20140516

 街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃ってしまったあとは風の音も変って行った。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍てはじめた。そんな夜を尭は自分の静かな町から銀座へ出かけて行った。そこでは華ばなしいクリスマスや歳末の売出しがはじまっていた。
 友達か恋人か家族か、舗道の人はそのほとんどが連れを携えていた。連れのない人間の顔は友達に出会う当を持っていた。そして本当に連れがなくとも金と健康を持っている人に、この物欲の市場が悪い顔をするはずのものではないのであった。
梶井基次郎「冬の日」)

 「夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍てはじめた」!!!!



 12時にめざましで起きた。いちど10時半にめざめて、しかもかなりくっきりとした起き抜けの感触があったものだから、習慣の力ってのはなかなか強いもんだなとあらためて感嘆したものの、ここで起きてしまうと夕方がちょっとつらくなるかもしれんと思ったのでがんばって二度寝した。とちゅうで大家さんが玄関の引き戸をあけてなにかしら呼びかけていたような記憶があるのだけれど、ひょっとすると夢だったのかもしれない。記憶と夢がここまで拮抗してどちらともつかないということもなかなかない。
 歯を磨くべくおもてに出ると夏の日射しだった。むきだしのうなじがじりじりした。部屋にもどってからストレッチをし、パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。それから昨日付けのブログを書きだしたのだけれど、『族長の秋』の感想が思っていたよりも長くなってしまってえらく時間がかかってしまった。終盤に登場する拷問男が妙に印象に残っていて、彼が登場したとたんにページをめくる手が止まらなくなった。あるいはこれはあやまりかもしれないけれども、彼だけがほかの登場人物とちがってその登場を先取りされておらず、半端ない存在感とともにいきなり登場しいきなりフェードアウトし、そういう惜しみない贅沢なキャラの消費のありかたが、たとえばガス・ヴァン・サント『エレファント』の終盤に登場する黒人男性のパートにも通じるところがあって、そこがすごくよかった。魅力的だった。感想文を書きながらとちゅうで洗濯機をまわした。書き終えて干し終えるとすでに16時だった。ジョギングに出かけたかったが、空腹だった。さてどうしたものかと思った。
 とりあえず早めの夕飯をとることにし、ジョギングは夜中にまわすことにした。玄米・もずく・茹でた鶏胸肉・水菜とトマトのサラダのやや控えめの夕食をかっ喰らったのち、読書をするつもりだったのだけれど案の定眠気がきざし、かといって仮眠をとるわけにはいかない金曜日であるので喫茶店に出かけることにした(今週は外で作業ばかりしている!)。この選択は正解だった。食後の眠気が屋外の緊張感であるていど相殺されるところがある。店に入るなりカウンター席に腰かけているMちゃんからこんにちはと声をかけられたので、少しだけ世間話をした。Mちゃんは阪大の院への進学を考えているみたいだった。ぼろぼろの貸し出し本を持っていたので見せてもらうと、社会学の入門書だった。京大院進学計画を打ち明けてみると、それほとんど詐欺じゃないですかと苦笑していた。『レトリックと人生』を読みすすめ、昨日づけのブログに手を加えた。20時半に達したところで店を出た。夕刻の喫茶店は客の出入りが落ち着いていて、たいそう居心地がよかった。
 帰宅してから昨日付けのブログを投稿した。ジョギングに出かけるのが面倒になったので、ダンベルを用いて筋肉を酷使した。風呂に入りストレッチをした。カフェから下宿までの道のりをたどりながら見上げた明け方の空と澄んだ空気とそれらがもたらすとびきりの解放感と、昨日のそういうもろもろが今日いちにち歯痛のように離れてくれず(ちなみにこの「歯痛のように」は刃牙が梢ちゃんに告白するときに用いる比喩である)、とても貴重でたいせつなほとんど憧れめいたものとして何度となく反芻されて、そうかおれはもっと自堕落に生きたいんだなと思った。いまはたとえ週二日とはいえ仕事があるからそれに備えて一週間のスケジュールを組み立てざるをえないところがあるけれども、もし仕事を完全に辞めてしまいさえすれば、好きなときに起きて好きなときに寝て好きなときに書いて読んで観て聴いて勉強してと、そういうふうに時間割なしで生活することができるのかと、それはおおげさかもしれないけれどもでもたとえばいまみたいに生活リズムが崩れてしまうからという理由で深夜から明け方までカフェで過ごすのにためらいをおぼえるみたいなことはきっとなくなる。そういう生活がいいと思った。もっと自由に、それこそ大学一年生や二年生のときみたいに朝の八時だとおもって玄関を出たら真っ暗で夜の八時だったみたいな、ああいうことがじっさいに起こりうるくらい適当でのらりくらりした日々をずっと送りたい。だからそのためにはやっぱりお金がいるなと思った。お金がいる。『A』をW文学の編集部に送りつけてみようかと思った。事情を記した手紙を添付して? むかし、それこそまだ小説の読み書きをはじめたばかりのころ、知らない作家の名前に出会うたびに手当たりしだいウィキで調べていたりなんかして、そうすると若いうちはぜんぜん評価されず苦渋をなめつづけることを余儀なくされた作家や、あるいは死後ようやくその才能が評価されるにいたった作家なんかの経歴にたびたびぶつかることがあって、そのたびごとに同情し、と同時に尊敬し、それでもってときにひそかに憧れさえしたものであったけれど、まがりなりにもじぶんがそのような立場に置かれてみると(局地的な評価こそ得られているものの事実上黙殺されているに等しい)、こんなにももどかしいこともなかなかないなと思うくらいにはやはりみじめで、そうしてすこし途方に暮れる。売れたい。お金が欲しい。わがままに生きることをなかなか許してくれないこの社会で、言葉ひとつを武器にどうにかしてそのわがままを勝ちとってみたい。月10万あればいい。月10万、じぶんの好きこのんで書いたもので稼ぐことができれば、あとはもうなにものぞまない。それ以上欲するものなんてあるはずもない。じぶんは欲深い!