20230203

 勉強することの大きな意味のひとつは、それを通してあなたが親をはじめとする身近な大人の思考の影響から距離を取ることができる点です。考えてみてほしいのですが、あなたがいま使っている言葉の中にはあなた独自のものはありません。あなたは、親をはじめとする周囲の大人たちが使う言葉を吸収しながら、その言葉を通して自分の思考らしきものを作ってきたのです。一方で、勉強するというのは、あなたが育った日常の中にはなかった言葉と概念を次第に知っていくことです。そのことを通して、あなたは新たな思考のための手札を得て、親密な人たちと共にしてきた世界から自分の人生が切り離されていくことを感じます。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)



 13時前起床。なんでや! きのうはいつもよりちょっとはやめに寝たはずやのに! 歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。トースト二枚の食事をとり、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年2月3日づけの記事の読み返し。以下、『精神分析の再発明 フロイトの神話、ラカンの闘争』(工藤顕太)より。

 本質的なのは、言語の創造という起源を語る試みが不可避的にアポリアに陥るということ、より厳密にいえば、言語の創造者(=神)が言語そのもののうちには固有の場(=神の固有名)を持つことができず、そのかぎりで、言語を存在させる原因の不在が、言語それ自体に刻まれてしまうということだ。周知のとおり、『出エジプト記』の第3章では、イスラエル民族をエジプトから脱出させるよう神に命じられたモーセが、彼らに〈神の名〉を訊ねられたらどう答えればよいのか、と神に問いかける。それに対して神は「我は在りて在るものなり(ehyeh asher ehyeh)」と答える。ブリュノの読みによれば、存在と言語の結節点をなすこの〈神の名〉のトートロジーは、言語に穿たれた、言語自身の不在の原因を代理する標である。しかし、こうしたアポリアは、およそ起源なるものすべてにつきまとうものであり、こと言語にかんしてのみ問題となるのではない。むしろ、精神分析の発見の核心は、このアポリアが法の、そして欲望の起源のアポリアでもあるということを示した点にこそ存する。それゆえ私たちは、欲望と法を表裏一体のものとみなし、それをほかならぬ言語によって基礎づけるラカンのパースペクティヴのもつ射程を、ここであらためて吟味してみなくてはならない。
 このコンテクストにおいて問題となるのが、近親姦の禁止という法の起源を説明するものとしての原父殺害の神話が孕む同型のアポリアである。すでに述べたように、ラカンはこの神話に、最初から死んでいる父、つまり神話的にしか表象されえない父としての〈父の名〉の機能を見いだす。その〈神の名〉との構造的類縁性を考慮すれば、〈父の名〉が担うのは、法の期限を叙述することでも説明することでもなく、その不在を標しづけること、つまり不在の起源を代理することであるといえる。前章で示したテーゼをあらためて引き合いに出せば、〈父の名〉とは、法の創設という事後的にしかとらえられない出来事を標しづけるシニフィアンなのだ。
(工藤顕太『精神分析の再発明 フロイトの神話、ラカンの闘争』 p.178-179)

 また、以下は、2021年2月3日づけの記事から引かれていたもの。内海健と綾屋紗月と熊谷晋一郎の鼎談(http://igs-kankan.com/article/2011/08/000460/)より。

内海 綾屋さんの体験の解像度は言語よりもきめが細かいですからね。言語はすごく暴力的じゃないですか。それについてぼくは、言語の入り方がちょっと違うのではという仮説を持っています。
 コンピュータの比喩を用いると、いわゆる定型発達と言われてる人種は、体験自体が、言語によって「フォーマット化」されているのですね。徹底的に言語によって構造化されていて、その外側に出るのは困難です。しかし発達障害の人の話を聞くと、どうも言語が一つのアプリとして「インストール」されているというか、道具のようなものとして装備されているんじゃないかと感じます。
 定型発達の人も、「言語って何?」と聞かれたら、ほとんどの場合「伝達のための道具」などと答えるでしょう。しかしすでに言語が経験に深く浸透しているというか、言語によって住まわれているといってもよいかもしれない。たとえば信号機の色だって“青”は「進め」ということになっていて、「あれは青じゃない、緑だ」といっても耳を貸さないですよね。すごく暴力的に経験を構造化しているわけです。これは発達障害の人とのすれ違いの大きなリソースになっているんじゃないかな。
熊谷 ロボット研究の浅田稔先生と綾屋さんが対談をしたときに、浅田先生はパースという人を引用して、記号を「アイコン」「インデックス」「シンボル」に分け、それぞれ記号とその指示対象との参照関係が違うのだと整理されました。
 アイコンはその指示対象と相似性で結ばれている。インデックスは時空間的なので相関性で結ばれている。例えばベルが鳴ればご飯が出てくるというように、学習によって結びつけられる記号とその対象物のつながりです。シンボルは恣意的というか、記号とその対象物の関係は、人と人との約束事できまっている。そして言語はシンボルに相当するものだとおっしゃっていました。ロボットを作っていると、インデックスまではいけるがシンボルまではなかなか到達できないという話をされたんですね。
 浅田先生は一貫して、発達障害とロボットがすごく近いところにいるんじゃないかという前提を置きながら話されていたのですが、そのときに綾屋さんがおっしゃったのは、シンボルとインデックスの間に大きな壁があるとしても、その壁は実はそんなに自明な壁ではないのではないか、ということでした。たとえばパブロフの犬の条件づけの実験で、犬にとって「ベル」と「えさ」は、自分のあずかり知らぬところで決まる相関関係なのでインデックスですが、実験計画者からすると、それはベルでなくてもよかったわけですから自分で恣意的に決められたシンボルだというわけです。そうすると同じ「ベル」という記号が、人から見るとシンボルで、犬の立場からするとインデックスになる。結局、シンボルとインデックスの境目を決めるのは、「参照関係を改変する権利」みないなものではないかという話でした。
 その関連で綾屋さんは、自分が言葉を使うときに、言葉とその意味が固定的につながっていないとすごく不安になって焦ってしまうという話をされました。言葉に限らず、部屋のレイアウトにしても、綾屋さんはそのレイアウトでなくてはならない必然性を感じるのに、他の人は何気なくレイアウトを変えてしまうのでパニックになってしまう。多くの人がシンボルのレベルで捉えていることを、自分はインデックスに近いレベルで捉えがちなのではないかというふうに綾屋さんが応答したのです。そのときに対談相手の浅田先生がすごく面白がっておられた。これもさっきおっしゃられた、言語のインストールとフォーマットの違いとどこかで関係しているのかなと思うのです。

熊谷 健常な人たちは、世界はだいたいこういうものだろうと根拠なく地平を切っているということですね。
 一方で、これは村上先生が書いておられてなるほどと思ったところなんですが、パースペクティブに現れ出ていない隠れた部分に対して、それをどのようにとらえるかという問題もありますね。その例として村上先生が挙げられているのが、綾屋さんも先ほど述べられた「奥行き知覚」の話です。「奥行き知覚」と「未来」と「他者の心」の3つで共通しているのは、パースペクティブに現れていない隠れた部分に対してその存在を信じて名付けたものだという点です。
 たとえば奥行き知覚に関していうと、手前にコップがあって、向こうにおしぼりがあるというときに、コップはおしぼりの一部を遮閉しているけれども、コップの裏にはきっとおしぼりがあるはずだと信頼している限りにおいて、奥行き知覚が可能になる。その信頼がなくなると、単なるフラットな奥行きのない世界になる。手前のものが奥のものを遮断しているからパースペクティブに現れていないだけであって、その遮断がなくなれば奥のものは現れるはずだという信頼、見えないけれどもそこにあるという信頼がないと奥行きは成り立たないんじゃないかという話です。
 同様に未来も、必ずやって来るものとして信頼しているから、それを想定できる。他者の心についても、現実には行為しかパースペクティブに現れないんだけれども、きっとその背後にそれを突き動かしているものがあるに違いないと信じている。いずれもパースペクティブの中に入らない何かを無根拠に信頼していることによって、可能になる世界観のようなものですね。
 この3つは、自閉症スペクトラムのなかで不得意とされがちなことです。もしかしたら根本にあるのは、「見えない領域への信頼」であるとか、あるいは「自分が見ている世界は世界のすべてではないのだ」という無知の知みたいなものへの実感の希薄さなのかもしれない。このような仮説については、本当なのかどうかわからないので綾屋さんと私はいまのところ保留しています。
 立教大学河野哲也先生が「全体と部分」という分け方をもとに、定型発達者がその存在を信じて「心」と呼んでいるものが何なのかについて、解説してくださったことがあります。河野先生は、実在するのは行為だけで、多くの人が心だと思っているものは綾屋さんの言う全体パターン、つまり諸々の行為が織りなす全体像のほうに対応しますと述べられました。だから、先ほどのPTAの例が示唆するように、引きで見ないと「心」は見えないとおっしゃるんです。
 河野先生は、さっき述べた3つの中で「他者の心」に関しては、それが他者の「中」に実在するという考えを批判されたのですけども、綾屋さんの仮説である「全体が見えにくい」という特徴記述には同意され、さらにその「全体」とは、実際にはパースペクティブに入ってこない、不可知のものまで含んでの全体であるという立場だったんです。そうすると実際に見えているパースペクティブが全体なのではなく、無根拠な信頼を元手に、裏とか未来とか心とかいった隠された部分も含めてパースペクティブとしてみているのが、もしかしたら定型発達なのかもしれません。

 それから、2013年2月3日づけの記事の読み返しと再投稿。節分での職場のくだり、笑える。(…)さんと(…)さんと(…)さんという初期メンバーだ。

とはいえ今日は節分である。10秒後に豆をたずさえておもてに出てきてくれと(…)さんがじぶんと(…)さんと(…)さんに告げて立ち去ったので、なにをたくらんでいることやらと思いながらそのとおりに従いおもてに出る扉を開けてみたところ、客室に置き去りにされていた使用済みのストッキングをかぶった状態でわしゃわしゃわしゃわしゃ手足を奇怪に動かしながら「はよ豆ぶつけて!ひと通らんうちに、はよ!はよ豆ぶつけて!」と叫んでいたので、「鬼はー外!」と言いながらみんなで豆を投げつけた。「福は内」を言うのをみんな忘れていたが、掃除が面倒だからまあよろしい。(…)さんだけ豆をアンダースローで投げてくれなかったと後になって(…)さんが呟いていたのがいちばん笑えた。

 記述はしかし以下のように続く。

そういうにぎやかなひとときから溯ること一時間か二時間前、(…)さんが別れた彼女について愚痴っているうちにたいそうエスカレートしてくるという一幕もあった。それをきっかけにして何やら人生観めいたものが一同の間で取り交わされもしたのだったが、そこで披露されたすべてがあまりに浅はかなように思われて、ものすごく落ち着かなかった。その論法でいくとたとえばこうした差別の構造にいきつきはしないか、だとか、その考え方が前提としているのは封建主義的な価値観にほかならないのではないか、だとか、その言い分はいかにも幼児的な同調圧力ではないか、だとか、そういう反論がこちらにその気がなくとも簡単に導き出されてしまうほど目につきやすい隙だらけの意見が、自らを疑うことをしらぬドヤ顔で表明され続けるひとときが小一時間ほど持続したその現場において、しかしそのひとつひとつを指摘したところでどうなるわけでもあるまいという諦念と、彼らの腑に落ちる言葉の並べ方でこれらの反論の論旨を組み立てるだけの力が果たしてじぶんにはあるのだろうかいやないという反語めいた無力感にしくしくとさいなまれ、もはや口をつぐむほかとるべき手段がなにひとつ見つからなかったその事実がいま思い返してみてももどかしい。こちらがどれだけ懇切丁寧に言葉を並べてみてもそこで並べられた言葉を文字通りに丸ごと受け入れるのではなく手元の既知にあてはめて(すなわち、彼らの慣れ親しんだ物語の類型に落とし込んで)理解しようと相手がいるかぎりなにひとつ伝わることはないしむしろたちの悪い誤解が浸透するばかりで、そうした経験を重ねていくにつれて下手に反論や弁明をもって結ばれた誤解を解きほぐそうとするくらいならいっそのことすっぱり当の相手と距離を置くなり関係を断ち切るなりしたほうが手っ取り早いと感じてしまうと、これは昨夜(…)相手に喫茶店で語った事柄とほとんど同一かもしれない。

 ここ、具体的には書かれていないが、(…)さんの「別れた彼女」というのは(…)さんのことだろう。直接会ったことはないし、名前の表記も知らないのでひとまずカタカナで(…)としておくが(12月24日生まれだからこのような名前になったという話だったと思う)、(…)さんはこの彼女に対してたいそうえげつないDVを働いていた。こちらが(…)で働きはじめた時点ではすでに別れていたはずだが、もともとキャバクラで働いていた子だったか、あるいは飲み屋で働いていた子だったか、(…)さんよりかなり年下で、たしかこちらと同年齢ではなかったか? (…)さんは夕方になると手がちょくちょく震えてくる程度のアル中で、飲むとたいそう暴力的になった(そのせいで木屋町にある居酒屋やバーやキャバクラからも出禁を喰らいまくっていた)。(…)さんを殴ったとか蹴ったとかそういう話をバイトの休憩中に嬉々として話すこともよくあり(いちばん印象に残っているのが、うちに遊びにきている(…)さんの前で、(…)さんにしょうゆの蓋の開け閉めだけを何千回とくりかえさせたという話だ、ちゃんと閉めておけと伝えたはずのしょうゆの蓋がゆるゆるになっていた、それを知った(…)さんがキレてそういう命令を下したみたいな経緯だったと思う)、そしてその話を(…)さんも(…)さんも(…)さんも笑いながら聞いていて、そのようすにまだ(…)に来てまもないこちらはドン引きしていたし、たぶん(…)さんも同様だったと思う。
 この当時はまだたぶん知らなかったと思うが、(…)さんはかなり厳格な両親のもとに生まれ、特に父親が異常に厳しかったらしく、子どものころなど毎日殴られて育ったという話だった。ただ、実家はけっこう裕福だったらしく、実際、両親の財産であるという一戸建てにひとりで暮らしていたし、(…)さんと付き合っていた当時はそこで同棲もしていたはず(知り合ってまもないこちらに一緒に住まないかと持ちかけてきたことがあるが、あれは断って正解だった)。(…)さんは妾の子で、母親もこの時点ですでに亡くなっており、兄弟姉妹もいない。祇園のラウンジと(…)で掛け持ちしつつドラッグをさばいていたわけだが、おそろしいほどの虚言症の持ち主なので、後年、(…)さんとたぶんここまで本当だろうと線引きした上の話も実際どこまで本当なのかよくわからない。(…)さんは酒乱の父を有する極貧一家に生まれて中学を卒業すると同時に社会に出たバツイチで、だから(…)さんに暴力を働いている(…)さんのことを心の底ではおおいに嫌っており、こちらに対する転移が成立して以降、そしてまた(…)さんと(…)さんが同時にパクられて以降、実はこうだったという類の打ち明け話を頻繁にするようになった、だから休憩時間中に(…)さんが(…)さんに手をあげたことを笑い話のように武勇伝のように語っているのに対して笑っているようにみえたのも本心ではなく防衛のためだったといえるのだが、だからといって100%よそおいだったとはこちらは思わない、彼女は彼女で本心で笑っている部分があった、それは間違いない(この見方には(…)さんもきっと同意するだろう)。実際、(…)さんは社会的弱者に対するおもいやりがあるというわけでは全然なく、障害者や外国人のことをなんの悪気もなくけちょんけちょんに口にすることも多々あった(障害者に対する「ガイジ」という差別用語をこちらは彼女経由ではじめて知った)。
 実家はそこそこ裕福であるものの(…)さん自身は死ぬほど貧乏で、というのも給料が出たその日に木屋町に繰り出して一晩で全額使いはたすというようなことをほとんど毎月のようにくりかえしていたからで、だから立派なお宅に住んでいるにもかかわらず一年のうち半分以上は電気もガスも停められていた。そのお宅にあるガレージでバーベキューをするからおいでと誘われたことも何度かあり、実際二回か三回おとずれたこともあるのだが(ちなみに、(…)さんはガレージでバーベキューをする前、事前に隣近所を菓子折片手に一軒ずつ訪問して、この日のこの時間帯にバーベキューをするのでうるさくなるかもしれません洗濯物ににおいがついてしまうかもしれませんと律儀に断っていた)、そのバーベキューの途中、こちらと(…)さんが(…)しようとしたもののライターがなく(ちなみに(…)さんは酒ばかりで(…)にはまったく手を出さなかった)、しかたがないので家の中に入ってガスコンロから直接(…)に火をつけようとしたところ、火が出ず、あれ? なんでなんで? となったところで、(…)さんが爆笑しながら、(…)くん! これガス停められてるわ! と思い出したようにいって、すでに(…)いたわれわれはそこで腹を抱えて死ぬほど笑い続けたということもあったのだが、それはとにかく、(…)さんの金の使い方には特徴があり、それは周囲に大盤振る舞いするというものだった。(…)さんはとにかく周囲にギャラリーがいればいるほどめちゃくちゃするタイプで、じぶんひとりで飲んでいるときはたぶんそんなことないのだが、それこそ(…)さんが一緒にいてキャバクラに行くとなると、そこで十五万円一気に使うとか、周囲の客やボーイにめちゃくちゃケンカを売りはじめるとか、あるいはタクシーの運転手をおどして無賃乗車するとか、そういうことばかりしていたのだが、あれは(…)さんが自分を大物に見せるために吹いていた子どもだましにもほどがある大ボラ(FBIにマークされているとか、高校生のときにドラッグを製造して10億稼いだとか、マフィアの友人に気にくわないやつの悪口を漏らしたら後日そいつの生首が入っているコインロッカーを見せられたとか)と同じで、完全に承認欲求のあらわれだったといまならはっきりわかる。そういう無茶をして「すごいひと」「おもしろいひと」という敬意や承認を勝ち取りたくてしかたなかったのだ。そんなことしても敬意も承認も得られんやろという指摘がすぐさま思い浮かぶひとは幸いなるかな、だ。そういうやりかたでしか他者の承認を得ることのできないひとというのは山ほどいる。そういうひとたちばかりの職場だった。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は17時前だった。作業中は羽鳥慶の『Alt (Ep00)』と『Esc (Ep01)』を流した。これ、いいな。
 予報では雨降りになっていたが、阳台の窓から外をのぞいてみたところ、空はずいぶん重く垂れこめているものの降ってはいないようだったので、(…)に買い物に出かけることに。厚着をして寮を出る。自転車に乗る。店の手前にある交差点で信号を待つ歩行者が此岸と対岸合わせて五人ほどいたが、マスクを装着している姿がひとつもなく、みんな感染済みかといつものように思う。じぶんのほかにまだ感染していない人間、本当にこの町にひとりでもいるのだろうか。来学期の最初の授業がちょっと楽しみだ。各クラスの統計をとろう。
 寒いからなのか、あるいは時間帯によるアレなのか、今日の(…)はいつもに比べると客足がとおのいているふうだった。けっこう閑散としている。顔認証のロッカーにリュックサックをあずけ、オートスロープで二階にあがる。ないだろうなと思いながらスポンジをチェックする。ない。クソッタレ。野菜コーナーでトマトとたまねぎと白菜を買う。野菜を買うためには、まず買い物カゴにいれたそいつらを専用の秤付きレジに持っていき、そこで値札をはってもらう必要があるのだが(その後一階の総合レジで会計をすませる)、今日はその専用レジがひとつしか空いていなかった。で、こちらは買い物カゴ片手にそのレジ前に行き、ビニール袋につめてある野菜を一種類ずつ阿姨の手に渡し、値札を貼ってもらったものを受け取り、入れ替わりにまた別の野菜を手渡すというのをくりかえすわけだが、まさにその作業の途中、こちらの右手にあらわれたババアが、やりとりしているわれわれのあいだに手をつっこむようにしてじぶんの野菜を差し出したので、は? となった。それだけではなかった、左手からあらわれたおっさんも同じように阿姨の手元にじぶんの野菜を突きつけるようにした。信じられない。この国で暮らしはじめてからというもの、列に対する割り込みは何度も目にしてきたし、あきらめとともになかば受け入れてきたつもりだったが、列に並ばないとか順番抜かしをするとかそういうレベルではない、いままさにこちらがやりとりしているその横から無理やり手をつっこんでくるというのははじめての経験だったのだ。レジの阿姨は阿姨で、めんどうくさいのか、横からおしつけられたババアの山芋を先に処理しようとする手つきを見せかけたので、そのときはさすがにHey! と制した。そしてとなりのババアのほうを見て、なんなんマジで、とわざと外国語である日本語で口にしてみたのだが、ババアはまったく悪びれていない。嘘でしょと思う。こちらの野菜の値付けが終わったあとも、残ったババアとおっさんは我先にじぶんの野菜をレジの阿姨に突きつけるありさまで、なんなんだろうなこういうのは、なんでみんな抜け駆けしようとするんだろな、でもこれって公平や平等という理念が死んでいる社会のあらわれなのかもしれんな、公平も平等も共産党のスローガンにはなっているものの実際は建前とすら機能していないということなのかもしれんな、だから授業中にちょっとした賞品を賭けたゲームをすることになってもゲームそのものを楽しもうとするのではなく賞品を手に入れるために平気で不正をしたりルールの穴を突こうとしたりするそういう発想になる学生が大半なんだろうなとやや飛躍したアレを思ったりもしたのだが、ただ、ババアとおっさんから少し離れた後ろで、比較的若いようにみえる女性が買い物カゴを持ったまま、前方の年寄りたちが演じている醜態を見守っているふうだったので、若いひとはさすがにあんなことはしないわけだと思った。実際、学生たちと話していても、マナーの悪い年長者らにうんざりしている子たちはかなり多いし、そういう人物が外国人であるこちらの前で醜態をさらしているのを見ると、(愛国世代だからというのもあってか)ものすごく気まずそうな顔をしたり申し訳なさそうな顔をしたりする。
 帰宅。キッチンに立ち、米を炊き、豚肉とブロッコリーとトマトとパクチーとニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。食う。今日は朝たっぷり寝たし、起きたのもずいぶん遅かったので仮眠はとらないことにし、食後のコーヒーを淹れてそのまま授業準備にとりかかることにする。日語会話(三)の第23課。内容としては全然難しくないのだが、応用問題の用意にてこずる。この文型でゲーム形式の応用問題、というのはいわゆるアクティビティのことなんだが、そんなものこしらえることなんてできるだろうか、と。まあ毎回そういうふうにあたまを抱えながらも、なんだかんだでねばっているうちに色々とひらめきを得るわけだが。
 途中でシャワーを浴びる。あがってストレッチをしている最中、先日の日記に戯曲版の『三月の5日間』を応用した小説を書きたいと書いたけれども、「Z」がそうやん、あれそういう小説やったやん、と不意に思い出した。「A」より前に書いた小説のことはどうしても忘れがちになってしまうわけだが、そうだった、「Z」はまさにそういう種類の小説だった。当時、夏休みのたびにほぼ固定したメンバーで川遊びにいくという習慣があったのだが、過去五年間のその川遊びの記憶(エピソード)をほぼ一行ごとにスイッチしながら横滑りさせていくというもの。改行なしでたしか100枚ほどだったか。どのエピソードが何年のものにあたるのか判別することのできるしるしは極力廃し、かつ、ほぼのすべての文章を「〜する(主語)である」というかたちにする(文末をすべて現在形にする)ことで、時間をかければ整理することのできるパズルのような小説になることを避けた。いまその小説を書いているわたしのレイヤーも挿入したし、川遊び以外の記憶のレイヤーも挿入した。で、最後はいまその小説を書いているわたしのレイヤーにおけるパソコンのキーボードが壊れ、「〜する(主語)である」の文末の「る」が「るるるるるるるるるるる」みたいにして紙面を覆い尽くすにいたるのだが、それがくだんの川の氾濫に重ねられているみたいなつくりだったはず。クライマックスは洪水後の護岸工事のせいで立ち入りできなくなった河原をぶらぶら歩いた足元の感触から鳥取砂丘の砂を踏みしめた足元の感触に移行し、さらにその足元の感触をキーボードを叩く指の感触に結びつけて終わったはず。あれもいつかリメイクしようかなと考えていた時期もあったのだが、気がつけばもう十五年近く経っているのか?
 プロテインを飲む。授業準備の続きにとりかかる。作業中は『Mirage』(Mirage Collective, STUTS, butaji & YONCE)をくりかえし流した。すごく良い曲だと思うのだが、STUTSとbutajiの共作というのにちょっとおどろいた。STUTSとYONCEだったらわかる、この組み合わせはすごく自然な印象を受けるのだが、ここでbutajiとつながるんだというおどろき。しかしそういわれてみると、ボーカルパートのメロウなラインはたしかにbutajiっぽいかもしれん。
 アクティビティの全体像が見えたところで作業を中断。餃子を食い、ジャンプ+の更新をチェックし、ベッドに移動。「行人」(夏目漱石)の続きを読み進める。登場人物の名前が一部イニシャルになっているのはどうしてなんだろう。「こころ」のKであれば、あれは手記という体裁になっているのだからイニシャルでも理解できるのだが、「行人」はいまのところそれが手記であるとは言明されていない。ちょっとふしぎ。あと、フランチェスカという名前が西洋の物語からの引用というかたちで出てきて、わりと最近読んだ小説にも同名の女性が出てきたけれどもあれはなんの小説だっけ? と考えたところで、いやいや「S」やん! おれの小説やん! となって、これにはちょっとおどろいた、「おれの小説やん!」とひらめくまで実際一分近い時間を要したのだが、え、こんなことがありうるの? 嘘でしょ? とマジで愕然とした。鳥山明が、たしか尾田栄一郎との対談でだったと思うが、相手が桃白白が好きだというのに対してだれそれ? みたいな反応を見せたみたいなエピソードがあったと思うけれども、あれもマジなのかもしれない。
 以下、二郎が実家を出る決断をくだしたあと、そのことを兄に告げる場面。兄は二郎とじぶんの妻との関係を疑っている。ここの論理はちょっとおもろい。

「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子に腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。
 自分は「ええ」と答えたが、少しも尻は坐らなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。
 兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互に慕い合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種厭な疑念を挟(さしは)さんだ。兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利(イタリー)の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。
「二郎、なぜ肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」
 自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七(さんかつはんしち)見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。
「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経(ふ)るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」

 自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手を挙げて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由(いわれ)を、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物の挟まったような兄の説明を聞いて、必竟それがどうしたのだという気を起した。
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
 自分は何とも云わなかった。
「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」
 自分はそれでも返事をしなかった。
「相撲の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力は自然の賜物だ。……」
 兄はこういう風に、影を踏んで力んでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前に坐っている自分を、気味の悪い霧で、一面に鎖(とざ)してしまった。自分にはこの朦朧たるものを払い退けるのが、太い麻縄を噛み切るよりも苦しかった。
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。