20221222

 私たちの言葉や美意識、価値観をつくっているのは、文学と哲学と自然科学だ。その三つはどれも必要なものだけれど、どれが根本かといえば、文学だと私は思う。私たちは「美しい」や「醜い」などの言葉を当たり前のように使っているが、これらの言葉はすべて文学が創り出し、そして文学によって保証された価値だからだ。
 ふだん人がしゃべっている言葉を根底で保証するのが小説家の仕事——小説を書こうと思っている人は、はったりでもいいから、そういう自負を持ってほしいと私は思う。
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』)



 何時に起きたか? そんなことはどうでもいい。9時から11時の間であることは間違いない。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。街着に着替えて寮を出る。自転車に乗って(…)楼の快递へ。なんと! 開店している! 昨日と一昨日の閉店はいったいなんだったのか? 中に入る。スマホ片手に倉庫の棚からじぶん宛ての段ボール箱を探す。「(…)!」と中国語読みで名前を呼ばれる。見ると、医療用マスクをつけたおっちゃんが棚の前にいる。以前(…)さんに送ってもらったプレゼントを受け取る際にやりとりをしたおっちゃんだ。めずらしい外国人であるのでどうやら一発で顔と名前を覚えられたらしい。こちら宛ての段ボールは彼の目の前の棚にある。手渡してくれる。そのまま手にした機械で回収手続きもすませてくれる。
 礼をいって快递をあとにする。しかし昨日と一昨日の臨時閉店が仮にコロナ感染によるものであった場合、あのおっちゃんはいまもまだウイルスをたっぷり保有しているわけであって、ちょっと不安にはなる。学生たち、マジでとんでもない勢いで感染しまくっているし、39度以上の発熱もザラだし。ファイザーのワクチンもとっくに切れている現状ほぼノーガードに等しいじぶんも、感染すれば同様の高熱に悩まされるかもしれないわけで、いや39度はマジで嫌だわ、ほんと勘弁してほしい。
 第四食堂に立ち寄る。あまりおいしくないほうの麺屋で西红柿炒鸡蛋面を打包する。厨房のおっちゃんたちがものめずらしそうに色々と話しかけてくる。適当に相手していると、「先生!」と後ろから呼びかけられる。三年生の(…)くん。びっくりする。院試組の学生でもないのになんでまだ大学に残っているのか。友達と一緒に生活しているという。期末試験が終わるまでは大学の図書館で勉強するつもりだと続く。その友達とやらが近くのテーブルに腰かけている。ぴんとくる。友達じゃない、彼氏だ。院試やN1のために大学に残るというのであればまだしも、単なる期末試験のためにそうするのはどう考えてもおかしい、なにかほかに理由があるに決まっているのだ。寮に住んでいるわけではない、しかし大学の外に住んでいるわけでもない、と(…)くんはいう。本来別室の住人である彼氏の寮に転がりこんでいるということではないかと思うのだが、詳しいことは聞いていないので知らない。
 第四食堂をあとにする。寮の門前に到着したところで、bottle waterを両手にぶらさげて隣の棟に入っていくおっさんの姿を見かける。そっか、もう外部の人間も出入り可能になっているのか、と思う。そういうわけで帰宅後すぐアプリでbottle waterをひとつ注文する。
 帰宅。メシ食う。モーメンツで四年生の(…)くんが昨日39度5分の熱が出たと報告している。一年生の(…)さんも陽性になったと報告。卒業生の(…)くんや(…)四年生の(…)さんが、むしろいままだ感染していないひと朋友圈にいる? みたいな呼びかけをしている。(…)くんのほうに(…)さんと(…)さんのふたりが挙手の絵文字をコメントしていたのでこちらもそれに続いたが、(…)さんはのちほど今日会社で隣の席と前の席のふたりが発熱していたのでじぶんももうダメだと思うと投稿していた。
 食後のコーヒーを飲みながら、きのうづけの記事の続きを書く。途中、二年生のグループチャットに午後に控えている期末試験について告知する。例によって体調不良の学生は日程をあらためて受けてもかまわない、と。(…)さんから今日の午後はリスニングのテストがあるのでそれが終わってからしか試験を受けることができないという微信が届く。同様の訴えは(…)さんからも届く。どうやら他学部からの転入組三人は今日の午後にリスニングの試験を受けることになっているらしい((…)さんからは直接連絡はなかったが、相棒の(…)さんから彼女も同様の状況であると聞いた)。ほか、(…)くんからは頭痛がひどいのでテストを延期させてほしいという訴え。四人まとめて月曜日の14時半にやりましょうという。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2021年12月22日づけの記事を読み返す。この日は当時二年生の口語試験を実施しているが、「(…)さんは天才。いまのところこのクラスでトップだと思う。発音がめちゃくちゃきれいだし、大学に入学後はじめて日本語を勉強したというのだが、こちらの言葉もほとんどすべて聞き取ることができている。ちょっとすごすぎるんではないか。(…)さん以来の才能の持ち主だと思う。」と記しており、やっぱりこの時点で抜きん出ていたんだな。あとは「(…)さんもぼちぼちできる感じ。BLが好き。将来はライターになりたいが、親は日本語教師になってほしいと考えているらしい(教師は公務員であり、安定しているので)。絶対にライターを目指しなさいと激励した(日本語教師としては失格かもしれないが!)。」とあって、えー! (…)さんってBL好きだったっけ! すっかり忘れていた!
 ほか、千葉雅也『意味がない無意味』からの抜き書き。

 こうしたスタンスは、ベルクソンに由来するドゥルーズの内在主義にかなり近いように思われます。けれどもマラブーは、ドゥルーズとは違って、内在性という措辞を切り札として使うことがありません。このあたりにドゥルーズから距離を取りたいという気持ちがありそうです。なぜでしょうか。ドゥルーズは、ベルクソンの再解釈にもとづき、自己矛盾をしない差異化、ひたすら肯定的である差異化を考えようとしました。しかしマラブーは、もちろんヘーゲル主義者として、たえず自己矛盾しつつ変形・変態していくという差異化を考えたいわけです。ここで狙われているのは、ひじょうに微妙なスタンスです。マラブーは、おそらくベルクソン的持続のいたるところに、出来事への驚きがもたらす自己矛盾の亀裂を入れるのですが、そのとき、持続の持つ連続性と亀裂による非連続性とを止揚することで、驚きに切断されつつも生き延びていく持続として差異化のプロセスを考えるのです——ベルクソンヘーゲル化、ヘーゲルベルクソン化という整形手術……。ところで、他方のドゥルーズは、ヘーゲルではなくニーチェに依拠して、ベルクソン的持続の、いわば肯定的にすぎるがゆえに政治的に危なっかしい連続性に亀裂を入れています。あらゆる存在者をただひとつの宇宙の持続へと包摂するというベルクソン主義は、ファシズムにつながりかねません。しかしドゥルーズは、自己同一性をいくつもの仮面へ解体するというニーチェ主義を介入させることで、持続の一元論を砕いて多元論にし、かつそれでも——ひび割れた——「個体」がどうにかミニマムな「健康」を持って生き延びられると考える、いや「信じる」のです。事ここに至ると、ドゥルーズマラブーの狙いは、かなり重なっているように思われます。
 マラブーは、弁証法的矛盾を、デリダが言う「亡霊」のようなものとして、生の哲学に「憑依」させているのだとも言えるでしょう。肯定的にすぎる生の哲学ファシズムに行き着くのだとしたら、亡霊的な死のモメントによってそれに抵抗するのです。僕の考えでは、このことが、破壊的可塑性というテーマにつながっている。
(千葉雅也『意味がない無意味』より「マラブーによるヘーゲルの整形手術——デリダ以後の問題圏へ」 p.251-252)

 14時半になったところで日語会話(二)の期末試験。道案内の続き。予定では14時半から18時までぶっ通しだったのだが、17時前には片付いたと思う。(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くん、(…)くんの13人。先に頭痛の連絡があった(…)くんも含めて、このクラスの男子学生は8人いるわけだが、結論を先に書くと、(…)くん以外全員が感染済みだった。例によってテストはカメラをオンにした状態でマンツーマンで行ったわけだが、(…)くんは咳き込みまくっていてまともに発語できないし(だから月曜日にやりなおすことにした)、(…)くんは冷えピタを貼っているし、(…)くんは室内にもかかわらずマスクを装着しているし、(…)くんは鼻声でときどき咳き込むし、(…)くんは寝転んだ状態で試験を受けているし、(…)くんはとっくの以前に感染していることをモーメンツで確認済み。いや、マジでえげつなくないか? 指数関数的っていうのは、要するに、こういうことなんだな。
 テストの結果についてはおおかた予想通り。飛び抜けてよかったのは(…)さん。元々優秀である上にがっつり対策している。(…)さんと(…)さんのふたりはまずまずボロボロ。で、(…)くんは途中で問題を打ち切るレベル。意外だったのは(…)くん。リスニングのほうにはいくらかミスがあったものの、スピーキングに関してはほぼ完璧で、なによりもはやい! めちゃくちゃ練習したんだろうなということがよくわかる。なので、しっかり褒めておく。(…)くん、日本語にそもそも興味がないし、先学期の時点では授業中もまったくやる気がなかったのだが、今学期に入ってからはなぜかこちらの授業だけけっこう前のめりに参加するようになっている。まあ、なついてくれているのだろう。本人からカミングアウトがあったわけではないが、間違いなくゲイであるし。これまでの経験上、ゲイの学生はだいたいこちらになついてくれる。
 テストを終える。日本には馬鹿は風邪をひかないということわざがありますがいまだにコロナに感染していないぼくは? 的な投稿をモーメンツにしておく。前回の投稿からすでに一ヶ月が経過している。学生からはもっとモーメンツに頻繁に投稿してほしいと言われたことがあるし、実際そうすれば彼女らにとって生の日本語に触れる良い機会であると思うのだが、ついつい忘れてしまう。SNSが血肉化していない人種なので。

 第四食堂にふたたび出向いてどんぶりメシを打包する。帰宅して食し、ベッドに移動して『私家版 聊齋志異』(森敦)の続きを読み、20分ほど仮眠をとる。(…)さんから微信が届く。抗原検査キットの写真。陽性になったらしい。
 シャワーを浴びる。日中注文したbottle waterが届いていたのでウォーターサーバーにセットする(セットする前にウォーターサーバーの漏斗を取り外して洗ったのだが、表面がけっこうぬめぬめしていた)。で、ひさしぶりに、たぶん一ヶ月ぶりとかになると思うのだが、ミネラルウォーターを飲んでみて思った、味が全然違う! 中国の水道水はたしか硬水で、はじめて沸かして飲んでみたとき、言われてみればたしかに日本で飲むものとはちょっと違うかもと思ったことはあったはずなのだが、今日はっきりとその違いを理解した。軟水のミネラルウォーター、マジで舌触りがなめらかだ。感覚的にはペーパードリップでいれたコーヒーとネルドリップでいれたコーヒーくらい違う(もちろん、ペーパーが硬水に、ネルが軟水に対応する)。びっくりした!
 (…)から微信が届く。クリスマスのデコレーションをguardのところにあずけておいた、と。You can take one wreath, one hat and one colored ribbonとのことで、帽子かぶってサンタのコスプレでもしろってことか? しかしうちの大学も中国のほかの教育機関の例に漏れず、毎年この時期になると西洋文化であるところのクリスマスを祝うなんてけしからん! 中国人民としての自覚を持ち、祖国の偉大な文化をうんぬんかんぬん! みたいな馬鹿げた通知が学生らのところに届くはずなのだが(もちろん大多数の学生らはそんな通知など無視し、トナカイの角を模したカチューシャを装着して撮った自撮りをモーメンツに投稿する)、それはあくまでも中国人学生に対するアレであって、少なくともいまのところわれわれ外国人はオッケーというかたちなのだろう。だからこうしてデコレーション用のグッズをくれるし、プレゼントもくれるし、今年は流れてしまったが例年クリスマスパーティーも開催されるわけだ。そのプレゼントについて、150元以内であればなんでもいいということだったので、先日淘宝で目をつけておいた栞をお願いすることにした。クリップ型のやつ。ふつうの栞や栞代わりの色々はすでに手元にたくさんあるが、クリップ型のやつは持っていない。注釈のあるページに留めておけば、寝転がりながら本を読むとき便利だと思う。動物を模した金ピカの、たぶん故宮の土産物売り場かどこかで買うことのできるやつ。(…)曰く、nice choiceとのこと。
 書見。『「エクリ」を読む 文字に添って』(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳)の続き。以下、きのうづけの記事に書いた内容ともかかわるくだり。意味作用がファリックであるのと同様に、「知」もまたファリックである。

(…)ラカンから欠如を取り上げることはできない。知は生の氾濫や何らかの「自然の豊穣さ」によって動機づけられているわけではない。サルは、様々な瞬間にそうした豊穣さの兆しを示すかもしれないが、とはいえ論理学、数学体系、哲学、あるいは心理学を創造することはない。文節化された知(すなわち“savoir”)は、ラカンによれば、何らかの快の不足、快の不十分さ、言い換えれば不満足によって動機づけられている。

 私たちはおそらく、動物が決してしないことを行っている。私たちは自らの享楽を、そうあるべきと考える基準に照らして、すなわち絶対的な基準、規範、ないし標準に照らして判断する。基準や標準は、動物の王国には実在しない。それらは、言語によってはじめて可能となる。言い換えれば私たちは、言語によって、自らの獲得する享楽がそうあるべきものではないと考えることができるようになるのだ。

 『「エクリ」を読む 文字に添って』を最後まで読み終えたところで、『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』(赤坂和哉)を読みはじめる。日本で買った紙の本。ラカン派の分析が実際にどのように行われているかについて、著者の分析経験を含む具体例を挙げていろいろ書かれているっぽい。『ラカン入門』(向井雅明)の再読とどっちにするか迷ったのだが、さきにこちらを読むことにした。ちなみに『ラカン入門』のほうは、三年か四年前にはじめて読んだとき、これ全然入門ちゃうやんけ! と思った記憶がある。それまでラカンにほとんど触れたことのなかったじぶんにとって、めちゃくちゃ難しかったのだ。文庫化以前は『ラカンラカン』というタイトルだったはず。そっちのほうが内容に即していると思う。かっこいいし。
 と、ここまで書いたところで過去ログを検索してみたところ、『ラカン入門』を読了したのは2018年3月23日とあって、あ、これ中国に渡る直前だ! 確認すると、はじめて大陸におりたったのは2018年3月28日で、この日の記事にはメシを犬食いしているMr.Caiの写真が掲載されている。笑った。おったな、Mr.Cai!
 ついでなので、その日の記事を読み返してみたのだが、いろいろなつかしく面白かった。せっかくであるし、出国以降のくだりだけでも引いておくことにしよう。中国語、いろいろ間違っている。ま、現在も大差ないが。

 離陸の瞬間はやはりそれ相応に緊張した。飛行機にもGにも慣れていないのだ。離陸して一時間も経ったころだろうか、機内食が配膳された。三時間ぽっちのフライトであるし、機内食があるだなんておもってもみなかったのだが、いったいだれが考案した組み合わせなのか、パスタとざるそばのセットで、関空ですでにパスタを食っていたこともあり、これにはまったく食欲をそそられなかった。しかし食っておかないとなんとなくもったいない気もしたので、パスタの上にのっていたぜんぜんうまくない魚の切り身であったり、パックのざるそばであったりをいちおういくらかは食い、デザートとして添えられていた、たしかオレンジだったとおもうが、それもしっかり食った。隣席の色黒女性が、ざるそばにかけるための「めんつゆ」と印字されているビニール製の醤油差しのようなものを手にして、これをいったいどうしたものかと怪訝な顔をしていたので、肩をトントンと叩いてやってから、英語とジェスチャーでこのヌードルにかけて食べるのだと説明してやった。女性はこちらのいわんとするところを理解したふうであったが、めんつゆのふたをあけて中身のにおいをかぐやいなや顔をしかめて、これはいらないというようなことを中国語で口にしてみせた。それなのでこちらも不好吃と口にした。よくよく考えてみれば、これが中国人と直接話したはじめての中国語ということになるのではないか。你好でも再见でも谢谢でもなく、不好吃(美味しくない)がはじめて口にした中国語であるというのはなにかしら示唆的でおもしろい。食後はキャビンアテンダントが飲み物をたくさん乗せたワゴンを押しながらあらわれたので、となりにならってやはり中国語で咖啡とオーダーしたが、これがタイのコーヒーと同様ものすごく甘ったるいものだったので、おおいに辟易した。
 食後はうたた寝した。そうしてふと気づけば、窓の外には大陸があった。雨に濡れた砂場を上から見下ろしているような、起伏に次ぐ起伏として見下ろされる黒々とした山地の光景がそこにあり、ああ外国だ、風土のまったくことなる土地にやってきたのだと強く感じた。着陸の近づくにつれて家屋の数々がしだいに目立ちはじめた。これはまずまちがいなくありきたりで凡庸な比喩ということになるのだろうが、しかしその凡庸さをおそれずあえて言うと、やはりミニチュアのようであった。赤土のむきだしになっている、山崩れの起きたばかりのようにみえるその斜面をすぐ背後にしてたつ家の立地などみると、やはり日本では考えられない風景である。
 着陸のさいもやはりおもいのほか緊張していたらしい。機体が停止したところでこぶしのにぎりをひらいたその手のひらがけっこう湿っていた。携帯は通じない。これで迎えがだれも来ていなければおしまいである。飛行機からおりて空港につながる通路を歩いているとやはりいくらか蒸し暑かった。空港内の便所で小便をすませたが、小便器は日本にあるものとほとんど変わりなかった(ただ、三台ならんであるうちの一台が水(尿)漏れをおこしていた)。順路に沿ってひとの流れにしたがいながら歩いていくと、入国審査場がやがて姿をあらわした。外国人と中国人とでそれぞれことなる列にならんだその先で、気難しい顔をした軍服みたいな制服を着た職員が、旅行者のパスポートをチェックしているのだった。外国人と中国人とは別に、キャビンアテンダントパイロットといった航空スタッフが通りぬけるためのルートもあった(もちろんそこでは審査は免除されているのだった)。審査を担当している似非軍服姿らとは別に、二列になってならんでいるひとびとのあいだをニヤニヤしながら歩いている若い似非軍服姿もあった。どこかで見た顔だなと既視感の正体をしばらくおしはかったところで、そのニヤニヤ笑いもふくめて大学時代のクラスメイトである(…)そのものであることに気がついた。こちらの前には例の出張サラリーマンが同僚らしい若い男たちを三、四人引き連れてならんでいた(みんなスーツだった)。彼らはどうやら仕事の関係でたびたび中国をたずねているものらしく、以前はなにかのタイミングで奇跡的にLINEがつながることもあったのに、いまではまったくつながらないというような検閲事情を語りあっていた。やがて(…)がこちらにやってきた。パスポートをチェックしにきたのだろうとおもって差し出すと、なにかが足りないというようなことを中国でいってみせた。はてなとおもっていると、こっちに来てというようなジェスチャーをしてみせるので、列をはなれてそちらにいくと、役所などによくある、こちらの胸の高さほどある立ち机があった。机の上にはカードとボールペンが用意されていた。それでどうもなにやら専用の書類に記入する必要があるみたいだぞとおもっていると、列にならんでいたときこちらの後ろについていた中年女性が小走りでこちらにやってきて、だいじょうぶですか、わかりますか、とえらく心配そうに声をかけてくれた。流暢な日本語だった。しかし「流暢である」との判断が下される程度にはやはりなまっていた。つまり、彼女の生まれは日本ではなかったのだ。Arrival Cardというのを持っていないかというので、持っていないと応じると、ふつう飛行機で渡されるものなのだが今日の乗客はほとんど全員中国人だった、だからスタッフがカードを配らなかったのだろうと女性はいった。そういえばタイに渡ったときたしかにそんなものを書いた気がするぞとおもった。それで女性に礼をいって、Arrival Cardに記入をはじめたのだが、記入するこちらのとなりでは例のニヤニヤ笑いをたやすことのない(…)がいて、しかしそのニヤニヤ笑いには悪意がいっさいなかった、むしろなにかしらひとなつっこいところがあり、それでこちらも我是日本话的老师(わたしは日本語教師です)と中国語で告げたりした。そうしたわれわれのやりとりが遠目にはあやしい意思疎通と映ったのか、先の女性がまたこちらにやってきて、だいじょうぶですか、ほんとうにわかりますか、と気遣ってくれたので、ありがたいな、異国で触れるこういうひとの優しさはほんとうにたまらないな、とおもった。Arrival Cardの記入を終えたところで列にならびなおした。すでにほとんどの乗客が手続きを終えてBaggage Claimのほうに移動していた。途中で別の列に呼ばれたのでそちらに移動した。きびしい顔つきの似非軍服姿の若い女性がこちらの顔をにらみつけ、それからパスポートをひらいてじっくり丹念に中身を確認した。しばらく時間のたったところで女性はパスポートをこちらに手渡した。表情は一切崩さないまま、終始の無言だった。OK?とたずねると、ほんの少しだけコクリとうなずいてみせたので、thank youと告げてその先に移動した。
 ベルトコンベアを取り囲むたくさんの人の輪を間遠にながめながらひとが空くまでしばらく待っているかなと悠長なことをおもっていると、先の中年女性がみたびこちらのもとにやってきた。すみません、先ほどは助かりました、さっぱりわからなくて、というようなことを口にしてあたまをさげると、中国ははじめてですかという質問があったので、肯定し、(…)で日本語教師として働くことになっているんですと伝えた。すると、むかえの手配はちゃんとできているのか、(…)までなにかあったときひとりでたどりつくことはできるのかと、やはりまたいろいろに気遣ってくれてたいへんありがたいのだが、ところでどうしてそんなに日本語はお上手なんですか、最初日本人だとおもったくらいだったんですけどとたずねると、大阪にもう二十年くらい住んでるんです、ミナミですという返事があったので、それじゃあもうコテコテの大阪人ですねと笑った(しかしふとおもったのだがミナミといえば繁華街である、年齢こそ相応に食っていたもののうつくしい女性だったので、ひょっとすると水商売のひとだったりするんだろうかといまとなってはおもわないでもない)。女性には連れがいた。娘といえるくらいの年頃の若い女性で、顔つきはすこし西洋人風であったが服装は日本人風で、彼女はこちらと女性が言葉を交わしているあいだもやや離れたところに突っ立ちながらなんとなく聞き耳をたてているふうで、こちらが(…)に向かうことになっていると告げたときには、女性が彼女にむけてそれを日本語で告げる場面もあった(しかし彼女はうすく笑うだけでやはり口をきかず、その印象が彼女をして非日本語話者のように映じせしめるのだったし、唖のようでもあるそのたたずまいには一種神秘的な美しさがつきまとっていたこともここに追記しておこう)。赤いキャリーバッグがコンベアにのって運ばれていくのがみえたので、ふたりのもとを離れてコンベアの向こう側に移動した。バッグを回収してからそのままおなじ位置で次の荷物を待っていると、ボストンバッグのほうもじきに運ばれてきた。それも回収しおえたところで準備完了、出口に向かうまえに先のふたりにあらためてあいさつしておこうかなと迷いもしたが、まあいいかとなってそのままひとり出口にむけて歩き出した。最後にコンベアの上にリュックサックもふくめたすべての荷物を置くとそれが金属の箱の中を抜けてそのままその先に吐き出されるという検問みたいなブースがあり、というかこれは出国のさいの保安検査みたいなものであるようにおもうのだが、しかしここでは特にパソコンやその周辺機器を別にするようにはいわれなかった。よくわからない。
 いずれにせよ入国手続きはそれですべてだった。すべての手続きを終えた先にあるガラス扉のむこうにそれほど多くない出迎えのひとびとがたちならんでいるのを認めて目を凝らすと、なかにひとり赤いボードを両手で持って立っている男性の姿があった。彼が迎えにちがいなかった。近づいていくと、赤い紙にたしか金色の文字で(という組み合わせがもう中国なのだが)「(…)老師/欢迎」みたいなことが書いてあった。それでその紙をもった男性にHelloと話しかけた。事前に知らされてはいたが、男性はやはり英語も日本語もまったくあやつることができないようすだった。それなのでとりあえずジェスチャーで行きましょうかということになりふたりして歩いたのだが、空港の外に出るまえに男性はこちらをむいて、腹を両手でおさえてみせた。飯を食うという意味なのかとおもったが、股間をすこし突き出すようなポーズをとってみせるので、ああ小便のことかと察し、もうすませたという意味でOKOKとくりかえしながら親指をたてたのだが、そうではなかった、男性が小便に行きたかったのだった。男性の名前はMr.Caiだとフライト前に(…)から知らされていた。
 Mr.Caiが小便をすませたところで空港の外に出た。Mr.Caiはこちらのキャリーバッグを手にとって運んでくれた。まがりなりにも大学教師ないしは事務員のはずであるのに、カタコトの英語すら通じないというのはどういうことだろうかとおもわないでもなかったが、とりあえず彼のあとにつきしたがうかたちで駐車場にむけて無言のまま歩いた。やや蒸すようであるおもてを歩いていると、なんとなく空気の悪いような気がした。しかしこれは中国=大気汚染のすりこみによるものかもしれない、実際はそうでもないのかもしれないと考える心ももちろんあった。車に到着したところでトランクにキャリーバッグとボストンバッグをおさめた。するとMr.Caiが中国語でなにやらこちらにいいはじめたので、中国語はわからないと中国語で伝えたのち(「我不会说中国话」)、リュックサックから手帳とペンをとりだして手渡した。Mr.Caiはなにやらぶつくさ口にした(そしてなぜかそのぶつくさが、「文章ないしは文字を書くのはあまり得意じゃないんだ」という意味の嘆きであるように自然と理解された)。返却された手帳に記されている漢字の羅列で彼のいわんとするところはほぼ理解できた。つまり、事前に事務員から連絡があったとおり、今日は(…)で一泊する、そして翌日体格検査を受けたのち、大学まで車で向かうという内容だった。これこそ漢字圏同士の特権、筆談の叡智である。車に乗りこんだ。中国の車は左ハンドルだった。車のなかにはタイのタクシーで見たのとおなじ干支の置物が飾られてあった。Mr.Caiは運転席に腰かけたのち、手持ちのiPhoneをひたすらいじくりつづけた。いじくりつづけたままいっこうに出発しようとせず、五分十分と時間だけが沈黙のなかにすぎていった。どうやら百度のマップでナビを設定しようとしているらしかったが、スマホの操作あるいはアプリの使い方に慣れていないのだろう、おなじ画面を何度もいったりきたりくりかえしたのち、最終的にこちらにスマホを手渡して操作をまかせようとさえしてみせたが、そもそも中国語も理解できなければ目的地をどこに設定すべきであるのかそれすらこちらは知らないわけである。手の打ちようがない。
 Mr.Caiは最終的にナビをあきらめて車を発進させた。(…)は蒸し暑かった。窓をあけていたのだが、空気がやはりまずいように感じられてならなかった。駐車場を出てまもなく、大通りに合流しようというその直前でMr.Caiは車をとめた。そうして路肩に停車していた車の、あけっぱなしになっていた後部座席の窓に顔をつっこんでそこに腰かけていた若い女性になにやら話しかけると、おそらくナビの設定をたのもうという意図だったのだろう、スマホをその相手に手渡す姿がみえた。それで設定がうまくいったのだったか、あるいはそうでなかったのかはよくおぼえていない。いずれにせよ車はほどなくして発進した。中国人の運転は信じられないくらい荒かった。というかMr.Caiの運転はまだマシだったのだが(とはいえそれでも日本だったら一発で大事故になるレベルだろう)、とにかく割り込みがえげつないというか、これはタイでもやはりおなじだったようにおもうのだが、割り込みさせてくれるのを待つという習慣が中国のドライバーにはまったくなく、すこしでも隙間があればまず無理やり車のあたまをそこにねじこむ、そうして力ずくで後続車にスペースを作らせるみたいな強引なやりかたがデフォルトであって、日本だったらドライバー同士が車からおりて大ゲンカになることまちがいなしな危険な瞬間がほとんど十秒ごとに発生するという過激さ、うわ!ぶつかる!と目をみひらいた瞬間も二度や三度どころではなかった。もちろんクラクションはいたるところで始終鳴りっぱなしである。車は日本車も見かけたが、ケツに簡体字で社名ないしは車名をかたどったプレートのはりつけられている、あれは中国の国産車ということになるのだろうか、そういうのもけっこう走っていたのだが、なにぶん車には疎いのでよくわからない。バイクは全員ノーヘルだったし、二人乗りはザラだった(しかしカンボジアやタイで見かけた、原付に三人四人乗っているような曲芸的な走行はさすがに見かけなかった)。バイクでよく見かけたのは、こたつ布団を改造してこしらえたような、厚手の前掛けのようなものを装着している運転手の姿だった。前掛けには床屋のエプロンのように腕をさしいれるための穴があいており、体の前半分をそれで覆った状態で運転手たちはバイクを運転しているのだった。これはたしか以前どこかで見聞きしたおぼえがある、塵や排気で衣類が汚れないようにするための装備ではなかったか、実際それだからこそこれを身につけてバイクに乗っているのはほぼひとりの例外もなく女性だったのでは?
 片側三車線くらいある比較的大きな通りであるにもかかわらず、巨大なレッカー車も走っていれば、豚を閉じ込めた檻を運ぶトラックも走っていた。高速バスらしいのも走っていれば、野菜のたくさん盛られた荷台をひいている原付も走っていた。なにかこう、ありとあらゆるタイプの大型車両と小型車両が一堂に会して好き勝手に走りまくっているみたいな、ひっきりなしにあちこちを行き来しまくっているみたいな、それゆえに車線もなにもあったものではない、というかそもそもの交通ルールがないにひとしいみたいな、いかにもアジア的な喧騒、なにごともかえりみない純粋なる活気だけがそこで各々の力を好き放題発揮させているみたいな、自己主張が車両となって排気ガスをもくもくとたてながら走りまくっている、そのような具合であった。交通量の激しい一画に近づくにつれて空気はますます悪くなっていくようであった。Mr.Caiはじきに車の窓を閉めた。それで、これは気のせいなんかではない、事実ほんとうに空気が悪いのだ、これがうわさの大気汚染というやつなのだという確信をもった。これは翌日(…)先生から教えてもらったことであるのだが、(…)の空気は中国でもワースト10に入るほど悪いらしい。交通量の激しいこの道路を走っているときだったか、あるいは空港からおもてに出た直後のことであったか、もうよくおぼえていないのだが、汚染された空気のなかにはっきりとケミカルなにおいが嗅ぎ分けられて、そのにおいにはおぼえがあった、(…)を炙ったときのにおいだった、だからこのにおいは化学工場由来のものなのではないかとひそかに見当をつけたりもしていたのだが、真相は知れない。Mr.Caiは運転中たびたび窓をあけて唾を吐いた。アジアでよくみる光景である(これも翌日(…)さんからきいたことなのだが、中国ではものすごく美人な女性でも平気で路上に唾を吐くことがあるのだという)。
 車道からながめる景色は勢いのある共産圏の街並みというよりは疲弊しきった旧社会主義国圏のそれみたいだった。色彩にとぼしい古い建物、それも当時は最新のものだったにちがいない建築様式の、やはり当時は高く大きかったにちがいない建物のしかしそのまま老朽化したのが、ひしめきあっているのですらなくただぽつりぽつりと点在している、そのようすがどんよりとした夕刻の空のもとで車窓の向こうを流れさっていくそのようすをながめているうちに、アントニオーニの映画でこれにそっくりな色調の景色を見たことがあったなと離れてひさしい映画の記憶が刺激されもした。車内では当然ほとんど会話などなかった(できなかった)。年齢を告げた機会はあったとおもう。あとは子どもはいるのかという質問に、我不结婚了(「わたしは結婚していない」)と答えた一幕もあったはずだ(たしか高速道路の料金所を通過する手前の出来事だったはずだ)。下町に入ってしばらくすると、Mr.Caiは車を路肩にとめてはそのへんにいるひとに声をかけて、手当たり次第道をたずねはじめた。どうやら道に迷ったらしい。小汚い食堂のたちならぶ一角、路上では果物や野菜を投げ売りしている人間らのいる生活感のある一画で、聞き込みをつづけるMr.Caiのようすを助手席の開いた窓越しにながめていると、いくらかマシになったケミカルなにおいとスパイスのにおいとが渾然一体となってなまぬるい初夏の空気のなかで蒸されたのが鼻先に届いた。するとその瞬間、タイの記憶がめざましく脳裏を駆け抜けた(あるいはひょっとすると、このときが異国を感じた最初の瞬間だったかもしれない)。(…)といっしょに重い荷物をかかえながら夏の路上の記憶が一気によみがえった。
 聞き込みを終えたMr.Caiはふたたび車を走らせた。そうしてやがて一軒の建物の駐車場に車を止めた。すでにあたりは暗くなりつつあった。ジェスチャーつきの中国語で車をおりるようにうながされたのでそのとおりにした。飯でも食うのだろうかとおもいながらMr.Caiのあとについてレストラン風の建物のなかに入ったが、一階ロビーにフロントがあったので、ちがうな、これはきっと安宿だなとおしはかった。背の低いカウンターのむこうでは普段着の若い女の子が椅子に腰かけながらスマホを操作していた。Mr.Caiが話しかけても彼女はスマホを手放さず、視線もやはりその画面に固定したままなにやら気だるそうに返事してみせて、客商売の場における無愛想きわまりないその対応にもやはり、ああ、おれはいまアジアにいるんだ、外国にいるんだとの感をおぼえた。空き部屋はないとのことだった。出口にひきかえしながらふと頭上をみあげると、吹き抜けの二階から柵に身をのりだしてこちらをのぞきこんでいる若い女性数人と目が合った。こちらの私服は(…)でもいささか奇抜に映るらしい。外国人であることが丸わかりなのだ。
 車にもどったMr.Caiはしばらく電話でだれかとやりとりしていた(別のホテルを探していたのだとおもわれる)。それでむかった二軒目のホテルは、先とはうってかわって見るからには高級な、門構えもしっかりしており遠目に見ても目立つおおきな建物で、正面入り口にはなんとポーターまでひかえていた。磨き抜かれたフロアが照明を照り返してはなばなしい一階ロビーにあるフロントには制服姿の男女が数人たったまま宿泊客であるわれわれをむかえてみせた。これだいじょうぶなんだろうかと、ほんとうに経費で落ちるんだろうかと、ちょっと心配にならないでもなかったが、Mr.Caiはおかまいなしにそのフロントに行き、空室の有無をたずねはじめた。フロントにいたアラレちゃんめがねをかけた女の子がたいそうかわいかったので、西洋人風ににこりと会釈した。空港で手助けしてくれた中国人女性の娘さん(?)に続く、中国で見かけた第二の美人である。Mr.Caiは宿泊の申し込みとは別に、ここでもまた道のりをたずねているようすだった。おそらくは翌日こちらが向かうことになっている病院へのルートを知りたがっているのだろう。スタッフはどことなくMr.Caiのふるまいに一歩引いているようにみえた。田舎のおっさん丸出しの無作法や訛りや身のこなしなどが、(…)のひとびとにはひょっとするとあまりに粗雑で無礼なもののように映じたのかもしれない、彼らの表情にはあきらかに一種の困惑や苦笑がにじんでいるようにみえた。話の長引いているMr.Caiは放っておいて、アラレちゃんめがねの女の子に英語でDo you speak English? とたずねた。女の子はかなり恥ずかしそうにしながらも、ジェスチャーつきでa littleみたいなことを口にした。癒やされた。
 ホテルには食堂があった。ロビーに隣接されているそこに移動して飯を食うことになったが、食堂に入ってメニューを見るなり、Mr.Caiはここを出ようというようなことをジェスチャーでいった。それで太贵了吗?(高すぎる?)とたずねると、肯定の返事があり、おもてのほうを指差してみせるので、外面?(外?)とたずねると、やはり肯定の返事があった。とどのつまり、ホテル内のレストランは高すぎるから路上にあるチープな食堂で飯をすませようということだったのだが、Mr.Caiはなぜかそのあとエレベーターに乗りこんだ。いったん部屋に入るつもりなのかなとおもったが、個室にのりこんだあとMr.Caiはなぜか2Fのボタンを押した(われわれの部屋は5Fだった)。さらにいうならば、2Fはほかでもないフロントのあるロビーの階数、つまり、われわれのいるそのフロアであった。そのことに気づかないのか(つまりロビーがあるのは1Fであるとおもいこんでいるのか)、Mr.Caiは何度も2Fのボタンを押した。エレベーターのとびらを閉じる、2Fのボタンを押す、動き出さないので開のボタンを押す、すると目の前に先ほどと変わりないフロアの光景があらわれる、それなのでまたエレベーターのとびらを閉じる、2Fのボタンを押す……と、そういうことを延々とくりかえすMr.Caiを見て、ひょっとするとこのひとは相当アレなんではないかとおおいに疑問におもった。痺れを切らしたMr.Caiはエレベーターの外に出た。今度こそおもてに飯を食いにいくのだろうとおもったが、そうではなく、階段をのぼって上にあがりはじめたので、いったいなにをやりたいんだろうかとおもいながらもあとについていった。上のフロアにたどりついたところでMr.Caiは廊下を歩いて目についた扉、あれはおそらく従業員らのいる裏方のスペースに続く扉だったのだろうが、それをひらいてずんずん奥に進んでいった。奥には当然びっくり仰天したようすのスタッフがいた。Mr.Caiは彼女らになにやら言葉をかけたが、スタッフらはここではもはや嫌悪感を隠すことすらせずに、ここから出ていくようにとMr.Caiをうながした。それでMr.Caiはまたエレベーターに乗りこみ、2Fにおりると、正面入り口からおもてに出て、路上をさしながらこのあたりで飯を食うぞというようなことをいった。おそらくMr.Caiはフロントのあるフロアが2Fであることに最後まで気づかなかった、フロントがあるのはあくまでも1Fだとおもっていた、だからホテルの案内板かなにかをみて(彼の認識する)1Fにあった高級レストランとは別の食堂が(彼の認識する)2Fにあると判断してそこに向かおうとしていたんではないだろうか。
 路上に出るとたくさんの食堂があった。タイで見かけたものによく似ている。もっともこちらは屋台ではなく、粗末であるしせまくもあるし不潔でもあるが、いちおう店としての構えはある。Mr.Caiは食堂を見つけるなりその前でたちどまり、なかのようすをのぞきこみながらこちらの反応をうかがってみせた。しかしなにを食えばいいのかぜんぜんわからないというかその店がなにをとりあつかっているのかすらわからないのがこちらなのであって、Mr.Caiは筆談の成功体験があったからだろうか、とある店のその窓にはりつけられているでかいメニュー表を指さしてみせながら、どれが食べたいかというようなことをたずねてみせたが、漢字を見ただけではそもそも辛いのかどうかすらわからない。かといってこのままうろうろしていても仕方ないというかきりがないので、とりあえずメニュー表のはりだされているその店に入ることにしたのだが、四、五人は座ることのできる円卓ひとつにふたりがけのテーブルが三つか四つでいっぱいの手狭な店内で、十畳もなかったのではないだろうか(もっともほかの店にしたところでだいたい似たような間取りだったのだが)。席につくと店の女将がやってきてMr.Caiになにやら話しかけたのち、こちらにも中国語で話しかけてみせた、というかオーダーをとりにきたのだろうが、女将の中国語をなぜかMr.Caiが中国語に翻訳しなおしてあらためてこちらにたずねてみせるというような、いやその一手間完全に無駄でしょうという謎の変換手続きがあって意味不明なので、とりあえずリュックから手帳とペンを取り出し、「辛」と一文字書きつけたのち、我不喜欢(わたしは好きではない)と告げた。それで女将はこちらのいわんとするところを理解したふうだったので、あとのオーダーはまかせて食事の運ばれてくるのを待ったのだが、女将の旦那なのだろうか、あるいはただの常連客なのかもしれないし従業員であるのかもしれないが、四十代くらいの男が二三人、女将のいるカウンターの前でたむろしており、見るからには外国人なこちらにむけてちらちら好奇の目線を送り出してくるので、(…)でこれだったら(…)にいったらいったいどうなってしまうんだろうとおもわないでもなかった。
 食卓の上には小さな皿と茶碗と湯のみらしいのが積み重ねられてまるごとラップされているセットが二人分用意されていた。Mr.Caiは箸でそのラップに穴をあけて三つの器をとりだすと、足元に置かれていた謎のポットを拾いあげてその中の湯を三つの器それぞれにそそぎはじめた。なみなみにそそいだその湯のなかに箸の先端をつけてぐるぐるとかきまぜはじめたそのようすではっとした。要するにこれは食事前の滅菌洗浄なのだ。それなのでこちらも彼の真似をして、ラップをやぶいてとりだした食器類になみなみと湯をそそぎ、箸の先端もその湯で洗った。滅菌洗浄後の湯はたしか食卓にあったボウルのようなもののなかにすべてあけたはずである。やがて食事が運ばれてきた。おかずは全部で四品くらいあったんではないか、どう考えても食べきることのできる量ではなかったし、それにくわえて小型の炊飯器のようなものがまるごと運ばれてきたので、いやいやいくらなんでもこれはオーダーしすぎでしょうとなった。白米はタイ米のようだった。イカスミの汁みたいなのがあったし、きゅうりの漬物みたいなのもあったし、なにかしらの肉もあったが、もはやよくおぼえていない。食欲はあまりなかった。旅の疲れのためだろう。しかしその旅の疲れをいやすためにこそ食事だけはしっかりとっておかなければならない、それなのでなるべく箸を動かしたのだったが、しかし卓上にある料理は(辛くこそなかったものの)どれもこれもやはりけっこう脂っぽかった。女将が近くを通りかかったときに、好吃(おいしい)と話しかけると、一軒目のホテルフロントと同様それまで無愛想きわまりない表情を崩すことのなかった彼女のその顔がとつぜん満面の笑みを浮かべた。これはタイやカンボジアでもよく見られる光景である。どれほど無愛想でつっけんどんとしているようにみえる人間でも、外国人がカタコトの自国語をあやつっているようすを目の当たりにすると、みんなほっこりするものなのだ(ただし英語圏の国々のレストランでアジア人がdeliciousなど口にしたところでおなじような反応が見られるだろうか? カタコトの国語をあやつる外国人をみてほっこりする感情、これはとどのつまり、目上ないしは格上とみなしている国家出身の人間が格下であるはずの自国の言葉をあやつって「くれる」ことにたいする内面化された自己卑下のあらわれなのではないだろうか?)。カウンター前でたむろしていた男たちのうちのひとりもそうしたこちらの発語をおもしろくおもったのか、おそらくさほど用もないだろうにわれわれのテーブルのそばをわりとひっきりなしに行き来しはじめたので、どんだけかまってほしいんだよと内心可笑しくおもいながら、近くにきたときに親指をたてて好吃と言ってやると、ご満悦の表情を浮かべた。彼は元ジャイアンツの元木にすこし似ていた、というより元木に似ていたシェムリアップの教会にいた男性に似ていたので、それでこちらが勝手に親しみをいだいたという事情もあった。いい加減その正体が疑わしくなっていたので、食事中、你是什么老师?(あなたは何の教師なのですか?)とMr.Caiにたずねた。我不是老师(わたしは教師ではない)とMr.Caiはいった。そうして、運転ハンドルを握る姿勢をとってみせた。それで、なんだこのおっさんただのドライバーなんだ、教師ではないんだと、そこでようやく謎が解けたのだった。
 食事はもちろん大量に残った。もっと食え食えとすすめられたが、ジェスチャーで何度も腹がいっぱいだと応じた。ホテルでもそうであったが、支払いはもちろんMr.Caiである(というか大学の経費である)。最後に女将に谢谢您と告げてから店をあとにした。ホテルにもどってベッドに横になりたかったが、Mr.Caiは茶をのむかコーヒーをのむかというようなことを質問してみせた。適当にyeahyeahと相槌を打っているうちに先のホテルの前にまでたどりついたのだが、そこでMr.Caiは「サンポ」と口にして路上のぐるりを指し示してみせた。それで中国語では「散歩」はそのまま「散歩」なのだなと察し、彼の提案に乗ることにしたのだったが、(…)はやはり相応に発展した都市だった。だからといって日本の、たとえば名古屋とくらべてどうかと問われても返答に困るというか、北京や上海レベルだとそうでもないのかもしれないが、中国の都市はふつうに路地をすこしいけばいまだにぼろぼろの民家や商店がたちならんでいて、これは自動車道を走っているあいだ窓越しにながめた風景でもそうだったのだが、いままさに建設中の高層ビルのそのすぐとなりにいまにも崩れそうなボロアパートがあって色とりどりの洗濯物がベランダにかかっているみたいな、そういう混濁の仕方をしていて、だから金持ちの住むブロックと貧民の住むブロックがはっきりへだてられているという感じですらない、それらがほんとうにまざりあっているというかたがいに侵食しあうような格好で同居しているのであって、これこそがアジア的な猥雑さではないかとおもう。ホテルの周辺をMr.Caiとなにをしゃべるでもなしにふらふら歩いていると(Mr.Caiからは何度かたばこをすすめられたが断った)、おどろいたことにアップルストアがあった。いや、アップルストアではなかったかもしれない、ただアップル製品をとりあつかっていますという店舗でしかなかったのかもしれないが、そのような店舗から道路をはさんだこちら側ではしかし路上に碁盤を出してたばこを吸いながら勝負している老人がいたり、賭け麻雀や賭けトランプをしている大人たちもやはりいたりして、これもやっぱり洗練された都市と下町の混濁みたいな感じがしないでもなく、たとえばこれで雨でも降っていれば初代『攻殻機動隊』的な光景になるんではないか。
 あるかなしかの小雨の降りだしたところで元来た道をひきかえしはじめた。ホテルの駐車場に行き、車のトランクに積み込んであるキャリーバッグとボストンバッグを回収した。Mr.Caiは空港でこちらをむかえてくれたときのネームプレートを傘代わりにして歩いた(もちろんプレートの盤面にはこちらの名前である(…)の字が印字されているわけであってそれが道ゆくひとらの視線にまるごとさらされているわけだが、プライバシー観念などなきにひとしいニーハオトイレの国家なのでこればかりいたしかたない)。ホテルのロビーにふたたび入ると、制服を着た太っちょの男の子がこちらの手にしているキャリーバッグを運びますよとポーターらしく近づいてきたので、さすが一流ホテルはちがうなとおもったが、Mr.Caiがそのポーターをつかまえてなにやら話しはじめたというか、やはり翌日のルートについてなのだろう、こちらのネームプレートのその裏面にボールペンで殴り書きされている病院の住所らしいものをみせながらここまでの道のりを教えろと例の調子でせまりはじめたので、こちらはひとりやれやれとなった。Mr.Caiの対応に先のポーターとほかのスタッフが手間取っているあいだ手持ち無沙汰だったので、先ほどのアラレちゃんのところにいき、Can I use a free wi-fi here?とたずねた。何度か単語を変え、ゆっくり発音しなおすなどした結果、アラレちゃんはこちらの質問の意図を理解したふうであったが、返事をすることはやはりできなかったみたいで、ほかの女性スタッフがクスクス笑いながらわれわれふたりのやりとりを見守る中、wait a secondと小さく言ってから、どこかにいるらしい別のスタッフを呼びに出かけた。じきにもどってきたアラレちゃんの後ろには支配人、ということもないのだろうけれどもおそらくこちらと年頃のさほど変わらない長身の男性がいた。Wi-Fiは自由に使うことができる、こちらの宿泊する部屋でも利用可能だ、回線名はこのホテルの名前である、パスワードは不要であると、彼はこちらの質問にいちいち丁寧に英語で答えてくれた。ありがたい、ひさかたぶりに言葉でコミュニケーションをとった感じである。Mr.Caiがしつこく食い下がっているあいださっそくくだんのWi-Fiを利用し、どうなるだろうかとドキドキしながらスマホVPNをおそるおそるオンしてみた。すると、まるで問題なくGoogleTwitterやLINEにアクセスすることができたので、いやっほーと歓喜した。それでさっそく母に無事をしらせるLINEを送った。それから、ぶじ到着したのかというLINEをこちらに送っていたらしい(…)にホテルの写真を返信し、(…)さんにも(…)のホテルにいま到着しましたと連絡した。さらにおどろいたことに(…)から連絡があった。タイとカンボジア旅行についておもいだしていた、あんなにも魅力的な旅はこれまでいちどもなかったしこれからも二度とないだろう、というメッセージだったので、さては旦那とケンカしやがったなとおもいながらも、I think you will be surprised to know where I am now的な文章を書きおくった。すぐに返事があったので、中国にいると告げると、why? how? when?みたいな率直きわまりない疑問文がたてつづけに送られてきたので、日本語教師として大学で働くことになった、今日ちょうど中国に到着したところだと返事した。
 Mr.Caiの用事もすんだようだったので、アラレちゃんたちに手をふりながらエレベーターに乗りこんで五階に移動した。部屋はぜんぜんうれしくないことに同室だった。まあ文句はいうまいという感じである。客室はけっして広くはなかったが、しかし清潔で、いろいろと行き届いているようにみえた。少なくとも(…)の客室よりはラグジュアリーな感じである。日本円にしておよそ十数万円が、いちおういくつかの封筒と財布に小分けにしてあったものの、まとめてリュックサックに入っている状態だったので、Mr.Caiがこちらを見ていないその隙を見計らって、リュックサックの中からロックのかかるキャリーバッグの中に現金を移動させるなどした。それからだれかと電話しているMr.Caiにジェスチャーで風呂に入ってくると知らせてから浴室に移動した。透明なガラスで囲まれたシャワールームと便所と洗面所がすべて一体となっている一室で、歯ブラシやフェイスタオル、ほかアメニティグッズも日本のホテルと遜色ないほどそろっているようにみえたので、ここはやっぱりけっこうなグレードなのだろうとおしはかった。
 風呂からあがるとMr.Caiはどこかに出かけるといった。どうやら手持ちのiPhoneを充電したいらしかったが、コンセントはこちらのベッド脇にしかなかったので、ロビーにあるのを利用するつもりなのだろうか、こちらのもっていたUSBとコンセントの変換器だけ貸してくれというようなことをジェスチャーで断ったのち、ふたつあるルームカードのうちひとつをもって外に出ていった。部屋にのこったこちらはひとりベッドに横たわりながら、翌日の体格検査にそなえてすでに飲み食いの禁止されている22時をいくらかまわっていたはずだが、部屋置きの無料の飲料水をグビグビのみまくって、しばらく(…)とやりとりを続けた。交通規則をひとりとして守らないドライバーたちの荒い運転や、ケミカルなにおいとスパイスのにおいがいりまじったあの熱気などについて報告しながら、こちらもまったく同様にあのときのタイやカンボジアをおもいだしていたところなのだというと、What a coincidence! とこちらが続けようとおもっていたフレーズを先取りされた。こちらは(…)のようにスピリチュアルでもなければロマンティックな人間でもない、しかし(…)が突然連絡をとってくるタイミングというのはふしぎなことに決まってこちらが彼女との日々をおもいかえす強いきっかけのあった直後だったりするので、この符号にはやはり毎度のことながらおどろかされる。

 22時半に書見を中断。今日づけの記事を途中まで書く。(…)さんに上に引いた一年前の記事の一節、彼女の才能を称賛しているくだりを、文言を微妙に変更した上で——そんなことないと思うが、万が一、VPNを使用してググられたらまずいので——送る。すでに一ヶ月が経過しているとはいえ、スピーチコンテストの件でやはりまだ落ち込んでいるかもしれないし、励ましや慰めも兼ねて送信。で、それをきっかけに多少やりとり。クラスメイトの半分はすでに感染しているという話があった。ビジネス口語のテストがオンライン上であったらしいのだが、「私達今日も口語テストしました。感染した人は半分近くになります多分。声からみんなの健康状態を判断することができます。大変だね」とのこと。こりゃもういちいち誰がいつ感染していたかなんて記録していてもきりがないな。年内に全員感染するんじゃないか?
 腹筋を酷使し、冷食の餃子を食し、ジャンプ+の更新をチェックする。歯磨きをすませ、1時になったところでベッドに移動。『私家版 聊齋志異』(森敦)の続きを読む。最後まで読み終えたところで、Kindleで『荘子の哲学』(中島隆博)を読みはじめる。これも復刊してくれて本当に良かった。価格高騰している古本を何度も何度も買いそうになっていたわけだが、こらえて正解だった。ただ、これも文庫化前の『『荘子』 鶏となって時を告げよ』というタイトルのほうがかっこいいと思うんだけどなァ。