20140607

 ある日、記憶がひとつ、ほかの事に頭を奪われている最中に、ぽっかりと湧いた。すっかり忘れていた事が年月を隔ててあまりあっさり浮かんで、むやみに鮮明だと、記憶ながら外へ眺める。
古井由吉『野川』より「森の中」)



 6時20分起床。勤務日の朝はそれ相応に気が張っているのか、めざましの鳴りはじめる前から眠りがひとりでに座礁し待機の姿勢に入っているようなところがある。いいかえれば、平日に二度寝三度寝と重ねてしまうのは、日頃の生活にたいして緊張感を抱いていないということだ。以前はそうでなかった。しっかり気張ってやらないといけない。
 なかば眠りながら歯を磨き、顔を洗い、部屋にもどってからストレッチをして、パンの耳とバナナとヨーグルトとホットコーヒーの朝食をとった。半袖でおもてに出たのに汗ばむ早朝だった。通勤路をえっちらおっちらやりながらやはりそれ相応には性能のよいイヤホンが欲しいとあらためて思った。かたわらを追い抜いていく自動車の排気音というのはこれほどまでにやかましいものだったかとすこし驚いた。「真っ昼間から刃物が降りそそぐ/この狂気は蜜の味がする」というフレーズを思いついたので、これを元手にラップか詩でもひねりだそうと頭のなかでごにょごにょやったが、いかんせん短い移動時間でどうにかこうにかできる課題ではなかった。
 Jさんが先日の詫びを入れるために今月末にでもまた飲み会をひらこうと言い出した。先日の貸しはもちろん全額返金する、それに加えて今回の場こそすべてじぶんが持つと言い張ってやまず、でもまたパチンコ行くんでしょと茶化してみたところで、今月はアレやパチンコにはぜったいに手を出さないとかたい顔つきで断言するものだから、それじゃあ二十日の金曜日ということでとトントン拍子で話が決まった。当日はBさんJさんと三人で駅前に待ち合わせして、Yさんだけ直接会場入りするという段取りになるらしかった。土地勘のないこちらをふたりが案内してくれるということなのだが、連絡先を教えてくれと請われたのでBさんJさんの携帯にそれぞれワンコールした。同僚らの連絡先はこの職場に来てすぐに名簿を片手に勝手に登録してあった。けれどもこちらの連絡先は今の今まで教えずにいた。他意はない。
 Tさんが友人のSちゃんにこの職場で働いているところを目撃されたという話を聞いて爆笑した。あれだけ内密に嘘を吐きかさねて今日まで誤摩化してきたのが、まさか現場にてスタッフと利用客という立場で顔を合わせることになろうとはいう経緯を笑い話として他人事の距離感で語ってみせるYさんにしたところで、しかしおなじタブーを抱えこんでいるわけで、ここで働きはじめるまで彼らのようにおのれの職業をひた隠しにしている人物がいるとは思ってもみなかった、などとナイーヴなことをいうつもりはないけれどもしかしただの見栄から(そしてその見栄は極大の差別意識によって裏打ちされているとはっきり断言してやってもいいのだが)そんなふうに虚飾を重ねていくきわめてしょうもない精神性とのたてつづけの遭遇にはやはり面食らったのだった。職場にかんしてはMさんもたしかひた隠しにしているはずで、そうして三人並べてみるとある種の共通点が見えなくもないなと、いぜんEさんとひそかに苦笑しあったこともあった。
 そのEさんが、別になにがあったというわけでもないのにいきなり京都印の新作をおすそわけしてくれた(あとになってものを確認したYさんが太っ腹やなあとおもわずこぼすほど大量だった)。人員整理にかんする話をふたりで話していると、結局なんだかんだいうてこのポジションでまともなんはおまえだけやしな、というので、ぼくやってしょせんはこの勤務ペースやからやれてるだけですよ、こういうかたちで拾ってもらったからにはしっかりせなあかんと思うとるだけで前の職場とかけっこう最悪な店員でしたもん、と謙遜でもなんでもない事実を告げた。じっさい、たとえば今後の人員整理にともない夜勤を割り当てられることになったとして、いまとおなじようにしっかりやれるかと問われればけっこうあやしいところがあるだろうなというのが冷静なところで、となりにEさんがいない状態で、というか同僚らのほかにひとりもいないじぶんひとりだけの気楽な真夜中に置かれて、そこで内職をしながら時間をつぶすというある意味では理想的な勤務時間を過ごしているその最中に客からクレームなり注文なりがあったら、きっと舌打ちのひとつやふたつはでる、以前の職場でそうであったようにときには苛立ちも隠せず敵意すらあからさまに対応してしまいトラブルを巻き起こすことになる。だからEさんがいなきゃだめだと思った。YさんやBさんやJさんやTさんがいなきゃだめだと思った。ひとりで過ごす時間はだいたいいつもイライラしているじぶんがいた。平日の五日間を通底しているのはイライラとげんなりの二本柱だった。そのことを今日はじめて(あるいはとてもひさしぶりにあらためて)みずみずしい発見の気持ちをともなって自覚した。
 OさんからFさんとHさんが一触即発であるらしいという話を聞いた。Fさんはたしかにじぶんより頭が悪いと見なした人間を極端なまでに見下すような傾向があり、物事を斜にかまえて観察し判断をくだそうとする思春期じみた傾向や、「あえて〜する」を許さない自尊心の高さふくめて、とても子どもっぽいというかステレオタイプなオタク像を地で行くようなところがあって、この手のひとたちのぼくはわたしは頭が良いと思い込んであるさまを認めるたびに、とてもせつなくものがなしい気持ちになる。馬鹿をよそおい阿呆をふるまうことをかたくなに拒否してみせるその態度に、承認されず報われないまま頑固に凝り固まってしまったプライドの権化をみる思いがする。Hさんについては最近やってきたばかりのひとであるしシフトの関係からこちらとはさほど顔を合わす機会もないのだが、どうも元々ヤクザをやっていたひとではないだろうかとTさんがしきりにいっていて、嘘か真か知らんが気づけば四方八方そんなんばっかだ。ヤクザとかヤクザとかヤクザとかもういい加減飽きた。
 自転車のライトを忘れず点して帰路についたら御所の近所で検問をしていたのでぎりぎりセーフだった(イヤホンを装着していたが、なぜか止められなかった)。スーパーに行くと寿司が四割引だったので迷わず購入した。前のレジにならんでいた女性の会計が777円だった。帰宅してから寿司・めかぶ・納豆・冷や奴の夕食をとった。値引き品の寿司を食っているときのじぶんはとても生き生きしていると思った。
 風呂場でシャワーを浴びてからおもてに出ると大家さんの寝室からNHKの番組らしい音声が聞こえてきて、大家さんの寝室からはだいたいいつもいかにも年寄りの独居らしいテレビの大音量が洩れきこえてくるのだけれどその大半がNHKで、今日は虫歯の特集をやっているクイズ番組かなにかのようだったのだけれどスタジオ観覧者の女性かだれかが、わたしも主人もそろって虫歯が多いんですけれど虫歯というのは伝染するのでしょうか、みたいな質問を専門家に投げかけていて、するとその専門家が、赤子はもともと虫歯のウイルスをもって生まれてはこないというデータを枕に、虫歯はけれども唾液を介して感染するんですねと続けて、先の質問とこの回答が四つに組むことによっていやおうなしにあらわになる性のにおいがどうにもNHKらしくなく、なかなかに独特な緊張感のようなものがあった。
 部屋にもどりストレッチをし、とちゅうでうつらうつらしながらもここまでブログを書いた。EさんもBさんもここ数日腰のようすがよくないと語っていて、となるとやっぱり梅雨入りの影響のあるのかもしれないと話し合ったのだけれど、じっさい今日も今日でなかなか具合はよろしくない。職場で体重をはかると58.6キロしかなかった。60キロに達したかつてはいったい何だったのか、あそこをピークにじわじわと右肩下りの日々で、これだけエクササイズしているのにホワーイとしかめっ面していたら、食べる量が少なすぎるんやってとBさんにいわれた。やっぱり平日五日間も昼飯を食べるようにしたほうがいいのかもしれない。しかし食後の眠気を考えると気がひける。頭はつねに冴えていたい。就寝準備を整えて『今昔物語』片手に床に就き、1時消灯。