20230315

 今日、中国には投資可能な資産を一千万元以上持っている大金持ちが、すでに数十万人いる。二〇〇九年のフーゲワーフ(中国名は胡潤、イギリスのジャーナリスト)の調査によると、中国では資産一千万元以上の富豪の数がすでに八十二万五千人に達した。この数字の中には、資産一億元以上の富豪が五万一千人含まれている。フーゲワーフの調査によれば、中国の富豪の年平均消費額は二百万元だという。
 これと大きな格差をなすのは、二〇〇六年時点で、年収六百元以下の貧困層の人口が三千万人いるということだ。もし年収八百元以下まで含めれば、一億人に達してしまう。二〇〇九年時点ではどうだろう? 私はまだ数値を手に入れていない。
 二〇〇九年二月、私はバンクーバーのUBC(ブリティッシュコロンビア大学)で講演をした。二〇〇六年の時点で、中国には年収八百元以下の貧困層が一億人いると聞いて、一人の中国人留学生が立ち上がって言った。「金銭は幸福を量る唯一の基準ではありません」
 この言葉は私を震撼させた。それが一個人の声ではなく、今日の中国で多数の声となっているからだ。彼らはますます繁栄する中国の現状にどっぷり浸り、いまだに一億を超える人たちが想像を絶する貧困の中で暮らしていることに関心を示さない。思うに、我々の本当の悲劇はここにあるのだろう。貧困や飢餓の存在を無視するのは、貧困や飢餓そのものよりも恐ろしい。
 私はその中国人留学生にこう答えた。「我々が論じているのは幸福の基準ではなく、普遍的な社会問題だ。あなたがもし年収八百元以下の人なら、その発言は尊敬されるだろう。でも、あなたは違う」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 10時半起床。歯磨きをすませて朝昼兼用の食事を第五食堂で打包。食後は阳台に移動し、きのうづけの記事の続き。作業中は『The End of Legal Fiction" Live at Jz Brat』(濱瀬元彦 E.L.F Ensemble & 菊地成孔)と『#NOTES OF FORESTRY』(濱瀬元彦)を流す。濱瀬元彦という名前、どっかで見たなと思いながらApple Musicで音源をダウンロードして流していたのだが、Wikipediaの記事を見て思い出した、菊地成孔のたぶん『アフロ・ディズニー』かなにかでその特異な音楽理論が言及されていた音楽家だ。あれを読んだのはもう十年以上前になると思うのだが、ようやくその音源に触れることができたわけか。
 作業の途中、二年生の(…)さんから微信。彼女も七月開始のインターンシップに参加したいと考えているとのこと。しかし口語能力に自信がない、発音に自信がないので最初は日本人と話すのがはずかしいと思うという。なぜうちの学生はできる人間ほど自信がないのか? (…)さん、さすがに四年生の(…)くんや(…)くんほどではないが、それでも彼らふたりに次ぐ三番手くらいの会話能力はあるだろうに。とりあえずほめ殺ししておく。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回する。2022年3月15日づけの記事の読み返し。当時はまだ身近なところで感染者が出ていたわけではないが、すでに封校措置がとられていたようす。

 授業が終わると同時に入れ替わりで三年生が入ってきた。(…)くんが教壇にやってきてホームルームのために10分ほど時間が欲しいというので了承。先週同様、窓際の最前列の席にねそべってスマホをいじくっていると、(…)さんが教壇にたってPPTでスライドを展開しながら与えられた原稿を朗読しはじめた。コロナ対策に関するもの。学生らは当然だれひとりとして耳を傾けていない。こちらもねそべり続けていたのだが、じきに教室で大きな笑いが生じた。なんだと思ってふりかえると、教壇に女性教諭がひとり立っており、苦笑しながらこちらのほうを見ていた。コロナ対策担当の先生らしい。さすがに教師の話だけあって、学生らはさっきよりはいくらか真剣に耳を傾けていた。大学を出ることはできない、当然快递に荷物を引き取りにいくこともできない、出前も大学の中まで運んでもらうことはできない——だいたいそんな感じ。措置がいつまで続くかは不明。さらに実習という名の遠足も(…)市内で行うことになったという(これは(…)先生より直接そのような通知があったらしい)。

 それから昨日いっしょに散歩した(…)くんに対する苦言。外教に対する独占欲の強いを学生をどう取り扱うか、これはやっぱりむずかしい問題なんだよなァ。

 10分近くはやく切りあげた。今日もスーツだった(…)くんが——最高気温30度の日にどうしてシャツ+ネクタイ+ジャケットなのか?——例によってこちらの秘書か何かのようについてくるわけだが、彼がこちらのそばを離れようとしないのはこのクラスにとってやっぱり良くないよなとちょっと思った。(…)さんにしても(…)さんにしてもやっぱりそうだったわけだが、クラスで浮いている学生はきまってこちらに接近する。しかしその浮き方にも良い浮き方と悪い浮き方があり、(…)さんの浮き方にはさほど問題を感じなかった。しかし(…)さんや(…)くんの浮き方は完全に悪い浮き方であって、共通するのは、ほかのクラスメイトを完全に見下していること、そしてそのことをクラスメイトたちのほうでも十中八九感じていること。しかるがゆえにそんな人物がこちらにべったりくっついていると、他の学生は滅多なことでこちらに寄りつこうとはしなくなる、その必要がある場合でも常に日本語能力が高くじぶんのことを見下している人間の監視の目が光っているなかで発語を強いられることになるわけで、そういうのは端的に不愉快だろう。
 そんな(…)くんとの帰路も決して愉快なものではない。N1試験もコロナのせいで受験できない学生がたくさん出てくるだろうというと、そもそもうちのクラスの学生は誰も受からないと無下につっぱねてみせるその口ぶりがどうしたって往年の(…)さんとかぶる。話をしていて疲れる。他人の悪口ばかり聞かされるのは全然面白くない。いや、他人の悪口というものはセンスの良いやつが口にすると、めちゃくちゃおもしろいものなのだが(たとえば、こちらと(…)が一緒になって他人の悪口をいうとき、そこにはある種の文学的感動すらある!)。センスのない悪口ほどつまらないものはない。

 (…)の口にする悪口について、「ある種の文学的感動すらある」とおおげさに書いているが、このくだりを読んで最初に思い出したのは、高校生の頃、柔道部に所属していた(…)という男子学生——身長が160センチあるかないかの小柄な男なのだが、柔道のみならず合気道もたしなんでおり、趣味が筋トレで実はめちゃくちゃムキムキ、そして顔がものすごくデカくて、野球部でもないにもかかわらず夏も冬も万年坊主頭——がいたのだが、その男の姿を廊下で見かけるたびに(…)はくっくっくっと肩を揺らしながら、あいつさ、ポケモンイシツブテに似てねえ? 顔がそのまま歩いとるみたいやわ! と言ったものだった——という、この悪口は全然文学的でないし、さらにいえば、当の(…)もその(…)とほとんどまったくおなじ体型、つまり、背が極端に低く、そのわりに骨格ががっしりしているという体型の持ち主だった。
 あと、いまちょうどWBCをやっているので、関連ニュースの見出しなど見るたびに思い出すのだが、第1回大会はたしかこちらが円町のあばら屋の二階に住んでいたとき、すなわち、(…)がまだ(…)さんと結婚しておらず、新婚夫婦+こちらの三人暮らしではなく二人暮らしだったころに開催されたものと記憶している。ちょうど(…)と(…)がそれぞれ大阪と名古屋から遊びに来ていた日で、いっしょにあばら屋の二階でたたみの上に腹這いになって視聴した記憶がはっきりと残っているのだが、腹這いになって見たというのはテレビがなかったからで、いや正確にいえばDVDで映画を鑑賞するためのテレビはあったのだが、当時住んでいたあばら家のテレビのアンテナ? ケーブル? がねずみにかじられていたので、テレビは映らなかったのだ、だからこちらの携帯だったか(…)の携帯だったかのワンセグで試合を視聴したのだった。(…)は元野球部で野球好きだった。こちらと(…)は野球なんてさっぱりだったが、とりあえず(…)の希望で三人そろって観戦していたところ、こちらでもぎりぎり顔と名前が一致する数少ない選手だった小笠原が打席に立った。小笠原の顔と名前が一致したのは野球選手としてはめずらしくひげをたくわえていたからなのだが、そのとき(…)が、見とれよ、こいつ三振するとぜったいピッチャーにらみながら打席去るからな、と言った。そして実際、その通りになったのだが、そのいかにも敗北者然としたメンチの切り方がたいそうおもしろかったので、その打席以降、小笠原が画面に映るたびに、「こいつ三振するたびにヒゲが3センチのびるぞ」とか「こいつデッドボール受けると口髭と顎髭が入れ替わるぞ」とか言い合ったものだった。当時われわれのあいだでは、相手のボケがつまらないと感じた場合、突然真顔になってシリアスな口調で「え?」と問い返すのが流行っていた(さらにいえば、その「え?」に抗議する「え?」もあり、そういう場合は第三者である人物——この場合は(…)——に判定をもとめる「え?」をそろって向けることになる)。だから小笠原が打席に立つたびに会話はだいたい混沌とした様相をていし、具体的にいえば、「こいつがホームラン打つたびにチームメイトのヒゲが濃くなるぞ」「こいつ四球で塁に出るたびに相手キャッチャーの陰毛が濃くなるぞ」「え?」「こいつスイング一回するたびにヒゲが一本増えるぞ」「え?」「え?」「え?」「こいつのバットの芯、これまで剃ったヒゲがねりこんであるぞ」「こいつヘルメットかぶっとるようにみえるけどあれヒゲやしな」「え?」「こいつ今日の試合前、入院しとるファンの子どもに今日の試合中にヒゲ剃るって約束しとったぞ」「こいつむしろヒゲが本体やぞ」「え?」「こいつ試合前に審判に賄賂として脱毛クリームおくっとったらしいぞ」「こいつのヒゲの全長、打席立つたびに毎回相手国の首都にちょうど届く長さに変化するらしいぞ」「え?「え?」「え?」みたいな感じだった。われわれのそうしたやりとりがよほど面白かったのだろう、もともとは特急に乗って夕方までに名古屋にもどるつもりだった(…)は(バイトに行かなければならなかったのだ)、こうした時間を共有するためにわざわざその場で大枚をはたいて新幹線のチケットを買った。「こいつ打席立つたびに名古屋行きの新幹線のチケット一枚売れるぞ」「え?」「え?」「え?」

 2013年3月15日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。2007年2月から同年3月にかけての記事を読み返し、その中からめぼしい自動筆記や夢日記などを一部引用している。さすがに15年以上経ったいま読み返してもおもしろいと思えるものはほとんどないが、「世界は常に正直者だがぼくらの解釈はことごとくへそ曲がりだ」(2007年3月20日づけの記事)という一節だけはちょっとだけ印象に残った。このころは一人称複数で語ることにそれほど抵抗がなかったのかな。
 15時から授業準備。明日と明後日にひかえている日語会話(二)の準備。第10課と第12課の資料をまとめて詰める。資料の印刷を含めて17時過ぎにすべて片付いたが、マジで冬休み中に準備を進めておいてよかったなとしみじみ思う。していなかったら、いまごろ死んでいた。
 第五食堂で打包。寮の門前でたばこを吸っていた管理人の(…)から今日はなにを買ってきたんだとたずねられたので、很多肉! と答えて手にさげているメシをみせる。帰宅して食す。20分の仮眠。(…)一年生の(…)くんから猫の写真が送られてくる。キャンパスで見かけたらしい。二年生の(…)さんからは日本での一ヶ月の食費はいくらくらいですかという質問が届く。自炊するか外食するかでまず全然違う。そもそもこちらは京都時代、下宿先の人間のエコフードや職場の客のエコフードを食ったり、大家さんからランダムで差し入れされる早朝6時の迷惑カレーを食っていたり、あるいは職場に送られてくるサンプルの冷食を独占して食ったりしていたわけだから、平均的な食費といわれてもぜんぜんよくわからん。とはいえ(…)さんが気にしているのはきっとインターンシップ中のことだと思うので、勤め先の旅館なりホテルなりから食事は無料で提供されるはずだよと答えた。
 浴室でシャワーを浴びる。ストレッチして、コーヒーを淹れて、「実弾(仮)」第四稿執筆。21時半から0時半まで。シーン18をいちおうあたまからケツまで通して確認したが、うーんと悩むところがまだまだ多い。ひとまず(…)の内面描写はあらかた削った。シーン18をまるごと消去するのも正直アリだと思うのだが、そうすると時代背景をしるしづけるけっこう重要な記述を削ってしまうことになるので、その場合くだんの記述だけよそに移動させる必要がある。しかしそうすると、継ぎ目の調整がまたむずかしくなってくるんだよなァ。悩ましい。
 腹筋を酷使し、プロテインを飲んでトースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェック。そのまま今日づけの記事も途中まで書く。3時前になったところで作業を中断し、寝床に移動する。母親からLINEが届いていることに気づく。去年に引き続き(…)のところのご夫妻から(…)の誕生日をいただいた、と。無添加の鹿肉ジャーキー。(…)はトイプードルにもかかわらずとうとう体重が8.7キロに達したらしい。デカすぎ!
 それにしても、明日はまたバスに乗って(…)に向かうわけだが、いくらなんでも一週間経つのがはやすぎないかと思う。一週間ってこんなにもはやいのか? こんなにもあっさりとめぐるものなのか? と。キエー! なんちゅう凡庸な所感! なんちゅう凡庸な文字列や! 南無三宝