20221216

 舗装された道路は川に沿って続いていた。トンネルを抜けるとすぐに川の蛇行にあわせてカーブがあった。川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひらいた二つの眼から血管に流れ込み、自分の体が明るく青く染まっていく気がした。そんな感じはよくあった。土方仕事をしている時はしょっちゅうだった。汗を流して掘り方をしながら秋幸は、自分が考えることも判断することもいらない力を入れて掘りすくう動く体になっているのを感じた。土の命じるままに従っているのだった。硬い土はそのように、柔らかい土にはそれに合うように。秋幸はその現場に染まっている。時々、ふっとそんな自分が土を相手に自瀆をしていた気がした。いまもそうだった。
中上健次枯木灘」)



 10時起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。昨日から左の尻にあるちょっとしたできものが気になる。できものではなく一種の肌荒れか。カサカサしてかゆいのだ。はじめてのことではない。長時間椅子に座りつづける生活を続けていると、だいたい毎回同じ位置にできるのだ。体重がそこに集中してしまうせいで皮膚が傷み、ちょっとかぶれたようになるんだと思う。(…)さんから誕生日プレゼントにもらった熊のクッション、たぶんそういう用法は間違っていると思うのだが、しばらく座布団がわりに使ってみようかな。

 街着に着替えて部屋を出る。自転車に乗って第四食堂へ。ハンバーガー店で打包。海老のハンバーガーも飽きていたので、二個のうち一個は別のものを注文することにする。辛くないやつはどれだと店員のおばちゃんにたずねると、鶏肉のやつは辛くないという返事があったので、そいつを試してみることに。おまえ何人だというので、日本人だと答える。どれくらいここにいるのだというので、四、五年だと答える(実家でオンライン授業していた期間があるわけだが、めんどくさいのでそれはもういい)。教師かとさらに質問が続くので、そうだと答えると、おまえの中国語は本当に上手だみたいなことをいう。またこのパターンだ。上手なわけないのだ。謙遜でもなんでもなくマジで全然勉強してないのだ。嘘だと思うならおれの日記を読んでくれと思う。少なくともこの地域では你好と谢谢を知っている外国人はみんな中国語が上手だということになる。
 帰宅。打包したものを食す。鶏肉のハンバーガー、まずまずかな。食後のコーヒーを飲みながらきのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回する。
 14時半から日語基礎写作(一)。期末試験その一。今日は(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)さん、(…)さん、(…)さんの9人。日語会話(二)の期末試験は学籍番号の前から順にやっているので、こちらはケツから順にすることにしたかたち。常体/敬体および非過去形/過去形の変換問題をランダムに10題ピックアップして口頭で答えてもらう(問題は品詞と難易度ごとにカテゴライズされており、公平を期すべく、各カテゴリーから何問出すかについては事前に決めてある)。パーフェクトはひとりもいなかったが、(…)くんと(…)くんは9問正解。これについては驚きはない、ふたりとも非常に優秀な学生なので。驚いたのは(…)さんだ。なんと彼女も9問正解だったのだ! 彼女は(…)さんや(…)さんと同じく、今学期から日本語学科に転入してきた学生であるのだが、授業態度もまじめで熱心に勉強している(…)さんとは異なり、(…)さんとそろってクラスのやる気ないグループにいつしか所属するようになっており、じゃあなんでわざわざ移ってきたんだよとこちらはつねづねげんなりした気分で見守っていたのだが、まさかの期末試験対策バッチリ! なんだったら8問正解の(…)さんよりも良い結果を出したわけで、例によって、褒めすぎというくらい褒めておいた。いやー、びっくりした! いちばんダメだったのは(…)くんの3問。で、(…)くんは5問、(…)くんは7問、(…)くんは6問、(…)さんは4問という結果。(…)くん、思ったよりダメだった。ちなみに今日のテストも当然カメラをオンにして顔出ししてもらったのだが、いつもめがねをかけている(…)くんがなぜか裸眼だった。あと、(…)くんはあきらかにパジャマだったし(しかもちょっとかわいいやつ)、(…)くんはあれはたぶんカフェかどこかにいたんじゃないだろうか? (…)さんは屋外だったが、あきらかに農村で、おそらく家の中にいると家族や近所の年寄りがうるさいので、テストのためにわざわざおもてに出たということなんじゃないかと思う。
 すべて終えると15時40分だった。思っていたよりもずっと時間が余った。15問とするとさすがにちょっと多すぎるだろうが、もう少し問題数を増やしてもよかったかもしれない。ふたたび街着に着替えて部屋を出る。冷食の調達と偵察がてら、自転車に乗ってひさしぶりに(…)に向かうことにする。北門を出る。守衛に止められることはない。車道の交通量は復活している。案外みんなふつうに暮らしているのかなと思ったが、(…)の広場はやはり閑散としていた。しかし駐輪スペースの周辺には屋台がいくつも立ち並び、中国各地のご当地料理みたいなものを販売していて、少数ではあるものの客もいる。一方、ガラス越しにながめたスタバの店内はガラガラ。客は一組のみ。
 (…)の中へ。入り口に守衛はいない。QRコードの立て看板もない。自由に出入りできる。マジか。いちおう中に入った先でパイプ椅子に腰かけている守衛がひとりいるにはいるのだが、あれはたぶんマスクをしていない客に注意する係だろう。実際、マスクの自動販売機だけは以前と変わらず入り口に設置されたままだった。しかしこの変わりようはすさまじい。本当にお上のひと声でなにからなにまで様変わりするのだ。あまりの変化にちょっと笑ってしまう。ラテンアメリカ文学の独裁者小説が滑稽だという意味での滑稽さを、この地ではいたるところに見出すことができる。もちろん、それは恐怖を裏地とする滑稽さなのだが。(…)くんに教えてやりたい、族長の秋じゃない、国家主席の冬、総書記の冬をおれは生きているぞ、と。

 (…)へ向かう。まずは三階で歯ブラシを検分。フロアはガラガラ。店員のおばちゃんらが三人か四人、集まって立ち話をしているが、商品をひとつずつ手にとり選ぶこちらのそばには全然寄ってこない。通常であればわれさきにやってきて、しつこく営業トークをするというのに。感染をおそれているのだろう。以前は見つけることのできなかったフロスもあったのでこれも購入することに。そのまま二階に移動。红枣のヨーグルトと冷食の餃子をゲット。袋麺も買うつもりだったのだが、なぜか売り場から姿を消している。代わりにスープも火薬もついていない乾麺だけが大量に並んでいたのだが、これってもしかして正月が近いからなのか? いや、春節ならばともかく、別に正月だからといって特別なものを食べるという習慣はないのではなかったか——と書いたところでふと思い出したのだが、(…)から以前、長寿を祈って麺を食べる習慣があるという話を聞いた、あれは誕生日のことだったろうか? 正月のことだったろうか? 春節のことだったろうか? まあなんでもええわ。
 セルフレジで精算する。店の出入り口を引き返す。マスクの着用率は100%。以前は入り口にいる守衛の前でだけマスクを装着し、中に入ったとたんにそのマスクを取り外すという客が半数ほどいたと思うのだが(そして守衛もそのことを注意しない)、やっぱり完全に空気が変わったなという感じ。N95をつけている姿もけっこうある。顔のサイズに全然合っていないガバガバのウレタンマスクをつけている馬鹿はじぶんくらいだ。
 それにしてもこうしたショッピングモールやスーパーで働くひとは不安だろうなと思う。中央はいま必死で火消しに走っているわけだが、これまでさんざんコロナは死の病である、オミクロンとて同様である、死なずともひどい後遺症に苛まれることになるとさんざん吹聴してきたわけだから、実際、そうした情報が一種マイナスのプラシーボとして罹患した人民に働くことも大いにあるんじゃないだろうかという気がする。いや、だからこそ钟南山を動員してオミクロンに後遺症はないと宣伝するのにやっきになっているのかもしれないが、しかしこれにしたところで今後の布石だと邪推できなくないというか、感染爆発の結果それ相応の数のひとが悩まされることになるだろうLong COVIDを中央はもしかしたら認めないつもりでいるのではないか? そうした訴えをいっさい黙殺する気でいるのではないか? そんなふうに悪い想像も働いてしまう。しかし今後、そうした症状に悩まされる学生がじぶんの受け持ちの学生のなかにもあらわれるかもしれないわけで、いやそれをいえばじぶんだってその可能性があるわけだし、brain fogなんてマジで勘弁してほしいとずっと願い続けているわけだが、こんなもんロシアンルーレットみたいなもんやな、確率的にいえばじぶんの知り合いのなかでだれか、一人か二人か、あるいは三人か四人かわからんが、そういうのに苦しむだろうひとが今後確実に出てくるわけで、そのことを考えるとけっこう憂鬱な気分になる。 
 自転車にのって大学にもどる。北門の守衛、今日はこちらを完全スルーだった。健康コードの提示すら必要ない。ひとが脱糞する様子をながめるのが生きがいの守衛もいなくなっている。クビになったのかな? ざまあみろバカ!
 帰宅。今日づけの記事を少しだけ書く。それからふたたび自転車にのって第四食堂へ。どんぶりを打包して寮に戻る。(…)さんから微信が届く。作文コンクールの結果は出たか、と。とっくの前に出ている。残念ながら受賞ならずだったよと伝える。ではあのときの作文を授業の課題として提出していいですかと続く。「私たちは自分が日本語を学んだ後の感想を書く必要があるからです。」「この文章は私が真剣に考えて書いたものだと思います。」「先生はどんなテーマの文章を書いてもいいと言っています。」と。なんの授業であるか知らないが、たぶん最終課題が作文だったのだろう、それで以前コンクール用に書いた作文を使い回ししてもいいかとたずねているわけだ。こちらにではなくその授業の担当教師に聞きなさいと返事する。
 その流れでメシを食いながら少々やりとり。「学校の疫病が深刻だそうです。」というので、「そうなの?(…)でもとうとう感染者が出たの?」とたずねると、「そうです。」「私は他の学院の先輩から聞いた。」とのこと。は? マジで? 単なる噂じゃなくて、マジのマジなんだろうか? もしそうだとすれば、(…)からなんらかの通知があってもいいと思うのだが。しかしいまキャンパス内に感染者がいるのだとすれば、こりゃもうどうしようもないな、学生らはほぼ全員第四食堂でメシを食うなり持ち帰るなりしているわけだし、あそこがハブとなってガンガン拡大するんではないか? だったら避けるか? 予定よりはやめに自炊をはじめるか? となるわけだが、いや、どのみち時間の問題でしかないか。実家にいたころは両親もいたし感染しないようとにかく気をつけていたわけだが、いまはひとりであるし、デルタではないオミクロンであるし、それになにより春節&返校で今後感染するのはほぼ間違いないわけだから、過敏になっても仕方ないというのは正直ある。どのみち食堂の営業もあと一週間ほどであるわけだし、自炊はやっぱりそれ以降でいいか。「私の友人の一人が兵学校にいて、感染もしていました。」と(…)さんは続けた。ついに「知り合いの知り合いが感染」というところまでせまってきたわけだ。先に書いてしまうが、のちほどモーメンツをのぞいたところ、(…)さんが彼氏が(羊の絵文字)になって三日目と投稿していた。阳性の阳と羊はどちらもyang2と発音するので、中国では陽性のことを羊の絵文字であらわすことが多いのだが、それはとにかく、ここでもやっぱり「知り合いの知り合いが感染」というわけで、これ、思っていたよりもずっとはやいぞ。田舎であるし春節までは余裕だろうと構えていたわけだが、全然そんなことないかもしれない。来週病院で受けることになっている健康診断とか普通にちょっとリスクあるんじゃないか? まいったな、ほんとに。

 食後、ベッドに移動。『ほんとうの中国の話をしよう』(余華/飯塚容・訳)をほんの少しだけ読み進めて仮眠。覚めたところで入浴。ストレッチをしてコーヒーを入れ、ひさびさとなる「実弾(仮)」第三稿執筆。20時半から23時前まで。プラス3枚で計970枚。やっぱり時間をあけるとチューニングが狂うなという感じ。そんなに難しくないはずの記述にやけに手こずった。
 作業を切りあげて懸垂。冷食の餃子を食し、ジャンプ+の更新をチェックし、今日づけの記事の続きを書く。1時になったところで作業を中断。ベッドに移動。岩成達也が亡くなったことを知る。『ほんとうの中国の話をしよう』(余華/飯塚容・訳)の続きを読み進めて就寝。
 と、また書き忘れていた。ここ数日のあいだにききかえした音源。『PREY//IV』(Alice Glass)、『Lei Line Eon』(Iglooghost)、『Heterosexuality』(Shamir)、『音楽と密談』(浦上想起)、『Just Got Back from the Discomfort We're Alright』(Brave Little Abacus)、『Masked Dancers: Concern in So Many Things You Forget Where You Are』(Brave Little Abacus)、『While of Unsound Mind』(nouns)、『Tplay (Extended Edition)』(SND)、『Someday Is Today』(Living Hour)、『表象の庭で』(碧海祐人)、『からだポータブル』(諭吉佳作/men)、『Ali』(Vieux Farka Touré & Khruangbin)。