20230429

 こうした変遷をもう少し詳しく見ていこう。母子の共生関係のなかで何の不安もなく満足に浸っていた子どもは、ふと母親が自分ではないものに注意を向けていることに気づく。母親の欲望の対象が自分だけではないことに気づくのである。この充足状態の崩壊という危機に瀕し、子どもは再び母親との欠けたもののない完全な満足感を取り戻そうとする。そこで子どもは親をよろこばせる対象であろうとして、自分を母親の欲望を満たすもの(想像的ファルス)として差し出したり、母親の満足感(よろこび)を理想化してナルシシズムによって自分を理想化したりする。
 前者の「自分を母親の欲望を満たすものとして差し出す」という試みは、父親による去勢の脅しにより禁止され、子どもは母親との近親相姦的な欲望関係を抑圧する。そして、この禁止は抑圧する審級である超自我への起源となる。この超自我への違反は去勢に結びつくことから、子どもは想像的ファルスではなく、母親がよろこぶ現実的な要請(象徴的ファルス)を受け入れていく。また、この父に代表される禁止の項は、子どもには母親に満足を与えることへの禁止の違反者、すなわち己の欲望の実現者と見なされることで、子どもを父親への同一化へと導き、昇華に関わる自我理想の起源となる。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第一章 序論——目的と導入」p.24-25)



 10時半かそこら起床。一年生の(…)くんから「彼女と一緒に故郷へ戻る事は泰裤辣です!!!!」という微信。バスか電車かわからないが、となりの席に腰かけている彼女の姿が微妙に見切れている写真付き。
 腹が減っていなかったので白湯だけ飲んできのうづけの記事の続きに着手。書きあげたところでトースト一枚食し、洗濯物を干し、コーヒーを淹れて飲み、書きあげたばかりの記事をふたたび読み返して投稿。
 ウェブ各所を巡回。2022年4月29日づけの記事を読み返す。以下は2021年4月29日づけの記事からの孫引き。

(…)まずは、人間の個別の身体を起点に考えるべきでしょう。前回お話したように、様々な器官へと有機=組織的に分化する以前の状態が「器官なき身体 corps sans organes」です。もっとも生物学的に厳密に考えれば、細胞分裂する前の受精卵でさえ、分化していく傾向を帯びているわけですから、「器官なき身体」は通常の意味では実在しません。実在するものではなく、私たちの身体が志向しているヴァーチャルな状態です。様々な機械的運動によるストレスがない状態、母親の体内の母子一体の状態、主体/客体の分離がない状態……という感じで理解すればいいでしょう。その緊張ゼロのヴァーチャルな状態を起点として見た場合、生きていくうちに、いろんな「機械」に接触して、その「機械」の運動が「身体」に蓄積していく。柔らかくなった体にいろんなストレスや凝り、捻じれなどが溜まっていくイメージで考えるといいでしょう。そうした凝りとか捻れとして、他の人間の生を生きるということも入ってくるわけです。私たちは日常的に、自覚しないまま他者の動作や言葉に影響を受け、それをいつのまにか模倣したり、記憶したりしていて、それを別の場面でまた無自覚的に再現したりしています。
 そうした「器官なき身体」が、民族とか社会のような人間の集合体(corps)にもあると考えるわけです。それは、その民族や社会にとっての原初の状態、大きな変動がなく、神話的な円環を繰り返しているように見える状態です。無論、それはヴァーチャルな幻想としてしか存在しませんが。そういう身体の零度の状態の幻想を、その集合体のメンバーが共有し、それを各人〝固有〟の「器官なき身体」と重ね合わせていると考えると、それなりに理解できると思います。
仲正昌樹ドゥルーズガタリ<アンチ・オイディプス>入門講義』)

 この日もやはり2011年の記事を猛烈ないきおいで読み返している。以下、めぼしいものだけを孫引き。
 まず2011年6月5日づけの記事より。

読書。ウェルギリウス『牧歌/農耕詩』より「牧歌」。傑作。人物らが詩歌の進行につれて「登場」するのではなく、最初から世界に「存在」していることが前提になっているような感触が面白い。断片的な言及やその「存在」を前提にすることでしか成立しえないような語り口の数々などによって、まるで噂話の主役であるかのように未見の像がおぼろげに結ばれていくのだが、像が像のまま終わることもあれば、やがて実物として姿をあらわす場合もあり(その場合もまた「登場」は決して特権的に描かれることがない)、これらの技法は詩歌と小説の違いこそあれ、金井美恵子が『軽いめまい』で用いていた技法とも通じるところがある。作品(恣意)に世界が先立つ感触というか、世界に対する作品(恣意)の謙虚さというか。個別的な細部に限定していうと、《そのとき私は、十二歳の年を迎えたばかり。/もう地面に立って手を伸ばすと、細枝に触れることができた。》というくだりの、文化の背景が見える感じなんか素朴だけれどすごく良かった。世界観を語るための描写ではなく、描写を通して世界観がたちあらわれるような感触(ムージルもよくこの技法を用いる)。シレヌスという神話的存在にかんする註釈も面白い。《酒神バックスの従者で、山野に住む老人。禿頭で髭を生やし、鼻は低く太鼓腹。姿は醜いが、大きな知恵の所有者。彼を捕らえて強いた者にのみ、それを教えた。》とあるのだけれど、キャラクター文化なんてアホらしく思えるくらい、類型的なあれこれとの慎ましやかながらもたしかな差異の確保されたこの設定の素晴らしさには感嘆する。あと、牧人たちが詩歌のなかで英雄や詩聖の名をわりと平気で自己に重ねて用いていたりするのにはちょっと笑った。あ、そこはわりと軽いんだ、みたいな。

芸術のただひとつの効能――触れたひとを芸術家へと変身させる感化力。いわば、伝染病としての芸術。よろこばしい不治の病。

 2011年6月9日づけの記事。二番目のくだりは『A』の大佐を描写するときに使ったはず。

メデューサの悲嘆――石像と化した相手はもはやおまえから進んで目を逸らそうとはしないだろう。目を逸らすのは常におまえからである。なににおびえている?

完璧な詩人の寓話――言葉の誤りを指摘されるたびにむしろその言葉によって詩人が指示しようとした当のものを誤用された言葉に見合うかたちへと変形させてみせる。すなわち、行為としての詩。あるいは、詩としての行為。

 2011年6月29日づけの記事。「A」執筆にあたっての心構え。

ある出来事の記述をするに当たって抽象的な語彙を用いるのはまったくもって構わない。ただ、出来事それ自体を抽象化してしまうのは避けるべきだろう。哲学をはじめないこと、つまり、融通の利く概念の幅広さをもってして出来事を処理してしまわないこと。まとめないということ。小説を小説として留まらせること。見栄っぱりな知性がこれを邪魔する。
あるいはこういう書き方もあるだろうという一例。登場人物らのとる行動の論理は首尾一貫している。しかしその論理をむき身の記述として決して表面に浮かびあがらせない。登場人物ら自身に自覚もさせない。「なぜか」「唐突に」「不思議と」といった語が含まれるだけの余白を設けること。これは従来の分析的な記述とは異なる、無意識のあたらしい描き方にもつながる。

 2011年8月2日づけの記事。

(…)ムージルの「トンカ」と磯崎憲一郎『肝心の子供』の、風景から啓示を受ける場面を読み比べてみたり。風景全体をだいたいの見取り図を描くようにして描写すると時制が消える。時制が消えると途端に説明くさくなる。情報としての風景。それを避けるべくところどころに動き=時制のある細部の描写を挿入する(花の先っぽで翅を休めたのちに飛び立つムージルの蝶あるいは磯崎憲一郎スズメバチ)。いまここにある風景としての出来事。情報と出来事、その割合とリズム。

 2011年8月6日づけの記事。現代詩文庫『那珂太郎詩集』からの引用。

 思想は、詩作以前に、もしくは詩作以後に、あるべきであって、詩作行為のさなかにあって、作者がそれを語るべきこととしてもつのは、つまらぬことだ。語らんとする規定のことがらのために書くのは、書くことの手段化であり、真に書くといふ名には価しない。

 作者は、書くことにおいて、予め在るところの主張や判断や告白や――一切の自我の表現を、意図すべきではない。何かを語らんがために書くのは、プロパガンダにすぎぬ。よりよく語らんがために書くのは、雄弁術もしくは修辞学に属することにすぎぬ。これに反して、真に書くとは、書くことを索(もと)めることであり、索めることを索めることにほかならない。手段としての修辞ではなく、修辞そのものと化すること。

 作品は、結果にすぎぬ? ――だがまた、作者はあきらかに、作品そのものを欲してるのを否定できない。することの意味はする行為それ自体のうちにあるといふのは、そこに生み出されつくり出されたものの意味を認めないといふことではけっしてない。むしろ逆だ。生み出されつくり出されたものの意味を、究極のものとして認め得ないゆゑに、たぶん人は、書く行為自体にまで書くことの意味を、後退させざるを得ないのだ。

 16時半になったところで読み返しを中断。ケッタに乗って后街の快递に向かう。日差しがけっこうまぶしく、サングラスをかけてこなかったことを後悔する。后街はなかなか混雑していた。連休中であるしどうなんだろうと思ったが、店が閉まっているということは全然なかった、それどころか二車線のうち一車線は屋台で完全に埋まっており、例によって、あちこちでえげつない渋滞が生じていた。人出も当然多い。そういえば、今日は土曜日でもあるのだ。
 快递でシャツを回収する。そのまま(…)に立ち寄り、鱼头面をオーダー。テーブルのQRコードを読み込んでそこからオーダーしたのだが、厨房からわざわざ老板が出てきて、唐辛子はどうするのかとたずねられたので、不用と応じる。辛いものがダメな日本人として完全に顔をおぼえられている。麺は大盛りにした。途中、地元のヤンキーみたいな二人組が入ってきたのだが、そのうちのひとりが腕にびっしりとタトゥーの入ったガリガリの男で、それでいて目がぎょろりとしているものだから、なんやこいつ? ポン中け? と思ったが、そうだとしたらわざわざメシなど食いにこないか。鱼头面はあいかわらずクソうまい。何度でもいう、これで非合法なのが信じられん。中国の麺類はマジでうまい。麺類に関してはマジでアジア勢の圧勝だ。ヨーロッパなんてパスタくらいしかあらへんやろ? 食の黄禍論が巻き起こんのも時間の問題やな!
 食事中、湖北省を旅行中の(…)一年生の(…)くんと(…)くんからそれぞれ写真付きの旅の報告。巨大な関羽像の写真。
 店を出る。(…)で食パンを三袋買う。(…)楼の前で(…)から(…)! と呼びかけられる。Where did you go? というので、快递! と応じる。そのまま第三食堂へ。小骆哥で夕飯をすませた夜は毎回空腹で悩まされるという経験則があったのでハンバーガーを打包しようと思ったのだが、連休中だからだろう、店は閉まっているようす。だったら向こうはどうだろうと思って第四食堂のほうに出向いてみると、こちらは問題なく営業しているようだったので、狙い通りハンバーガーを打包。しかしラーメン(と便宜的に表記する)を食ったあとにハンバーガー店にはしごするだなんて、小二男児が夢想する最後の晩餐そのものやんけという感じ。小学生のころの夢を、あれから三十年近く経っとるわけやが、今日ようやくかなえたということになる。すばらしい人生やな。一日一善、コツコツやってきた甲斐があるわ。
 帰宅。ハンバーガーを食おうかと思ったが、腹いっぱいになっていることに気づく。マジか! やっぱり大盛りはそれ相応の量やったんか! ほな夜に食えばええわと思ったが、熱々のうちに食っておきたいというアレもあったので、二口だけかじった。
 そうしてベッドに移動して30分ほど仮眠をとる。覚めたところで一年前の記事の読み返しの続き。以下は2011年8月16日の記事。いまは亡き祖父の思い出話。

11時過ぎ起床。昼過ぎから祖父の家へ。祖父が恥ずかしそうに、オレも(小説を)書いてみよか思ったんじょ、と言うので、書きない書きない、と大いに勧めた。80年以上の記憶があれば、それこそ「思い出すがままに」書くだけで十分面白いものが書けるはずだ、それも戦争の記憶(治安維持法で逮捕された共産主義者の兄の話、志願兵試験の際に図らずも可能となったカンニングのおかげでスパイ養成コースに配属された話、大陸で中国人の捕虜と仲良くなった話、理不尽な理由から上官に空瓶で横っ面を叩かれて鼓膜が破れた話、同郷人がソ連の斥候に殺された話、死の病であった結核に罹患したものの当時日本で唯一の治療法を身につけていた医者が軍医として同じ部隊に所属していたため奇跡的に一命をとりとめた話など)があるのだから、と。「恩賜」(当時でいうところの生活保護みたいなものらしい)を受けているものは手を挙げろと言われたとき、小学生当時の祖父は恥ずかしさから手を挙げることができなかったという。それを見とがめた担任教諭が祖父のそばにまでつかつかと歩みよってきて、尋問したあげくにビンタではり倒し、倒れ込んだ祖父の首根っこをつかんでふたたび起き上がらせたところで今度は拳骨で鼻血が出るほど殴りつけ、最終的に教室の後ろで立たされることになったじぶんのもとに教室全体からずらりと集めよせられた五十対のまなざしの矢、それを忘れることがどうしてもできない、五十年六十年経ってもじぶんの頭の中に焼きついていて貧乏の恥ずかしさ悔しさがいつになってもぬぐいきれない、と祖父はじぶんと顔をあわせるたびにその話をくりかえす。その担任が数年前に死んだとき、祖父は葬式には行かなかったと言った。同窓会には出席したが、そのときもやはり担任とは口を利こうとしなかった。それとは別に、身内の恥を明かすようで、という前置きのもとに、早くに夫を亡くした母はしばしば村の男たちと関係を結んでいて、と祖父は語りはじめて、それは祖父が23歳のころ、兵隊に行く直前の話らしい。せまい集落であるから噂はすぐにひろがるし、逢瀬の舞台となった小屋の窓にはめこまれた障子に穴を開けて中の様子をのぞくことが村の若者たちの間で流行っていたこともあり、祖父もじきにその事実を知ることになった。そんなとき炭焼きに出かけた先で、祖父の兄が祖父にむけて、おまえの父親はあの密会相手だ、と口にしたのだという。その一言に祖父は大いに悩んだ。大いに悩んだあげく、となりの集落に住んでいるその「てておや」のもとに向かうことにした。「てておや」は庭先で薪割りをしている最中であったが、祖父の姿を見かけると、なんぞ用か、とたずねた。用事やない、と祖父が答えると、われは◯◯さんの子か、と問いなおした。◯◯さんとは祖父の父親の姉に当たるひとである。その一言を耳にしたとき、祖父は◯◯さんの子として見間違えられるほどじぶんが父親方の顔かたちをはっきり受け継いでいるのだということを知り、じぶんがまぎれもない父親の子であることを確信したのだという。そのときのことなどを小説として書きたい、というので、書けばいい、それでもって史上最高齢の新人としてデビューすればいい、と猛プッシュした。いまさら書きはじめたところでしかしじきに死ぬ身であれば的なことを言い出すので、そのときはそのときでじぶんが遺稿を引き受けた上で隔世二代のメタフィクショナルな私小説をこしらえるから問題ないと言っておいた。孫は本気だ。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は20時。ハンバーガーの残りを食し、シャワーを浴び、ストレッチをし、授業準備にとりかかる。日語会話(二)の教案をあとひとつ新規でこしらえなければならないのだが、ちょっと面倒くさくなってきた、なんだかそんな気分になれない、そういうわけで一年生のクラスではまだやっていない「心理テスト」を期末試験直前の授業でレクレーションとしてやればいいやとひらめいた。問題文のレベルもちょうどいいくらいだし。
 作文コンクールの通知をこしらえる。二年生の(…)さんから昨日詳細を教えてほしいと頼まれたばかりなので、公式ウェブサイトに記載されている情報を要約してPDFにまとめる。五月末が締め切りなので、ちょうど一ヶ月ある。(…)の一年生、二年生、三年生のグループチャットにそれぞれ放りこむ。(…)一年生のグループチャットは作成していないが、これは来週の授業で紹介すればいいだろう。(…)くんあたりは興味を持つのではないか。二年生の(…)さんと(…)さんからすぐに参加してみたいとの返信が届く。(…)さんは一年前に佳作を受賞しているので、今年は三等賞以上を狙いましょうと受ける。ふたりともテーマとして、指導教師——というのはこちらである——に対する感謝を選ぶという(これ、添削するのがまた恥ずかしいんだよなァ)。
 通知をこしらえている最中だったか、あるいはその直前だったか、ちょっとはっきりしないが、めまいに見舞われた。それもこれまで経験したことのない種類のめまいだった。これまで経験したことのあるめまいというのは、血の気がひいてあたまがふらふらっとし、やがて視界が白飛びするとともに吐き気がしたり脂汗が出たりして立っていられなくなり、ときにはそのまま気絶するというものなのだが、今日経験したものは、視界はクリアに澄み渡ったままであるのだが、まるでじぶんの体が傾きでもしているかのように、クリアなその視界が斜めに傾き、のみならずゆっくり移動しているように感じられるというもので、この移動の質感はたとえるなら、映画やゲームのエンディングロールをじっとながめていると、それが終わったあともしばらく視界が上へ上へと上昇していくように感じられる、あの錯覚にそっくりのものだったのだが、いずれにせよ、これはまったく経験したことのないめまいであったし、というかそのただなかにあって最初に連想したのは、『水死』(大江健三郎)の「大眩暈」だったわけだが、吐き気こそともなっていなかったもののいつ気絶するかわかったもんでないし、かつて病院で、倒れる予兆があった場合はとにかくいつ意識を失ってもいいようにあたまを地面に近い低い位置に置くようにしてください、そうすれば万が一失神した場合もあたまを打つ心配がないのでと看護師に言われた記憶もあった、それでひとまずベッドに移動して横になった。そうするとおさまった。しばらく身を横たえたままスマホでググってみたのだが、これはどうやら回転性めまいという症状らしい。それってたしかメニエール病の主症状ではなかったと思ったが、そうであった、しかしメニエール病の場合は耳鳴りや難聴をともなうのが一般的。で、ひきつづき、調べてみたところ、どうやら良性発作性頭位めまい症というものっぽい。曰く、「良性発作性頭位めまい症とは、その名前の通り、発作的に突然、頭の位置を変えた時におこる良性のめまいのことです。 生命の危険がなく、後遺症も残らず、治療をしなくても自然と軽快することも多く、ぐるぐるまわるようなめまいの原因として一番多いとされています」あるいは「良性発作性頭位めまい症は簡単に治療できます。 必要なのは、ただ耳石を後半規管から症状を引き起こさない場所に動かすだけです。 そのためには、頭をとんぼ返りのように動かすことが必要で、これは浮遊耳石置換法と呼ばれ、具体的にはエプリー法などがあります。 約90%の人は、この手技によって回転性めまいがすぐに改善します」とのことで、まあ100%これやね。
 通知がすんだのでそのまま日語会話(二)の「道案内」を詰める。これはこれまでさんざんやってきた教案であるので、既存のものをちょっといじくるだけで十分。これで今学期の日語会話(二)はほぼ片付いたことになる。
 23時半になったところで仕事を中断する。bringlifeの“Makky”がかっこよすぎてマジで延々と流してしまう。YouTubeにはMVもあるのだが(bringlife - Makky - YouTube)、これを書いているいま、再生回数がたった87回で、いやいやおかしいやろ、これはもっときかれるべきやろ! ムカつくので(…)にいま布教のLINEを送った。
 トースト食す。歯磨きし、ジャンプ+の更新をチェックし、部屋の照明を落としてまたなんちゃってフリースタイルを楽しんだのち、『本気で学ぶ中国語』を進める。2時半になったところで中断してベッドに移動。