20230319

 そのころ、私がいちばん羨ましく思ったのは、十歳ほど年上の人たちだった。彼らは一九六六年十月に始まった紅衛兵の全国「経験交流」に間に合った。当時は学校が革命のため授業停止となり、紅衛兵文化大革命の経験を持ち寄って相互交流を図るという名目で、あちこちへ遠出した。全国各地に紅衛兵接待所ができて、経験交流の紅衛兵をもてなしてくれた。紅衛兵の食事と宿泊の面倒を見るし、交通費も支給する。さらに、必要な物資と輸送用の車両の手配もした。我々の町の紅衛兵は、ポケットに小銭しかなくても、公印を押した経験交流の紹介状さえ持っていれば、全国どこへでも行くことができた。汽車に乗るときも、旅館に泊まるときも、食事をするときも、費用はかからない。のちに自身の紅衛兵時代の経験交流を語るとき、彼らはみな顔を輝かせた。
 これも夏の夜の美しい思い出である。彼らのうちの一人は、私の同級生の兄で、農村に移住し、つらい生活を送っていた。二か月に一回、五、六時間歩いて、住んでいる村から我々の町に帰ってくる。実家で数日を過ごしたあと、また五、六時間歩いて、電灯がなく石油ランプがあるだけの農家に戻って行った。彼が夏に帰ってくると、我々子供たちの夏休みも始まるのだ。
 夕涼みのとき、彼は籐椅子にすわって足を組み、扇を揺らす。我々十数人の子供たちは地べたにすわり、崇拝の表情を浮かべていた。彼は美しい思い出に浸りながら、経験交流のことを語った。彼らは赤旗を高く掲げ、紅衛兵の腕章をつけ、隊列を組んで颯爽と我々の町を出て行ったのだった。
 彼らは一千キロの道のりを歩き、毛沢東の故郷・湖南省の韶山を詣でるつもりだった。そのあと、また一千キロの道のりを歩き、毛沢東の最初の革命根拠地・江西省の井岡山を目指す。しかし、彼らは一日で歩き疲れ、手を振ってトラックを止め、百キロ先の上海へ出た。上海で十日ほど遊んでからは、汽車で北京へ行った。北京でも遊んだあと、二手に分かれ、一団は汽車で青島へ、一団は南下して武漢へ……こうして彼らの部隊は分割をくり返し、同級生の兄は最終的に一人だけの部隊となった。彼は広州へ行き、東北の瀋陽から来た紅衛兵たちと合流し、瓊州海峡を渡って海南島へ向かった……半年後、この経験交流の部隊の散り散りになった紅衛兵たちは、一人また一人と別々の場所から我々の町に帰ってきた。お互いに別れたあとの行動を尋ね合ったところ、湖南省の韶山と江西省の井岡山に行った者はいなかった。彼らが行ったのはみな大都市や有名な景勝地で、革命という名目を利用して、各自の一生で最長の物見遊山の旅を楽しんだのだ。
 私の同級生の兄は、いつも話の最後に、感慨を込めてこう付け加えた。「祖国の美しい山河が、いまも目に焼き付いているよ」
(余華/飯塚容・訳『ほんとうの中国の話をしよう』)



 正午過ぎ起床。腐れ大寝坊。今日もまた寒い。雨も降っている。クソだるい。海老のハンバーガーが食べたかったが、雨降りの中、第四食堂ないし第三食堂まで移動するのもうっとうしいので、第五食堂の炒面をひさしぶりに打包することに。顔なじみのおっちゃんとおばちゃんに注文。注文をすませたあとは、ほかの学生らに混じって厨房のそばに適当に突っ立って控える(こちらはいつもそのあいだ書見する)。注文したものができあがったあと、おっちゃんないしはおばちゃんがその旨を大きな声で伝える——通常は完成したメシの名前を大声で口にする——のだが、こちらにたいしてだけはメシの名前ではなく中国語訛りのHello! で呼びかけるのが毎回恒例になっている。中国語訛りのhelloはけっこうかわいいと聞くたびに思う。日本語訛りのカタカナのハローは平坦であるが、中国語訛りのhelloは拼音で表記するならばおそらくhe1lou2みたいな感じで抑揚がかなりあり、ちょっと幼い子どものような印象を受ける。(…)くんもキャンパス内で友人とすれちがうとき、よくこの中国語訛りのhelloを口にしていた。
 帰宅。食す。コーヒーを用意してきのうづけの記事の続きを書く。作業中はふとその名前を思い出したMoodymannをひさしぶりに流すことに。『Black Mahogani』と『Taken Away』。Moodymannを知ったのは(…)さんのブログがきっかけだった。“Runaway”のMVかなにかが記事に埋め込まれているのをクリックしてきいて、うわ! これはいいな! となり、すぐに図書館でCDを借りたのだ。あの当時はまだ(…)さんと直接コンタクトをとったことはなかった。だから(…)さんがじぶんのブログを読んでいることもまったく知らなかった。ブログはそういう距離感がいいよな。Twitterとかnoteはフォローとかフォロワーとかそういうのがすぐにわかってしまうのが邪魔くさい。ブログは一戸建て、SNSは寮。重複をおそれず何度だっておなじことを書いてやるが、こちらはネット上でのコミュニケーションというやつがいまいちよくわからん。対面でのコミュニケーションに関しては(好きかどうかは別として)不得意ではまったくないし、人見知りからはむしろほど遠い性格であると思うのだが、ネット上で、顔も素性もよくわからん相手にいきなりカジュアルに接するようなひとたち、ああいうのを見ると、は? マジで? いきなりその距離感なの? と思う。たぶん日本人はどちらかといえばネット弁慶であるというタイプの人のほうが多いんだろうが、じぶんはそれでいうとまったく逆だ、Twitterで知らんひとにいきなり話しかけるとか、あるいはマッチングアプリみたいなもんでもいいのかもしれんが、目の前におらん人間といきなり親しげにやりとりを交わす、ああいうの絶対できんわとつねづね思う。クソ田舎のヤンキー社会で育ったせいで、見知らぬ他人と接触する前にはまずそいつのバックがどうなっているか(どんな族ないしは先輩がついているのか、ヤクザの気配は見え隠れするか)について探りを入れなければならない、そうしないと命取りになってしまうみたいな警戒心の内面化されたものが、マイルドにかたちを変えつつもいまなお残存しているんではないかと考えてみたこともあるが、真相は知れん。ヤンキー漫画を読むたびにこのヤンキーたちはフィクションだなと思う。ヤンキーの世界ほど政治的なもんはない。だれが相手でも突っかかっていくような狂犬じみたやつなんてほぼいない(まったくいないとはいわない、中学のころの(…)や(…)のような例もあるので)。
 きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回。2022年3月19日づけの記事の読み返し。

ストレッチしたのち、着替えて第五食堂へ。入り口にあらたなスローガンが掲げられていた。ネット通販をあまりしないようにしましょう、出前をあまりとらないようにしましょう、そうして健康を保ちましょう、みたいなもの。中国政府はたびたび海外から輸入した冷凍食品が感染のきっかけだったと主張している。地方政府は地方政府でほかの省から取り寄せたものが感染のきっかけだったと主張することがある。ほんまけ? と思わないでもない。ありえない話では全然ないのだが、そうでないケースもそういうケースと報告することで、どうにか責任逃れをしようとしているのではないか? 日本のようにお偉いさんがまったく責任をとろうとしないのもクソだが、中国のように感染がちょっと拡大しただけですぐにお偉いさんのクビが飛ぶのも(最近だったらたしか吉林市の市長の首が飛んだはず)、武漢がかつてそうだったわけだが、ひとを隠蔽に駆り立てるという意味でやはりクソなのではないか。

 以下は2021年3月19日づけの記事からの孫引き。

 詳しくみていこう。ひとは、疎外と分離という二つの契機を経てはじめて神経症者として構造化される。疎外とは、シニフィアンの構造(=大他者)の導入によって、人間が原初的な享楽を失い、この消失のなかで主体が姿が現すことを指す。その結果、ひとは原初的な享楽から遠ざけられ、快原理(=シニフィアンのシステム)に従属するようになる。すると、もともとあったと想定される原初的な享楽は、快原理にとって受け入れることができないほどの過剰な快、快原理の安定したシステムを撹乱する致死的な快であることになる(…)。
 しかし、疎外において導入された大他者は、一貫した大他者(A)ではなく、それ自身のうちにひとつの欠如を抱え込んだ非一貫的な大他者(/A)である。その大他者の欠如を埋めるために、ひとはかつて失った原初的な享楽を部分的に代理する対象aを抽出し、それを大他者に差し出す。この過程を分離と呼ぶが、この分離によって、ひとは大他者に内在する欠陥(/A)を認めながらも、その欠陥を対象aで覆い隠して見えないようにする(/A+a=A)二重の態度を両立させた汎フェティシズム的な態度(自我分裂)に到達する。こうして、対象aを媒介とすることによって、享楽から適切な距離を保つことを可能にするファンタスム(/S◇a)が形成されるのである。反対に、精神病では分離は成功しておらず、対象aが抽出されていない。それゆえ、精神病では享楽から適切な距離を保つためのバリア機能(◇)であるファンタスムが働かず、致死的な享楽に無媒介にさらされることになる(…)。
 このことを臨床的な水準でみてみよう。神経症では、享楽は局在化され、制御されている。例えば、神経症者は、幼児期の出来事を想起する代わりに身体の上に症状を表現し、その症状のなかに密かな楽しみや苦痛を織り込んでいる。このときに働くのが、ファンタスムである。ファンタスムは、神経症者を原初的な享楽から遠ざけると同時に、対象aの回路によって、その享楽のわずかな一部分を神経症者に獲得させることを可能にしている。
松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』 p.59-60)

  • 疎外について、「ひとは原初的な享楽から遠ざけられ、快原理(=シニフィアンのシステム)に従属するようになる」というのを読んだとき、享楽=無意味と読む筋もあるのかとひらめいた。シニフィアンのシステムに従属する前(象徴界に参入する前)、つまり、主体が主体として生まれる前には意味もクソもないわけなのだから、原初的な享楽というのは、無意味なものということになる。で、その筋で対象aとファンタスムの関係をあらためて考えてみると、「ファンタスムは、神経症者を原初的な享楽から遠ざけると同時に、対象aの回路によって、その享楽のわずかな一部分を神経症者に獲得させることを可能にしている」という箇所など、まさしくロラン・バルト蓮實重彦の路線ではないかということに気づく。つまり、原初的な享楽(無意味)を遠ざけると同時に、対象aの回路(意味に回収できない出来事のあらわれ/虚構の制度性の暴露)によって、その享楽(無意味)のわずかな一部分を神経症者(作家/読者)に獲得させることを可能にしている(そしてそれがときには「深淵」や「革命可能性」として感じられる)というわけだ。
  • 享楽と無意味を結びつける考えは70年代以降のラカン-ミレールにも即している。それこそ、この記事の冒頭に引いてある「症状は、たしかに象徴的な側面を含んでおり、ある部分では暗号化されたメッセージをもってはいる。しかし、他方では症状は、それ自体では意味をもたない享楽の側面をもっているのである。そこにはひとつの現実界が、意味の外側にある何ものかが、非合理で無構造的な何ものかが存在する。これこそが、ラカンが話存在 parlêtre と呼ぶことによって完成させたものである」という箇所をみればいい。
  • 主体は疎外によって意味の世界に参入することになる。しかしその意味の世界には根拠がない(「ひとつの欠如を抱えこんだ非一貫的な大他者」)。これもまた無意味である(主体と大他者はともにひとつの欠如=無意味を抱えこんでいる)。この無意味に(偽物の/みせかけの)根拠を与えるのが分離である。これについては以前記事に書いた。

(…)「大他者の欠如」をこの世界そのものの意味の不在(ヘーゲル的な世界精神の不在/神の死)と理解すればいいのだ。すると、その欠如(不在)を埋め立てる主体のふるまいとは、世界に意味を与えるということになるだろう(ここで物語やイデオロギーが生じる)。疎外によって生きる導きともいうべき特異的な享楽を失ってしまった主体は、その欠如を補うべく世界に意味を与え、その意味を導きとして非単独者(一般者)として生きる。これが神経症的主体を生み出す分離というわけだ。ものすごく簡単にいえば、(自体性愛的かつ特異的な)生きる意味をもたない主体が、それ自体意味をもたない世界にかりそめの意味を与え/見出し/仮設し、その意味をみずからの(対象愛的かつ一般的な)生きる意味として引き受けるということだ。

  • ひとが「かつて失った原初的な享楽を部分的に代理する対象a」を大他者に差し出すことで、大他者は(偽物の/みせかけの)の根拠/一貫性を得ることになる。無意味な世界にそのようにして意味が生まれる。ひとがそのひとに特異的な享楽——それはしかし無意味なものである——と象徴界に参入後も関係を有するための媒介としてある対象aを、この世界(大他者)に結びつけることで生じる物語が、ファンタスムである。わたしはこのような享楽を享楽したい。しかしそこに意味はない。世界はこのようにある。しかしそこに意味はない。そこでわたしはわたしの享楽の無意味と世界の無意味を重ね合わせる。わたしの享楽とかかわりのあるかたちで世界に意味を与え、そうすることでまたわたしの享楽もその世界のなかで意味を与えられる。無意味と無意味をかけあわせることで意味を捏造する。それがファンタスム=物語である。

 2013年3月19日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。記事の大半が映画や(…)の小論文の感想で占められており、生活の記述が一切ない。10年前の時点ではまだ金井美恵子的な芸術から風俗への転換がおとずれていないようだ。やっぱり(…)来日以降なのか? あるいは『A』出版以降?

 今日づけの記事をここまで書く。それから翌週の日語基礎写作(二)にそなえて「(…)」の教案チェック。一年前に完成させた教案なのでおおむね問題なし。解説の必要なポイントについて、リスニングの苦手な学生のためにあらかじめ文章にしておいたものをスクリーンに映し、それを読みあげるという方法を一年前はとっていたのだが、それはそれで間延びしがちであると反省した記憶が残っていたので、解説の半分はスクリーン(文章)、半分は口頭でやってみることに決めた。そのために資料を一時間ほどかけて微調整。ついでに日語会話(二)の第23課も軽くチェック。
 第五食堂で打包。棟の入り口で(…)とばったり遭遇する。(…)はたしか中国系カナダ人。だから外見はふつうに中国におじさんという感じで、それゆえこちらは最初いつもの癖で你好とあいさつしたのだったが、直後、うん? となって立ち止まり、あー! となったのだった。それで英語に切り替えて軽く立ち話。向こうは向こうでこちらのことをおぼえていたようす(あごひげが特徴的だったのでおぼえていたという)。ずっと中国にいたのかというので、一年半くらい前にもどってきたと応じる。そっちはいつもどってきたのかとたずねかえすと、just a few days agoという返事。奥さんもやってくる。(…)から聞いたよ、(…)でうちを買ったんでしょうというと、あっちのほうにねと指差してみせる。やっと入居できると奥さんも笑っていう。ほかの外教も今後続々ともどってくるとのこと。再会できてうれしいよと伝えて別れる。
 メシ食う。ウォーターサーバーが水漏れしていることに気づく。ボトルを挿しなおしてみたり、電源を切ってみたりしたが、特に意味なし。ボトルとサーバー本体の継ぎ目のあたりからゆっくり水が漏れてくるようなのだが、ボトルの問題なのかサーバー本体の問題なのかちょっとよくわからん。ひとまずボトルを外す。あたらしいボトルを注文してセットし、それでも水漏れするようであればサーバー本体のほうの問題ということになるので(十中八九そうだろうが)、そうなったら(…)にまた連絡しないといけない。
 Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読む。“Parker’s Back”を読み終わる。これも良い短編。はじめて翻訳で読んだときからけっこう好きだ。
 先週にひきつづき、今日も夜はスタバで過ごすことにする。日曜の夜はカフェだ。週に一回はやっぱりそういう時間が必要だ。自転車のタイヤの空気をいれてから出発。(…)のそばの(…)で食パン三袋を買ってからスタバへ。美式咖啡の大杯を注文。30元。クソ高い。日曜の夜は客も少ないし店内も静かで過ごしやすい。『二〇二〇年フェイスブック生存記録』(中原昌也)をひたすら読む。途中、フロアの掃除をはじめたスタッフが、こちらが着席しているテーブルの下にモップをつっこみたいから足をどけてほしいと言ったり、テーブルの上をふきんで拭きたいからコーヒーやスマホをどけてほしいと言ったりしてきたのだが、これ日本だったら考えられないよなと思った。営業中に掃除するのはいいとして、客のいる席およびその周辺はふつうその客が去ってから別でやるでしょう、と。
 22時前に店を出る。小便を猛烈にしたかったが、わざと便所には行かず、漏らさず無事寮まで帰宅することができるかのチキンレースをする。まあまあ危なかったわ! 帰宅後も『二〇二〇年フェイスブック生存記録』の続き。そのまま最後まで読む。『作業日誌』同様、固有名詞の乱れ打ち。映画を観なくなってひさしいのでその分アレだが、気になるミュージシャンや作家の名前はすべてメモしておく。2021年版も買って読もう。
 浴室でシャワーを浴びる。その最中、ふと中国語を勉強しようと思った。なぜいまさら? なぜこのタイミングで? わからん。急にそう思ったのだ。「実弾(仮)」をリリースしてからでいいんでないかと思ったが、それをいえばそもそも『S』をリリースしたタイミングで勉強を開始するはずだった、けれどもそうはならなかった——というか「S」をまだ脱稿していないタイミングで「実弾(仮)」を書きはじめてしまったのだったし、執筆をきりよく中断できるそんなタイミングが今後おとずれるようにも全然おもえないので、思い立ったが吉日の謂でいくしかない。

 今日づけの記事の続きを書く。これからは日記もどんどん簡略化する。この点も10年前のじぶんに学ぶのだ。腹筋を酷使し、プロテインを飲んでトースト二枚を食し、ジャンプ+の更新をチェックする。VPNの接続がやや不安定。
 中国語のテキストをチェック。上海での隔離期間中にちびちびやっていた『Why? にこたえるはじめての中国語の文法書』はちょうど折り返し地点の第19課あたりまで進めた痕跡があったが、文法メインの一冊であるし、反復練習なしに先に進めてもあまり効率的ではないだろうというアレから、こいつはいったんこのまま放置。『本気で学ぶ中国語』のほうは第19課あたりまですすめた痕跡がある。これははじめて中国をおとずれる前、実家に居候していた時期にやったものであるから、かれこれ五年ぶり? に開いたテキストということになる。どうせやるんだったらまた最初からやったほうがいいんだろうが、いやでもまた発音の基礎からやるのはなァと思いながらペラ見していたところ、第16課以降が「実践応用編」というくくりになっていたので、じゃあここから再開しようと決めた。それで第16課を無理のない回数リピーティング&シャドーイング。執筆と同様、最低でも二日に一度は取り組む時間を設けたい。
 やるべきことやって寝床に移動。Everything That Rises Must Converge(Flannery O’Connor)の続きを読んで、就の寝!