20221213

自分自身が不安定な時は、周囲のすべてが自分を変えようとする力に思えるものだが、自分が自分でいられるようになると、他人や周囲のことは一幅の絵として眺められるようになる。絵の中の人間と思えば、みんな興味深い存在だった。
(郝景芳/櫻庭ゆみ子・訳『1984年に生まれて』)



 9時起床。こうしてようやく朝方に転じることができたというのに(…)から微信。木曜日に用事ができてしまったのでmedical checkを一週間ずらしましょうという。予定が遅くなれば遅くなるほど院内感染のリスクが高くなるわけだが、ま、しゃあないわな。あと、航空費をちかぢかふりこむのでチェックしておいてくれとのこと。Got it.
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。(…)さんがモーメンツにこちらとのツーショット写真を投稿している。最後に先生と会った、まだまだ心残りがたくさんある、(…)にずっといたいわけではないのだが(…)を離れたいわけでもない、そんな気持ちだ——と、だいたいにしてそんな感じの文章を付している。コメント欄で先輩の(…)さん——彼女はたしかいま(…)大学の院生だったはず——が、(…)がまた若返っている! どうして! みたいなことを言っていたので、髭を剃ったからだよと日本語でコメントしておく。
 その(…)さんから直接微信が届く。このあいだデザートという単語とデザインという単語を混同してしまったというので、ヨーグルトとカットフルーツを混ぜる店の前を通りがかったときの話だなと思い出す。その店で買ったものらしい食べものを彼女がモーメンツにあげていたので、スクショを撮って、これでしょう? と送る。然り。ミニスカートからのびる腿の上にのせたヨーグルトとフルーツで山盛りになったプラスチックの容器を、ベンチに座った彼女自身の視線を模した角度から撮影した一枚であるのだが、その奥にぼやけて写り込んでいるスニーカーの左右が色違いだったので、ぼくも大学生のころに色違いのスニーカーをわざと履いていたよというと、「それは中国語で鸳鸯と言います」という返信。ググってみたところ、いわゆるオシドリ夫婦のオシドリのことらしい。「友達と一緒に色の違うデザインの同じ靴を二足買いました」と続いたので、「なるほど!友情の証みたいな感じか!」と受けると、「そんな気がある」とのこと。日本に行ったらぜひ古着屋めぐりをしなさい、きみだったらきっと死ぬほど楽しむことができるから、と伝える。

 彼女のクラスメイトである(…)さんからも微信が届く。今学期中にいちど一緒に火鍋を食べにいく約束をしていたのに、コロナのせいで急いで故郷に帰るはめになってしまった、と。(…)さんのモーメンツを見て、食事の機会を逃してしまったことを残念に思ったのだろう。またチャンスがあるかもしれないし、そのときはぜひ一緒に火鍋を食べましょうと返信する。
 身支度を整えておもてに出る。今日もまた晴天。第四食堂まで歩いて向かったが、ひさしぶりにサングラスをかけてきたほうが良かったかもと悔いるほどのまぶしさだった。うちの母親は瞳の色素が非常に薄く、まぶしさにかなり弱くて、夏場などは洗濯物を庭に干しにいくわずかな間もサングラスが手放せないほどなのだが、その遺伝なのかなんなのか、むかしはそうでもなかったのだがたぶん老化のせいだろう、ここ数年は真昼のぎらぎらした日差しなど裸眼で耐えるのがちょっとつらくなってきている。第四食堂の入り口にあるハンバーガー店で今日も海老のハンバーガーを二個打包する。厨房のおばちゃんが咳き込んでおり、おいおいだいじょうぶか、と過敏になってしまう。
 注文したものを受け取って元来た道をひきかえす。自転車がずらりと駐輪されているわきに(…)先生らしい姿を見かける。他人の空似だろうと思って気にしなかったのだが、のちほど彼女がモーメンツに、学生らが去ったことであるし食堂も空いているだろうと思って出かけてみたら満席だった、みたいなことを投稿していたので、あ、やっぱり本人だったんだ、と思った。
 帰宅。食うものを食う。食後のコーヒーを用意して、きのうづけの記事の続きを書く。その過程で莫言ウィキペディアをのぞいてみたのだが、「2007年12月9日、山東理工大学で自身の文学を振り返り「最初は自覚せずに蒲松齢と同じ道を歩いていた。その後は自覚的に蒲松齢を自らの手本として創作するようになった」と述べている」という記述があり、蒲松齢って知らない名前だなと思ってこちらの項目ものぞいてみたところ、「清代の作家」で、「特に怪異小説集『聊斎志異』や農業・医薬の通俗読物『農桑経』などを著したことで知られる」とある。で、この『聊斎志異』という作品がやはり独立した項目として成立しているようだったのでのぞいてみると、「藤田(1954)によれば「中國古来の筆記小説の系統を引く數多い文語體の小説の中に在って、短編小説として最も傑出しているということは、既に定評となって」おり、今井(2010)によれば、怪異文学の最高峰と言われている」という評価が。さらに詳しく見てみると、芥川龍之介佐藤春夫太宰治火野葦平佐藤さとる(!)、森敦などが翻案を発表しており、漫画家では手塚治虫諸星大二郎などが影響を受けているらしい。で、いちばん驚いたのが以下の記述。

ヨーロッパでは1880年にハーバート・ジャイルズが『聊斎志異』から162篇を抜粋英訳したが、これは削除ないし簡略化がなされているとチャールズ・エールマーから評されている。 ドイツでは1911年、マルティン・ブーバーの『中国幽霊・恋愛物語集』Chinesische Geister- und Liebesgeschichten が聊斎志異からのドイツ語訳16篇を収録しているが、これは上記ジャイルズの英訳を知人の中国人の協力を得て是正した独訳である。この選集に対しカフカは、後に彼の婚約者となったフェリーツェ宛ての1913年1月16日付けの手紙の中で、これは自分の「知る限り」では「すばらしい」本だと留保つきで称賛している。

 ブーバーを経てカフカにまで届いている! これにはびっくりした。マルティン・ブーバーといえば、『特性のない男』のネタ本である『忘我の告白』があるわけだし、もしかしたらムージルもまたこの『中国幽霊・恋愛物語集』を読んでいるかもしれない。ムージルの日記も書簡集も実家にあるのでいま確認することはできないが、もしかしたらなんらかの感想を書き残しているのでは? あと、ボルヘスもバベルの図書館シリーズに『聊斎志異』から何編か選びとって収録しているらしい。ま、こちらはボルヘスのことを特別優れた作家だとは思わないので(ムージルカフカに並びうる存在ではまったくない)、そこはいい。
 いずれにせよ、こうなったら読まないわけにはいかないのではないかと思い、Kindleストアをさっそくのぞいてみた。光文社古典新訳文庫から一冊出ているようだったので、とりあえずはこれかなと思ったのだが(第1巻から第12巻まですべて収録した完全版なるものもKindleストアにあったが、さすがにこれはボリュームがでかすぎる)、森敦による翻案『私家版 聊齋志異』が目に入り、『意味の変容』の作家が怪異譚か、とちょっと直感的に反応するものがあったので、そちらをポチることにした。
 14時半になったところで日語会話(一)。VoovMeetingは無事つながった。今日は第7課。前半は簡単な内容なので、冗談を多めにしてざっと流す程度。で、肝心の「あげます」「もらいます」については、これは期末試験で取り扱いますと事前に断った上で、みっちりとレクチャー。で、実際に試験で使う画像を用いて練習問題などやってみたのだが、けっこうボロボロ。そもそもオンライン授業であるのでまともに聞いていない学生も一定数いるわけで、ま、しゃあないわな、たぶん来学期ほかの学部に転入する学生もけっこういるだろうし、と割り切って進めていたのだが、そんななかで、(…)さん、すばらしかった! 彼女は大学から日本語をはじめた学生であるはずなのだが、ほぼパーフェクトですらすらと答える。こ、こんな逸材がクラスにいたとは! 最後の25分ほどはリスニングを兼ねたゲーム。Aさんが1000円持っています、AさんがBさんに300円あげました、CさんがAさんに250円もらいました……みたいな文章をこちらが読みあげる。で、学生らはそのあいだメモをとりながらしっかりリスニング、最終的にAさんBさんCさんはそれぞれいくらずつお金を持っていますかとたずねるかたち。こういうゲーム性のあるやつはやっぱり盛り上がる。指名したわけでもないのに、学生らが続々とチャット欄に答えを打ち込むのだ。ちょっとびっくりしたのは(…)さんがめちゃくちゃ積極的にこの問題に参加していたこと。しかも正答率もかなり高い。彼女、クラスの女子のなかでもワースト3に入るレベルでやる気がないし、たぶん来学期よその学部に転入するんじゃないかなと思っていたわけだが、いったいなにがあったのか? なぜそんなやる気まんまんになっているのか? キツネにでも憑かれたか?
 授業が終わる。とりあえずすばらしいパフォーマンスを発揮してくれた(…)さんに絶賛と激励の微信を送る。優秀な学生に対しては素直に褒めまくるのがいちばんだということをこちらは知っている。それこそいま重慶で院生をやっている(…)さんなんて、彼女が二年生のときにこちらがぽつりと口にした「きみ、発音すごくきれいだね」のひとことをきっかけに、大学院に進学することを決めたのだ!
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回。2021年12月13日づけの記事を読み返す。

 補助線を引こう。こうした人間の捉え方は、ドゥルーズガタリに遡って敷衍することができる。ドゥルーズガタリの『アンチ・オイディプス』における精神分析批判では、欲望を解釈せずに、とりわけ家族的関係の表象に置き換えずに、その「機械」としての作動を肯定せよという主張がなされていた。こうした「欲望機械」論はつまり、欲望的に何かを行うことを、たんにそれ自体でそうしているだけだとして、根本的には、放置することに他ならない。これは、特異的な欲望がそのように欲望されることの非理由化である(それが、いわゆる「強度的」であるということだ)。
 精神分析批判を通してドゥルーズガタリが提案する「分裂分析」という方法は、ある対象を求めることが、他の対象や動作とどのように無解釈的に並立しているかをたんに外在的に観察し・記述するだけのことであるだろう。欲望機械を観察し・記述するだけの作業こそは、しかし、意味づけ=解釈よりもずっと困難で、注意深さを要求されることである。分裂分析では、解釈という〈複雑な単純化〉を遮断して、〈単純なことの複雑な並立〉にミクロな観察を行うよう促していると考えられる。
 機械的=無解釈的にそうしているだけというのは、何かをすることによって自己と他人との共同性にいかなる効果が生じるのかを先読みしての自己統御をしないということである。欲望機械は、たんに一方向的にその力を周囲へと放散するものだ。
 ところで、小泉義之は『ドゥルーズと狂気』(二〇一四年)において、『アンチ・オイディプス』は、精神医学や精神分析によって定義され、治療対象とされるスキゾフレニー(分裂病統合失調症)を範例にして「欲望人」の解放を論じているが、それは本質的には、治療や福祉で丸め込むことの困難な種々雑多の「狂い」を問題にしているのだ、という読みを示している。要は、「治らない」逸脱性こそを考えている、ドゥルーズガタリはそれにこそ革命的な役割を与えている。小泉は、『アンチ・オイディプス』のなかに広義の概念「スキゾイド」が出現することを指摘しつつ、如上のように読みを押し拡げる。さらに小泉は、殺人を犯す可能性の人類普遍的な遺伝を扱ったドゥルーズのゾラ論を経由し、反社会性・犯罪性に(スキゾイドよりも)強く結びつけられてきた「サイコパス」までをも射程に入れる。この視線は、精神医療改革の残滓、すなわち、治安技術の側へと渡される残滓に注目するものだ。一九六〇-七〇年代には、患者の意志を尊重する人権的な処遇が実現されていった一方で、「端的に言うなら、当時のリベラル・左翼は、触法精神障害については、いわば司法・警察・司法精神医学に丸投げしていた」という指摘がされている。
 こうした分割統治の分割線を、本稿に引き寄せて言い換えてみる。厄介なのは、解釈的に馴致しうる範囲の者/その範囲を超えて勝手に行動してしまう者という分割である。あるいは、解釈的にどうにかなる者/無解釈的にどうなるかわからない者、である。解釈的=人権的=人文学的という等式が示唆されている——この等式の外部に向けて、言葉にならない言葉を与えなければならないのだ。一般的な欲望論として言えば、私たちの誰しもが、無解釈的な「欲望人」として一方向的に存在しているのだから。
(千葉雅也『意味がない無意味』より「思弁的実在論と無解釈的なもの」 p.155-156)

 同日づけの記事には「モーメンツをのぞいたときに気づいたのだが、今日は南京事件の記念日だった。毎年この日は学生らもちらほらそういう記念画像みたいなものを投稿する」という記述もあり、あ、そっか、今日なんだと思ったが、今年はモーメンツでその種の画像をまったく見ない。たぶんみんなコロナでそれどころではないのだろう。あと、以下の記述を読んで、「ある崖上の感情」だけまたちょっと再読しようかなと思った。

バスの車内では『梶井基次郎全集』の続き。「ある崖上の感情」を読んでたまげた。これ、精神分析的読解の対象としてうってつけの代物ではないか? 「分身」と「性欲」を組み合わせる論理が冴えまくっているし、視点人物の切り替わる構成までもが「分身」のテーマに即していて、ちょっと信じがたい完成度を誇っている。いやー、マジか、梶井基次郎やってくれたなお前マジで! という感じ。「S」執筆中に読んでおくべきだった。やっぱりこの作家はちょっとものが違う。

 あと、一年前の今日はちょうど留学帰りの(…)さんと再会した日なのだった。だから記事も長いし、面白いエピソードもいろいろと記録されているのだが、ひとまずめぼしいものだけピックアップして再掲しておく。

いろいろ差し迫っているので、覚えていることから簡単に書いていく。まず単位について。上述したとおり、日本の(…)大学で履修した講義をもって(…)で履修すべきとされている講義の代わりとするというシステムがいちおう存在するわけであるが、単位の互換性があるというわけではなく、あくまでも講義内容がほぼ同一のもの−−あるいは類似したもの−−というていで申請しなければならないらしい。ところで(…)さんが日本で履修した講義の大半は心理学方面であるのだが、(…)の日本語学科には当然心理学と関係する講義など存在しない、つまり、心理学関係で稼いだ単位数をそのまま(…)の卒業に必要な単位数としてカウントすることができない。そのあたりがちょっとめんどうくさいことになっているらしく、どうすればいいかと(…)先生に相談したのだが、いまだに返事がないと(…)さんは悩んでいた((…)先生からの返事はその後夜になっても届かなかった)。ただ、(…)さんがいうには「キャリアデザイン」など横文字の講義名は、監査する側の人間もその意味を理解することができないはずなので(当たり前だが中国人はカタカナを読むことができない)、それをもって(…)で卒業するのに必要な講義の代替として申請すればどうにかなるんではないかとのこと。そういうでたらめが通じてしまうところがやはり中国であるなと思うし、というかそれをいえば留学制度を設けておきながら単位の互換性がしっかり保証されていない欠陥だらけのシステムがそのまま放置されているところもやはり中国であるなという感じ。

ゲームでいえば、日本の教授とゼルダの話題で盛り上がったという話もあった。(…)さんは都合三つのゼミに参加している。一つ目のゼミはもともと彼女がやりたいといっていた臨床心理士方面のゼミであるが、さすがに彼女の日本語能力でカウンセリングの模擬練習などは難しいということで、途中でもう少し数字を使った方面のゼミに移動。そのゼミの担当教授がものすごく優しく、卒論に必要な本を買ってくれたり貸してくれたりしたという。夏休み中にやらなければいけないことをやらなかった彼女が、夏休みはゼルダをプレイしていたのでと率直に打ち明けると、ゼルダであれば仕方ないといって、そのまま二時間ほどずっとゼルダの話をしていたみたいな話もあり、その口ぶりから察するに、かなり信頼していた様子。ただその教授は途中でほかの大学に移ったらしく、それで三つ目のゼミへの異動を余儀なくされたらしい(ちなみに本は借りパクしてしまったという)。

教授陣は基本的にみんなとても優しかったと(…)さんはいった。たいして高くないレベルの大学であるにもかかわらずみんな東大卒や京大卒だったのでおどろいたというので、いやいや教授ってそういうもんじゃんと言いかけたが、そういうもんでもないのが中国の二流三流大学なのだった。同級生の日本人らもみんな優しかったらしく、対面授業があった最初の一年はけっこうみんなで一緒に帰ったりすることもあったというのだが、コロナのせいでオンライン授業中心になってからというもの疎遠になってしまったとのこと。

ルームメイトの中国人とはあくまでもルームメイト止まり。いちど(…)まで出向いていっしょにN1試験を受けにいったというのだが、(…)さんは事前にほとんどまったく勉強していなかった、反対にルームメイトのほうは勉強しまくっていた、試験の前日もルームメイトのほうが(…)さんにきっと大丈夫だよと励ます側だった、それなのに蓋をあければ(…)さんのほうが20点以上高得点をマークして合格したというので、めっちゃ嫌なやつみたいになっているじゃんと爆笑した。N1は150点以上あったらしい。かなりの高得点だ。やっぱりゼミで難しい論文を読みまくっていたのが良かったのかもしれないなというと、試験会場では近くの席におばさんがいた、おばさんということは日本在住生活も長いだろうし日本語能力も高いだろうから、リスニングの難しい問題などは彼女の回答をカンニングしたというまさかの返事があり、マジで中国人のこのカンニングに対する抵抗のなさはなんなんと苦笑した。ちなみにN1試験の会場となった(…)の門前には「あやしいひと」がいたとのこと。詳細をたずねてみるに、どうもヘイトスピーチ界隈の連中らしい。わざわざ日本在住の外国人が集まる日本語検定試験の会場にやってきてそういう活動をするクズっぷりに吐き気を催した。死ね!

おばあちゃんがこの10月だったかに亡くなったという話もあった。ちょうど隔離期間中だったので死に目にはあえなかったのだが、夢を見たという。夢のなかでおばあちゃんは(…)さんに向けてやったと会えたねといったらしい。後日、ほかの親戚も夢の中でおばあちゃんにあったという話があった。おつかれさま、とおばあちゃんは口にしたとのこと。田舎のほうの風習として、死者のために木で舟をこしらえ(「S」かよ!)、そこに生前の道具、布団や何やかやをのせて川に流すというのがかつてあったらしいのだが(いまは環境保護のために禁止されている)、その儀式をとりおこなった後、死者が夢のなかで「私の布団はどこにあるの?」と訴えるみたいな話も、よくある都市伝説としてであるのかそれとも実際に(…)さんが知り合いから聞いた体験談としてであるのかはわからないが、あった。

田舎の葬式は大変だった。三日間ほぼ寝ることができなかったという。客人が来るたびにみんなで土下座みたいな礼をするのをずっとくりかえしていたらしい。田舎の葬式といえばこちらの記憶にあるのが、まだ保育園に通っていたころだと思うのだが、家から墓場まで歩く往路であったか復路であったか忘れてしまったが、先頭を歩く人間が運動会の玉入れの柱みたいなものを持っており、それをシャンシャン振りながら先に進む。柱の先端についているネットのなかには小銭が大量に入っており、シャンシャン振るたびにその小銭は当然道路にばらまかれる。で、参列者らはそれを我先に拾い集めるみたいなやつで、当時それでけっこうなお小遣いを手にいれ、また葬式にいきたいと思ったりもしたものだったが、この話をすると、中国の田舎でも同じような葬式があるというまさかの反応があったので、マジか! 中国由来だったのか! と感動した。(…)さんのおばあちゃんの葬式では、米と茶っ葉をまぜたものをポケットに入れるという習慣もあったらしい。ポケットに入れたものは墓場で最後に撒くのだったかなんだったか忘れてしまったが、米だけではなく茶っ葉もあるというのがいかにも中国。あとはおばあちゃんの通夜のあいだ、とにかく寒くてたまらなかったので(たぶん田舎だから暖房もろくにない)、寒さに耐えられなくなるたびに纸钱を燃やして暖をとったという話もあって、けっこう笑った。

支払いがすんだあと、(…)さんは関西弁のアクセントでありがとうといった。日本で暮らしはじめて最初に驚いたアクセントとのこと。教科書で習うアナウンサーみたいな日本語と現実の日本語では全然違うのだなという印象を持ったらしい(…)さんは、そのことを「日本人は日本語がちょっと下手です」と面白い言い回しで表現した。

 それから今日づけの記事も途中まで書いた。17時半になったところで切り上げ、街着に着替えてからふたたび第四食堂へ。運動不足解消のために徒歩で向かう。きのうと同じ店で打包。
 帰宅して食す。ひとときなまけたのち、浴室でシャワーを浴びて気分を切り替える。ストレッチをし、コーヒーを入れ、今日づけの記事の続きをここまでバババッと書き加える。すると時刻は21時だった。

 母からLINE届く。兄の会社でクラスターが発生したという。兄は重要な仕事の最中なので会社を離れることができず、寝袋を持ちこんで寝泊まりしているとのこと。(…)や(…)の通う(…)小学校——こちらの母校でもある——でも三年生と四年生と六年生が学級閉鎖になっているらしく、いよいよ身近なところまでせまってきたわという。妙なところだけこっちの状況とリンクするわけだ。しかしなにもかもが対岸の火事としか感じられなかったあの平和な田舎でもいよいよそこまで切羽詰まっているわけで、年貢の納め時感がすごい。あと、弟がこれから(…)で(…)教室に出るという怪情報もあったが、詳細はきいていない。たぶん(…)がそういうイベントを開催することになり、教師役の職人として弟も呼ばれたということなのだろう。
 明日、日語会話(一)の補講することになっているので、その資料もチェックする。授業の半分は期末試験の説明に費やすつもりなので、それほど時間をかける必要はない。詳細は明日、授業直前に詰めればいい。
 21時半すぎから書見。『「エクリ」を読む 文字に添って』(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳)の続き。「アクティングアウト」という単語が何度か出てきたので、なんだろこれと思ってググってみたところ、「ナース専科」というウェブサイトの「看護用語集」に以下のようにあった。防衛機制の一種か。

意識したくない「無意識の衝動・欲求・感情・葛藤」が意識化されそうになったとき、それを回避しようとする防衛反応のことを言う。「行動化」とも呼ばれてる。
自覚ができていない衝動・欲求・感情・葛藤が、言葉としてではなく行動として表れる。
自傷行為、自殺企図、暴力行為などが含まれる。

 あと、第3章の「「無意識における文字の審級」を読む」の原注に、ラカンが自作(?)の難解さについて言及している以下のような記述が紹介されていたのだが、これってまさに自分が日頃から考えていた芸術のありかた、たたずまい、態度や物腰そのものだなと思った。

 ラカンはしばしば、彼がそのような難しさをどれだけ重要と考えているか述べている。たとえば、セミネール第18巻における『エクリ』についての見解を見られたい。「多くのひとたちが躊躇うことなく私に「何ひとつとして分からない」と言っていた。それだけでもたいしたものだと気づいてほしい。何も理解できないものが希望を可能にする。それはあなたがその理解できないものに触発されているしるしなのだ。だからあなたが何も理解できなかったのは良いことである。なぜならあなたは、自分の頭のなかにすでに確かにあったこと以外、決して何も理解できないからだ」(March 17, 1971〔105〕)。

 ラカンはおそらく、読者に、ストア派の哲学者クリュシッポスが示したような態度で振る舞って欲しいのだ。彼は個人教師に「私にいくつか教義を与えてください、そうすれば私はそれらを支える論証を見つけましょう」と言ったのである。ラカンセミネール第11巻の後記(英訳には収録されていない)で言っていることを考えてみよう。「あなたはこの書きもの[stécriture]を理解しない。そうであるなら、より結構なことだ。あなたは、それを説明する理由を与えられたことになるのだから」(253〔『四基本概念』379頁〕)。

 セミネール第19巻で彼はこう述べている。「私は、あなた方が自分の仕事に取り組むために、[私が言うことの]意味があまり簡単に分からないようにしている」(January 6, 1972 〔Je Parle aux murs, 92〕)。

 書見を切りあげて懸垂をする。冷食の餃子と重慶土産の菓子を食い、歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェック。その後、YouTubeにあがっているsyrup16gのライブ動画を延々と視聴し続けてしまった。新譜がリリースされてからというもの、毎日二、三曲はsyrup16gの楽曲を聴いている気がする。
 音楽といえば、今年はじめてきいた音源のうち、めぼしいものをピックアップしてききなおす作業もぽつぽつ継続している。ここ数日ずっと記録し忘れていた分をまとめてここに書きつけておく。『山田花子』(moreru)、『David Tudor: Rainforest (Versions 1&4)』(David Tudor&小杉武久)、『Radiate Like This』(Warpaint)、『脈光』(大石晴子)、『Creep Mission』(David Grubbs)、『Love is a Hurtin’ Thing』(Gloria Ann Taylor)、『Malesch』(Agitation Free)、『Diary』(Pot-pourri)、『A Light for Attracting Attention』(The Smile)、『ぼちぼち銀河』(柴田聡子)、『Limen』(KMRU & Aho Ssan)、『きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか』(HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS)、『Living Hour』(Living Hour)、『boneyard aka fearmonger』(underscores)、『fishmonger』(underscores)、『物語のように』(坂本慎太郎)、『Harbor』(Taylor Deupree)、『Feelings』(Ekin Fil)、『世界动物日记』(右侧合流)、『Sons of (Original Edition)』(Sam Prekop and John McEntire)、『Reflection』(壱タカシ)。このなかで今年いちばんリピートしたものはたぶん『Sons of (Original Edition)』かな。
 その後、寝床に移動し、『ほんとうの中国の話をしよう』(余華/飯塚容・訳)の続きを読み進めて就寝。