前回までのあらすじ

「ふう、ひさかたぶりのシャバの空気は五臓六腑に滲みるぜ……!」
 2015年4月15日以来となる外の世界に出たMは、夜のうちに降った雪でまばらに覆われている小汚い道路脇をながめながら、そうつぶやいた。七年半ものあいだ閉ざされ続けていた会員制日記ブログの重々しい扉をふたたび開くことに決めたのがおよそ一週間前、師走のはじまりとともにみずからの実存をふたたび世に問うことに決めたその決心を後押しするように、二週間以上に渡って続いていた封校措置が電撃的に解除されたのだ。大陸各地で怒号とともにあがるシュプレヒコールは、いま、この国の言葉をろくに解さないMにとって、七年半ぶりの門出を激励するかつての読者の声に聞こえた。
「因果なものよ、これも運命(さだめ)か……!」
 Mは不敵な笑みを浮かべるとともに自転車のサドルにまたがると、いずれまたおとずれるかもしれない準ロックダウンに備えるべく、最寄りのショッピングモールへインスタントコーヒーの買い占めに走るのだった。
(『(…)先生の愉快な冒険』第八章「再訪! (…)篇」より)



 グループチャットが騒がしいせいで早い時間に一度目が覚めた。キャンパスの出入りに必要な条件について、(…)や(…)や(…)がやりとりしているのだった。放っておいて二度寝したが、眠りは浅く、10時ごろにふたたび目が覚めた。6時間ほどしか寝ていない計算になるが、冴えている感じがしたので、そのまま活動開始することに。(…)から個人的なメッセージが届いていた。キャンパス内の出入りには48時間以内の陰性証明が必要だ、今日もArt Centerのほうで職員専用のNATを実施している、必要であれば受けてくれ、と。ありがとう、検査は昨日受けた、買い出しは今日の昼間に行くつもりだから今日もう一度受ける必要はないと思う、と返信。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。(…)くんから微信が届いていることに気づく。メカフリーザが目を見開き驚愕した表情で突っ立っている姿がフロントに印刷されている黒いジップアップパーカーの写真。着用しているモデルがファスナーを下ろすと、中からセットになっている黒Tシャツがあらわれるのだが、そのフロントに印刷されているのはスーパーサイヤ人になったトランクスが剣を両手でふりおろしている姿。つまり、パーカーのファスナーをおろすという行為がそのまま、メカフリーザを真っ二つにするトランクスの一閃をなぞるという趣向になっているわけだ。たぶん淘宝に売っているのだろう。それをおれに報告してどうすんねんという話だが。
 西安の(…)くんからも微信。(…)大学の図書館前で自撮りした写真。雪がたくさん降っている。こっちは雪がたくさん降っています、そっちはどうですかというので、歯ブラシをくわえたまま窓辺によると、昨日と同様、夜のうちにいくらか降ったらしく、道路脇にうっすらと雪が積もっている。五階からの風景を写真に撮って送る。(…)くんは明日帰省することになったといった。去年のいまごろは40日以上に渡って大学が封鎖されて学生は寮を出ることすら許されなかった、今年もまたそんなことになったら大変だからと先生たちが帰ることのできる人間はなるべくはやく帰ったほうがいいと言ってくれたのだ、と。今学期の半分以上はオンライン授業だったし、現状もそうであるので、だったら帰れるうちにさっさと帰っておくかと判断した様子。都市部の院生たち、こちらの観測できる範囲ではだいたいみんなそういう流れになっているようだ。広州の(…)さんも昨日モーメンツに帰省することになったと投稿していたし、北京の(…)くんもわりと最近防護服姿の自撮りをあげていたが、あれもやっぱり北京を出て故郷に戻るということなのでは? しかしこの流れはちょっと困る。各地の大学で学生らを前倒しで帰省させているのはもちろんキャンパス内での集団感染(とそれにまつわる責任問題)を大学および地方政府がおそれているということなのだろうが(それにくわえて学生主体の抗議運動をおそれているという事情もあるのかもしれないが)、そのおそれが来学期はまるごとオンライン授業という判断を下すきっかけになるかもしれない。やれやれ。
 ところで、昨日(…)さんから連絡があったまさにその翌日にこうして(…)くんからもコンタクトがあるというのはちょっとできすぎていると思う。ふたりがかつて付き合っていたのは——そしてその後別れたのは——まず間違いないのだが、もしかしたらわりと最近復縁したのかもしれない、それで(…)さんから昨日先生とひさしぶりに話したよと聞いた(…)くんのほうでもこちらに連絡をよこした格好ではないか。
 コートを着て外に出る。手の甲を刺すような冷たさに、わ! 冬! と思う。寮の敷地を出てそのまま第五食堂に向かう。雨も雪も降っていないが、道路をぱらぱらと打つ音はする。樹雨だ。しかし水滴の音ではない、小石の落ちるような音がするのに、よくよく凝らしてみると、小さな雹のようなものが木からぱらぱらと降ってくる様子。ふきさらしの卓球台も今日は白く覆われている。そのうちの一台の盤面を、ダウンジャケットのフードをかぶり水色のマスクを装着した女子が前屈みになってのぞきこむようにしながら、人差し指をのばしてなぞっている。なにか絵を描いているのだ。
 食堂はガラガラ。ちょっとはやかったからかもしれない。めずらしくレジのおばちゃんがカウンターに突っ伏して眠っていた。彼女らも今日ようやく、あるいは来週の月曜日からかもしれないが、ようやく大学の外に出ることができるのだ、あたたかい布団で眠ることができるのだ。おかずをとって盆に置く。厨房のおばちゃんが今日は寒いだろうというので、すごく寒いと応じる。
 打包して帰宅。ひきつづきニュースをチェックしながらメシを食う。その後、コーヒーも飲まずに買い出しへ。空気入れを持って一階まで下り、ケッタのタイヤをパンパンにして出発。北門に向けて歩く学生らしい人影もちらほら。外出オッケーになったのは教職員だけではないらしい。北門の守衛からは特になにかを提示するように言われなかった。門の外では男子学生が五、六人突っ立っている。タクシーでも待っているのだろうか? しかしこの時期に? 外卖かもしれない。
 ケッタを飛ばして(…)へ。広場はガラガラ。ひとっ子ひとり見当たらない。もしかしたら営業していないのかもしれないと思うが、入り口にはいちおう警備員らしい姿がある。ケッタを停めて中に入る。itinerary codeを読み取り、警備員に見せて、中に入る。ガラガラ。入ってすぐのところにある宝石売り場の女性スタッフは退屈そうに談笑。右手のスタバもガラガラで、カウンターには女性スタッフがひとりしかいない。平日の真昼間であることを差っ引いてもやっぱり閑散としている。みんなビビって人混みを避けているのだろう。
 (…)に行く。三階でまずは洗剤を購入することに。この売り場もやっぱり閑散としている。客も全然いないし、従業員の数も少ない。この売り場の従業員は必ず声をかけてくるのだが、それも今日はまったくない。洗剤はキャンパス内にある文房具店でも売っているはずだから、わざわざここで買う必要もないかなと一瞬思ったが、そうした油断が命取りになる可能性もなくはないので、荷物になるがやはり買っておくことに。そのまま二階の食品売り場へ。こちらもやはりガラガラ。冷食の餃子を三袋と生油を買い物かごにぶちこむ。ネスカフェゴールドブレンドはない。マジか! 一番の目的だったのに! 瓶ではない、スティックのやつはけっこうたくさん売っていたが、なんとなく買う気になれない。それだったらもうスタバで豆を買ったほうがいいなと考えてセルフレジへ。
 会計をすませてスタバに移動する。カウンターにひとりきりで入っている若い女の子に英語でコーヒー豆は売っているかとたずねる。肯定の返事。しかしそれ以上なにも言わない。どんな種類がと続けると、後ろの棚を見るようにいわれる。タンブラーやらなんやらグッズが陳列されている棚の上にたしかにコーヒー豆の袋がある。しかしどれもこれも小さい。200gだったか250gだったかで90元ほどする。たわけ! 殿様商売もたいがいにしとけ!
 店を出る。瑞幸咖啡のほうに移動する。ここでもまた別にitinerary codeを読み取る必要がある。以前はこういうものすべてがいわゆる形式主义で、読み取ったふりだけして中に入ることも全然できたのだが、さすがにいまは警備員ひとりひとりがしっかり客のスマホをチェックしている。カウンターに行く。客はやはりまばら。先客の注文が終わったタイミングで女性スタッフに話しかける。コーヒー豆はあるかと英語でたずねるが、中国語で聞き取れないという返事がある。もうひとりの女性スタッフも英語は苦手そうだ。しかたがないので、カタコト中国語で「オデ、コーヒー、欲シイ。豆、欲シイ。豆、クレ。コーヒー豆、クレ!」とお願いする。豆は売れないという返事がある。うちで提供しているのは飲み物だけだ、と。(…)先生! 話が違うじゃねーか! 瑞幸咖啡で豆を買うことができるって以前言ってたのに!
 くそったれと内心ひそかに毒づきながら外に出る。無人の広場で淘宝にアクセスする。江沢民が死んだので全ページが白黒になっている。そういうのもうええねん。いつものコーヒーをポチる。遠方からここまではたして現状ちゃんと商品が届くのか、届いたとしても最寄りの快递は営業しているのかという懸念があったので(さらにいえば、仮に快递が無事営業していたとしても、倉庫には現在学生らが11月11日のセールで爆買いしたものが死ぬほどたまっているはずだから、それを回収しにいくだろう人波に巻き込まれるかもしれないという懸念もある)、淘宝での購入はいったんひかえていたわけだが、こうなったら仕方ない。
 もう一度スタバに行く。ポチったものをすぐに手に入れることができない可能性を踏まえて、奥歯を噛み締めながらクソ割高コーヒー豆を買う。背に腹は代えられん。ここで変にケチってしまったのが原因で、のちほど地獄の離脱症状に苛まれることになったら、「オレぁオレ自身を許せねえよ。たとえ死んだってな!」(FINAL FANTASY X)になってしまう。
 ケッタにのって大学にもどる。北門の入り口では2ケツしたバイクが二台、守衛に捕まっている。itinerary codeをここでも読みとる。初顔の女守衛にスマホを見せて通り抜けしようとするが、ちょっと待って! よく見えなかった! みたいなことを言われてひきとめられる。おおかたスマホに表示されている氏名がローマ字表記であるのに「なんじゃこいつ!」となっただけだと思われる。
 帰宅。いつものコーヒー以外に備蓄用のネスカフェゴールドブレンドも淘宝でポチっておく。いつものやつは備蓄に向かない、時間が経てば経つほど風味がどんどん落ちていくやつだから普段使いにするとして、それとは別に、未開封ゴールドブレンドを二瓶、備蓄用として確保しておく作戦。
 コーヒーをいれる。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2021年12月1日づけの記事を読み返す。以下のくだりを読んで、苦笑する。やっぱり一年前の時点で会話の授業の改善点をしっかり認識していたのではないか。なぜ同じミスを一年後に犯すのか!

手応えありの上機嫌で帰宅。今日の授業の反省点をさっそくメモしたが、なかなか良いのではないか。口語の黄金パターン、掴めたかもしれない。基礎練習は少なめ、あとはなるべく(形式的には型を用意した上での)フリートークだ。ベースは(教科書ではなく)やっぱり生きた口語なのだ。そもそも誰とでもある程度コミュニケーションをとることができるのが持ち味のじぶんが、わざわざ教科書やマニュアルに則して授業をするのが馬鹿げているのだ。



 『Enter the Mirror (2022 Remastered)』(裸のラリーズ)を流しながら今日づけの記事もここまで書く。時刻は15時半。一時間後の授業に備えて諸々準備する。ついでに明日の日語基礎写作(一)で配布する資料にも手を加える。16時をまわったところでVooV Meetingをたちあげるが、毎週木曜日の16時半に設定しておいたはずのスケジュールがずれており、14時半から授業を開始ということになっている。スケジュールの修正はできない。あらたに一から作りなおす必要があるらしく、となるとURLや会議番号も変更になるわけで、仮に大学側から今日監査が入った場合ちょっとまずいことになるかもしれないと思ったが、月曜日から対面授業に戻るというこのタイミングでわざわざ監査が、それも外国人教師の授業にいちいち入ることもないかというわけで、ま、気にしないことに。
 授業まで残り15分というタイミングで(…)さんから「先生、しばらくの授業はまだ受けますか。」という微信が届く。うん? どういうことだ? と思う。もしかして以前、スピーチコンテストで疲れているのであれば、君はもう期末テストを受けなくてもいいよと伝えた一件を踏まえて、じぶんは残りの授業にも出席しなくてもいいのだろうかと質問しているのだろうかと思う。そうではなかった。授業20分前になってもこちらがVooV Meetingのリンクをクラスのグループチャットに送らないので、もしかしたら先週に引き続き今週も授業が休みなのだろうかと疑問に思っているのだった。グループチャットにすぐさまスケジュールを設定しなおしたリンクを投稿する。(…)くんがすぐさま泣き顔の絵文字を投稿する。今日も休講になるのではないかと期待していたのだ。
 授業時間になるまで(…)さんとやりとり。先生のおかげで三等賞がとれましたというので、知っているよ、遅くなったけれどおめでとう、審査には納得のいかないところがたくさんあったからこれまで素直におめでとうを言えなかったんだよと受ける。(…)さんは自分が三等賞のなかでもビリッケツであったことをちょっと悔しく思っている様子。しかしこの結果自体は正直妥当かなと思う。問題は(…)さんの結果だ。(…)さんは先輩にどう声をかければいいかわからないといった。明日は(…)先生のところにスピーチコンテストの参加者らが集まることになっているが、結果が結果であるし叱られるかもしれないというので、(…)先生も今回の審査には相当あたまにきているふうであったし、叱るということは絶対にないよと応じる。
 で、16時半になったところで、日語会話(二)開始。昨日せっかく校内の売店をまわってコーヒーを買い占めたのに、夜になって突然封校が解除されるという通知が届いた、完全に金の無駄遣いだった、とまずは笑い話。教室授業が再開となるのは嬉しいが、君たち学生にとっては自習の再開をも意味するわけだから、それはなかなか辛いだろうというと、学生らは次々にチャット欄で「最悪」「死にたい」などと言った。実際、このクソ寒い中、暖房のない教室で朝の7時から自習なんてしてもまったく効率的ではないと思う。冒頭の雑談を10分ほどしたところで、期末試験の説明をする。四回に分けて行うので、そのスケジュール表をグループチャットのほうに投稿しておいたのだが、(…)くんが「???」みたいなコメントを寄越すので、うん? と思ってスケジュール表をあらためてチェックしたところ、彼の名前が見当たらなかった、代わりに農学部に転入した(…)くんの名前が記載されていたので、じぶんのケアレスミスではあるのだが、ゲラゲラ笑ってしまった。もういいよ、(…)くんの代わりにテストは(…)くんが受けていいよ、(…)くんは農学部のテストを受けなさいと笑いながらいうと、学生たちもみんなゲラゲラ笑った。
 その後、「道案内」の続き。先々週の復習をざっとしたのち、本番同様、まずはこちらが道案内をして学生らにリスニングさせる。(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)さんあたりが積極的にガンガン答えてくれる。前回参加していない(…)さんもさすがの地力でがんばる。(…)くんと(…)さんの劣等生コンビもガンガンがんばる。(…)くんはわかるにしても(…)さんがこういうときに発言するのはたいそうめずらしい。ある程度回数をこなしたところで、だれかスピーキングもやってみる? と問いかけると、学生らがみんな悪ノリして(…)くんを指名する。で、やってもらう。発音はボロボロであるが、しっかり話を聞いていただけあって、大筋のところはちゃんとできている。(…)くんが次のチャンレジャーとして(…)さんを勝手に指名する。(…)くんよりもさらにボロボロであるが、それでもやっぱり間違いはない。その(…)さんが(…)くんを指名。結果、これがテレビだったら放送事故だなというレベルの出来事が発生してしまう。「直進」も「交差点」もろくに読めない。高校から日本語を勉強していた学生なのに。しかし、(…)くん→(…)さん→(…)くんと、このクラスのワースト3が死なば諸共精神でおたがいを次々に指名しあったのはちょっとおもしろかった。集団自殺みたいだ。その後、(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)くん、(…)さんでもスピーキングを試したが、さすがにこのあたりはおおむね問題なし。いちばん発音がきれいなのは(…)さんかな。あと(…)くんも指名したのだが、「先生、わたしはいま図書館にいます」と小声での返事があり、おめーひとの口語の授業なんで声出し不可能の図書館で受けとんねんと思った。図書館で勉強する彼女の付き添いらしい。
 その(…)くんからは授業後、じぶんは左右の区別がつかないことが多いので、期末試験の道案内は「左右」ではなく「東西南北」でさせてほしいという申し出があった。左右盲のきらいがあるのだろう。了承。(…)くんからは期末試験の内容を問う微信が届く。いや、さっきの授業でまさに説明したでしょ? 聞いてなかったの? と思ったが、どうも「道案内」以外の問題はないのかという意味だったらしい。優秀な学生は「道案内」を終えたあとも時間が余るだろうからその場合は軽く雑談するかもしれないと返信。



 第五食堂で打包。食後のけだるい眠気を持て余していると、(…)くんから微信。こちらの寮とおぼしき外観をとらえた短い動画付き。でたらめな発音で「先生、どこどこ〜」という声も入っている。窓辺に近づいて地上をながめる。それらしい姿は見当たらない。五階だよと返信して窓を開ける。そのまましばらく待っていると、聞き覚えのある声が「せんせ〜せんせ〜」という。大きな声で呼びかけようかと一瞬思うが、上階に住んでいる爆弾魔の手前、なんとなくはばかられたので、「聞こえますよ」と微信を送る。ほどなくして街路樹の隙間から(…)くんが姿をみせる。となりに女性らしい人影があるが、相棒の(…)さんだろう。ふたりで散歩しているのだ。手をふりあう。
 同時に、(…)さんからも微信が届く。またフルーツの差し入れに来てくれるという。第五食堂にもう少ししたら向かう予定なのでそのときお渡しします、と。了解。彼女からふたたび連絡がくるまでのあいだ、翌日の日語基礎写作(一)に備えて資料に手を加える。(…)さんからあらためて微信が届いたところで外に出る。寮の門を出た先に青色のマスクをつけた冬服の彼女がいる。ビニール袋をこちらに差し出す。袋の中にはパック詰めされた謎の果実。以前授業前にくれたやつだ。中国語で人参果というらしい。三日以内にすべて食べてくださいとのこと。いつもありがとう、とても嬉しいです、と伝える。部屋にもどってググる。人参果は日本語でペピーノというらしい。RPGの序盤で出てくるしょっぱいザコキャラみたいな名前やな!
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチをする。(…)さんからさっそく今日の授業でやった「道案内」の発音指導依頼が届く。ボイスメールをチェックし、アクセントのおかしいところを指摘しつつ、手本を録音して送る。(…)さん、思っていたよりも発音が良くないかもしれない、(…)さんのほうがいいかもしれない。音感の差か。
 発音指導しながら今日づけの記事の続きを書き進めたり、ほかでもないその今日づけの記事から転載する予定の一般公開用ブログの準備をしたりする。新規ブログのタイトル、最初は「検閲日記」にしようかなと思ったのだが、ちょっとそのまますぎるし、ググってみたところ同名ブログの存在も確認されたので、もうひとつの案にする。つまり、この七年半、ごくごく限られた身内のみにたいして運営していた——と、過去形で書くのはおかしい、運営自体はこれからも続けるし、そこで投稿される記事を一部検閲したものが今回あらたに開設するブログに転載されるかたちになるのだから——ブログのタイトル「わたしたちが塩の柱になるとき」の「わたし」を省略したかたち、すなわち、「(…)たちが塩の柱になるとき」をタイトルにするという案。この「(…)」というのはもちろん本文中の検閲をあらわすマークなのだが、それを「わたし」という主語に当てることで、新規開設ブログのありかたというか運営方針みたいなものをはっきりあらわすことができるんではないかと思ったのだ(ポイントは「わたしたち」ではなく「わたし」だけを抹消するところ!)。で、実際にその仮タイトルでブログをデザインしてみたのだが、三点リーダーがフォントの関係なのかきれいに表示されないというか、中央に表示されずピリオドを三つ並べたみたいに下辺に表示されてしまう。どうにも不格好でたまらなかったので、本文の検閲箇所はまだしもタイトルがそれというのはちょっとというのがあり、で、結局、「×××たちが塩の柱になるとき」にした。URLはiwasnotbornyesterdayで、ま、これはわかるひとにはわかるだろみたいなメッセージ。
 ペピーノを食い、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックする。今日は寝不足気味であたまもいまひとつ働いてくれない感じがしたので、日付が変わる前にとっとと寝床に移動。『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読む。

 始め彼はこの女を「本郷行」か「亀沢町行」に乗るのだろうと考えていた。ところが両方の電車が一順廻って来て、自分の前に留っても、いっこう乗る様子がないので、彼は少々変に思った。あるいは無理に込み合っている車台に乗って、押し潰されそうな窮屈を我慢するよりも、少し時間の浪費を怺(こら)えた方が差引得になるという主義の人かとも考えて見たが、満員という札もかけず、一つや二つの空席は充分ありそうなのが廻って来ても、女は少しも乗る素振を見せないので、敬太郎はいよいよ変に思った。女は敬太郎から普通以上の注意を受けていると覚ったらしく、彼が少しでも手足の態度を改ためると、雨の降らないうちに傘を広げる人のように、わざと彼の観察を避(よ)ける準備をした。そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。

 このくだりの「雨の降らないうちに傘を広げる人のように」という比喩、すばらしいなと思った。漱石の比喩ってこういう具合に、すごくピンポイントであるのに全然これ見よがしではないというか、テクニカルなのに上品でいやらしくないんだよな。あと、「蚤取眼(のみとりまなこ)」という単語が出てきて、この言葉漱石のほかの作品でも見た記憶があるぞと思ったが、うまく思い出すことができない。ググってみたら、「秋立つ日猫の蚤取眼かな」という漱石の俳句がヒットした。