20140605

 身近に暮らす者を、すでに自分のいなくなった後のように、眺めることはあるのだろう。死んだら何も見えないはずなので、死者の眼で眺めるのは、まだ生きていることの、何よりのしるしである。(…)
 しかし同じく無数の生者にたいしては、その苦楽はおろか、その時もその存在も知らず、人は死んでいる。その限りで死んでいる、と言うべきところだが、あまりにも広範に死んでいる。自身こそ際限もない闇のようなものだ。知己にたいしても、消息がなければすっかり忘れて、意識の光も射さぬ真っ暗闇だ。死んだら死んだという意識もないと思ってはうなされるくせに、大勢の生を平然として死んでいる。生きながらに、あらかた、死後にある。その死後へ知己がたまたま迷いこんで来て、わたしも死んでいるんで、とあやまっても、それはお互いさまで、といたわるよりほかにない。
 亡者の迷い出るのにそうも劣らぬ、長い道をやって来たはずなのだ。
古井由吉『野川』より「森の中」)



 夢。いぜん住んでいたあばら屋の一階らしいところで匿名的な女性と同棲生活を送っている。同棲ではなく同居としたほうがいいかもしれない。深い間柄ではないらしい。ふたりでこたつの中に入っている。おだやかなひとときとみえる。やがて女は部屋を去る。男の影を追ってのことらしい。女はホテルの一室にたどりつく(認識上はホテルであるが、部屋の造りはどことなくOさんの部屋に似ている)。部屋では嵐のメンバーふたりが激昂して殴り合っている。ドラマの撮影中らしいが、ふたりとも演技に熱中するあまり、見境がなくなっている。取っ組み合いもみ合うふたりが女にぶつかる。あわやというところでベッドに寝転がっていたJさんがシーツの中から拳銃を取りだし、嵐のふたりの太ももをねらって一瞬で撃ちぬく。さすが伊達にふたり殺っるだけありますねと笑いかけると、こりゃ! 女の子の前でそんなん言うなバカタレ! とおどけたように怒ってみせる。
 8時だか9時だかしらないがおもての引き戸が風に吹かれてばたんばたんと派手に音をたてるのを受けて目がさめた。夢の断片を携帯にメモしいちど小便に立ってから部屋にもどり二度寝した(ここ最近、朝方に目がさめるとそのまま二度寝はせずいったん小便に立つようになったのだが、これはつまるところ老化現象なのだろうか? 就寝前にコーヒーを飲む習慣をやめればいいだけの話なのかもしれないが)。めざましは11時にセットしてあったが、身を起こすころには12時近くなっていた。ひさびさに涼しい朝で、布団にくるまってぐずぐずしているのがたまらなく気持ちよかった。
 歯を磨き顔を洗い部屋にもどってストレッチをした。きのうおとといにくらべて背中の調子はだいぶマシになっているようだった。おおきく伸びをしたとき、腰のあたりに一歩まちがえるとなにかがはずれてしまいそうな危うさが走った。ひさしぶりに整体に行きたいと思った。汚くてもいいから金がほしいと連想が続いた。
 パンの耳2枚とコーヒーの朝食をとって、昨日付けの日記を投稿した。その記事の冒頭に置いた古井由吉の小説の断片に、蜃気楼を生みだす蛤にたいする言及があった。これの元ネタってなんだったけと思ってググってみると、ウィキの「蜃」の項目にぶつかって、ああそうだったと納得がいくと同時に、これってひょっとしてFF10「シン」の元ネタでもあるのかなと思った。ずっと英単語のsinに由来するものとばかり考えていたけれど、世界中の神話や民話のたぐいからモンスターやら召喚獣やらを引っ張ってくる製作陣のことであるから、あながちまちがいでもないのかもしれない。
 今日付けのブログをここまで書き記すとすでに14時だった。コーヒーを入れて英語の勉強にとりかかった。途中じつにひさびさに妄想英会話がはじまったので話題の一段落するまで続けた。おかげで規定時間を30分オーバーするはめになったが、しかしこれはリズムにのってきているほかならぬ証拠である。昨日の作文もふくめてようやくしかるべきものがしかるべきところに落ち着きはじめたかなという感じがする。『レトリックと人生』を読み終え次第、英語と作文の二本立てで年内を過ごすことにする。
 英語のテキストに出てきた例文(I can ski, but I cannnot skate.)を読んでいるときにとつぜん思い出した記憶があった。市営住宅に住んでいたころ近所にHさんという家族が住んでいて、わりとうちと親しくしていたようなおぼえがあるのだが、その一家にさそわれていちどスキーに出かけたことがあった。市営住宅から中古の一戸建てに引っ越したのはたしか保育園の年中組のときであるから、五歳以前の記憶ということになる。頭のなかで再生可能な場面は四つきりしかない。ひとつは市営住宅の一室にしきつめられた布団のうえで仰向けに寝転がっているじぶんの視界の一枚絵で、天井には豆電球ひとつが点いたきりの真夜中か朝方か、いずれにせよ出発の時刻がきたということではやばやと眠りの破られた一場面で、むずがり大泣きしたような記憶もないことはないのだが、あるいはそれは弟だったかもしれない。次の場面は目的地におそらく到着したあと、朝方のワゴン車内(これはHさん一家の乗り物だったはずだ)で仮眠をとることになったひとときのもので、幼時はじつに寝付きのわるい子供だったじぶんはここでもまた慣れない車内泊にむずがったおぼえのないこともないのだが、運転席に坐ったHさん一家の旦那さんと助手席の奥さんがなにやら揉めていたような、後部座席のこちらをおもんばかってこそこそと小声でなにやらささやきかわしていたような、それを指摘するじぶんをいさめる母の手もあったようななかったような、かなりおぼろげであやしい一場面のその印象の根元をたぐりよせていくとどことなく性的な気配のようなものがあって、あるいはあのときHさん夫婦は後部座席にわれわれをのせたまま性交におよぼうとしていたのではなかった、そんな気さえする。車内に母がいたのはたしかで、母がいたということは弟もいたのだろう。父と兄についてはわからない。ふたりは父の車にのってわれわれのあとについてきていたのかもしれない。そのほうが現実的な気がする。Hさんの旦那さんの指示にしたがうかたちで父と母とそしておそらく兄がスキー用具を身につけた状態でなにやらカニ歩きのような練習をしているのが三つ目の場面で、まだまだおさないじぶんは橇にでも乗ってそのようすをかたわらからながめていたものとみえる。そしてこのスキー旅行の記憶のなかでもっとも鮮明に、はっきりとした動画として記憶に焼きついているのは、青い橇にのった弟がひとりでに坂をすべりおりていく場面で、おそらくわれわれが目を離したすきに自重に負けて滑降していくことになったのだろうと思い返されるのであるけれど、その橇にのった弟がまるでテレビアニメのヒロインのように泣き顔で片手をこちらに差し出したまま後ろむきに急降下していく一連の光景がすごくすごくすごくはっきりと残っていて、頭のなかでそこを再現するたびにちょっと泣きそうになるくらいせつなさが走ることをあわせて考えると、当時のじぶんにとってその一瞬その光景はおそらく強烈にショッキングなものだった 。弟をのせた橇が滑っていく一場面の真偽についてはたしか小学生か中学生のころ母親に確認をとったことがあるので間違いないのだが、それにしてもあの旅行はいったいどういう契機でもうけられたものだったのか(市営住宅に住んでいた当時のうちはものすごく貧乏だった)、そしてあのスキー場はいったいどこにあったのか(岐阜県? 長野県?)、なぜHさん一家と連れ立って出かけたのか。Hさんの旦那さんはいつもサングラスをかけている若白髪のまじった出っ歯気味のおっちゃんで、釣りが大好きだったからよく釣りたての魚をお裾分けしてくれた(あるいは父に魚を捌いてもらうその手間賃にわけあたえてくれたのかもしれないが)。奥さんは黒ぶちのアラレちゃんめがねをかけていて、たぶん髪の毛がほんのすこしだけ茶色く、前髪がカールしていた。そしていつも白いぶかぶかのTシャツを着ていたような記憶がある。娘がひとりいて、兄のひとつ年下だったからふたりは当時いっしょに小学校に登校していたはずだ。弟もたしかいて、こちらはじぶんよりも年下だったように思うが、はっきりとおぼえていない。ただ後年になっておおいにグレたというような話を聞いた(だいたいどのうちもみんなそうだったが)。息子の名前はおぼえていないけれど娘の名前はおぼえていて、Cちゃんといって、たしか小学校四年生か五年生のころ、学校のプールの裏手に野良猫が居着いていた時期があって、そのとき給食のコッペパンを内緒でもっていてあげたりしていたのだけれど、そこにたまたまCちゃんが友人をひとり連れてあらわれて、あ、Tくん、と、市営住宅を離れてすでに五年以上経過していてそれ以来まったくの没交渉だったこちらの名前をなんのこだわりもなく呼んでみせたそのふるまいにちょっと響くところがあって、すでに思春期にさしかかっていたこちらもこのときばかりはやはりなんのてらいもなく、Cちゃん、と呼びかえしたのだった。Cちゃんの父親は遠方に愛人をかこって家に帰ってくることも稀だったという話を、これもあとになって母親から聞いた。市営住宅にはほかにもいろいろワケわりのひとたちがたくさん住んでいたらしかったが、なんせ幼時の記憶なのであやふやである。住宅の入り口付近にある芝生でショウリョウバッタをつかまえるのが大好きだった。ずっとおじちゃんと呼んでいたひとがおばちゃんであることを後で知った(パンチパーマにサングラスの酒焼けした声の持ち主だったのでしかたない)。そのおばちゃんは近所のスーパーでパート勤めをしており、ガチャガチャやカードダスの前に弟といっしょに突っ立ってじいっとうらめしげににらめっこしているこちらを見かけると、たびたび百円玉を一枚ずつくれたものだった(幼心にも金のないことは知っていたので母にたのんで買ってくれというのはどうしてもはばかられるところがあった)。このおばちゃんの旦那さんは服役中だったとあとになって聞いたおぼえもあるが、あるいはそれは別のひとの話だったかもしれない。猫のIさんというひともいた。このひとは市営住宅のそばに豪華な一戸建てを構えているひとで黒猫を一匹飼っていたから猫のIさんと呼んでいたのだけれど(あるいは猫のおばちゃんだったかもしれないが)、しかしこれもまたあとになってからワケありだったのだと母に聞かされたおぼえがあるのだけれど思い出せない。日記に書きつけた記憶があるので「市営住宅」で旧ブログを検索してみたところ2010年8月17日の記事に以下のごとくあった。

というのは嘘くさいからやめることにするけれど、しかし市営住宅に住んでいたころというのはほんとうにもうどうしようもないほどお金がなかったんだなというのが会話の端々から伝わってくるというか中古の一戸建てに引っ越してからもかなりやばく中学生のときに母親から預金通帳を見せられたときにはマジかよと思ったりしたがそんなことはいまはどうでもよくて、その住宅の隣人らの大半が半ば詰みかけた人生を送っているひとばかりであったことがそれ相応の年齢になった今だからこそ理解でき、蒸発してしまった父親に取り残された母娘息子であったり夫の浮気に気が触れてしまった箱入り女房であったり一糸の乱れもなく不良になっていった子供たちであったり、そういう諸々をしかし絶対的な明るさで肯定してやりたいという光にも似た気持ちだけが妙に湧き出てきてこの感情の意味を知りたい。手持ちのいちばん古い記憶はなにかと問われれば、その市営住宅の廊下で壁にもたれて座りこんでいるじぶんの前を庭先から玄関にかけて黒い物体がすさまじい勢いで通過していき、数瞬の後、今度は玄関から庭先へと同じものが駆抜けていく、その正体がイタチであったことをずいぶん後になってから知ったのだけれど、いずれにせよこの記憶が捏造でなければたぶん二歳とかそんなんで、今でも鮮明、とまではいわぬもののわりかしはっきりと覚えていたりする。

 「蒸発してしまった父親に取り残された母娘息子」がHさん一家であり、「夫の浮気に気が触れてしまった箱入り女房」というのが猫のIさんである。そういえばIさんはたしかにどことなく浮世離れした雰囲気のもちぬしだった気がする(幼心にはやさしくてほんわかしておっとりしたおばちゃんでしかなかったが)。洋風の白い家に住んでいてひろい庭には緑がたくさんあって、その近くを通りかかると黒猫に話しかけているIさんがいて、白と緑と黒のそのコントラストのヨーロッパテイストがとても異質だった。甘いお菓子とティーカップに入った甘くてあたたかい飲み物をもらった記憶もある。深窓の令嬢みたいだった。
 空腹が過ぎてとても筋トレなどできる余力もなかったのでブルジョワスーパーにむかった。木曜日ということは古本市が立っているはずなので、いらない本の処分ついでにおとずれようという魂胆だった。三冊もっていけば一冊と交換みたいなシステムだったはずなのでリュックにクソ本ばかり六冊(その大半がこの古本市でかつて購入したものだったりするのだが)つめこんで出かけた。ざっとながめたかぎりではマイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』と野坂昭如数冊が気になったが、『日本詩人全集 正岡子規高浜虚子』というのがあったものだからなあんてタイムリーなんだろと思ってとりあえずそれをキープしたうえで、もう一冊はちょっと迷ったあげく野坂昭如『生誕の時を求めて』に決めた。
 ブルジョワスーパーに来るときはだいたい美味いもずくが目当てなのだけれど今日は気分転換にめかぶを買うことにしようと思って、けれどいつものスーパーだったら100円ちょっとで変えるはずのがここでは(別パッケージとはいえ)倍くらいの値段をしていて、これどうしたもんだろうかとしばらく迷ったのだけれどええいままよと購入した。弁当が値引きされていたので今日の夕飯はこれで簡単にすませておいて、それで筋トレするなりジョギングするなりしたあとにまたラーメンでも食えばいいやと思ってラーメンの棚をのぞいてみると「十穀らーめん」なるとりあえず身体に良さそうなものがあったので買った(ほかにもベジタリアン用のラーメンなるものまであった)。海ぶどうの売っているのがまた目についてしまって、ほんとカスみたいな量しか入っていないのに数百円とかしてなんだよこれという感じであるのだけれど嗚呼なつかしい沖縄よ! 食って泳いで抱いて寝て流れ星をながめるだけの優雅で気だるい日々の奇蹟よ!
 帰宅してから弁当・インスタントの味噌汁・納豆・冷や奴をかっ喰らった。それからここまでブログを書いた。思い出話のせいで思っていたよりもずっと時間をくってしまった。『レトリックと人生』を片手に寝床に就いてぺらぺらめくっているうちに眠気をもよおしてきたので15分後にめざましをセットして消灯した。
 起きてからさらに本を読み進めた。21時を少しまわったところできりあげ、かわりにダンベルを用いて筋肉を酷使し、そのままジョギングへとなだれこんだ。50番コースを走った。右のふくらはぎがやたらと張っていたので明日にまわしたほうがよかったかもしれないと考えたが、ここで甘やかしてはだめだとむち打った。そのぶんかなりゆっくりと走った。コースの半ばにさしかかったところで両脇腹ともに痛みはじめたが、根性で最後まで走り抜いた。帰宅してみると35分しか経過しておらずいつになく早いペースだったのでどうしてだろうと思った。シャワーを浴びて部屋でストレッチをし、ニュースサイトをチェックしているときに目にした女児殺害事件の犯人の顔に思い当たるものがあった。顔立ちではない顔つきの年齢不相応なこのあどけなさには見覚えがあった。弟だと思った。この正月に坊主頭にした弟を見て父は幼い顔つきだとため息を漏らした。社会に出ていないから、と続けていうのに、弟は紋切り型の言説を馬鹿にしてみせるような笑い声を発してみせたが、少々過剰だった。その過剰をして自覚のあらわれではないかと、第三者のこちらは考えたのだったが、それ以上に彼の顔つきのあどけなさ、子供っぽさの印象がなにもこちらの思い違いばかりではないらしいことの判明にこそ驚いた。例の犯人にも就労経験はほとんどないようだった。しかしこの言い方は正確ではない。家族以外の人間との交流がほとんどないからこその顔つきだろう。関係の数だけもちあわせてあるのがほんらいの人間の顔が、その関係のいちじるしい少なさのためになかばひとつの面相に固着する。彼らの場合にあっては家族、というか両親という庇護者のまえにあって弛緩している「子」の顔つきが、顔立ちの域にまで影響をおよぼしている、そんなふうにみえる。
 弟もFもこれから先どうするのか。
 というようなことを考えるとすこし気のぬけたような気持ちになって次の作業にとりかかる気力も捻出できず、小一時間ほどだらだらとYouTube界隈をうろついていた。0時になったところで思いきって「G」に着手した。作業BGMをきっかけにしてタイとカンボジアの記憶が鮮明によみがえり、その解像度がとてもシラフとはおもえないほど高いものだったせいで記憶のほうに意識がどんどん引っ張られていって、途中からまるで作業にならなくなってしまった。また行きたいと思った。行きたくてしかたない気持ちにさえなった。我慢できずにおとずれた土地の名前を画像検索した。するとますます胸がよじれた。涙さえ出そうになった。また行きたい、夏をむこうで過ごしたいと念じた。市場の腐臭が鼻をついた。ホームシックというのはこういう感情のことをいうのだろうかと思った。とどまりつづけたらまずいことになると思われたので、無理やり席をたって空腹でもないのに「十穀らーめん」を食べた。別段美味いわけでもなんでもない。食い終わると2時半だった。気が抜けた。もういいやとなった。就寝準備をととのえてはやばやと床に就いた。『今昔物語』をしばらく読み進めて消灯した。不貞寝に似ているところがあった。