20230603

 “Well,” Mr. Shortley said, “if I was going to travel again, it would be to either China or Africa. You go to either of them two places and you can tell right away what the difference is between you and them. You go to these other places and the only way you can tell is if they say something. And then you can’t always tell because about half of them know the English language. That’s where we make our mistake,” he said, “—letting all them people onto English. There’d be a heap less trouble if everybody only knew his own language. My wife said knowing two languages was like having eyes in the back of your head. You couldn’t put nothing over on her.”
(Flannery O’Connor “The Displaced Person”)



 10時半起床。13舎近くの快递で鼻うがいセットを回収。パン屋で朝昼兼用の食事を買って寮にもどる。狂戦士の食事をとる。味覚および嗅覚を喪失した日からそうであるのだが、ときどき、鼻の奥のほうでなにか煙たいような焦げ臭いようなにおいがほんの一瞬かすめることがあり、と、ここまで書いたところで「煙たい+臭い+鼻」でググってみたところ、「異臭症」というのが一発でヒットした。これもやっぱり上咽頭炎に由来する症状の一種らしい。結局、LongCovidと称されるものの何割かは慢性上咽頭炎が原因になっているということなんだろうか?
 食後、さっそく鼻うがいをする。哺乳瓶みたいな容器と薬剤がついている。中国語の説明書を斜め読みする。500ccのぬるま湯に薬剤をひと袋溶かせと書いてある。容器を水洗いし、薬剤を溶かしたぬるま湯をそそぐ。それから容器の蓋についている太いストローのようなやつの先端を鼻の穴に挿し込み、容器の胴体を片手で揉む。空いた鼻の穴から自然と液体が流れる。痛みはない。むせることもない。これはなかなか快適だ。しかし鼻から吸って口から吐くようにしたほうが、より徹底的に洗浄することができるのではないか?
 14時から17時まで「実弾(仮)」第四稿執筆。シーン26が片付く。プラス2枚で計514/1016枚。
 第五食堂に向かう。寮の一階におりると、管理人の(…)と(…)と(…)が自転車を組み立てている。夏休みにそなえて(…)の自転車と(…)の自転車をあたらしく淘宝で購入したのだが、自分で組み立てる必要があるらしく、それでこちらの自転車を参考させてもらっているという。それで気づいたのだが、なるほど、(…)が(…)の子ども用自転車、(…)と(…)のふたりが大人用の自転車を協力して組み立てているそのそばに、こちらの自転車が完成品のモデルとして置かれている。放し飼い状態の(…)が敷地内を元気にうろうろしていたので、しゃがみこんで手をさしだしたが、やっぱり吠えられた。
 第五食堂で打包して帰宅。食す。ベッドで30分ほど仮眠をとる。(…)先生から微信が届く。スピーチの練習について。今月から通常練習開始とのこと。何曜日であれば空いているかというので、月曜日もしくは水曜日の午後であれば問題なしと応じる。夏休み中の集中特訓については、来月3日から7日の5日間をお願いしたいとのことだったので、これも了承。時間帯については「午前&午後」か「午後&夜間」のどちらでもいいとのこと。今年からは報酬なしかとあらためて思う。なかなかけっこうげんなりする話だ。
 あと、執筆中にひさしぶりに(…)さんから微信が届いたのだが、「先生 お久しぶりです お元気ですか (…) という人ご存知ですか」「(…)の学生ですよ 」とのことで、まったく聞いたことのない名前だ。彼女は高校の日本語教師をしているはずだから、もしかしたらじぶんの教え子がうちに進学したということなのかもしれない、しかし日本語学科の学生であれば全員名前をおぼえている、となればこちらが授業を担当するようになる前にほかの学科に移った学生だったりするのだろうかと思ったが、とりあえず、日本語学科に所属している学生しか名前はわからないと返信したところ、それに対する返信として、仮眠明けだったと思うが、「ありがとう 確かに日本語学科じゃないね」と届いて、なんじゃそりゃ! 日本語学科に所属しとるわけでもない学生の名前をこっちが知っとるわけないやろ! 学生25000人以上おるんやぞ! とほとほとげんなりした。下手に返信すればまた去年の端午節みたいに思わせぶりな食事に誘われかねないのでそれ以上返信はしないでおくことに。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。コーヒーをたてつづけに二杯飲みながら、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、2022年6月3日づけの記事を読み返す。2013年6月3日づけの記事もそのまま読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。(…)さんとコンビニ店長のエピソード、この日の記事に記録されていた。

レジで会計をしているときに(…)さんが店長らしいその男性にむけてフランクフルトとかコロッケとかがはいっているあの容器の中に唯一残っていたからあげを指さして、これこっちで処分しといたるわ、と言った。店長は何もいわずそれを袋につめた。帰り道に問うと、どうせ廃棄するだけのもんや、置いといたってしょうがない、と(…)さんは言った。それから、かつてコンビニで会計している最中いきなり店員のおっさんにズボンのポケットをまさぐられたという経験を話しはじめた。中に何も入っていないことがわかると、相手が相手であるし、おっさんはにわかに青ざめはじめ、レジをあけたかと思うとその中からお札をわしづかみにして、いくらなら許してくれます、とおびえた表情で切り出したという。そのとき(…)さんはお気に入りのキャバ嬢とはじめてデートをしているときだった。とんだ恥をかかされたものだといったところであるが(キャバ嬢は大笑いしていたらしいが)、金はいらないと(…)さんは応じたという。そのかわりここの駐車場を一台分使わせてほしい、そう告げると、相手のおっさんはそれはもう何なりとと応じた。そのコンビニのとなりに当時行きつけだった居酒屋があったということだった。川に出かけると決まった昼間、(…)くん免許あるけ?と(…)さんがたずねるので、あるけどほとんどペーパーみたいなもんっすと応じると、(…)くんが運転できたら車だけツレの借りてみんなで鴨川いけるんやけどなーというものだから、(…)さんは免許とってないんですかとたずねかえすと、とったけど半年もたんかった、あんなもん点数少なすぎるんや、一瞬でなくなってまう、という返事があった。

 今日づけの記事をここまで書く。フライト時刻変更の知らせが、昨日だったか一昨日だったか忘れたが、Trip.comのほうから届いていたので確認してみたところ、(…)を10時10分発だった便が7時半発に変更になっていた。(…)には前日入りする予定なので別に問題ないのだが、7時台に出発となると、まずは廈門までの国内線に乗るといっても、やはり5時には起きなければならないだろう。これはけっこうだるい。乗り換え先の廈門でも4時間ほど潰す必要があるようだが、これについてはカフェで書見するか日記を書くかすればいい。
 『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の残りを最後まで読み進める。たいそうおもしろかった。新書ということもあり、大雑把な見取り図の提示というふうな内容であったが、付箋を貼りつけておいた箇所——のちほど抜き書きする予定の箇所——が非常に多い。あと、この情報については以前どこかで目にした記憶があるのだが、「あとがき」のなかで樫村晴香が小説を執筆していると言及されていて、書きあげられたのだろうか? 書きあげられたのだとすれば、いずれどこかで公開されるのだろうか? とやはり気になった。
 次に読む本として『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ/秋田喜美)をKindleでポチった。昨日からなぜかAmazonにアクセスできないことがあり、天安門事件の記念日も近いしVPN規制が厳しくなっているのかなと思ったが、ググってみたところ、どうやらChromeが悪さをしているようだった、おなじようなトラブルに見舞われているユーザーがけっこういるようす。
 夜食はトースト二枚。ジャンプ+の更新をチェックし、歯磨きをすませ、鼻うがいをする。次に転職の機会があったら、他人とまったく交流しない業界でひさしぶりに働きたいなと不意に思った。この五年間、マジでじぶんのそれまでの人生からは考えられないくらい大量の人間と仕事を介して交流してきたわけだが、さすがにちょっとしんどいかもしれんといまさら思われてきたのだ。言葉の壁もあるし、イデオロギーの壁もあるし、実存の壁——というとおおげさに響くかもしれないが、簡単にいえば、芸術や文化の「趣味」をまったく共有することができないということだ——もある。イデオロギーの壁と実存の壁についていえば、日本にいたころもそこを乗り越えることのできない他者とさんざん付き合ってきたわけだから、いまさらとりたてて騒ぐことではないのかもしれないが、しかしそういう他者とは適度な距離を置くことができた、いまはちょっとしんどいなというときは一時的に離れることができた、でもいまは仕事柄それがなかなかできない、むしろ一種の「感情労働」として積極的に付き合う必要がある、それがちょっとしんどくなってきたのかもしれない。いや、むしろそうした疎外感こそを、じぶんの実存や享楽にかかわるもろもろをいっさい共有することのできる相手のいない辺境で過ごす孤独な時間こそを、じぶんは一種偏愛してきたはずなのだが(それ自体が一種の享楽であったと思うのだが)、そう、だから問題はむしろその疎外感、孤独な時間の欠落にこそあるのかもしれない、つまり、ひとりでゆっくり本を読んだり書いたりする時間の少なさ、沈思黙考する機会の喪失、こちらの生活にたえず他者が介入してくるこの状況の、いってみれば「うるささ」にイライラしつつあるのかもしれない。だからまた日本にもどって、ワンオペ系の仕事か夜勤バイトを週に二日か三日だけして、あとはひたすらアパートとカフェを根城として毎日ただただ読み書きしたいという気持ちがけっこうわいてきている(こうした心境の変化にはおそらく十年前の日記を読み返しはじめたことの影響もある)。授業外での学生との付き合いを単純に減らせばいいだけなのかもしれないが(実際、今学期からはそうしているのだが)、たぶんそういう単純な話ではなく、じぶんがいま生きて暮らしているこの生活に登場人物があまりにも多すぎる、そのことに対する息の詰まる感じが問題なのだ。だからいつかまた、じぶん以外に登場人物がほとんど登場しない日記を書くような暮らしをしたい。
 寝床に移動後、『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ/秋田喜美)をいくらか読んで就寝。