20140524

 外面から見れば実に静かな生活だ、昼頃起きて昼飯を食ったら紅茶をのんで机の前へ坐る、少々の覚えがきをしながら考えている、その状態で夜半の三時四時頃までいる。外面から見ればこれほど静かな生活はない。しかし内は火の車だ。
 それが苦しいか、堪え切れないかと云えばそうじゃない、そんなことを云えば偽りがある、楽しいか、そうでもない。考えて、その続きを考えずにはいられない。――とにかく外面からこの生活を壊してかからなければおれは思考――思考でもなさそうだ。
 果なき心の彷徨――これだ、これを続けているにきまっている。それが一つの問題が終らないうちに他へ移る。いやそうではなしに一つの問題を考えると必然次の考えへ移らねばならなくなる、それが燎原の火のようにひろがってゆく一方だ。これの連続だ、しかしこれも疲れるときが来るのだろう。
 おれは今心がかなり楽しいような工合だからこれがかけるのだが、これも鬼の来ぬ間の洗濯で、あとでこれをかいたことの後悔が来るにきまっているのだが、俺は今何かに甘えてこれをかいているのだ。
 いくらかいてもきりが来ない。もうこれ位でよす、これをかいたことで後悔が来るのは覚悟をしている。しかしその後悔する時の心もその次の状態でさばかれる。
 この手紙はさばかれるだろうが、さばく奴に権威のある奴はない――こう思って書きやめる。
梶井基次郎 手紙)



 6時20分起床。歯を磨き、顔を洗い、なかば寝ぼけながらストレッチした。パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとりながらウェブを巡回していると、読書メーターのほうにまたあらたな感想が加わっているのを発見した。前回にひきつづき否定的な評価だったのだが、しかしこの評価、このタイミング、このアカウント、どうにもにおう(と、書いたところでこの文章のリズムは『タクティクス・オウガ』で風使いカノープスが暗黒騎士アンドラスに戦闘中語りかける台詞「その肌、その顏つき、貴樣はボルマウカ人だな?」におおいに影響を受けているのを自覚した)。まずこのアカウントは『A』以外の感想を書いていない。いいかえれば『A』にたいする否定的感想を書くためだけにわざわざアカウントを作成したということで、このあたりにしてからがまず単なる感想文の公開には回収しきれない別種の意図らしきものの介在を思わせる、そうした営為とは無縁の目論みを見据えて遂行された行為のありさまを想像せしめてあまりある。くわえて、初読の人間でも元ネタを見極めることのできる作りになっているとはいえ(そしてそれ相応の目配せも仕込んであるとはいえ)、それにしてもどんぴしゃで「ムージルRPG的世界観」とくるあたり、この感想の書き手は、自作をそのように規定する趣旨の発言を再三にわたってくりかえしていたかつてのブログの読者、とまではいわずとも少なくとも何度かあそこをおとずれたことのある人物である可能性が高い。つまり、書き手は『A』の存在を以前より知っていた。それならばなぜいまこのタイミングでこうした感想を書き記すにいたったのか? 作品そのものの評価とは別の文脈で要請されたにちがいないそのレビューの投下にあたって、好評続きの流れを(そうした流れをかたちづくる文脈とは異質の文脈でもって)ぶったぎるにあたってのためらい、一種の汚れ仕事に直接着手するにあたっての葛藤があったから、というよりむしろ、処女地に最初に足を踏みいれたものとして耳目をひくことにたいするおそれがあったからと、ひとまずはそういうふうに考えてみることもできるだろう。つまり、あからさまな手管によっておのれの意図の露出するのをおそれたその躊躇によってタイムラグが生まれた、と。そこに偶然、第三者があらわれた。ひとめをひかざるをえない例のひと仕事がその手によって果たされた。となればあとはたやすい、アリバイの獲得にともなう解放感に身をゆだねて心置きなくくだんのレビューを投下すればいいだけである――と、だいたいにしてそのような筋道を描いてみることもできなくはない。肝心のレビューがその秘められた意図と目論みを果たすにはあまりにも説得力に欠け、すでに文章に親しんでひさしい力のある書き手特有のたしかなリズムと絵面をあわせもつ文体の印象とはうらはらにふたしかな論理の継起をともなっているあたり、作品そのものにむけられているわけではない、むしろ書き手たるこちらにむけられたひとつの強いまなざし、そしてそこにやどる少なくとも決して“flat”などではない感情のかたむきをひしひしとおぼえもする。これは状況証拠のみを材料として論理をつぎはぎした乱暴なプロファイリングにすぎない。しかし見当はずれのでまかせというわけでもやはりない。
 寝間着から私服に着替えてデスクの上に置いたままになっていた眼鏡をかけようとしたところで、右のツルがいきなりぽろりとはずれてしまったのでぎょっとなった。マジかよ四万円もしたのに! と思いながらあわてて拾いあげて観察してみるに、どうもレンズとツルを結ぶ関節部にあたるところの極小のネジがはずれてしまったらしかった。こんなちいさいものきっと見つかりっこないぞと思いながら、時間もさしせまっていたのでししぶしぶ裸眼で家を出た。土曜出勤のさいにはかならずといっていいほど下宿の近くですれちがう金髪の、いつもクソ生意気な表情を浮かべてガンを飛ばしてくる大学生のそのクソ生意気な表情を、間近ですれちがうまでそれとして認識できなかった。
 出勤するなりFさんに眼鏡の一件について話した。Fさんは眼鏡が大好きらしく、フレームがどうのレンズがどうのといくつかの専門用語を用いながらなにやらいろいろと語っていた。かれこれ一年半ほどだまされていたことになるわけだが、いつもかけている黒ぶちは伊達眼鏡らしかった。これまで眼鏡をかけていない女の子とつきあったこともないといった(Fさんが女性との交友関係について口をするのをはじめて聞いた)。スペアの眼鏡が欲しいというと、メタリックなフレームのちょっとインテリっぽいデザインのやつを買ったらいい、そうすればきっと作家っぽくみえるからとの助言があった。
 Jさんから5000円を返してもらった。パチンコはやはり駄目だったらしい。15000円負けたといった。いつもの損失にくらべたらまだマシなほうだった。パチンコで勝てばみんなを飲みに連れていくと約束してからもうずいぶんと経っていた。勝とうが負けようが今月はみんなにごちそうすると張りきっていた。どうせごちそうするならいいものをとの思いから打ってでたギャンブルだったが、失敗に終わった。終始、面目なさそうな顔をしていた。別になにからなにまでおごってもらう必要もないのだしといっても、なかなか納得のいかないようだった。結局、来週の金曜日に四人で飲みに出かけることになった。串カツをいちども食べたことのないというこちらの発言がきっかけとなって、その手の店に予約をとることになった。食べ放題でも飲み放題でもない串カツ屋は高くつくらしく、Jさんの予算ではきっと足りない、きっと足りないその分をほかの三人で出し合うという運びになった。Jさんはやはり不満そうだった。財布の紐を握っているお姉さんのところへいってどうにかして一万円借りて、それでまた来週勝負に出ようと考えているらしかったので、それだけはだめだとみんなで制した。制していうことを聞くようなひとでは当然ない。
 夜の職場に出かけるまえのYさんと小一時間ほどしゃべった。地震原発、オリンピックなどが話題にでた。Yさんはレイシスト寸前の嫌韓・嫌中主義者なのでふだん政治的な話はしない。たがいがたがいにその手の話題を回避し、触れざるをえない場合はときおりの牽制でもって相手の出方をうかがい距離をはかるようなところさえある。個別の事例をひとつずつ判断しないところがおそろしい、といった。極論をいえば、天皇制を支持し改憲には反対で辺野子移設には賛成し原発には反対で南京大虐殺はたしかな史実であるとし竹島は日本の領土と主張する、たとえばそのような人物像がもっともっと流通してもいいはずだと続けた。あるトピックにおいて意見の対立した相手を基準とし、その他数多くのトピックにおける自己の立ち位置を規定してみせる、「あいつらの逆をいけ!」式の思考回路の持ち主が多すぎると総括したうえで非難すると、おっしゃるとおりという返事があった。熱心な自民党支持者でありながら福島の原発問題についてはかなり暗い見通しをもっており政府の発表をいっさい信頼していない、そのようなみずからの立場を噛みしめているようなあいづちだった。
 帰路、交差点でたちんぼする警官の姿をちらほら見かけたので、移動中の勉強をあきらめざるをえなかった(クソいまいましい話だ)。職場で早めの夕飯をとってあったので、コンビニで五穀米と野菜と鶏肉の入ったおかゆみたいなのとコーヒーだけ買って帰って、レンジで温めてから食べた。デスクの上に極小のねじがひとつ転がっているのに気づいてマジかよと思った。ボディピアスのでっかいキャッチはしょっちゅうなくなるくせにパン屑大のこんなものにかぎってなんの苦労もなく見つかるとは! ドライバーでねじねじしてみたらうまくいった。ついでに緩んでいた左のほうのツルも締めなおした。特殊な機具も技法もなしでやれるものなのかと肩すかしをくらった気分だった。それから風呂に入った。出たところで大家さんに呼びとめられて、バニラ味の棒アイスを二本いただいた。大家さんはアイスをくれるときいつも、冷たいのありますさかい、という。
 部屋にもどりストレッチをしてからここまで一気呵成にブログを書いた。読みなおしてから投稿した。1時すぎには『今昔物語』を片手に床に就いた。そうして2時過ぎに消灯した。