20140502

「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶い出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の窓ばかりを眺めていなければならない。すっかりこれが僕の運命だ。そんなことが思えて来るのです。――しかし、それよりも僕はこんなことが云いたいんです。つまり窓の眺めというものには、元来人をそんな思いに駆るあるものがあるんじゃないか。誰でもふとそんな気持に誘われるんじゃないか、というのですが、どうです、あなたはそうしたことをお考えにならないですか」
(…)
「さあ……僕にはむしろ反対の気持になった経験しか憶い出せない。しかしあなたの気持は僕にはわからなくはありません。反対の気持になった経験というのは、窓のなかにいる人間を見ていてその人達がなにかはかない運命を持ってこの浮世に生きている。という風に見えたということなんです」
梶井基次郎「ある崖上の感情」)



 10時起床。なにかしらの後味の強い夢を見た余韻はあるのだが、うまく思い出せない。Tからメールが届いていて、今日の集合場所についてあらためて確認しあった。歯を磨くべくおもてに出れば、やあ、すっかり春である! パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。昨日付けのブログの続きを書いて投稿した。するとまもなく11時半だった。そこから15時まで「G」の作文に取り組みつづけたが、ぜんぜん駄目だった。まるで書けなかった。むしむしする部屋のせいだと八つ当たりした。データ消去の衝動がまたわきあがった。
 Amazonで母の日のプレゼントを発注した。部屋を出て図書館にむかった。春日というよりはむしろ夏の陽気にちかい日射しだった。半袖の姿もちらほらあった。返却と貸し出しをすませてからビブレに立ち寄り、ユニクロで職場用の白シャツを買った。店内を移動していると遅れてにじみだす汗の気配があった。ヒートテックに690円で購入したスカジャンというどうしようもない格好だったが、夜はまだしも日中はもっと薄着でもぜんぜんいけるらしいというその事実に季節の推移をはかる体内カレンダーのうまくついていけないところがあった。いまだに冬物のコートが自室の壁にかかったままになっているこちらの認識を突き放すようにしてぐんぐん進んでいくらしい季節を思うと、いったいいつからどのタイミングでそんなにも猪突猛進しはじめたのかと問いかけたくもなる。ほんのつい先日まで日中はまだしも朝の冷え込みはいっこうにやわらぐところがないと愚痴をもらしていたばかりでなかったか? それがいつのまにか朝も昼も夜も終日通してコートいらずの時節にさしかかっている。生涯をとおして感じつづけるであろうふしぎを今度もまた感じた。季節の変化する速度に人間の感受性が追いつくことのできる日はきっとこない。
 ビブレをあとにしてからそのまま鴨川に出かけた。小腹が空いていたのでパンでも買っていこうかと思ったが、コンビニにたちよるのが億劫だったし、もう二時間もすれば食事の時間だからとそのまま手ぶらでおとずれることにした。さすがにいい日和だけあって、ベンチにも芝生にもパステルカラーの人影がちらほらと目立った。Sと別れたあとにたびたびおとずれていた秋口はそうでもなかったのだけれど、今日はベンチに腰かけて書見をしている老若男女の姿がやたらと目についた。芝生のど真ん中で尻餅をついて談笑しているブロンド三人組がいた。黒のトイプードルを足元にすわらせながらベンチに腰かけてぼうっとしている中年女性がいた。ダンベルを握った両手を左右にのばしベンチにあおむけに寝転がり十字架の姿勢をとったタンクトップの初老男性がいた。日焼け防止のために長袖を着てつばのひろい帽子をかぶった貴婦人みたいな装いの初老の女性が背もたれもないのに背筋をぴんとのばして文庫本に目を落としていた。彼女の腰かけているそのとなりのベンチにこちらも腰かけて『アレゴリーの織物』の続きを読んだ。貴婦人の凛としたたたずまいとは正反対に十分もしないうちにベンチにあおむけに寝転がると、左手から木漏れ日となって差しこんでくるものを厭うように首から上をやや右手にかたむけた。風がそよそよと吹いてむきだしの皮膚がすべて心地よかった。本を閉じて腹の上に置いた。目をつむり十分ほど眠った。
 身体を起こすとすでに貴婦人の姿はなかった。かわりに大学生らしい小太りの男がベンチに腰かけてやはり書物に目を落としていた。こちらもふたたび書見にとりかかった。小太りの男はやがて先のこちらのふるまいをなぞるようにしてベンチに寝転がった。そうしてしばらくたったところで身を起こすと、頭上に両手をかかげるがいなやパンパンと勢いよく叩きはじめた。彼の視線の先をたどると、茂みをはさんだむこうで自転車にまたがったまま停止している男の姿があった。拍手はここにいるぞという合図らしかった。合流するなりふたりはせわしない口調で会話をはじめた。中国語だった。見慣れない合図にも合点がいった。
 帰宅してからブログを書き、約束の十分前にふたたび家を出た。同志社にむかう途中でTからメールが入り、学食は閉まっているとあった。とりあえずそこで待っていてくれと返信し、待ち合わせの交差点まで歩いていった。交差点のむこうで自転車にまたがりiPhoneをいじくっているTの姿がみえたので、信号が変ったところで近づいていき、自転車の籠をいきなり揺らしてやった。ひげボーボーじゃん、と開口一番いわれた。学生時分からたくわえていたはずだけれどと思ったが、あのころよりもたしかにボーボーになっているのかもしれない(かわりに髪の毛が残念なくらい薄くなった)。東京で会ったときは服装もきれいめだったしひげも整えていたけれど、今日は無精髭にくわえてスウェットにスカジャンという夜のコンビニ前でたむろしているザコキャラみたいな服装だったので、奇妙な落差の印象を与えてしまったのかもしれない。ゴールデンウィークということで学食は閉まっているらしいとTはメールにあったとおりの言葉をくりかえした。酒飲むんやったらトリキでもええけどというと、でもお酒飲まないでしょというので、一口くらいやったらいけるよと応じた。Tはやや迷ったすえにやっぱりいいやといった。二度目の学生生活にあたってとりあえずは節約志向でいくつもりらしかった。京都に戻ってきてからまだいちども酒は飲んでいないといった。近場のサイゼリヤに行くことになった。
 18時から23時まで死ぬほどしゃべり続けた。ミラノ風ドリアと若鶏のなんちゃらを頼んだ。Tはハンバーグセットとワインをたのんだ。グラスの底に2cmほど垂らしてもらって、肉をしっかり食べたあとにちびちびなめた。とちゅうほろ酔い気分になったが、水を飲んでいるうちにすぐさめた。Tの住んでいる寮は寮費が月額400円だった。たびたび公安のガサ入れが入っているという噂をきくのでどうなのかとたずねてみると、越して一ヶ月のTはむろんいまだその現場に遭遇したことはないといえ、ガサ入れ時にはかならずヘルメットをかぶりサングラスをかけマスクを装着するようにとの規則があるらしかった。要するにそうやって公安を茶化すわけだと応じれば、それもあるが公安の撮影する写真に顔が映ってしまわないようするにための自衛の意味もあるのだとの返答があった。なにかの手違いで顔の映りこんだ写真が広範囲にいきわたってしまうと、過激派としてマークされたあげく空港で足止めを食うことになったりし、非常に面倒なのだという。そういう喧噪含めてうらやましいな引っ越したいなというと、院生になってみればいいのではという提案があった。国立大学の院生というのはわりと簡単に学費が免除になるらしく、いまのこちらの収入だったらまずまちがいなく審査は通るとのことで、くわえて寮にはいちど越してしまえば退学しようと卒業しようとそのまま住みこみ可能という暗黙の諒解のようなものがあるらしく、晴れて院生になって寮に引っ越してしまいさえすればあとは退学するなり休学するなり講義をさぼりつづけるなり好き勝手すればいい、いずれにせよ 受験料のみの支払いで京都最安値の下宿暮らしが可能になるのだから、という算段だった。寮への引っ越しを目的に院試を受けてみるというのもずいぶんふざけた話であるが、しかしじぶんらしいといえばじつにじぶんらしい目論みであるという気もする。資料を取り寄せるなどしてちょっと本気で考えてみたい(ウェブでチェックできる過去問をざっと見てみるかぎり、半年から一年程度本腰をいれて勉強すればまず問題ないだろうという感じはする)。
 肝心のTのほうは(まだ確定したわけではないとの断りがあったが)東大の院への進学(転校?)も考えているといった。経済学を勉強するにあたっては京大よりも東大のほうがブランド価値が圧倒的に高いらしく、ゆくゆくは経済学の本場アメリカでの博士号取得を考えている身として、渡米にあたってなくてはならない奨学金の審査などを踏まえると、狭き門をくぐりぬけるためのアピールポイントとしてやはり東大の肩書きが必要なのだといった。国立の大学院の学費は年間50万程度らしいのだが、外国で数年間暮らすとなるとどれほど必要になるのかまるで見当もつかない。ちなみにいまどれだけ蓄えがあるのかとたずねてみると、500万くらいという返事があった。東京で生活しているあいだは家賃8万円オーバーのマンションに暮らしていたという。勉強時間を確保すべく交通の利便性を考えて高い家賃を支払っていたのだといったが、それにしてももうすこし控えておいてもよかったかもしれないといささか後悔しているふうだった。外食続きだったのも痛かったと続けた。
 東京で勤めびとをしているあいだに三人の女性とつきあったといった。ひとりはMで、彼女は大学のクラスメイトである。TとMがつきあっているという話は風の噂(というかP)より聞いていた。そのあと合コンで知り合った女性ふたりと順につきあったが、どれも一年程度で破局をむかえたという。学生時代のTは合コンなどぜったいに参加しないタイプだったので、これにはすこし驚いた(こちらの記憶がたしかならば大学卒業時のTは童貞であった)。おれね、硬派だったでしょ、女の子と部屋でふたりきりとかもうぜったい駄目みたいなやつだったからね、でもなんかそういうのもね、なんていうかこう、楽になったよね、かまえなくなった、まあまあいい歳だしね、なんかとにかくね、すーっとね、肩の力が抜けたの、うん、でもこれ、すごいよかったね、いい変化だったと思う。いまはクラスメイトの中国人留学生をねらっているという。英語のトレーニングという名目で翌日にはデートの約束をとりつけているのだというので、職場の半額券を渡そうかと提案したところ、いやいやそこまでまだチャラくはなってないからという返事があった。くだんの彼女についてTはぜったいに年下だと思っていたらしいのだが、フェイスブック経由で知った彼女の実年齢はわれわれより二つ上だったらしく、婚期うんぬんという重たい事情を考えるとなんだかやたらと気分が落ちると嘆いてみせた。博士課程進学を考えているTにとって結婚はまだまだ遠い話らしい。
 Pの結婚式の写真を見せてもらった。奥さんがすごくきれいだったとTはいった。でもあれは尻に敷かれるね、奥さんすごい快活な感じだったし、あと眼力がすごかったから、Pとかぜったい尻に敷かれるわ。式に出席していたクラスメイトの写真も見せてもらった。RとHがいた。NさんとYとMちゃんがいた。みんなそんなに変わっていなかった。じぶんがいちばん変わったんでないかとなんの根拠もなしに思った。生活水準も様式も学生時分から地続きであるにもかかわらず。
 『A』についてTは半分ほど読んだところで断念したといった。そんなふうに率直にいってくれるのがTのいいところだった。寮で知り合った文学部の人間に貸そうかなと考えていると続けた。大学寮を発端として口コミでひろがっていくというのは経緯としてなかなかよいなと思った。
 卒業してからの七年間についてこちら側からもざっと報告した。引っ越し遍歴といぜんの職場にまつわる面白エピソードを合間あいまにはさみこみながらざっと説明していると、先日の熟コンの場面を再現しているような感覚にとらわれた。Tとは裏腹にこちらは卒業して以降まったくの没交渉、女っ気どころか男っ気さえない生活をずいぶん長い期間にわたって続けていた。一時期は友人に食事に誘われるのさえうとましく感じるほど時間に取り憑かれていたが、「A」を脱稿していくらか、そしてまた書籍というかたちで発刊するにいたってますます、憑き物の落ちたかのように視野のひろがる変化があったと続けた。そのもっとも象徴的なできごとが、執筆時間を犠牲にして実行したタイ・カンボジア旅行であり、その翌年の二ヶ月にわたるSとの共同生活だった。あるいは燃え尽き症候群のようなものではないかといぶかるところもありながら、しかし基本的にこの変化を自分自身では好意的に受けとめているとまとめた。現在の職場の面々については、Tの道徳観や倫理観にもとるところの多大なふうに思われたので、軽くにおわせるにとどめておいた。
 Tがいちばん食いついたのはやはりSの話題だった。中学生みたいにキラキラした表情を浮かべながら猥談のほうに舵を切ろうとするので爆笑した。猥談にかぎったものではないが、後半はいかにSが強烈な人物であったかについて数えうるかぎりの具体例とともに延々と説明し続けることになった。Tは二番目の彼女と身体の相性が合わなかったのだといった(こんな言葉があのTの口より漏れることのささやかな衝撃! たしかに過ぎさったらしい七年間の重み!)。詳細を書くのは憚られるが、別れのきっかけとなるには十分な理由のように思われた。半年以上だれにも相談できず延々と悩んでいたという。その件があって以降、Tは意中の子があらわれるたびに彼のいうところの「身体の相性」が気になってしかたないらしかった。三ヶ月か半年かたっぷりと時間をかけて接近し、ようやくにしていざむすばれるというその段階になってはじめてなにもかもがからきしうまくいかないことがあきらかになる、そんな徒労感を二度と味わいたくないのだといった。「だからね、おれもう最初にまずそこが気になんの、身体の相性はどうなんだろってそればっかり気になっちゃって」「発言だけやったら完全にチャラ男やな」「いやいやそうなんだけどそうじゃないのよ!」そんな話をきいているとじぶんは恵まれているのかもしれないと思った。Sとはその点にかんしては抜群にすばらしい関係を築くことができていた(抜群すぎてたがいがたがいに相手を置いてけぼりにして先走ることもしばしば、というかしょっちゅうあったが)。それはね、もう運命だとおもって間違いないよ、そういうかたちの運命もあるんだよ、とTは言った。来年の夏はぜったいにロンドンに向かうべきだとこちらの背中を強く押しさえした。
 23時になったところで、てかもうこんな時間じゃん、とTはいった(ひょっとしたらもっと早く帰りたかったのかもしれない)。ちかぢか留学生らを対象にしたたこ焼きパーティーがあるらしく参加してみてはどうかというので、おれ学生ちゃうしと応じると、文学専攻の院生っていうていでいけばいいじゃんとあった。院生の半数は留学生らしく、大半は中国人だというのだが、なかには英語圏の人間もいるらしい。きれいなひとがいたら紹介するよというので、二年前から夏には後腐れのない恋をすると決めているのでこの夏に間に合うようよろしくたのむと応じ、横断歩道の前で別れた。歩いていったん帰宅してから最寄りのコンビニに出なおし、アサリのスープパスタとミルクティーを購入して 食した。風呂に入ろうと思ったら大家さん宅に入るための戸が閉まっていたのでやむなく部屋にもどり、ここまでブログを書きすすめると1時だった。ふたたび風呂場にむかうと戸は開いていたが、今度は先客がいた。部屋にもどりブログを冒頭から読みなおし訂正し、三度目の正直で今度こそ風呂に入った。部屋にもどってからストレッチし、まもなく消灯した。2時半だった。