20230314

 二〇〇六年五月一日、CCTV中国中央テレビ)の名司会者で、私の友人でもある崔永元(ツイ・ヨンユアン)は、撮影クルーと二十六名の職種の異なる人々を連れて、かつて中国共産党の紅軍がたどった長征のルートを歩き始めた。所有日数は二百五十日、行程は六千百余キロ。彼らは春夏秋冬の変化と風雨や降雪を経験し、雪山を越え草原を抜けて、ついに二〇〇七年一月七日、北京への帰還を果たした。
 崔永元は多くの楽しい思い出と多くのつらい思い出を持ち帰った。その後、同席する機会があり、彼は私にいくつかのエピソードを語ってくれた。
 その中の一つをここに再録しよう。二〇〇六年、ドイツのワールドカップサッカーの期間中、崔永元のミニ長征部隊は中国西南の某貧困地区に到着した。彼は急に妙案を思いつき、現地の小学生とサッカーの試合をしようと企てた。ベルリンの熱狂を再現するのは無理としても、僻地をワールドカップ歓喜で包むことはできるかもしれない。
 ところが、崔永元はすぐ二つの難題に出くわした。一つ目は、現地の県城(県政府の所在地)の商店でサッカーボールを売っていないこと。そこで彼は、二人の長征の「戦友」を州政府のある町まで車で行かせ、サッカーボールを買ってこさせた。続いて二つ目の難題、現地の小学生はサッカーの試合を見たことがなく、サッカーというスポーツの存在さえ聞いたことがなかった。
 崔永元は大きな草地を見つけた。そのあたりには、こういう草地がたくさんある。「長征」の撮影クルーの美術スタッフがゴールを作って草地に置いた。千人以上の現地の小学生が輪になって草地にすわり、崔永元のサッカー啓蒙教育が始まった。
 彼は教育をペナルティーキックのやり方から始め、真新しいボールをゴールから十二ヤードの地点に置いた。そこで、おもむろに彼らのカメラマンが登場する。「長征」部隊で、いちばんキック力がある男だ。
 このカメラマンはレフェリーと観客のいないサッカーに慣れていたため、初めて千人以上の注視を浴びて、内心緊張していた。助走のときはまだプロ選手のような様子を見せていたが、キックを高くはずした瞬間、アマチュアの地金をさらけ出してしまった。ボールは高射砲から放たれた銃弾のように、ゴールを越えて虹のような放物線を空中に描き、着地後も勢いよく弾んで、最後は牛糞の山に飛び込んだ。
 カメラマンは恥ずかしそうに下を向いたまま、小走りで牛糞の山までボールを取りに行った。近くの水たまりでボールについた牛糞を洗い落とし、再びボールをペナルティーキックの位置に置いた。
 続いて、崔永元は小学生たちを並ばせ、ペナルティーキックの練習をさせた。その後、忘れられない場面が出現した。小学生はみなキックをしたあと、ボールを追いかけて行く。そして動きが止まったボールを拾い上げ、水たまりできれいに洗ってから、元の位置に戻した。彼らはボールを洗うのがサッカーのルールだと思ったのだ。
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 11時前起床。歯磨きと身支度をすませて第五食堂で打包。食し、午後の授業に備えて直前準備。途中、(…)さんに微信を送る。荷物をひと箱いまだに送ることができずにいる件について、(…)が今学期まとめて入国する外国人教師らの手続きに忙殺されている可能性があるからまだ少し時間を要するかもしれないというと、全然急いでいないのでかまわないという返事。というか(…)さん自身、やはりもう一度中国に戻ろうかどうか迷っている最中らしい。コロナ後の再入国をとりやめるきっかけになった年下の彼女との関係もどうやらあまりかんばしくないらしく、日本での転職活動がうまくいかないようであれば、もう一度大陸に渡るのもアリかなと考えているという。その場合、彼女とそろって入国することになるのか単独で入国することになるのかは不明とのこと。
 自転車で外国語学院へ。二階にいたる階段に足をかけたところで、(…)! と(…)から呼びかけられる。ちょうどこちらが授業を担当する教室の真下に位置する教室で(…)は英語学科の授業を担当しており、それでこちらの姿を見かけて呼びとめた格好。そのまま少々立ち話。これからspeakingとwritingの授業だよといったのち、そっちはどうなのとたずねると、gameをする予定だという。だからちょっとさわがしくなるかもしれないというので、かまわないよと受ける。gameはいいよね、盛りあがるし、うまくルールを設定すれば学生らの勉強にもなるし、みたいな立ち話をしているわれわれのわきを、日本語学科の学生らが複数通りぬけていく。みんなこちらが英語を話しているようすにちょっとぎょっとしているふうだった。
 教室へ。授業がはじまる前から最前列の(…)さんと少々おしゃべり。14時半から日語会話(二)。今日は「(…)」。練習と称して、あらかじめ用意しておいた窮地のシチュエーション三つを紹介し、嘘で弁明せよという即興の課題を与えて口頭発表させてみたが、これはやはりまだちょっとむずかしいようす。一年前はこれも実際に紙に書かせたのだが、そこまですることはない、口頭でも十分だろうと見越しての今回、しかし十分ではなかった。一年後はアレだな、先輩らの面白回答というていで、穴埋めクイズ式でさまざまなバリエーションの嘘を紹介するという形式にしたほうが良さそう。導入は30分で終える。残る一時間で作文。そのあいだこちらはEverything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読んだり、はやく書き終えた学生の作文を添削したりして過ごす。階下の教室からときどきゲームで盛りあがる英語学科の学生らの歓声が聞こえてくる。
 休憩をはさんで、16時半からおなじ教室おなじ学生を相手に日語会話(三)。第22課。うまくいった。しかし例によってアクティビティをする時間が足りなかった。この課では二種類の文型をとりあつかっているのだが、一種類だけでいい、服装の描写に特化した課としてやったほうがはるかにいいなと学生の反応を見て思った。グループごとに16種類のさまざまな服装を着た人物の写真から一枚を選び、おたがいに順番に質問しあってほかのグループがどの人物であるのかを推理するというアクティビティの反応はかなりよかったので(事前にシミュレーションしてルールを詰めておいたのがよかった)、そういう意味でももったいなかった、前半で基礎練習をすませて後半をまるごとアクティビティに当てるべきだった。まあ、でも、反応はよかったのでよしとする。先週の失敗はとりもどせたかな。
 授業を終える。教室を出る。自転車に乗ったところで、「(…)せんせー!」と呼びかけられる。そんなふうにこちらを呼ぶのは(…)さんしかいない。リュックサックにバドミントンのラケットを二本ぶっさしている。英語学科の後輩といっしょにちょっとだけバドミントンをしていたという。
 第三食堂に向かう。第五食堂のおかずはこの時間ほぼ売り切れになっているが、第三食堂のおかずはけっこう残っていることが多い。そういうわけでひさびさにのりこんでみたわけだが、おかずを複数選んで米といっしょに発泡スチロールっぽい素材のパックに詰めてもらう店はけっこう混雑していたし、おかずも全部辛そうだったので、ハンバーガー売り場のほうにいくことにする。(…)さんがいる。そういえば、彼女は第三食堂のハンバーガーが好きなのだった。海老のハンバーガーを三つ注文する。第四食堂のほうは一個8元であるが、こちらは一個10元する。しかし第四食堂のものと違って全然辛くない。(…)さんはポテトとジュースとハンバーガーのセットを買っていた。
 せっかくなので売店でコーラも買って寮にもどる。三年生の(…)さんからN1の過去問題に関する質問が届いていたので解説の返信を送る。去年はコロナのせいで受験できなかった、今年こそは受験するぞと意気込んでいるようす。彼女はめちゃくちゃ熱心に勉強しているし、まずまちがいなく合格すると思う。
 四年生の(…)くんからも微信が届いている。夜、時間があれば電話しませんか、と。HONDAの面接結果がどうなったか、まあ連絡がなかったということはダメだったんだろうが、そのあたりのことも話したいのだろうと察して了承すると、じつはいま大学にもどってきているのだという。それだったらメシでも一緒に行けばよかったなと思ったが、すでにこちらは狂ったアメ公のようにハンバーガーを三つコーラで流しこんでいる最中だったので、およそ一時間後、20時ごろに落ち合って散歩しようと約束する。
 さらに(…)さんから微信が届く。海老のハンバーガーはおいしいですか、と。おいしいけど一個10元はちょっと高いなと応じる。(…)先生がスピーチコンテストの出場者全員に食事をおごると約束するだけしていまだにおごってくれないというので、きみいっつもそのことで文句言ってんなと受ける。(…)先生とは別にぼくからもごちそうしてあげるよ、(…)さんと相談してなにを食べたいか考えておきなさいと伝える。
 さらにさらに、きのうに引き続き、卒業生であり未成年ハンターである(…)さんからまた微信が届く。N1を受験しようと考えているという。しかしすでに日本語を使わなくなってひさしいし、文法も大部分は忘れてしまっているし、なにをどこから勉強すればいいかわからないというので、いちど学習したことは復習すればすぐに思い出すことができる、それからもし本気で勉強するつもりならテキストは一冊にしぼってそれを何度も何度も反復練習しなさいと助言する。

 20時過ぎに(…)くんと寮の前で落ち合う。(…)くん、やはりスーツだった。HONDAの面接にはやはり落ちたとのこと。運動チックが原因だったかもしれないという。オンライン面接の際に、どうしてそんなに首が斜めに傾いているのかと指摘されたらしい。その後TOYOTAを受けたが、そちらは書類専攻で弾かれたとのこと。
 瑞幸咖啡でまずコーヒーを打包する((…)くんの分もおごってやる)。昨日だったか一昨日だったか、運転免許の筆記試験があったのか、それにも落ちてしまい、母親からめちゃくちゃキレられたと(…)くんはいった。死ねとかなんとかそういう言葉遣いで猛烈にののしられまくったというので、離婚した父親との関係は最悪だったが、その後一緒に暮らしはじめた母親(再婚済み)との関係は良好なはずではなかったかと思ったが(実際、彼が子どものように甘えた声を出して母と電話している場面をこちらは何度も目撃している)、母親はかなり短気なところがあるという。さらに免許の筆記試験の費用が一回につき3000元ほどかかるらしく、それもあってブチギレたっぽい(田舎でパートしている母にしてみれば、3000元というのはかなりの金額、下手をすれば一ヶ月分の給料にひとしいのではないか?)。
 店を出る。コーヒーをちびちびしながらジョギング中の学生らにまじってグラウンドを半周し、自習を終えて寮にもどる学生らの大群に逆行するかたちで地下道を抜け、外国語学院のほうに向かう(見納めになるかもしれないからね、と)。仕事はやはり日本語を使うものがいいと(…)くんはいった。あとは週休二日を希望すると。(…)で日本語を使う仕事となるとAmazonにろくでもないブツを出品しまくるあの手の仕事くらいしかない。給料もよくないし、ノルマもあるし、休みも多くないというので、きみくらい能力のある人間があんな仕事をするのはもったいない、都市部でもっと真正面から日本語を使う仕事をしたほうがいいというと、それでいえば先生こそなぜうちのような大学で長く働いているのかわからない、一流大学からヘッドハンティングされたこともあるのにというので、引越しするのがめんどうなんだよと受けつつ、ぼくのことはどうでもよいと流して話をもとに戻すと、いまは翻訳か通訳の仕事にしぼって探しているが、それで見つからないようだったらいずれ営業職なども含めて探してみるつもりだという返答。しかしいまは院試を終えたばかりであるし、免許の試験もあるし卒論もあるしでいそがしいから、就職活動はいったんおやすみしてちょっとゆっくりするつもりだという。実際、今日はひさしぶりにアニメをみていたというので、なんというアニメ? とたずねると、『不滅のあなたへ』という返事。タイトルだけどこかで見聞きしたおぼえがある。
 老校区の北門から新校区に南門へ。(…)くんとおなじく(…)大学を受験した(…)の(…)くんについて、院試後連絡がないということは彼もやはりダメだったんだろうねという話になる。(…)くんもインターンシップで日本に渡っているはずなのだが、彼はモーメンツに日頃投稿することがほぼないので、いまどこでどうしているのかよくわからない。中国でコロナが流行しはじめた当初、日本政府が中国からの入国者に対して水際対策強化と称してPCR検査を義務付けたが、それに対する対抗措置として中国政府がいきなりビザの発行を停止したというめちゃくちゃな一件が去年だったか今年のあたまだったかにあったが、あれについて(…)くんは中国政府があたまがおかしいと批判した。
 第四食堂のそばにあるほうではない、別のグラウンドに入り、そこも一周する。(…)先生がオンラインで講演みたいなことをするみたいですねというので、あのコンクールの作文もじつはぼくが添削しているんだよなというと、(…)くんは笑った。(…)さんの文章は実際マジで相当ひどい。書き慣れていないというレベルではなく、文法の誤りがいたるところにあるのだ。学生よりもひどいと思うことすらある。そこから(…)先生の話にも当然なる。あんなひどい人間なかなか見たことがないとブーブー不満を垂れると、これは秘密の話ですと前置きしたのち、(…)先生は日本語学科のほとんど全教員と揉めていると(…)くんが笑いながら言うので、いやそりゃそうでしょ! あの人間性で揉めないわけがないわ! となった。
 小雨が降りだした。雷鳴もごろごろしはじめる。目の前の夜空を稲妻が走った。(…)くんは稲妻を見るのが初めてだという。強く降りだすかもしれないので、ぼちぼち寮に引き返すことに。なにかの拍子に(…)くんが和歌山に行ってみたいといった。理由は不明。『サマータイムレンダ』の舞台が和歌山でしょうというと、そのアニメの影響で中国のオタクのなかで和歌山の認知度が上昇したみたいなことを(…)くんはいった。和歌山といえば(…)さんがかつてインターンシップで半年間滞在した地だ。
 こちらの寮の門前で別れる。(…)くん、今後10日間ほど大学に滞在する予定だという。ということはおそらくあと一度か二度、メシを食うなり散歩するなりすることになるだろう。部屋にもどる。二年生の(…)さんから微信が届いている。明日二年生を対象としたインターンシップの説明会があるという。七月から三ヶ月間のコースだというので、それだったら院試の準備にもまったく差し支えがないし、興味があるのだったら行ってみたらいいと背中を押す。旅館やホテルでの仕事は辛いでしょうか、先生はそういう仕事をしたことがありますかというので、ぼくはホテルで五年間ほど働いていたことがあるけど、きみたちがインターンシップで働くことになるホテルとは全然タイプが違うと受ける。どう違うのかというので、ラブホテルについてざっと説明したのち、じぶんが勤めていたホテルは母体がヤクザだったし同僚もそういうひとたちばかりだったと伝える。鹿児島の温泉旅館にいる(…)さんがちょうどモーメンツに、同僚のおばちゃんが休日にもかかわらずわざわざ大量のお菓子と漫画を差し入れに持ってきてくれて感動した! みたいな投稿をしていたので、そのスクショを送る。先輩たちはけっこう楽しんでいるようだよ、と(こちらも彼女のこの投稿を見てちょっとほっとした、意地悪ババアの魔窟と化しているような職場ではないようだ!)。(…)さんはインターンシップに参加する気満々の模様。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。2022年3月14日づけの記事を読み返す。それから2013年3月14日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。執筆に際して、「部屋の照明を落とす。この部屋には窓がひとつもない。しかし玄関の硝子戸越しにさしこむ光はある。それを洗濯物で遮る。それからデスク付近のスタンドライトをひとつだけ点け、ココナッツの香を焚き、ヘッドフォンを装着してからテキストファイルに向う。目を閉じ、じぶんの中の深夜を呼び寄せる」とあるのを見て、そういえばそんなふうにセッティングを重視していた時期もあったなと思い出す。「目を閉じ、じぶんの中の深夜を呼び寄せる」というフレーズはちょっといい。
 過去のブログ記事に対する言及もある。以下のくだりを読みながら、10年前の記事を読み返すというルーティンを導入しはじめた10年後のいまとほとんど変わらんことしとるやんけと思った。

帰宅後ふと思い立って古いブログ記事の整理にとりかかる。こことはもうひとつ別に非公開のブログをもっていてそちらにブログでない日記をつけていたり読んだ本観た映画聴いたCDの記録をつけていたり過去のブログ記事をまとめて収納していたりするのだけれど、2008年以前に書いたブログ記事をまだそちらに移行していなかったことを思い出したため、過去をかえりみるというアレもかねてこれから毎日ちょっとずつ埃をかぶった手元のテキストファイルから記事をひとつずつコピペして総本山ブログにデータを移行していくことにきめた。手元に残っているいちばん古い記事で2006年11月7日、これは文面から察するにおそらく「(…)」というタイトルで開始したFC2ブログの記事第一号だと思うのだけれど、本当はこれ以前にもgooでブログを書いていて、それは人生初のブログだったのだけれど日記ではなく小説や詩ばかりを書いてアップしていて、要するにすべてはそこから始まったのだった(しかし残念なことにデータはいっさい残っていない)。(…)2006年というと7年前。20歳だか21歳だかのころの話である。

 その2006年当時について「この当時ってまだYouTubeってそれほど一般的でなかったというか「外国のウェブサイト感」がけっこう半端なかったしすごく重かったような気もする。ニコニコ動画とかもたぶんまだなかったんでないか(あるいはYouTubeにアップされている動画をそのまま流用していた時期だったんでないか)」という記述もあり、そういえばそうだったなと思った。そして当然のことであるが、この当時、現在こちらが日本語を教えている学生の大半は赤子であった! しかしその事実よりも、当時の記事を書いているじぶんが、ほかでもない学生たちとほぼ同年齢であるという事実のほうが、こちらをよりはるかな気持ちにさせる! 信じられん! 37年も生きると、時間とはこんなふうに、それだけで啓示や神秘にひとしいものとして感じられるようになるのか!
 今日づけの記事にとりかかる。中断して懸垂。プロテインを飲み、トースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックしてから寝床に移動。時刻は2時前であったが、週末でもないのに上の部屋にやってきたババアが例によって大声でしゃべりちらかすのが聞こえてきたので、うるせえ! とひさしぶりに巻き舌で怒鳴りつけてやった。静かになった。そのまま一生静かにしとれ。地蔵を見習え。来世は石になれ。千年単位で世の中傍観しとれカス。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読んで就寝。