20230310

 文革の頃、私は「魯迅」という強力な言葉を十分に利用した。私の成長過程には、革命と貧困のほかに、絶え間ない論争があった。論争は幼年期と少年期の贅沢品であり、貧しい生活における精神の糧だった。
 私は小学校のとき、同級生と論争した。太陽が地球に最も近くなるのはいつか? その同級生は、朝と晩だと言った。太陽がいちばん大きく見えるからだ。私は昼だと言った。いちばん暑くなるからだ。我々は疲れを知ることなく、マラソンのような論争を続けた。毎日顔を合わせると、自分の説を述べ、相手の見解を批判する。そういう水掛け論をくり返したあと、我々は他人の応援を求めるようになった。彼は自分の姉のところへ私を連れて行った。彼の姉は双方の言い分を聞くと、すぐ彼に味方した。まだ幼かったこの少女は、羽根蹴りをしながら言った。
「太陽が地球にいちばん近いのは、もちろん朝と晩よ」
 私は承服できず、同級生を私の兄のところへ連れて行った。兄は当然、自分の弟を擁護し、同級生に拳を振り上げて見せて威嚇した。
「今度、朝と晩がいちばん近いと言ったら、おれが黙っちゃいないぞ」
 私は兄のやり方に失望した。必要なのは真理で、武力ではない。我々はさらに、ほかの年上の子供のところへ行った。同級生を支持する者もいれば、私に賛成する者もいて、なかなか勝負はつかない。我々の論争は一年に及んだ。町の年上の子供たちはみな、何度か引っぱり出されて判定を求められ、もううんざりしていた。我々が言い争いながら近づいて行くと、彼らは大声を上げた。
「あっちへ行け!」
 我々は激しい論争を二人だけの範囲に止めるしかなかった。その後、同級生は新しいことに気づき、私の「暑さ」の理論を攻撃し始めた。彼は言った。もし、暑さを基準にするなら、太陽は夏になると地球に近づき、冬になると遠ざかるというのか? 私は彼の「見た目」の理論に反駁した。もし、見た目の大きさを基準にするなら、太陽は雨の日に消えてなくなるというのか?
 論争はどこまでも続いたが、ある日、私は魯迅を持ち出し、一瞬にして彼を言い負かした。追い詰められて、とっさに魯迅の言葉を捏造したのだ。私は彼に向かって叫んだ。
魯迅先生が言うように、昼の太陽がいちばん地球に近い」
 彼は唖然として、しばらく黙って私を見てから、慎重に尋ねた。「魯迅先生がそう言ったのか?」
「もちろんさ」私はびくびくしていたが、強硬な姿勢は崩さなかった。「魯迅先生の言葉を信じないのか?」
「いや」彼は慌てて手を振った。「どうして、いままで言わなかったんだ?」
 私は毒を食らわば皿までの覚悟で、嘘を言い続けた。「前は知らなかった。今朝のラジオで聞いたんだ」
 彼は悲しそうに下を向き、口の中でつぶやいた。「魯迅先生がそう言っているなら、おまえが正しい。おれは間違っていた」
 彼が一年間堅持してきた太陽との距離に関する見解は、私がでっち上げた魯迅の言葉の前で、簡単に瓦解してしまった。それから数日、彼は沈黙し、一人で敗北を噛みしめていた。
 これは文革時代の特徴と言える。造反派同士の論争でも、紅衛兵同士の論争でも、家庭婦人同士の言い争いでも、最後の勝利者毛沢東の言葉を持ち出した。それで決着がつき、論争や言い争いは収まる。あのとき、私はもともと毛沢東の言葉をでっち上げるつもりだったが、口元まで出かかってやはり気が引け、仕方なく「毛主席の指導によれば」を「魯迅先生が言うように」に変更したのだ。後日、嘘がばれて打倒され、小さな反革命分子になったとしても、罪は少し軽いはずだった。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時半起床。昨日に比べるとすずしい。歯磨きしながらニュースをチェック。身支度を整えて第五食堂へ。いつもよりはやい時間帯におとずれたのでわりとガラガラ。まだ食べたことのない店をのぞいてみようかなと二階フロアを散策をはじめたところ、前を通りがかった店の奥から老师! と声がかかる。見覚えのあるのかないのかよくわからんおばちゃん。こちらのことを学生ではなく教師であると認識しているということは、先学期に何度かやりとりしたうちのひとりなのだろうと思い、そちらに近づいていったところ、同じ店に中華(…)さんもいた! それで、おー! 好久不见了! となった。中華(…)さんはこちらのことを老朋友と呼んだ。中華(…)さんはたぶんうちの父親と同じくらいの年頃だろう。コロナに感染して大変なことになっていないだろうかと冬休み中ちょっと心配していたのだが、今日の様子を見るかぎり、全然元気そうだった。そしてこちらがまだその店でメシを打包すると決めたわけでもないのに、いつものお節介さを発揮し、おばちゃんといっしょになってメニュー表を指差しながら、これとこれとこれは辛くないぞ! と教えてくれる。せっかくなので中華(…)さんがおすすめしてくれたそのメシを打包することに。店で提供しているものはすべてどんぶり。白米の上にどろっとしたあんかけ風のおかずがいっぱいにのっているもの。どうも内緒で米もおかずも普通より多めによそってくれたようだったが、こんなもん起き抜けに食うボリュームちゃうやろと笑ってしまった。
 部屋にもどる。おおすぎるどんぶりをかっ喰らいながらモーメンツをのぞく。いまのところ(…)さんも(…)さんもぼちぼち鹿児島暮らしを楽しんでいるようす。モーメンツには連日なにかしらの写真が投稿されている。(…)さん、職場で出るものらしいカレーやハンバーグをおいしいといっているのだが、写真でみるかぎり全然うまそうではない、レトルトや冷食にしかみえない。
 卒業生の(…)さんから微信が届く。学校にもどった、と。学校というのはつまり彼女が現在院生として籍を置いている(…)大学のことなんだろうが、その院の授業でいよいよ修士論文の準備がはじまったという。

 修士論文執筆の準備として、中国語に翻訳されていない日本語書籍が必要だという。どうも部分訳かなにかをする必要があるらしい。それで日本語の書籍をどうすれば手に入れることができるだろうかというので、重慶のような大都市であれば外国語の書籍を扱っている巨大な書店もあるでしょうと受ける。そういうわけではなかった。本自体はネットで買うつもりだといった。その前にまずどんな本があるのか目星をつけたいのだという。なにかよいウェブサイトはないかというので、VPNがあるのであれば日本のAmazonかhontoでキーワードなり作家の名前なりを適当に打ちこんでいろいろ調べてみればどうかと受けた。
 出発前に花粉症の薬を飲んでおく。14時をいくらかまわったところで部屋を出る。自転車で南門を抜ける。ピドナ旧市街の入り口にある売店でミネラルウォーターを買う。外国語学院へ。14時半から一年生の日語会話(二)。第10課。ほぼ問題なし。序盤の反復練習をもうちょっと減らして(簡単すぎるので学生が退屈しかねない)、その代わりに後半の応用問題(お絵描きゲーム)を増やしたほうがよさそうだなとは思った(こちらはそこそこ歯応えがあるので学生たちは真剣だった)。
 休憩時間中に(…)くんが音楽を流してほしいといった。教卓にあるコンピューターで音楽アプリにアクセスすればいいという。先生の好きな日本の音楽を流してというので、灰野敬二Merzbowでも流してやろうかと思ったが、それもアレなので、とりあえずceroで検索をかけてみたところ、“大停電の夜に”のMVがヒットした。なので休憩時間中はそれを流した。授業後にはその(…)くんと(…)くんから焼肉にいきましょうと誘われた。なにかしらあるだろうなとは事前に予想していた。しかし明日は二年生の(…)さんと夕飯の約束があるし、今日また出かけるとなると先週に引き続き週末を日記に奪われることになりかねないので、ちょっと今日は先約があるのでと断った。だれ? だれ? というので、万能の言い訳「卒業生!」を召喚。
 教室をあとにする。(…)に立ち寄って食パンを三袋買う。寮にもどり、きのうづけの記事にとりかかる。17時半になったところで作業を中断し、第五食堂で打包する。往路、一年生の(…)さんと(…)さんにばったり遭遇。ふたりとも大量の果物の入った袋をさげている。近くの果物店で買った帰り道。ぶどうとマンゴーをひとつずつもらう。帰路は帰路で(…)と出くわす。ド派手といっていいブルーの上着に、ミニスカとタイツが一体化したようなのを履いていて、これずっと以前に(…)先生も似たようなものを履いていたなと思う。そのとき(…)先生が身につけていたのはド派手な花柄で、当時親しくしていた学生らのあいだでも(…)先生のファッションセンスを疑うような声がちらほらあったのだが、その(…)先生の姿を外国語学院の廊下ではじめて目にしたそのとき、こちらは現在(…)大学に留学して大学院生をしている(…)さんとそのクラスメイトらと談笑している最中だったのだが、廊下に立って中庭を見下ろしているその(…)先生の姿を遠巻きにながめながら、うわすげえ格好やな(苦笑)を小声で漏らしたところ、なにをおもったか(…)さんがあのいつも空気を読みそこねているクソでかい声で、先生どうしましたか? (…)先生をきれいだと思いますか? セクシーだと思いますか? と言い出し、(…)先生は(…)先生でその声をはっきり聞きとめていたのだと思う、ちょうどそのとき教室にもどろうとしていたはずなのにわざわざまた廊下に出てきて、あきらかにわれわれの視線を意識したようすで中庭を見下ろす物憂げなポーズをふたたびとりだして、それでこちらはげんなりしたのだった。(…)先生はあれほど学生らに嫌われているにもかかわらずそのことにまったく気づいていないどころかむしろじぶんは慕われていると勘違いしている節すらある人物で、だからあのときの誤解もいまだに誤解したままである可能性が高い、つまり、こちらが彼女に対して好印象を抱いていると勝手に思いこんでいる可能性が高い、そのことを考えるとまあまあイライラする。
 そんな話はどうでもいい。(…)は打包したメシの入ったビニール袋をさげているこちらを見て、じぶんも第五食堂ではそのareaのメシがいちばん好きだといった。つい先日、彼女の姿をたしかにそこで見かけたばかりなので、なるほどねと思った。
 帰宅。食す。それからきのうづけの記事の続き。(…)さんと(…)さんから微信。いま空いていますか、と。散歩の誘いだろうと思ってそうたずねると、「大切なことがあります」「サプライズ」とのこと。時刻はその時点でたしか19時をまわったばかりだったと思う。一年生の誘いも断っているのであるし、今日中にとにかく日記を片付けておきたい、しかし「大切なこと」である「サプライズ」を無理だと断るのもアレなので、20時半まで待ってくれとお願いする。
 それでカタカタカタカタ打鍵を続ける。無事書きあげて投稿する。ほどなくしてふたりから今からそちらに向かうと連絡がある。外に出る。寮の門前、ふだん(…)が腰かけているテーブルのそばに太った男のシルエットが浮かんでみえる。(…)かなと思ったが、近づいてみたところ、そうではなかった、黒人の留学生だった。なんでそんなところに突っ立っているんだろうと思いながら門に手をかける。鍵が閉まっている。普段は小石を門にかませて半開きのままにしているのだが、めずらしくその小石がどけられているせいでロックがかかっているのだ。それでカードを取り出してロックを解除する。すると後ろにひかえていた留学生もあとに続く。どうやらカードを持っていないせいで外に出られずにいたらしい。こういうことはときどきある。Where are you fromと問われたので、Japanと応じる。もしかしたら最近ここにやってきたばかりの人物なのかもしれない。学生じゃない、教師だよと続けると、あ、そうなのかという反応がある。なにを教えているのか、languageかというので、そうだと応じる。どっから来たんだとたずねかえすと、「ラヴィユア」みたいな返事がある。一瞬、ラトヴィアかと思ったが、うちの大学にいる留学生はほぼ全員アフリカ出身であるはずなので、たぶんアフリカにある一国なのだろうと考える。Nice meetingといって別れる。あとでネットで調べてみたが、アフリカでそれっぽい国名となると、リビアリベリアだろう。
 のちほど学生から教えてもらったのだが、明日は大学内で教師の資格試験が開催されるらしい。それで外部からの監査が入ったのかもしれない、しかるがゆえに普段は半開きのままあいまいにしておくゲートも今日はしっかり施錠されていたのかもしれないし、それでいえばこちらの自転車も今日は棟の入り口から植木のそばに勝手に移されていたのだが、あれもやっぱり監査のためだったのかもしれない。
 おもては小雨。女子寮に向けて歩いていく。ほどなくして相合傘して歩く(…)さんと(…)さんと遭遇する。(…)さんがポケットから取り出したものをこちらに渡す。小さなポラロイド写真の束——と思ったが、そうではなかった、スマホで撮影したわれわれの写真をポラロイド風に印刷したものだった。去年の誕生日、ふたりはこちらのためにアルバムをプレゼントしてくれたわけだが、そのアルバムに収蔵するための写真をわざわざ印刷してきてくれたらしい。印刷は大学の近くにある印刷屋でも可能だが、淘宝経由で依頼したほうが安いのでそっちでお願いしたとのこと。これはうれしいプレゼント。いまから先生の部屋に行っていいかという。じぶんたちの手でアルバムに収蔵したいのだ、と。
 寮にもどる。棟の入り口に達したところで(…)の娘さんに呼びとめられる。教師の部屋に出入りする人間はノートにサインするように、と。娘さんは室内にいたはずであるにもかかわらずふたりの訪問に気づいた、ということはやはりゲートに監視カメラがあるのだろうか? (…)さんから以前そんな話を聞いたおぼえがある。部屋が散らかっていたので、玄関の前でちょっとだけ待ってもらい、最低限の片付けだけすませる。招く。ソファに座らせてアルバムを渡す。写真を一枚一枚ながめる。ほとんどが三人で食事したときに店の前で撮影したもの。それ以外には、一緒にあちこち散歩した最中に撮影した写真や、ふたりがこちらの部屋で作ってくれた料理の写真、あるいは冬休み中にビデオ通話したときのスクショなどもある。写真の余白には日付がメモされており、裏面には日本語で簡単なメッセージが記されている。アルバムの保護シートみたいなのを剥がし、軽い粘着シートみたいになっているところに、手元の写真を日付順にペタペタと貼っていく。そうすると裏面のメッセージが読めなくなってしまうのだが、これはまあしかたない。写真をアルバムに貼りつけていく(…)さんの手つきにちょっと感動した。まったくといっていいほど迷いがないのだ。普通粘着シートに写真を貼りつけるとなると、事前にだいたいのあたりをつけたり、ある種の法則を先に設定しておくなどすると思うのだが、そういうのがまったくない、小学校低学年の姪っ子たちと同じくらい場当たり的にペタペタやっていく、それでいてずさんというわけでもない、力強さをこえた確信のようなものがみなぎるその手つきに、すごいな、ずっと見ていたいな、と思ったのだ。
 アルバムが完成したところで、結局、そのまま22時ごろまで部屋でおしゃべりすることになった。(…)さんが半年間日本に行くとなると、(…)さんはさびしいんではないかというと、そのあいだじぶんは公務員試験の勉強に集中するつもりだからさびしくないという返事。公務員試験を受けることはほかのクラスメイトには秘密にしておいてほしいというので、どうしてとたずねると、少しでも競争率を下げるためという返事があったので、クソ笑った。ひとりやふたり競争者が増えたところでどうにかなるような規模のアレでもないだろう、と。鹿児島にいる(…)さんが今日カレーとハンバーグの写真をモーメンツに投稿していたよと(…)さんに伝えると、わたしはカレーもハンバーグも好きじゃありませんという返事。めずらしい。ハンバーグはどうか知らんが、日式咖喱饭は中国でけっこう人気があるという印象があったので。きのうも確認したことであるが、(…)さん、(…)さん、(…)くん、(…)くんの四人は(二次面接に合格しさえすれば)そろって鹿児島行きになる。それも同じ旅館かホテルで働くことになるとのこと。(…)さんと(…)さんと(…)さんと(…)さんの四人はどうなるかまだ不明。(…)さんは仮にひとりで派遣されることになってもだいじょうぶだといった。わたしと(…)さんはとにかくお金を稼ぎたーい! という。(…)さんはそもそも大学院進学を目指していたのではないかというと、そんなようすはなかったという反応。(…)さん、勉強熱心であることを周囲に隠しているタイプであったし、そういう話はルームメイトにしていなかったのかもしれない。しかしこちらに対してはこれまで何度か日本の大学院に留学するためにはどうすればいいかと相談をよこしたことがある。インターンシップに参加するとなると、院試の準備をする時間もないと思うのだが。しかしいずれにせよ、こちらは(…)さんと(…)さんのふたりについてはあまり心配していない。日本語能力も高いし仕事もまじめに取り組むタイプであることは疑いないので(もちろん、ちゃんとした同僚に恵まれるだろうかという不安はある)。(…)さんに関してはシャイすぎるのが心配、(…)さんに関してはそもそもカタカナが読めるのかどうかすらわからん日本語能力が心配——そう伝えると、あのふたりは四人いっしょでない場合は参加を取りやめにする可能性があるという返事があった。そのほうがいいと思う。というか(…)さんなんて、そもそも彼氏と半年間もはなればなれになって平気なのかという話だ(あとで確認したところ、彼氏は彼氏でちかぢかオーストラリアに出向く予定らしい)。稼ぐのはいいけどお金には気をつけたほうがいいよと伝える。どうしてとふたりが不安そうな顔でいうので、帰国まぎわに漫画をスーツケース二つ分購入した(…)さんの例、仮面ライダーグッズを爆買いした(…)くんの例を伝える。(…)さんは漫画とカードキャプターさくらのフィギュアがほしいとのこと。(…)さんはおみやげに「ふじ」がほしいといった。りんご。
 ルームメイトたちが先生と一緒にご飯を食べたいと言っていますともふたりは言った。また8人そろって部屋に来られるのもちょっとなァと思っていると、外にある火鍋の店だというので、それだったらかまわないよと受ける。先学期、(…)四年生の男たちといっしょに食べにいった東北火鍋の食べ放題の店。あそこはけっこううまかったし、なによりも安かった。今週はちょっと忙しいので、来週にしてくれと伝える。先生今学期忙しいの? というので、先学期は大学が封鎖されていたりしたからその分学生からの誘いが例年より少なかったけど、今学期はけっこう頻繁にある、ただ全部対応していてはきりがないので二週間と三週間とか待ってもらっているんだよと受けたその流れで、先週コスプレ女子に声をかけられた件であったり、再来週一年生と新海誠の映画を観に行く約束になっていることであったりを伝える。ふたりはふたりでやはりこちらを映画に誘うつもりだったらしいが、これはすでに先約があるということで仕方なし。しかし『天空の城ラピュタ』が今年の6月だったかに中国で劇場公開されるらしく、それをいっしょに観に行こうとあった。了承。
 22時になったところで寮を出る。女子寮へ向かう。九州で働くことになるんだったら、わざわざ大阪や東京に行く必要はない、福岡に出かければいいよと話す。豚骨ラーメンをたくさん食えばいいというと、カレーもハンバーグも好きでない(…)さんだが豚骨ラーメンには興味があるとのこと。火山と地震の話にもなったので、かつて先輩たちがインターンシップで北海道をおとずれた数日後に道内で震度5かそこらのけっこう大きな地震が発生した、全員の安否を確かめるために連絡をとったのだが(…)くんだけ返事がなかった、昼過ぎになってようやく返信が届いたが、寝ていて地震に気づかなかった、じぶんは地震を体験する貴重な経験を逃してしまったと嘆いていたという話をした。ふたりともゲラゲラ笑っていた。
 女子寮前までふたりを送りとどけたところで寮にもどった。シャワーを浴び、ストレッチをし、きのうづけの記事を投稿。2022年3月10日づけの記事を読み返す。ロシアによるウクライナ侵攻開始まもないころ、后街にあるカフェをおとずれた日。

 時刻は13時だった。(…)をおとずれてみることにした。(…)さんが(…)のブログ的なページに対するリンクをモーメンツに投稿していたのを覚えているので、住所変更などないか確認するためにのぞいてみると、最新記事の冒頭に青い四角の絵文字と黄色い四角の絵文字が並べられていた。ウクライナ国旗の色だ。特に何か断り書きがされているわけではない。普通の宣伝記事の冒頭に、見るひとが見ればそれとわかるメッセージが、暗号のようにして置かれている。いるんだな、と思った。ロシアとプーチンを支持する人間が大多数を占めるこの国にも、ウクライナコロナウイルスの開発がされていたというあまりにもわかりやすいフェイクを流通させようとするロシアと、おもてむきはどうか知れないが裏ではまず間違いなくその言説を国内向けに流通させるに違いないCCPに対して、無言のままレジスタンスを続ける人間はいるのだ。コロナ以前にCCPのことをボロクソに言いまくっていたひとたちが集まっていたのはバーであったし、(…)はカフェであるし、レジスタンスというのはやはりそういう場所で発達するんだなと思った。バーやカフェというのは、なんというか、やっぱり絶対に必要なものなのだ。抵抗の前線であり、作戦本部でもあるのだ。

 ちなみに、この日は国際交流処の(…)から「これは全教員に対する通知であるとの断り書きに続けて、“Please do not use incomplete map of China in class, and do not discuss the political situation between Russia and Ukraine.”」という通知が送られてきている。
 2013年3月10日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。以下のくだり、そんなこともあったなァとなつかしさに笑った。

8時より12時間の奴隷労働。京都マラソン開催のため朝早くから夕刻までいたるところで道路封鎖。ゆえに客足少なし。勤務中はマラソン好きな(…)さんとテレビ中継をなんとなくながめていた。客は来ないしやることないしでしびれを切らした(…)さんが(…)さんの許可をもらって途中で職場を抜け出しゴール地点まで出かけたのだけれど、きのうとは打って変わっての極寒&強風に耐えかねてすぐに戻ってきた。中継カメラに映りこんでやるとの約束を反故にされたのでそのことを責めると、ゴール付近に地方アイドルだかミスなんとかだかわからないけれどべっぴんさんがたくさんいたものだから見とれてしまいそれどころじゃあなかったのだという弁明があり、ほんなら今度はぼくが行きますわといったところいくら客が少ないからってフロントの不在が通るわけねえだろということになって結局今度は(…)さんが出かけることになったのだけれど、とりあえず現場付近に到着したという(…)さんにどこどこのあたりの沿道で待機してくれ、さっきから何度も中継画面がそこのカメラに切り替わっているからそこにいさえすればいつかテレビに映りこむはずだ、と、そう指示したはいいもののすでに一着二着三着とランナーがゴールしはじめておりインタビューなどもはじまっていて、ああこれたぶんダメだわ、カメラ切り替わりそうにないわ、と若干諦めながらもうちょっと現場でねばっていてくれと(…)さんに伝えたのだけれど(…)さんはなぜかこの極寒のなかTシャツ一枚で外に出てしまっていて、ただそのTシャツにはいちおう職場のロゴがプリントされているのでちょっとした宣伝という意味もあったのかもしれないけれどもいずれにせよもう無理です、寒いです、退散しますと告げる電話が切られてしばらく、カメラがゴールした走者のインタビューから沿道で応援するひとびとの姿へと切り替わったところで、画面奥にむけて群衆の中を疲れきった背中でふらふらと歩く頭ひとつ飛び抜けて大きい後ろ姿がちっさく映り込んだものだから爆笑した。(…)さんが大興奮しながら電話をかけて、マネージャー! 映ってる! 後ろ姿! 後ろ姿が! とクソでかい声で叫びまくったそのときにはすでにカメラは沿道のひとびとを置き去りにしてふたたびゴール付近の様子に切り替えられたのだけれど、そこからまた一度だけ、ほんの五秒ほど沿道の風景に切り替わった瞬間があって、そこでもやっぱり群衆の中から頭ひとつ飛び出した茶色いツイストパーマの後頭部のふらふらしているのがのぞいたので(…)さんと一緒に手をたたいて爆笑した。さぶい!死ぬ!さぶい!と震えながら(…)さんが戻ってきたときには、さっきテレビ映ってたひとですよね? 光栄です! 握手してください! ヤフオクで流すためのサインください! などと歓迎した。たぶん今年に入っていちばん笑った。ワイもテレビに映りたい。

 あと、(…)さんの前科をはじめて知ったのもこの日らしかった。

(…)さんが若いころに敵対するヤクザをふたり刺し殺して十年間刑務所に入っていたということを知った。二十代の前半からぴったし十年間入っていたらしい。シャバに出てきてからはどうしてか組織にもどらなかったようだ。(…)さんがいうには当時の(…)さんの親分にあたるひとはその界隈では知らないひとなど絶対にいないビッグな御方なのだという。そんなひとのもとに「おつとめ」を果たして戻っていたらいまごろ相当名の売れた筋ものになっていだろうに、ともったいなさげに(…)さんは言っていた。

 夜は(…)とスカイプしている。発言すべてががっつり役割語で書き記されているが、これはたぶん翻訳調を意識していたんだろうな。いま読み返すと、普通にくどすぎてうんざりするが。「それから不意に真剣な表情になって、多くのことは約束できないわ、だから多くは語らない、でも今年の夏わたしは日本に行こうとどうにかしてみるつもりよ、と、そう彼女が告げたのはスカイプをはじめてものの十分も経たぬうちだったかもしれない。なんとなく、これはたぶん来ないなと思った」というくだりを読んで、ちょっと、うん? と思った。この当時、すでに夏休みを利用して京都をおとずれるとこちらに連絡をよこしたあとなのか? でもそれがまだ決定的ではない? 日記を読み返すに、こちらはまだ英語の勉強を開始しているようすはない。
 今日づけの記事もそのまま書きはじめた。が、時間が時間であったし、WPも尽きかけていたので、結局はやばやと中断。トーストを二枚食し、食したあとに懸垂し、プロテインを飲んだ。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックし、ベッドに移動。