20230202

 先月、ある中学校の道徳の時間に「何のために勉強するの?」という議論が行われ、そのときに出た結論が「人の役に立つため」というものだったそうです。法律や政治、医療や介護、さらに衣食住や身の回りの道具や機械まで、私たちの暮らしの中にあるすべてのものが、過去の人間による勉強の蓄積によってできている。だから、勉強というのは「人の役に立つ」ためにするから意味があるのだ。そういう意見を中心に話がまとまったそうです。
 このような考えは、現在、政府主導で進んでいる実学重視の教育方針と一致する方向性を持っていて、勉強をする理由としてはこれ以上のものはないように思えます。しかし、私の考えでは、「人の役に立つため」に勉強をするようでは志が低いんです。
 なぜなら、「人の役に立つため」というゴール設定は、知らず知らずのうちに未来の可能性を封じてしまうからです。科学技術の歴史を振り返ってみればわかりますが、人間が生きる地層を変化させるような発明のほとんどは「人の役に立つため」という動機で生まれていません。そうではなく、世界の秘密を探求する営みの中でたまたま発見されたことが、応用的に人の役に立つことに利用されるようになったのです。
 つまり、人の想像力なんてたかが知れていて、現実世界では人の想像をはるかに超える偶然的なできごとが起こる。そこに秘められた爆発的な力をうまく利用することで、人は世界を改変してきたのです。
 「人の役に立つため」という限定された目標設定では、偶然との出会いは生まれず、スタートの時点で未来の可能性をつぶしてしまいます。この意味において、いまの学校では偶然の芽が育ちにくい教育が行われているし、大学の専門学校化はますますその傾向を強めています。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)



 13時前起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。トースト二枚を食し、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年2月2日づけの記事を読み返し。2020年2月2日づけの記事に記録されている高知東生のツイートが引かれている。

若者のネットリテラシーはよく話題になるけど、あれ大人が勝手に言ってるだけで、実はネットネイティブの若者より、俺たちおじさんのネットリテラシーの方が余程危険じゃないかな。色々学ばねば!「高知さんネトウヨになるところですよ」と言われたけど、ネトウヨという言葉さえ知らなかった。ヤバイ俺

言うのがとても恥ずかしんだけど、俺陰謀論を信じかけてたんだよ。仲間と話していて「高知さんの情報はすごく偏ってます」って言われて驚いた。Youtubeって自分の見ている関連動画が次々出てくるようになっているだってな。そんなこと全然知らなかったから教えて貰わなかったら本当にやばかった。

俺は「人の裏を読め」を金言としていた。この度危うくyoutubeの見過ぎで陰謀論を信じかけた事を内省したが、よく考えたら表の仕組みを何も知らないんだよ。そもそもの知識がないし、知る努力を面倒くさがってた。でもちゃんと調べなくても裏を読んだつもりになるって楽に賢そうな気分になれたんだよ

よく考えたら「本当の真実」って誰でも見れる情報を見てたら、裏でも何でもないよな。ただの偏った意見だったり、誰かの憶測に過ぎない。妄想って都合のいい出来事をつなぎ合わせただけで案外辻褄があう。それを見て「俺は分かってる」って気分になってた。「楽して得とれ」これが俺の欠点だと気付く。

Youtubeを見すぎて陰謀論を信じかけた自分を内省して思い当たる理由をもう一つ見つけた。俺みたいなあまり賢くない人間は、単純な結論付けを言い切っている人の話が分かりやすく入ってくるんだよな。専門的な知識が深い人ほど様々な角度から検討しているので、一面的な部分で単純な結論付けをしない

そうすると慎重に曖昧な言い方をされるので「結局何が言いたいんだろう?」と意味が良くわからない。「そうか!」「わかった!」といった、パズルが解ける様なスパッとした快感が脳に走らないから、正直話をつまらなく感じてしまう。でも多分、簡単に手に入るのものほど重要じゃないんだよな。

 これってまさに黒歴史が免疫になる好例だよなと思う。高知東生は一度じぶんが失敗したという自覚がある。やらかしてしまったという後悔や羞恥や罪悪感のなかでいまなお生きている。そういうものが幼稚な万能感に対する去勢として作用し、じぶんは油断するとやらかしてしまう存在であるという自覚、すなわち、免疫として働く。だからここで、陰謀論にハマりかけたじぶんに対してそれは間違いであると指摘する他者の声を、みくびることなく過小評価することなく、真摯に受け止めることができる。
 それから十年前、すなわち、2013年2月2日づけの記事の読み返し。以下のくだり、クソ笑った。こんな出来事、完全に忘れていたわけだが、ちょっと「実弾(仮)」に使いたいかも。(…)さんは(…)さんで、(…)さんは(…)さんやな。

(…)さんが朝到着するなりとうとうバレたかとこちらを見て笑いながら言うのでなんのことと問い返すと、かれこれ一ヶ月ほど前にもなるのか、壊れたバイブレーターの先端(要するに亀頭の部分)をじぶんの自転車のライトの部分に装着するといういたずらを(…)さんとともに仕掛けていたのだという。びびった。ほんとうにもう、まったく、全然といっていいほど、気づいていなかった。亀頭はこの一週間のいずれかの一日に何かのタイミングで勝手に落下したらしいが、今日ネタ晴らしされなかったら永遠に気づかなかったと思う。一ヶ月は長い。男性器をかたどった黒々とした模型を自転車の正面に装着したまま、すかした顔つきで美術館に行ったりしていたじぶんを思って爆笑した。してやられた。一本とられた。こいつはもう絶対に復讐してやらねばなるまい。

 あとは(…)とくら寿司でメシ食って(…)でコーヒーを飲んでだらだらという出勤日おきまりのコースをたどっている。つまり、この当時すでに週末の二日間および祝日だけ出勤するという原則週休五日制の生活を開始していたわけだ。以下はその夜、(…)と交わしたやりとりらしいが、これ、なんか見覚えがあるな。もしかしたら『S&T』に採録したやつかもしれない。

来週は月曜日が建国記念日で祝日なので土日月と三連勤になる。通常ならば二連勤であるところが三連勤になるということでまずマイナス一日。これに加えて、本来ならば月火水木金の五連休であるはずが、火水木金の四連休に減少するということでまたマイナス一日。すると勤務日は一日増えただけにもかかわらず、働く身の上にあるこちらの実感としては、二日分の損をしたという勘定=感情を覚える。というようなことを(…)に伝えたら、計100点のせめぎあいがあったとして、その結果が49対51であった場合、その差は2点でなく1点なのではないかと、中学生の時分に考えてクラスメイトらに伝えたことがあったが、誰にも相手にされなかったという思い出話が披露された。この考え方、なにかすごいヒントになる気がする。

 そのまま今日づけの記事もここまで書くと時刻は15時半。上の部屋の爆弾魔が今日もギイギイギイギイうるさいので、小比類巻のように何度も壁に横蹴りを喰らわすはめになった。こいつマジでなんの恨みがあんのや? 前世の記憶をたどってみても全然思い出せん!

 授業準備にとりかかる。日語会話(二)の第22課続き。昨夜ネットで収集した画像を元にしたゲーム作成。さまざまな衣服を身につけた人物の画像を大量に配布→グループに分かれた学生らはその画像のうち一つを選択→各グループはじぶんたちがどの人物を選択したかは伏せた上で、他グループに習得文型で衣類に関する質問を行い、他グループがそれぞれどの人物を選んだか推理する——というのがおおざっぱな流れ。脳内シミュレーションしてみた結果、(1)質問は他グループ全体ではなく一グループずつ指名して行う(2)衣類の色に関する質問は各グループにつき一度だけしかしてはいけない、という二種類の制約を設けたほうがよいだろうとの気づきを得る(この制約がないと推理がめちゃくちゃ簡単になってしまう)。抜け穴もまだまだありそうな気がするが、制約さえうまく課せば、なかなか盛りあがるんではないかという予感がする。唯一の懸念はグループワークであるという点。男子学生は全然そんなことないのだが、女子学生はけっこう仲の悪い子たちが多いので、グループの組み合わせ次第ではたぶんものすごい空気になってしまう。

 作業の途中、卒業生の(…)さんから微信。「ペルソナ5の悪役キャラ、めちゃ先生に似てるやん!」となぜか関西弁のメッセージとともにその『ペルソナ5』のスクショが送られてきたのだが、ハゲ+ひげ+めがねのおっさんが中国語訳されたセリフを口にしている場面のスクショで、うちの学生たち、ハゲ+ひげ+めがねという特徴をもった人物を目にするたびに、それが実在する人物だろうとゲームのキャラだろうとアニメのキャラだろうと漫画のキャラだろうといっさいかまわず、おまえ十年越しにウォーリーでも見つけたんか! みたいなテンションで画像付きの報告を寄越す。
 17時前になったところで身支度を整えて外出。今日はひさしぶりの真冬日。ゴミ袋をもって一階におりると、ゴミ箱の周辺で野良猫が五匹ほどかたまっていた。だれかがゴミを持ってくるのをそこで待っているんだと思う。こいつらにとっても冬休み中は難儀だよなと毎回思う。学期中は学生らがかまってくれるしメシだってくれるし、なんだったら寮の中に内緒で入れてくれたりもするわけだが、長期休暇中はそういうわけにはいかない。夏休み中であればまだキャンパスに残っている学生らもぼちぼちいるけれど、冬休み中はほぼだれもいなくなるし春節前後はことさらそうで、しかも猫は寒さに弱い。こちらが出したゴミ箱の中にはきのう切り落とした豚の脂身が入っているはずなので、ま、それをみんなでシェアして食ってくださいという感じ。そういえば、(…)アパートでの生活末期、ほかの住人がいなくなり大家さんも施設に入って以降、敷地内が近所の野良猫のたまり場になったわけだが、あの時期、こちらはよく切り落とした秋刀魚のあたまをトタン屋根の上にいる猫らのほうに投げてプレゼントしてやった、そんなことを不意に思い出した。あと、水場にいるデカい毛虫にキャベツをあげたり。なつかしいなァ。
 寮の外に出る。出た先に車が一台停まっており、中年と老年のあいだぐらいの夫婦がドアのそばに立っていたのだが、女性のほうが車に乗り込む前にものすごくカジュアルにその場でかつらをさっと装着して、え、かつらってそんな帽子みたいに簡単にかぶったり脱いだりするものなの? とちょっとびっくりした。それでいえば、というつなぎかたが正しいのかどうかはわからんがそれはともかく、うちの母親はかつらをかぶっているひとを見つけるのが得意で、たとえば車を運転中に信号につかまって一時停止しているときなど、横断歩道を横切っていくひとを指して、見てみ、あのひとかつらや、と後部座席のこちらや弟にいちいち指摘する癖があった。
 自転車にのって(…)に向かう。ひさしぶりに食パン以外にメロンパンでも買おうかなと道中考えていたのだが、そのときふと思った、メロンパンとカリフラワーってそっくりじゃないか? 仮にカリフラワーを手頃なサイズにカットして袋詰めしてパン屋の棚に並べたら、マジでだれも気づかないんではないか? 生き別れの兄弟レベルの激似になるんではないか? そういうくだらんことを考えていたせいでか、(…)では結局いつものように食パンしか買わんかった。
 帰宅。キッチンに立つ。米を炊き、豚肉と長ネギとよくわからん葉物とニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。食しながら(…)さんの発表動画をまた15分ほど視聴する。こうして視聴しているとわかるのだが、じぶんはちょっとメシを食うのがはやすぎではないか? ひとり暮らしの長い男はどうしたってそういうふうになりがちだという話を見聞きするわけだが、それにしてもこの分量を10分足らずでいつも食っているのかとちょっとびっくりしてしまう。
 ベッドに移動する。「行人」(夏目漱石)の続きを読み、20分の仮眠をとる。
 起きたところでコーヒーを淹れる。そうして「実弾(仮)」第四稿執筆。20時から23時まで。前回に引き続き、シーン12を加筆修正。プラス34枚で計187/977枚。このシーン、やっぱりなんか物足りんなァ。でもなにが足りんのかちょっとよくわからん。人物描写なのか、風景描写なのか、あるいはそれらの描写におけるレトリックなのか、セリフなのか、(コードを半歩逸脱する)できごとなのか。シーン12はこの作品の中で唯一といっていい長台詞のあるシーンなのだが、これ、やっぱり短く刻みなおしたほうがいいかも。このシーンだけちょっと全体的に芝居がかった感じにするというか、フィクションの感触をぐっと出すことによって、変に浮いてみえるようにするその逸脱の感触があったほうがおもしろいかもしれんと思い、これまであえて(虚構性がきわだつ)長台詞を採用してきたんだが、それよりもその長台詞に対してヴァリエーションに欠ける相槌しか打つことのできない景人の不器用さと自意識というレイヤーをさしこんだほうが面白くなる気がする。要検討。
 浴室でシャワーを浴びる。十年前の日記を読んでいるときにも思ったのだが、(…)で働いていたのはたしか四年半かそこらだったはず。で、中国で働き出して今年でたしか五年目になるわけだから、すでに(…)で過ごした期間と(…)で過ごした期間がひとしくなりつつある、というかもしかしたら上回っているかもしれないわけで、といってもそのうち一年半は実家に居候してのオンライン授業だったわけだからその分差っ引く必要はあるのかもしれんが、それにしても! という感じがするのはどうしたって避けられない。(…)でのあのめちゃくちゃな日々、たとえばそこで経験したことをそのまま漫画やドラマの脚本にしたとすれば絶対にこれは設定過多でリアリティがないですねと酷評されるにちがいないあのでたらめすぎる腐った神話のような暮らしに釣り合うだけのなにかをじぶんはいまこの暮らしから得ることができているんだろうかとちょっと不安になる。経験の豊かさというか厚みというか、そういうアレを——と書いたところで思ったのだが、ほかでもないその(…)で働いていたころもときどき同じことを考えていたような気がする。だからそう、こういうのは結局アレなんだな、(過去の美化ではなく)現在の過小評価なんだな。じぶんにはそういうところがある。そういう傾向があることは間違いない。現在の過小評価。書いてみて、ちょっとしっくりきた。
 あがる。ストレッチし、スクワットし、出前一丁の醤油味に大量のパクチーをぶっこんで食う。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックし、ベッドに移動したのち、ひさしぶりにスマホでだらだらとインターネッティングしてしまった。懶獣死すべし! 南無三!