20230409

 第3章でフォルト - ダーの二項論理について議論した際に見たとおり、母の不在は、象徴化されるまでは無なのであって、まだ「喪失」ではない。不在は、それに名が与えられるまでは何らかの物事として理解されすらしない。母の不在に名を与えるにせよ、ペニスの不在に名を与えるにせよ、言語はまさしく名を与え意味を生じさせるプロセスそのものによって、不在の重圧を軽減する力を発揮する。不在に名を与えるとき、言語はそれを、語られうる何ものかとして、すなわち私たちのディスクール界に実在する何ものかとして存在に持ち来たらす。これによって不在にともなうやっかいな負荷を流し去るのである。欠如や不在が象徴化されるときにはいつでも、ひとつの正量化が必ず起こっている。発話のなかでシニフィアンを使用する私たちの能力は、不在に打ち勝ち、喪失を正のものへと止揚するのだ。
 ラカンによれば、ファルスとはまさにこうしたアウフヘーベンの象徴であり、言語が実行する喪失の止揚あるいは正量化の象徴である(…)。ラカンの用語法においてファルスは、まさにこのプロセスと力の名前である。あるいは、1970年代に彼が述べていた言葉で言えば、「ファルスが表示するものとは、意味作用の力[puissance]である」(…)。ファルスは、シニフィエを存在へともたらすシニフィアンの力を指し示す。つまり、シニフィアンの創造的な力である(シニフィエはいつもすでにそこにあるとはかぎらず、象徴化されるのを待っている)。「ファルスの意味作用」で述べられているように「[ファルスは]意味の効果を全体として指し示すためのシニフィアンである」(…)。この意味において、この論文のタイトル(「ファルスの意味作用(…)」)を「意味作用としてのファルス」と理解することができるだろう。というのも、ラカンにおけるファルスとは、意味作用そのもののシニフィアンであるからだ。つまり、シニフィアンが物事を意味する仕方のシニフィアンなのである。ラカン自身、後になってこの論文のタイトル(…)はひとつの冗語表現だとして、こう述べている。「言語のうちにはファルス以外の意味 Bedeutung はない」のであり、「言語はたったひとつの意味 Bedeutung によってそれが構成されているという事実から、その構造を引きだしているのである」(…)。
 このように、ラカンはファルスを、シニフィアンすべての集合のうちに含まれないシニフィアンとして概念化している。ファルスとはひとつの例外、他のものとは似ていないひとつのシニフィアンである。この意味で、ラカンの仕事のこの段階では、ファルスは本質的にS(/A)と等しいもの見なされる。というのも、S(/A)とは、すべてのシニフィアンの集合としての〈他者〉に含まれていないもののシニフィアンだからである。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』)



 10時半ごろに自然と目が覚めた。11時ごろまで寝床でぐずぐずし続けた。起きあがり、歯磨きしながらニュースをチェックし、顔を洗って身支度を整える。二年生の(…)さんから「私の母と父の兄あるいは姉、私は家族と呼ぶのはいいですか」「親戚でもいいですか」という質問が届いていたので、叔父・伯父・叔母・伯母はふつう親戚と呼ぶ、ただしおなじうちに一緒に住んでいるのであれば家族と呼ぶのも不自然ではないと思うと返信。
 外に出る。快晴。最高気温は25度。薄手のヒートテックにジャージ風のブルゾンをはおって出たが、それでもちょっと蒸し暑いくらい。寮の入り口で(…)と(…)とばったりでくわす。今日の(…)はおとなしく、こちらの姿を見てもキャンキャン吠えない。たぶんこれから散歩に出かけるところなのだろう。(…)は半袖一枚だったが、腹がまんまるに突き出ていたので、もうちょっとダイエットしたほうがいいんじゃないのと思った。いい天気だね、ちょっと暑いね、と軽く立ち話して別れる。第五食堂で打包。学生らの服装もバラバラ。半袖一枚の男子学生もいれば、冬物のパーカーを着ている女子学生もいる。日傘もちらほら。
 帰宅して食す。きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。途中、(…)先生から微信の友達申請が届く。警戒する。すぐに了承すれば、その流れでいっしょにメシでもいきませんか? 前回の埋め合わせをします! みたいになりかねないので、いったんそのまま放置。ウェブ各所を巡回し、2022年4月9日づけの記事を読み返す。当時一年生だった(…)さん、(…)さん、(…)さん、(…)さんといっしょに封校中のキャンパスを散歩した夜のことが記録されている。読み返しながらなんとなく思ったのだが、ゼロコロナ政策のまっただなか、厳格な封校措置のとられている中国のキャンパスライフのようすを、こうして日本語で記録している文章なんて、もしかしたらじぶんが書き残したもの以外に存在していないのではないか? いや、さすがにそんなこともないか。あと、よく考えたらこのときはまだそれほど厳格でもない、学生は大学の外に出ることが許されていなかったものの、教職員はまだ自由であったころだ。「そういえば、(…)さんが昼間モーメンツに(…)大学の封校が解除されたと投稿していた。最近学生らも封校に対する愚痴や不満をけっこう頻繁にモーメンツに投稿していたりするし、この夜など(…)先生まで(…)の一件を引用して遠回しに(…)市の対応を批判していた」という記録も残っていることであるし、この当時はまだそれほど危機感みたいなものはなかった。いよいよこの田舎もやばくなってきたぞと感じはじめたのは秋以降だったはず。

 学生でにぎわうグラウンドのほうにいった。小さな女の子の歌声がマイクを介して聞こえてきた。野外でカラオケ大会をしているらしい。芝生の上に小さなテーブルが置かれている。テーブルの上にたぶんマイクやスマホが置かれている。その前に小さな子供の人影がある。近くには司会係らしい学生二人の姿があり、それらをやや遠巻きに、扇型に広がる格好で芝生に直接尻餅をついて腰かけている人影が、ところどころスマホの液晶画面に照らされて点在している。芝生の向こうには、ナイターの野球場みたいな照明に照らされたさらに明るい芝生の一画がずっと向こうまでのびており、そのなかには無数の学生がいてそれぞれ好き勝手している。
 芝生の周囲にはジョギング用のトラックがめぐらされている。そのトラックを三人で雑談しながら歩いた。(…)さんは口語にまったく不自由しない。例によって『名探偵コナン』が大好きだという。(…)さんは部分的に聞き取りできているかなという感じ。明るい芝生の上ではバドミントンをしている学生が多数いた。中国ではバスケとバドミントンと卓球の三つが大人気。
 途中、一年生の女子があらたに合流した。金髪の女子で、勉強はたぶんあまりできないタイプであるし、というかすでに脱落のきざしを見せはじめている子なのだが、帰宅後名前を調べると(…)さんだった。彼女はジーンズのままジョギングをしていた。必然的にわれわれのパーティーに加わった。深圳で足止めをくらっているせいでいまだに一度も授業に出席することのできていない(…)さんがとうとう大学に戻ってきたという話も出た。彼女も呼び出そうと三人はすぐにコールした。
 そのままグラウンド内をぶらぶらした。封校期間の週末夜はほとんど学園祭みたいな雰囲気。芝生の上で輪投げ屋をいとなんでいる学生がいた。一回いくらかで挑戦して、うまくいけば商品のぬいぐるみをもらうことができるというもの。自作アクセサリーを販売している学生もいた。ロープにつないだうさぎを散歩させている女子学生もいた。背の低いテーブルを持ち出している学生も多々いた。そのテーブルでUNOをしている学生らもいれば、ただ飲み食いしている学生らもいた。自作のお茶を販売している学生もいたし、一回一元で手相占いをしている学生もいた。さらに背の高いテーブルを三つくらい並べてその上にグラスやボトルをならべて簡易のバーみたいなものをしつらえている学生もいた。そういう活動のひとつがひとつがスタンドライトやスマホの光をともして暗闇のなかで輝いていた。ひとの営みを思った。ceroの“大停電の夜に”を思った。小沢健二の「闇」を思った。『ベルセルク』の「夢のかがり火」を思った。
 じきに(…)さんも合流した。誰かに似ているなと思ったが、これを書いているいまならわかる、(…)さんもしくは(…)さんだった。どちらも日本語はからきしの卒業生。(…)さんもやはり日本語はからきしの様子。ときどき英語でコミュニケーションをとろうとするので、一度こちらも英語で簡単に対応してみたのだが、その英語もやっぱりいまひとつらしくて到底やりとりらしいやりとりにはならなかった。
 グラウンドの外に出た。(…)のほうを散歩しようと誘った。(…)さんと(…)さんは日本語ができないので、ほぼふたりでおしゃべりしている感じ。(…)さんは聞き取りがいくらかできる。なので、ベンチに座ってイチャイチャしているカップルを見かけるたびに、(…)さんどうぞ、とそちらにうながすという悪ふざけをくりかえした。まわりもみんな真似した。
 (…)さんは中学にも日本人の外教がいたといった。五十代くらいの男性。大連では電車に乗れば必ず日本語が聞こえてくるという。(…)省の大学に来ることによってむしろ日本語と接する機会が減ってしまっているのが面白い。あと、びっくりしたのが、大連は自転車に乗れないひとがけっこう多いという話。理由は坂道が多いから。しかし海のそばだけあって、(…)省の人とは違い、水泳が得意なひとは多いとのこと。おもしろい。
 ジムの横を通った。(…)沿いの陸地には船が二艘置かれていた。当然乗った。先生さよなら、といって学生たちはこちらを置いてけぼりにしようとした。湖では蛙が鳴いていた。その先で花売りの若い女子から声をかけられた。ひまわりみたいな花を二輪か三輪たばねているのに電飾が巻きつけられている。花売りはこちらのことを学生と勘違いしたらしく、女子学生らによってこのひとは先生だと訂正されていた。あっちのほうのベンチにカップルがたくさん座っていたからあっちにいけばいい、みたいなことを(…)さんはいった。花売りは言われたとおりそちらに向かった。
 図書館の前に達したところで写真を撮りましょうといわれた。ちょうど明るい街灯が頭上にある場所だった。またしても変顔してしまった。そのまま女子寮に向かうことになった。途中で第四食堂に立ち寄った。食堂そのものはしまっていたが、入り口に屋台が出ており、そこの串焼きが美味しいという話だった。買おうかなと思ったが、夜に脂身たっぷりのものを食べるのもちょっと違うかなと見送った。いまは出前をとることもできないというので、でも内緒で柵越しに受けとっている学生もけっこういるでしょうと応じると、警備員に見つかると阻止されるという話が出た。知らなかった。

 それから、この散歩の帰り道の途中、当時四年生の(…)さんと(…)さんとばったり遭遇している。

 おやすみと四人にあいさつして寮に戻った。寮のすぐそばの交差点で図書館帰りの(…)さんから声をかけられた。(…)さん、さらにぶくぶくと太っていた。さっきまで図書館で(…)さん相手に口語の練習をしていたという。たぶん面接のシミュレーションをしていたということだろう。そばには(…)さんがいた。(…)さんはずっと手のひらで口元を隠していた。顔もこちらからそらしっぱなしだった。前歯でも折れたのかなと思った。彼女どうしたのと(…)さんにたずねると、彼氏とケンカしたみたいな返事があり、そこではじめて、あ、あれ泣いてるのか、と気づいた。

 「手のひらで口元を隠してい」て、「顔もこちらからそらしっぱなし」の女子学生を目の当たりにして最初に出てくる発想が「前歯でも折れたのかな」というのは、いくらなんでもアホすぎる。こうして日記を読み返していて思うのだが、じぶんにはほんまにあたまのクソ悪くなる局面というものがときどきある。
 それから2013年4月9日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は14時半前だった。

 きのうに引き続き、今日もまた阳台に移動して授業準備。日語基礎写作(二)でやる「(…)」は完全に片付く。日語会話(三)の第27課も途中まで。細部は明日詰める。いまのところ文型をふたつ取り扱うつもりでいるが、アクティビティが豊富であるし、ひとつで十分かもしれない。
 17時をまわったところでふたたび第五食堂へ。寮を出たところで今度は(…)に声をかけられる。かたわらにはやっぱり(…)がいる。こちらには吠えない。徐々に、きわめて徐々に、良好な関係が作られつつある。一日何回くらい散歩に行くのとたずねると、三回ぐらいは行くと思うという返事。しかし多いときなどは(…)と(…)がそれぞれ3回ずつ、合計6回行ったこともあるというので、それはちょっと大変だなァと思った。しかしよくよく考えてみると、うちの実家は田舎であるし庭があるから、ワン公がちょっとションベンやうんこがしたくなったとしてもさっと外に出してやればいい、しかしアパートやマンション住まいであるとそうもいかないわけだ。
 打包して帰宅。食して仮眠。覚めたところで少々ためらう。日曜日の夜なのでスタバに行くのがいつものアレなのだが、なんとなく書見したい気分ではなかったのだ。Mansfieldの気分ではないだけかなと思い、リビングに積んである本をいろいろに検分。『「心理学化する社会」の臨床社会学』(樫村愛子)を手にとってみるも、うーん、やっぱりなんか違うんだよなァと思う。とりあえず行くだけ行くか、部屋だけクサクサしとっても時間の無駄やわと意を決して出発。リュックサックのなかにはKindleと『「心理学化する社会」の臨床社会学』を入れておいた。
 ケッタに乗って(…)へ。広場には仮設ステージがもうけられており、クソやかましい音楽にあわせて少年がブレイクダンスを踊っている。たぶん子どもダンスコンテスト的なものがひらかれているのだと思う。ところで、ブレイクダンス中国共産党的にはオーケーなのだろうか? ヒップ・ホップは? ピアスをつけている男がテレビに出演するだけで耳にモザイクをかける、そのような権威がいったいなにを基準にどこに線を引いているのか、いまだによくわからん。

 スタバへ。美式咖啡の中杯を注文する。店員の女の子がいつもホットねという。顔を覚えられたらしい。屋台のたちならぶおもてをのぞむことのできる窓際に着席し、『「心理学化する社会」の臨床社会学』(樫村愛子)。家を出る前はなんとなく、こういうタイプの本を読みたい気分ではないんだよなァと思っていたにもかかわらず、いざ読みはじめるとなかなかおもしろく、結局、店にいるあいだひたすら読み進めることになった。

(…)例えば、強迫神経症者は抑圧物のせいで理由の構築ができなくなる。彼は、恐ろしいことがあって心配なのではなく、心配であるゆえに恐ろしいことをしようとする。そうすれば不決定から逃れられるからである。待機を放棄して外延を決定しようとする、つまり否定=悪を現実化して、〈最初の—不確定な肯定〉から逃れようとするからである。ガスが恐ろしくてガスを燃やしたまま外出する者は、無時間的に、他者抜きに、真/偽確定しようとして、思考を無時間—現実(=悪)の水準で走行させるべく、真/偽の基盤である悪に依存しているのである。

 ここを読んで、不安障害に悩まされていたころを思い出した。あるいは『ソナチネ』(北野武)の「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」という台詞でもいい。いつ死ぬかわからない、どのように死ぬかわからない、その不確定性(「不決定」)が耐えられず、いっそのことじぶんでケリをつけてしまおうというふうに論理が先走るあの感じ(「待機を放棄して外延を決定しようとする」)。われわれを「待機」せしめる「不決定」とは、端的に、〈他者〉である。不安障害的主体は〈他者〉を拒もうとしている。あるいは〈他者〉を「偶然性」と言い換えてもいい。
 途中、三年生の(…)さんから微信。「先生」「日本には本当にトイレの神様がいるのか」「そんな伝説がありますか」と。またよくわからん話をどこかでききかじったなと思いつつ、ひとまず八百万の神について軽く説明する。「私はもう一晩中トイレについて書きました」というので、授業の課題? とたずねると、(…)先生の日本文化論とのこと。(…)さんとやりとりしていて思い出したのだが、あれはだれの本だったか、吉本隆明だったか河合隼雄だったか、ちょっと忘れてしまったが、日本ではたとえば小さな子どもが壁を叩いたとき、壁が汚れるとか壁が壊れるとかそういう叱り方を親はせず、壁が痛がるとか壁がかわいそうとかそういう言い方をする、あれは日本に特有のアニミズム的感性だみたいなことを書いているのを読んだ記憶がうっすらとある。今度学生らにたずねてみよう。中国でも農村のほうであれば、もしかしたらおなじような言い回しが残っているかもしれない。

 店を出たのは21時半過ぎだったか。(…)でハンドソープだのなんだの細々したものを買っていこうと考えていたのだが、二階の店舗にいたるオートスロープはすでに停止している。いちおうようすをのぞいてみようと足をかけたところで、下りのほうのオートスロープをドシドシ音をたてておりてくるおばちゃんがこちらに向けてなにか言う。気のせいかと思ったが、続けておりてきた別のおばちゃんもこちらにむけてまた何か口にし、そのなかに下班という単語が聞き取れたので、あ、もう閉店なのか、と思った。スロープをのぼった先にいる警備員らしいおっさんもこちらに向けて、頭上で大きく手を左右にふりながら閉店であることを告げる。
 (…)をあとにする。夜食の食パンを切らしていることに気づいたのだが、時間が時間であるし、(…)も閉店しているかもしれない。だったらいっそのこと夜中でもあいているメシ屋にでも入って、麺かなにか食おうかなと思いつつ、ひとまずケッタにのって后街のほうに向かうことに。いつもであれば、(…)から西にまっすぐ移動して大学の北門にもどるところを、まずは南に向かう。その先にある大きな交差点で西に折れて、そのまま后街のそばにある(…)をチェック、その後南門から大学にもどるという計画だったのだが、その大きな交差点にほかでもない(…)の別支店があった。営業中。ありがてえ! 食パンとメロンパンを買う。
 夜食のパンをかくしてゲットしたものの、やっぱり麺が食いたい、そういう気分だったのでこのまま南門に向かう道中、うまそうな麺屋が営業していたらそこに立ち寄ると決めてケッタをこぎすすめるが、新疆の串焼き屋台とか水饺を出している小さな店とか奶茶店とか、全然ぱっとせんもんばかり。道中、酒に酔っているいかにも(…)人らしい、ハゲで太っているおっさんらと複数すれちがったが、どいつもこいつもみーんな檳榔をクッチャクッチャやっている。それでいえば、このあいだ(…)さんと(…)さんといっしょに火鍋を食った日、食後のカフェで彼らにすすめられ、ずいぶんひさしぶりに檳榔を食ったのだった。学生たちは檳榔を健康にわるいわるいといって嫌がる。檳榔は別にまずくないけれども、かといってじぶんで金を払ってまでして食いたいかといえば、全然そんなこともない。
 南門から大学に入る。(…)楼のそば、半地下になっている、以前はコピー屋だった一画が売店になっていることに、その入り口から漏れる明かりで気づく。しかも入り口にはヴェイパーウェイブ的なカラーリングのネオンが掲げられている。組み合わせのチグハグさにあたまがバグりかけるが、しかしよくよく考えてみるに、行楽地のネオンなど特にそうであるが、中国(の片田舎)では、ひとびとがそこに(身勝手な、ときとして存在しない)郷愁を見出すレトロな対象が、一周まわったメタな文脈ではない、ベッタベタなものとして(一周目として)普通に息づいている気がする。
 帰宅。シャワーを浴び、ストレッチをし、メロンパンを食いながら今日づけの記事をちょっと書く。その後、腹筋を酷使し、プロテインを飲み、トーストを食す。それからまた記事の続きを書き進める。作業中は『Blondshell』(Blondshell)と『With A Hammer』(Yaeji)を流す。どちらも今日はじめて知ったアーティスト。Yaejiはイェジと読むらしく、若い韓国系アメリカ人らしいのだが、いいな。これがファーストアルバムらしい。