20221208

「お分かりになっていませんね」私は言った。「この問題がすべてのことに影響してるんです。肝心なことは、もし一切が外界のことならば、もしいかなる考えも自分自身のものではないというのなら、私に自由なんていうものがあるのか、ということです。自由を見つけたいなどというのは、ぜいたくな望みなのか、ということなんです。この恐怖は薬では解決できないものです」
(郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳『1984年に生まれて』)



 目が覚めると11時をまわっていたのでちょっとびっくりした。最近はだいたいいつも10時前に自然と目が覚めていたので。来週は健康診断のために早起きする必要もあるし、ぼちぼち朝型に転じておかないとまずい。歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。朝食兼昼食はきのうパン屋で買った食パン二枚をトーストしてすます。食後のコーヒーを用意し、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、2021年12月8日づけの記事を読み返す。

 クィア理論の先駆者であるレオ・ベルサーニは、二〇〇二年の論文「社交性とクルージング」において、ゲイの「ハッテン場」、すなわち、まったく外面的な判断のみによって相手を選び、すぐさまセックスをして去っていく場所を、一般的な「社交性」にとってのゼロ地点のごとき場所として考察している。
 ベルサーニは、ゲオルク・ジンメルによる「社交性」の考察から始める。社交性(友達とのちょっとした会話とか、会社でのやりとりなどを思い浮かべてほしい)とは、自分の実存全体を投入することではない。むしろ自分のいくつかの部分のみで、自分を「控えめ less」にして、自分の「以下性 lessness」を駆使してつきあうことである。実存まるごとをホットに社会全体の目的へ直結させることがファシズム的であるとすれば、自分を「以下」にすること、それぞれの程々の「引きこもり」にもとづく社交性のクールさはファシズムに対する防波堤であり、かつ、場合によってはファシズムへ熱していくかもしれない関係の初めの温度である。この意味で社交性とは、あらゆる関係の可能性の条件、どうでもよさの条件であり、それが(内面なしの)身体と身体のアドホックな黙約において露わにされるのが「ハッテン場」という社会の影なのだ。
 さらにベルサーニは、人間のみならず、あらゆる存在者の「以下性」さえも示唆している。これは、社交性の概念から存在論へのジャンプである。ものごと一般の政治哲学である。存在者たちは、それらの本質を互いに全体として絡み合わせているのではない。どんな存在者も、それぞれの「以下性」によって多角的に分離しており、多角的にすれ違っている。社交性の存在論化、それは、世界はハッテン場であるかのようだと思弁することである。いわば「存在論的ハッテン場」におけるものごとの複数性。分離した万物のリズム、分身化、その快楽。

最も深いところで言うならば、社交性の快楽とは、存在することの快楽、具体的に存在することの快楽である。純粋な存在の、抽象的なレベルにおいて。あの快楽に、それ以外の説明はない。社交性の快楽は、意識的・無意識的な欲望を満たすのではなく、それは、諸々の事物[things]へと向かう/から離れるという絶えまない動きの誘発性[seductiveness]なのであり、それがなければそもそも、いかなる事物に対する特定の欲望もありえない。あらゆる事物に対する欲望可能性の存在論的な基礎としての誘惑性である。

(千葉雅也『意味がない無意味』より「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない——倒錯の強い定義」 p.112-113)

 午後にひかえている日語会話(二)の期末試験に備えて教学手冊と筆記具を用意。ペンケースの中にシェーパンがないことを思い出す、と、書いたところで誤字に気づいたのだが、なんやねんシェーパンって! シャーペンや! たぶんどこかの教室に置き忘れてきたのだと思う。しかたがないので身支度を整えて文具店に向かう。おばちゃんが包子を食いながら店の前に立っているので軽く会釈。店の中に入ってシャーペンと予備のボールペンを購入。あわせて6元。店を出る。文具店のそばにある瑞幸咖啡が営業再開していることに気づく。寮に戻る途中、見覚えのある女子とすれちがう。私服姿だったので最初わからなかったが、第五食堂でアルバイトしている女子学生だ、いつもこちらが打包して去るときに手をふってくれる顔馴染みだ。女子寮の前には衣類でパンパンになったビニール袋を配送業者らしい男性にあずけている女子学生らの姿。
 帰宅。期末試験のシミュレーションをちゃちゃっとすませ、採点基準を明確にする。余った時間で日語基礎写作(一)の期末試験で使用する簡単な書き換え問題も40題ほど作成する。
 16時になったところで二年生のグループチャットにVoovMeetingのURLを送信する。今日テストをするのは(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの8人。16時半になったところで試験開始。URLにアクセスすると、8人全員が顔出し&マイク音になっていたので、ひとりずつ順番にやりましょうといっていったん切る。で、微信のグループチャットのほうで学籍番号順にひとりずつこちらが指名、呼ばれたひとだけがくだんのURLを介してミーティングルームに入るという方式ではじめる。テストは「道案内」。自作の地図を二種類用意した上で、こちらが道案内したその目的地の番号を学生が答えるというリスニングを4題、こちらが指定した目的地まで学生が道案内するスピーキングを4題するという形式。まず、(…)さん。いくつかミスはあったが、結果は上々。彼女は先学期の成績も上位に位置している。(…)さんはリスニングがひどいが、スピーキングはかなりマシ。ただカメラの向こうの目線がずいぶんきょろきょろしていたので、あ、あれはカンニングペーパーを用意しているなと推察。その分は当然減点する。(…)さんは授業中全然やる気がないのだが、テスト対策だけはしっかりこなしてきたようで、想像をはるかに上回る出来だった。その彼女の相棒である(…)さんは予想通りボロボロ。たぶんクラスの女子では最下位に位置するのではないかと思う。あと、すっぴんだったからかもしれないが、カメラをオンにしてもらった最初の瞬間、だれであるのか全然わからなかった、冗談ではなく本気で一瞬替え玉じゃないかと疑ってしまった。(…)さんもばっちり対策していたようでかなり良い出来。もちろんそういう学生はベタ褒めする。(…)さんと(…)さんもまずまず。後者は日頃の授業態度から察するにもうちょっとできるんではないかと期待していたのだが、(…)さんや(…)さんのレベルではなかった。(…)さんは最高。元々けっこうしっかり授業を受けているタイプの学生であるし、高校生から日本語を学習していた子であるので、できないということは全然ないだろうとは思っていたが、めちゃくちゃしっかり練習してきたのだろう、リスニング四題も迷わず一瞬で答えて全問正解、スピーキング四題も途中で詰まったり考えたりすることなくすらすらすらっときわめてスムーズに答えてみせて、あんたが本日のMVPや! 死ぬほどベタ褒めする。優秀! 天才! というと、たいそう嬉しそうに笑っていた。本当にすばらしい。こちらがもし寿司職人の息子だったら、彼女のためにまぐろ百貫握ってふるまっていたと思う。
 めちゃくちゃ時間に余裕をもたせるつもりで作りあげたスケジュールだったのだが、8人分の試験を終えたら時刻は18時、ふつうに90分フルで使い切っていた。第五食堂に向かう。グラウンドの脇に献血の車が停まっているのを見て、この時期にも来るのかとちょっと驚いたが、いや世間的にはもう封鎖解除なのか、だから外部の人間もキャンパスにいちおう出入りできるのか、となればbottle waterの配達も業者にお願いできるのかもしれない。水道水をいちいち沸かして飲むのはめんどい。健康に良い気もしないし。
 食堂はまだ相応に混雑している。週末にあるという英語の4級試験と6級試験が終わったらいま大学に残っている学生もごそっと抜けるはずなので、もしかしたら来週以降食堂も規模を縮小したうえでの営業になるかもしれない。院試組は24日まで残っているわけだから、さすがに全館閉鎖ということはないはず。
 打包して帰宅。食うべきものを食う。(…)さんから微信。「道案内」の練習をしたので発音を修正してほしい、と。ボイスメールをチェックする。前回指摘して修正したアクセントが今回もほぼすべて間違っている。やはり音感があんまりよろしくないタイプなのだと思う。以前送ってくれたギターの弾き語り音声も、楽器の演奏をまったくたしなまないこちらでもチューニングがずれているとわかるほどギターの音がおかしかったし、鼻歌もけっこう調子外れだった。音感のないひとのアクセントを修正するのはなかなか至難のわざなんだよな。でもそれでいえば、今年のスピーチ代表だった(…)くんはかなりがんばったのだといえるのかもしれない。彼はもともとアクセントがぐちゃぐちゃだったし、じぶんのことを相当音痴だといっていたわけだが(実際彼が鼻歌で宇多田ヒカルの“One Last Kiss”をうたっているのを聞いたことがあるが、なかなかけっこう邪悪なリミックスみたいになっていた)、コンテスト本番を迎えるころにはけっこう聞けるようになっていたし、その甲斐あって良い結果を得ることもできた。(…)さんとはその後多少やりとり。「道案内」ができるようになったらぜひきみの故郷を案内してほしい、二つ目の交差点に蛇がいますとか言ってねと、彼女の出身地が蛇で有名な(…)であることを踏まえていうと、先生は蛇にのってわたしのうちに来ることができますよと悪ノリした返事。続けて、日本人は蛇を食べますかというので、田舎だったら食べるひともむかしはいたかもしれないけど現代の日本人で蛇を食べたことがあるひとなんて1%もいないと思うよと答える。こちらはすべての生き物の中で蛇がいちばん嫌いであるが、蛇料理には興味がある。あと、以前(…)さんが(…)の后街で食ったといっていた犬のチンコが入ったスープも。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。コーヒーを用意して「実弾(仮)」第三稿執筆。21時から23時半過ぎまで。プラス3枚で計967枚。シーン53を終わらせて、シーン54に着手。いよいよラストシーン。ここだけ回想になる、というか時間を巻き戻すわけだが、2010年12月のシーンとして書きはじめてしばらく、作中で言及するつもりだった京大入試カンニング事件が年明け後の2月であったことを思い出し、キエーーー! 矛盾発生! 一部の記述をボツにして、2011年2月に設定をあらためる。リサイクルショップの年末セールで買い物を終えたところであったはずの孝奈と景人のふたりも、これからまおまおのライブに向かう道中のふたりとして書き換える。シーン4とシーン5の間。

 作業中、(…)さんから連絡。明日帰省するので授業に出席することができないという連絡。問題なし。早朝の便で出発なので今日は徹夜するとのこと。
 懸垂をする。夜食のトーストを食し、ジャンプ+の更新をチェックし、ニュースをのぞく。柄谷行人がバーグルエン哲学・文化賞を受賞という知らせ。まったく聞いたことのない賞だったのだが、「この賞は、同所長で慈善家のニコラス・バーグルエンさんが「哲学のノーベル賞」を目指して2016年に創設し、「急速に変化していく世界のなかでその思想が人間の自己理解の形成と進歩に大きく貢献した思想家」に毎年授与している」とのこと。ちなみに柄谷行人はアジア初の受賞者。ニュース記事に添付されている写真を見たのだが、いつのまにかすっかりおじいちゃんになっている。もう81歳らしい。柄谷行人の著作で最後に読んだものってなんだったっけ? 『トランスクリティーク――カントとマルクス』かな?
 今日づけの記事を途中まで書く。歯磨きしながら日語基礎写作(一)の期末テストも三回ではなく、(口語と同様)四回に分けて実施するかと考える。今日「道案内」をやってみたあの感じから察するに、三回ではたぶん全員分のテストを片付けることはできない。その後、寝床に移動して『彼岸過迄』(夏目漱石)の続きを読む。
 今日は『Love Is a Stream』(Jefre Cantu-Ledesma)と『NIA』(中村佳穂)をききかえした。中村佳穂はやっぱり『AINOU』のほうがいいかな。あと、モーメンツに(…)さんがShe Her Her Hersの楽曲へのリンクをはりつけていたので、ちょっとびっくりした。いつだったか中国のリスナー限定でオンラインライブみたいなこともやっていたし、大陸でのマーケティングに力を入れているのかなとそのとき思ったものだったが、まさか特別音楽に詳しいわけでもないこういう学生にまでリーチするようになっているとは。日本よりもはやくこっちで火がつくかもしれない。