2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
(…)個としてのアイデンティティとクラスとしてのアイデンティティをきれいに選り分けることはおそらく困難であると思われる. クラスとしてのアイデンティティ規定をどんどん削ぎ落としてゆけば, その人間の個体としてのアイデンティティも次第に形式的なも…
「序言」中のブーバー自身の言葉をそのまま借りれば、ここでは「反省的な経験化に先立つ」自己の体験を言葉にしている主観的な告白が重んじられ、「非主観的な講話」は収められていない。ブーバーの最大の関心事は神秘的体験の秘密そのものを反映している言…
「私がおりますのは、私が創造される以前にいた場所なのです。そこでは、ただ神が神のなかに存在されるだけなのです。そこには天使も聖者も、合唱席も天もありません。八つの天や九つの内陣のことを口にする人びともいますが、そのようなものは私がいまいる…
人間は誇りを学ばねばならないが、誇らしくあってはいけない。怒りを知らねばならないが、怒ってはいけない。人間はあらゆる歓びをもって苦行することができる。 (マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「ハシド派の人びとについて」) 天…
三日ののち、彼には物の区別がなくなってしまった。 七日ののち、彼には外部がなくなってしまった。 九日ののち、彼は自分自身の存在の外に歩み出た。 そののち彼の精神は朝のように輝き、彼は顔と顔を合わせて、本質を、彼の自己を観た。 彼が観てしまった…
私には信仰があらかた失われてしまったように、希望も死に絶えてしまったように思われる。というのも、私には自分がかつてすでに信じたこと、希望したことを今ももち、確実に保っているように思われるからである。 (マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘…
(…)神は内的に私の魂のなかに立ちたまい、そのとき私は神をまざまざと感得し、あらゆる自然のなかに神がどのように現存したまうか、また存在するあらゆる事物のなかに、悪霊のなかに、善き天使のなかに、地獄のなかに、楽園のなかに、姦通のなかに、殺害の…
見よ、私は豊かであり、ありあまってもっている、なぜなら、私はすでに、私がこの世界に望むすべてのものを所有しているからだ。そして、私のまさにここにもつものを私は、あたかも所有していないかのようにもつ。なぜなら、私は愛によって所有するのではな…
いつであれ私がおまえの望みにしたがっておまえに私を与えるときには、私はおまえのなかに私の甘い地上の住みか、それが欠けていると思わずにはいられぬだろう。なぜなら、千にもあまる心でさえ、ひとつの愛する魂にその望みをもたすことはできないだろう。…
おお、あなた、あなたの賜物のなかで注ぎ与えられる神! おお、あなた、あなたの愛のなかで流れたもう神! おお、あなた、あなたの欲望のなかで燃えたもう神! (マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「メヒティルト・フォン・マクデブルク…
あるとき彼は語った、「神をたいへんはっきりと観たため、あらゆる信仰を失ってしまった、ひとりの人間を私は知っています」と。 別のあるときに、アンドレア修道士が彼に語った、「あなたは神がある幻のなかであなたから信仰を取りあげてしまわれた、と言っ…
それから師は私に、眼をあけるよう命じられた。そうすると私は、私の前に坐る師の姿を肉体の視覚でもって観た。彼が新たにまた私に目隠しをされると、今度は私は同じように坐る師の姿を、私の精神の視野のなかに観た。驚きにみたされて私は叫んだ、「おお、…
「(…)私は愛にとらえられていながら、だれを自分が愛しているのかわからない。私は忠実でも不実でもない。私はいったいだれなのか? 私は自分で私自身の愛のことがわからない。私は愛に満ちた心をもち、が同時にその心は愛のために虚ろなのだ」 (マルティ…
アラファート巡礼月の祭のさいに彼は語った、「おお、愚かな者たちに道を示されるかたよ!」そして彼は、すべての人びとが祈っているのを見ると、ある丘の上に登って人びとの姿を眺めたが、人びとがみなもとの場所にもどったとき、自分の身を打ちたたきなが…
捧げ物と、捧げ物を置く石と、捧げ物を供える人――この三つが同じ一つの存在から出てくるものであることが、私にはわかっている、私はそれを身をもって知っている。 (マルティン・ブーバー/田口義弘・訳『忘我の告白』より「ラーマ・クリシュナの言葉」) …
忘我において体験されるものは(それが何であるかについて語ることがまったくのところ許されるなら)、我の一体性である。しかし一なるものとして体験されるためには、我は一なるものになっていたのでなくてはならない。完全に一体化されていた者だけが一体…
忘我体験(エクスターゼ)なるものをなんらかの系列に《編入》するのは私にとっては大事なことではない。私の関心をひくのは、忘我体験における、系列化することのできない固有性なのである。むろん忘我体験にも、それをとおしてなら出来事と出来事の因果的…
人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。 (中村元・訳『ブッダのことば―スッタニパータ』) 渇した人が冷水を求めるように、また商人が大きな利益を求めるように、暑熱に悩まされ…
そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、尊き師にいった、「すばらしいことです、ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者を起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、…
たぶんわたしは最初から、無頓着な筆づかいを恐れる心が足りなかった――いまだにそうだ――オウムもどきの繰り返し――陳腐な言いまわしや平凡な表現も気にしなかった。おそらくわたしは、こういう配慮をするには少々民衆的(デモクラティック)にすぎるのだ。 (…
それから誰だ地球を賛える賛歌の作者は、ぼくは実は地球全体を賛える歓喜の賛歌が作りたくて、苦しいぐらいの恍惚感に頭がおかしくなりそうなんだ。 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』) 女たちにはわたし自身をあれこれと囁き声で伝…
最盛期の頃のベニスでは、総督は年ごとにアドリア海に指輪を投げこみ、都市を海に娶わせる儀式を司った。 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』注釈より) ぼくはベッドからベッドへと移動しながら、眠っているほかの彼らにも次次と寄り…
偉大な法というものは、うるさいことは何も言わずにただ吸収し放出する (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(下)』) 耳に聞こえるこのことを、わたしは誰にも語ってやれない――わたし自身にさえ語ってやれない――まったくもってすごいもんだ。 …
魂を満たしてくれるものならすべてが真実、 分別が魂の欲望や貪欲を底の底まで満たしてくれるが、 魂を究極的に満たすのは魂自身のほかにはない、 自分以外の教えにはことごとく反抗する、そんな底なしの自負心が魂にはある。 今わたしが語る分別とは、時間…
わたしが行なうのは義務だからではない、 人が義務として行なうものを、わたしはいのちの衝動として行なっている、 (いったいわたしは心臓を義務だから鼓動させるのか) (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(中)』) ひとときが君を訪れたこ…
ぼくの届ける品物は君が大いに必要としていて、そのくせいつだって持っているものだ、 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(中)』) 世の画家たちは群がり集う群像とそのまんなかの中心人物、そんな絵ばかり描いてきて、 おまけにまんなかの人…
時間のさまざまな顕示と刻み目が、 完全に正気な目で見れば哲学者たちの主人だと分かる、 時間はいつも休みなく、さまざまな部分のなかにおのれ自身を顕示しつづける、 詩人の存在を顕示するのはいつも陽気な歌い手たちの一団と彼らの言葉だ、 歌い手たちの…
ぼくはこっちが小さい、あっちが大きいなどと詮議はしない、 おのれの時と場所とを満たすものならどんなものにも引けはとらぬ。 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』) 過去、未来、威厳、愛――もしもこれらのものが君に欠けていれば、君…
世間に背かれ、苦痛に喘ぐすべての者たちにわが身を化し、 他人の形の牢獄にわが姿を見て、 そしてとぎれることのない鈍い痛みを感じている。 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』) 時計は今この時を教えてくれる――だが永遠は何を教え…
子供が両手にいっぱい草をつかんでぼくのところに持ってきて、「草ってなあに」とぼくにきいた、 その子にどう答えたらいいのだろう、子供どころかぼくにだって草が何だか分からないのに。 (ウォルト・ホイットマン/酒本雅之・訳『草の葉(上)』) ぼくが…