20230113

 モワレとは、二つの周期的パターンが重ねられるときに現れる第三のパターンのことを指す。ベイトソンはこれを、芸術をおこなう精神の基本構造と結びつけている。『精神と自然』(一九七九)から引用しよう。

例えば韻文、舞踏、音楽といった美的経験の本質に迫る疑問。これらのリズミックな現象は非常に古い時代から——恐らく散文以前に——人間と共にあった。というより、たえまなく変奏されゆくリズムの中にあるという点にこそ、太古的な行動と知覚の特徴なのである。人間ならずとも数秒の記憶を有する生物であれば、二つの異なった時間上の出来事を重ね合わせて比較することができるはずだ[……]。世界中のどの民族にも見られる芸術、詩、音楽の現象が、何らかの形でモワレと結びついているということはありえないだろうか。もしそうだとしたら、個々の精神(マインド)は、モワレ現象の考察がその理解の助けとなるような、非常に深いレベルで組織されているということになりそうである。[……]「モワレの形式数学すなわち〝論理〟は、美的現象をマップする土台として適切なトートロジーを与えるものだ」と言えるかもしれない。

 ベイトソンはここで、複数のリズムパターンが重なって生まれるメタパターン=モワレを、美的現象に適切な説明を与えうる形式論理として捉えている。それは極度に一般化された芸術の「思考」の論理だ。
(…)
 ベイトソンは娘メアリー・キャサリンベイトソンとの共著で死後出版された『天使のおそれ』(一九八七)においても、前言語的な思考の論理を、モワレ構造をなすものとして描いている。それは古典的な「バルバラの三段論法」と対比して「草の三段論法」と呼ばれる。
 バルバラの三段論法とは次のような形だ。

人は死ぬ
ソクラテスは人である
ソクラテスは死ぬだろう

 対してベイトソンの言う「草の三段論法」は、次のようなものだ。

草は死ぬ
人は死ぬ
人は草である

 草の三段論法は、主語が属するカテゴリー「人」の同一性ではなく、「死ぬ」という述語の同一性によって人と草を同一視してしまう。述語による統合が草の三段論法の論証原理だ。
 草の三段論法は、いわゆる「フォン・ドマルスの原理」——精神医学者E・フォン・ドマルス統合失調症患者に見出したと考えた、述語の同一性に基づいて異なる対象を同一視するという思考の原理——を拡張したものだ。ベイトソンによれば、詩、芸術、ユーモア、宗教は「草の三段論法びいき」であり、またすべての動物行動、反復性をもったすべての解剖学的構造、すべての生物学的進化は、草の三段論法によってそれぞれの中で結び合わされている。
 ここで重要なのは、草の三段論法が前言語的であることだ。ベイトソンは書く。

バルバラの三段論法を立てるためには、同定された諸々のクラスを持たなければならない。そうすることで諸々の主語と諸々の述語は差異化される。ところが、言語を離れたところには、名づけられたクラスというものもなければ、主語-述語関係というものもありはしない。したがって草の三段論法こそ、あらゆる前言語的領域において、観念のつながりを伝えあう主要なコミュニケーション様式にちがいない。

 言語を離れたところには「人」・「草」・「死ぬ」のようなカテゴリーも、その同一性も存在しない。草の三段論法は、前言語的世界に現れるパターン間の関係を、むりやり人間の言語に書き下したものだ。実際には、前言語的世界では「主語」と「述語」は区別されず、動的パターンの中で一体化している(例:植物の運動(述語)からその植物(主語)は区別されない)。また草の三段論法において、複数の事象を結びつけるのは言語的同一性ではなく、類似したパターンの反復である(例:くり返し産出される葉。別の植物にそって絡みつく蔓植物)。つまり草の三段論法の論理とは、同一の述語の下に複数の事象を包含することではなく、複数の非言語的パターンが差異を伴いつつ重なりあい、「モワレ」を生むことなのだ。その「論理」は線的ではなく、重なりあうパターンの至るところで同時双方向的に、さまざまな度合いで働く。このパターン間の同時双方向的で度合いをもった結び合いが、前言語的な形象の思考を内的に統御している。
 モワレ的論理をめぐるベイトソンの思考は、「結び合わせるパターン(the pattern which connects)」の発見という形をとる。

カニをエビと結びつけ、ランをサクラソウと結びつけ、これら四つの生き物を私自身と結びつけ、その私をあなたと結びつけるパターンとは?

ヒナギクに見とれている者は、ヒナギクと自分との類似に見とれているといえるのではないか。

 一見まったく異なると思われた複数種のパターンが重ねあわされるとき、モワレが生まれ、カニとエビ、あるいはヒナギクとヒトが共有する構造が見えてくる。それは差異のなかに隠された類似だ。ヒナギクとヒトは種を超えて「韻」を踏むのだ。
 前言語的精神(マインド)は、理性(reason)ではなく、韻(rhyme)を通して思考する。形象の思考の論理はモワレであり、モワレから現れる韻である。韻とは、複数のパターンを共鳴させるあざやかな結び目のことだ。本書で私は、このモワレないし韻の論理を、形象の思考を分析する際の手掛かりとして使用していく。
平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』より「序章 布置を解く」 p.11-15)



 8時45分にアラームで起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。食パン一枚だけ食す。9時40分をまわったところで部屋を出る。徒歩で(…)楼へ。雨が降ってくるかもしれない天気だったのでリュックサックに折り畳み傘をしこんでおいたが、結局使うことはなかった。空はガスりまくり。雨雲とあいまって午前中にもかかわらず夕方みたいに薄暗い。
 (…)楼の入り口では守衛に呼びとめられたが、めんどうくさいので聞こえていないふりをする。エレベーターに乗りこんで五階へ。オフィスには(…)ともうひとり名前の知らない国際交流処の女性スタッフがいる。ソファに腰かける。できあがった契約書を渡されるので、いちおうかたちだけ中身をのぞく。給料は7700元にアップ。京都時代の二倍。上出来。ほかビザの更新に必要な書類のたぐいにその場で記入。(…)ももうひとりの女性もめちゃくちゃ忙しそうにバタバタしまくっていた。学期末の締めの作業的なアレのせいかもしれないし、三月にいっぺんにやってくるという他の外教らに関連した手続きのせいかもしれない。
 女性スタッフをひとりオフィスに残すかたちで(…)とそろって出発。(…)は部屋を出る前、オフィスをあとにする際はかならず電気を切ってパソコンの電源も落としてみたいなことを母親みたいな口調で言い残した。もうひとりの女性はそれに対してちょっと笑うようにしながらだいじょうぶと答えていたが、そうしたやりとりを見て、そういえば(…)はけっこう強迫神経症っぽいところがあるよなと思った。書類の記入にしてもドアの施錠にしてもしつこいくらいdouble checkしている場面をこれまで何度も目にしているし、(…)さんの荷物を日本に配送するにあたって段ボールのおもてに住所を記入する必要があったときなんて、そんなに慎重に書くの? とびっくりするくらいゆっくりとペンを動かしていた(そしてその割には字があんまりうまくないという)。
 エレベーターに乗りこむ。目的地までは車で三十分ほどだという。いつもの警察署でもない、前回おとずれた警察署(仮)でもない、第三の場所をおとずれる必要があるらしい。ビザの更新がコロナのせいで遅れてしまったその関係上でみたいな話があったが、詳しいことは知らない。(…)楼の外に出る。昨日から大気汚染がちょっとひどいと思うというと、日本はどうなのかというので、nothing like thisと応じる。(…)の車はいつもの赤いやつではない、色は忘れたがもう少し大型のやつだった。あとで聞いたのだが、これはfather in lawのものらしい。赤いほうはhusbandのものだといっていたか。そのhusbandは、これは以前も聞いた話であるが日本のアニメオタクであり、平日でも毎日四時間ほどアニメを視聴しているらしい。休日になるとそれが十時間になるというので、さすがにたまげた。そういうわけで2023年に日本旅行を計画しているという。あなたの故郷はどこなのかというので、(…)県だと日本語読みと中国語読みで答える。知らないというので、わざわざおとずれる必要はないような場所だと応じる。じゃあおすすめはどこというので、このやりとりも以前交わしたことがあるなと思いながら、京都だ、じぶんは中国に来るまえ十五年ほど住んでいた、だからきみの一家をガイドすることもできるといった。
 で、寝ることにした。エレベーターに乗っているときに、Are you tired? といわれたのだったが、実際、けっこう眠かったのだ。それに車に長時間乗っていると、ほぼまちがいなく眠りに落ちてしまう——それも冬場の暖房のきいた車内では確実にそうなる——傾向があるので、Lisaも運転しながら英語で会話なんてしたくないだろと思い、目を閉じてシートに体をあずけた。ほんのちょっとうとうとしかけたところで話しかけられた。車は交差点で停止したところだった。ごめん、ちょっと寝てたと応じてからききかえすと、交通量の多さを指摘した。長沙や広州や杭州などの都市から続々とひとが集まっているのだというので、春節で? とたずねると、然りの返事。Lisaは春節の間、たしか八日間といっていただろうか、(…)の田舎にある故郷で過ごすとのこと。ちなみに旦那のほうは(…)出身らしい(これも以前聞いたかもしれない)。
 目的地は、あれはたぶん市役所的な施設だろう、中国語の名称をLisaに教えてもらったのだが忘れてしまった、なんか市民みんなの家みたいな名前だったと思うが、外観はちょっと空港みたいだった。駐車場もアホみたいに埋まっていた。ちょっと離れたところに車を停め、そこから歩き出した。近くに停まっていた車のタイヤに赤いスカーフみたいなものが巻きつけてあったので、あれってたしか初心者マークみたいなもんではなかったっけと思いながら(…)にたずねてみると、魔除けがどうのこうのという迷信に関するものらしい説明があったが、これはあんまりはっきり聞き取れなかったのでわからん。
 施設の中に入る。中身も空港みたい(実際、(…)はここはair portみたいだといった)。(…)にこんなおおきな建物があるとは想像もしていなかったというと、(…)は笑った。空港といえば、(…)にある空港はとても小さいけど行ったことはある? とたずねた。たずねた直後、いや一昨年きみが迎えにきてくれたんだなと続けたが、(…)はこちらの言葉をもしかしたら聞き違えたのかもしれない、もしかしたら(…)を(…)と勘違いしたのかもしれない、あそこの空港はとても大きいでしょうといったのち、古いほうの空港は日本が建てたのだといった。そうなのと驚くと、during world war Ⅱと続いたので、あ、侵略したときに建設したのかとなった。
 エスカレーターで吹き抜けの三階に移動。(…)は事前にここの女性スタッフ——もしかしたら顔なじみなのかもしれない——と連絡をとりあっていたので、われわれに先着していたアフリカ系の若い男性とその付き添いの女性よりもはやくけっこうとんとん拍子でことが運んだ。まずオフィスで先に記入しておいた資料を女性スタッフに渡す。それから別の一画で証明写真の撮影。先客がいたが、中国人用の撮影スペースと外国人用の撮影スペースは別らしく、ほかに外国人がいなかったこともあってすぐに順番がまわってきた。帽子を脱ぎ、めがねとマスクを取る。それで撮影となったが、のちほどピアスもとるようにいわれた(こんなことは今までなかったと思う)。さらにコートも脱ぐようにという。やたらと注文が多い。
 撮影が終わる。先の受付に戻る。事前に用意しておいた書類だけでは足りなかったと(…)がいう。過去三ヶ月分の給料の証明書が必要だという。こんなものを要求されるのもはじめてだ。銀行のアプリはあるかというので、あると応じると、スクリーンショットを送ってほしいという。それでアプリを開き、過去三ヶ月分の収入を表示し、スクショを撮って(…)に送る。(…)から電話があったのはこのときだったかもしれない。スクショの件が片付いたところでおりかえしコールすると、いま時間があるかというので、いまcity officeにいる、またあとで連絡すると伝えた。
 スクショを印刷する必要があると(…)がいう。印刷の受付は一階にあるというのでエスカレーターで階下に移動する。総合受付のきれいなお姉さんに印刷はどこですればいいのかと(…)がたずねる。お姉さんの指示した一画に移動する。いかにもやる気のない、かなりつっけんどんな態度の女性がひかえているカウンターで、(…)がスクショの印刷を頼む。カウンターの内側にあるパソコンに表示されたQRコードを(…)が読み取る。QQの連絡先をそれで交換したかたちらしい。そこに先ほどのスクショを送る。(…)は微信ではなくQQの使用にこだわった。じぶんの微信アカウントは母親のものだからというようなことをいった。仕事で必要な微信アカウントは母親名義、プライベートはじぶん名義で使い分けているのかなと思った。
 印刷されたものをもってふたたび三階へ。(…)が受付でやりとりしているあいだに(…)に電話をかけなおすが、回線が混雑していますみたいな表示が出る。(…)が戻ってくる。終わった。あとは三週間後にここにパスポートを取りにもどってこればいい。パスポートの回収には(…)がひとりで向かってくれるとのこと。
 そろって外に出る。出たところで、(…)がトイレに行きたいというので(この、いったん外に出たものの、これから30分以上の運転がひかえていることに気づき、だったら念のためにトイレに行っておいたほうがいいのではないかと考えて引き返したかのようなありように、やはり強迫神経症的なものを見ないこともない)、ひとり外に突っ立ちながらA Good Man Is Hard To Find(Flannery O’Connor)の続きを読んで待つ。
 (…)がもどってくる。もどってくると同時に(…)から電話がある。車の後部座席に乗りこみながら電話に出る。インターネットのことで相談したいことがあると(…)がいう。先日グループチャットでネットの調子が悪いといっていたなと思い出しながら受けると、けっこうまどろっこしい言い方で、あれはたぶんVPNという単語を巧妙に避けてのことだと思うのだが、ここ数週間ずっとまともにconnectしないのだというので、じぶんが使っているappは問題ないと応じる。いま大学にいるのかというので、いまは(…)の車だ、30分後か40分後にはそっちに戻るのでまた電話すると告げる。通話を終えたところで、internetの話だった、VPNの話だったという。最近はregulationもかなり厳しくなっているからと続けたが、(…)はあまり反応しなかった。それで、あ、立場的にもVPNの話なんてできないのかな、とちょっと思った。
 どこか寄っていくところはあるかというので、ないと応じる。きみがどこかで買い物をするというのであればかまわない、ついでにじぶんも店をのぞくというと、そういうわけではないと(…)は笑っていった。そういえば、これは往路で話したことだったが、(…)の家庭では食事を担当するのはfather in lawらしい。買い出しはmother in lawの仕事。だから(…)自身は料理をまったくしないらしく、豚肉と鶏肉の値段のどちらが高いかも知らなかった。ちなみに(…)先生のお宅も食事を担当していたのは義理の父君であったはず。
 北門の前で車が停まる。一時的にパスポートの代用にもなる引換券について、最初こちらがあずかっておくという話だったが、別に今後三週間以内に電車に乗ってどこかに出かけたりホテルに宿泊したりする予定もないので、もうハナから(…)にあずけておくことにした。それで礼をいい、Have a nice 春节! とあいさつして車をおりる。そのまま歩いて寮へ。
 帰宅。小便をする。それから白湯を飲んで一服したのち、(…)に電話し、entranceで落ち合うことにする。五階分の階段をおりる。しばらくすると(…)がやってくる。ExpressVPNが完全にuselessになってしまったという。もう一ヶ月ほど悪戦苦闘しているらしい。中国にはじめてやってきた年はこちらもExpressVPNを使っていたわけだが、その翌年だったか、あるいは翌年を待たずしてだったか忘れたが、じきにろくにつながらなくなったので、以降こちらは良之助VPNを使っている。ExpressVPNはでかいところであるし、当局から目をつけられたんだろうというと、たしか広州といっていただろうか、そこに投資会社? みたいなのがあり、そこがExpressVPNに投資しており、そのリターンを(当局が?)がっぽり受け取っているため、これまでallowされていたのだというようなことを(…)はいったが、彼は基本的に陰謀論者であるので、この話もどこまで確かなアレであるかは不明。良之助VPNをいちおう紹介したが、サポートは日本語オンリーであるし、価格も(…)の感覚からするとかなり高いという。(…)や(…)にきいてみたのかというと、(…)はVPNを使っていない、特別なモデムかなにかを用意してそれで自由にインターネットをしているという返事。(…)については、これはのちほどあらためてたずねたときにきいたのだが、微信で連絡をとってみたのだが、ろくにreplyがないみたいなことをいっており、(…)のあの異常に他者を拒む姿勢はマジですごい! あんなアメリカ人はこれまでひとりも見たことがない! 先学期に開催された外教のランチ会でも途中退席したし、その他の会議や食事会でも基本的にひと言も発さないし、そもそも笑ったところを見たことがない! 不健康なほどに白い肌と、坂本龍一のように真ん中分けした白髪と、あの寡黙さが三点重ねになっているのをみると、これはなかなかの人物なんじゃないかと物語の予感がうずうずする。ちなみに、これは車内で(…)から聞いた話であるが、彼はずっとsingleであるらしい。しょっちゅう(…)に出向いているようであるし(先日も(…)に出向いていたのに、にもかかわらずコロナに感染していないのだと(…)は笑いながらいった)、むこうに家族もしくは恋人でもいるのかなとひそかにこちらは勘ぐっていたわけだが、そうでもないのだろうか。ゲイかもしれないなと思ったことも何度かあるが。ほかに中国在住の友人たち、イタリア人のだれかれとか、以前うちの大学に在籍していたenginnerの博士のだれかれとか、そういう相手に聞いてみようと思ったこともあるのだが、sensitiveな内容であるのでなかなか電話で相談することもできない(そこまで警戒することか?)、ひとり当てのある人物——そっち関係のprofessor——がいたのだが最近Covidに感染したらしいのでさすがにそのタイミングで連絡をとるのは避けたい、そういう状況なのだと続けた。ちなみに(…)にも相談したらしいのだが、VPNの利用はillegalだからという反応があったとのことで、なるほど、さっきの車内でのあの硬直した緊張感はやっぱりそこに由来しているのねと思ったし、そんな彼女の反応を踏まえて考えてみると、微信のモーメンツでかつておすすめのVPNはないかと平気で質問していた(…)先生の肝っ玉やばすぎやろという話であるし、VPN経由でアクセスした先の画像だのなんだのを紹介している日本語学科の濃ゆいオタクたちも相当アレやな。
 ExpressVPNのsubscriptionが解除されるまであと22時間ほどしか残されていないらしい。どうしたもんだろうかというので、それだったらひとまずつなぎとして無料のVPNを利用すればどうか、中国国内のインターネットで手に入れることができるものもあるし、それでもってExpressVPNのupdateを待ってみればどうか、それこそ英語学科の学生たちにきけば絶対に知っているはずだ、日本語学科にもVPNを使ってネットをしている学生はけっこういるからというと、アメリカ人と結婚した元教え子がいるし彼女にあたってみるのもいいかもしれないみたいなことを(…)はいったが、しかし学生におすすめのVPNを教えてもらうという行為それ自体に対してはやはりかなり抵抗があるようだった、too sensitiveな話であると考えているようだった。これものちほど話したことであるが、英語学科の学生ではなく教員にたずねてみればどうかと提案したときも、(…)はやはりsensitiveという語を持ち出したし、あとはっきりとは聞き取れなかったのだが、ちょっと声をひそめるようなトーンで顔をしかめてみせながら語ったそのふるまいから察するに、英語学科で働く中国人教師との関係はさほど良いわけではないようだった(これについては思い当たる節がある、三年ほど前だったか、市政府の翻訳チームでのランチ会に唯一の外国人として参加した際、はやめに帰宅する必要があったので同様にはやめに帰宅する予定だという英語学科の女性中国人教師の車にのせてもらったことがあるのだが、そのときに当時こちらが親しくしていたセルビア人の(…)を知っているかとたずねると、知っているが話したことはないという返事があり、あ、英語学科でも中国人教師と外教との距離感ってそんなふうなんだとびっくりしたのだった)。ただ、いちおう奥さんの(…)に頼み、中国で手に入るVPNの一覧リストみたいなものは用意してもらったらしい。だからひとまずのつなぎとしてそいつらを利用する可能性も踏まえてちょっと考えてみたいというので、じぶんのパソコンが必要になったらいつでもcallしてくれればいい、どうせ冬休み中はなにも予定がないし暇しているからというと、ありがとう、こうやって話してみることでいいbrainstormingになった、またなにかあったらお願いすると(…)はいった。
 それで部屋にもどった。トーストを一枚追加で食し、コーヒーを淹れ、『メロディーズ』(蓮沼執太)をダウンロードして流しながら、きのうづけの記事にとりかかる。カタカタやってひとまず目処のついたそのタイミングで、時刻は14時過ぎであったが、(…)からボイスメッセージが届いた。やはり(…)の力を借りる必要があるかもしれない、めぼしいVPNを見つけたのだがそのアプリをダウンロードするためにはVPNを噛ませたインターネットが必要だ、だからlaptopを借りることはできないだろうか、都合のいい時間があれば教えてほしいみたいな、だいたいにしてそんな内容だったので、かまわない、じぶんがlaptopをもってそっちにいってもいいしそっちがうちにきてもいい、アプリの名前を教えてくれたらそれだけダウンロードしてflash driveにつっこんで持っていくこともできると返信。で、しばらくするとまたボイスメッセージで返信があったのだが、ランチはもうすんだか? まだであればうちでいっしょにとらないか? みたいな誘いで、えらい時間に昼飯食ってんだなと思っていると、じきに電話があった。ランチはもう済んだとひとまず受けた。いまからlaptopをもってvisitしようかというと、ありがとうという返事があったので、じゃあlaptopと念のためにiPadを持っていくよと伝えた。

 ふたたび街着に着替える。リュックにMacBook AiriPadをしまいこんで部屋を出る。一階までおりて、となりの棟に移動。二階か三階の部屋だったよなと思いながら階段をあがる。二階の部屋の玄関のとびらには春節の飾りつけがある。三階の部屋の玄関のとびらにはクリスマスのリースが飾りつけられている。たぶんこっちだなと思いながら電話する。スマホを手にしたまま(…)が外に出てくる。部屋に招き入れられる。土足のままでオッケー。(…)がさっそくギャンギャン吠えまくる。(…)がそれを叱りつける。(…)も(…)もマスクをつけているこちらをみて、わたしたちもいちおうつけましょうという(という反応から察するに、やはり一家は全員感染済みなのだろう)。しかしマスクでいえば、今日市役所をおとずれたとき、いつも人混みに出かけるときはマスクを二重にするのに一つきりのままでぶらついてしまったわけだが、こういうのがまさに油断なんだろうな。咳きこんでいるような姿はなかったけれども、あれほど多くのひとがいたわけであるし、ピークが過ぎたとはいえ、なかなかけっこうリスクの高い場所だったはず。ドラクエ5ロマサガ3のアプリをダウンロードする準備をしといたほうがええかもしれん。
 (…)一家の間取りは(…)さんがかつて住んでいた部屋と同じ。単身者用であるこちらの部屋にくらべて寝室がひとつ多いし、阳台がとても広い。それでも一家三人(+犬)で暮らすのはちょっとせまいだろうなと思う(しかしそれをいうと、こちらが保育園時代に住んでいた市営住宅はすごかった、部屋は二間+キッチンしかなかったはずなのだが、あそこに両親と兄弟三人の五人で生活していたのだ!)。リビングの壁にはクソ巨大な毛沢東のポスターが貼られている。さすが(…)やなと思いながら彼の寝室に移動する。ベッドの上には蚊帳が吊られている。そしてこちらの壁にもやはりクソ巨大な毛沢東のポスターが貼られている。デスクトップに(…)が向かう。名前は忘れてしまったが、有名だというVPNアプリのダウンロードはひとまずすんだらしい(たぶんExpressVPNがときおりつながるその一瞬を利用してダウンロードしたのだろう)。ただそいつを利用するにあたって会員登録をしたり支払いをすませたりするのにメールを利用する必要があるのだが、メールボックスには当然VPNを噛ませないとアクセスすることができない。そこでこちらに白羽の矢が立ったわけだ。メールといえば、これはさきほどおもてで立ち話をしているときに聞いた話であるが、13年前、中国が国内からGoogleをbanしたときに(…)は友人らの連絡先をほぼすべて失ったらしい。
 リュックサックからMacBook Airを取り出す。起動し、Wi-Fiのパスワードを教えてもらう。接続の確認できたところでlaptopを(…)に渡す。(…)、表面のアルファベットが半分以上剥げて消えさっている——というか黒の塗装がすべて剥がれおちてスケルトンみたいになっている——キーボードを見て爆笑する。いったい毎日どれだけ文章を書いているんだ、どれだけタイピングしていたらこうなってしまうんだ、と。結果、その後メールアドレスやパスワードを入力する機会があるたびに、Aはどこだ? Hはどこだ? Bはここでよかったか? などと彼を混乱させるはめになってしまった。くだんのVPNアプリの登録手続きは途中までうまくいった。しかし支払いだけがどうしてもうまくいかなかった。支払いはUnionPayを選択していたのだが、登録した電話番号にSMSが届く手はずになっているのが、なぜかいっこうに届かないのだ。途中からは(…)も加わり、ページの言語を日本語、英語、中国語(簡体字)それぞれに切り替えつつ、全員で手順を確認してその通りにやったのだが、どうしたってうまくいかない。
 それで結局別のアプリを試すことになった。しかしここからがなかなか難儀だった。これもentranceで立ち話をしているときにすでに聞いていたのだが、(…)は海外のクレジットカードを持っていないのだ。可能なのはUnionPayすなわち中国銀聯のものだけ。あとはWeChatPayかAlipayでもだいじょうぶというのだが、そもそもVPNは現状illegalであるのだし、そのillegalなサービスに対して「おまえのものはおれのもの、おれのものはおれのもの」式に(半)国営企業化されてしまうこの国の決済システムで支払いをしようとするという見込みが甘い。UnionPayでの支払いを受け付けてくれるVPNサービスというとかなり数がかぎられてくる。さらに(…)のブラウザは聞いたことのない名前のものだった。Chromeにのみ対応しているVPNサービスもけっこう多いので、Chromeではダメなのかとたずねると、じぶんはGoogleMicrosoftAppleとはなるべく距離を置くようにしているのだ、なぜなら連中はtrackingするからと顔をしかめていうのだが、これは以前大学が教員全員に対して抜き打ちの薬物検査をするために髪の毛を一部カットさせてもらうといいだしたとき、じぶんのDNA情報を提供する気はないといってそれをこばんだ彼と(…)に対してもやはり思ったことであるのだが、何度でもくりかえそう、そこまで個人情報に敏感になる人間であればこの国をすぐに出たほうがいい。断言できる、この国にprivacyなんて一ミリもない、個人情報という概念がまずろくすっぽ存在しない。たびたび思うことだが、(…)はビジネスでPanda huggerをやっているわけではなく、ガチの中国共産党信者である——というか端的に陰謀論者であるというか、こちらの観察するかぎり、反米的なものであればなんでも飛びついてしまうその結果として、陰謀論者とその思考の道筋が大部分重なっているのかなというアレであるのだが(新疆でも西藏でも統治はすべてがうまくいっているのにただアメリカが文句を言っているだけだとか、ロシアとウクライナの戦争はすべてアメリカが引き起こしたものだとか、アメリカ産のワクチンだけは絶対に接種してはならない——そのアメリカ産のワクチンを接種したこちらだけがいまだにこの土地で感染していないほぼ唯一の人間になっていることをどう解釈しているのだろう?——とか、中国とロシアがいま協力して新しい経済圏を作ろうとしていると肯定的な文脈で口にしたりとか)、そしてだからこそ、アメリカ企業であるGoogleMicrosoftAppleを回避しようとするのだろうが、そこまでは論理の筋道としてはまだ理解できる、しかしそこでアメリカ企業を回避する理由づけとしてあげられているのがtrackingなのであれば、そのtrackingを国策としてとりおこなっている世界最大の監視国家であるこの国での日常生活を受け入れており、のみならずしぶしぶ折り合いをつけているというかたちではなくひどく積極的に評価している、その矛盾をどう理解しているのだろうといつもふしぎに思う。まあそういう自省能力があればそもそも陰謀論者にも(保守主義者ではない)ネトウヨにもならんわけやが。
 こちらと(…)が二台のパソコンで悪戦苦闘しているうちに(…)が(…)を抱っこしてあらわれた。(…)は(…)に抱っこされているあいだはひどくおとなしかったし、そのままこちらが代わりに抱っこしてもやはりおとなしいままだった。しかしいったん床におりると、こちらのほうに近づいてくるのだが、手をのばすとやはりあとずさりしてギャンギャン吠えるというふうになるのだった。途中、(…)が気を利かせてジャーキーを二本持ってきてくれた。これで餌付けしろというわけだが、食うべきものを食ったあとはやはりまた元どおりになってしまうわけで、こんなに警戒心の強い犬ははじめてかもしれない。自慢させてもらうが、こちらは基本的にたいがいの犬とは一瞬で仲良くなることができる、実家に居候しているあいだは毎日両親と(…)と(…)を散歩していたわけだが、そこで出会うよその犬らはみんな父でもなく母でもなく(…)でもなくまずこちらになついて顔をぺろぺろ舐めまくってきたわけであるし、事情はここ中国でも変わらない、学生たちはいつもこちらが出会う先々で犬と仲良くなる様子を見てどうして先生だけ! とびっくりするのが常だったのだ。それが(…)だけはなかなかこころを開いてくれない。やはり日本鬼子だからだろうか?
 ところで、(…)のデスクトップの背景は、美女の写真だった。西洋人や(いわゆる西洋人の考える)アジアンビューティーたちのけっこうセクシーな写真が、一定の間隔を置いて切り替わっていくもので、え、こんなことするキャラなん? とちょっとびっくりしたというか、ま、引いた。しかしこれはよく考えてみればアレか? 潜水艦の乗員が二段ベッドの壁際にピンナップを貼ったり戦車乗りがやはり同様のことをやったりする、それ相応に年を食った西洋人男性の典型的な習慣みたいなもんであって、なんやこの俗気! 丸出しの性欲! キッショ! と目くじら立てるようなアレではないのかもしれない。とはいえ、途中で何度かわれわれのほうにやってきた(…)は、一度デスクトップに表示されているスタイル抜群のぴちぴちの服を着たアジア人女性の写真を見て、かなり皮肉っぽい感じでsexyねと口にしたのだったが。あと、ブロンドの巨乳美女がぴちぴちのタンクトップかなにかを着ている写真があったが、乳首がはっきりと浮かびあがっていて、それが表示されたときはさすがに(…)も、これは(…)には刺激が強すぎるなみたいなことを笑いながら言って、壁紙一覧から排除していた。
 解決策を見出すことのできないまま夕飯の時間になった。よばれた。(…)の手作り料理。辛いものは牛肉とピクルスの炒め物のみ。あとは食堂でもよく見かけるブロッコリーをにんにくとなんかで味付けしたやつとか、見たことのない野菜のおひたしとか(これはかなりおいしかったので、あとで料理前の写真を見せてもらった、スーパーで何度か見かけたことのある葉物野菜だった、(…)曰くかなり安いらしい)、とれたてのものをもらったのだという卵を使ったひらべったい卵焼きみたいなもの。正直にいうと、(…)はそれほど料理が得意ではないんだなという感じ。去年、(…)先生宅でメシをごちそうになったときも思ったのだが、中国の——という主語はでかすぎるな、(…)省のというべきだろう、(…)省の家庭料理はおもいのほか質素だ。いや、質素というのはその内容ではなくて、もしかしたら見た目なのかもしれない、というかこの場合は日本人の料理は、たとえぱぱぱっと手早くすませるための家庭料理であったとしても、それでも盛り付けやいろどりにほとんど無意識のうちにこだわっているということなのかもしれない。盛り付けやいろどりに関しては、中国に渡ってほどないころ、食堂でもレストランでも、なんでこんなにおろそかなんだろう、もうちょっときれいにしたらいいのにと違和感を有することがよくあった(いまはもう慣れたが)。
 食事中は三人でたくさんしゃべった。(…)はいまどきの九歳児らしくソファで寝転がってずっとスマホで動画を見ていた——と書いたところで思い出したのだが、こちらと(…)がVPNの設定で悪戦苦闘している最中、われわれの様子をのぞきにやってきた(…)にこちらが年齢をたずねた、すると九歳であると答えた(…)がそのままでも九歳なんて嫌だ、だってもうすぐ十歳になってしまうからみたいなことを口にし、これには(…)とそろって大笑いしたのだった、こちらがあと三年で四十代かよとげんなりする気持ちになるのと同じ気持ちを十代になる直前の彼もまた抱いているのだった。あと、これは今年の最初のhappyなニュースといってもいいと思うのだが、最近大学のすぐそばに大きなスーパーが開店したらしい。二階建てだという。場所は北門を左に出てすぐ先のcornerといっていたか、いずれにせよ(…)よりもはるかに近いとのことで、これにはめちゃくちゃテンションがあがった。無類のスーパー好きとして、これほどうれしいことはなかなかない! 次回の買い出しはさっそくそこですませることにする。マジでクソうれしい。こういうのを吉報というんだろう。
 あとはひたすら食事まわりの話。(…)は日本人が箸を使うこと知らなかった様子。Koreanは箸を使うが、日本人はknifeとfolkなのかと真顔でいうので(常識知らずといっていいこの発想も、日本が徹頭徹尾Americanizedされた国家であるという彼の世界観によるところのものなのかなと推測した)、いやchopsticksだよと応じる。Japaneseはfloorに直接座ることがあるだろう、あれはすばらしいと(…)はいった。Englandにはそんな文化がない、それなので年をとるとじぶんひとりで尻餅をついた状態からたちあがることができなくなるひとが非常に多いのだみたいなことをいうので、そういえば和式便器を使わなくなったせいで日本人の足腰がむかしにくらべると相対的に弱くなったというデータがあったなと思った。
 (…)は中国での生活がかなり長い。Englandのメシがなつかしくなったりしないのかとたずねると、ときどきはやはりなつかしくなるという。特にpotetoとovenを使った料理がなつかしくなるというので、(…)とまったく同じことをいっているなと思った。Englandにはpotetoを使った非常に簡単な料理だけで50種類以上あると(…)はいった。本当はリトアニア人であるが、話がめんどうくさくなるかもしれないのでEnglishということにしておいたうえで、かつて(…)が京都のこちらのアパートに滞在していたおり、日本のスーパーで小売にされているpotetoを見て大笑いしていた件を伝えると、たしかにEnglandではpotetoは巨大な袋に入っているやつを一気にまとめ買いするのが普通だという返事(日本人や中国人が米を買う感覚に近いのだろう)。(…)の得意料理はオーブンを使ったパイ。小麦粉と別種の粉をまぜてこしらえた生地に、たまねぎとチーズを交互に重ねていき、てっぺんにトマトをのせて——という説明をきいているだけで唾が出てきた。それで、ああ、そっか、おれもずいぶん長いあいだチーズ食ってないもんなと思った。中国は野菜も果物もとても安いのがいいという話がそれまでに出ていたのだが、でもチーズだけは高いねとこのとき口にすると、やっぱりpopularではないからと(…)がいったのち、でもこういうのであればスーパーで買えるよといって、冷蔵庫の中から日本で売っているやつとそっくりのとろけるチェダーチーズみたいなのを取り出してみせた。(…)はそのチーズについて、plastic cheeseだといった。笑った。(…)も日本のスーパーではじめてこの手の商品を見たとき、fake cheeseだと憤慨していた。ところで、(…)はベジタリアンなのだが、チーズはオッケーということはヴィーガンではないということなのだろうか。
 セルビア人の(…)のことをおぼえているかと(…)にたずねる。おぼえているというので、むかし彼と彼の奥さんに食事会にまねかれた、そのときに红烧肉をごちそうになったのがすごくおいしかったという。(…)は红烧肉を知らなかった。肉をsugarと一緒に煮込んでと(…)が説明すると、肉をsugarと? と(…)はびっくりした表情を浮かべた。じぶんはtypicalな(…)人なのでそういう料理は好まないが、上海や広東のほうではそういう味付けのものが多いと(…)がいうので、一昨年入国したときにこちらは上海のホテルで二週間過ごしたが、そのときの料理もだいたいすべてあまかった、日本食もわりと甘い味付けのものが多いのでこちらはおいしくいただいたと話した。肉をあまく味付けするのはちょっと想像できないと(…)がいうので、それでいえば、十年ほど前にタイを旅行した際、路上でパイナップルを売っているひとたちがいたのだが、彼らはみんなパイナップルに唐辛子をふりかけて食っていたというと、ふたりともかなりびっくりしていた。ちなみに日本人はすいかに塩をかけて食うよというと、これにもやはりおどろいていたが、レモンティーに砂糖と塩の両方をいれて飲むことがじぶんはあるけれど、それと似たようなことかもしれないと(…)はいった。
 ゲテモノ料理の話でも当然盛りあがる。(…)はYouTubeで妙な動画を見たことがあるといった。韓国人が生きたタコかイカを食べていたというので、爆笑しながらたぶんそれ日本人だと思う、切ったイカの足がまだ動いているやつを食うことがあったりするからというと、(…)はかなりショックを受けた様子で、あなたも食べたことがあるのといった。然り。(…)が言っているのはしかしそんなあまっちょろいものではなかった、カットした足ではなくあたまにそのままかぶりついていたというので、それはたぶんYouTuber的なノリなんではないか。
 昆虫食の話。食料問題の解決になりうるといわれているもんねと(…)と話していると、雲南省が有名だよと(…)がいうので、学生から聞いたことがあると受ける。中国の変な料理といえば、こちらとしてはやはり蛇が気になるので(犬肉はちょっとsensitiveな話題なのでここではひかえる)、いつか食べてみたいと思っているのだというと、(…)は食べたことがあるといった。どうだったとたずねると、scaryだったという返事。蛇といえば(…)が有名でしょうというと、あなたそんなことよく知っているねと(…)はびっくりした様子。
 香菜の話になる。大好物なんだよねというと、(…)はここでもまたびっくりした様子。中国人ですら好まないひとの多いというあの食材を! まさか外国人であるおまえが! みたいなリアクションでテンションがぶちあがっているので、よろこびすぎだろうと思って笑っていると、彼女も香菜が大好物であるのだという。しかし(…)も(…)も香菜を好まないので家庭ではあまり食す機会がない、今日こしらえた牛肉とピクルスの炒め物にも本当は最後に長めにカットした香菜をまぜたかったのだが、(…)もきっと香菜を好まないだろうと思ってひかえていたのだというので、いやいや、おれ毎日かならず香菜といっしょに水饺を食べているよというと、じゃあいまから香菜を追加で料理するから待っていて! といってキッチンに立った。(…)曰く、香菜好きは少数派なので、こちらが大の香菜好きだと知って、かなりhappyになったらしい。近所に住んでいる○○——English nameだったが忘れてしまった——も香菜好きだと(…)はいった。
 (…)が水洗いしてざくぎりしてくれた香菜を牛肉とピクルスの炒め物にまぜる。全部食ってもいいというので、マジで全部食っちまう。うまい。さらに、友人からもらったものだという小ぶりのみかん——三種類あって、それぞれ味が異なる——もおみやげに持っていけという。さらにさらに、(…)のインスタントラーメンコーナーで最近よく目にする乾麺も持っていけというので、これはどうやってスープをこしらえればいいのかとたずねると、なんでもいい、前日のおかずの残りを適当にぶっこんで醤油をつぎたしておけばそれで十分だという返事があったので、あ、そっか、中国のラーメンってそうだよな、そういうあつかいでいいんだよな、変な職人気質でスープがどうの出汁がどうのとかそういうこだわりはなくていいんだよなと目から鱗が落ちた。
 食事のすんだところでふたたび作業。ここまできたらサポートが日本語しか対応していないものでもかまうまいという話になったのだが、しかしこちらが使っている良之助VPNChromeに搭載するかたちなのでだめだ。以前目にしたことのある1coinVPNのことを思い出したのでチェックしてみたところ、サポートはやはり日本語のみで英語はないようであったが、なにかトラブルが生じたら別にそのときだけこちらが出張ればいいだけであるし、じゃあこいつを試してみましょうかとなる。で、アプリをダウンロードしてUSBメモリにつっこみ、それを(…)に渡してまずはデスクトップのほうでインストールしようとしたのだが、これは(…)のデスクトップのほうに問題があった。で、それじゃあlaptopのほうでやりましょうとなったのだが、会員登録はすませたはずであるのにアプリのほうにログインしようとするとなぜかメアドが間違っていますとかパスワードがまちがっていますとかその都度ことなるエラーメッセージが表示されるありさまで、これにはお手上げ。(…)はAntiVirusが悪さをしているんではないかと考えていったんそいつをストップしたり、あるいはほかのVPNアプリとぶつかりあっておかしくなっているのではないかと考えて不要なやつをアンインストールしたりしたが、その後も結局、状況はよくならなかった。
 途中で(…)が甘いコーヒーをいれてくれた。いろいろ試してみたものの、Chromeとクレジットカードの両方が使えないというのがネックとなり、結局、どうにもならなかった。今日のところはいったんあきらめることになった。(…)はこの状況にもかかわらずイライラしていなかった。いや、イライラしていたかもしれないが、それをおもてに出さなかった。こういうところは本当に尊敬する。じぶんがもし彼の状況だったら、つまり、何週間もVPNまわりのことで悩まされ、ろくにインターネットが使えない状況が続いていたら、たぶんふつうにブチギレて緊急帰国していたのではないか? 力になれず申し訳なかったというと、(…)も(…)も口をそろえて、そんなことはない、こんなに長時間手伝ってくれて本当に感謝している、それにひさしぶりにguestといっしょに食事ができてhappyだったといった。(…)は次回はもっと香菜を用意しておくといった。冬休みはずっと寮にいる予定であるし24時間availableだから、もしまたlaptopが必要になったらいつでも連絡してくれと(…)には伝えた。(…)はとりあえずコンピューター関係のprofessorがCovidから回復した頃合いを見計らって彼に連絡してみるといった。
 一家はそのまま(…)の散歩にいくスケジュールらしかった。そういうわけでそろって部屋を出ることになったのだが、(…)は玄関のとびらが開いても、飼い主らの許可がなければ外に出ないようにしつけられていた。階段も同様。許可があってはじめてばばばばばっとおりて次の踊り場で待機、そこでまた次の許可を待つという格好。そういえば、これはVPNまわりの作業をしている合間に教えてもらったのだが、日本語でいうところの「お手!」は英語だと“Paw!”というらしい。(…)は専用のベッドがあり、そこで寝るようにしつけられているのだが、朝起きてリビングにいくと、あがってはいけないと日頃言い含められているソファでときどき居眠りしていることがあるらしく、そういうときは(…)のほうをguilty faceでながめるらしい。
 そんな(…)は一階におりたつなり、茂みのほうに猛ダッシュしてそこで長々と小便をした。(…)が(…)に抱きついて甘えたような声をあげると、(…)は小便をすませたその足でふたりのほうにふたたび猛ダッシュしてつっこんでいたが、あれは(…)いうところのjealousyだろう。(…)はかなり嫉妬深いらしく、たとえば彼が(…)をhugしたりしていると弾丸のようにつっこんで邪魔しにくるらしい。
 三人と一匹にさよならを告げて部屋にもどる。浴室でシャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを淹れる。それからきのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年1月13日づけの記事の読みかえし。まずは『サイレンス』からの引用。

 ドロシー・ノーマンは、ニューヨークで私をディナーに招待してくれた。仏教芸術の権威である女性が、フィラデルフィアから来ていた。私がキノコに関心を持っていることを知ると、その女性は言った。「キノコを食べて死んだ仏陀の死の象徴的な意味をご存じですか」。私は、象徴には関心を持ったことがないし、物事は別のことをあらわすものとしてではなく、それ自体としてとらえたいのだと説明した。しかしそれから数日後、森のなかをぶらぶらしながら、あることに思い当った。人生と季節の関係についてのインドの概念を、思い出したのである。春は創造、夏は保全、秋は破壊、冬は静止である。キノコは秋、すなわち破壊の時期にいちばん勢いよく成長する。また、多くのキノコの機能は、朽ちいくものに最終的な破壊をもたらすことにある。実際、どこかで読んだ話では、キノコと、ものを葬るというその能力がなかったなら、世界は無情なごみの山になっているだろうというのである。そこで私は、フィラデルフィアの女性に手紙を書いて、こう言った。「キノコの機能は、世界から古いごみをとり除くことにあります。仏陀は自然死を迎えたにすぎません」と。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「エドガー・ヴァレーズ」 p.152)

 一年前の今日は、(…)くんと一緒に火鍋を食い、その後夜遅くまでカフェでコーヒーを飲みながらだべった日だった。

店を出た。(…)までナビに従って歩いた。道中、(…)くんのおじいさんがヤクザであるという話があった。最初は野生動物の料理の話をしていたのだが、おじいさんのひとり——祖父なのか、もうすこし遠い親族なのかは不明——が野生動物を料理するのが上手く、とくに蛇料理が絶品なのだという話題になり、で、実はそのおじいさんというのがヤクザなのだという打ち明け話があったのだった。組織の下っ端のほうだと最初受け止めたのだが、そうではなく、「頭(カシラ)」だという(…)くんはいった。は? マジで? 田舎ヤクザのボスで、野生動物の捕獲・解体・調理が得意とか、マジで漫画のキャラやんけ! (…)くんはしかしそのおじいさんのことがあまり好きではないといった。まあ、いろいろあったんだろう。いろいろなかったとしても、(…)くんみたいな純朴でおとなしい男の子がヤクザ気質の老人となじめるはずがない。
野生動物の話でいえば、いまは法律で禁じられているが、むかしは近所の川で電気ショック漁法でよく魚を捕まえたものだと(…)くんはいった。大雨や洪水のあとは特によくとれるらしい。いちど父親だったかおじさんに誘われて電気ショック漁法に出向いたところ、その日もやはり大水のあとらしかったが、魚だけではなく川の中にいたデカイ蛇も二匹つかまえたことがあったという(一匹はのちほど逃げた)。

店では(…)くんの家族の話をたくさんした。(…)くんの母親は学校にほとんど通っていないという。小学校三年生でやめたらしい。まだまだ小さい弟の子守をしながら学校に通っていたのだが、子連れであることが途中で恥ずかしくなり、通うのをやめてしまったのだという。そうであるからあまり読み書きもできないらしいのだが、ただ自分の名前を書くのはとても上手い。だから周囲からは大卒者ではないかと勘違いされることもしばしばあるという話だった。このエピソードには心を打たれた。小学校三年生で学校に通うのをやめてしまった(…)くんの母君が、弟の世話の手隙に、学校でならいおぼえたいくつかの文字を——特にじぶんの名前を——何度も何度もくりかえし練習している様子が目に浮かんで、かなりぐっときた。ああ、人生がある、と思った。母君はその後、手に職をつけるかたちで服を仕立てる仕事に就く。そして現在は、二年前の口語試験の際にも聞いた話だが、カーテンの製作工場に勤めている。

君たちが生まれたころってまだ一人っ子政策の真っ最中だったんでないのかとたずねると、肯定の返事があった。それなので(…)くんは隠して育てられた子だったらしい(戸籍はあるのだろうか?)。それでいえば、今学期、(…)二年生や(…)三年生の口語試験で、学生らの家族構成をたずねる場面がけっこうあったのだが、弟や妹のいる学生らはだいたいみんな年が十歳以上離れていた、あれもやっぱり一人っ子政策の影響なのだろう。
父親は当時としてはめずらしい高卒者。それなので、あるとき、共産党に入党しないかとスカウトがあったらしいのだが、じぶんの子どもを認めようともしない党になんて誰が入るかと蹴っ飛ばしたらしい。パンクだ。かっこよすぎる。それなのにいま、ほかでもないその子どもである(…)くんには、入党したほうがいいんでないかとすすめているという話で、そのことに(…)くんはちょっと複雑な気持ちになっている様子だった。

おたがいの来歴をひとしきり語ったのち、こういう時間がいちばん楽しいといった。目の前にいる相手がどんどん厚みを増していく感じがするでしょ、じぶん以外にもこの世界には確かに生きている人間がいることを実感するでしょ、その実感をもったまま外に出るとすれちがうひとやマンションのあかりを見るたびにあそこにも人生があると思うでしょ、そういう静かな感動をぼくは人生に求めているんだよ、そういうのがいちばん好きなんだよというと、コロナがなかったらもっと先生とこういう話ができたかもしれないと(…)くんはいった。こういう話はしたくてもなかなかできない、友達はみんな退屈すると思う、わたしはいつもこういうことを考えたり感じたりするけどそれを他人と分かち合ったことがない、みたいなことをいうので、先輩の(…)さんっておぼえている? (…)、彼女もいまの君とまったく同じことをいっていたよ、結局ぼくと親しくなる学生ってみんなそういうタイプなんだよと受けた。ちなみに(…)さんも少数民族であり、かつ、ガチガチに貧乏な農村出身であることを紹介すると、そんなふうには全然見えなかったと(…)くんはいった。いつだったか(…)さんが、(…)さんのことをきれいだと思うかとこちらにたずねたことがあり、まあ中国美人って感じだよねと受けると、私はそうは思わない、肌がちょっと浅黒いから農村の貧乏な子っていう感じがすると平気な顔で口にし、その何重もの差別意識にぎょっとしたことがあったのだが(それと同時に、他人のルックスをそんなふうに真正面からディスることのできるほどきみはそもそも身嗜みに気をつかっているのかと言いたくなるのをぐっとこらえたが)、農村出身というと、中国ではやはり(幼いころからずっと農作業を手伝っているため)肌が浅黒いというイメージがあるのかもしれない、それでいうと(…)さんはたしかに肌が雪国の人間のように真っ白だから、そういうふうにはみえないということなのかもしれない((…)さんが以前(…)さんのことを「とても美人です」と言っていたのも、そのためなのかもしれない)。

 その後、今日づけの記事を途中まで書いた。ひとつ書き忘れていたことがある。(…)と立ち話をしてから彼の部屋をおとずれるまでのあいだのことだったと思うが、卒業生の(…)くんからめちゃくちゃひさしぶりに微信が届いたのだった。「(…)小児科」というチラシのはりつけられている電柱の写真。「先生のクリニックを見つけました!」というので、ネットで見つけたやつかなと思いつつ、「(…)くん、いま日本にいるの?」とあえて質問してみたところ、肯定の返事があったので、これにはちょっと驚いた。留学? 仕事? とたずねると、仕事でという返事がある。中国で高校教師をしていると(…)くんから聞いていたのだがというと、四年生の一年間職業研修でおこなっただけだという。日本には去年の九月からいる。仕事で日本に来たと言っていたわけだが、正確には日本で就職するために来日したということらしく、いまは日本語学校に通っているという(つまり、留学ビザで入国したのだ)。東京在住。先生はコロナだいじょうぶですかというので、体感的には周囲の九割が感染しているけれどもぼくはなぜか無事だと返信。(…)くんは来日して二ヶ月経ったころに感染したらしい。去年の11月ごろか。「大変苦しかったんですよ」「その時救急車も呼んでいたんですよ、自分がこのままこの狭い部屋で死んでしまうと思っていたんです」というので、そんなにやばい症状だったのかとびっくりしたが、どうもそういうわけではなかったらしい、ただ「このまま死んで誰も気づかないほうが怖いです」というので、なんだかんだでその当時はまだコロナ=死の病というような中国全メディアを通じての刷り込みが強烈だったのかなとおしはかった。
 0時になったところでキッチンに立った。(…)一家にもらった乾麺を食ってみることにした。きしめんみたいなひらべったいやつ。とりあえず500ccの水を沸騰させてそこに一束ぶちこむ(茹でてみて気づいたが、一束で二人前はあるので、次回からは半束ずつ食うことにする)。味付けは鸡精と塩と生油とオイスターソースとごま油で適当にやる。で、パクチーも大量にぶっこむ。食す。ふつうにうまくて笑った。こんな適当でええんか。
 食いながらジャンプ+の更新をチェックする。歯磨きをすませてベッドに移動。睡眠不足であったし、仮眠もとっていないし、朝から夜までほぼずっと他人といて疲れていたのだろう、A Good Man Is Hard To Find(Flannery O’Connor)をほんの数行読んだだけで、わりと一瞬で眠りについた。よく考えたら今日は朝から晩まで話すのも聞くのも読むのも英語ばっかやったな。ほんまにここは中国け?