20230305

 その後、私の署名入りの最初の壁新聞が生まれる原因は、ここにあった。その年、私は小学一年生、兄は小学三年生だった。人生のどん底にあった父は、政治的な芝居を自作自演し、家族全員で革命的な春節旧正月)を過ごした。大晦日の夜、ほかの家は一年間の節約生活を忘れて豪華な食事を楽しんでいたが、我が家では「昔の苦しみを思う」食事が用意された。具体的に言えば、糠と野菜を混ぜて作った団子である。この糠団子と呼ばれる食べ物は、旧社会で貧乏人が食べたものだ。我々が大晦日の夜に糠団子を食べるのは、旧社会の苦しみを思い出し、新社会の幸福を噛みしめるためだった。
 私は味気ない糠団子を両手で持って慎重に食べた。飲み下すときに糠が食道につかえる気がしたので、喉が痛いと泣き言を言った。父はうれしそうな様子を見せ、外科医の口調で言った。
「痛いのはいいことだ。昔の苦しみを思う効果が出ている証拠だからな」
 私と兄は、不幸のどん底にある父が大晦日の夜という好機をとらえて、革命のパフォーマンスを演じていることに気づかなかった。数日後、父は自白書にこの革命的な春節のことを大げさに書いて、毛沢東共産党に対する忠誠を示した。
 一家四人が糠団子を飲み下し、母が食卓を片付けると、父はテーブルよりも大きな白い紙を広げて、家族全員で壁新聞を書き始めた。壁新聞のテーマは、「私心と闘い、修正主義を批判する」(文革初期のスローガンの一つ)である。つまり、我々の頭の中にある利己的な思想と修正主義の思想を打倒し、批判するのだ。父は右手で墨をすり、真面目な顔で宣言した。
「大晦日の夜、我々は真剣に相互批判と自己批判を推し進めなければならない」
 これを聞いて私と兄は興奮し、先を争って発言しようとした。お互いに譲らず、自己批判の先頭に立とうとしたのだ。両親は私を先に発言させた。兄は二歳年上だから、この機会を譲るべきである。しかし私は、目をパチクリさせるだけで、何を言えばいいかわからなかった。自分の利己的な思想と修正主義の思想をとっさに見つけることができない。兄が傍らで気をもみ、自分が先に発言しようとした。両親はそれを許さず、私を教え導くように言った。さっき糠団子を食べたとき、喉が痛いと言ったのはまさに、利己的な思想のせいだ。私はそれで重荷を下ろしたが、まだ心配なので、両親に尋ねた。
「修正主義思想でもあると言える?」
 両親は少し相談し、私の思想の奥底にあるプチブル的態度が波風を立てたものだと批判した。一方、修正主義にはブルジョアの欠点が多く含まれている。そこで、両親はうなずいて言った。
「修正主義とも言えるよ」
 利己主義と修正主義の両方が揃ったので、私は安心した。次は兄の番だ。兄は誇らしそうに言った。あるとき、街で拾った小銭を先生に渡さず、飴を買って食べてしまった。両親は厳粛な顔でうなずき、兄の行為は私のケースとよく似ている、やはり利己主義と修正主義の両面があると言った。続いて、母が「私心と闘い、修正主義を批判」した。母のあとは父だった。二人とも、痛くも痒くもない小さな過ちを告白したので、私と兄は失望した。特に父である。自己批判するときに、「逃亡地主」と「走資派」にひと言も触れない。兄がまず、父を厳しく問い詰めた。
「父さんは逃亡地主じゃないの?」
 父は表情を曇らせ、首を振って言った。一家は解放前に破産したから、土地改革(地主の土地を農民に分配する共産党の政策)のときには、中農に区分された。母が傍らで無実を訴えた。二百畝の土地を持っていたという過去がなければ、階級区分は貧農だったはずよ。兄は深刻な顔をして右手を上げ、父に尋ねた。
「地主ではないと、毛主席に誓うことができる?」
 父は真剣に右手を上げて言った。「毛主席に誓います。私は地主ではありません」
 私も遅れを取るわけにはいかないので、父を問い詰めた。
「父さんは走資派じゃないの?」
 父はやはり首を振って言った。解放前に共産党員になったが、ずっと技術畑で、外科医をやってきたから、資本主義の道を歩む実権派になるはずがない。
 私は兄をまねて右手を上げた。「毛主席に誓うことができる?」
 父は再び右手を上げて言った。「毛主席に誓います」
 それから、父はその場しのぎの壁新聞を書き上げた。初めて自分たちを批判した、大晦日の夜に書いた壁新聞だった。書き終えると、父は署名して、筆を母に渡した。母の署名のあとは兄の署名、私の署名は最後だ。
 壁新聞をどこに貼るかの議論が始まった。私は家の戸口に貼ろうと言った。近所の人たちに、我々が大晦日の夜に行った偉大な行動を見せることができる。兄は映画館のチケット売り場に貼るべきだと言った。壁新聞を見る人が多いからだ。両親は心の中で、二人のバカ息子を痛罵したに違いない。彼らの目的はパフォーマンスをすること、自分の革命精神と政治的覚悟を示すことだった。この壁新聞を他人に見せるつもりはまったくない。しかも、この大晦日の壁新聞には大きな実用的価値がある。父の自白書に箔をつけることができるのだ。
 両親は心に不満を抱いていたが、顔には依然として肯定的な笑みを浮かべ、うなずいて言った。二人の考えはとてもいい。問題は、外に貼ると自分たちが随時この壁新聞を見られなくなることだ。両親が辛抱強く説明した。この壁新聞は自分たちを批判したものだから、家の中に貼って、つねに過去の過ちを思い出すようにしなければならない。それでこそ毛主席とともに正しい道を永遠に歩むことができる。
 当時、わが家はまだ病院の宿舎に引っ越す前で、向陽(シアンヤン)小路と呼ばれるところに住んでいた。大きな部屋を半分に区切り、竹を編み針金で縛った間仕切りには、さらに新聞紙が貼ってあった。両親は奥のベッド、私と兄が手前のベッドで寝ていた。両親の話に道理があったので、我々は壁新聞を家の中に貼ることに同意した。ただし、条件付きだ。両親のベッドの枕元ではなく、私と兄のベッドの枕元に貼らなければならない。両親は喜んで、これに応じた。
 間もなく、父は農村に下放(幹部職員が一定の期間、農村や工場へ行って思想鍛錬を受けること)した。薬箱を背負って田舎を回り、農民の病気を治療したのだ。造反派が父を見逃したことに気づき、農村へ行って捕まえようとしても、もう見つからなかった。純朴な農民たちがかくまってくれたおかげで、父は文革初期の暴力から身を守ることができた。
 あの素晴らしい壁新聞は一年あまり、私と兄のベッドの枕元にあった。埃をかぶり、紙が黄ばんで破れた壁新聞は自然に落下して、その後は忘れ去られた。最初のころ、私は毎日、就寝前と起床後に、神聖なまなざしで自分の曲がりくねった署名を見ていた。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時ごろに一度自然と目を覚ましたが二度寝した。次に目が覚めると正午前だった。歯磨きしながらスマホでニュースをチェック。時間が時間なのですでに第五食堂のおかずは売り切れていると思われる。だったら第四食堂でひさしぶりに西红柿炒鸡蛋面を打包しようと思ったが、どうせそこまで出るのであればついでに(…)まで足をのばして食パンを調達することに。そういうわけで街着に着替えておもてに出る。晴天! 快晴! 20度オーバー! ヒートテックの上にセーターを着ていたのだが、(…)での買い物を終えた帰路には多少汗ばむほどだった。(…)ではいつもの阿姨から、あんたほんとにこの食パン好きだねといわれた。好きだからおなじものを買うわけじゃないんだよな、むしろ食にこだわりや興味がなさすぎるせいで、栄養や味や価格の面で一定基準を満たしていたらそれでよしとなってくりかえしおなじものばかり買って食ってしまうんだよな、選択と判断というコストをそこで節約しているんだよな。ファッションに興味はないが、それなりにこざっぱりした格好でいる必要のあるひとたちが、同じ服を何着も買ってそればかり着るみたいな話を聞いたことがあるけれど、それと基本的には同じだ。食事に関しては日本にいたときからずっとそうだ。
 帰路、第四食堂に立ち寄って打包。帰宅。ひさしぶりに西红柿炒鸡蛋面を食ったが、やっぱりうまいな。きのうに引き続き、阳台にパソコンやスピーカーを移し、コーヒーを淹れてから作業開始。まずはきのうづけの記事の続きをバババッと書いて投稿。それからウェブ各所を巡回し、2022年3月5日づけの記事の読み返し。

 この図3には主体から発するふたつの矢印が描かれている。ひとつは図2と同じ、想像的同一化の矢印である。しかしここで重要なのはもうひとつの矢印が、世界=スクリーンを飛び越え、大文字の他者から発して世界=スクリーンを通過し右側の主体へとまっすぐに向かう「視線」なるものに宛てられていることである。これが象徴的同一化の作用を表している。それは、世界=スクリーンを成立させるメカニズム、それそのものに対する同一化である。
 世界を成立させるメカニズムそのものへの同一化とは、あまりに抽象的に響くかもしれない。けれども、これもまた映画の例で考えるとわかりやすい。ぼくはさきほど、想像的同一化とはスクリーンに映る俳優(イメージ)への同一化なのだと述べた。しかし、そもそもその俳優たちはなぜスクリーンに映っているのか。それはむろん、だれかが彼らをキャスティングしたからであり、まただれかが彼らを撮影したからである。象徴的同一化はその裏方の作業への同一化である。つまりは、映画で言えば、カメラへの同一化ということになるわけだ。「大文字の他者」から主体にまっすぐ伸びる「視線」とは、映画監督が俳優たちを見つめる視線のことである。
 象徴的同一化は想像的同一化よりも「高級」である。これもまた、映画の例で考えるとわかりやすい。多少も映画にうるさい友人がいるひとであれば、つぎのように言われた経験があるだろう(ぼくにはある)。俳優にせよ物語にせよ、映画の内容を見ているあいだはアマチュアである。映画好き(シネフィル)は、スクリーンに映っているものではなく、映っていないもの、つまりはカメラの画角(フレーム)や監督の視線を追いかけるのだと。まさにそれこそが想像的同一化と象徴的同一化の差異である。アマチュアはイメージを見る。シネフィルはカメラに同一化する。そして後者の同一化を経ることで、はじめて映画の鑑賞は成熟を迎える。
 じつはラカンの理論は、これと同じ論理で主体化の過程を説明している。ひとは、両親なり教師なりをまねるだけでは(想像的同一化だけでは)大人になれない。彼らがなぜそのようなふるまいをするのか、そのメカニズムを理解すること(象徴的同一化をすること)ではじめて大人になる。この二重化がラカン精神分析の主体理論の肝なのだ。別の言葉で言い換えれば、人間は、見えるもの(イメージ)に同一化するだけでなく、見えないもの(シンボルあるいは言語)に同一化することで、はじめて大人になる(主体になる)のである。ラカンはこの見えるものの世界を「想像界」と、見えないものの世界を「象徴界」と名づけた。「大文字の他者」と「象徴界」は、ほぼ同じ意味である。
東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』 p.249-250)

 作業を終えると時刻は19時だった。作業中、(…)からLINEが届いた。こちらが以前夫妻におすすめした辛辛魚を(…)がコンビニでようやく見つけたらしく、先生おすすめのラーメンだぁ! とテンションぶちあがりで食べることになったものの、辛いだけで全然美味いと思わなかったという報告だった。おまえ(…)料理のせいでますます舌アホになったんちゃうかとあったので、うるせープーチンに核撃たれて死ねと返した。この返信をしたとき、少しだけ気持ちが楽になった。単なる現実逃避でしかないとわかっているのだが、ここ最近ニュースの追いすぎてメンタルがしんどくなりつつあったので、こういう不謹慎な言葉を口にすることで現実と一定の距離を設けたかったのだ(送信前に当然躊躇したが!)。(…)は(少なくともこちらに比べたら)世界情勢や社会問題にそれほど関心を持っていない。だからこそそういう相手とすべてを冗談と化してしまう軽口を叩き合うことがそのままある種の「癒し」として機能する。

 さらに、2013年3月5日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。「調停」の一語が書きつけられている。

店ではひさしぶりに(…)ちゃんと少しおしゃべりしたのだけれどその中で無印良品が創設当初は大量消費社会にたいするアンチテーゼとしての理念を掲げていたこと、「『これがいい』ではなく『これでいい』」という標語の旗印に(おそらくは今でいうロハスやらエコやらを先取りするかたちで)事業展開していたという話があって、でもそれも企業が企業として資本主義の「ゲームの規則」に乗っかっていくにつれてだんだんと難しくなってきている、創設当初の理念と実際が徐々にずれはじめている、それは企業が成長するにつれてある意味では不可避ともいえる事態かもしれないがしかし理念やコンセプトを把握して商品を生産したり制作したりする側の人間と一企業としての必要最低限の利益をあげるために動かなければならない現場の人間との齟齬がひきおこした事態ともいえる、となればそこのところの齟齬を調停する人間が必要とされているのではないか、と、どこまでが(…)ちゃんの話でどこまでがそれを受けたこちらの拡大解釈であるのか判然としないけれど、いずれにせよこれはひとりの人間の内部で生じる葛藤とも少し似ている。ヒンズー教が〈破壊〉と〈創造〉を司る二神ではなくそこに〈維持〉を司る神を加えた三神制度を採用しているように、〈理念〉と〈実務〉の折衝が結果的に妥協案を生むというのではなくそこに第三項としての〈調停〉を司るアクターが参画するという見取り図を描いてみることで、ひょっとすると新たな展望がひらけることもあるんではないかと思った。

 「調停」は(コロナ流行よりはるか以前からこちらにとって重要であった)「感染」——その着想源は後藤明生の「小説を書いたのは小説を読んだからだ」(大意)という言葉で、当時公開していたブログは偶然そこをおとずれた人間に小説なり日記なりとにかくテキストを書きたいという欲望を感染させるウイルスがうようよしている場所みたいなイメージだったのだが、しかしそれでいうと、ブログの一般公開をやめて七年以上にわたって閉じこもった状態でカタカタやり続けていたあの期間はまさに早すぎるそしてまた長すぎる「隔離」であり「ロックダウン」であったわけだ!——とともに、こちらの日記にたびたび登場するキーワードであるのだが、もしかしたらこの日の記事が初出かもしれない。仮にそうだったとすれば、そもそもの着想源はヒンドゥー教になるわけか。そういえば、維持の神については、『A』でもさらっと言及した記憶がある。カフカを思わせる登場人物に対する言及と同様、作品の外である現実世界の固有名に言及することによって、語り(手)のポジションを危うくさせる仕掛け。
 それから、きのう添削した「定義集」にあらためて目を通し、めぼしい回答のみをピックアップしてPDFにまとめた。回答を一覧にまとめるときは、この順番で紹介していけばこことこことここで笑いどころを作ることができるなとか、ここで脱線してその脱線内容をフックにして次のこの回答につなげることができるなとか、そういう妙なサービス精神が自動的に働いてしまうというか、厳密には関西人ではまったくないのだが、どうせなにかやるんだったらひと笑い巻き起こそうみたいな精神が、じぶんにはけっこうディープに根付いている気がする。道化やね。ピエロ姿の調停者——と書いて気づいたのだが、「調停」の着想源、ヒンドゥー教ちゃうわ! 『クロノ・クロス』のセルジュや! ピエロ(=ツクヨミ)から調停者(=セルジュ)の連想でふいに思い出したわ!
 『クロノ・クロス』でいえば、運命の書(フェイト)とか、まさにAIがこれから先われわれ人類におよぼすバッドエンドでディストピアな影響を予見しているともいえるわけで、それについてはずっと以前、まだTwitterをやっているときになにかつぶやいた記憶がある——と書いたところで、過去ログを「人工知能+自然」で検索したところ、2016年3月12日づけの記事がヒットした。以下、くだんのツイート。「自然科学以前」は表現としてちょっと不十分というか不正確な感じだが、いわんとするところは十分理解できる。

AlphaGoの打ち筋が現役トップレベルの棋士ですら理解できないというニュースを見て、人間の思考力のとうていおよびもつかない域に達した「人工知能(の司る世界)」にたいする「人類」の関係というのは、「自然」と「(自然科学以前の)人類」の関係みたいになるのかもしれないとすこし思った。

 作業を終えると時刻は17時半だった。第五食堂で打包。食後20分ほどの仮眠をとったのち、浴室でシャワーを浴び、ストレッチ。今日は執筆する気満々だったのだが、(…)くんから修論の最終稿が届いたのに軽く目を通した瞬間、いや、これ今日中にできるだけやっておいたほうがよさそうだな、けっこう時間がかかるかもしれんぞと思いなおした。甘い見通しのせいで地獄を見るのはもうこりごりだ。
 そういうわけで21時半から0時半までひたすら添削。ものすごく集中した。前回相当時間をかけて全面的に添削しておいたのがよかった、そのおかげで今回の負担はさほどでもなかった、5時間ほどはかかるだろうなと覚悟していたのだが、3時間でいちおう第4章以降すべてを添削することができた。第1章から第3章にかけての再チェックはもうやらない。しんどいし。作業中はずっとMiles Davisの『On The Corner』を流していた。『On The Corner』はこちらのなかで大掃除をするときのBGMとして血肉化しているのだが(なぜそうなったのかはおぼえていないが、もうかれこれ10年以上、大掃除をするときはこいつを流すのが習慣となっている)、(…)くんの修論添削に着手する直前こいつを流そうという気になったのは、添削作業を掃除に重ねてみるそういう視点を無意識にやどしていたのかもしれない——なんやこの理屈! 気の利いたこと無理やり言おうとすんな! 死ね!
 しかし今日中にこうして懸念の添削を完全に終えることができたのはよかった。来週以降は平和な日常が帰ってくるはず。そうであると信じたい。今日づけの記事もちょっとだけ書いたのち、腹筋を酷使し、プロテインとトーストの夜食をとり、ジャンプ+の更新をチェック。歯磨きをすませて寝床に移動。
 そういえば、今日は雷锋の記念日かなにかだったらしく、(…)一家がテレビ番組に出演したとモーメンツに報告していた。(…)は抗日戦争に関する研究会や会議、被害者を支援するボランティアなどに積極的に参加しており、それで政府から高く評価されていて、外国人であるが特例で共産党に入党するとかしないとかそういうアレになっているという話を聞いたこともあるのだが、たぶんそういうバッググラウンドがあるからだろう、彼にはどうやら「(…)」という称号が与えられているらしい、それで記念特番のゲストに呼ばれたようだった。実際、「(…)」でググると、ほかの西洋人らに混じって、(…)や(…)の写真や動画がぽつぽつヒットする。