20131207

 同様に、ある考えなり出来事なりの理解を深めるために想像でほかの人になりきって、だれだれならこれをどうみるだろう、と問うてみるのもいい。ほかの人間の精神モデルというのは前に述べたコンピュータ・プログラムのようなはたらきをするもので――頭のなかで他の人になりきると、自分というシステムにいままでにない新しい要素が導入され、その影響がシステム全体に波及してゆくのがわかる。しかも、これは何度やってもかまわない。ひとつの問いを次々とちがったフィルターにかけ、そのたびごとにそれがどう処理されるかをみてみることができるのである。同じことはグループについても可能だ。一人ひとりのスタイルや声も、みんながどんなふうに相互作用しあうかもよくわかっている一団の人間たち、たとえばある会議とか委員会とかのメンバーなどについても――。一時期、わたしは一九六八年のヴェナー=グレン会議の思い出をこの方式で利用していたことがある。ガートルードならどういう議論をしたかしら? あるいは、トリーなら? もちろん、本書に取り組むうえでは何度となくこれをやった。グレゴリーならどんな反応をしただろう? 頭のなかでは名前を動詞にしてしまうという省略さえ起こった。このアイデアを「グレゴリー」できないかしら? この方法のおかげで、本書の執筆は父がさまざまな新しいことを述べるのに出会う、新しい出会いの連続のように感じられた。キリスト教の伝統のなかでもっとも基本的な瞑想形態のひとつは、自分自身(および自分の人生にあらわれたジレンマの数々)を想像でイエスという人になぞらえてみる〈キリストのまねび Imitatio Christi〉である。これに類した同化行為はキリスト教以外の伝統でも教えられている。共感(エンパシー)はひとつの修練なのだ。
グレゴリー・ベイトソン+メアリー・キャサリンベイトソン星川淳吉福伸逸・訳『天使のおそれ』より「結局メタ・フォーって何?」)



6時半起床。8時より12時間の奴隷労働。引き継ぎのときに(…)さんから試験に落ちていたとの報告があった。受かるにせよ落ちるにせよ近々職場を去る予定だとは以前より聞いていたのだけれど、どうせだったらもう一年ねばってみて当の資格を取得してから辞めたほうがいいんでないかと思わないでもないのでためしにそういってみると、どのみち持っていたところでたいしてありがたみのある資格などではなくただ肩書きがひとつ増えるか否かくらいの差でしかないからさほど未練はないのだという。(…)さんはすでに行政書士やら何やらむずかしそうな資格を大量に取得している。どっちにしろもうこの仕事を続けるのは無理です、人生的につらいというので、人生的につらいってどういうことですかとたずねてみると、まず夜型生活がつらい、それにこのままここにいても交流関係がひろがるわけでもないし、というとても意外な返事があって、友人?恋人?ハッ!っていうこのスタンスをとりつづけていたようにみえる(…)さんがめずらしく漏らしたやわらかい本音のように聞こえてドキッとした。(…)さんはたぶん大学卒業後してわりとまもないころからここでずっと、おそらく十年以上にわたって働き続けているはずで、取得した資格はほとんどすべて仕事の合間の内職としてはじめた勉強の成果のはずなのだけれど、その間ずっとしずかに夜の孤独を抱えこみつづけてきたんだろうかと思うと、道化になることを拒む自尊心の高さがときおり透けてみえるその性格の難しさもあいまって、すこしさびしい気持ちになった。というようなことを(…)さんの去ったあとに(…)さんに話してみると、(…)くんそういや友達も恋人もまったくおらんって言うとったわ、とあって、その「まったくおらん」が「ほとんどいない」の誇張表現ではなくて字義通りであるとするならば、それはやっぱりとてもさびしいことだろうな、せめて昼間の世界での生活圏を確保したいよな、とやはり同情するような気持ちがおこった。(…)さんが辞めたあとの後釜について、どうも(…)さんはこちらが手を挙げてくれるならばと期待しているふうだったので、そこは無理ですととりあえず釘を刺しておいた。たとえ内職をする時間がたっぷりとれる夜勤務だとしてもいまさら二勤二休に戻ろうという気にはなれない。
(…)さん(…)さんがあまりに執拗にくりかえし誘うものだからけっきょく職場の忘年会に出席することにした。ただしドタキャンありの条件で。忘年会はもちろん夜からなので、日中の作業がはかどった場合には出席、だめだった場合は欠席すると伝えた。
(…)さんが月に一度くらい本気で(…)さんのことを殺してやりたくなると言った。(…)はもう駄目だと(…)さんも苦々しく口にした。本当にぜんぜん働かないらしい。みんなが汗だくでバタバタやってるときでも平気で煙草を吹かしながらスマホをいじってばかりいて割り当てられた数少ない仕事にもぜんぜん手をつけずにいるのだという。(…)さんの評価がさがればさがるだけ同じポジションにあるこちらの評価はあがることになるわけだが、研修期間中から思いきり昼寝をしてしまってこいつはとんだ大物だとみんなを唖然とさせた(と後日(…)さんから教えられた)じぶんのような人間がよく働くというふうに判断されるくらいなのだから、(…)さんもよっぽどなのだろう。ただじぶんの場合も二勤二休のときは限られた時間の隙間をぬっていかに内職に精を出すかとそればかりに苦心していたので(…)さんのことや同じポジションにある(…)さんや(…)さんのことをうんぬんかんぬんいうつもりにはどうしてもなれない。そもそもがこの業界のこのポジションを狙って応募してくるやつなんてのは十中八九怠けものというか内職目当てみたいな連中なのだ。ほとんど特例的な扱いとして週末勤務という条件をこちらに提示してくれた(…)さんにたいする感謝というのはやはりあって、その(…)さんの顔を潰さないためにもせめて週二日の勤務日くらいはしっかりやろうと、特例的な扱いを受けたことにたいする反感がじぶんだけにさしむけられるならまだしも(…)さんにまで及ぶとなればこれは仁義にもとることだというアレがあったので、そう決めて、本来わりあてられている仕事以上のことをいつもいちおうやってはいるのだけれど、そうなればそうなったで結局アルバイトの(…)くんがあれだけ動いてくれるのにそれにひきかえ正社員のあんたは的な方式で(…)さんの株をさげてしまうことになるわけで、あちらを立てればこちらが立たずとはまさしくこれよ、わしゃもう知らん。
夜の引き継ぎ時、(…)さんが試験やっぱり合格してましたと顔をあわせるなり口にしたので、なんすかそれと大笑いした。落ちたにもかかわらず面接の案内が届いていたのでどういうことかと思って調べなおしてみたところ、若い番号から順に縦並びに掲示されていると思いこんでいた合格番号が実は横並びであることが発覚してそれで合格していることに気づいたのだという。面接は来週の日曜日にあるとのことで、五千円払うからいつもより二時間早く出勤してくれないかと頼まれたのだけれど、別に時給はその分出るわけであるからそんな大金を出してもらう必要はないといったら、ぼくはひとに借りを作るんが嫌なんでというので、ぼく(…)さんのときに二回遅刻してますしその分のアレってことにしましょうよといった。したらああたしかにそうでしたね、じゃあそうしましょうと笑っていって、五千円もったいないことしたなーと若干後悔したけれどもいずれにせよ合格、そいつはよかったよかった。(…)さんはひとまず来年の7月まではここで働きつづけるらしい。その後は個人事務所をかまえる予定だという。餞別に「A」でも渡そうかな。読ませてくれってたびたび頼まれているし。
半額品の鯖の塩焼きを購入してから帰宅し、玄米とインスタントのあさりのみそ汁(これ信じられないくらい不味い!馬鹿か!)と納豆と冷や奴ともずくといっしょに食べた。それからシャワーを浴びてストレッチをし、仕事のある日もなるべく欠かさず身体は動かしたほうがいいんではないかというアレから腰に若干の懸念を覚えつつも思いきって腕立て伏せをした。それから日記を書いてめずらしく夜のうちにアップした。