2022-01-01から1年間の記事一覧

20221231

古井 説明するというのは、普通結び目をほどくことと解釈されるけれども、結び目をつくることでもあるわけですね。 大江 あなたの書き方は、確かに結び目をつくることによってなされている。いつまでもいつまでも結び目をつくってゆく。 僕は文芸時評で、古…

20221230

古井 僕は罪に関してはこんなイメージを持っています。 人は何をやっても、やった後からその行為が黒々とした罪になる。だけど、いつもその黒々としたものから、無垢のごとく抜け出てくる、その連続だと思うんです。これもまた罪なのかもしれないが、とにか…

20221229

大江 僕はオペラが好きなものですから、マリア・カラスの『メディア』からさかのぼって、ギリシャ悲劇の『メディア』も読む。そうすると、呪いが、呪われた人にとってどんなに親しく重要なものかという瞬間もあることを感じます。 古井 そうですね。 大江 そ…

20221228

大江 せんだって上智大学で門脇佳吉という学者の神父様に招んでいただいて討論したときに、先生は聖書の同じところに即して語られました。例えば「娼婦と結婚する」という言葉がありますでしょう。僕たちキリスト教の外側の人間は、「娼婦と結婚する」という…

20221227

記憶喪失は神様が酔っぱらいに与えた恵みね。自分のしたことを覚えてたら、恥で死んでしまうもの。 (ルシア・ベルリン/岸本佐知子・訳『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』より「ママ」) 10時半起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェ…

20221226

わたしはときどき屋上にあがった。そこからだとフアレスと、エルパソのダウンタウンがすべて見わたせた。人ごみの中から一人を選び、見えなくなるまで目であとを追う遊びをよくやった。 (ルシア・ベルリン/岸本佐知子・訳『掃除婦のための手引き書 ルシア…

20221225

しかしやっぱり山の景色というのは猫よりずっと難物で、部分と全体のバランスがなかなか取れない。で、そうなると今度は山を見ているときの自分の気持ちも動員することになる。 「自分の気持ちを書きたくて山を書く」のではない。 「山を書くために自分の気…

20221224

彫刻家の若林奮とⅠ章でも紹介した前田英樹が対談した『対論・彫刻空間 物質と思考』(書肆山田)という本の中に、なぜ画家の描く線と濃淡だけの模様ないし汚れであるところのデッサンが他人に「絵」として伝わるのか、という話が出てくる。たとえば、画家が…

20221223

しかし、会話というのは、ところどころ端折ったり、飛躍があったほうが面白くなる。ゴダールの『映画史』によれば、『勝手にしやがれ』を編集段階で何分か短くしなければならなくなったときに、ジーン・セバーグとジャン=ポール・ベルモンドがクルマのなかで…

20221222

私たちの言葉や美意識、価値観をつくっているのは、文学と哲学と自然科学だ。その三つはどれも必要なものだけれど、どれが根本かといえば、文学だと私は思う。私たちは「美しい」や「醜い」などの言葉を当たり前のように使っているが、これらの言葉はすべて…

20221221

新人賞の応募作品やたまに私のところに直接送られてくる作品を読んで、テクニックのないものはまず一つもない。文章も十分にうまい。比喩の使い方も立派なものだ。 しかし問題は逆で、みんなそれらを使わないことを考えていない。それらを所与のもの、つまり…

20221220

「まったくわからない」芸術に出くわすと、人はその制作者に向かって、よく「その意図を説明せよ」と言うけれど、それはとても無意味なことだ。日常の言葉で説明できてしまえるような芸術(小説)は、もはや芸術(小説)ではない。日常の言葉で説明できない…

20221219

それは、小説とは、〝個〟が立ち上がるものだということだ。べつな言い方をすれば、社会化されている人間のなかにある社会化されていない部分をいかに言語化するかということで、その社会化されていない部分は、普段の生活ではマイナスになったり、他人から…

20221218

杉の苗を植えた者の行為や感情や、杉が根から吸い葉から吸った厖大な時間が、両の腕に抱えきれぬ太い幹の美林として形を顕わしているなら、かたわらに立った秋幸はたった二十九年の歳月しかたっていない。秋幸がまだフサの腹にも宿らぬ種のはるか以前、風の…

20221217

(…)十幾年前、三月三日の雛を飾って祝う女の節句の日の朝、二十四の若さで酒びたりになり、幻聴がすると言っていた郁男は突然、首をつったのだった。その日の前の夜、郁男は仏壇にむかって経をあげた。経をあげている最中にも幻聴があるらしかった。素肌に…

20221216

舗装された道路は川に沿って続いていた。トンネルを抜けるとすぐに川の蛇行にあわせてカーブがあった。川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひ…

20221215

その法事の日から、三日間、名古屋の一家が、幌付きトラックで帰ってしまうまで、また姉は、子供になってしまったように甘えた。体に微熱があった。蒲団に入ることを拒んだ。病気はなおったと言い張った。姉は、一本体のどこかにはめられていたタガがはずれ…

20221214

「統計局でずっとやっていくつもりなのかい?」父が尋ねた。 「わからない」私は答えた。「まず今現在やりたいと思っていることをやり終えたら、それから考えてみる」 「正直に言うと」父は一瞬躊躇してから続けた。「ちょっと意外だったんだ」 「自分でもそ…

20221213

自分自身が不安定な時は、周囲のすべてが自分を変えようとする力に思えるものだが、自分が自分でいられるようになると、他人や周囲のことは一幅の絵として眺められるようになる。絵の中の人間と思えば、みんな興味深い存在だった。 (郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳…

20221212

「あたしのこと誰かから聞いてるでしょ?」彼女は言った。 「うん、少しだけ」 「ほんとは大したことでも何でもないのにさ」気軽な口調で彼女は言った。「最初っからこうなるのはわかってたからね。どんなこと聞いたの? お妾さんになって捨てられたって? …

20221211

「ほかの人に影響されるのが怖くて、いつもそれから逃げようとして、誰からも影響を受けない場所に逃げようとしてたの。でもそんな場所なんて存在しない。世界のいかなる片隅でも、ほかの人間の影響から逃れるところなんてないの。数日前にふっとね、なぜ自…

20221210

大学では私は多くのサークルを経験した。それらのサークル活動は、観光で見た景色みたいなもので、たとえ名残惜しくてもさっと身を翻して辞めてしまったものだ。曲芸クラブでは漫才を習った。けれども私がやると自分から笑ってしまいお話にならなかった。ア…

20221209

折よく学校視察で地区の指導者が視察に来る場合は、一人一人の服装はもとより、学校全体の外観まで、早くから準備を始める。これまで一度も掃除されなかった隅まですっかりきれいに掃き、学校の標語の赤い文字を再度塗り直し、トイレは通常よりもきれいにす…

20221208

「お分かりになっていませんね」私は言った。「この問題がすべてのことに影響してるんです。肝心なことは、もし一切が外界のことならば、もしいかなる考えも自分自身のものではないというのなら、私に自由なんていうものがあるのか、ということです。自由を…

20221207

「先生、ちょっと前までよりずっと良くなったと思います。最近は自分の問題が何なのか少しわかってきています」 私は言葉を切ってしばらく待ったが、医者の何の反応も示さない。そこで私は続けた。「自分自身の観点がない、というのがパニックの元なんです。…

20221206

私は何か選択するとき、コインを投げて決める。コインが地面に落ちた瞬間に心の感触を見極めるのだ。もう一度投げたいと思ったのか、安堵のため息を漏らしたのか、その一瞬に自分の本当の願望や自分の気持ちの方向が分かる。 (郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳『1984…

20221205

微月の悦びは内心からわき出たものだった。携帯からもその喜びは伝わってきていた。彼女は自分の悦びの表現をドラマ仕立てにはしない。それがかえって胸を打った。人が本当に内心から喜びを発しているかを見分けることは実は簡単である。あることを表現する…

20221204

劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。そこで帽子を被って…

20221203

自分がこの下宿を出る二週間ほど前に、K君は蘇格蘭(スコットランド)から帰って来た。その時自分は主婦によってK君に紹介された。二人の日本人が倫敦の山の手の、とある小さな家に偶然落ち合って、しかも、まだ互に名乗り換(かわ)した事がないので、身…

20221202

そのうち雨は益(ますます)深くなった。家を包んで遠い音が聴えた。門野が出て来て、少し寒い様ですな、硝子戸を閉めましょうかと聞いた。硝子戸を引く間、二人は顔を揃えて庭の方を見ていた。青い木の葉が悉(ことごと)く濡れて、静かな湿り気が、硝子越…