20230121

 テレビに出ている林修先生とかもそうですが、いまの学校や予備校の先生たちはソフトな印象の人が増えました。生徒とフラットな関係の先生というのが、いかにもいまの時代向きという感じがします。
 私自身もそうで、感覚的に子どもたちを生徒というよりは仲間としてしか見られないところがあって、若いころはそれが子どもたちと心を通わす際にいい方向にはたらいていると思っていたし、だから、勉強を教える際もそのフラットな関係をそのままうまく活用できているつもりでいました。
 でも、ある頃から気づいたのは、生徒とフラットな関係の先生にいい先生なんていないということです。なぜなら、これは学びの本質に関わってくるのですが、子どもの能力を開花させるためには、ほとんどの子どもにおいて外からの強制が必要な時期があるからです。
 なぜ強制が必要になるかと言えば、子どもは自分に何ができないのか、自分が何を学ぶべきかを知らない存在だからです。じゃあ、何を学べきかを知らない存在がどうやって学ぶことができるかといえば、この先生は私が知らない謎を知っているのだという思い込みによってです。そして、謎を知っている先生にいったん自分の身を浸してみるということによってです。
 そういう思い込みはフラットな関係ではなかなか生じません。つまり、学びは一方がもう一方をむやみに信じ込むという非対称な関係のもとでなければ成立しえないのです。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)

 〈知〉を想定された主体と転移についての話やね。



 朝方に上階の物音で目が覚めた。ねぼけたあたまのままキレた。吠えまくっている自分自身の声でやがて冴えたのだが、なぜか耳栓が取りはずして枕の脇に置いてあった。あれ? となったところで思い出した、夜中に一度汗だくになって目が覚めたのだった、それで厚手のヒートテックを脱ぎ捨てて薄いヒートテックに着替えたのだが、たぶんそのときに耳栓を取り外したのだろう。夜中に汗だくになって目覚め、肌着を着替えることは、季節の変わり目にはたびたびあるのだが、毎回その着替えているあいだのことをほとんどおぼえていない、断片的な映像、というより画像としてわずかに記憶に残っているだけである。
 耳栓を装着しなおして二度寝。11時にあらためて起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。トースト二枚を食し、ペットボトルのコーヒーをカップに移してレンチンしたのを飲む(不味い……)。そのままきのうづけの記事にとりかかる。どうしたって長くなる。作業中は『Noon in Tunisia』(George Gruntz)と『Simple Songs』(Jim O’Rourke)を流す。
 途中、(…)先生から微信。今日は除夕、つまり、中国版の大晦日であるわけで、各家庭は盛大な料理をこしらえて食すわけであるが、そのおかずをお裾分けしますというありがたい申し出。去年は食事会そのものに誘われたのだが(しかしこちらは風邪をひいて行けなかった)、今年はコロナがあるし、というよりこちらがまだ未感染であるしというわけで気遣ってくれたのだろう、誘いはしないがその代わりおかずをどうぞというわけだ。ありがたい。
 (…)先生は16時半過ぎにやってきた。タッパに入れたおかず五種類か六種類。そのうちのひとつはこちらの好物である红烧肉だった。お礼に昨日(…)一家にもらった红枣を二袋手渡す。物々交換とか贈与の応酬とか、中国にいるとそういうのを実感する機会がかなり多い。いや、それは単純にこの仕事をするようになってから、日本でフリーターをしていたときにくらべてはるかに他人と知り合う機会が多くなったからというアレにすぎないのかもしれないが。(…)の红包も用意してありますのでというと、また一緒に遊びましょうとのこと。
 米を炊くのもめんどうくさかったので、(…)先生にいただいたおかずを部屋にもどってすぐにかっ喰らったのだが、どれもこれもクソ美味くてビビった。(…)先生、こんなに料理が上手だったのか! 食後はベッドに移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをちょっと読み進めたのち、20分ほど仮眠。
 その前だったか後だったか忘れたが、二年生の(…)さんから「(…)先生、新年快乐!」というメッセージとともに、打ち上げ花火の動画が届いた。モーメンツをのぞいてみても、花火と豪勢な食卓のいずれかしか見当たらないという感じで、春节だなァという感じ。しかし毎回ちょっとふしぎに思うのだが、中国ではまだ0時をまわっていないにもかかわらず、新年快乐とか春节快乐とか言ったりすることが多い。いちおう大晦日には大晦日用の除夕快乐というあいさつがあるはずなのだが、これを使っている学生はほとんど見ない、みんな日付が変わる前から新年快乐とか春节快乐とか、あるいは(こちらと二年生の学生からなるグループチャットで(…)さんが投稿していたように)Happy Chinese New Yearとかいったりする。たぶん中国的にはこのフライングは全然おかしくないのだろう。そしてその感覚があるからこそ、たとえば12月31日の時点で、先生あけましておめでとうございます! という日本語のメッセージを送ってくる学生も毎年複数いるわけだ。

 浴室でシャワーを浴びる。おもてから花火の音が聞こえてくる。あがってストレッチし、きのうづけの記事の続きをひたすらカタカタやりつづける。そのあいだも学生たちからちょくちょく連絡やあいさつが届く。書道家の(…)さんからはうさぎの画像付きのあいさつ。三年生の(…)さんからは「(…)、春節おめでとうございます。毎日楽しく過ごしてください」のメッセージ。二年生の(…)くんからは「ポチ袋」とはなにかという質問が届いたが、ガチガチのオタクである彼のことであるし、日本アニメのお正月回でも視聴していたのだろうか?
 「ご飯を100回食べる」経由で(…)さんと(…)さんともやりとり。いまなにをしていますかと(…)さんがいうので、書き物をしているよと応じる。そっちはなにをしているの? 花火? とたずねると、「春晩」を見ていますという返事があって、これはたしか日本でいうところの紅白歌合戦的な除夕恒例のテレビ番組だったはず。花火は0時にはじめる予定だという。(…)さんの家族はあまり「春晩」を見ていない、妹はアニメを見ているとのこと。花火や爆竹の規制は年々厳しくなっているでしょう? 農村のほうはでも問題ないんだっけ? とたずねると、「田舎では花火はできます、たくさんはできません」と(…)さん。たくさんはできないというけど、(…)さんから送られてきた動画にしてもそうであるし学生らがこぞってモーメンツにあげている動画にしてもそうだが、日本の基準でいえばどう考えてもアウトとしかいいようがない、これを家庭の庭先で打ち上げるのは考えられないぞみたいなクソデカイ打ち上げ花火をバンバンバンバン発射しまくっているわけで、これでなお規制後なの? という感じ。と思っていたら、「今年は都市も規制緩和されたようだ」と(…)さん。なるほど。ちなみに、これほど花火の好きな国民性を有する中国であるが、花火大会のようなものは存在しないらしい。あくまでも春節とか結婚式とかそういうお祝い事のときにぶっ放すものという位置づけ。学生らがたびたび日本に行くことがあったら花火大会を見てみたいというのはそういう事情もあるのかなと思ったが、いやそうじゃないか、花火大会というものが日本アニメで特権的な舞台として取り扱われているからか。
 広州で院生をしている(…)さんからもメッセージ。除夕快乐! と届いたので、「いまこの時間、新年快乐という人もいるし、春节快乐という人もいるし、除夕快乐という人もいるんだけど」と先の疑問をぶつけてみたところ、どれも正しいという返事。(…)さんの干支は寅。今年は年女だったわけだが、次回年女になるときは36歳になっているわけで、「怖くない?」という。実家が深圳にある彼女だが、いまは祖母のいる(…)省にもどってきているとのこと。最近二重まぶたにする整形手術を受けたという。もともと二重じゃなかったっけ? とたずねると、「内双です」という返事があったのだが、これはたぶん字面的に奥二重のことかな? 手術を受けたのは今月の5日で、目はまだ少しだけ腫れているとのこと。「自腹ですよ」というので、高校生に日本語を教えて稼いだお金でますますかわいくなったわけだなと茶化すと、「ははは 間違いない」という。「先生にとって 今夜は普通ですよね?」というので、まあ平日みたいなもんだ、だからといって大晦日と元旦が特別だったかというとそうでもない、中国に外国人として生活していると正月も春節もどっちも中途半端に体験せざるをえないという感じだよと受ける。中国人は今日みんなご馳走を食べているのだから特別なものを食べないのはちょっとかわいそうだというので、(…)先生が手作り料理を差し入れしてくれたからだいじょうぶだよといった。
 やりとりを交わしながら書きあげた記事を投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年1月21日づけの記事を読み返す。「汗だくになって飛び起きた。びしょびしょになった極暖ヒートテックを脱ぎ捨てて、クローゼットの中にある普通のヒートテックに着替えた。スマホで時刻を確かめるとたしか3時半かそこらで、眠りに落ちてからたぶんまだ小一時間しか経過していなかった。」という記述があった。変なとこシンクロするんなアホ! あと、(…)でメシを売ったあと、店にとどまりひととき書見しているのだが、それについて「食後はひととき店内にとどまり『吾輩は猫である』の続き。外国にいる日本人が『吾輩は猫である』を電子書籍で読んでいるって、一歩まちがえたらかなりさぶい自意識の持ち主みたいに映じないか? 外国で下駄をはいたり甚兵衛を着用したりしているのと同じくらい痛いやつなのでは?」と書いていて、ちょっと笑った。
 懸垂する。キッチンに立ち、(…)先生から夕飯をお裾分けしますと伝えられる前にすでに自然解凍の途上にあった豚肉をカットし、パクチーと一緒にタジン鍋にぶっこんでチンする。チンしたやつを鍋にぶちまけて麺と一緒に茹でる。そのタイミングでたぶん0時をまわったのだと思う、おもてからまた花火の音が聞こえてくる。
 こしらえたものを食う。クソ美味い。ジャンプ+の更新をチェックし、学生らから送られてくるメッセージに返信する。卒業生の(…)くん、三年生の(…)さん、(…)四年生のグループチャット、(…)一年生のグループチャット、(…)二年生のグループチャット、そして先日所属したばかりの日本語学科の教員からなるグループチャット(ここで主任の(…)先生が红包をばらまいていたが、なんとなく気兼ねしてこちらは受け取っていない)などなど。
 その後、歯磨きをすませ、ベッドに移動し、『わたしは真悟』(楳図かずお)の第9巻を読んだ。