20140521

(…)君の手紙にまた手紙をくれとあったからすぐ莫大なものをかこうと思ってかき出したのだが、この景気だったら、何百枚の長篇でも出来そうだ。小説をかくとなるとなぜあんなに固くなってかけなくなるのか不思議で仕方がない。昨夜はすこしかきかけたのだが二三時間かかってわずかに四五枚しかかけなかった、それも面白くないものだ。これにはまた気乗りがなかったことも事実なのだが、俺は気乗りせずともかいてゆくうちに随分気のりする時があるからそれをあて込んでいたのだ。実際自動車を動かす前に前でがりがり変てこなものをまわすように小説をかくのにもこれで行って成功する時がある。ゲーテも云っている。満風を帆に張って自由自在に乗り廻す前に、船乗りは岸から沖まで骨折って漕ぎ出さねばならん――なんて俺もなかなか物知りだ。その小説の条(くだり)を話してもよいが話してしまうと経験上、創作に移す興味がへるから云って威張りたいんだが止(よ)す。しかし近々傑作が見てもらえるだろう。――これ位のことを云ってさえ興味が減るのだ。
梶井基次郎 手紙)



 10時にめざましで起きると肌寒かったのでTシャツのうえにスウェットを着込んで30分追加でまた眠った。起きて、だるいなと思いながら半ばうつらうつらしつつ歯を磨き、おもてに出ると雨はやんでいた。水場で口を漱いで顔を洗って小便に立ち、部屋にもどってから布団をたたんで端によせて、気乗りしない身体をむち打ってストレッチをした。背中がいつもに増してきしむようだった。雨のせいかもしれないと思った。
 洗濯機をまわしてからパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。読書メーターに『A』の感想があらたに追加されているのを見つけた。ここにきてようやくのマイナス評価と呼べるものだったが、感想の書き手自身がそう断っているとおり、なにひとつ示唆を与えてくれるわけでもない「趣味」の表明にすぎなかった。仮に『A』が新人賞を獲得して出版されたとして、そのときamazonレビューにはおそらくこのような感想が書きつけられるのだろうと予想していたとおりのものだった(ほかに予想していたのは「剣と魔法」式の物語に還元して批判するというものだがこれは先日Yさんが見事にやってくれた)。たとえば歴代の芥川賞受賞作のレビューをざっとながめてみるだけでも、そこにどれほどおおくの「共感できない」「感情移入できない」がまきちらされているか、やすやすと見て取ることができる(ふしぎなことにふだんは本を読まないけれども芥川賞受賞作だけはなんとなく手にとってみる層というのがこの国には一定数ある、ゆえに受賞作のレビューは「荒れる」)。小説というものが共感をベースとして読者をなぐさめはげまし勇気づけるそのようなサプリメントとしての役割をもとめられていると指摘されておそらくひさしいけれど(というかそれは小説ばかりではなく映画でも音楽でもそうなんだろうけれど)、ひるがえってこの社会はいつまで共感と排斥の蜜月関係を維持したまま未成熟にひらきなおってみせるんだろうかと思う。
 村上春樹の小説がベストセラーになるのはしかし共感ベースで考えるとすこしおかしいかもしれない。じぶんの知るかぎり彼の小説には共感や感情移入を許すことのできる「心理」など書きつけられていない。村上春樹にとって「心理」や「内面」というのはすべて村上春樹村上春樹たらしめるあの現実から非現実的へとずるずるとなだれこんでいく動線のうちにこそ(なかば秘教的に)装填されてあるのであって(彼の小説においてはしばしば「世界」と「内面」は一致する)、「心理」や「内面」の体裁をよそおいながら描写されているくだりは一種の断りにすぎない。じじつそれらはおしなべてひらたく類型的であり、表面に徹していっさいの「深み」を捨象している(それは「(近代小説的な)人間」にたいする「(ポストモダンライトノベル的な)キャラクター」の関係に少し似ている)。前者の方法論が成功した結果として「共感」を呼びまねいているのだとしたらまだしも、作家自身もおそらくは意図的に「浅さ」に徹して書きつけているであろう後者の「心理」や「内面」が共感の呼び水として作用しているのであるとしたら、ちょっとこれはどうしようもない。ひとむかしまえに携帯小説が若者らのあいだで爆発的に流行したのと同じで、既視感をなぞる快楽だけが読者を呼びこんでいるということになる。そのような読者はみずからの五感を補強するばかりで、みずからの五感をうらぎり否定しそれどころかときに異物をさしむけてくる、そのような凶暴さをはらみもつ過激な小説を疎んじて忌避する。メロドラマのはじまりだ。
 昨日付けのブログを投稿し、今日付けのものもここまで書き記した。洗濯物を干して部屋にもどると12時半だった。英語の勉強を規定どおり三時間こなした。それから腕立て伏せをして、スーパーに出かけた。帰宅してから一時間ほど『虚構まみれ』を読んだ。玄米・納豆・冷や奴・もずく・にんにくと塩といっしょに茹でた鶏もも肉(胸肉よりも安かったのだ)とブロコッリー・水菜とトマトのサラダをかっ喰らうと 19時すぎだった。『虚構まみれ』を片手に布団にもぐりこみ、眠気を催したところでめざましを15分後にセットして消灯した。そうして20時前に起きた。
 近所にあるカフェが23時までオープンしているという情報を知ったので行ってみるつもりだったが、だんだんとめんどうくさくなってきた。いつもの出不精がまたもや出かける直前になって発症したというわけだった。はじめての店におずおずと入りこむあの気詰まりな瞬間を思うだけでもういいやという気持ちになった。座席数のそれほど多くないらしいのがまたいけなかった。ゆっくり作業をして過ごすことのできる場所がいいに決まっている。ひとまず風呂に入った。部屋にもどりストレッチをし、せめてネコドナルドかサイゼリヤにでも出かけようかと思ったが、それすらもがめんどうくさくなってきた。覚悟を決めてチェアに腰かけた。21時だった。
 「G」のテキストファイルを開いたのち、Skypeにログインした。作業中は邪魔をされたくないのでいつもログインしないのだが、今日にかぎってはおもてに出なかったその埋め合わせとしてコンタクトがあればだれでもいとわず応じようと決めたのだった。すると30分後にいきなりSから着信があった。回線の具合がよかったらしくビデオがつながった。元気そうだった。ちょうどランチの時間らしくカメラのフレームから見切れたむこうにあるものをなにやらパクついていた。最後のプレゼンだかテストだかが来週水曜日にひかえているといったが、あまり参っているようにはみえなかった。一時間ほど通話した。去年の夏にくらべるとやはり圧倒的に、目に見えてしゃべれなくなっているじぶんがいた。二十四時間つきっきりで彼女の相手をしていたわけだから、あれはやはり経験の質としてはなかば留学しているようなものだったのかもしれないと思った。土日の出勤日以外は日本語をほとんど使わない日もざらだったのだ。あなたはあいかわらずマムに連絡をとっていないの、とSはいった。わたしなんていっしょに住んでいるにもかかわらずお昼には職場にいるマムに電話をかけておしゃべりするのよ。離婚してからははなれて暮らしている父親とも月に五、六回は電話をするといった。けれどそれは一般的にはcold relationshipとして見なされるような頻度にすぎないのだと続けた。月に五、六回コンタクトをとっていてcoldだというんならおれはありとあらゆる人間にたいしてfrozenということになるといったら大笑いしていた。思い出した、でも最近母親から電話があったんだった、本を出版したのがどういうわけか彼女の耳に入ったらしくてそれで、というと、あなた家族に出版のことをしらせていなかったの! とほとんど悲鳴のような声をあげておどろいてみせた。わたしの家族やいとこたちでさえ知ってるのに肝心のあなたの家族が知らないなんて! lost your mind みたいな言葉があって、文脈的に冷血人間みたいなアレかなと思ったのだけれど、あとで調べてみたら気が狂っているという意味だった。それからひとしきり信じられないだのあなたはどうかしているだのとあったのち、どうして日本人は家族と頻繁に連絡をとりあわないのかと問われた。英語で会話をしているとどうしても英語で考えようとするからそんなむずかしい質問にたいする答えが出てくるわけもなくて、むしろどうしてきみたちヨーロピアンがそこまで密な家族関係を作るのかと問いかえした。家族は最小かつ最重要なユニットだからみたいな返事があったのち、両親にしろ祖父母にしろいずれ死ぬしきっと長くもない、そういうことを考えるとそのまえにたくさんおしゃべりしてハグしてキスしようという気になるのよ、みたいな言葉がつづいた。わたしじぶんの身におきた出来事や考えこと感じたことぜんぶマムとシェアしなきゃ気がすまないわ、たとえばペインティングをしているときだってすぐにマムを部屋に呼んでこれについてどう思うってたずねるんだから、とあったので、大笑いしてしまった。いぜんも思ったことだけれど、ヨーロッパ人の(そしてTによるとアメリカ人もやはりそうらしいのだが)過剰なまでの「家族愛」にまつわる実例をこのように目の当たりにするたびに、その家族を桎梏としてとらえる精神分析が彼の地で生まれたのは必然的な歴史的帰結だったのかなという気がするし、ラカン精神分析はあくまでもヨーロッパ(人)に有効な術であって日本(人)に有効であるとはおもえないと、邦訳されたなにかの序文で書きつけているという話を思いだしたりもする。アジア人はみんなそうなのとたずねるので、日本以外の国のことはよくわからないけど少なくとも日本にかぎってはじぶんみたいなのはそんなにめずらしくないだろうと答えた。絶縁しているわけでもなんでもないけれど実家には十年以上帰っていないみたいなひとだってたぶんふつうにいると思うよ、おれはなんだかんだで盆と正月には帰省しているしけっこうkeep in touchしているほうだと思うけど、いろいろトラブルをかかえた家庭で育ったわりにはなかなかうまくやってるほうじゃないかな。それから本の売り上げの話になり、執筆の進展具合の話になった。今日も外で作業をしようと思ったのだけれどけっきょく面倒くさくなって部屋にとどまってしまった、外に出たほうが精神的にいいってわかっているんだけど、というと、あそこのカフェに行くといいわとSが世話になっていた有名店の名前を出した。わたしあそこでずいぶんお世話になったのよ、というので、知ってるよ、と応じると、どうして? とあったので、いっしょに沖縄に行くまえにきみから聞いていたし、それにじつをいうとケンカしてきみが家を出ていったあとバイトからの帰り道にきみがあのカフェにいるのをいちど見たんだ、だからおれの部屋を出て行ってからはあそこで世話になっているって知っていた、と告げた。むかえに行こうかと考えたこともある、でも行かなかった。どうして? stubbornだから。ほんとうにね! それからしばらくして例の恋人と二ヶ月前に別れたのだと切りだされた。どうしてとたずねると、過度に依存しているじぶんがいやになったのだと返事があった。ということはきみから別れを切りだしたの? ええ。彼はなんていってた? “Are you sure?”それだけ、それでおしまい。こんなときどういえばいいかちょっとわからないな、テキストに載ってないからと軽く冗談めかしていうと、very goodでいいわよとあったので、そのとおりに口にした。でもべつにそんなに気を遣ってもらう必要なんてないわ、じっさいこの二ヶ月のあいだにわたしもう何人かとデートしてるんだから、もちろん失恋して泣いて悲しんでしたわよ、でもそれでおしまい、うじうじしててもしかたないじゃない、というので、盛大に笑った。それから、おれはきみのそういう性格けっこう好きだ、といった。会話が途絶えがちになったところで、あなた書きたいんじゃないの、わたしがコールしたとき書いている最中だったんでしょ、とむこうから助け舟を出してくれたので、そうだね、そろそろ作業にもどることにするよ、と応じた。それからカメラにむかって両手でバイバイして相手が通話を切るのを待った。いつもの儀式だった。
 Sとの通話をおえるとめずらしくTがログインしているのに気づいたのですぐにコールした。つながって、解像度のずいぶん荒いボサボサ頭のTが映った。歯ブラシをくわえているようにみえたが、すぐに切れた。回線が弱いようだった。しばらく出ては切れ、出ては切れ、をくりかえした。ちょっとこれは無理そうだ、あきらめる、とメッセージを送った。すると今度はむこうからコールがあり、出ると声がちゃんと聞こえた。けれど時差がひどかった。ひとむかしまえの衛星中継よりもずっとひどい時差で、こっちが小さいボケをはさんでから話の本題にとりかかるそのたびごとに遅れて聞こえてくる笑い声に肝心の本題を邪魔されて、というのを延々とくりかえすはめになり、まったくもって話にならなかった。勉強してんのか、とたずねると、遊びまくっている、と返事があったので、その言い切りのよさに笑った。日本人ばかりの、それもTがトップクラスの成績のもちぬしとされるような環境である。放課後などは日本語が飛び交いまくっているくらいだ、とTはいった。一日六限の授業を終えたところで時間はたっぷりあまっている、そのあまりの時間を勉強にはあてずどうも外遊びに費やしているようだった。帰国後の予定はどうするのかとたずねると、地元にある工場で半年ほど働いて荒稼ぎして、そのあとはオーストラリアにワーホリにいこうかなと思っているといった。オーストラリアではがんばれば一年間で200万円くらい貯金することができるのだという。勉強もかねることができるわけであるし、それだったらたしかに一石二鳥だと思った。いいな、おれも行きたいわ、ともらすと、来いよ、いっしょに行こや、とあった。でも一年間小説書けやんわけやろ、それはちょっとなー、というと、そもそも働かなあかんしな、もうその時点であんた無理やん、とあって、まったくもってそのとおりだと思った。Sも大学卒業したらオーストラリアに行くかもしれんっていうとったしな、なおさら行かんほうがいい気がしてきた、というと、いやいやそれやったらぜったい行かなあかんやん、とあって、たしかに時期的にも舞台的にも三度目の夏を過ごすには申し分ないのかもしれないと思うところはあったけれど、あの天上天下唯我独尊っぷりがたびかさなる記憶の美化作用にあらがい刻印されてあるうちはどうしてもその気になれそうにない。
 30分かそこら通話したところで時差にたえきれなくなったので、どうせじきに帰国するんやしもうええやろ、めんどいわ、と笑いながらいうと、あんたとはもうたぶん二度とSkypeすることねえな、とやはり笑いながらの返事があったので、そんじゃあまあ元気でといって通話をきりあげた。コーヒーをいれて席にもどると23時だった。あらためて「G」にとりかかった。2時までグールドのフーガの技法をおともに改稿作業に従事しつづけ、結果マイナス2枚で計263枚となった。通し番号は106番まで。ふたつの断章を削除した。とちゅうからちょっとした頭痛に見舞われたのだけれど、ヘッドフォンやめがねのしめつけのせいなのか、それとも肌寒い夜に薄着でいたそのせいなのかよくわからない。パンの耳2枚を作業終わりにたべたらすこし気持ちわるくなった。神経が疲れているのかもしれないと思ったが、単純にバターを塗りすぎただけという可能性もある。それからここまでブログを書きつけると4時をまわっていた。歯をみがいて『虚構まみれ』片手に布団にもぐりこんだ。むきだしのすねやひざが掛け布団のしっとりとした冷たさにふれるのがじつに心地よい季節。