授業も終わりだ。残すところはテストのみ。休みだ、休み!
 授業は5分ほどはやく切りあげた。そういうわけでいつもより一本はやいバスに乗ることができたのだが、この時間のバスは—-前回乗ったときもやはりそうだったのだが—-ぎゅうぎゅう詰めだった。さいわい、最後尾の座席を陣取ることはできたが。前のほうにいる女子学生がこちらのほうを見て、外教だ、外教だ、と中国語でささやいているのが聞こえた。
 バスをおりる。いったんケッタを回収してから(…)で食パンを三袋買う。第五食堂で夕飯を打包し、帰宅してすぐ食す。食後、GrimTidesをちょっとだけプレイ。またボスをやっつけたのだが、これでも全クリではないらしい、まだ隠しダンジョンが複数あるようだ。
 シャワーを浴びる。航空券を買ったのはたしかこのタイミングだったはず。往路も復路も(…)で一泊する予定。往路は早朝出発すれば間に合うだろうし、復路も夜行列車に乗れば問題ないのだが、あんまりせわしなく移動するのは好きではないし貯金20万元の億万長者なので、まあぼちぼちやっていきましょうやという感じ。母に電話してフライト予定を告げる。(…)の検査結果はどうなったのかとたずねると、白血病でも膠原病でもないことがわかった、単なるウイルス性の病気だったというので、これには心底ほっとした。いまはだいたい月に一度のペースで(…)宅で食事会をしているという。(…)についてたずねると、遠吠えができなくなってしまったという返事。前々から声がかすれて夕方のサイレンにあわせてする遠吠えがつらそうだったが、ついに声が完全に出なくなってしまったという。さらに耳も遠くなってしまったのか、室内にいるときなどはサイレンにも反応しなくなった。食い意地はいまなお張っているので、元気は元気だが、後ろ足の踏ん張りがきかないのか、歩くにしても段差をのぼりおりするにしても、ほぼ前輪駆動みたいになっている。年齢を考えれば仕方ない。ふつうだったらぼちぼち介護の必要な年なのだ。ちなみに兄夫婦宅の(…)もまだ生きているという。あと二、三ヶ月の命ですと余命宣告を受けてすでに三年以上になる。クソ笑った。とはいえ、最近とうとう癌が転移したのか、半分寝たきりになりつつあるらしい。
 通話は20分ちょっとで切りあげる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。二年生の(…)くんからまたハンバーガーの写真が送られてくる。明日はスピーチコンテストの校内予選であるが、けっこう緊張しているようす。彼女に応援してもらえよと茶化す。
 2022年5月18日づけの記事を読み返す。以下は2021年5月18日づけの記事の孫引き。

 予測誤差とは何か、ここで簡単にみなさんにご説明しておきたいと思います。
 私たちは誰でも「ああなりたいな」といった期待や、あるいは「ああなるだろう」といった予測を持って生きています。正確には期待と予測は違いますね。期待は「ああなりたい」、予測は「ああなるだろう」ですから、期待どおりの展開が予測されない場合もあります。けれども、ここではひとまず期待と予測を、「予測」とひと括りにして話を進めます。
 人は予測を持って生きている。けれども、生きていれば当然、予測が裏切られることがある。その裏切られる体験のことを予測誤差と呼ぶことがあります。
 すでに少しお話ししたように、当時の私は、綾屋紗月さんと共にASD自閉スペクトラム症当事者研究を進めていくなかでさまざまな発見を得て、またそこから考えられる推論をしてきました。ASDの場合、その一部には予測誤差に敏感な体質があるのではないか、とか、あるいはトラウマとは、かなり強い予測誤差を経験したときに生じるのではないか、とか。また、いわゆる一般社会のなかではそれほどトラウマ的とは思われない出来事に関しても、予測誤差への過敏さゆえにトラウマ反応を示すことがあるのではないか、などです。そしてそれらのことが國分さんのお仕事とじつは深くリンクするのではないか、といつも考えていたのです。
 そもそも、予測誤差に直面したとき、人はどういう反応をするか。例えば、生まれたばかりの頃は何もかもが一回性のはじめての出来事だらけです。しかし何度もそれを経験するうちに、複数の出来事を貫くある種の規則性、パターンを学習していきます。こうなればこうなる、というかたちで、自分の身体を含めた世界に対しての見通しを学習します。そして、だんだんと世の中全体を予測することができるようになっていく。そうやって予測を洗練させていくことで、予測誤差が発生することになります。予測がなければ、予測誤差は論理的に生じませんので。
 予測誤差が発生するということは、従来持っていた予測体系が十分に出来事を予測できる精度を備えていないということを意味します。ゆえに、人は予測誤差に直面すると、予測をより精確なものへと更新し、その結果予測誤差は発生しにくくなり、またこうして予測が洗練されることで、多くの人は予測誤差に慣れていく。つまり、世のなかを読むことができるようになる。それが「一般的」とされる発達のなかで起きることです。
 予測誤差が適度であれば、それでいい。しかし例えば、小さい子どもの許容量を超えて予測誤差が入ってくる場合がある。このような経験は、予測の更新という通常の仕方では慣れることができません。そうした閾値を超えた予測誤差のことを私たちはトラウマと呼んでいるのだと、私や綾屋さんは考えています。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.126-128 熊谷発言)

國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』の抜き書きも進めた。熊谷晋一郎の仮説によれば、トラウマとは、覚醒度の低い状態に回帰しやすいものである。しかるがゆえに、その回帰を回避するためにひとは覚醒度を上げ、過去を切断し現在に過集中する必要がある(そして、そのための手段のひとつが依存者にとっての薬物であるとされる)。換言すれば、ひとは、根源的な外傷(トラウマ)から目を逸らすべく、よりささやかな外傷(いま・ここに集中するための予測誤差)に身を晒すということなのだが、これは〈もの〉の享楽と剰余享楽の関係にひとしいのではないか? 死にひとしい享楽から主体を守るために、対象aを媒介として整流された享楽を享楽すること。

 2013年5月18日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)さんが交通事故で入院したという話を聞いた日。彼女はこれをきっかけに引退することになる。(…)さんは在日朝鮮人で、旦那さんがいったいなんの仕事をしているのだったか、ちょっと忘れてしまったが、けっこう金持ちだった。(…)さんは彼女からブランドもののバッグを譲ってもらっていたはず。

8時より12時間の奴隷労働。じぶんが車にはねられた翌日に(…)さんがバスと接触事故を起こし救急車で運ばれてそのまま入院しているという話を聞かされておどろいた。全治一か月という話らしいのだけれどお見舞いにいった(…)さんの話ではこれほんとうに一ヶ月でどうになるレベルの怪我なのかというくらいひどかったみたいで(顔がものすごく腫れていたらしく(…)さんはこんな顔だからできればまだ見舞いには来てほしくなかったと言っていたという)、なぜこの事故でひとつも骨を折らなかったのかと医者が驚くほどの全身打撲らしく、(…)さんはすでに70歳をまわっている老齢である。仮に退院したところで職場復帰はほとんど絶望的なんではないかという話がまことしやかにささやかれている。停留所で停車しているバスの後方に(…)さんのバイクがぶつかったらしく過失でいえばおそらく10:0でIさんが悪いということになるようなのだけれど、なぜそんな事故が起きてしまったのか(…)さん本人もはっきり覚えていないというか、ただバイクを運転中にふわーっと意識があやうくなったとかなんとかそんな記憶はほんのりあるらしく、もともといつ倒れてもおかしくないような高血圧であったようであるからそのせいだったのかもしれないが、とにかく痛ましい話だ。

 今日づけの記事も途中まで書く。0時前になったところで中断し、懸垂し、トーストを食してプロテインを飲み、ジャンプ+の更新をチェックした。歯磨きしながらモーメンツをのぞいていると、(…)先生が二度目の感染報告をしており、えー! となった。明日スピーチコンテストの予選でひさしぶりに顔を合わせることになるのを楽しみにしていたのに!

20230517

 ところで、こうしたサントームの臨床は、ここまでの記述からも推測されるように、神経症、倒錯、精神病というラカン派の大きな三つの臨床的な区分のうちの精神病に関する臨床であるとしばしば見なされている。また、ラカンは「倒錯は父に向けられた異本や改作を意味しており、結局のところ、父とは一つの症状あるいはサントームなのです」(…)と述べるなど、倒錯との関連も指摘している。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第八章 ラカン派のオリエンテーション」 p.188)



 朝方に何度も目が覚めたし、夢もたくさん見たはずなのだが、これを書きはじめた15時48分現在、完全にすっからかんです。一年生の(…)くんから微信。先生がむかし学生と一緒に行ったことがあるという日本料理の店を教えてほしいというので、場所も名前も知らない、(…)にあったのは確かだと思うと返信。なんとなくだが、以前万达で知り合ったあのコスプレ女子といっしょに行くんじゃないかと思う。英語学科の三年生である彼女とは別れるつもりだと(…)くんは以前言っていたし、その話を聞いてほどなく、例のコスプレ女子とふたりそろってケンタッキーでメシを食った写真をモーメンツに投稿していたし、さらにそれ以降、コスプレ女子がモーメンツになにやら投稿するたびに(…)くんがあまったるいコメントしているのもちょくちょく目にする。コスプレ女子はコスプレ女子でモーメンツにあれほどしょっちゅう彼女とキスしたり手をつないだりしている写真や動画をのせまくっていたのに、最近はそれもめっきりご無沙汰である。だから別れたもの同士がくっついたということなんではないかと勝手に推測している。
 三年生の(…)さんからも微信。ビデオのための原稿をチェックしてほしいという。口語実践なんちゃらいう名目の遠足が三年生後期にあるのだが、今年は希望者のみ南京旅行、そっちに参加しない学生は(…)市内でビデオを撮影してのちほど発表みたいなアレになっているようで、南京旅行については旅費がそれ相応にかかるにもかかわらず飛行機でもなければ高铁でもない、高速バスで出向くという計画になっており、そんなバカらしい話があるか! と大多数の学生が拒絶、(…)市内でのビデオ撮影を選んだという話を、前回彼女らとメシを食ったときに聞いたばかりだった。で、そのビデオに使うナレーション用原稿を修正してほしいという話だったのだが、いろいろやることが山積みであるし、今日は四年生の(…)くんとの約束もあるしで、すぐにはできない、数日待ってもらわなければならないけどいいかと伝えたところ、そうであればほかの先生にたのむという返信があり、正直ちょっと助かった。
 その(…)くんから電話。17時に南門で落ち合うことに。東北式の火鍋の店を知っていますかというので、今学期三年生の女子らといっしょに行ったよと応じる。そこで夕飯をとる約束。
 歯磨きをすませ、洗濯機だけまわしておいてから、(…)楼の快递へ。店の前でスクーターにのった二年生の(…)くんとまた遭遇する。コピーをとりにきたところだという。快递に入ったところで、ブツが届いているのがこの店ではなく、ピドナ旧市街のほうの店であることに気づき、だったら17時の約束よりすこしはやめに寮を出て先にそっちに行けばいいやと思い、そのまま第三食堂へ。海老のハンバーガーを打包する。おっちゃんからは、今日はひとつか? と笑顔でたずねられたので、うん、今日はひとつ! と応じる。
 帰宅して食す。洗濯物干し、ハンバーガー食し、コーヒー飲みながらきのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月17日づけの記事を読み返す。2013年5月17日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲すると、時刻は16時をまわっていた。マジで! どんだけ時間があっても! 足りん! なんもできやんやんけ!
 きのうづけの記事にひとつ書き忘れていたことがある。(…)さんから聞いたのだが、来学期、彼女らのクラスに三人転入生が来るらしい。男子学生が一人、女子学生が二人。このタイミングでほかの学部から? とびっくりしたが、そうではなく、他の学校からの転入だというので、あー、なるほど、(…)さんのパターンだなと納得した。大学ではない、短大的な教育機関で優秀な成績をおさめていた子が、途中から大学に転入してくるやつだ。三人ともすでにN1を持っているとのことで、クラスメイトらはちょっと後ろめたいというか、緊張感を有しているようす。しかしこうした編入も何年ぶりだ? (…)さんは現二年生の五つ上の学年にあたるから五年ぶりになるのか。

 淘宝で購入した新しい自転車の鍵とドライヤー一式と空気入れをもって一階におりる。自転車の鍵を交換し、空気を入れなおす。途中、インド出身の外国人教師がそばを通りがかったので、Hiとあいさつする。復活したケッタに乗ってピドナ旧市街に移動。快递で化粧水を受け取る。小さな段ボール箱のままだと邪魔なので、あらかじめ用意しておいたカッターナイフで開封し、中身だけショルダーバッグの中に移して、ゴミはスタッフのおばちゃんにあずける。それから新校区にもどり、南門のそばにケッタを停めておいてから、あらためて徒歩でピドナ旧市街入り口に移動し、(…)くんと合流。徒歩で東北式の火鍋店に向かう。気温は30度オーバー。この暑いなかで火鍋かと漏らすと、超有名火鍋店を目当てに重慶旅行した友人の話として、店に到着したものの店内は余裕の満席だった、屋外の座席なら用意できると店にいわれた、しかしその日の重慶の気温は40度だった、それでもせっかくはるばるここまでやってきたのだからと気温40度のなかで激辛の火鍋を汗だくになりながら食べたというエピソードが紹介された。ようやるわ。
 道中、口頭試問はどうだったかとたずねる。問題なし。無事卒業できることになったという。問題があった学生はいるのかとたずねると、(…)さんと(…)さんのふたりの名前が挙がった。前者は現在連絡がとれず、後者は担当の先生がなにからなにまでお膳立てしてやったにもかかわらず論文がしかるべき条件を満たしておらずアウトになったとのこと。いちおう両者ともにあと一度か二度チャンスがあるはずなのだが、それでもしダメだったら留年ということになる。そうなったら前代未聞かもしれない。少なくともうちの大学の口頭試問はほとんど形式的なものでしかないはず。(…)さんは日本語能力自体はそれほど悪くないはずなのだが、ガチガチのオタクで、とにかく生活がずぼらだという不満をルームメイトの(…)さんが口にしていたのをおぼえている。そういうタイプの子であるから肝心要のときもやはりルーズになってしまっているのだろう。連絡がとれないというのはたぶんいまコロナで寝込んでいるからだと思う。(…)さんについてはクラスでもっとも勉強ができない学生のうちのひとりで、(…)くん曰く、(…)さんよりやばいかもしれないとのことで、それはつまり、ひらがなは読めるだろうがカタカナはあやしいということだ。
 店に入る。こちらのことをいつもの日本人として認識している店の人間と会釈を交わす。ここでメシを食うのは三度目。これまでいつも二階で食っていたが、今日は一階のテーブルにつく。食べ放題&飲み放題の店なので、羊肉と牛肉とパクチーともやしとレタスとうずらの卵とキクラゲとエノキと、とにかく手当たり次第アホみたいにテーブルに運ぶ。
 食う。最近中国人がチェスの世界チャンピオンになったと(…)くんがいう。そんな話題ぜんぜん知らんかった。決勝戦はものすごい熱戦だったらしいのだが、最終局面で、その中国人のプレーヤーがAIが不利と判定した手を指して勝利を掴んだらしい。中国ではチェスが盛んなのかとたずねると、そうではないという返事。囲碁のほうが盛んだというので、『ヒカルの碁』の杨海さんをちょっと思い出した。どうでもいいのだが、中学時代、(…)は『ヒカルの碁』の碁の字が読めず、たびたび『ヒカルの墓』と言っていた。ジャンプで連載しているホラー漫画だと勘違いしていたのだ。
 (…)くんは今月いっぱいで就職活動を終える予定。いちおう現在すでに一社内定しているところがあるので、もうすこし好条件のところがないかどうかねばってみるつもりではあるものの、おそらくそこで働くだろうという。日本語は使わない。IT系の会社の営業職だという。同じ会社のプログラマーよりも営業のほうが給料がいいというので、そうなんだとちょっとびっくりした。(…)くんは営業職に自信満々。もともと好きで弁論チームに参加するくらいであるし、ふだんからよくしゃべるし雑学も好きだし、なにより他人と交流するのが好きであり、かつ、ふるまいも発言も身のこなしも堂々としている、まったくもって日本語学科所属の男子らしくない属性の持ち主であるから、こちらも彼が営業マンとしてかなり良い成績をおさめているところをけっこうたやすく想像できる。しかし将来やってみたい仕事はスカイダイビングだかパラグライダーだかのインストラクターだという。ライセンスがいるでしょうというと、それを取るだけでもけっこうな金が必要になるとのこと。さらにその手の仕事をするのであれば、職場が必然的に地方になるので、今後故郷の上海で暮らす予定の彼にとってはやはり都合がよろしくない。
 彼女は24日に(…)に来る。彼女の父親は役所関係のまずまずのお偉いさんであるために実家がかなり金持ちであるという話は以前聞いたが、実際、彼女の生家の敷地はアホみたいに広く、しかも三階建てらしい。(…)くんは最近パソコンが壊れた。それでしかたなく自分で修理していたのだが、その際に彼女から電話がかかってきた、いまなにしているのというので壊れたパソコンを修理していると答えた、すると卒論の締め切りが近いのにそんなことをしている時間はもったいない、わたしがお金をあげるからそれであたらしいパソコンを買いなさいといって10000元送ろうとしてきたのだという。(…)くんは断った。「男としてそれはダメだ」と思ったらしい(そういうところはけっこうマッチョなのだ)。労働節には彼女のいる町まで遊びにいった(上海から高铁で一時間ほどの場所らしい)。夜中の1時までホテルで過ごしたのち、実家まで彼女を送った。時間が時間なので、実家にいる両親はすでに寝ており、玄関に入るといびきが聞こえてくるくらいだった、(…)くんはもちろんそこで帰るつもりだったのだが(彼の存在はまだ相手の両親には秘密になっているはず)、彼女がそこであがっていけあがっていけというので、さすがにそのときはビビったという。そんなスリルを味わう余裕はなかったということだ。
 相手の実家が相当金持ちという事実はやはり多少プレッシャーになっているようだ。ただ、(…)くんの両親は彼が結婚するとなった場合、いま住んでいる自宅を売って父方か母方かどちらか知らんがそっちの家にひっこみ、家を売った金はすべて(…)くんに譲渡するつもりでいるらしい。だから(…)くんとしてはその金であたらしい部屋を買い、そこに彼女を妻として堂々と迎えるつもりでいるらしかった(中国では結婚に際して、男側が家、車、現金を用意する必要があると一般的に言われている)。
 もうやることはやったのかとたずねると、やったという返事があった。おたがい初めてだったらしい。ずっと以前いた先輩の話だけど、彼女ともう二年か三年付き合っているのにどうしてもそういうことをさせてもらえず、どうしてかとたずねると結婚するまでダメだと言われてしまって、それがきっかけで別れてしまったという子がいたよと、(…)さん経由で聞いた(…)くんの話を思い出しながらいうと、そういうひともたしかにいるという返事。田舎のほうだとまだわりとそんな感じの子ばかりなのとたずねると、うーんと微妙な表情。しかし結婚するまで関係をもたないという考え方自体には(…)くんもけっこう肯定的だった、そういう考え方はいいと思うというので、上海のような大都市出身の若者でもそんな感じなのかとこれには少々おどろいた。ちなみに(…)くんは遅漏だという。はじめての経験だったわけだが、事前にインターネットでたっぷり予習していたため、彼女をそれほど不快な目にあわせずにすんだと自信満々のようすでいうので、ちょっと笑ってしまった。オナホールを日常的に使い続けていたために生身の女性とのセックスがまったくできなくなってしまった(…)さんの例を、彼の名前を伏せて話すと、そんなことが本当にあるんですか! と(…)くんはびっくりしていた。外国語は便利だね、こんな話を大声でしてもぜんぜん平気だからというと、先生、わたしがいつか日本に行くまでに中国語を勉強しておいてください、そして日本のレストランで日本語でエロい話をたくさんしましょう! と(…)くんは笑顔でいった。
 メシは(…)くんのおごり。卒論を手伝ってくれたお礼とのこと。まもなく社会人になるわけであるし、じゃあたまにはお言葉に甘えますと受けた。夕日のまぶしい帰路をたどりながら、来月にはもう会社員になっているかもしれないという状況に全然実感がないと(…)くんはいった。営業職でもやっぱりスーツは着ないのかとたずねると、よほどのことがないかぎりは着ないという返事。(…)くんは今日カーキ色のパンツにベージュのTシャツという格好だったのだが、たとえばその服で会社に行っても問題ないのとたずねると、全然問題ないという。とはいえ、取引先の会社に出向くとなれば、もうすこしフォーマルな服装には着替えるだろうとのこと。日本は会社員といえばみんなスーツだからね、ぼくはこれまでまともに働いたことが一度もないからいまだにネクタイの結び方もよく知らないくらいだけどというと、実を言うと(…)先生の紹介で日本で働くという話もあったのだと(…)くんはいった。千葉県の会社。三年契約。給料は10000元ほどだが、家賃も食費も会社が出してくれるというので、上海で996するよりもずっといいじゃんと思ったが、彼女がいるから断ったのだろう。そうでしょう? とたずねてみると、肯定の返事。もし彼女がいなかったらたぶん受けていただろうという。
 南門に到着する。瑞幸咖啡でコーヒーを飲みたいので新校区までついてくるという。コーヒーは半分口実で、実際はもうちょっと話がしたかったのだろう。ちなみにコーヒーはもともと全然飲まなかったが、母親の影響で最近ちょっとずつ飲むようになったとのこと。あと、父親には早茶の習慣があり、道具も一式持っていて、それで毎朝じぶんで茶を淹れているらしい。けっこうなもんだ。
 こちらは瑞幸咖啡に行かなかった。火鍋のあとにコーヒーを飲んだら腹をくだすに決まっていたし、店にいったらいったでそこでまた長々とだべることになりかねなかったので、寮の前でお別れした。

 帰宅。服が火鍋くさくなっているのですぐにシャワーを浴びる。快递で回収した化粧水であるが、おまけとしてティッシュとフェイスパックがついていたので、後者は女子学生にでもあげようかなと思ったが、たぶん学生らにはそれぞれこだわりなりお気に入りなりがあるんではないかと思いなおし、だったらじぶんで使ってみようと考えた。これも経験だ。封を切って中に指をつっこむと、乳液と化粧水を半々で割ったようなドロドロの液体の中に折り畳んだパックが入っている。片面にはつるつるのシートのようなものがついていたので、それがついていないほうをそのままべっちゃりと顔にのせる。目と鼻と口のほうには切れ目が入っている。べっちゃりとのせたあと、つるつるのシートを剥がす(熱さまシートとか湿布とかそういうのを貼りつけるときを思い出す)。説明書きによれば、それで15分ほど放置、その後水で顔を洗い流せばいいとのことで、実際にそのとおりにしてみたのだが、なるほど、たしかに顔がつるつるになる! これを毎日しているからこそ、女子の肌というのはあそこまできれいなわけだ! しかし金もかかるし、めんどいし、やっぱり大変だ。
 火鍋を食ったあとはたびたびそうなるように、やはり腹がゆるくなった。ただ食後のコーヒーをひかえていたのでそれほどひどくはない。明日にひかえている(…)一年生の日語会話(二)の授業準備にとりかかる。明日は期末テストの説明+α、来週は通常授業、その後二週にわたって期末テストというのが当初の段取りだったのだが、もう来週から期末テストでいいやとなった。人数が少ないクラスであるし、テストを三回に分ける必要はない、二回で十分であると思うのだが、いまさら新たな教案を用意するのがめんどうでたまらんので、テストのボリュームを増やして三回に分けることにする。気分はもう夏休みや!
 航空券をチェックする。(…)からの直通便はやっぱりない。今学期の予定表によれば、期末試験は24日から27日、仮に27日にこちらの担当する日語基礎写作(二)の試験が実施されたとしても、急げば翌日には採点および成績表の記入を片付けることはできるだろうし、最短で29日出国も可能。来学期の開始がいつになるのかは現時点では不明であるが、例年通りであれば9月前後だろう、だから7月と8月のおよそ二ヶ月間を日本で過ごすこともできるわけだが、絶対に飽きる、そんなに長いあいだ実家で居候していてもきっとイライラするだけであるので、7月の中旬に日本にもどり、盆明けにまた中国にもどってくるくらいでいいかなと判断。直通便はないので、大阪か京都で一泊することになる。だったら(…)のところに泊まるのもアリかなと考えたが、二人目の出産はいつだったっけ? そういうわけで(…)にそのあたりの事情を問うLINEを送った。
 (…)大学で院生をしている(…)さんから頼まれていた翻訳コンクール用の原稿を修正する。(…)から返信がある。出産予定日は6月1日とのこと。ということはいまは臨月なのか! 7月中旬であれば産後一ヶ月半という計算になる。さすがにそれは邪魔になるなと思ってやはり立ち寄るのは遠慮しようと思ったのだが、(…)は平気であると言っている、むしろうちで(…)の面倒を見てもらったほうが助かるみたいなことを言っているというので、だったらと(…)の仕事のスケジュールと相談、結果、15日(土)に帰国することにした((…)は16日と17日が休みらしいので)。大きくなった(…)とも会えるし、生まれたばかりの女の子とも会える。とはいえ、コロナの流行状況および(…)の体調次第では、(…)家に立ち寄らずカプセルホテルに宿泊するというオプションも、これは当然視野に入れておく。
 金もずいぶん貯まったんじゃないのかというので、まさに今日ひさしぶりに残高を確認したばかりなのだが20万元ほどあったのでびっくりしたと伝えると、「やっば!!!www」という反応。京都時代は交通事故の慰謝料でほくほくだった貯金ピークの時期でも50万円ほどだったわけだから、知らんあいだにクソ金持ちになった感じだ。貧乏暮らしがしみついているし、食にも酒にもギャンブルにも女遊びにも興味がない、買うものといえば服と本だけで、その服もブランドものにはほぼ興味がなく、基本的には淘宝の安物をワンシーズンで着潰すつもりでいろいろ試してみるみたいなスタンスなので、とにかく金がかからない。そりゃたまるわなという感じ。
 (…)からは実家が引っ越すという話もあった。また(…)((…)の父親の名前)がワケわからんこと思いつきよったんかというと、前々からこんな古い家は出てきれいなところに住みたいと言っていた、しかし同居の祖母がそれだけはダメだとずっと反対していた、ところがその祖母が死んだ、そして死んだ途端にそっこうで引越し手続きをはじめたというので、クソ笑った。引越し先は(…)のほうらしい。最近けっこう栄えてきていると聞く。(…)自身も越すかもしれないというので、新築建てたばっかやんけと指摘すると、遊び半分で査定に出してみたところ、購入したときよりも100万ちょっとアップしていた、それだったら売りに出して得たその金で、家のグレード自体は下がってもいいのでもうすこし広いところに住むほうがいいんじゃないかと夫妻で話しているのだという(夫妻はたしかに前々から家のせまさに不満を持っていた)。
 そういうやりとりを交わしながら『本気で学ぶ中国語』もちびちび進める。夜食はトースト二枚とプロテインSyrup16gのインタビュー本『Unfinished Reasons』が発売されるという情報に行きあたり、あ、これちょっとふつうにほしいかもと思った。6月1日発売。はやめにポチっといたほうがええんやろか。帰国してからでも間に合うかな。

20230516

 「無意識の意識化」という治療論にしたがって、根源的幻想へと向かう道程において、幻想は分析主体とともにいる分析家の存在のために転移という形で作動する。つまり、転移は幻想の産物であり、転移は幻想の一種なのである(…)。この転移幻想において音素に注目した諸解釈のやりとりがなされるうちに主体はある根源的幻想へと至ることとなる。こうした根源的幻想の議論に一足飛びに入る前に、まず転移幻想の内実を精査する作業を行いたい。
 フロイトは或る分析主体に関して「彼は転移幻想の助けをかりて、自分が忘れていた過去のこと、あるいはただ自分の中を無意識に通り過ぎたことを、新しいこと、現在のこととして体験するようになった」(…)と語り、そして、転移について「それは、分析の進展によって呼び起こされて意識化されるべき、感情および幻想の新版とコピーであり、医師という人間と過去に関係した人物とがとりかえられているという特性を持っている。換言すれば、過去の精神的な体験のすべては、過去の体験に属するものとしてではなく、医師という人間との現在の関係として、再び現れる」(…)という記述を残している。
 まず、これら二つの引用における転移幻想の「新しさ」という点に注目しよう。転移幻想が「新しい」ものであるということは、まず単純にこの幻想においては過去が一義的に反復されているのではないかということを意味する。そこにはつねに現実の過去に「新しいもの(解釈)」が含まれてくるのであり、だからこそ転移幻想は「新版とコピー」なのである。言い換えれば、幻想においては過去は多義的に反復されるということである。
 次に、これらの「一義的な反復」と「多義的な反復」についてデリダの概念を援用して考えてみよう。彼の用語を用いれば、一義的な反復は反復(répétition)、そして多義的な反復は反覆(itération)と言い表すことができる。この反復と反覆の区別は署名を例にとって考えるとわかりやすい。署名は一見同一の署名の反復において機能している(承認される)ように見えるが、実際には書く度ごとにわずかながらの違いがあり、この差異を含んだ反復が反覆である。図式的に述べれば、反復は同一化する繰り返しで、同一性(identité)を想定するものであり、反覆は他化・変質する繰り返しで、この繰り返しにおいて変質してさえも同じものと認めることができる同じもの性(mêmeté)に基づいている(…)。
 転移幻想は上述のような差異を含んで多義的に反復するのであるが、外傷を例にとり、もう少し詳しくこの「多義性」を検討しよう。
 外傷に関して、先に「現実と幻想が止揚された一つの外傷が確定的にあるのではなく、つねに一からははみ出る余剰が外傷(現実を補足した幻想)には含まれる」と述べたことを思い出されたい。幻想の特徴である二項対立の不可能性とは、この文脈では、現実と幻想が対立しているのではなく混淆しており、しかしながら、一つにはならず差異を維持することを意味している。したがって、まず、これまでの説明で明らかなように、転移幻想において同一の外傷が反復されるという一義的な反復はありえず、また、分析で外傷を扱う際に様々な解釈がなされるわけであるが、そうした解釈を総合したものとしての一つの外傷を目指した外傷の多義的な反復があるのでもない。転移幻想においては、外傷は差異を含んで多義的に反復されるのである。すなわち、転移幻想における多義性とは、一を目指す弁証法的で総合的な多義性ではなく、差異を反復した多義性のことであると言えるだろう。
 このような議論はフロイトの「夢の臍」という構想によって支持される。これは単純には夢の諸要素の中の解釈されない空白の点のことである。すなわち、夢の解釈体系(シニフィアンの集合)には、意味の付与されないゼロ地点があるということである。したがって、この「夢の臍」の構想に依拠して幻想に関して言えば、数え上げられるすべての解釈というものは存在せず、また、仮にすべての解釈が数え上げられたとして、そうした解釈すべてを総合しても、一つの正しい過去の反復としての幻想は出現しない。このゼロ地点によって解釈には終わりがなくなり、主体は無数の解釈を通して、ある時点で不確定的に幻想を構成することしかできないのである。要するに、一つの正しい過去の存在(起源)がない以上、転移幻想は弁証法的な多義性を有するものではなく、またゼロ地点がある以上、それは差異を含んだ「多義的な反復」(反覆)なのである。
 そして、原理的に無数であるシニフィアンを数え上げるうちに、分析主体は何度も反覆されながら更新されつづける幻想に事後的に最小限の再認可能性を見ることになる。それが根源的幻想である。先の署名の例で説明すれば、署名は書くごとに差異があるが、同じ署名として再認されるように、この根源的幻想も、解釈するごとに差異が生まれてくるが、あとから同じ幻想を巡っていたとわかる幻想なのである。つまり、根源的幻想は「或る過去と同一の過去であるという同一性」に基づくものではなく、差異を含む反復から事後的に見出される「或る過去と同じ過去という同じもの性」に基づいている。
 以上の議論から転移幻想は「差異のない存在論的に同一のものの反復」ではなく、「差異を含んだ事後的に同じものの反覆」であることが確認できる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第七章 治癒に向けて反覆として機能する幻想」 p.169-172)



 11時起床。二年生のグループチャット上に(…)くんが三コマ漫画の画像を投稿している。一コマ目は男性が月を指差しているコマ、二コマ目はその月から銃弾が飛んできて男性の耳から血が噴き出るコマ、三コマ目は月面にいるウサ耳女子スナイパーの姿が描かれているコマで、その画像をなぜかこちらに名指しで早朝から送りつけているので、いやなんて反応すりゃええねんとなった。(…)くんのコミュニケーションの取り方はマジでちょっとふしぎ。まあガチガチのオタクであるし、もとより他人とのコミュニケーションは得意なほうではないのだろうが、たびたびこうした画像をこちらに一方的に送りつけるだけ送りつけてそれにコメントするでもないということがある、しかもそれがグループチャット上での場合がほとんどなので、こちらとの交流をのぞんでいるというよりもこちらを媒介としてクラスメイトらになにかしらアピっているんではないかという印象も受けないではない。(…)くんは背がかなり低い。160センチぎりぎりあるかないかだと思う。中国はマジで男性の身長が重視される社会であるし(去年、当時四年生だった(…)くんから、じぶんはずっと背が低いことに悩んでいた、自殺も考えたことがあるくらいだと打ち明けられたのだった)、彼も内心ではいろいろ悩みや苦悩があるのかもしれない、クラスメイトとの、とりわけ女子学生との距離感など、傍から見ているだけでもやはりちょっと特殊なのだ、おびえや遠慮のようなものが、そしてそれを覆い隠すためにとってつけられたような孤高の虚勢のようなものが、多少見え隠れするのだ。ちなみに、グループチャットには返信として、「指が月を指すとき、愚者は指先を見る」という仏教の言葉を思い出したよ、という微妙に噛み合わないコメントを送っておいた。そうする以外になにができる? かわいくておもしろい画像だねとでもいえば、(…)くんのことであるから、これから連日萌え萌えした同様の画像を送りつけてくる可能性があるのだ。そういうのはこちらの趣味ではない!
 二年生からは(…)さんと(…)さんからも個別に微信が届いていた。コロナに感染したので授業を休むという報告だった。マジか! (…)さんはこちらと同様まだ一度も感染していない選ばれし子だったわけだが、これでとうとうアウトか。(…)さんはたぶん二度目の感染だと思う。彼女の日本語はわりと壊滅的なのではっきりしないが、医者からは「弱陽」だと言われたという。偽陽性みたいなことだろうか? 先取りして書いてしまうが、授業中にクラスメイトらにたずねたところ、(…)さんは病院で隔離(?)、(…)さんは寮でふつうに休んでいるとのこと。あと、夜中にモーメンツをのぞいたら、四年生の(…)さんもやはり陽性を報告していた。さすがに今回はこちらも逃れられん気がする。
 第五食堂で炒面を打包する。常連なのでいちいち唐辛子抜きにしてくれと言わずともいつもむこうで勝手にそうしてくれるのだが、今日はすっかり忘れていたのだろう、ふつうに唐辛子入りになっていたので、食後のコーヒーを飲むのはひかえておくことにした。また下痢になったらたまらん。
 14時半から二年生の日語基礎写作(二)と日語会話(三)。今日は外国語学院の口頭試問の日というわけで、いつもの教室が四年生らによって使われているので、ふだん数学科の学生が使っている広い空き教室で授業。写作は、先々週の課題を返却したのち、「三題噺」をやる。これはまあ問題なし。いつもどおり。途中、口頭試問の順番待ちをしている(…)くんと(…)さんのふたりを廊下の向こうに見たので、軽くあいさつ。
 休憩時間中は、最前列付近に腰かけている(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くんらといつものように雑談。今日はいつもと異なる教室だったので、学生らの席順も微妙に違って、そのために(…)さんと(…)さんも会話の輪のなかに(あくまでもリスニング専門であるが)加わった。やや離れたところに座っている(…)さんはいつものように仲間に入れてほしげに目と耳をじっとこちらに向けている。
 一年生が2クラスになるという話が当然出る。学生が60人いるという話にはやはりみんなびっくりしていた。教師の数が足りないねというと、来学期からひとり博士号持ちの女性教諭が加わると学生らがいうので、え? マジで? とびっくりした。まだ三十歳くらいの若い先生だという。これで日本語学科も博士号持ちが三人になるわけか。来学期から基礎日本語の授業も制度が変わる、これまでは一年生のあいだは(…)先生だったか(…)先生だったかが担当、二年生になった時点で(…)先生が引き継ぎという流れだったわけだが、前々から(…)先生が希望していたように、一年生と二年生をぶっ通しで、たぶんクラスごとに(…)先生と(…)先生もくしは(…)先生と担当を分けてということだと思うのだが、同一の教師が担当することになったというので、(…)先生は嬉しいだろうなといった。学生らはもしそうなったら絶対に(…)先生のほうがいいといった。来学期は(…)先生と(…)先生の授業がはじめてあると(…)さんがいった。(…)先生の評判の悪さについては、これまで彼女の授業を受けたことのないこのクラスの学生らもすでに知っているわけだが、(…)先生はどうですかとあったので、やや声をひそめつつ、(…)先生と(…)先生のふたりについては一度も良い評判を聞いたことがないと漏らすと、輪の中の全員が笑った。(…)さんは、あれはたぶん学生会の仕事なのだろう、授業がちゃんと行われているかどうかときどき学生が廊下から教室のなかの写真を撮影することがあるのだが、その役目を負って(…)先生の授業を撮影しにいったところ、あんただれだ! なんで写真を撮っているんだ! とわざわざ廊下の外まで(…)先生が出てきてめちゃくちゃ詰められたことがあるという。だからすごいこわいひとという印象があるのだ、と。ちなみにこちらはそういう役目を負った学生の姿を廊下に認めるたびに、急いで左手に教科書、右手に指示棒を持って、スクリーンの前に胸を張って立つといういかにも教師然としたふるまいをするか(80%)、カメラに向けてピースサインをするか(15%)、你好! 我爱你! と呼びかけるか(5%)するのが恒例になっている。
 四年生の話にもなった。大学院に合格したのは(…)さんひとりきり。さらに現時点で就職が決まっているのはたった三人だというので、たびたびニュースになっているが、マジで新卒の就職率えぐいなと思う。ちなみに、これは昨日(…)くんからも聞いた話なのだが、就職説明会というのか、日本語学科の学生に対してうちに来て働きませんかという企業側からのブースのようなものが昨日用意されていたのだが、四年生の学生らはほとんどだれひとりそこに出向かず、結果、(…)先生がかなり怒っていたらしい(だから彼は昨日、集合写真の撮影だけすませて、とっとと去ってしまったのかもしれない)。
 あとはスピーチコンテストの校内予選の話にもなった。出場者一覧表を(…)さんが持っていたので見せてもらったが、一年生の出場者はやっぱりほぼ全員が高校生のころに日本語を勉強していた学生たちだった。三年生はたぶんほぼ全員が持ち回り制で余儀なく出場する子たちなので、実際本戦にだれが出場することになるのかは不明。(…)さんがエントリーしているようだったので、彼女だったらいいのになと思ったが、ま、大学院の準備を優先するだろうな。二年生は(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)くんの名前があったのは確か。順当にいけば、(…)さんか(…)くんになるだろうが、うーん、前々からなんとなくそんなことになるかもしれないと思っていたわけだが、(…)さんがいるのかーとちょっと微妙な気持ちになった。彼女はたしかに優秀である、代表に選ばれる可能性もかなり高い、しかし授業そのものは普段まるで集中していないし、しょっちゅう内職しているしで、仮に代表に選ばれたとしても、はたしてもあの退屈きわまりない反復練習についてこれるのだろうかという疑問がまずあるし、そういう授業態度のわりにはしょっちゅうこちらに差し入れを持ってこようとするあのよくわからん収賄じみた行動、さらには夏休みにうちの実家に押しかけようとマジで画策していたっぽい距離の詰め方が、なんかうーんという感じなのだ。まあ、これまで一緒に散歩したり、メシを食ったりもしているし、別に関係が悪いということもないのだが、寮にいきなりアポなしでやってくるあの感じとか、ふつうにちょっと「怖ッ!」と思ってしまう。こちらのパーナソルスペースはけっこう広い。
 そういえば、ひとつ書き忘れていたが、足を骨折してずっと授業を休んでいた(…)さんが今週は復帰していた。
 休憩時間後は口語の授業というわけで第32課をやったわけだが、これは予想通り、まずまずボロボロだった。もうそうなることは準備段階でわかっていたのだが、学期末が見えてくると授業準備に全然やる気が出なくなるといういつものアレにおちいっていたため、もうなんでもいいやといい加減にやってしまった。それでもなんだかんだで経験だけは積み重ねているので、いちおう最低限のかたちにはなっていたと思うのだが、グループごとにやるアクティビティに学生たちもちょっと飽き飽きしつつあるかなという感じ。来週は期末テストの説明+最後の授業恒例のゲームなので、通常授業はこれで終わり。

 教室を去る。ケッタをえっちらおっちらやりはじめたところで、スクーターに乗った(…)くんが後ろからやってきて、「先生遅いね!」という。そのままスクーターとケッタで並走するかたちで新校区まで移動。(…)くんは例によって彼女といっしょに第三食堂で夕飯をとる予定。こちらがたびたび一階のハンバーガー店でハンバーガーを食うと話したからだろうか、のちほど彼からその店で買ったハンバーガーの写真が送られてきた。ちなみにスクーターは中古で1000元、彼女と折半して購入したとのこと。
 第五食堂に立ち寄って打包。寮の入り口で(…)がアフリカ系の留学生と立ち話していたので、そばを通りがかった際にsun burntはどうだとたずねると、よくなってきているという返事。帰宅して食す。(…)から航空券について続報が届いていたのだが、例年どおり、こちらで勝手に購入して問題ないらしい。ただしreimbursementに必要なのでreceiptだけはきちんと保管しておいてほしいとのこと。あと、購入前にチケット情報を彼女に送る必要はやはりあるらしい。以前はそんなことなかったのだが。
 眠気がひどかったのでベッドに移動。20分ほどの仮眠をとるつもりだったのだが、気づけば1時間以上寝てしまい、目が覚めると21時すぎだった。これはアレか、授業がうまくいかなかったとき特有の無意識的な不貞寝が発動したということか? 目が覚めるきっかけとなったのは四年生の(…)さんから送られてきた集合写真だった。すいかの皮みたいな柄シャツ着とるおれが一番目立ってしもとる。
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、本日一杯目(!)のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年5月16日づけの記事の読み返し。以下はそのさらに一年前、2021年5月16日づけの記事より引かれていたもの。

夜は新井英樹『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』の続きを最後まで読み進めた。まりあが死んでモンちゃんが覚醒して以降の展開は、それまで厳密に構築してきた図式や比喩的な文脈を破綻させうるものになっている。たとえられるもの(意味)がたとえるもの(イメージ)に先行していたそれまでから一転して、たとえるもの(イメージ)がたとえられるもの(意味)をふりきる力で自律的に作動しはじめる。その転換とねじれがもたらす比喩の亀裂が、意味のための余白をきりひらき、賭博の場となる。この感じはものすごくよくわかる。暗喩の体系を構築しつつ破壊することで生じる一種の矛盾を、さまざまな意味がそこからねりあげられる鍛冶場として提示する、そのような方法論はこちらが「S」でとっているものとまるきり同じだからだ。

 この日は例によって「実弾(仮)」資料収集のため、2012年6月1日から15日までの記事を読み返している。以下は14日の記事より。

いつごろからなのかはわからないけれど、頭の中で物を考えるときまではっきりと「文」を用いるようになりだして、ふつう、何気なくぼんやりとものを考えているときの思考って「文」ではなくてきれぎれになった「語」あるいはそれ以前の「像」やそれ未満の「方向」や「傾き」みたいなもので成り立っているように思うのだけれど、そういう曖昧さが減ってそのかわりに「文」、どころかそれこそこのブログで採用しているような「文体」で思考や想念を脳内記述するような習慣がついていて、そのことについてはけっこう前から自覚してはいたのだけれど、今日、(…)が帰国するまであと十日間くらいだっけかと考えたその考えの中で(…)のことを本名ではなくそのまんまイニシャルとして(…)と呼んで/読んでいるじぶんに気がついて、ブログ文体がじぶんの思考・認識の最大株主になったと思った。「文」がこれほどまで広く深くじぶんに浸透しているという事実を単純に喜ぶこともできるのかもしれないけれど、「文」以前の領域で織りなされる思考や想念と、それらを「文」の体裁にはめこみ力ずくで翻訳するその営みとの間に介在するある種の誤差やギャップやずれのようなところにひそむ葛藤が薄らいでしまうのではないか、弱まってしまうのではないか、摩擦に欠けてしまうのではないか、というおそれのようなものもまたたしかにある。
経験を言葉にしてしまうと経験がそれで完了してしまう的な紋切り型の言説がなにひとつ疑いをさしはさまれることもなくおおいに流通している昨今であるけれど、じぶんの場合はむしろそれとは正反対に経験したことを記述することによってその経験を持続させることができるのかもしれないと思ったのは、記述の営みにどっぷり浸かっている毎日を過ごすじぶんにとって、物思いに耽る過程で記憶をたどり経験を再現させる機会よりもむしろ、その経験を記述するにあたって用いた語句やフレーズに別の場面で思いがけずぶつかったのを契機にその経験(の記述)が回帰するというパターンのほうが圧倒的に多いような気がしたからで、そういう意味で日記はじぶんの経験すべてに間テクスト性を付与するともいえる。

 カフカの日記からもいくつか抜き書きされている。そのうちのひとつ、たぶんもっとも有名な文章のひとつだと思うのだが、「ぼくは彼女なしで生きることはできない。(…)しかしぼくは――そしてFもこのことを予感しているのだが――彼女とともに生きることもできないだろう。」が引かれていたのだが、さて、記事の読み返しがそのまま10年前の今日、すなわち、2013年5月16日づけの記事にさしかかったところ、ここでまたしてもシンクロが発生した。

東にむけての片道5分の帰路でもどんどん空が明るくなっていくのがわかって、その色合いになぜかU2のwith or without youを思い出し、歌った。まだ喉がすこし嗄れている。I can't live with or without you. カフカがフェリーツェにあてた手紙の中の一節「きみなしには生きていけない、しかしきみとともには生きられない」をなんとなく思い出す。

 そういうわけで、今日づけの記事はその後、with or without youとともに書き進めた。

 今日づけの記事をかくしてひたすら書き続ける。途中でトースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェック。2時過ぎになったところで作業を中断し、歯磨きをすませてベッドに移動。