20131206

「われわれが『わたしはXを愛する』というときその愛ということばが意味していることの少なくとも一部は、次のようにいいあらわせるだろう。『わたしは自分自身をひとつのシステムとみなし、自分がひとつであることを肯定的に受けとめて、バラバラに分解して死んでしまうよりひとつのまとまりをなしていることの方を選ぶ。さらにわたしは、自分の愛する人をシステミックな存在ととらえる。そして、わたしというシステムと彼ないし彼女というシステムとが一体になって、それ自体の内部にある程度の適合性をそなえたひとつのより大きなシステムをなしているものとみなす。』」
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』「結局メタ・フォーって何?」より『わたしたちというメタファー』の一節)



10時半起床。あさ起きて寒いとそれだけで若干吐き気のようなものをおぼえるのはどうにかならないものだろうか。きのうのトレーニングのせいか腰痛がひどくなっている。というか厳密にいうならば従来の腰痛に筋肉痛がのっかった状態というべきだろう。通常の筋肉痛通り数日内におさまってくれればいいのだけれど腰痛と癒着したまま居残られたら悲惨というほかない。
12時より発音練習&音読。16時まで。のち(…)にメール返信。体のところどころが痛いけれど元気でやってるよ、そっちはどう、ここ二ヶ月ほどずっと本の準備をしている、思っていたよりもずっと時間がかかるみたいだ、くりかえし推敲をしているとときどき頭がおかしくなりそうになる、けれどまあなんとかやってる、じぶんを納得させうるマスターピースを作ることだけがこちらの願いなんだから、そのためにはどんな困難とも苦難とも闘うってとっくの前に決意してるわけだしね、例の映画は日本では来年の一月に公開される、だからそのときに観にいくつもりだ、字幕なしで映画を観るのはいまでもやっぱりむずかしいから(英語の勉強もあれからどうにかこうにか続けてはいるんだけど)。
奨学金の返済猶予承認通知が届いていた。返済猶予は60ヶ月が限度で現在36ヶ月承認済み。ということは今回承認された分も含めるとあと36ヶ月すなわち三年はこのままの収入でもどうにかやっていけるという計算になる(予想していたよりも1年多くストックがあったのでテンションがあがった)。逆にいうならそれまでにどうにか小銭を稼いでおかないと死ぬほかないわけで、じぶんの頭上にはいまFFでいうところの「死の宣告」カウントが36を示していて、月が変わるたびにこいつが1つずつ減少していく。0になったとき、すなわち31歳をむかえるその日、死神を導きとする地獄巡りが、神聖悲劇がはじまるだろう。印税生活かはたまたオレオレ詐欺か、ここがターニングポイント、ふたつにひとつだ!
語学の勉強をするにはじぶんには未来があるという信仰が不可欠だと思った。作文も勉強も近道なんてどこにもないおそろしく地道で地味で気の長くなるような作業には違いないわけだが、小説の場合はたとえ一日1枚しか書けない亀の歩みであったとしても、地道さが地道さのまま積み重なっていくのをその日その日の作業が終わるたびごとに具体的な数値(400字詰め原稿用紙の換算枚数)としてとらえることができる。それに比して語学能力は数値化できない。向上の実感にしても、費やした文字数だけ確実に枚数の増えていく作文の営みとはちがって、変則的なカーブを描くようであるらしいその成長曲線をつかみとってたしかな手応えとして感知するのは容易ではない。賭した時間の分だけ積み重なっていくものを確認するすべもなく、ただ盲目的にいずれは身につくはずだ、いつかはあやつることができるはずだと、今日と地続きでない不透明な未来、ほとんど仮定法に近いそんなふうな未来を前提にすることでしか学習の一歩また一歩を踏み出すことはできない。語学に精を出す連中はそれゆえに基本的に楽観主義者であるといえる。希望的観測にもとづく未来を有する楽観主義者。
自転車の空気が抜けかけていると先週の出勤時に危ぶんだ記憶があったので近所の自転車屋に行った。右ブレーキがわやになっているのでなんとかいうパーツを交換したほうがいいんでないかといわれたが、値段をたずねると800円かそこらで、別にブレーキがききにくいとかそんなこともなかった気がするので今回はいいですと断った。それで空気のたっぷり入った自転車にまたがりアパートまで1分の帰路をたどっている途中、右ブレーキがまったくきかないことに気づいて、あれそうだったっけと思ったけれども別にさほど不便でもないのでまた今度でいいやと思った。図書館に出かける必要があったのだけれどスーパーにしろ図書館にしろどうも歩いてむかうほうがこちらの性に合っているので、クソ暑い真夏の盛りか花粉の飛び交うシーズン以外はやっぱり徒歩だろうということでわざわざアパートにいったん自転車を置いて、そこから歩いて片道20分だか30分だか知らないけどとにかく図書館にむかった。途中、薬物市場にたちよっておにぎりをひとつ購入して食った。帰宅してからジョギングに出かけるつもりだったので、またド派手に転ぶことなどないようにその前にエネルギーを蓄えておこうという魂胆からの間食である。(…)さんのお宅のそばを通ると鉢に植えられた細い樹木の葉が真っ赤にそまっていた。歩きながらぶつくさやっていたのだけれどそのぶつくさにもとうとう一区切りがついてしまった。瞬間英作文はこれで三冊目であるのだけれど一冊につきそれぞれ二十周すると決めていて、その二十周×三冊の営みが今日ついにおわった。厳密にいえば音源にあわせてやる範囲がすべて終わったというだけで残る範囲があるのだけれど、これはバイトの空き時間を縫って進めていくのにちょうどいい具合なのでそういうアレで地道に潰していくつもりである。さてこれからの移動時間はどうしたものか、ひさしぶりにDuoのシャドーイングでもやってみるかと思いもしたのだけれど、とりあえず潰すべきテキストを集中的に潰していくほうがじぶんの性に合っているので、音読用の音源を延々と流してみることにした。しばらくはこれでいく。
図書館をあとにしてからスーパーに立ち寄ってもずくとチーズだけ購入し、帰宅してからストレッチをした。ジョギングに出かけるまえにメールボックスをのぞくと(…)から早々と返信が届いていて、あなたが順調に夢にむかっているときいてとてもうれしいわ、あなたならきっとやれるはずよ、あなたとあなたの読者がハッピーになれるようなマスターピースを書きあげることができたらすばらしいでしょうね、それってこの世界にたいする一種の貢献みたいなものよ、がんばって書きつづけて、そしてけっしてあきらめないでね、偉大な達成にはたっぷり時間がかかるものなんだから気にやむことなんてないわ、それから体調のことだけれど、きちんと休憩をとるように、体もなるべく温めてね、冬はもうすぐそこよ、それに秋の寒さだってなかなかのものだわ、温かい服を着るようにしてもっとじぶんの体をいたわるようにしてね、あなたはほとんど完璧なひとだけれどじぶん自身の健康についてだけはちょっと無頓着だから、無理をしないように、なんでもかんでもじぶんでやっちゃうのもときには考えものよ、ときどきは友達や家族にも頼ってあげて、わたしのほうは順調よ、たくさん勉強して今年はできるかぎりベストを尽くすつもりよ、つらいことも楽なこともあるけれど、まあおおむねわたしは健康でうまくやってるわ、身体には気をつけてね、それから本の進展状況についてもまたしらせてね。
ストレッチをしているときに両脚ともに筋肉痛の残っていることに気づいたので今日は短めのコースですませておくかと考えていたのだけれど、いざ走り出してみるとやはり腹にたくわえるべきものをたくわえておいたのが功を奏したのか、なかなかに好調で、それだから結局長いコースを走った。このコースを走るのもこれで三度目だけれども、コース変更する以前は無理だろうきついだろうと思っていたのがじっさいに走ってみると案外どうにかなってしまうもので、こういうふうにして体力ってついていくもんなんだなと思った。寒い夜だったけれども汗だくになった。今日は転ばなかったが、かわりに途中ですこし歩いた。
帰宅してからシャワーを浴びた。シャワーを浴びている最中にふと「A」を手放したあとの計画として、要するに来年からの新たな時間割として、一日を前半と後半の二部構成とするこれまでの方式をとりつつ、そこに「執筆」「英語」「読書(映画)」の三要素を順繰りにあてはめていくのはどうだろうかと思いついた。つまり月曜日の前半は「執筆」、後半は「英語」、そして明けて翌日の火曜日の前半は「読書(映画)」、後半は「執筆」、次いで水曜日の前半は「英語」、後半は「読書(映画)」……というふうに。これはひらめいた途端にものすごく画期的なアイディアのように思われたのだけれど、じっさいかなりバランスがとれていいんでないかといまもやはりそう思う。来年いっぱいは「読書(映画)」というインプット抜きで「執筆」と「英語」の二本柱でいくとこれまでに何度も考えてきたけれどもじっさいそれだとかなりきついというか、やはり本を読む時間はあるていど欲しいし読まないと書けやしないみたいなところもたしかにある。土日は労働なので前半も後半もないとして、すると平日五日間×前後半の計10コマに三課目を順繰りにあてはめていく感じで、となると昼間から読書をする日もあれば夜に英語の勉強をする日もあるというふうにこれまでと少しばかり趣の異なる時の過ごし方をすることも出てくるわけで、そのような浮動性が吉とでるか凶とでるかはまだわからないけれどもしかしなかなかに効率的でおもしろい試みになるんでないかという気がする。ただ金曜日にかんしては翌日に労働を控えているというアレから仮眠をとらずに早めに床に着くことが多く実質1コマしかとれないことが多くなるだろうけれどもそこはこれまでどおり土曜の早朝に早起きして出勤前にひと仕事するというアレで埋め合わせていけばたぶん大丈夫だろう。いやはや完璧!完璧な時間割がいま完成した!これで来年もまた飛躍の年になること請け合いだ。習慣の奴隷が、時間割の虜囚が、みずからの性向を的確に把握しそのさだめを生産的に利用してみせた場合、いったいどのような怪物がうまれることになるのか、この身をもって告げ知らせようではないか!パラノイアの千の夜を知るもの来たれ!
洗濯物を干しているとパワー型ユニットの彼女らしい女とその連れ合いの男がやってきたのでこんばんはと挨拶した。女はトイレや水場やシャワーについてなにやら得意顔で男に説明しているふうだった。まだ帰宅していないらしいパワー型ユニットの部屋に女はすべりこみ、ギターかなにかのソフトケースを肩にかけた男は去った。玄米と納豆と冷や奴ともずくと胸肉をキャベツの千切りといっしょに酒と塩こしょうと昆布だしで一緒に蒸し煮したものを喰らった。それから酩酊しこの夏の写真を媒介として記憶の襞をわけいる冒険に出かけたりした。もうすっかり忘れていたようないちいちも集中すればすべて取り戻せる。HAIMのFoeverを聴きながら眠った。