2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

20140430

二三日前、俺は、ここの渓へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生れて来て、渓の空をめがけて舞い上ってゆくのが見えた。お前も知っているとおり、彼等はそこで美…

20140429

演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳…

20140428

そのうちに私は非情に興味のある一つの籠を発見した。それは黒い宝玉のような眼をした、褐色の背に白い縞の走っている猫じゃらしのような尻っ尾を持った、アクロバットの一群だった。朝鮮栗鼠! この連中は十匹で二十匹の錯覚を与えるために活動していた。餌…

20140427

「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。…

20140426

またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通は一体に賑かな通りで――といって感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうした訳かその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接して…

20140425

時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起そうと努める。私は、出来ることなら京都から逃出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたか…

20140424

彼が森のなかに入ったときには、小鳥たちはまだかろうじて目を覚ましたばかりで、最初のチュンチュンさえずる声が、水面に跳ねるしずくの音みたいに彼の頭上に落ちてくるだけだったが、いまや、オークやブナの木から絶え間なくさまざまなメロディや饒舌な会…

20140423

ときおり、ミュージシャンたちを乗せた車がやってきて、ブリジェットをひろっていった。そういうとき、彼女は一晩中どこかへ行っていて、明け方、クーパーがカード・ゲームから戻ってくるころに帰ってくる。「いっしょに来ない?」と彼女は訊いた。「わたし…

20140422

(…)みんなで母親の遺体を運んでいった森の空き地が目に浮かぶ。三時間も経たないうちに、彼らは母親を地中に下ろした。だから、母親がこの地上で死んでいた時間はこのうえなく短かったことになる。 (マイケル・オンダーチェ/村松潔・訳『ディビザデロ通…

20140421

(…)その男とのあいだの最後の数メートルを歩いているあいだに、この空き地に入ったとき、彼の演奏も聞こえていたことを思い出した。意識下の低い弦の音、リズムとメロディ――だから女の唄声にはそういうものが欠けていてもよかった。女のほうが彼の伴奏をし…

20140420

?のたうちまわるブナ?の話を聞いたことがある。積雪十メートル超。逃げも隠れもできぬブナは雪の重みで押しつぶされ、ときに折れる。雪解け後、全精力を注ぎ込んで立ち直ろうとし、生き直そうとし、傷んだ体を修復しようとする。その繰り返し――何年も何十年…

20140419

すべてに絶望した人にとって何より生きる支えになるのは、誰でもいい、たった一人でもいい、じーっと自分を、いつも見つめつづけてくれている人がいるってこと――その目じゃないか、って。その、深く自分に向けられた、絶えざる視線(め)がある限り、人はど…

20140418

いちばん魂に敏感な奴が、いちばん魂で傷つくだな。 (松下清雄「三つ目のアマンジャク」) どうやら、告(つ)げ人(と)の帰りらしい。騒々しいわりには、どこか、陰気くさい。告げ人とは死亡告知の使者のことである。二人一組で葬家の親戚縁者に忌事と葬…

20140417

報いだな。報復だな。裁きだな。そったらこと、おら、てんから信じちゃいねぇ。この世のことは、すべて一回こっきり。未来には一切、貸し借りなしよ。ただ、死者に対してだけは、はなしは別で……。 (松下清雄「三つ目のアマンジャク」) ……運命にはとことん…

20140416

まンず、うすらトンカチのおめえらの、空っぽ頭にようく叩き込んでもらいてえのは、 と、村長メはさらに音量さ上げて。 人間どもの天下はもう終わったということだ。ばかな都会人どもはまだ、おらが天下の妄想にとり憑かれて、栄えゆく人間様の世を謳歌し、…

20140415

彼は自分をひとつの「類」と見なしていたが、それに属しているのは彼ひとりきりだった (残雪/近藤直子・訳「素性の知れないふたり」) 8時半に起きた。あたらしい時間割のはじまりである。歯を磨きストレッチをしパンの耳2枚とコーヒーの朝食をとった。そ…

20140414

新しいテレビ。 お昼を食べたあとに、マルサ電機から新しいテレビが配達された。これまでみていたテレビに妻はお酒をふりかけて、「ありがとう」といって、マルサに持って帰ってもらう。 (庄野潤三『メジロの来る庭』) ゆっくりと晩酌をして夕食を食べ終る…

20140413

夜、一日の仕事が終り、あとは、風呂に入って寝るだけというときに、妻は書斎からハーモニカの箱を取って来て居間のこたつに置く。私が二人の好きな昔の唱歌、童謡を吹き、妻が歌う。二曲目はいつも歌なしハーモニカだけの「カプリ」ときまっている。「カプ…

20140412

夕方、玄関に山田さん来ておみやげのカニを下さる。山田さんのお国は新潟で、お父さんは亡くなったが、お母さんが元気でおられる。山田さんはよく新幹線に乗って新潟へ帰る。お国からカニを送って来て、そのカニを山田さんが届けて下さるから、私たちにとっ…

20140411

(…)軍隊に労働組合がないというのは驚くべきことです。給料がないというのは……というか、厳密には、マフィアの方がずっと誠実です。かりにマフィアが諸君にだれそれを殺してくれと頼むとすれば、マフィアは諸君に大金を払います。 (ジャン=リュック・ゴ…

20140410

(…)われわれがここで検証したすべてのことは……われわれが最終的に提示するはずのすべてのことは、映画史というのは、自らの歴史をもつことができる唯一の歴史だということです。なぜなら、映画史というのは自らの痕跡をもっている唯一の歴史だからです……人…

20140409

私はいつも、映像をつくる人たちは音楽を必要としているのに、音楽家は映像を必要としていないという事実を、不思議なことと……おもしろいことと思ってきました。私はよく、アメリカ映画でであれ心理的映画でであれ、あるいは戦争シーンでであれラヴ・シーン…

20140408

(…)私が自分は観客の近くにいると感じるのは、もっぱら、私が映画を自分自身のために必要としているからです。そうでなければ、私は映画をつくったりはしないはずです。 (ジャン=リュック・ゴダール/奥村昭夫・訳『ゴダール映画史』) (…)かりにわれ…

20140407

形容詞というのは状況を判断するためのものじゃありません。でもわれわれは今、形容詞によってものごとが定義される時代にいます。文章のなかでものごとを定義するのに役立つのは動詞とか補語とかであって、形容詞は、定義するためのものではなく、ほかのこ…

20140406

(…)それにまた、法律というのは言葉でできています。映像ではできていません。映像は、法律が適用されたり、裁判官が証拠を提出したりするときにしか役立てられないのです。もっとも、無実の人が自分の無実の証拠を映像をつかって提出するという場合もあり…

20140405

私の唯一の意図は、なにかを言うことにあるのではなく、人々になにかについて語りあわせることにあります……なにかのための撮影をすることにあるのではなく、ある一定のやり方で撮影すること自体にあります。《なにかのために》ということがあるとすれば、そ…

20140404

…私が思うに、変えることが難しいのは、内容よりはむしろ形式です。つまり、形式と内容を古典的に対比して考えれば、あるいはまた、この二つの言葉を文字どおりに解釈して考えれば、形式の方が、変えるのがずっと難しいということです。人間を変えるためには…

20140403

探偵映画はなぜ……というか、人々は警察というものをあまり好きじゃないものですが、それなのに、探偵映画はなぜあんなにヒットするのでしょう? 捜査官とか刑事(ポリシェ)[あるいは「探偵」]というのはいつも、自分がしたいと思うことをしています。かれ…

20140402

私は当時すでに――今でもそうですが――、「ときにはばかでかい映画をつくるのもわるくはないけど、でもそれによって小さな映画をおしつぶしたりしてはいけない」と考えていました。それにまた、「かりにある映画ができのわるい映画とされるとすれば、それはた…

20140401

……私は二十年前はこうしたことを考えていませんでした。そして今になってこうしたことを考えるようになったのは、私がこれまでずっと、映画をつくりつづけてきたからです。つまり、一種のコミュニケーション手段のなかにいつづけたからです……矢を射る者でも…