2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

20230131

私が日ごろ宿題をする子どもたちを見ていてヤバいなと思うのは、彼らが宿題を「やらされる」ことを通して「適当にごまかす」術を覚えることです。あれがほんとうによくない。 あなたは問題集の答えを丸写ししているとき、自分が全く実りのない作業の時間を費…

20230130

現代は情報社会と呼ばれ、その意味は教科書で「情報が果たす役割が大きくなる社会」と説明されており、産業面においても物としてのハード以上に情報としてのソフトの方が商品としての価値を持つようになりました。しかし、情報社会の本領はそこにあるのでは…

20230129

そんな中で、あなたは親との関係を通して、自分がやりたくないことをやらされたり、逆にやりたいことをダメだと言われる経験を得ることで自我を目覚めさせ、良くも悪くもあなたの価値観の根幹を形成してきたのです。つまり、あなたの主体性の形成には、親が…

20230128

最近の親は、自分が子どもに対して何をヤラかしているかということに自覚的な人が増えました。その結果、子どもに自分の考えを一方的に押しつけたり、安易に世間の価値観を代弁したりすることを注意深く避ける親が増えました。 しかし、これは必ずしも歓迎す…

20230127

親というのは不思議なもので、自分が子ども時代を経験しているにもかかわらず、親になるとなぜか子どものことがわからなくなります。その理由は、このように親としての自我を新しく実装することの代償として、それ以前にあった自分独特の言葉を失うからでし…

20230126

人生というのは、人の勝手と勝手がぶつかり合ってその摩擦を味わっていくものであり、それは、親子の間でも他人どうしでも本質的には変わりません。 (鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』) すごい夢を見た。見たはずなのだが、細部を失念してしまってい…

20230125

「(…)マイノリティの人は、生まれ落ちた社会がデフォルトで自分用に作られてないと気づかされる経験をしているけど、マジョリティの人たちはそういうことに気づかなくて済むからマジョリティなんです」 (鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』) 12時起床…

20230124

そういえば、先日、学校でのあるトラブルをきっかけに、先生たちのことを「やっぱり実社会を知らない世間知らず」「一般常識がない」と揶揄する大人たちに出くわすことがありました。先生たちに何らかの瑕疵を見つけると、こういう形で見下す大人たちは多い…

20230123

先日、近所の小学校で教務主任をしているT先生と長話をする機会がありました。 「子どもが先生の悪口を言った時に、親がそれに同調していっしょに悪口を言う。これがたった三組あっただけで、簡単に学級は崩壊します」 T先生は苦々しい顔でそう言いました…

20230122

あなたには、ずっと幼いころに親という人生最初の先生の一方的な強制力に甘んじていた時期があります。 そのときのあなたは、ただ一心に親のことを見つめていました。そして、信じるという言葉が不必要なくらいに無条件に親のことを信じていて、だからこそ、…

20230121

テレビに出ている林修先生とかもそうですが、いまの学校や予備校の先生たちはソフトな印象の人が増えました。生徒とフラットな関係の先生というのが、いかにもいまの時代向きという感じがします。 私自身もそうで、感覚的に子どもたちを生徒というよりは仲間…

20230120

『シネマ2』が扱うのは、主に第二次世界大戦以降の「現代映画」である。イタリアのネオ・リアリズムに同書がその出発点を置く「現代映画」において、人は限界を超えた光景に直面していかなる反応もできなくなる。そうして感覚-運動の連鎖が断ち切られ、「純…

20230119

写真には工事の過程が、予測不可能性を孕んだまま写し出されている。予測できないのは次のことだ。——大地は動く。複数の時間的スケールで。断層運動、地盤の膨張、突然の崩落、地下水の噴出。坑夫たちは、掘ることで大地の複数の時間と接触しながら、それら…

20230118

言うまでもなく、およそ絵画を見るとは過去の殺到を見ることだ。私たちは一枚の絵画を見るとき、カンヴァスの上にさまざまな時点で重ねられた過去の手数が、一挙同時に表面の現在へともたらされるさまを眺めている。完成した《ルーマニアのブラウス》(図20…

20230117

一九〇八年一二月、アンリ・マティスは「画家のノート」という文章を発表して自らの制作方法を表明した。そのなかに、「布置(disposition, disposer)」という語が二度現れる。 私にとって、表現とは顔に溢れる情熱とか、激しい動きによって現される情熱な…

20230116

《アヴィニヨンの娘たち》を描いた二五歳の若きピカソがつかんだ根本的問題はここにある。奥行きの肉体性が断裂し、配置の記号性へと圧縮・転換されるとき、画面は観者の視線を着床させる深き褥であることを止め、見ることの統一性そのものを離散的諸要素の…

20230115

現実には、このように不連続的かつ多重な樹々は存在しえない。複数の時間にまたがる枝の「運動」が不連続的かつ多重に記録されていると考えることもできない(そのような説明は、画面全体を拘束する周期構造を捉えることができない)。後期セザンヌの風景画…

20230114

たとえばカラヴァッジョの最初の《メドゥーサ》(一五九七—九八頃、図6)。振り返る途中で切り落とされて叫ぶその顔を見るとき、私の顔にもその驚愕と恐怖がうつる。丸く膨らむ楯に描かれたその顔は、曲面の効果により、顔を近づけるとギイイッと不均等に引…

20230113

モワレとは、二つの周期的パターンが重ねられるときに現れる第三のパターンのことを指す。ベイトソンはこれを、芸術をおこなう精神の基本構造と結びつけている。『精神と自然』(一九七九)から引用しよう。 例えば韻文、舞踏、音楽といった美的経験の本質に…

20230112

形象とは何か。figureという語には図形、数、人の姿、比喩表現という複数の意味がある。ダナ・ハラウェイはさらに、「形象化(figuration)」に「キメラ的ヴィジョン」という古い語義があることに触れたうえで、次のように言う。「形象というのは、[……]多…

20230111

思考とは、外から捉えれば、環境とのギャップに際した一つないし集合的な知覚行為体が、潜在的な諸可能性を背景としつつ、特定の形を選択的に実現していく過程である。たとえば何も描かれていない画布は、描く人の前に広がる未規定のギャップ(=問い)であ…

20230110

芸術の輪郭は実際、歴史的にも地理的にも固定しえない。人類学者アルフレッド・ジェルは、西洋近代的「芸術」の概念や制度がない地域や時代にも芸術のようなものがあり、それを考えるために芸術の制度的定義は適用できないと指摘する。ジェルが代わりに採る…

20230109

古井 漱石の小説には、円満に解決した小説はほとんどないんです。岩場に根を下ろした松が曲がりくねった枝を伸ばした途中で、風か雪でぽっきり折れる、という終わり方をしている。だから、いわゆる古典、クラシックではないんですよ。終わり方が、後世への申…

20230108

大江 漱石を意識して読むようになって、二、三冊目に読んだのが「虞美人草」だったのですが、これがすばらしい作品でした。それから漱石の小説を夢中で読むことになった。今でも私が漱石の作品で挙げる三作はこうなんです。書かれた年代順に、「虞美人草」、…

20230107

古井 大きく文学の流れを見ていくと、コロキアル(口語)の方向に時が流れたとき、しゃべるように書くのが流行ったときにはかえって多様性が失われるようです。 大江 ええ。一箇の人間がしゃべるようにそのまま書くことで多様性が生まれるものではないですね…

20230106

古井 僕はここ二、三十年、短篇を書くときは、まず音律が聞こえる気がするところから書き始め、しばらく書くと、それが尽きる。また次の音律が聞こえるまで待つ、ということを繰り返します。四十歳頃の作品でも、一篇の内にも音律が何色かあるんです。 とこ…

20230105

古井 確か、「日本人は漢字に仮名を振ってるつもりだけど、実は仮名に漢字を振って読んでるんだ」と言ったフランスの哲学者がいましたね。あれは、半分ぐらい当たっている気がします。 (大江健三郎/古井由吉『文学の淵を渡る』) 10時ごろに自然と目が覚め…

20230104

大江 (…)もっと散文的に自分の体験を言いますと、死がどういうことかについて、六十歳を過ぎてからはもう、考えなくなっています。五十代くらいまでは、死への恐怖に根ざして私はそれを考えていた。これから死ななくてはいけない、死は恐ろしい、この恐ろ…

20230103

大江 (…)秋声のも、現在に生きてる短編だと思います。この小説も、「私は又た何か軽い当味を喰つたやうな気がした。」というので終わる。これも、外国の小説ではあり得ないですよ。一行感想を述べて終わる。しかもその感想がなかなか重層的で、煮ても焼い…

20230102

古井 『特性のない男』という小説は、恐らくムージルが見ていた彼なりの究極の小説への準備だったと思います。 その究極の小説がどういうものかと想像するに、非常に聖譚に近い、ほとんど聖譚である短編ではないか。短編の形を『特性のない男』より前にいろ…