20221229

大江 僕はオペラが好きなものですから、マリア・カラスの『メディア』からさかのぼって、ギリシャ悲劇の『メディア』も読む。そうすると、呪いが、呪われた人にとってどんなに親しく重要なものかという瞬間もあることを感じます。
古井 そうですね。
大江 それはパシオンということでもあるかもしれませんけれども、呪いによって人が滅びてしまう。例えばお前は海に沈んでしまうだろうといわれて、海に沈んでしまっても、あらためてそこから浮かび上がってくるということが、それこそ和解というか、認識、啓示というか、そういうものとしてある。どうもそれだけ大きい認識、大きい啓示に、呪われる側から加担する人物も大きい人物だという感じが僕はするんです。
古井 呪われているというのは、見捨てられていないしるしだそうですね。カフカの小説は、呪われているのか、見捨てられているのか、その境目の孤独のように僕には読めるときもありますね。だけど、あの明快さは、呪われているという確信の明快さでしょうね。それがあの小説の骨である。時々ただ見捨てられているんじゃないかという荒涼さが出ますけれども。
大江健三郎古井由吉『文学の淵を渡る』)



 10時30分にアラームで起床。寒いからベッドの外に出る気になれん。30分ほどねばる、ねばりつづける。意を決しておきあがり、歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。食パンとメロンパンを食し、コーヒーを二杯たてつづけに淹れて、きのうづけの記事の続きをカタカタやる。
 14時30分になったところで二年生の(…)さんに連絡をとって延期していた期末試験。「道案内」。出来はさほどよくない。これで全員分の試験が片付いたので、あとは成績表にもろもろ記入するだけ。今日中にすべて記入し、明日教務室まで持っていくことにする。
 きのうづけの記事を書きあげ、投稿し、ウェブ各所を巡回する。それから2022年12月29日づけの記事の読み返し。まずは『サイレンス』の引用から。

 それでは、音楽を書く目的は何だろうか。たしかに、扱っているのは目的ではなく音だ。あるいは、答えは逆説的な形態をとるにちがいない。意図的な無目的性、あるいは無目的な活動。しかしこの活動は、生を肯定する。すなわち、混沌から秩序を生み出したり、創造における向上を示したりする試みではなく、ただ私たちが生きている生そのものに目覚める方法なのだ。いったんそこから知性や欲望を取り除き、ひとりでに進むにまかせれば、生はとても素晴らしいものになる。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「実験音楽」 p.31-32)

 2022年12月29日は、昼間は外国語学院の教員+スピーチコンテストに出場した学生らと一緒に中華テーブルのレストランで食事(生まれてはじめてすっぽんを食った)、夜は(…)さんとその彼女、(…)さん、(…)さんと海底捞で食事した日。(…)さんはこの数日前、こちらや地元の友人などの親しい間柄以外の人間にも、みずからが同性愛者であることをはじめてカミングアウトしたのだった。以下は夜、海底捞での食事を終えたあとのくだり。

(…)さんと(…)さんとは(…)の入り口でお別れ。われわれ三人は滴滴で呼んだ車で大学まで戻った(車酔いの激しいふたりのため車内ではほとんど会話せず)。南門前に到着したところでふたりとはそこで別れ、ひとり快递に向かうことにした。21時30分まで空いていると届いたメールに記されていたのだ。ひさしぶりにshowmoreのcircusを流しながら、夜の、ちょっとだけガラの悪くなっている、臭豆腐のきついにおいが漂う裏町を歩いていると、こういう感覚をおぼえるのはどれくらいぶりになるのかわからないが、啓示に打たれたような感じがあった。つまり、この瞬間を忘れてはいけない、いま裏町のいっさいがっさいをすべて愛するに足るものとして、というよりも愛し尽くせないものとして認識しているこの感じ、一時間後にはきっとそのクオリアの大半が失われてしまっているに違いない、しょせんはいっときの感情の昂りでしかないこの感じにしかしずっと騙され続ける必要があるのだ、と強く思った。Saul BellowのSeize the Dayだ(と書いた瞬間になつかしくなり、Kindleで原書のほうをポチってしまった)。

 Seize the Dayは実際今年再読したのだった。一年前の記事で言及されているのは以下のくだり。

 The idea of this larger body had been planted in him a few days ago beneath Times Square, when he had gone downtown to pick up tickets for the baseball game on Saturday (a double header at the Polo Grounds). He was going through an underground corridor, a place he had always hated and hated more than ever now. On the walls between the advertisements were words in chalk: ‘Sin No More,’ and ‘Do Not Eat the Pig,’ he had particularly noticed. And in the dark tunnel, in the haste, heat, and darkness which disfigure and make freaks and fragments of nose and eyes and teeth, all of a sudden, unsought, a general love for all these imperfect and lurid-looking people burst out in Wilhelm’s breast. He loved them. One and all, he passionately loved them. They were his brothers and his sisters. He was imperfect and disfigured himself, but what difference did that make if he was united with them by this blaze of love? And as he walked he began to say, ‘Oh my brothers - my brothers and my sisters,’ blessing them all as well as himself.
 So what did it matter how many languages there were, or how hard it was to describe a glass of water? Or matter that a few minutes later he didn’t feel anything like a brother toward the man who sold him the tickets?
 On that very same afternoon he didn’t hold so high an opinion of this same onrush of loving kindness. What did it come to? As they had the capacity and must use it once in a while, people were bound to have such involuntary feelings. It was only another one of those subway things. Like having a hard-on at random. But today, his day of reckoning, he consulted his memory again and thought, I must go back to that. That’s the right clue and may do me the most good. Something very big.Truth, like.
(Saul Bellow, “Seize the Day”)

 記事の読み返しがすんだところでそのまま今日づけの記事もここまで書いた。すると時刻は16時半をまわっていた。日記、もうちょっとコンパクトにしたい。一日の前半をまるごと持っていかれるのはちょっと鬱陶しい。

 そういえば書き忘れていたが、中国からイタリアに飛んだ航空便の乗客のおよそ半数がコロナ陽性だったというニュースを起き抜けに見たのだった。全然驚かない。マジで体感周囲の八割以上が感染している感じなので。というかそれでいえば、「中国・武漢で感染爆発、死者急増 住民ら証言、ゼロコロナ政策崩壊」(https://nordot.app/981122126722531328)という記事のなかに、住人の話として体感で九割ほどが感染しているという話もあったのだった。うちのような田舎で体感七割から八割という感じなので、武漢ほどの規模の都市であれば、そりゃ九割にも達するだろうな。

 【武漢共同】中国湖北省武漢市で12月に新型コロナウイルスの感染爆発が起き、感染者の死亡が急増していると、住民らが29日までに共同通信に証言した。習近平指導部の「ゼロコロナ」政策が崩壊する中で流行が拡大した。コロナ発生を世界で初めて武漢当局が通知してから30日で3年。流行初期に都市封鎖を経験した市民らは再び難局に直面している。
 市内の葬儀場には29日、遺影や遺灰を持った人や車が大勢集まった。医療関係者によると流行のピークは過ぎたもようだが、現在も重症者の増加で病床が逼迫。武漢の人口は約1300万人だが複数の住民は「体感で9割近く」が感染したと話している。

 17時をまわったところで自転車に乗って第四食堂へ。どんぶりメシを打包する。食堂内でおっさんがひとり、マスクも装着しないで大声で厨房のおばちゃんらに話しかけていたが、ありゃあたぶんすでに感染し回復した人種であるな。あの堂々としたふるまい、周囲に勝ち誇るかのように肩で風を切って歩く物腰、間違いないぜ!
 帰宅。メシ食う。食後、ベッドに移動して仮眠をこころみるも、なぜか今日は全然眠くならん。『東京の生活史』(岸政彦・編)の続きを読みはじめるも、じきにつまらなくなったので、前々から再読したい気分だったFlannery O'Connorの“A Good Man Is Hard To Find”に着手することに。オコナーの短編もだれか翻訳しなおせばいいのになと思う。新潮文庫になっている須山静夫訳の『オコナー短編集』はすばらしいと思うけど、ちくまから出ている横山貞子訳の『フラナリー・オコナー全短篇』はかなりまずいんだよな。じぶんがやるかなと思ったこともかつてはあったけど、いまは翻訳にまったく興味がない。Katherine Mansfieldの少女Keziaが出てくるBurnell一家のシリーズ(“Prelude” もしくはそのlonger versionである“The Aloe”、“At the Bay”、“The Doll’s House”)のみ翻訳して一冊にまとめ、あわよくば付録としてこちらの手によるシリーズの二次創作をつけて出版みたいな計画を抱いたこともかつてやはりあったのだが、うーん、いつかやるんだろうか? いつかいつかといっているうちにはたぶんやらないだろうな。そういえば、あれはたしかいとうせいこうだったと思うが、スランプで書けなくなっている時期に大江健三郎から翻訳でもしてみればどうですかと言われたことがあったとどこかで言っていた気がする(佐々木中との対談だったか?)。たしかにじぶんの小説がうまく書けない時期に、他者の言葉(外国語)を自身の言葉(母語)で語り直す翻訳という行為は、ある意味ものすごく理にかなったリハビリなんじゃないかと思う。母語に対する荒療治というか、硬直したものを揺さぶり、氷結したものを溶かし、くすぶっているものをふたたび着火せしめるとでもいうような。もっとも大江健三郎がそのときすすめたのはマルカム・ラウリーの『火山の下』だったらしく、そんなもん気分転換に読んだり翻訳したりできるような代物じゃねーよ! というアレなのだが。大江健三郎は風邪をひいて寝込んだときにはドストエフスキーの長編を再読するとどこかで書いていたし、知的体力みたいなものがちょっと尋常でないと思う。

 軽い下痢に見舞われる。それをきっかけに活動を開始する。シャワーを浴び、ストレッチをし、以前(…)さんと(…)さんに頼まれて撮った合掌ポーズの自撮りでクソコラを作る。じぶんの背後に後光を設置し、画像上部に「神です」というテロップを設けた上で、いまだに感染していない旨を告げるふざけた文章とともにモーメンツに投稿。たぶんいまの中国でそういう言い回しが流行しているのだろう、「感染の前兆:口が減らない」というコメントが卒業生の(…)くんからすぐに届く(彼の元クラスメイトである(…)さんからはそのフレーズの中国語原文も届いた)。いまだに感染していないのはこちらのほかには四年生の(…)さんと卒業生の(…)さんくらいかもしれない。(…)さんは家族全員が陽性であるのにじぶんひとりだけ元気、(…)さんは実家にひきこもっているので元気とのこと。あと、(…)外国語学院長も家族が陽性になっているのにじぶんひとりだけ無事らしく、羊(陽性)の群れに囲まれている白い牧羊犬の画像をモーメンツに投稿していて、これにはちょっと笑った。
 コーヒーを淹れる。時刻は21時半。成績表の記入に着手する。すでに点数はつけてあるので、間違いがないかどうかだけチェックしつつ、用紙にボールペンでもろもろの項目を記入。日語会話(二)と日語基礎写作(一)の分を片付けると23時半。中断してトースト三枚とコーヒーの夜食をとったのち、日語会話(一)と日語閲読(三)の分も記入。
 すべて片付くと1時。今日づけの記事を少しだけ書き、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。寝床に移動後、スマホでニュースをざっとチェック。磯崎新の訃報。“A Good Man Is Hard To Find”(Flannery O’Connor)の続きをちょっとだけ読んで就寝。