20230208

 ムージルの本は生きているあいだに三五〇〇〇部も売れなかった。(…)もはや自分と時代をおなじくする人びとには、読んでもらえないという結論に達したあとのムージルに残されたのは、後世に望みを託すことだけだった。「トーマス・マンや似たような連中は、そのへんにいる人びとのために書く。わたしは、今いない人間のために書く!」(…)。
(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』)



 12時半起床。今日もクソ寒い。天気予報を確認したところ、13日までずっと雨降りが続く模様。雨降りがはじまったのが3日だったはずだから、十日連続ということになるのか。クソだるいな。はよ晴れてほしい。なんのために折りたたみデスク買ったんかわからん。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。これは今日ではなく昨日のことだったと思うが、トルコと隣国シリアをまたぐ地域でかなりデカい地震が発生したらしい。この記事を書いている20時50分現在、両国の死者が合計で一万人を超えたとある。
 トースト二枚を食す。白湯を飲み、コーヒーを淹れ、きのうづけの記事を途中まで書く。今日は執筆したい気分だったし、起き抜けのWPを日記に奪われるのも馬鹿馬鹿しいので中断し、14時半から17時半まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン13に着手する。このシーンはそれほどむずかしくない。とはいえ、さらっと流すだけというのもおもしろくないので、台所の様子などこまごまとした描写を追加する。プラス8枚で計195/977枚。
 作業の途中、雷がゴロゴロと鳴りはじめる。停電が心配になるが、いまのところ問題なし。(…)に食パンを買いにいくつもりだったが、雨降りもなかなか激しいようすだったのでパスすることに。明日は起き抜けからラーメンもしくは餃子か。
 キッチンに立つ。『Smalhans』(Lindstrøm)をききたくなったので流しながら、米を炊き、豚肉とたまねぎと广东菜心とニンニクをカットし、タジン鍋にドーンしてレンジでチーンする。食す。仮眠はとらず、そのままデスクに向かい続け、きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年2月8日づけの記事を読み返す。以下、「実弾(仮)」について。この享楽はいまも生きている。もっと加速させたいとすら思う。

検閲をどんどん解除することに成功している。映像を意識して書くようになったおかげで、本筋に回収されることのない細部の豊かさという、読み手としては楽しむことができていたものの書き手としては享楽しそこなっていたものをようやく享楽しつつある感じ。連鎖する出来事の底に基本的に伏流しつつも、ときにはその出来事の水準にまで浮かび上がってリアリズムをかく乱する、複雑に連鎖する「別の論理」を、今作ではいっさい採用していない。すべて退けている。そのおかげで細部が浮かびあがるのだ。

 2013年2月8日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」のほうに転載する。以下、『物質的恍惚』の一節。

苦しむのを拒否することは一つの偽善である。一つの過ちでもある。それは、神から脱却したときの人間が感ずる最初の誘惑である。奇妙なことに、最重要の問題はまだ解決されていない――神がないとしたら、自分の魂をどう扱えばよいのか? 現代の芸術表現や哲学観念の大部分は、倦(あ)くことなくこの質問を再提出しているにすぎない。現代人の敗北は、たぶん、彼の持っている絶対的なるもの、神的なるものを使用できないことである。自分の感受性を、彼がわざわざ目的を廃棄してしまった探求に適用しようとし続けることである。この矛盾が、彼の絶望の、無力感の起源となっている。それにしてもこの矛盾は宿命的なものだ――自己よりも偉大なものに溯ろうとする習慣は、それほどまでに思考の根の中に根づいているのだ、人間よりも人間であるもの、現実よりも現実であるもの、生命よりも生命であるものを求めようとするこの慣わしは、それほどまでに強いものなのだ。
ル・クレジオ豊崎光一・訳『物質的恍惚』)

 以下は、執筆中の過集中について。こういうこと、当時はけっこうあったのだが、いまはあんまりないな。

それにしても今日はとんでもない集中力を発揮した。ひさびさに尿意を忘れるほど没頭した。完全没頭すると尿意がうせる。力みすぎて姿勢が硬直してしまうからなのかなんなのか、なにかの拍子にふと肩の力を抜いたりするとその途端に腎臓だが小腸だか知らんけどその手の臓器の位置が動き、動くと同時に渋滞していた小便が急激に出口を求めて騒ぎ出すので、その結果、うわ!小便したっ!となるんだと思う。

 あと、「風呂からあがると雪が降りはじめていた。雪降りの夜に屋外にある湯の出ない水場で野菜を洗ったり切ったりしているじぶんはサイコーにillだと思う」との記述に、いやーなつかしいなァ! となった。この話は中国でもまずまずウケる。授業中に何度か話したおぼえがある。
 作業の途中、(…)くんから微信。日本のニュース画面のキャプチャ。成人年齢が18歳に引き下がったことを告げる画面であるのだが、あれ? それってもうけっこう前の話じゃなかったっけ? と思ってググってみたところ、施行は去年の四月からとのこと。この件を知っていたかというので、去年の四月からこうなったようだねと受ける。(…)くんはさっき知ったばかりらしい。しかしそれ以上やりとりが続くわけでもない。(…)くんのコミュニケーション、あいかわらず掴みどころがない。2023年度版の(…)七不思議のひとつかもしれん。
 学生からの連絡で思い出したが、パスポートの回収に出向いてくれたはずの(…)から結局連絡がないままだ。ま、別にいますぐ必要なものでもないので、どうでもいいんだが。

 今日づけの記事もここまで書く。時刻は21時半。浴室でシャワーを浴び、あがってストレッチ。今日も筋トレはお休みにして、そのまま授業準備にとりかかる。日語会話(三)で行う中間発表「食レポ」の準備。例としてひとつかふたつこちらがやってみせる予定なので、そのための写真を準備し、発表内容の大枠をこしらえる。
 その作業の途中、北京の(…)くんから微信が届く。修論の件について。日本語学習者を対象とする調査結果をエクセルにまとめた資料が送られてきたのだが、そこにまとめられている回答ひとつひとつに目を通し、その誤用を彼があらかじめこしらえたカテゴリーに分類してほしいとのこと。どう考えても一日がかりの仕事である。これはちょっと大変だぞと及び腰になる。締め切りはいつまでなのかとたずねると、どれくらいかかりますかというので、ちょっとやってみないとわからないけどと伝えたところ、実をいうとすでに締め切りは過ぎているとの返答。よろしい。だったらもうやるしかない。とりあえず明日中にどうにかやってみると伝える。(…)くんはお金を払わせてほしいとここでもいった。修論が完成したあとのチェックもお願いしたいのでと続けたのち、受け取ってもらえないと逆に頼みづらいみたいなことをいうので、まあ彼の立場からすればそうかもしれんなというわけで、じゃあわかった、受け取るよ、でもその話はひとまずやるべきことをやってからにしようと応じる。(…)くんは三月に(…)をおとずれる予定だといった。公務員試験を受験するためらしい。高铁も開通したいま、(…)から(…)まではわずか一時間であるし、都合がよければそのとき直接会ってお礼を言いたいというので、了承。(…)省主催の公務員試験を受けるというのは彼自身の願いではないらしい。両親の希望だという。そういえば彼自身は日本での就職を考えていると言っていたなと思ったが、そのあたりのことは話しはじめると長くなりそうだったので、雑談はまた全部片付いてからにしようと受けてひとまず通話を終える。
 通話を終えたところで授業準備のスケジュール表を確認する。明日一日がまるっと潰れてもとりあえずは問題ない。現状、予定よりも二日余裕をもって準備を進めることができているので。
 出前一丁の醤油味をこしらえる。パクチーを山ほどぶっかけて食す。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、ベッドに移動し、Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読み進めて就寝。