20140608

 ――頭(かしら)の露をふるふ赤馬(あかむま)
 日常の一場の光景のほうが天体の巡りよりも、水よりも時よりも、永遠のように眺められることはある。人は死後の眼になっているのだろうか。自身の不在の眼で眺めるとは理からすれば成り立たぬことであり、眼を惹き寄せた場面も、明日の晩も明後日の晩も一年後も馬は露に濡れた頭を揺すっていることだろうと思う程度の、反復にも限りのある事柄であるのに、そこに仮にも永遠のようなものを感じさせられるとすれば、眺めている以上自身は不在でないにしても、周囲の長い短い反復から、わずかの間、零れ落ちかけた徴(しるし)になりはしないか。ふらりと戸外(おもて)へ出た途端などに、よくあることだ。
古井由吉『野川』より「夜の髭」)



 6時20分起床。さっぱりとした目覚めだった。朝方に何度かうなされた記憶がある。奇妙な夢の余韻もうっすら残っていたようであるが、歯を磨いて小便をして顔を洗って部屋にもどってストレッチをしてとやっているうちにきれいさっぱり忘れてしまった。どのみちたいしたものでもない。無意識の産物などたかが知れている。覚醒した意識を全力でかたむけた想像力のほうがずっと面白い。パンの耳とバナナとヨーグルトとホットコーヒーの朝食をとった。昨夜のうちに干しておいた洗濯物を、せっかくの晴天なのにといくらかうらめしく思いながら室内に取りこんだ。予報では夕方から雨になっていた。二三日前に梅雨入りしたはずだったが、降りそうで降らない毎日が続いていた。その雨がとうとう降った。夕方だった。帰宅寸前のタイミングで降られたJさんがアチャーといった。朝、更衣室で顔をあわせたときに、Jさん今日夕方から雨らしいっすよ、と伝えると、うそぉ! ワシかっぱ持ってきとらへんで! とあって、まあそういうぼくも傘持ってくんの忘れたんすけどね、と続ければ、ワシの、いっつもそうや、ワシがかっぱ持ってきた日はかならず降らへん、それで持ってこやへんかったら降るんや、とあった、まさにそのとおりだった。ゴロゴロ鳴る空の音を聞いて、二年前の異国の夏を思い出した。あるいは思い出したのは朝いちばんに建物の入り口のドアガラスを拭くためにおもてに出たときだったかもしれない。もわっとした熱気のうねりうずまくような多層をつらぬくようにして差しこむ日射しがむきだしの腕をじりじりと灼くのを感じて、あの夏いちばんおろかな旅をありありとまざまざと思い出したのだった。これは夕立や、ちょっと待ったらすぐ止むわ、と空の色を見て判断し控え室にもどってきたJさんが一服しはじめたので、降りやむまでの小一時間ふたりでずっと最高に美味い味噌汁の具材はなにか議論した。Jさんはたまねぎとじゃがいもを白味噌で溶いたものが最高に美味いといった。じゃがいもを味噌汁にいれるという文化を知らなかったのでおどろいてみせると、汁が甘くなってすごく美味しいのだと言った。たまねぎを入れるとそれだけで甘くなるのにさらに甘くしてどうすんすかと反論した。豆腐とわかめと長ネギを赤味噌で溶いたのが最強だと主張すると、赤味噌なんてあんなもん辛いだけやんけと吐き捨てるようにいってみせるので、これやから関西人はしょうもないんすわとものすごい大上段でばっさり切り捨ててやった。Jさんぼくはね、クソ下品なことで有名な名古屋文化圏で生まれ育った人間やからね、味噌汁は赤やしおでんにもとんかつにもなんでもかんでも味噌つけて食うようなね、それこそ味噌糞な味覚の持ち主なんすわ、ほやしね、すました顔して白味噌すすっとるような人間とはね、もう金輪際ね、縁切り、もうこれっきりっすわ、ほやしJさんとの仲もここまで、ね、やからいますぐ五千円返せコラ! とかなんとかふざけあいながらも、しかしながら最終的には伊勢海老の赤出汁が最強だという結論に落着した。これについては両者ともに異議なしだった。引き継ぎの時間帯に買春野郎がやってきたので対応していると、そのようすを陰から見ていたMさんが、いいねーきみの対応すばらしい、ええでええで、あれでええ、としきりにくりかえすので、はてなと思っていると、いやいやあんだけ嫌そうな顔で対応するってなかなかやで、といわれて、そんなつもりなかったのでちょっとびっくりした。いぜんTが職場に遊びにやってきたときにも、こちらの電話対応の一部始終を傍でながめたのち、あんたちょっと声こわすぎちゃう、と指摘されてびっくりしたことがあったのを思い出した。じぶんで思っているよりもずっと無愛想で敵意のこもった対応になっているのかもしれない。いくらなんでもそれはしらじらしすぎるだろというくらいで案外ちょうどよかったりするのかもしれない。日曜日なので本来休日のはずのEさんが午前中とつぜんあらわれて、どうしたんすかと問うと社長に呼び出しくらったとあり、系列店の閉鎖にともなうあれやこれでこれから先しばらくはかなりの大忙しになるようである。とんでもない忙殺スケジュールを組まれてしまったことでかえって肝がすわるというのか、もうええわ、おれ厄年やからな、とふっきれたような泣き笑いの表情で快活にいった。子どもの授業参観日だったのだが結局この呼び出しで出席できなかったというので、そんなもんどうでもええもんちゃいますの、ぼくんちも来たおぼえないけど別に当時なっとも思いませんでしたけどねというと、いやいやおまえやおれはそうやけどもな、おれもたしかにそうやねん、そうやってんけど、でもそうじゃないほうが世の中多いからな、そういうの慣れてへんから、こしょばい思うわけやろおまえ、でもそういうこしょばいのをちっさいちっさいころからな、ずっと慣らされとるとな、そうは思わんらしいで、おれもじっさいは知らんけどな、わからんのやけどなそういうの、とあった。閉店間際のスーパーにぎりぎりすべりこんで半額品の寿司と甘いものと飲み物を買って帰宅し、運動着に着替えてストレッチをしてからジョギングに出かけた。「50番」をややスピードを意識して走ったところ、35分を記録するにいたって、やはりコースをもうすこし延長する頃合いなのかもしれないと思った。風呂に入ってストレッチをしてここまで一気呵成にブログを書くとすでに0時近かった。「周囲の長い短い反復から、わずかの間、零れ落ち」て過ごしたのち、3時だか4時だかに寝た。