20240510

 小説とは「広域的なアルゴリズム」につかず、どれだけ「ローカルな記憶回路」の中で持ちこたえられるかなのではないか。
保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.26)



 8時15分起床。トーストとコーヒー。便所でクソをしているとき、『みどりいせき』(大田ステファニー歓人)の語り手のあのすっとぼけた感じ、抜けた感じ、周囲に置いてけぼりにされている感じについて、ずっと既視感があったのだけれども、その正体がふとわかった、『こちらあみ子』(今村夏子)だ。とろくて、にぶくて、どんくさくて、周囲とずれている——そのような人物による一人称の語り。語り手自身は最後まで周囲とのギャップを認識・言及することが(でき)ないので、読者は周囲の人物らの口にするセリフを介してのみ、そのギャップを埋め立てていく。そうした一人称の語り(手)を、ああした設定の物語に採用したことが、『みどりいせき』の独創的な部分だと思う。筋だけでも十分たたかえるところに、語りのギミックをもうひとつぶちこんだ、そしてそのふたつの要素が完璧なかたちで噛み合った。
 10時から二年生の日語会話(四)。「私のアイドル」第二回。今日はT.Sさん、R.Bさん、C.Kさん、R.Iさん、C.Sくん、K.Sさん、R.Hさん、O.Sさん、B.Aさん、R.Kさん、C.Tくん。発表時間はひとり4分前後と説明してあったにもかかわらず、とにかくみんなだらだらとして長い。「食レポ」のときに10分オーバーが続出したという反省があったからこそ、もっと簡潔に短くやるようにと説明したわけであるし、原稿は暗記しなくてもいいのでそのかわりにすらすらと読めるように練習しておきなさいと告げたわけだが、序盤でR.Bさんがさっそくひとりで13分オーバー、さらに発表で動画を用いるのもかまわないが長くなりすぎないようにと伝えてあったにもかかわらず、5分以上尺のあるものを流そうとするので、これはさすがに途中で制した。で、彼女の発表後に学生らにむけてあらためて4分を目処にしなさいと伝えた。するとその後の発表はだいぶマシになった。来学期以降におなじタイプの授業をする場合、上限時間も設定するべきだなと思った。4分から6分のあいだでおさめよとするか。今回は内容も正直それほどおもしろくはなかったのだが、K.Sさんが紹介してくれた余華のエピソードだけはすばらしかった。曰く、余華はある日友人である史鉄生を誘ってサッカーの試合に出場した、史鉄生は車椅子なのでフィールドを動きまわることは当然できない、そこでゴールキーパーとして配置することにした、相手チームは当然のことながら車椅子のゴールキーパーにむけて本気でシュートを放つことなどできない、結果余華らのチームは勝利するにいたった(そしてそのことを史鉄生自身が愉快げな筆致で随筆かなにかに書き残している)。
 C.Kさんは発表後ものすごいはやさで教室を出ていった。トイレを我慢していたのかなと思ったが、のちほど微信がとどき、電車に間に合わないかもしれなかったので急いで教室を出たのだとあって、あ、そういえば彼女は用事があって故郷に帰るんだったなと思い出した。ちなみにC.Kさんのアイドルはアン・ハサウェイ。彼女のおかげでフェミニストとして目覚めることができたという内容もさることながら、コンパクトで、構成もしっかりしており、声量も申し分なく、文章の誤りもほとんど見当たらないという出来映えだったので、きみはいまのところ最高点をマークしているよと返信しておいた。C.Kさん、ちょっとモデルみたいなタイプの女の子であり、メイクもばっちりしているし服装も大人びているし、自撮り大好きで、高校時代から付き合っている彼氏がいて、にもかかわらず——という逆説が続くのは、こういうタイプの子は得てして勉強をまったくしないからなのだが——テストは毎回ほぼ最高得点をキープしているし授業態度もすばらしく、いやめずらしいよな、そういう子ってほかに三年生のC.Rさんくらいだよなと思ったのだが、そう考えてみると、ふたりとも江西省出身という共通点があった! それでいまふと思ったのだが、うちの大学に在籍している江西省出身の子、外見の整っている子がやたらと多くないか? 一年生はS.EくんとS.BさんとR.Eくん、二年生はS.BくんとC.KさんとE.Sさん、三年生はC.RさんとY.TさんとC.Mさん——うん、みんな整っている! 四年生はどうだっけ? G.Eさんが江西省出身だったことはおぼえているのだが、うん、やっぱりかわいらしい子であるし、服装も(…)省の子たちよりずっと垢抜けているし、勉強熱心だ! なんやこの法則!
 授業後、Jで食パン購入。そのままセブンイレブンに立ち寄る。C.SくんとR.HくんとC.Tくんの三人がいる。カレーを買おうと思ったのだが、売り切れだったので、なにも買わず店を出る。R.Hくん、完全にこちらにビビっている。作文コンクールの応募原稿をChatGPTに出力させてそのまま提出したのをこちらが叱って以来、完全にびくびくしているのが顔つきでわかる。
 第五食堂へ。一階にある閑古鳥の広州料理を打包。帰宅後、メシ喰うないや喰う。食後は30分の仮眠。
 洗濯機をまわす。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回する。ぼちぼち航空券を押さえておいたほうがいいなと思うわけだが、例年通り夏休み中にスピーチコンテストの練習を行う必要があるかもしれないので、その点をC.N先生に微信でたずねる。練習は実施するが、スケジュールはM先生の予定にあわせるという返事だったので、予定によると7月4日(木)から夏休み入りということになっているわけだが、教員は期末テストの採点だの成績表の記入だのいろいろ仕事があるわけだし、例年どおり週末に帰国してそのままN家の世話になるのだとした場合、最速で12日(金)に帰国かなと考える。それでTにLINEを送ってむこうのスケジュールを確認。夜に返信がとどいたのだが、7月は12日から三連休だが、それ以外の週はすべて土曜日も出勤になっているという話だったので、うーん、むずかしいなとなった。そもそも7月4日(木)から夏休み入りという予定についても、今学期は雪のせいで開始が一週間遅れたという事情があるのだから、夏休み入りするその時期もまた一週間ずれる可能性があるわけで、それにくわえてスピーチコンテストの練習も例年通りであれば五日間連続で担当することになるのだから、となるとやっぱり20日(土)の便をおさえるのがベターか? あるいは19日(金)に帰国して当日は京都のカプセルホテルで一泊? いや、7月の京都はやばいか? カプセルホテルの予約すらとれないかもしれない。トコジラミもこえーしなー!
 夕飯は第五食堂でふたたび打包。なぜか寮の入り口付近にLがいてだれかと電話していたので、Helloとひかえめにあいさつ。満面の笑みで「こんにちは!」と返ってくる。Lの姿を寮で見かけることがちょくちょくあるのだが、あれはやっぱりほかの外教になにかしら用事があってのことなのだろうか。
 帰宅。メシ喰うないや喰う。1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2023年5月10日づけの記事より。

(…)The Garden Party and Other Stories(Katherine Mansfield)の続き。“The Stranger”を読み終わる。これは以前James Joyceの“The Dead”とペアにしてあれこれ日記に書いたおぼえがあるので、けっこう印象に残っている作品であるのだけれど、今回あらためて読んでみて、やっぱりすごいなと思った。ヨーロッパから船で帰ってきた妻を迎える夫のハイテンションっぷり、妻に対する戯画的なまでにまぬけな溺愛っぷりがさんざん描写されたあとに、反してどこか浮かないようすの妻が夫からの追及を受けてとうとう実は船内で若い男性を看取ったことを告白する。それも死の瞬間はふたりきりであったとまず口にされるその告白がどうしても想起させる、ふたりは旅路の過程で抜き差しならぬ関係になったのではないかという疑いが、そうではなくたまたま男が倒れる瞬間その場に妻が居合わせただけであったと続く言葉によって否定される、しかしそれに重ねて男が妻の腕の中で息絶えたことが語られる。この話を聞いた夫は大きなショックを受け、再会の夕べと夫婦水入らずの時間が完全にスポイルされてしまったことを嘆く、“Spoilt their evening! Spoilt their being alone together! They would never be alone together again.”というフレーズで小説は終わる。
 これってある意味究極の寝とられ小説だよなと思った。仮に妻と若い男が肉体関係を結んでいたとしても、それはすでに先んじてむすばれていた妻と夫の関係の二番煎じでしかない。しかし妻の手のなかで絶命するというきわめて印象的かつ象徴的な行為を、夫は当然のことながらそれまで実行に移したことはない。だから換言すれば、ここで夫は、(ゲスい言い方をすると)若い男によって妻のはじめてを奪われているということになる。そしてそういう認識に対する嫉妬を超えた絶望のようなものがここでは描かれているといえる。
 補足しておくと、「ふたりは旅路の過程で抜き差しならぬ関係になったのではないかという疑い」を夫が抱いたとは、この小説のなかにまったく書かれていない。ただ、妻が船での出来事を語る際のその情報の出し方、小出しにする順番からして、(その出来事を知らないという意味で夫と同じ立場に置かれている)読者の頭には、少なからずそのような疑いがよぎるようになっている。また、夫が妻の告白を受けてショックを受けたことは書かれているものの、それがどういう論理でのショックであるのかはやはり書かれていない(上の段落に書き記したような分析的な記述はいっさいない)。そういうところがやっぱりうまい。すべて言語化したくなる、出来事に意味の輪郭線を太くひいてしまいたくなる、読者に対する解説というよりはむしろ書き手自身の足場を固めるためになされるそのような要約的な言語化が、ここでは注意深くこばまれ、貴重な空白のまま手付かずで置かれている。だからすごく上品な印象を受けるのだ。妻の腕のなかで息絶えた若い男の姿とペアをなすかのように、告白を受ける前の夫が妻をじぶんのひざの上にのせていたり、あるいは告白を受けたあとにその妻の胸に顔をうずめたりするという形象的な細部の連動もちょっと気になる。

 チェンマイのシャワーを浴びる。卒業生への手紙に着手する。20時から23時半までカタカタやった結果、ひとまず最後まで書けた。しかし過去最長になってしまった。だいぶ噛み砕いたし、言葉遣いにも注意したが、それでもけっこう抽象度の高い内容になってしまった気がしなくもなく、うーん、これはうちの学生にはやっぱりむずかしすぎるかもと思った。ま、時間はまだあるはずだし、ゆっくり敲を重ねていこう。作業中は『メイド イン ジャパニーズ』(イルリメ)と『一』(鴨田潤)と『三』(鴨田潤)を流した。イルリメなんて15年ぶりくらいに流したかもしれない。
 寝床に移動後、『回転木馬のデッド・ヒート』(村上春樹)を最後まで読んだ。「ハンティング・ナイフ」の以下の描写がいいなと思った。

 僕は女と同じような格好でうつぶせになり、小さな波がブイの側面を打つ音に耳を澄ませながら、十分ばかり体を焼いた。白い海の鳥がまるで定規を使って空に線を引いたようにまっすぐに陸に向って飛んでいくのが見えた。耳の中に入った水滴が太陽の光で少しずつ熱くなっていくのが感じられた。強い午後の日差しが無数の針となって陸や海の上に降り注いでいた。体を濡らしていた海水が蒸発してしまうと、そのすぐあとに汗が吹きだしてきて全身をおおった。

 「耳の中に入った水滴が太陽の光で少しずつ熱くなっていくのが感じられた」という文章と、「体を濡らしていた海水が蒸発してしまうと、そのすぐあとに汗が吹きだしてきて全身をおおった」という文章を読んだとき、夏になるたびごとに地元の川で連日泳ぎまくっていたかつての記憶がふっとよみがえったのだ。