20221204

 劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。そこで帽子を被って空谷子(くうこくし)の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者(うらないしゃ)みたような、妙な男である。無辺際(むへんざい)の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々(われわれ)の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。
 空谷子は小さな角火鉢(かくひばち)に倚(もた)れて、真鍮の火箸で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金(かね)の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。
「金は魔物だね」
 空谷子の警句としてははなはだ陳腐だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描(か)いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。
「これが何にでも変化する。衣服(きもの)にもなれば、食物(くいもの)にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」
「下らんな。知れ切ってるじゃないか」
「否(いや)、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。
「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」
「どうして」
「どうしても好いが、――例えば金を五色(ごしき)に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」
「そうして、どうするんだ」
「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片(かけら)同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限をつけるのさ」
 もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先(さいさき)からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客と認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。
「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是(ひし)相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万噸(トン)の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度(ひとたび)この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不都合極まる魔物じゃないか。だから色分(いろわけ)にして、少しその分を知らしめなくっちゃいかんよ」
 自分は色分説に賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。
「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」
「そうさな。今のような善知善能の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」
 自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。
夏目漱石『永日小品』より「金」全文)

 どうでもいいことだが、重量の単位である「トン」は漢字表記だとやはり「噸」になるのだな。これを簡体字にした「吨」も、やはり中国語で「トン」を意味する言葉であったはず。



 10時前に自然と目が覚めた。卒業生の(…)さんがモーメンツで不満を訴えていた。彼女は現在よその省に住んでいるようなのだが(おそらく吉林省だと思う)、街中のPCR検査所が(今回の抗議運動をきっかけに)ガンガン撤去されたものの、健康コードそのものは変わらず運用されているため(商業施設やレストランに入るためには48時間以内の陰性証明が必要である)、検査それ自体は結局受けなければならない。結果、残り少なくなった検査所に長蛇の列ができることになってしまい、現在マイナス18度の中で一時間以上並んでいる、と。この手の話はここ数日よく見聞きする。ゼロコロナ撤回に向けての動きとして各地にある簡易検査所がどんどん撤去されているのだが、健康コードの運用方針は以前のままであるので、結果としてかえって不便になっているみたいな。

 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。その後、身支度を整えて部屋を出る。一階におりる。電動スクーターを停めている最中の(…)と(…)母子の姿を見かけたので你好とあいさつする。門を抜けて第五食堂に向かう。途中で「先生!」と声がかかる。(…)くんが見知らぬ男子学生数人と一緒に前方からやってくる。あれ? 四年生は職業研修中じゃないの? もしかして(…)くんも院試組なの? と内心やや驚きながら、なんで大学にいるの? とたずねる。ツレのふたりに先に行っていてくれと中国語で(…)くんがいう。それからこちらに向けて日本語で、わたしはいま毎日図書館で勉強していますと続ける。そこで気づいた。(…)くんじゃない、(…)くんだ。なんで間違ったのか! (…)くんはそもそも四年生ではなくこの夏に卒業した(…)の学生であるし、(…)くんは(…)の三年生だ。一度だけ彼のことを(…)くんと呼んでしまったのだが、たぶん早口だったので向こうも気づいていないと思うし、仮に気づいていたとしてもじぶんの聞き間違いだと思い直しているだろうから問題ない。しかし、それにしてもどうして? たしかにふたりには細身の長身かつゲイ——オープンにはしていないが、まず間違いない——という共通点があるにはあるのだが、やっぱりマスクかもしれない、顔の下半分が隠れているだけで識別の難易度が一気にあがるのだ。
 そのまま立ち話。先に図書館に向かったツレのふたりは英語学科の四年生。ふたりとも院試に向けて勉強しているというのだが、専攻は法律と教育学だという。学科の授業をきちんと受けていなかったタイプなのだろう。(…)くんはもともと12月にN2を受験する予定だった、しかしそれもコロナのせいで流れた、しかるがゆえにいまは6月のN1を目指して勉強しているとのこと。彼のレベルであればN2合格はおそらく間違いないし、回り道せずさっさとN1を受けたほうがいいとこちらは常々考えていたので、激励の意も込めてそう伝える。大学院への進学も考えているのかとたずねると、広州に行きたいという返事。(…)大学がいいという((…)さんの母校だ)。なんでうちの学生はとりあえずあそこを目指そうとするのだろう? 立ち話の途中、同じく第五食堂で食事を終えて図書館に戻る途中らしい(…)さんと(…)さんからも声をかけられた。

 打包して帰宅。メシ食う。(…)から微信。学期末の報告書的なアレを書くためにこちらが指導した学生が入賞した「(…)」について、結果が出た日付と主催団体の名前を教えてほしいとのこと。調べてちゃちゃっと返信。
 きのうづけの記事の続きを書く。書いているあいだ、もうしばらく着ないだろう夏服および秋服、そしてこれから着ることになるダウンジャケットなどを順次洗濯機にぶちこむ。洗い終えたものはすべて加湿器代わりに寝室のカーテンレールに吊るしておくことにしたのだが、ものの数時間で完全に乾いてしまう。この部屋どんだけ乾燥しとんねん。砂漠か? クローゼットの中身もいまさら衣替えする。
 記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年12月4日づけの記事を読み返す。(…)くんと再会して瑞幸咖啡でだべり、その後、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さんと一緒に火鍋を食べた日。あれからまだ一年しか経過していないのか! もうずっと昔の出来事のような気がする!
 作業を終えると時刻は16時だった。授業で配布した資料の一部をもういちど送ってほしいと昨日連絡を寄越した一年生の(…)さんであるが、あらためて第3課から第5課までの資料がほしいと連絡があったので、PDFにしてまとめて送信。その後、翌日にひかえている日語閲読(三)にそなえて資料を教室授業用に再編し、脚本を印刷し、必要な画像データなどをUSBメモリにインポート。さらに、火曜日の日語会話(一)で使用する資料を学習委員の(…)さんに送信。いつものように印刷しておいてくれとお願いする。
 作業の途中、(…)さんから微信。「先生、私たちは早めに冬休みになるかもしれません。」と。やっぱりそういう話が出ているのだなと思いながら返信すると、夜には結論が出るらしいという。冬休みの予定はありますかというので、長期休暇はいつもそうであるように授業準備をしたり本を読んだりしてのんびり過ごすよと返信。執筆とはいわない。
 今日づけの記事も少しだけ書く。17時半になったところで中断し、ふたたびおもてに繰り出す。文具屋でコピー用紙を買う。20元。明日の授業で使う資料を印刷して持っていくのに必要なのだ。購入したものをリュックサックにおさめてそのまま第五食堂へ。すれちがう学生らが口々に回家回家と言っている。やはりほかの大学と同様、冬休みが前倒しになるのだろうか。食堂の入り口ではまたしても(…)さんと(…)さんと遭遇する。毎日ここで顔を合わせている気がするねと笑う。
 打包して帰宅。メシを食ったのちベッドに移動して『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読み進める。眠気をもよおしたところで20分ほど仮眠。(…)からの通知で目が覚める。明日の授業はやはりオンラインになるかもしれないので準備をしておいてくれ、と。詳細は今夜の会議後に決定するとのこと。いや、ついさっき教室授業用に教案を再編したところなんですけど……。
 (…)くんから一日遅れの課題が届く。(…)さんに明日以降の授業もやっぱりオンラインになるかもしれないからさっきの資料は印刷する必要ないと連絡する。浴室でシャワーを浴び、ついでに黒シャツを手洗いする。あがったところでストレッチしていると、(…)から続報が届く。今学期の最後までオンライン授業決定とのこと。学生らは今日からふたたびキャンパス内外の出入り禁止。教師もteacher’s cardなしには出入りできない。
 (…)からはグループチャット経由のみならず個別にもメッセージが届いていた。今学期は当初の予定よりもはやく授業が終わることを知っているか、スケジュール内にすべての授業を終えることができそうか、と。学生のモーメンツ経由でそういう情報を以前ちょっと目にした記憶はある。しかし正式な通知を受け取った覚えはないので、I’ve never heard about itと返信。今月24日までにすべての授業を終えなければならないらしい。
 コーヒーを入れる。デスクに向かい、スケジュールを確認する。日語口語(一)以外の授業はこのままスケジュール通りにやれば24日までに規定回数をきちんとこなすことができる。軍事訓練で開始の遅れた一年生の日語口語(一)だけはちょっといじくる必要があるが、オンラインであれば最後の四コマたっぷり使ってテストをすればいいので、これも別にあわてる必要はない。
 なにかとバタバタしているせいであんまりその気になれなかったが、21時半過ぎから「実弾(仮)」第三稿執筆。0時過ぎまでカタカタやった結果、プラス2枚で計964枚。以下に記すとおり、執筆中もあれこれ他とやりとりする必要があり、たいそうあわただしかったのだが、その割にはまずまずはかどったほうだと思う。

 作業前、(…)先生に期末試験の日程と実施方法について、外国語学院のほうから通知はあったかと微信を送っていたのだが、それに対する返信が届いた。現状不明とのこと。来学期のあたまに教室で行う可能性もあるし、今学期末にオンラインで行う可能性もあるし、両方のケースを想定しておいたほうがいい、と。
 モーメンツをのぞく。学生らが回家回家とお祭り騒ぎになっている。大学から送られてきた通知のスクショを複数の学生がはりつけていたのだが、希望者は明日から帰省することが可能になった模様。いや、正確には希望者ではなくなんらかの条件にあてはまる学生のみなのかもしれない。モーメンツで騒いでいる学生の大半がよその省出身の学生であるのを見るかぎり、どうも(…)省以外の学生のみオッケーになったんではないかという気がする。
 モーメンツで思い出したのでついでに書いておくが、一年生の(…)さんの自撮り投稿ペースがすさまじい。これまでいちばんやばいと思ったのは卒業生の(…)さんだが、(…)さんはそれ以上のペースで、つまり、一日につき最低でも三回くらいのペースで自撮りを投稿する(さらにいえば、一回につき、写真はほぼ毎回9枚セット)。(…)さん、たしかにクラスのきれいどころではあるのだが、自撮り写真は決して上手であるわけではなく、え、なんでその表情その構図で撮るんだろうと不思議に思うことも多い(この仕事をするようになってすっかり中国女子の自撮りに詳しくなってしまった)。一年生の女子学生らはコメント欄のやりとりがちょっと尋常でないくらいハイテンションで、たとえば、二年生、三年生、四年生の場合、だれかが自撮り写真を投稿したとして、それに対してコメントしたりいいねしたりするのはだいたいルームメイトや仲良しに限るのだが、いまの一年生女子はだれかがなにか投稿するたびに鹿せんべいに集まる奈良公園の調子こいたバンビらみたいにわーっと集まってわーっとハイテンションでコメントする。あれはたしかコロナ発生ほどないころだったと記憶しているが、バッタの群れが農作物を全部食い荒らしてしまう蝗害がけっこうでかい海外ニュースになっていて、疫病と蝗害って完全に末法やな、黙示録やな、人類もぼちぼち店じまいやんけと思ったわけだったが、そのバッタ並にマジでだれもかれもがコメント欄に殺到してハートだらけのやりとりを交わし、で、それがひととおり済んだら別の自撮りをあげている次のターゲットのところにまたいっせいに向かってそこでハートだらけの誉め殺しを応酬し、みたいなことをマジで連日連夜くりかえしているのが現一年生で、というようなことをいくらか批判めいた調子で書いてしまうといかにもおっさんくさくて嫌になるのだが、実際おっさんなのだから仕方ない。一年生を前期から担当するのは今年がはじめてであるし、これまでじぶんが知らなかっただけで大学入学当初の新入生らというのはだいたい最初はみんなこんな感じで、ただ月日の経過とともに次第に派閥が形成されていき、それにつれてくだんのおびただしさも鳴りを潜めていき、気がつけば小グループの乱立する虎視淡々たる小康状態に落ち着くみたいな流れが一般的なアレなのかもしれないが、それにしたってだれかが自撮りをあげるたびに美女! 美女! と我先に競い合って大量にコメントしあう、ああいうのはじぶんには絶対できないよなと思う。仕事以外の件で他人とめったに連絡をとることのないじぶんとしては、そういうのって疲れないの? めんどくさくならないの? となによりもまず思ってしまう。たいした仲でもない相手の自撮りに思ってもいない称賛の言葉を、条件反射的になのか義務的になのかわからないが、語本来の価値がみるみるうちに目減りしていくほどの速度で濫費し続けるそんなさまを見ていると(2ちゃんねるだか5ちゃんねるだか知らないあの界隈が、定型文に依存して何かを語った気になっているのを傍目で見ているときに感じるのと同じ気の毒さを感じることもある)、きたねえ茶碗にくんだ水道水にありがとうありがとうと声をかけてはこうすれば水の結晶がきれいになって毒素も出ていき栄養豊富になるんですよと瞳孔パキパキにして語っているババアのほうがまだ親近感を抱けるなと思う。
 日語会話(二)は残すところ試験だけであるし、学生らが帰省する前にちゃちゃっと対面でテストだけすませておこうかなと思い((…)先生からもそう薦められた)、それでグループチャットのほうにその旨伝えてみたところ、明日さっそく帰省するという学生がやはり少なからずいる。で、そういう反応があるだろうなと予期していたとおり、まだ試験の準備ができていないので、明日大学を出る前にいきなりというのはちょっと……というリアクションがぽつりぽつり。まあそうなるわな。来学期のはじめに実施してはどうかと(…)くん。こちらとしてもそれが一番いいとは思うのだが、こればかりはお上が決めることであるのでなんともいえない。
 しかし、そもそもこの状況でオンライン授業は成立しえるのだろうか? たとえば明日の午後は三年生の授業があるわけだが、故郷に向けて移動中ですみたいな学生もけっこうな数いるのでは? まあそういう細かな例外はシカトせよというのがこの国のいつものやり方であるので、そこまで気をまわす必要はないのだろうが。それにしても急展開だ。いや、先日の日記にも書き記したとおり、いずれこうなるかもしれないと予想はしていたわけだが、それにしたって決定が出し抜けだ。最初にオンライン授業にしますという通知があったのがおよそ三週間前、15日の14時過ぎで三十分後にひかえている次の授業からオンラインでやってくれというめちゃくちゃなアレだったわけだが、その後30日に12月1日から封校解除&5日から教室授業再開の通知が届き、あ、よかったよかった、めでたいめでたいと思っていたところ、今日(4日)、日中にまず明日(5日)はやっぱりオンライン授業継続になるかもという通知、そして夜に今学期の残り授業すべてオンライン&学生の帰省前倒し決定の通知があったわけで、迅速すぎる決定に現場が混乱するのはいつものことだしこちらとしてもまずまず慣れっこだが、ただ今回の一件に関しては、上のほうもやっぱり相当混乱しているんではないかという気がする。
 冷食の餃子を食す。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、今日づけの記事を途中まで書き進める。2時前に作業を中断してベッドに移動。その後は『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読んで就寝。
 今日は『オオカミが現れた』(イ・ラン)、『Failed Celestial Creatures』(David Grubbs & 宇波拓)、『New Decade』(Phew)、『BADモード』(宇多田ヒカル)をききかえした。『オオカミが現れた』はやっぱりめちゃくちゃいいな。『BADモード』も、宇多田ヒカルのアルバムのなかでは唯一、あたまから尻まで通して何度もきいたものになるかもしれない(いや、『HEART STATION』もアルバム単位で好んできいていた時期があったか)。