20140513

 川のこちら岸には高い欅(けやき)の樹が葉を茂らせている。喬は風に戦いでいるその高い梢に心は惹かれた。ややしばらく凝視っているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢に棲り、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ青い枝と共に撓んでいるのが感じられた。
「ああこの気持」と喬は思った。「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」
 喬はそんなことを思った。毎夜のように彼の坐る窓辺、その誘惑――病鬱や生活の苦渋が鎮められ、ある距りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。
梶井基次郎ある心の風景」)



 10時半にめざましで起きた。二度寝しようかと思ったが、顔を洗ったらきっと目がさめるはずだと考えなおし、うつらうつらしながら歯を磨いた。おもてに出ると夏だった。日射しがするどく皮膚の毛穴をこじあけるように鋭利にさしこみ、さしこんだところからじわじわと湿っぽいもののしずかににじみだすようなじりじりした感触があった。顔を洗うとほんとうに目がさめた。洗濯機をまわしてからストレッチをした。ひさしぶりに肩甲骨付近に筋をたがえたような痛みがあった。ベンチでの作業はひかえたほうがいいかもしれないと思った。30℃の屋外ですごすのもじっさいためらわれた。
 パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとったのち昨日付けのブログの続きを書いて投稿した。それからおもてに出て洗濯物を干した。部屋にもどると視界が黒ずんで一時的に解像度の劣化する、夏の日射しにくらんだまなざしにしばしば起きる例の現象に見舞われた。やっぱり夏だと思った。なにか楽しいことがおきればいい。自律神経をいたわらなければ!
 12時から15時まで英語の勉強をした。夜は喫茶店ですごすつもりだったので、昼間のうちにジョギングをすませておこうと思い、ストレッチをして運動着に着替えておもてに出た。せっかくの日中であることであるしたまには趣向を変えて鴨川を走ろうと思って河川敷にくりだしたが、勉強中に食しておいたバナナ二本ではやはり圧倒的に物足りなかったのか、激烈なる空腹のためにすぐに息がきれ、のみならず胃の腑のあたりに気持ち悪さをおぼえる始末で、しかたがないので走ったり歩いたりをくりかえしてゆっくり北上した。河川敷を北上するのははじめてだったが、南にくらべてひと気も少ないだろうと踏んでいたこちらの考えは見事にくつがえされ、こちらはこちらでたいそうな人出であり、芝生にたむろする大学生のサークル集団もいればベンチに腰かけて一眼レフを操作するサブカルガールもいるしコートでテニスにはげむ人影もあるし、もちろん例によって犬を連れてあるく人々の姿もジョギングするひとびとの姿もある。橋から次の橋までの距離をしめす石碑のようなものがあったのでそれを参考に往復だいたい5キロになるようコースを設定したのであったが、しかしぜんぜん使い物にならなかった。ひさしぶりに空腹時の運動というもののつらさを底の底から味わった。減量中のボクサーというのはすごいと思った。亀田兄弟を尊敬する。
 スタート地点にもどったところで芝生のうえに腰かけて休憩した。シロツメクサと名前のわからない黄色い小粒の花(調べてみるかぎりコメツブメクサというのがそれらしいが似たような花がおおいので確言はできない)が一面の緑色のなかでおだやかな差し色としてやわらかく映えているのにとりかこまれながら肩で息をきらしているじぶんを俯瞰する瞬間があった。春だと思った。ミツバチがぶんぶん飛びながらときおりシロツメクサの白い花のうえに着地し、かと思うとすぐさま離れてしまう、そのくりかえしをながめながらムージル「グリージャ」のあの美しい描写を思いだした。近くのベンチには柴犬を連れた初老の男性が腰かけていた。男性はすこしJさんに似ていた(前科のない光属性のJさん!)。腰かけているこちらのそばに餌をねだりにやってきた鳩らのほうを柴犬は一心不乱にながめていた。鳩がほんのすこしでも柴犬のほうに近づくそぶりをみせると、いてもたってもいられないというふうにとっさに腰を浮かし、けれどリードに縛られてある身を思い出してやきもきする、そんな仕草がいかにも幼子めいてかわいかったのでぼんやりとながめていた。飼い主の男性もまたそんな飼い犬のそぶりをながめながら、ときおりおなじまなざしでことの一部始終を見守るこちらに目配せを送ってみせた。春の日にふさわしいひそやかな交感だった。
 下宿にもどってからシャワーを浴びた。ずっと以前に大家さんからいただいていたバニラ味の棒アイスを二本食べてから薄手の春服に着替えてブルジョワスーパーに出かけた。家賃を支払わなければならなかったが、銀行にでかけるのが面倒だったので翌日にまわすことにした。スーパーで海ぶどうが販売されているのを見て、久米島の記憶がすばやく脳裡をよぎった。また夏が来る! 下宿にもどると蒸し暑かった。窓のない部屋がいよいよ地獄の本領を発揮しつつある。
 玄米・納豆・冷や奴・もずく・茹でた鶏胸肉・レタスと水菜と赤黄パプリカとトマトのサラダをかっ喰らった。それから『族長の秋』を片手に寝床にもぐりこんだ。眠気をもよおしたところでいつものように毛布を頭までかぶったうえで右手首から甲にかけてを閉じた目のうえにのせて眠りを招きよせようとしたが、蒸し暑さのせいでうまく寝つけずうとうとするにとどまった。そう、これが夏の夜の寝苦しさだった! 20時過ぎに身を起こしてからiPodの収録曲を入れ替え、外着に着替えた。去年まではまったくもってふつうに着れたはずのSサイズのTシャツがパツパツになっていて、やはり身体がひとまわりでかくなっていると思った。姿見にむきあってみると、胸のあたりが気持ち悪いくらいに盛りあがっていて、二の腕と袖口の隙間もずいぶんせまくなっているようにみえた。首だけはあいかわらずクソ長かった。じぶんの首はカレン族の少女らのものよりもずっと長い。ならんで映っている写真を目にしたTに爆笑されたこともある。
 21時前から喫茶店に出かけた。0時ごろまでかけて「G」を改稿し、ブログをここまで書いた。枚数は変わらず259枚。通し番号は97番まで進んだ。どうしてこの程度の記述でいけると判断したのだろうかと一年とちょっとまえのじぶんを疑うようなレベルのものがたびたび認められるというかほとんどがそんな具合なので、消去と全面改稿のたびかさなるくりかえしとなっている。「G」の文章には緊張感がなければいけない。だらしなさの許されるたぐいの作品ではない。作業を終えた店内にすこしだけ居残って30分ばかしYさんOさんとおしゃべりした。Yさんは出会い頭に前回はどうもつたない感想で申し訳ないといった。それからあとは「A」について触れようとしなかったのでよかった。パソコンをシャットダウンして耳からイヤフォンを引っこ抜いてふうとため息をつく作業終わりの儀式を見守っていたらしいOさんがとつぜん腰痛はまだひどいのとたずねるので、最近はそうでもない、ジョギングをはじめてアーロンチェアを使いはじめてから一気にマシになったと思うと答えた。なんでも腰痛にきく中山式とかなんとかいうアイテムを持っているらしくアレだったらそれを貸してあげるというので、それじゃあまたお願いしますと応じた。Oさんはわりと最近フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』を原文で読んでみようとしたらしいのだけれど、あまりの語彙の豊富さに太刀打ちができずに投げ出したといっていた。こんなものいったいどうすれば日本語に置き換えることができるのだと疑問におもって村上春樹訳のものまでわざわざ購入してたしかめたのだといった。Tから先日日本人連中とつるんで遊びまくっているというメールが届いたといったら、Qさんふくめてみんなどっと笑った。
 1時ごろに店をあとにした。パンの耳を持っていくかとたずねられたが、冷凍庫がすでにパンク寸前であることを伝えた。こちらが引き取らないかぎりは廃棄されるものらしい。ほかのお客さんでほしがるひとはいないんだろうかと思った。Oさん宅前を通りかかるとちょうど玄関から一足先に帰宅していたOさんが出てくるところだったので、おやすみなさーいと声をかけて角をまがり東進した。帰宅してからパンの耳を2枚食べ、『族長の秋』を一時間ほど読んだ。眠気をもよおしてきたので布団にもぐりこんだ。英語も執筆も三時間のノルマをこなすことができたが、読書だけが条件に満たなかった。なかなかうまくいかないもんだ。3時消灯。