20230507

 ラカン前期では「大文字の他者大文字の他者は存在する」のであり、後者の大文字の他者は父の名[φ]であることは先に述べた。ラカン中期においては、シニフィアンの集合を中心で支えていた、この後者の大文字の他者は存在しないのである。つまり、父の名が一般的に排除されているのである。そして、この排除された父の名の代わりにシニフィアンの集合[A]を支えるものは、「存在の見せかけ(semblant)」(…)としての対象aである。
 「排除の一般化された様態が含むこと、φxの機能が含むこととは、主体にとっては精神病においてだけでなく、すべての場合において、ある名のないもの、言語を絶するもの[現実的なもの]が存在しているということです」(…)
 「もし大文字の他者において真理と呼ばれるものの一貫性が、いかなる方法でも保証され得ずにどこにもないなら、それはどこにあるのでしょう。あるとすれば、真理延いては一貫性は、小文字の他者[対象a]のこの機能がそれを請け合うもののところにあるのです」(…)。
 この後者の引用をもう少し噛み砕いてみよう。シニフィアンではない「おそらく実質的なもの(substantiel)としての享楽の一要素である」(…)対象aが、シニフィアン連鎖としての大文字の他者[A]に組み込まれていることで、ラカン前期においては大文字の他者の中に見出されていた真理や意味は、保証されなくなる。しかしながら、対象aが存在の見せかけとして機能して、シニフィアン上で論理的一貫性を支えることによって、真理や意味はあたかも大文字の他者の中にしっかりと存在しているようなものとして見出される。また、対象aがこのように見せかけとして機能することで、無意識はあたかも一つの幻想のように提示されるのである。
 このことは換言すれば、大文字の他者[A]は知を想定された主体(sujet supposé savoir)であるということであり、ラカン中期においては「無意識は想定された知である」と定式化できよう。つまり、この時期のラカンにとっては、無意識に書き込まれているはずの真理や意味、さらには無意識自体が想定されたものでしかなく、もっと言えば、それらは幻想なのである。
(赤坂和哉『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』より「第四章 ラカン第二臨床あるいは幻想の臨床」 p.84-86)



 何時に起きたかもう忘れた。どうでもええわ。第五食堂で炒面を打包して食す。その後は延々ときのうづけの記事の続き。17時になったところで作業を中断し、ふたたび第五食堂で打包。日曜夜であるのでスタバに行こうかどうか迷ったが、きのう友阿のスタバでコーヒーを打包したばかりであるし、それに腹の調子もきのうにひきつづきちょっとあやしい感じがするので、今日はおとなしく自室待機することに。しかし日曜夜は日本語の本を読むと決めているので、ソファに移動して『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)を小一時間ほど読む。
 本当はがっつり三時間ほど読みたいところであるが、きのうづけの記事がまだ完成していなかったので、途中でデスクに移動。ようやく完成して投稿したのだが、過去記事からの引用も多く、全部で30000字ほどに達していたので、マジかよ、一年後の今日読み返すときクソめんどうやんけ、最悪や、と思った。
 投稿して、ウェブ各所を巡回し、2022年5月7日づけの記事の読み返し。以下は2021年5月7日づけの記事からの孫引き。

 ここで一つ補足しておかなくてはならないのが、ディスアビリティとインペアメントは一対一対応しないという点です。このことが、私たちが二番めにこだわった、「ASDに関する研究ではなく、綾屋さん個人に関する研究を行う」という方針を導きます。
 例えば、先ほど私のケースとしてお話しした「移動障害」というディスアビリティがありますけれど、移動障害という一つのディスアビリティが発生し得るインペアメントには複数のものがあります。例を挙げるなら、足が動かないというインペアメント、あるいは目が見えないというインペアメントがそうです。「盲ろう」といって、目も耳も不自由な場合、また認知症の場合などにも移動障害は起き得るでしょう。これらインペアメントとしては互いにまったく異なるのに、多数派向けの環境で移動障害が生じ得るという点では共通しています。ディスアビリティとしては一つの同障害ですが、複数のインペアメントが対応する。いっぽうでまた、一つのインペアメントに対して生じ得るディスアビリティの種類もまた多様です。例えば私は移動障害だけではなく、服を着替えるとき、お風呂に入るときのディスアビリティも経験しています。
 しかるにもしASDという概念自体が、純粋なインペアメントを記述する概念ではなく、ディスアビリティが混入したものであるとするならば、十人ほどASDと診断される人に集まってもらったら、インペアメントは十人十色になる可能性がありますよね。ここが私たちが罠だと考えたところです。これが、私たちが当事者研究をすることを決めた際に、「ASDのインペアメントはなんなのか」という問いには答えない、ということを宣言した理由であり、これが綾屋さんと私が強くこだわろうと考えた二点めです。ASDのなかにディスアビリティが混入している現状にあって、ASDと診断される人々に共通のインペアメントを探求するというチャレンジは、論理的に失敗が運命づけられていると考えたのです。じっさい世界中のASD研究で、多様なASD者に共通するインペアメントが探求されていますが、その試みはうまくいかないのではないかと指摘している研究者も少なからずいます。これは概念上の問題であって、いくら経験的な研究を重ねたとしても、そもそもスタートが間違っているのかもしれません。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.54-56 熊谷発言)

 一年前の今日はやはり「実弾(仮)」資料収集のため、過去記事をまとめて読み返している。この日読んだのは2012年3月上旬の記事らしい。『マイルス・デイビス自叙伝』からの引用がどれもこれもクソおもしろかったので引いておく。

オレを追っかけまわしてニガー(黒んぼ)呼ばわりした奴を、おやじは許さなかった。本物のショットガンを持って探しにいったこともある。見つからなかったが、とっつかまえていたらどうなっていたか、考えたくもない。おやじは、とてつもなく強かったが、物事の見方も変わっていた。たとえば、東セントルイスからセントルイスに行く時に、絶対に渡らない橋があった。おやじの説明によるとこうだ。「あの橋は、盗っ人が材料や金をくすねて造ったんだ。頑丈な橋が造れるわけがない。いつかミシシッピ川に落ちるぞ」。おやじは真剣で、死ぬ時まで、この橋がまだ落ちないことに頭を悩ませていたくらいだ。

他におやじが本気で怒ったのは、物置か車庫で火を出して、家まで燃やしそうになった時だ。何も言わなかったが、もし睨むだけで人を殺せるんなら、オレはあの時、死んでただろう。

オレは、自分を自信家だとは思うが、傲慢だとはちっとも思っていない。いつも自分が欲しいものはわかっていたし、自分が求めているものを理解していた。

デトロイトには、半年ほどいたと思う。ヒモみたいなこともやっていたし、オレの周りには、たしか二、三人の女がいた。前みたいにセックスも楽しんでいた。そのうちの一人はデザイナーで、オレのためにはなんでもやってくれようとした。彼女は今、ちょっとばかり有名になっているから、名前は言いたくない。ある日その彼女が、オレを精神科医の所に連れていってくれたことがある。その医者はオレに「オナニーをしたことがあるか」と聞くから、「ない」と答えた。すると、そいつは信じられないという表情をして「ヤクを打つ代わりに、毎日オナニーしろ」と言いやがった。それが唯一の助言だというんだから、オレはそいつこそ精神病院に入るべきだと思った。ヘロインの常習癖を直すのにオナニーだって? まったく、あの野郎は馬鹿としか言いようがない。

カリフォルニアにいた時のことだ。奴が歯医者に行くと言い出して、オレを心配させたことがある。トレーンは二つの音を同時に吹いたが、オレは、それは歯が抜けてるからできるんだと信じていた。あのサウンドも、抜けた歯のせいじゃないかと思っていた。だから、歯医者に行くと聞いた時には、本当に慌てた。で、歯医者の時間にむりやりリハーサルすることにして、延期できないかと聞いた。だが答は「いや、ダメだ。リハーサルには行けない、歯医者に行くんだから」だった。どんな歯を入れるんだと聞くと、「固定するヤツだ」と言うから、オレは、演奏の時に取り外せる差し込み式にするよう、なんとか説得しようとした。奴は「お前は馬鹿か」とでも言いたげな目つきでオレを見ていた。で、歯医者に行くと、ニヤニヤ笑って、まるでピアノの鍵盤みたいに綺麗に並んだ歯を見せながら帰ってきた。『ブラック・ホーク』だったと思うが、その夜のステージでオレは最初のソロを吹き終えると、フィリー・ジョーの脇に行き、トレーンが吹きはじめるのを待っていた。もう奴は前みたいに吹けないと信じきっていたから、オレはほとんど涙ぐんでいた。だが奴はいつものように、あのものすごいフレーズを吹きまくってたんだ。ステージの上には、トランペットを持った馬鹿野郎が胸をなでおろして立っていたってわけだ。

 オレ達が時々モー(Moe)と呼んでいたビル・エバンスがバンドに入ってきた時は、あまりに静かなんで驚いた。ある日、どれだけできる奴か試してみようと、言ってみた。
「ビル、このバンドにいるためには、どうしたらいいか、わかってるんだろうな?」

 奴は困ったような顔をして、頭を振りながら言った。
「いいや、マイルス。どうしたらいいんだろう?」
「ビル、オレ達は兄弟みたいなもんで、一緒にこうしているんだ。だから、オレが言いたいのは、つまり、みんなとうまくヤらなくちゃということさ。わかるか? バンドとうまくヤらなくちゃ」
 もちろん、オレは冗談のつもりで言ったんだが、ビルはコルトレーンのように真剣そのものだった。で、一五分ぐらい考えた後、戻ってきて言った。
「マイルス、言われたことを考えてみたけど、ボクにはできないよ。どうしても、それだけはできないよ。みんなに喜ばれたいし、みんなをハッピーにしたいけど、それだけはダメだよ」
「おい、お前なあ!」。オレは笑って言った。で、奴にも、やっとからかわれてることがわかったんだ。ビル・エバンス、いい奴じゃないか。

ある日一人の女性が、引退した闘牛士を訪れた時の話をしてくれた。その闘牛士は、今は闘牛用の牛を育てているってことだった。彼女が、アメリカの黒人ミュージシャンが作った「スケッチ・オブ・スペイン」のことを話すと、その闘牛士は「外国人であるアメリカ人、特に黒人がそんなレコードを作るのは不可能だ。フラメンコやスペイン文化の知識が少ないからな」と言ったそうだ。ところが、彼女がレコードをかけると、彼は静かに座って聴き入った。終ると、椅子から立ち上がり、久しぶりに闘牛士の服を着た。そして引退してから初めて、自分が飼っていた牛と闘い、殺してしまったという。で、彼女が、なぜそんなことをしたのかと聞くと、「音楽に感動して、闘わずにはいられなくなった」と答えたそうだ。オレには、出来すぎた話で信じられなかったが、彼女は誓って真実だと言っていた。

ウェインは、音楽の規則に従うことに対して、一種の好奇心を持っていた。規則どおりにやってうまくいかなければ、音楽的なセンスで、規則を破ることだって平気でやった。音楽における自由というのは、自分の好みや気持ちに合わせて、規則を破れるように規則を知っている能力だってことをちゃんと理解していた。

ハービーは電気製品が大好きで、ツアーに出ると新しい電気製品を買うのにいつも大忙しだった。すべての演奏を録音したがって、いつも小さなテープ・レコーダーを持ってくるほどだった。そして彼は、ヤクとかそういう理由じゃなかったが、いつも遅刻して、最初の曲の最初のダウンビートから入ってくることが多かった。で、野郎をちょっときつく睨むんだが、なんと彼が最初にやることというのは、ピアノの下に潜って、いい音で録れるようにテープ・レコーダーを調整することだった。調整が終る頃には、オレ達はその曲の四分の三くらいまで行ってるというのに、彼はまだピアノを弾いてすらいない。それが、レコードにもなったオレ達のライブ・レコーディングの初めでピアノの音が聞こえない理由だ。ハービーが遅れるかどうかというのは、いつもバンドのジョークにまでなっていた。

あの頃は白人女の売人がいて、誰も家にいない時なんかに彼女の家までコカインを買いに行っていた。ある日、まるっきり金がなくて、後払いでもいいかと聞いたことがあった。ところが、彼女からはたくさん買っていたし、いつだってちゃんと払っていたのに、「金がなければコカインも無しよ、マイルス」なんて言いやがった。なんとか説得しようとしたが、譲らない。そんな最中にドアマンから連絡があって、彼女のボーイフレンドが上がってくると言う。もう一度だけ頼んでみたが、答は同じだった。で、オレは、ベッドに横になって服を脱ぎはじめた。ボーイフレンドだって、オレが女に手が早いという評判は知っているだろうから、そうしているオレを見て、思うことは、アレ一つしかないはずだった。今度は彼女が帰ってくれと拝まんばかりになった。だが、オレは横になったまま、片手でアレを握り、もう一方の手をヤクのほうに差し出して、ニヤニヤ笑っていた。彼女がヤクを渡すことは間違いなかった。で、まんまとせしめたんだが、ヤクを受け取って出ていくオレを、彼女はさんざん罵っていた。エレベーターのドアが開いて、彼女のボーイフレンドが横をすり抜けたとき、男は「この黒んぼはオレの女と一緒だったのかな?」という、ちょっと不審げな目つきをしていた。あれ以来、二度とあそこには行っていない。

 それから、これは手元にデータとして残っている最古の日記になるかもしれないのだが、2004年の5〜6月にかけての出来事と記されているものも引かれている。大学一年生。鴨川でのできごと。ブログをやりはじめてほどない頃だろう。本を読む習慣はたぶんまだない。

初老の男性が一枚の紙を持ってやって来る。その紙には鉛筆で描かれた女性の似顔絵が。
おじさん「こいつを君の手で完成させてくれ。」
口に含んでいた茶を派手にブチ撒いた。意味が分からず事情を訊ねた。
おじさん「この間、急にこれを預かってくれって言われて、すごく高そうなダイヤをいきなり渡されたのよ。全くの初対面の人にいきなりだよ?○○さんって言うらしいんだけどね、名前だけ告げてすぐに去っていったんだ。それで連絡先に●●っていう会社を教えてもらったんだけど、そこに連絡しても、そんな社員はいませんって言うんだよ。仕方ないからその人の顔を思い出して、こうやって似顔絵描いて聞き込んでるんだけど、ぼく絵下手だからね。だから君に描いて欲しいの。」
嫌な予感を全身に感じながら、おじさんの指示に従って、徐々に似顔絵を仕上げていく。完成したものは明らかに東南アジア風の女性だった。予感が確信に変わる。
おじさんは千円札を置いて、去っていった。どうかあのおじさんが事件に巻き込まれていませんように。

 このレベルからはじめたんだなァと思う。ほんま継続は力なりや。しかしこの時点ですでにわけのわからんできごとや人間に遭遇しやすい体質ができあがったとったわけか。なんでこんな星のもとに生まれてもうたんや。
 それから2013年5月7日づけの記事も読み返して、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲。シャワーを浴び、ストレッチをし、ヨーグルトとトーストを食し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は1時をまわっていた。

 歯磨きをして寝床に移動。その後は朝方までひたすらだらだらした。日記にほぼ一日もっていかれた日の夜って、きまってこんなふうにだらだら過ごしてしまう気がする。しんどいねん。