20230328

 ラカンは、患者の存在への情熱を満足させようとする——それは同一化をとおして満足されうる——よりはむしろ、分析主体を自らの“manque-à-être”(存在の欠如、存在しそこなうこと、存在への憧れ)に出会わせようとする。分析家は、分析主体に対して、〈他者〉におけるシニフィアンの不在との出会いをもたらすよう努めるべきである。〈他者〉におけるシニフィアンの不在、それは、分析主体を庇護し、その実在を正当化できる〈他者〉、すなわち分析主体がそこにいる理由とその目的が何かを言うことのできる〈他者〉が与えるシニフィアンが不在であるということだ。これは欲望のグラフにおけるS(/A)の位置に対応する。
 欲望のグラフは、これら二つのアプローチを別の空間として描きだす。同一化は自らの存在欠如をめぐる問いを避ける方法である。もし分析家ないし指導者に同一化するなら(…)、自らに対して困難な問いかけをしなくてもすむ。自らの存在は決して問題にならず、自らの存在をめぐる問いはすでに答えられている。コレット・ソレルが「存在への関係:行為という分析家の場所」で論じているように、ラカンは他人の自我とのそうした同一化を、存在の災難 malheur de l’être として言及している(…)。誰かと同一化することは災難である。というのも、自らの存在の欠如と取り組み、これを超えていくことから自分を遠ざけることになるからである。そうすれば、その分析家と同じ不十分さや欠陥が私に残されてしまう。それこそ災難ではないか!
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』)



 11時半起床。なにかしら印象的な夢をみたはずだったがおぼえていない。第五食堂で炒面を打包する。食後のコーヒーを飲みながら午後の授業で使用する資料を再チェックし、きのうづけの記事の続きを書く。卒業生の(…)くんから微信。日本向けの商品の説明書きだのなんだのを日本語で作成するという仕事を続けているようなのだが、いまバリカンのキャッチコピーみたいなものを五・七・五で考えたので見てくれ、と。「髪の毛に 恐ろしいもの ザバリカン」。評価しようのない代物。先生は有名になりたいですかと続いたので、なりたくないよと応じると、残念そうな絵文字を送ってみせる。どうしたのかとたずねると、会社がこの商品のイメージキャラクターに日本人モデルを採用したがっているみたいなことをいうので、アホと応じる。
 時間になったところで寮をあとにする。敷地内で(…)に出くわす。ちょっと遅刻気味だといいながら電動スクーターのほうに向かう彼に、先に行ってるよと告げてケッタに乗り、キャンパスをぶっとばす。ピドナ旧市街入り口の売店でミネラルウォーターを買う。スクーターで先着している(…)と外国語学院でふたたび遭遇する。たばこを吸っているので、やめたんじゃなかったのとたずねると、知り合いにもらったとかなんとかごにょごにょいう。うまく聞き取れなかったが、去年だったか先学期だったか、それまでは禁煙に成功していたらしい。
 教室へ。まさかの一番乗り。ほどなくして(…)さんがやってきたので、相棒の(…)さんの具合はどうだとたずねる。足の骨折、まだまだ治るまで時間がかかりそうとのこと。(…)さんがやってくる。モーメンツに『すずめの戸締まり』を観たと投稿していたのをおぼえていたので、あれの序盤で出てきたのがきみが七月から行くことになる九州の方言だよと伝える。彼女からはのちほど、休憩時間中、草太のとなえていた「かしこみかしこみ」というのはなんなのかとたずねられたので、神道祝詞について軽く説明した。
 14時半から日語基礎写作(二)。「(…)」の続き。一個上のクラスよりも全体的に理解力の高いクラスであるので、去年おなじ授業をしたときよりもずっとはやく、かなりギアをあげてあれこれ説明してみたのだが、それでも上のほうの子たちは十分ついてきていた。それでふと思ったのだが、アレか、二年生がとくべつ優秀なわけではなく、コロナ禍に巻き込まれたせいでわれわれ外教の授業も半分以上がオンラインだった三年生のレベルが相対的に低かった——低くならざるをえなかった——だけか。スピードをあげすぎたせいで時間があまってしまった、日本にある迷信を穴埋めクイズ方式で紹介する予備のネタもわりとぽんぽん正解が出てしまった、それで15分か20分あまったその時間で中国の迷信を紹介してくださいとぶんなげてみたところ、けっこうみんな積極的にあれこれ教えてくれておもしろかった。子どもが火遊びすると寝小便をするとか、じぶんの名前を赤いペンで書いてはいけないとか、夜口笛を吹くと蛇が来るとか、日本と同じもの——というよりもともと中国にあったものが日本に伝わったかたちだろうが——のほか、これは大連出身の(…)さんが言っていたものでほかの省の学生たちはみんな知らないと言っていたが、箸をもし落としてしまったらじぶんより年長の人間に体をこづいてもらわなければならないというのがあった。しかしなによりも笑ったのは、これは中国全土に伝わるアレらしいのだが、正月に髪を切ると母の弟(叔父)が死ぬというもので、ひさしぶりにドツボにハマって教壇でゲラゲラ笑い続けてしまった。叔父そんな理由で死ぬとかかわいそすぎやろ! あと、これは(…)先生から以前きいたものだが、鳥の足首を食うと字が下手になるというのもあったし、あ、あとアレだ、梨をふたつに割って食ったふたりは別れるというものもあった。これは「梨」と「離」の中国語読みがどちらもli2であるところに由来しているらしい。
 休憩時間中はその流れで(…)さんからいろいろおもしろい話をきいた。中国の東北地方ではイタチ信仰が残っているらしい。日本にもイヅナとか管狐とかあるけれども、あれもやっぱり大陸由来だったりするのだろうか? (…)さんはスマホで現在も中国の田舎にのこっているイタチ信仰の神棚みたいなものを見せてくれた。日本の神棚にくらべるとずっと質素なもので、壁にお札のようなものが貼りつけてあり、その壁から垂直に突き出ている台の上に水か酒の入ったおちょこのようなものが置かれているだけだったが、むかしであればおそらく米や花もそなえられていただろうとのこと。さらに(…)さんのたしか祖父の体験談だったと思うが、祖父から見て曽祖母にあたる人物だったかが、日本でいうイタコみたいなことをしていたらしく、ふだんは煙草を吸わない彼女であるが、儀式の準備をしてイタチの霊をおろすやいなや煙草を吸いはじめ、そのまま祖父の将来をあれこれ予言したり、あるいは熱の下がらない近所の子どもに処すべき措置を指示したりしていたらしい。めちゃくちゃおもしろい。しかし(…)さん、ホラー映画が大好きだったり日本の民俗学や妖怪にやたらと興味をもっていたりするわけだが、なるほど、そういうバックボーンがあったわけねと納得した。そっち方面の研究を将来すればいいのに。
 16時半から同じメンツで日語会話(三)。第25課。内容をめちゃくちゃ削ったつもりだったのだが、やってみたらちょうどいいボリュームだったので、やっぱり文型はひとつかふたつにしぼって学習(というより基礎日本語の復習)、あとはひたすらアクティビティでちょうどいいくらいなのだなと思った。アクティビティをしたところで時間はあまるだろうし、そのあまった時間で中間課題の「食レポ」の説明でもしようと思っていたのだが、そんな時間は全然なし! この分だと課題の説明もけっこう時間がかかりそうであるし、来週は一コマまるまる使って課題の説明&下準備でいいかもしれない。しかし今日の授業は盛りあがったのでほっとした。日語会話(三)、いまのところ失敗→成功→失敗→成功みたいな感じできている。ちなみに、(…)さんは今日もまた絶望的に退屈そうな表情を浮かべていたが、それでも先週よりはまだいくらかマシで、フリートークの際にはみずから発言してみせる場面もあったし、なにより休憩時間中にわざわざ边牧の(…)の写真をこちらに見せにやってきた。先週、両親のところにもどって(…)に会いに行っていたという。(…)、片目が限りなく透明に近いブルーだった。
 満足した気分で授業を終える。自転車を停めてあるところにいくと、またしても(…)と遭遇する。しばらく立ち話をする。午後ふたつめの授業について、16時20分開始の18時終了じゃないのかというので、先学期コロナの影響かなにかで16時30分開始の18時終了に変更になったはず、学生にたずねてみたところ今学期も同じだといっていたが、日本語学科と英語学科ではもしかしたら違うのかもしれないと受けた。そうしたやりとりを続けるわれわれのそばを(…)くんが彼女といっしょに通りがかった。先生、英語上手だね! とにやにやしながらいうので、アホ! と応じる。あのふたりいつもデートしてるんだよと(…)にいうと、彼女は英語学科の学生だ、知っている、と(…)はいった。
 (…)と別れる。ケッタをぶっとばして第五食堂へ。食堂前の人混みでHello! という声がきこえたので、英語のあいさつということはじぶんに対する呼びかけに違いないと思って声のするほうにふりかえると、電動スクーターにのった(…)だった。好久不见了と中国語で応じる。
 打包して帰宅。食す。仮眠をとろうかなと思ったが、最近微妙に寝る時間が遅くなってきているので、いちどたてなおすかというわけでそのまま浴室でシャワーを浴びる。あがってストレッチし、コーヒーを二杯たてつづけにガブ飲みしながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、2022年3月28日づけの記事を読み返す。

國分 フーコーが晩年、古代ギリシアにあった「自己への配慮」というのを論じますよね。アガンベンはこの議論について、いい線まで行っているんだけど、フーコーは肝心なところで使用の関係を摑み損ねているために、自己の使用として語られるべきであった問題を、自分で自分をどう支配するかという問題にすり替えてしまっていると指摘するんですね。
 具体的にはフーコーも論じたプラトンの『アルキビアデス』という対話篇を引いています。対話の中でソクラテスは「使う者と使われる物は違いますよね」と言う。たとえば靴職人がナイフを使って皮を切るとき、ナイフと靴職人は別である。だから、使用関係において、使う者と使われる物は区別されねばならない。でも面白いことに、そこで話をやめておけばいいのに、ソクラテスがさらに議論を進めて、「しかし、靴職人は自分の手や目も使うのではないかね」と言うんだよ(笑)。そうすると「あれ?」となっちゃう。
千葉 ソクラテス、半端ないですね(笑)。
國分 プラトンがそこで「ここには支配関係と違う、使用関係がある」と気づいていたら、違う哲学史が始まったかもしれない。あらかじめ存在している主体が何かを使うのではなくて、使用の中で主体化が行われるという哲学が生まれたかもしれない。でも、プラトンはなんとしてでも使う者と使われる物は違うという図式を維持しようとするから、人間においては魂が身体を使っているのだ、魂が使う者であり、身体が使われる物なのだというわれわれのよく知る図式がそこに出てきてしまう。つまり、魂が身体を支配する関係で人間を考えてしまうわけです。
 僕は哲学史において、この時こそ中動態の論理が抑圧された瞬間ではないかと思うんです。『中動態の世界』の中で、「中動態を抑圧することで哲学ができあがった」というデリダの言葉を紹介しているけれど、使用を支配に還元したこの瞬間こそ、プラトニズムが誕生した瞬間ではないかとすら思う。
國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)

 その後、2013年3月28日づけの記事も読み返す。『赤塚不二夫トリビュート 四十二才の春だから』に対する言及があり、うわ! なつかしッ! これけっこういいアルバムだったよなと思ったが、サブスクにはやっぱり対応していない。記事によれば、「このアルバムは参加してる面子が何気にけっこうツボだったりする(HALCALI電気グルーヴ×スチャダラパーランキン・タクシー×why sheep?、EYE with KABAMIX、HAIR STYLISTICSECD矢野顕子……)」とのこと。ランキン・タクシー×why sheep?の「逃げろ!ウナギイヌ!」とかすごくよくって、(…)で(…)になりながらよくきいたものだった、なつかしいなァとおもって検索をかけてみたが、やっぱどこにもアップロードされていない。why sheep? の音源だけでもと思ったが、Apple Musicでは『In Yer Third Ear』というオムニバスが二枚ヒットするのみ。
 作業中、三年生の(…)さんから微信。以前授業中に配布した「卒業生への手紙(2019年)」をもう一度読みたいので送ってくれないかという。了承。ついでに2021年と2022年のものも送る。しかしなんでまた突然? とたずねてみたところ、「私もう21歳ですね、青春の多いことは知りたいです。煩わしいことに対応した解決策と人生の正確な態度も知りたいです。」との返事。(…)さんとも今学期中にいちどサシでメシに行っておいたほうがよさそう。たぶんいろいろこちらに相談したいことがあるのだと思う。彼女が外国人であるこちらとサシでやりとりする緊張感に耐えられるかどうかは不明だが。

 今日づけの記事もここまで書く。23時過ぎから『本気で学ぶ中国語』。きりのよいところまで進めて中断し、懸垂をしてプロテインを飲み、トースト二枚の夜食をとってジャンプ+の更新をチェック。歯磨きをし、語学を再開し、1時になったところでベッドに移動。My Oedipus Complex and Other Stories(Frank O’Connor)の続きを読み進めるも、どうもやっぱりおもしろいと思えなかったので、Kindleに入っている洋書をいろいろにペラ見する。Miranda JulyのThe First Bad Manが目につき、そういやこんなもんあったな、全然内容おぼえとらんわ、と思いながら冒頭をちょっと読む。Frank O’Connorにくらべるとずっと読みやすい。しかし結局、Katherine Mansfieldを再読することに。最後に再読してからもう数年になるはずであるし、ここらでいっちょう、全著作をまとめて読み直しておこうかな、と。
 そういえば、ひとつ書き忘れていたのだが、今日の授業中、学生らと手相占いをするひとときがあったのだが、おどろいたことに! ますかけ線の持ち主がクラスにふたりもいた! (…)さんと(…)さん。これまで本物のますかけ線の持ち主なんて一度も見たことなかったのだが、まさかたった32人のクラスにふたりもいるとは!