20230120

 『シネマ2』が扱うのは、主に第二次世界大戦以降の「現代映画」である。イタリアのネオ・リアリズムに同書がその出発点を置く「現代映画」において、人は限界を超えた光景に直面していかなる反応もできなくなる。そうして感覚-運動の連鎖が断ち切られ、「純粋に光学的・音声的な状況」が現れる。これが、すべての始まりである。
 運動から切り離された純粋に光学的・音声的な状況において、「対象」はいくつかの特徴に還元されて、たんなる光学的・音声的な「描写」に変わる。次いで、「このイメージが呼び覚ます「回想イメージ」と関係を結ぶ」。この議論の展開は、ベルクソンの『物質と記憶』第二章における、「再認」の議論からもたらされている。
 ベルクソンによれば、くり返し経験されたものは、習慣化した運動機構の作動によりそれと意識することなく自動的に再認される。しかし人が見慣れないもの、すぐに思い出すことができないものと出会うときには、運動機構の自動的な作動が停止するとともに、注意深い観察によって目の前のものの感覚的特徴が際立たせられ、それと結びつきうる特定の回想イメージを通して再認がなされる。『シネマ2』が語る〈感覚-運動系の切断〉→〈純粋に光学的・音声的な状況の出現〉→〈特徴化された光学的・音声的描写〉→〈回想イメージとの結合〉という展開は、このプロセスに対応している。
 特徴化された「描写」と、それに対応する「回想イメージ」の結合は、映画においてまず「フラッシュバック」として表現される。そこで「回想イメージ」は、「純粋回想」(ベルクソン)と呼ばれる潜在性の地帯から現働化される。
 ベルクソンによれば「純粋回想」には、あらゆる過去が即自的に、あらゆる細部にわたって保存されている。それは決して、私たちの内部に蓄えられるような記憶ではない。ドゥルーズはこう説明している。「潜在的イメージ(純粋回想)は、心理状態や意識ではない。[……]知覚するためには事物の中に身をおかなければならないのと同様に、われわれは回想をそれがあるところへさがしにいくのであり、一飛びに、一般的な過去の中へ、時間の流れとともにたえず保存され続ける純粋に潜在的なこうしたイメージの中に身をおかなければならない。われわれがわれわれの夢や回想をさがしにいくのは、即自的にある過去、即自的にそれとして保存される過去の中であって、その逆ではない」。
 私たちは、世界のなかで事物を探すように、意識の外にある「純粋回想」の中へ、過去一般の中へ、目の前のものの特徴と結合する回想を探しにいく。しかし「純粋回想」には、特定の過去の想起を不可能にするような性質も同時に備わっている。問題は再認に失敗し、思い出すことができないときだ。そのとき、現在の光学的・音声的知覚は、特定の適切な回想イメージの現働化へと辿りつくことに失敗したまま、「純粋回想」の潜在性と結びついて不特定化する。「思い出すことができないとき、感覚運動的延長は中断されたままであり、現働的イメージ、現在の光学的知覚は、運動的イメージと連鎖せず、接触を回復させることになる回想イメージとさえも連鎖しない。それはむしろ、真に潜在的な要素と関係を結ぶのである。デジャヴュや過去「一般」の感覚(私はすでにどこかであの男に会ったはずだ……)、夢のイメージ(私は夢の中でその男を見たような気がする……)」。つまり思い出すことができないとき、特定の回想イメージではなく、不特定の、一般的な、横滑りする想起が動き出すのだ。回想のたがが外れる。記憶喪失、錯乱、夢の世界が開かれる。
平倉圭『かたちは思考する 芸術制作の分析』より「第8章 普遍的生成変化の〈大地〉」 p.197-198)



 11時起床。喉の痛みは多少マシになっている。歯磨きしながらニュースをチェック。化粧水が残り少なくなっていたので淘宝で注文。モノにこだわりがあるわけではなく、はじめて買ったやつをなんとなく買い続けているだけなのだが、今日もうちょっと調べてみたところ、もっと安いやつが見つかったので、そちらをポチってみることにした。
 パンを切らしていたのでチーズ味のウエハースで空腹を満たす。それから街着に着替えて外出。自転車に乗って(…)へ。食パン三袋のほか、(…)宅に手土産として持っていくショートケーキを三つ買う。おばちゃんに春節の営業期間についてたずねると、24日には開店するという返事。22日が春節であるし、当日と翌日のみお休みするということかな。もしかしたら明日も除夕ということで店を閉めるのかもしれないが。
 帰宅。きのうづけの記事にとりかかる。作業中、ひさしぶりに『Piercing』(小袋成彬)を流した。これはリリースされた当時めちゃくちゃきいた。なんだったら『Blonde』(Frank Ocean)より好きかもしれん。
 16時半になったところで作業を中断。シャワーを浴び、ひげを整える。それからあらためて街着に着替え、17時過ぎに(…)宅を訪問。(…)は、さすがにこれで三度目の訪問になるからだろうか、最初のうち少し吠えただけで、あとは終始おとなしかった。食べ物に気をつけているようだから気に入るかどうかわからないけどと前置きし、まずはケーキを(…)に渡す。ついにVPNがつながったといって手を宙にかまえてみせるので、high fiveする。(…)はキッチンでせわしなくたちはたらいており、準備にもうすこし時間がかかるというので、(…)の部屋へ。(…)は例によってベッドに寝転がりながらスマホのゲームをしている。デスクトップをみせてもらう。起動しているのはAstrill VPN。これは(…)に最初助けをもとめられたときに試したものだったが、支払い手続きがなぜかうまくいかずあきらめたやつだ。(…)はナイジェリアの留学生に助けてもらったという。留学生が送ってくれたリンクを踏んで飛んだ先にて、登録および支払いをすませることがなんなくできたというので(しかも支払いはAlipay対応だったとのこと)、もしかしたら中国国内のインターネットからでもこのVPNに登録するなり支払いするなりできるルートのようなものがひっそりあるのかもしれない。ちなみに、一年前の日記を読んでいると、そのナイジェリアの留学生たちが夜な夜なでかいボリュームで音楽を流していることに対する怒りが盛大にぶちまけられまくっているのだが、ナイジェリア出身だからという理由で連中のことをまとめて、(エイモス・チュツオーラでもなくウォーレン・ショインカでもなく)ボビー・オロゴンを踏まえて「オロゴンたち」と書き記している。
 デスクトップにはRumbleという動画サイトが表示されていた。YouTubeとは違って、political correctness——といいながら、引用のチョキチョキジェスチャーをしてみせる——がないからここをいつも利用しているというので、censorshipがないわけだと応じる。ま、簡単にいえば、YouTubeであればすぐにbanされるような陰謀論系の動画をここでしこたま視聴しているということだろう(事実、画面にはロシアによるウクライナ侵攻を解説するという趣旨のあやしい動画のサムネイルが表示されていた)。
 そのまま椅子に座り、夕飯の支度ができるまで、小一時間ほど雑談する。けっこうたくさん話したのだが、英語での会話だったので記憶の定着率が悪く、しかるがゆえにどの話題がどんな順番で進行したか、はっきりと思い出すことはできない。ま、そのあたりは適当に。
 中国の交通事情の話。車の運転がとにかく荒い。市バスですらそうだ。(…)は特にsideroadからmainroadに合流しようとするドライバーがまったく減速しようとしないのがおそろしいといった。合流地点にsignを設置するだけでだいぶ変わると思うのだがと続けるのに、なるほど、そういわれてみればたしかに「止まれ!」的な標識をこの土地で見かけることはほとんどない。(…)はEnglandにいるあいだ交通事故を経験したのは一度だけだが、一方で中国に来てからだけでもう五回か六回は経験しているという。身内のことなのであまりきつくいえないのだがと声をひそめて前置きしたのち、(…)のcousinの運転も相当ひどかった、前を走っている車のすぐ後ろまで猛スピードで接近して急停止、その後クラクションを鳴らしまくってどけどけとアピールするような始末で、シートに座っていたじぶんは身体がカチコチになっていたのだが、運転手も含めて同乗者らはみんななんでもない表情をしていた、あれにはまいったというので、じぶんも(…)の空港から(…)まではじめて車で送迎してもらったときは死ぬかと思った、(…)であればまだ車を運転してもだいじょうぶかなと思うが、(…)では絶対に運転したくないといったのち、三年ほど前だったと思うが、(…)の空港から駅まで送ってもらう途中、highwayのようなところを通ったのだが、その入り口にあるbarがあがるのを待たずにドライバーがそのまま突っ込んだことがあった、barを車体のフロントではねとばすようにして通過したのだが、あれにはびっくりした、しかもそのあとドライバーが助手席のこちらにthumbs upするものだから笑ってしまったと続けた。
 (…)が(…)にやってきた当初、いまから十二年前か十三年前の話であるが、当時はまともな道路すらなかった、ほとんどdirtだけだった、車も全然走っていなかったし、周囲をcowが歩いていたというので、(…)先生から似たような話をきいたなと思い、the first Japanese teacherからその話を聞いたといった。(…)は彼を知っているといった。coffee shopを経営していただろうというので、そうそう、いまは日本にいるけどと応じる。(…)はむかしバイクに乗っていたという。本人曰く、easy rider styleだったとのこと。しかし道が舗装されていないせいで、あれはたぶんぬかるみにハマったとか、砂利道でつるつる滑ったとか、そういうシチュエーションでの出来事だと思うが、何度かひやっとする思いをすることもあった。そういうときは急ブレーキをかけるのは厳禁で、ただアクセルをゆっくりゆるめなければならない、じぶんはその方法を知っていたのでだいじょうぶだったが、なかなか危険だった、と。バイクは(…)の親戚だったかにゆずったらしいのだが、いまでもときどき恋しく思うことはあるらしい。
 (…)の父親の話も出た。八十代後半。母親については、たしか武漢でコロナが発生してほどない時期に亡くなったときいている(帰国して葬儀に参加することができなかったのだ)。父親は外国語学習が好きで、現在はマレー語を勉強しており、愛好者らの集まるウェブサイトで意見交換や交流もしているというので、その年ですげえなとびっくりした。また、その父親から送られてきたというバースデーカードやクリスマスカードも見せてもらったのだが、(…)や(…)の名前を漢字表記したものやお祝いの定型文などが自筆の中国語で記されていたりして、翻訳アプリで表示されたものをそのまま書き写したにすぎないのだろうが、それでもこのcuriosityはすばらしいなと思う。そこに記されていた定型文をこちらが読み上げ、その意味もついでに英語に翻訳してやると、中国語が読めるのか! と(…)はびっくりしたようすで言った。似たようなことはのちほど食卓を囲んでいるときにも起きた。(…)が中国には楕円形のスイカがあってそれがすごくあまいのだという話をしてくれた際、そのスイカの名前が沙漠西瓜というのだと紙に書いて教えてくれたので、同じ単語をこちらも紙に書いてみせたところ、あなた漢字を書くのがすごく上手ね! と驚かれたのだ。いやいや日本人だし! 漢字使うし! という話であるが、西洋人である(…)はまだしも中国人である(…)がこんなふうに驚くのはちょっと妙だ。
 バースデーカードやクリスマスカードでいえば、Englandにはことあるごとにcardを送る習慣があるという話も食卓で出たのだった。食後、(…)が花をいけた花瓶をテーブルに置いたのをみて、中国人はわりと頻繁に恋人に花をプレゼントするよね、日本ではそんなに一般的ではないからとこちらが口にしたのをきっかけに、中国では果物だけではなく花も安くお店もたくさんあるからみんな買うんだと思うと(…)がいったり、いやいや中国で多いのは散髪屋だと(…)が受けたり、いやいやmilk teaの店でしょうとこちらが受けたりしたその流れで、ところでEnglandではどの通りにいってもcard shopがあるんだという話になったのだった。これは初耳だった。
 (…)とは仕事の話も少しした。VPNがないと仕事についても差し支えがある、たとえばgrammarについてちょっと調べるにしても百度Googleでは情報量が違うからとこちらがいったのをきっかけに、(…)もvery hardな質問をもらったときは答えるまでちょっと時間をもらうようにしているといった。(…)はわざわざ(この仕事にそなえて?)grammar schoolに通ったというほどgrammarが好きであるというのだが、それでもときどきレベルの高い質問があったりすると、instinctlyに正誤を判断することはできるのだがexplainはできないという状態におちいってしまい、それで(…)と議論したりネットで調べたりすることがあるのだといった。second languageとして英語を身につけている人間のほうがgrammarを理解しているというので、そうそう、わかるわかる、となった。
 (…)を飼うことになった経緯についても教えてもらった。管理人である(…)の、たしか娘さんといっていた気がするのだが、身内のひとりが農村で産まれた子犬を二匹もらってきた、そのうちの一匹が(…)だという(もう一匹は現在どこで暮らしているのか不明)。授業を終えて(寮ではない)マンションに向けて帰路をたどっている最中、(…)から電話があった、寮にすごくかわいい子犬がいるから見に来てほしいといわれた、それでやれやれと思って元来た道をひきかえして寮にもどったところ、そこでhijackされたのだという。つまり、子犬の(…)を抱きかかえて顔をなめられたまさにその瞬間にすっかり魅了されてしまった、心を奪われてしまったみたいなニュアンスだと思うのだが、その時点で(…)は生後数週間、にもかかわらず室内ではなく屋外に置かれた小さなダンボールの中で生活している状態だった。それにくわえて、よく吠えるものだから、同じ棟の二階に住んでいる(…)がたいそう怒り、もしこのまま外で飼い続けるつもりであればget rid of itすると(…)らのところにクレームを入れていたらしい。で、そういう事情を知った(…)一家が、だったらとじぶんたちで引き取ることに決めたらしかった。(…)の部屋は(…)一家の部屋の真下にあたる。室内飼いをはじめて以降(…)はそれほどうるさく吠えないので、(…)も特に文句は言ってこないらしい。ただ、その(…)についてはmovedしたみたいな話もあったのだが、これは冬休みのあいだ一時的によそに住んでいるということなのか、あるいは完全に外の賃貸で暮らしはじめたということなのか、ちょっとよくわからない。大学の近くにある語学学校で働いているという話ものちほど出て、そのときもこちらは大学の仕事と兼業でやっているということなのだろうと判断したのだったが、しかし兼業はいちおう禁止されているはずであるし、部屋をmovedしたという話とあわせて考えてみるに、もしかしたら大学を去ったのかもしれない。
 ついでなのでこれもここで書いておくが、(…)は(…)一家の斜め上の部屋に住んでいるらしい。しかし(…)は彼をこの棟で見たことが一度もないという。(…)は(…)に向けて歩く彼の姿を何度か見たことがあるといったが、一家との交流はまったくない。微信の友達申請など二度おこなって二度とも無視されたという。彼はa man of few wordsだと(…)はいったが、いやいや、そんなかわいいもんちゃうやろ、他人という他人をとことん拒みきってみせるあの姿勢はなかなかすごいぞ、マジであれほど私生活が見えてこん人間もおらんやろ、というのがこちらの率直な印象。ま、彼はアメリカ人であるし、アンチアメリカであれば陰謀論だろうとなんだろうとクソ喰いバヤのように食いつく(…)の姿勢をうっとうしがっているだけという可能性もおおいにある。あるいはバートルビーの子孫か。
 メシに呼ばれたのは18時ごろだったろうか。おかずは全部で六品。ぜんぶ辛くない。香菜もたくさんあったのでほとんどひとりで食いきってやった。(…)はめちゃくちゃ小食だった。マジで全然食べないのだ。それにくわえてスマホでずっとゲームをしているし、さらに途中ネットの接続が切れてしまったのにすねてぶーぶー文句をいいながら寝室のほうにひきこもってしまう始末。夫妻もそんな彼にちょっと困ったようすだったので、このタイミングだなと思い、(…), come on! I have a gift for you! と声をかけた。のそのそやってきた彼に対してポケットから红包を差し出す。中のぞいてみなという。野口英世の千円札。(…)よりも(…)のほうが興奮していた。(…)は世界各国のお札を一時期集めていたらしい。サダム・フセイン肖像画が印刷されているイラクの紙幣も持っているとのこと。
 こちらの住んでいる棟はネット回線に特に問題はないのだが、(…)らの棟ではたびたび問題が生じるらしい。それにもかかわらず冬休みのあいだはこうして(大学の近くに別に有しているマンションではなく)寮に住んでいる。理由をたずねると、マンションの部屋が6階にあるために(…)を散歩に連れていくのが大変であること、それにくわえてマンションは部屋数も多いので冬場の暖房代がバカにならないこと、その二点が挙げられた。ちなみに電気代について、こちらの部屋はこれまでずっと大学持ちであるのだが、(…)一家はどうも自腹で支払っているらしいことがずっと以前交わした会話の片鱗から窺い知れたというアレがあるので、そのあたりについては不用意に触れないようにしている。
 マンションは大学からwalking distanceにある。一方、(…)の実家は(…)第一病院の近くにあるらしい。去年気胸でその病院に行ったと告げると、(…)第一病院には(…)の娘さんがICU担当の医者として勤めているという話があった。(…)はすごく働きものだと夫妻はそろって口にした。夜中に停電することがあっても夫妻のためにすぐに動いてくれるという。(…)はそんな彼のことをsoldierみたいだと評した。
 気胸の話からだったか、(…)が(…)と同じ9歳であるという話からだったか、(…)の白血病疑いの話もした。病気の話でいえば、不安障害になった話もしたが(英語でどういえばいいのかわからなかったので、depressionとpanic disorderと表現した)、(…)も若いころにmental illnessで入院していたことがあるといった。あれは摂食障害ということだろうか、一時期はメシを食ったあとにかならずそれをもどしていた、しかもそれをおかしいこととはまったく思っていなかったというようなことをいった。それでいえば、(…)は以前よりのどの具合が悪いと話しており(たしか一度(…)で手術も受けていたのではなかったか?)、そのためにワインも飲まなくなったし、今日にしたところで食後(…)がペプシを出そうとしたのを炭酸は嫌だといって断っていたわけだが(こちらもジュースはあまり好きではないので普通の水をもらった)、どうやらそれも若いころにもどしまくっていたのが原因らしい。
 中国の人口が去年はじめて減少したという話を(…)がした。意外なことに(…)はこの件を知らなかった。この話題と前後して、(…)の小学校は一クラスにつき何人くらいの生徒がいるのだとたずねたのだが、たしか50人ほどという返事。(…)先生や(…)からも似たような話をきいていたが、やっぱり多い。Engalandでは20人から30人くらいだというので、日本も同じくらいだと受ける。(…)が小学生のころはもっとたくさんいたらしい。あと、(…)が働いているという例の語学学校は、一クラスにつき学生が100人以上いるとのことで、これにはさすがに笑った、そんなもんまともな授業できるわけあらへん。
 セーラー服の話も出た。あれはEnglandのsailorに由来しているんだろというので、そうだと受ける。それがどうして日本の女子学生のuniformになったのか、(…)はかなり不思議そうにしていた。そこからcosplayがうんぬんと言い出すので、(…)は五十代であるのに意外にそのあたりのことを知っているのだなとちょっと驚いたのだったが(彼よりはるかに若いはずの(…)はそのあたりの話題にまったくついていけない様子)、そういえば彼もアニメ好きなのだった。いちばん好きなのは『攻殻機動隊』、それから『パプリカ』やジブリアニメ全般が好きだという。日本のアニメは大人も楽しめるからいい、Englandでは全部子ども向けだからとのことで、これは西洋人のアニメオタクがしょっちゅう口にする一種のクリシェだな。あとは黒澤明が『スター・ウォーズ』に与えた影響だとか、『七人の侍』と『荒野の七人』の関係だとか、そういう有名な逸話についてもあれこれ語っていた。(…)は日本のアニメといえばやっぱり『名探偵コナン』だという。マジでコナンの中国における知名度は異常であるのだが、あとはyour nameというアニメも見た、あれはおもしろかったというので、『君の名は。』のことだなと察した。日本の芸能人については、木村拓哉工藤静香のみ知っているとのことで、コナン! キムタク! 工藤静香! 羽生結弦! ここらはもう四天王といってもいいかもしれない、この四人を知らない中国人は存在しないのではないか? ちなみに(…)の旦那が重度のアニメオタクであり、一日四時間アニメを観ているらしいという話をしたら、ふたりともたいそうびっくりしていた。
 セーラー服の話から、漢服、着物、旗袍などの話もする。(…)は着物の話になった途端、あれはTang dynastyの頃の衣装が日本に伝わったものだといったり、あるいはDiorの発表した新作スカートが中国の伝統衣装のパクリであると中国ネットのあいだで炎上したちょっと前の一件を持ち出したりして、まあまあまあ、このあたりはやっぱり平均的な愛国仕草であるなという感じ。スカートはスピーチは同じだと(…)はいった。うん? となるわれわれふたりにむけて、短いほうがいいと続けて爆笑してみせるので、あ、このお決まりの親父ギャグ! 英語圏由来のジョークだったのか! とびっくりした。
 食後はお菓子もたくさん出た。こちらは落花生をたくさん食べたのだが、ひまわりの種とすいかの種も出た。ひまわりの種は中国であればどこでもしょっちゅう見かけるのだが、すいかの種はちょっとめずらしい気がする。しかし種を前歯できれいに割って中身だけすっと食う、中国人であればだれでもできるあの技術をこちらはまだ習得していない。(…)もできない。(…)はさすがに熟練者の域に達していたが、種の食い過ぎのせいで前歯が少しだけ欠けていた。
 せっかくなのでふたりの出会いについてもきいてみた。その前に彼女はいないのかとたずねられたので、いないと応じたという流れがあったような気がするが、どちらが先だったか忘れた(これまでに紹介してあげようと中国で言われたことはないのと(…)にいわれたが、そういうのはすべて断っているのだと答えた)。ふたりの出会いは10月31日だと(…)はいった。何の日だ? というので、10月31日? なんだ? となったが、ハロウィーンだった。(…)でおこなわれたハロウィーンパーティが出会いの場だったらしい。たぶん市内在住のごく少数の外国人らが集まって開催したパーティだったのだろう、それに英語学習や英語教育にたずさわる現地の中国人も参加しており、そのなかに(…)もいたということではないか((…)の職歴についてはきいたことがないので不明であるが、十中八九、英語関係だと思う)。主催者からこの中に連絡先を知りたい女性はいるかとたずねられた(…)はすぐに(…)を指名。つまり、一目惚れだったらしい。(…)に来たのは十三年前で、結婚しておよそ十年。(…)に来たのは四十代になったばかりのころだったというので、(…)の年齢はやはり五十代半ばということで間違いない((…)はこちらとさほど変わらないか、あるいは年下かもしれない)。(…)は最初両親の反対があるだろうから結婚はないと考えていたらしいが、その後どういう経緯があってふたりが一緒になったのかについては聞きそびれた。
 なにかの拍子に(…)が(…)に元カノの人数をたずねた。twentyかthirtyかわからないと(…)は笑って答えたが、冗談でそう言ったのか、あるいはtwenteenとthirteenをこちらが聞き間違えただけなのか、ちょっとよくわからん。なんとなくだが、西洋人で四十代まで未婚だった男性であれば、二十人、三十人と交際経験があってもおかしくはない気もする(なんの根拠もない、クソ偏見だが!)。結婚を考えた相手もいるという。そのうちのひとりはIndianであり、かつ、厳格なmuslimの家庭で育った子だった。しかるがゆえに、相手側の両親に反対されて一緒になることはできなかったという。Englandでは結婚を完全にgave upしていた、しかし中国に来てこうしてすばらしいひとに出会えたのであるから、もっとはやく来ておけばよかったと(…)は笑って続けた。ちなみに(…)は生まれてからずっと痩せぎすだったのだが、結婚してからいまのように太ったとのこと。料理がおいしいからだというのだが、正直彼も(…)に負けず劣らず小食だと思う。あと、Englandにいたころは、精神病院のスタッフとして働いていたこともあるらしい。therapy dogが訪問にくることもあったのだが、いちど患者のひとりがそのdogをsqueezeしようとし、それであわてて周囲が止めに入ったことがあった。もちろん、それ以来therapy dogがやってくることはなくなったとのこと。
 そう、うちの(…)の話、border collieの話もしたのだった。(…)は子どものころ、日曜日に毎週放送していたテレビ番組が大好きだったという(日曜日が好きといってもじぶんはミサに参加していたわけではない、じぶんはいかなる宗教も信じていないからと(…)はわざわざ断ってみせた)。その番組というのが、これはある意味typical Englishという感じなのだがと笑ったのち、牧場で牧羊犬として働くborder collieとその飼い主がさまざまな芸をみせるというものなのだと続けた。毎週毎週異なるmountainで異なるfarmerと異なるborder collieが登場する、飼い主の指示に応じてborder collieが機敏に動きまわるそのようすを観るのが子どものころの楽しみだったとのこと。(…)には中国語で边牧bian1mu4と説明したら通じた。いちばん賢い犬でしょうというので、でもうちのはそれほど賢くないんだというと、夫妻そろって大笑いしていた。
 bottle waterについても相談したのだった。今日の昼間アプリで注文することができなかったのだがと伝えると、同じアプリで日頃注文しているらしい(…)がいまは春節前だから配達員がいないのだといった。(…)はこの事態を見越してすでに五本ものbottle waterを事前購入してあるとのことで、そのうちの一本をこちらにゆずってくれた。bottle waterはとなりの空き部屋に保存してある。扉の鍵は(…)が持っているので、彼に電話をして鍵を開けてもらう必要があるわけだが、その際に(…)はお礼としてミルクのキャンディーを大量に(…)に持たせた。キャンディーのパッケージには今年の干支であるうさぎのかわいいイラストが印刷されていた。
 気がつくと21時をまわっていた。(…)は毎朝6時半には(…)の散歩に出かけるほど朝がはやいわけであるし、これはちょっと申し訳ないことをしたなと思いながら辞去することに。(…)は今日も早朝(…)と散歩したのだが(めずらしく(…)も一緒に行ったとのこと)、照明のついた地下通路を抜けたその先の空が朝日であかるくぼんやりと輝き、湖の周辺はfoggyでちょっと幽霊でも出てきそうな雰囲気だったみたいな風景描写を形容詞をいくつも並べてしてみせる一幕があり、あ、ちょっと英語の小説を読んでいるときみたいだと思った。
 (…)と(…)と(…)はそのまま夜の散歩へ。bottle waterのほか、干した红枣(红枣のヨーグルトは好きだが、干したやつはレーズンみたいな味がしてあまり好きじゃない)、お茶っ葉を硬貨のかたちに固めたやつ(そのまま湯に落とせばお茶になるらしい)、豆腐のお菓子などが入った袋をお土産にもらった。そう、今日は食後のコーヒーではなく、お茶をいただいたのだった。(…)はお茶が好きらしい。コロナのせいで外に出ることができなかった期間中、手に入らないコーヒーのかわりに彼女にしょっちゅうお茶をいれてもらった、それにずいぶん助けられたと(…)はいった。
 帰宅。bottle waterを部屋に置く。それから空になっているほうの容器だけ回収し、階下の(…)のところにもっていく。階段を途中まであがってきていた(…)に空の容器を渡し、今日はどうもありがとう、(…)と(…)と(…)によろしくと告げる。
 それでふたたび部屋にもどる。(…)から微信が届いていたので見ると、大学の近くにあたらしいスーパーが開店したのを知っているかという。(…)に教えてもらった、おとといたずねてみたがすごくよい店だったと返信。その後、浴室に移動してシャワーを浴びる。ひとつ書き忘れていることを思い出した。コロナの症状についてたずねたのだった。(…)は39度オーバーの高熱、(…)にいたっては40度オーバーだったというので、やっぱり日本で聞くのと全然印象が違うよなと思った。
 浴室をあとにする。ストレッチをし、きのうづけの記事の続きを書く。コーヒー豆が切れてしまったので、準ロックダウン中に校内の売店で大量に買いこんだペットボトルのコーヒーをカップにうつし、レンジでチンして飲みながら作業を進める。途中、三年生の(…)くんから「除夕快乐!」の微信が届く。
 きのうづけの記事を投稿する。時刻は1時半。夜食をとるにはさすがにおそすぎるが、なにも腹に入れないのもアレなので、(…)一家にもらったみかんを五つ猛烈ないきおいで食う。ウェブ各所を巡回し、2022年1月20日づけの記事を読み返す。まずは『サイレンス』の引用。

われわれは自分自身に十分追いつける速さで、進もうとしている。そのおかげで、どこに行くのかを、知らずに済んでいるのだ。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「われわれはどこへ行くのか、そして何をするのか。」 p.349)

 それから2021年1月20日づけの記事の孫引き。これは当時執筆中だった「S」についてだろう。

 度合いを語る言葉はどうしても歯切れが悪くなる。どっちつかずの中途半端に響くこともあるだろうし、明確な陣営に立つ側からは日和見主義だの冷笑主義だのと批判される可能性もおおいにある。度合いを語る言葉はスローガンになりにくいし、見栄えが悪く画にもならない。しかしそこを無視することは、結局、複雑さと具体性を捨象することであり、現実の解像度を物語の水準にまで引き下げてしまうことになる。それは誠実な思考では決してない。
 そしてこのようなどっちつかず、中途半端さは、じつをいうとじぶんの小説について指摘できる特徴でもある。阿部和重のように事前に設計図をガッチガチに作り込んで書くのでもなく、保坂和志や磯﨑憲一郎のように設計図(構成)を完全に無視して書くのでもない、見切り発車の即興で書き進めながら同時に構成を形成していくという書き直しを前提にした執筆手法。物語(「フィクション」)の虚構性を暴くためにこそ物語を練りあげるのでもなく(阿部和重)、出来事に徹底してつくかたちで物語を排除するのでもなく(保坂和志-磯﨑憲一郎)、即興によって可能となる出来事の到来を、リアルタイムで象徴秩序(パターン)に構成しながら(まとめあげながら)、その構成を逸脱する出来事のさらなる到来をきっかけに(その出来事の排除や否認ではなく)むしろ象徴秩序(パターン)のほうの調整を重ねていく(書き直す)という、アホみたいにコストのかかる方法。できあがったものをよく読めば、その痕跡は確実に度合いがもたらすある種の独特さとして感じ取れるはずであるのだが、そのような作品はしかしやはり見栄えが悪く、「新しさ」を訴えるスローガンとも相性が悪い。

 歯磨きをしながらジャンプ+の更新をチェックする。その後、今日づけの記事をメモ書きのかたちでバババババっと書き残し、2時半になったところでベッドに移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読む。表題作を読み終わったが、そうか、オコナーの作品にはこのパターンもあったなという感じ。“The Artificial Nigger”と比較してみるとけっこうおもしろいかもしれない。せまいところを縫い進むような繊細な作業が必要になるだろうが、両作をペアとして位置付ける、そういう読みの筋もあると直感が告げている。