20230226

 一九七六年九月のある日の朝、高校二年生だった私たちはいつものように、授業の前に全員起立し、黒板の上の毛沢東像に向かって斉唱した。
「偉大な領袖、毛主席の長寿を祈ります」
 そのあと席につき、国語の教科書の毛沢東に関する部分を朗読した。当時はあらゆる文章で毛沢東を描写するとき、「顔の血色がよく、元気にあふれている」という表現を必ず使った。
 この表現は小学一年の教科書から始まって、高校二年までずっと続いて変化がない。ちょうど我々が、毛沢東は「顔の血色がよく、元気にあふれている」と朗誦したとき、学校の拡声器が鳴り出した。九時から重要な放送があるので、全校の教員と生徒はすぐ講堂に集合せよという。
 我々は自分の椅子を学校の講堂まで運んだ。千名ほどの教員と生徒が、講堂で腰を下ろしてから三十分ほど待った。九時になると、ラジオから悲しいメロディーが流れ出した。私はすぐに不吉な予感がした。これより前、中国共産党の二人の重要人物、周恩来朱徳が亡くなっている。この一年、我々はラジオから流れる悲しいメロディーを聴き慣れていた。
 ゆっくりとした音楽が終わり、アナウンサーの悲痛な声が響き出した。「中国共産党中央委員会中国共産党中央軍事委員会中華人民共和国国務院、全国人民代表会、全国政治協商会議……」
 しばらく待ったあと、この五つの最高権力機構が共同で発表した「訃報」が読み上げられた。アナウンサーの声は引き続き悲痛で、ゆっくりしている。「偉大な領袖、偉大な指導者、偉大な元帥、偉大な舵取り……」またしばらく待って、ようやく毛沢東主席が病気のため不幸にして世を去ったことが伝えられた。アナウンサーの悲痛な声が、まだ「享年八十三歳」と言う前に、学校の講堂は泣き声に包まれた。
 我々の領袖が世を去った。私も涙が止まらなくなった。私は千人の泣き声の中で泣いた。天地を揺るがすような泣き声、息も絶え絶えの泣き声、いまにも窒息死しそうな泣き声を聞いているうちに、私の思考は乱れ始めた。もはや悲しみに支配されることはなく、奇妙な泣き声に心を奪われた。数人が泣いているのなら、きっと悲しみを感じただろう。しかし、千人が同時に大きな部屋の中で泣いているのは、むしろ滑稽に思われた。こんなに豊富で多彩な泣き声を聞いたのは初めてだ。たとえ全世界のあらゆる種類の動物が代表を派遣して、我々の学校の講堂に集まり一斉に泣いたとしても、この千人の泣き声ほど珍妙ではないと思う。
 この場違いな考えは、あやうく私の生命をおびやかすところだった。私はこらえきれずにこっそり笑ったが、そのあとに込み上げてきた笑いは慌てて呑み込んだ。当時、笑った顔を人に見られたら、私はすぐに反革命分子となり、そこで一巻の終わりとなっただろう。私は必死に笑いをこらえたが、体内を笑いが駆けめぐり、いまにも吹き出しそうになった。もうダメだと思った私は恐ろしくなり、両腕を交差させて前の生徒の椅子の背に乗せ、頭を深々とそこに突っ込んだ。私は千人の泣き声の中、びくびくしながら笑っていた。笑いを止めようとすればするほど、おかしくてたまらなくなった。
 私のうしろにすわって涙と鼻水を流していた生徒たちは、かすんだ目で私が前の椅子に突っ伏しているのを見た。また、私が笑いをこらえるために肩を震わせているのも見た。これらの生徒は、私が毛沢東に強い思い入れを抱いていると誤認し、あとでこう言った。
「余華の泣き方がいちばん激しかったな。いちばん肩を震わせていたのも余華だった」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時にアラームで起床。睡眠時間が7時間を切っていたが、まあがんばって起きましょうとベッドから抜け出す。歯磨きしながらスマホでニュースをチェックし、ストレッチしたのち、街着に着替えて第五食堂へ。打包。
 帰宅して食うべきものを食う。食後のコーヒーを用意し、きのづうけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年2月26日づけの記事を読み返す。大連の(…)さんから電話があった日。日本に帰国するかもしれない、と。実際、その後、彼は帰国した。いまは東京のほうにいるらしいと(…)さんから以前聞いた。
 2013年2月26日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。「今日の雨は冬の雨ではなくて春の雨だった。冬の雨は寒いし、夏の雨はじとじとするし、秋の雨は肌寒いし、やっぱり雨といえば春先のものがいちばんだ。詩情がある。なまあたたかい空気のなかに奇妙な期待感がただよって何かのはじまりが予感される。皮膚感覚に美しい。」という一節を読んだ瞬間、日本の春先、なまあたたかい空気のなかでしとしとと雨の降るあの感じが一気によみがえって、うわ! 日本! と思った。

 今日づけの記事もここまで書くと時刻は14時半だった。先学期のスピーチレッスン分の金が口座にまだ振り込まれていないので、おおかたこれまでのように財務処に直接出向く必要があるのだろうと思いつつ、(…)先生に連絡をとる。(…)先生も(…)先生も春節前に全額口座に振り込まれたという。こちらの所属は外国語学院ではなく国際交流処なのだから、そっちの教員にたずねてみろというので、どうせそっちも知らないんだよと思いつつ、(…)に連絡。予想通り、知らないという返事。(…)先生に電話して確認してみるというので、以前は財務処に直接(…)先生をともなっておとずれた、今回もたぶんそうする必要があるのだと思うが確信はないと補足しておく。スピーチレッスン分の費用といえば、コロナ直前の年の分もおそらくまだもらっていない気がする。それも確認しないといけないし、あとはニュース記事の翻訳を手伝った件も、ほぼ一年分報酬をもらっていない。そのあたりの件を一度まとめて財務処で確認すべき。めんどくさいので放りっぱなしにしていたが。たぶん合計で15万円分くらいは未払いがあるはず。

 (…)くんの修論添削にとりかかる。17時半まで延々とカタカタやり続けたところで中断。これ、今日中に終わらせるのは無理だなと思う。それで(…)くんにその旨告げる。ついでに、締め切りはいつでもかまわないという話だったが、実際のところはどうなのだとたずねると、来月の3日に提出する必要がある、しかしその前に一度指導教官に見せなければならないという返事があり、いやいや全然時間あらへんやんけ! なんでそれをはよ言わへんねん! とあせる(しかしこれは誤りであったことがのちほど判明した、3日ではなく12日であった、それでもスケジュールとしてはかなりぎりぎりであるが!)。
 第五食堂で打包する。帰宅して食し、ベッドに移動して30分ほど仮眠をとる。それからシャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを淹れ、21時半からふたたび添削にとりかかったわけだが、いやいやこれだいじょうぶか? とだんだんと不安になってくる。日本語の文章のミスがあるのはしかたないのだが、具体的な考察段階である第四章の文章はその点差っ引いてもずいぶん荒れているし、なによりもその考察内容というのがスカスカすぎる、これ修士のレベルじゃ全然ないだろと思う。簡単にいえば、さまざまな場面において要請される呼称語について、学習者の理解度が高いものほど関連する説明や具体的な使用例がトピックとして教科書に掲載されている頻度が高いという主張で成り立っているのだが、サンプルとして用いられている教科書がほんの四冊きりであるし、それはまだいいとしても、ではその呼称語についての扱いがサンプルとして用いられている教科書では具体的にどのようであるのか(どれほどのページを割いていたのか、その課のなかでどれほどの比重を占めているのか、あるいはそこで使用されている例文であったり場面設定であったりが具体的にどのようなものであり、それが(…)くんがおこなったDCT調査の設問とどれほど類似しているのか)、そういう説明が全部欠落している。さらにいえば、呼称語の理解度を学習者に問うDCT調査の設問それ自体にも問題がある。これについては以前も指摘したのだが、設問の場面設定があいまいなせいで有効なデータをほとんど得られていないのだ、いわゆる「無効」扱いしなければならないデータが全体の三分の一以上あるのだ。にもかかわらず、今回彼がこちらに添削してみせた論文では、本来「無効」扱いすべきデータを学習者の「誤用」として分類している。あまりにもめちゃくちゃなので、その点あらためて彼にといただしてみたところ、いまさっき二次答弁会がおこなわれたのだが同じ指摘を指導教官から受けたという返信があって、いやそりゃそうでしょ! ていうかこの点については前回しっかり確認したでしょ? という感じなのだが、(…)くん曰く、そうすると「無効」扱いせざるをえないデータが多すぎてどうすればいいかわからないという。だからそれについてはずっと以前こっちが指摘したじゃん、考える時間はあったじゃんと少しイライラしてしまうわけだが、彼はたぶんいま相当へこんでいるはずなのでそこはぐっとこらえつつ、考察の中心を変更するとなると、そもそもいまこちらが進めている論文の添削も無意味なんではないかというと、考察の中心である第四章だけいったんはずしてくれとのこと。ほかでもないその第四章にこそ今日はほとんど一日中かかずらっているわけだが、もういまさらそんなこといってもどうしようもない。とはいえ、さすがにやる気が失せるし、時間も時間だったので(すでに0時近かった)、今日はもうここまでにした。(…)くん、日本語は一生懸命勉強しているのだろうけれど、研究とか調査とかそういう分野になると、マジで初歩中の初歩すら押さえることができていない気がする。いや、こちらも論文なんてほとんど書いたことがないし、調査を行ったことも統計をとったこともそれらのデータからなんらかの仮説を組み立ててみた経験もまったくないわけだが、それでも一読しただけでこれはまずいとたやすく理解できる。彼自身、かなり心配しているようだが、これ学位もらえないパターンもあるんじゃないか? 留年することになるのでは? もしこちらがそれ相応のレベルの大学院の指導教官であったとして、この内容でオッケーを出すかどうかといわれたら、いや出せないでしょ、無理でしょというのが率直なところだ。
 ひとまず作業を中断。残りは明日する。しかしこれほど時間をもっていかれるとは思わなかった。これはやっぱり彼のいうとおり賃金をもらったほうがよさそうだ。まだまだ終わりそうにないし。しかしせっかく指摘したところがまったく改善されていないというのはなかなかげんなりするな。マジでやっとれん気持ちになる。
 不貞寝したい気分だったが、こういうときこそルーティンをこなしたほうがいい、そうしないとだらだらげんなりした気分を翌日以降に持ち越してしまうという経験則があったので、がんばって懸垂をする。餃子を食し、プロテインを飲み、ジャンプ+の更新をチェックしながら歯磨きをする。そうして、今日づけの記事の続きも少し書いたのち、2時半になったところでベッドに移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きをちょっとだけ読んで就寝。