20230520

 The old lady settled herself comfortably, removing her white cotton gloves and putting them up with her purse on the shelf in front of the back window. The children’s mother still had on slacks and still had her head tied up in a green kerchief, but the grandmother had on a navy blue straw sailor hat with a bunch of white violets on the brim and a navy blue dress with a small white dot in the print. Her collars and cuffs were white organdy trimmed with lace and at her neckline she had pinned a purple spray of cloth violets containing a sachet. In case of an accident, anyone seeing her dead on the highway would know at once that she was a lady.
(Flannery O’Connor “A Good Man Is Hard to Find”)



 11時前起床。朝昼兼用の炒面を第五食堂で打包。その後はひたすらきのうづけの記事の続きを書きまくる。17時になったところでふたたび第五食堂へ。食後は30分ほど仮眠。その後、ふたたびデスクに向かい、きのうづけの記事を投稿。25000字。アホや。こんなもんばっか書いとるからほかのことがなんにもできやんくなんねん。
 ウェブ各所を巡回。2022年5月20日づけの記事を読み返し。梶井基次郎「路上」の以下のくだり、いつ読んでもすばらしい。

 それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。
 いつもの道から崖の近道へ這入った自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなっていることに気がついた。人の足跡もついていないようなその路は歩くたび少しずつ滑った。
 高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。
 傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、自分はきっと滑って転ぶにちがいないと思った。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片肱をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。
 誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっているように見えるにちがいなかった。――誰も見ていなかった。変な気持であった。
 自分の立ち上ったところはやや安全であった。しかし自分はまだ引返そうともしなかったし、立留って考えてみようともしなかった。泥に塗れたまままた危い一歩を踏み出そうとした。とっさの思いつきで、今度はスキーのようにして滑り下りてみようと思った。身体の重心さえ失わなかったら滑り切れるだろうと思った。鋲の打ってない靴の底はずるずる赤土の上を滑りはじめた。二間余りの間である。しかしその二間余りが尽きてしまった所は高い石崖の鼻であった。その下がテニスコートの平地になっている。崖は二間、それくらいであった。もし止まる余裕がなかったら惰力で自分は石垣から飛び下りなければならなかった。しかし飛び下りるあたりに石があるか、材木があるか、それはその石垣の出っ鼻まで行かねば知ることができなかった。非常な速さでその危険が頭に映じた。
 石垣の鼻のザラザラした肌で靴は自然に止った。それはなにかが止めてくれたという感じであった。全く自力を施す術はどこにもなかった。いくら危険を感じていても、滑るに任せ止まるに任せる外はなかったのだった。
 飛び下りる心構えをしていた脛はその緊張を弛めた。石垣の下にはコートのローラーが転がされてあった。自分はきょとんとした。
 どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空の下に大きな邸(やしき)の屋根が並んでいた。しかし廓寥(かくりょう)として人影はなかった。あっけない気がした。嘲笑っていてもいい、誰かが自分の今為(し)たことを見ていてくれたらと思った。一瞬間前の鋭い心構えが悲しいものに思い返せるのであった。
 どうして引返そうとはしなかったのか。魅せられたように滑って来た自分が恐ろしかった。――破滅というものの一つの姿を見たような気がした。なるほどこんなにして滑って来るのだと思った。
 下に降り立って、草の葉で手や洋服の泥を落しながら、自分は自分がひとりでに亢奮しているのを感じた。
 滑ったという今の出来事がなにか夢の中の出来事だったような気がした。変に覚えていなかった。傾斜へ出かかるまでの自分、不意に自分を引摺り込んだ危険、そして今の自分。それはなにか均衡のとれない不自然な連鎖であった。そんなことは起りはしなかったと否定するものがあれば自分も信じてしまいそうな気がした。
 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。
 帰途、書かないではいられないと、自分は何故か深く思った。それが、滑ったことを書かねばいられないという気持か、小説を書くことによってこの自己を語らないではいられないという気持か、自分には判然(はっきり)しなかった。おそらくはその両方を思っていたのだった。
 帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた。
梶井基次郎「路上」)

 以下は2021年5月20日づけの記事より。

(…)フーコーアレントはどちらも権力と暴力を区別しているけれども、じつはこれらを違った仕方で整理している。アレントも興味深いですが、私にはフーコーのほうが興味深かった。フーコーの整理では、権力というのは、行為に作用するのだと。それに対して暴力は身体に働きかける。つまり、作用点が違うわけですね。権力は、例えば銃口を突きつけて、脅して他人を動かす。直接、相手の身体に触れないで、行為に影響を与えるわけです。それに対して、暴力は物理的に相手の身体になんらかの影響を与えるような振る舞いです。
 ところで、やはり直接的、物理的に相手の身体に触れずに、行為に影響を与えるというものにアフォーダンスというものがあります。アフォーダンスとは何か。簡単にご説明します。
 人でも物でもいいのですが、例えば、私がここにいて、目の前にコップがあるとしましょう。その場合、そのコップは私に対して、「持ちますか?」とか、「水を注ぎますか?」、「注いだ水であなたは喉を潤しますか?」とか、いろいろな行為を促してくると考えます。これを、コップは私に対して「持つ」とか、「水を注ぐ」という行為をアフォード(afford「与える、提供」)している、という言い方をします。目の前のコップから手が生えて、無理矢理私の手を持って、水を飲めと物理的に影響を与えているわけではなくて、存在そのものが私にある種の行為を促してくる。人であれ、物であれ、非接触的に相手の行為に影響を与える力をもっている。その力のことをアフォーダンスと呼んでいます。
 そう考えると、フーコーの権力観は、とてもアフォーダンス的なのではないか、だから、もしかしたらフーコーの権力論とアフォーダンス理論というのは相性が良いのではないか、などとも思いました。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.142-144 熊谷発言)

 それから2013年5月20日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲し、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は22時だった。5月20日、すなわち、恋人の日ということもあり、モーメンツの話題もわりとそれ一色という感じ。作業中は『How Sad, How Lovely』(Connie Converse)や『Spiritflesh』(Nocturnal Emissions)を流した。(…)一年生の(…)くんから『余命10年』というタイトルだけで観る気の失せる映画がおもしろかったという微信が届く。

 シャワーを浴びる。ストレッチをしたのち、(…)さんの作文コンクール用原稿を添削する。こちらのことを手放しでべた褒めする内容なので、これをおれは自分で添削するのか……と若干戸惑う。夜食はトースト二枚とプロテイン。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックしたのち、その後はひたすら写作の課題添削。2時半になったところで中断してベッドに移動。今日はただただ敗戦処理の一日という感じ。たまっていた日記と仕事を黙々と片付けるのみ。