20230304

 文革中、人々は壁新聞を書くことに熱中した。今日の人々がブログに熱中するよりも激しかった。違いと言えば、当時の壁新聞は千篇一律で、基本的に『人民日報』の剽窃だった。革命的な言葉と中身のないスローガンの氾濫が、最初から最後まで続いていた。一方、今日のブログは千差万別だ。自己宣伝、罵倒の応酬、プライバシーの暴露、悲憤慷慨、無意味な感傷などなど。社会的、政治的、経済的、歴史的な内容が、何でも揃っている。一つだけ似ているのは、文革中の壁新聞も今日のブログも、自己顕示欲を満たすためにあるということだ。
 私は小学生のとき、壁新聞を最も恐れていた。毎朝、カバンを背負って登校する途中、通りの塀に貼り出された最新の壁新聞に緊張しながら目を走らせた。表題に父の名前が出ていないか、確認するためだった。
 私の父は外科医で、共産党組織の役員でもあった。文革の初期、私は学校の友だちの父親が何人か打倒されるのを目撃した。「資本主義の道を歩む実権派」というのが罪名で、造反派に殴られて顔が腫れていた。胸の前には大きな札を下げ、頭には紙で作った高い三角帽子をかぶっている。彼らは一日じゅう箒を手にして、おどおどしながら道を清掃していた。通行人はいつでも、彼らを蹴飛ばしたり、彼らの顔に唾を吐いたりしてよかった。彼らの子供にも当然累が及び、絶えず学校の友だちから侮辱と蔑視を受けていた。
 幼い私は、父に突然不幸が訪れることを心配して、気が気でなかった。それは私の不幸でもある。父には、地主の出身という経歴もあるのだ。父の家はかつて、二百畝(一畝は約六・七アール)の土地を所有する、正真正銘の地主だった。さいわい、祖父が遊び人で向上心がなく、飲み食いと道楽しか知らず、毎年少しずつ土地を売って放蕩生活の資金に充てた。おかげで、このドラ息子は一九四九年の時点で、二百畝あまりの土地をすっかり売り払い、地主という身分も売り飛ばしていた。さもなければ、全国が共産党によって解放されたとき、銃殺の運命を免れなかっただろう。私の父は「災いを転じて福となす」で、地主の息子の汚名を返上した。当然、私と兄も、祖父が遊び人だったことの恩恵にあずかった。
 それでも、父の不名誉な家族の歴史は、依然として心理的な重荷となっていた。悪いことは、いつか必ず起きるものだ。ある日の朝、兄と一緒にカバンを背負って家を出た私は、とうとう通学途中に、恐れていた壁新聞を目にした。父の名前がはっきりと表題に出ている。しかも、「逃亡地主」「走資派」(資本主義の道を歩む一派)という二つの罪名を伴っていた。
 私は子供のころ、小心者だったから、きっとそのときは顔が青ざめていたはずだ。私は兄に、学校へ行きたくない、家に帰ってしばらく身を隠すと言った。兄は平気な顔をして、何も恐れることはないと言うと、大手を振って学校へ向かった。しかし、兄の度胸は百メートルあまりしか持たず、そこから引き返してきた。兄は近づいてきて、こう言った。
「くそっ、おれも学校へは行かない。しばらく身を隠すことにする」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時半起床。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。街着に着替えて第五食堂へ。外は快晴。キャンパスを歩く女子らはみんな日傘を差している。きのうの時点で(…)の桜の写真をモーメンツにあげている学生がぼちぼちいたわけだが、今日と明日は土日であるし、この二日間で見物に出かける学生はおそらく相当数いるだろう。食堂の前では大量の本を販売していた。外の業者だと思うのだが、新品の本をワゴンセールのようなかたちでラックに平積みして売っているのだ。たぶん三冊買ったら一冊追加でプレゼントみたいなボーナス付き。これとは別に、キャンパス内ではときどき古本を売っている業者の姿も見かける。そっちは日本語や英語の本もごく稀にまじっていることがあり、こちらも何度か洋書を買ったことがある。

 打包して食す。食後、阳台に移動し、折りたたみデスクの上にパソコンとスピーカーを設置。コーヒーを飲みながらひたすらきのうづけの記事をカタカタカタカタ打鍵しまくる。途中、二年生の(…)さんから微信。今日の17時から夕飯はいかがでしょうか、と。17時までにきのうづけの記事を書きあげることはできるかもしれないが、その後彼女とそろって外出するとなるとなにかしらのサブイベントは生じるだろうし(時期的に(…)まで桜を見に行こうと誘われる可能性もある)、生じたらそれを書くために明日もまた半日失うことになる。それは修論添削と授業準備を控えている現状さすがにきついので、二週連続で断ることになってしまうのは忍びないわけだが、これこれこういう事情で時間を作ることができない、申し訳ないがほかの学生からの誘いも断っている状況であるので理解してほしいと応じる。
 作業の合間、(…)くんに修論の進捗状況をたずねる。指導教官には明日までに論文を提出しなければならないというので、10日まで余裕があるのではなかったかとたずねると、指導教官もたいそう忙しくしており明後日以降は時間をとることができないと言われたのだという。その指導教官から「「考察目的外の回答」を分類から削除する」ようにと助言をもらったと(…)くんは続けたが、これがどういう意味なのかは不明。「無効」(=考察目的外の回答)としてカウントしていた調査結果を「無効」として論文内で言及しないことにしたということなのか、それとも本来は「無効」扱いすべきものを無理やり「有効」扱いすることにしたということなのか、よくわからんのだが、いずれにせよこちらのなすべきことは本文添削である。その本文は明日中にこちらに送信するとのこと。で、9日までに修正してほしいという。やりとりを交わしながら、(…)さんの誘い、やっぱり断って正解だったなと思った。
 きのうづけの記事は17時に書き終わった。ふたたび第五食堂で打包する。食し、ひとときベッドで休憩していると、二年生の(…)さんから微信。「先生、私は最近東野圭吾の小説の魅力を感じました!「ガリレオ」と言うドラマがきっかけで、別な本も読みました。本当に面白い!」とのこと。中国におけるこの東野圭吾人気はいったいなんなんだろう? 本屋にいけば、かならずといっていいほど見かけるのだが——といつものように疑問に思っていたところ、「東野圭吾の多くの小説は中国映画になりました。多くの人が映画を見た後原作を読みます。私も同じです」とあって、あ! そうなんだ! こっちで映画化しているのか! それでこの人気なんだな! と納得した。(…)さんは「東野圭吾の小説を模倣する人もたくさんいます」と続けたが、この「模倣」というのはたぶん「盗作」のことだろう。小泉八雲の「怪談」も最近知ったといった。ホラー好きの彼女であるので、一気に好きになったという。怪談や民俗学ばかり好きになるじぶんのことを変なひとだというので、いやいやなかなか良い趣味だと思うよと受けたところ、最近水木しげるの妖怪に関する著作が翻訳されていることを知った、ちょっと欲しかったけれども高かったので買えなかったというものだから、あ、それってもしかしてこのあいだこちらが(…)さんと(…)さんといっしょにおとずれた書店にあったやつかなと思った。「内容は水木しげるが書いた怪物です。絵本のようです」というし、たぶん間違いないと思う。ちなみにその水木しげるの本を見つけたのは、ほかでもない第五食堂の前のワゴンセールらしい。今日第五食堂前でたくさん本を売っていたよと告げたところ、すでに三冊買いましたという返事があり、続けて、そこで水木しげるの本や『源氏物語』を見つけた、欲しかったけれども高かったのであきらめたのだという話が出たのだった。
 浴室でシャワーを浴びる。ひさしぶりに口髭落とす。ストレッチをし、コーヒーを淹れる。きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年3月4日づけの記事を読み返す。(…)さんと(…)さんとはじめて会い、カフェでパンケーキとコーヒーをごちそうになった日。あの日以降、(…)さんとは何度かふたりで登山したり食事したり犬の散歩をしたりしたわけだが、(…)さんとは一度も再会していない。彼女の経営する日本語教室で働くつもりがこちらにまったくないと見てとり、それでもういいやとなったのだろう。

 そのまま今日づけの記事もちょっとだけ書き進める。途中、(…)さんから微信。先生の故郷はどこですかという今更な質問だったので、(…)県だよと応じると、「私たちは日本へインターンシップに参加するつもりです」とあったので、えー! となった。たしかに(…)の四年生からインターンシップに参加することになったと去年報告を受けていたし、そうか、ゼロコロナが撤廃されたからまたこうした制度も復活するのだなと思ったわけであったが、(…)の学生のみならず(…)の学生らもインターンシップに参加することになる——そこのところの発想がなぜかすっかり抜けていた。(…)三年生から参加するのは8人。(…)さんのほか、ルームメイトの(…)さんと(…)さんと(…)さん。それから(…)さんと(…)さんと(…)くんと(…)くんとのことで、(…)さんと(…)さんのふたりは100%問題ないと思うのだが、ほかの面々はだいじょうぶだろうかとちょっと心配になる。(…)さんなんて面接すら受からない可能性があるのではないか。先生の故郷に行きたいというので、あんなところ行っても時間の無駄だよと受ける。(…)の先輩たちは鹿児島県に行くらしいですというので、正直鹿児島はおすすめできない、方言がかなりきついと思うから聞き取りできないんじゃないかと思うと応じた。それに古い旅館であれば((…)さんが働いていた石川県の旅館のように)差別主義者のクソババアどもが跋扈している可能性もある。コロナ以前、インターンシップに参加していた学生らの評判が高かったのは、北海道と長野だったと伝える。クソけったいなジジババやおっさんらが差別意識丸出しで幅をきかす老舗旅館とかホテルよりも、学生バイトのあつまりやすいゲストハウスやリゾート施設のほうがはるかにいいと思うのだが、どこに割りふられることになるのかは派遣業者次第。とりあえず面接を受けるだけ受けて、あやしい田舎の旅館に配属されそうになったら断ることにしたらいいんじゃないかと提案した(それができるのかどうかちょっとよくわからんのだが)。ちなみに(…)の四年生は今月6日、すなわち、明後日出国らしい。桜を見ることができるだろうからうらやましいと(…)さんはいった。(…)の三年生は予定では7月出国。三ヶ月ではなく半年だというので、盆と正月の繁忙期を実習生の手を借りてしのごうとするパターンだなと事情を察した。近場に配属されたら夏休みを利用して会いに行くこともできるかもしれないが、こればかりはどうなるかわかったもんじゃない。過去には(…)の旅館で半年間働いていた学生もいるが。
 やりとりを交わしながら写作の課題添削を進めた。「定義集」。先学期も先々学期もいちいち文集をこしらえたりしていたわけだが、さすがに作業量が多すぎるし、その労力がむくわれるだけのなにかがあるわけでもなし、今学期はもうそういうめんどうくさいことはやらないと決めた。優れた回答をいくつかピックアップし、それを紹介するだけで十分だ。添削の片付いたところで、来週の授業でやる予定の定義クイズ13題をチェック。13題で足りるかなァ。もう少し多めに準備しておいたほうがいいかも。
 作業の途中、三年生の(…)くんから微信。忙しいですか、時間があれば散歩しませんか、と。おれはもしかして人気教師なのか? こんなにも連日学生から誘いがあるものなのか? ほかの大学の教員はどうなのか知らんが、少なくとも英語学科の外教が学生らといっしょにメシ食ったり散歩したりしているところなんて一度も見たことないし、おれは実はかなりdedicateしているのでは? と思った。しかし断る。来週いっぱいまでちょっと余裕がない。
 0時過ぎに作業をいったん中断。懸垂し、プロテインを飲みトーストを食し、ジャンプ+の更新をチェックする。それからふたたび定義クイズの資料作成。13題分すべて片付くと時刻は2時。歯磨きをすませて寝床に移動。