20240422

 作品は作品で、いろいろなものを作品という統一体に束ねていく過程でひじょうに大きな労力を必要とする。それは私自身『カンバセイション・ピース』を書きながら痛感した。しかし、作品という統一体にするために、意識的と無意識的の両方で切り捨てたものがいくつもあったことを書いた本人が一番知っている。
 作品であるからにはじゅうぶんに騒音を取り込めないのだ。作品として「つじつまを合わせる」こともさることながら、作品に向かっていく力が破綻する余地を進行中の作品に与えなくなる。しかし現実は、つまりここでいう〝諸衝動〟も含めた現実は、もっとずっとばらばらな方向を向いている。小説の情景が「いきいきした」ものでなければならないとしたら、作品は作品という統一体になっていく過程でどうしてもじゅうぶんに「いきいき」しなくなる。
 それは当然こっちも小説家なんだから、文章をいじって精一杯「いきいき」とさせるけれど、それは小さな子どもが地面の上を転がり回るような活力とはまったく別のものだ。しかし、書いている自分の中には確かにそういう活力がある。子どもが地面の上を転がり回るような活力がなければ小説は書けないのだ。
保坂和志『小説の誕生』 p.349-350)



 10時半起床。第三食堂へ。窓口で饭卡に300元チャージする。前回ここで400元渡したのに300元しかチャージされずトラブルになったことがあったので慎重に確認。第五食堂の一階で炒面を打包。新入りらしいおじさんが鍋をふるっていた。
 帰宅。食し、洗濯機をまわし、日語会話(二)で使う資料を一年生1班と2班の学習委員にそれぞれ送信。ついでに先週風邪で授業を休んでいたK.Kさんに具合をたずねる。問題ないという返事。
 「実弾(仮)」第五稿作文。12時過ぎから15時半まで。シーン35、無事完成。シーン36もあたまから尻まで通したが、ここはかなりよく書けている。修正点はほぼない。すばらしい。
 「首相側近、元号案を独自に提示 国書出典「佳桜」など3案」というニュース記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/e2f325776ff1c5226e0e913153f831a066af4563)を読んで、ひたすらげんなりしたというかほぼ絶望した。

 元号「令和」を巡り、当時の安倍政権で首相秘書官を務めた今井尚哉氏が2019年4月1日の発表前、元号選定の実務を担う事務方とは別に、国書(日本古典)由来の元号案「佳桜」など3案を安倍晋三首相に独自に提示していたことが21日、政府関係者への取材で分かった。発表前に政府の事務方内で漢籍(中国古典)由来の「万和」が「平成」に代わる元号として最も有力視されていたことも判明。発表から5年を経て終盤の詳細な選定過程が明らかになった。
 関係者によると、杉田和博官房副長官(当時)をトップとする事務方が複数の専門家に依頼して得た「英弘」「広至」「久化」「万和」「万保」の5案のうち、石川忠久二松学舎大元学長(故人)が「史記」を典拠として考案した万和が有力とされた。ただ安倍氏は、国書ではないことや濁音が入ることで難色を示した。
 こうした中、安倍氏から協力を求められた今井氏は3月中旬、万葉集に基づく佳桜や「桜花」、出典のない造語の「知道」を安倍氏に示した。3案は国学院大の関係者が考案したもので、今井氏が面識のあった日本財団笹川陽平会長を介して集めた。

 元号が「令和」に決まったとき、それまでは漢籍から採用するという(保守主義者の大好きな)「伝統」がかくして(なんの値打ちもないナショナリズムによって)ぶち壊されるわけだなと思ったわけだが、今井尚哉なる人物の提案によるところの「知道」なんて中国語の動詞であるし(意味はknow)、「桜花」なんて(おまえらカスがすぐに美談に仕立てあげたがる)特攻兵器の名前ではないか! こいつらほんまにあたま腐っとんなと心底げんなりする。というかほんまにシャバイだけのカスがイキって出典もなにもない「造語」をもちだしている点にしても、日本といえば桜みたいなクソしょうもない小学生以下の発想にもとづく候補を堂々とあげている点にしても、場末の広告屋以下の感性でしかないわけであって、こういうミスチルとかRADWIMPSとかを親子二代そろって好んで聴くようなクソ喰いバヤ以下の感性がこの国を代表しかけているという危機にまず愛国者を自認する連中は家伝の日本刀をたずさえて抗議しろよと思う。ほんとうに教養も常識もクソもなにもない連中が国のトップに居座っているのだ、そしてそういう連中を(愛国ドラッグでヨレた)この国の過半数の人間が支持しているのだ! 前々から言っているように、円安うんぬんかんぬんよりもこの知的劣化の事実のほうが、こちらにとってはよっぽど罪深く重苦しいものとして絶望的に感じられる、マジで終わりつつある国なのだという現実的認識をまざまざと突きつけられる。

 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。以下、2023年4月22日づけの記事より。

(…)「死への欲動」というのは、文字通り、死へと向かっていく欲動ですが、そういう「欲動」を生命体である人間がどうして抱くのか、生命は快楽を求めているのではないか、という疑問がすぐに生じてきますね。フロイトによると、生命を持つということは生命を維持するための緊張を常に強いられることです。現代思想的に言い換えると、生命は常に何かを欠如している状態にあります。だから、有機体はその緊張・興奮を限りなくゼロに近づけ、楽になることを目指します。これは、最終的には無に戻ること、すなわち死です。それが「死への欲動」です。人間の中では、この「死への欲動=タナトス」と、生に留まって、快楽を得ようとする「生への欲動=エロス」が常に対立しています。命に関わる強い衝撃を受けた時、その時の記憶が反復的にフラッシュバックしてくるのは、「死への欲動」の働きだとされます。
 ドゥルーズガタリは、「死への欲動」のようなまとまった欲動があって、それが「生への欲動」と鬩ぎ合うことでバランスが取れている、という見方をするのではなく、元々バラバラの運動をしていただろう諸「機械」が、私たちという統一体の中の各器官に割り振られ、部分対象=部品としての決まった役割を担い続けることに無理があって、もう一度バラバラになろうとする傾向が私たちの体を構成する機械たちにある、という見方をしているわけです。「身体」を、各器官が有機的に統合された一つの生命体と見れば、母の子宮から外に「生まれる」ということは、新生であり解放ですが、諸「機械」の連合体と見れば、身体だという堅い檻の中の独房に閉じ込められるようなものです。
仲正昌樹ドゥルーズガタリ<アンチ・オイディプス>入門講義』 2021年4月22日づけの記事より)

(…)引用を参照すれば、死の欲動(享楽)とは、なかば力ずくで成立させられている象徴秩序が瓦解する傾向であると理解できる。元来バラバラの断片である出来事(現実的なもの)が、系譜(父の名)と経験(予測誤差の体系)による出来合いの象徴秩序による歯止めを突き破ろうとする力。象徴秩序の不完全さのあらわれとしての死の欲動
(2021年4月22日づけの記事)

(…)この場合の「系譜(父の名)」とは「経験」が最大公約数的に社会化されたものであると考えればいい(その最たるものとして「言語」がある)。
(2022年4月22日づけの記事)

 以下は2014年4月22日づけの記事より。

(…)どうすればひとりでいても満ち足りることができるか。自分が知っているすべてから、愛する人々からさえ身を守って。そういう奇妙なやり方で、人々を完全に理解しながら。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)

 夕飯は第五食堂で打包。上の部屋が今日もうるさい。あの女のわめき声はマジでどうにかならないだろうかとげんなりする。ほとんど二三日置きで旦那か父親かわからない相手とケンカしているのだが、その声というのがこちらがこれまでに会ったことのある人類のなかでもっとも下品で耳障りな響きを有しているのだ。おおげさじゃない。マジだ。録音して聞かせたいくらいだ。あのわめき声を録音して毎朝スピーカーから流せば、うちのキャンパスにアホみたいにたくさんいる野鳥らはみんな新型の鳥インフルエンザにかかって即日墜落死すると思う。あれは魔属性のワギャンだ。
 Lに電気ケトルの件について問い合わせる。チェンマイのシャワーを浴び、ストレッチをし、コーヒーを淹れてから「卒業生のみなさんへ(2019年)」を詰めなおす。先週即興でいけるだろうとたかをくくって失敗しかけたので、スライドをしっかり作りなおす。
 21時半からデスクで書見。『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。小腹のすいたところでトマトスープのインスタントラーメンをふつうにこしらえて食したが、これはあんまりうまくない、以前やったように炒面風にしたほうがずっといい。
 歯磨きをすませて寝支度をととのえる。あとはベッドに移動するだけというタイミングで、寝るまえにちょっと大きな音で音楽をききたい気持ちになり、それでLIBROの“ハーベストタイム”をイヤホンから大きめの音で流してみたのだけれどもツボにハマり、しばらく部屋の電気を落としてひとりでくねくね踊るはめになった。今日は入浴中にも『なおらい』を流していたのだが、いいアルバムだと思う。

20240421

 次の引用は『ゴダール全評論・全発言Ⅰ 1950-1967』(奥村昭夫訳)の中で、ゴダールが『勝手にしやがれ』(一九五九年)を撮影する前後ぐらいの一九五八年に、アレクサンドル・アストリュックという監督が撮った『女の一生』という映画について書いた文章の一節だ。
 
つまり私が言おうとしているのは、大部分の映画作家は、たとえかれらの映画の物語がどんなに大きい広がりのなかで展開されるものであっても、自分の演出を自分のセットの広がりのなかでしか考えていないということである。それに対してアストリュックはどうかと言えば、彼は反対に、シナリオが必要としている地域の全域、それより広くも狭くもない全域において自分の映画を考えたという印象を与えている。たしかに、『女の一生』ではノルマンディーの風景は三つか四つしか見ることができない。それでもこの映画は、ノルマンディーの現実的規模において構想されたという途方もない印象を与えるのである。(略)事実、困難なのは林を見せるということではなく、ある居間を、その目と鼻の先に林があることがわかるように見せるということである。そしてさらに困難なのは、海を見せるということではなく、ある寝室を、そこから七百メートルのところに海があることがわかるように見せるということなのだ。大部分の映画は、ファインダーを通して見ることのできる、数平方メートルの舞台背景のなかで組み立てられている。それに対して『女の一生』は、二万平方キロメートルのなかで構想され、書かれ、演出されているのだ。
保坂和志『小説の誕生』 p.252-253)



 11時半過ぎ起床。ちょっと寝過ぎた。朝方にいちど小便がしたくなって目が覚めたのだが、いったいいつからだろう、尿意によってたびたび目が覚めるようになったのは? たびたびといっても一週間に一日か二日程度だと思うのだが、それでも若いころはそんなことなかった、寝る直前によほどたっぷり飲みものを飲んでいた場合は別として、朝方に小便がしたくなっていちいち目が覚めるなんてことは滅多になかったと思うのだが。それでいうと実家に滞在中、深夜の2時か3時ごろになると、階下の母親がきまって一度寝床から抜けだしてトイレに行く物音が聞こえてきて、やっぱり年を食うと便所が近くなるのか、眠りが浅くなるのかと思ったりもしたものだったが、こちらはこちらで順調にそうなりつつあるというわけか。年を食うというのはなかなか情けないもんだな。
 食堂に出向くのがめんどうでたまらないので朝昼兼用をトーストですませることに。その分夕飯ははやめにとればいいやというあたまでいたのだが、三年生のC.Mさんから微信。夕飯を作りにいっていいですかと泣き顔の絵文字付きでの懇願。過去に二度か三度連続で断っているので、さすがに今回も断るのはアレかというわけで了承したのだが、これで予定が狂った。夕飯はいつもより遅くなるし、日曜夜のスタバも中止になるだろうし、なにより今日中に進めておきたい授業準備に支障が出る。C.Mさんは17時ごろに寮に来るという。授業準備をしなければならないので料理は手伝えないけれどもかまわないかといちおう確認をとっておく。
 母からLINEがとどいている。胸椎を骨折して絶対安静状態にあるという。(…)を抱きかかえたまま尻餅をついて転んだのが原因らしい。なんやそれ! どういう状況やねん! と思って返信すると、折り返しの着信がある。9日の朝方に(…)が小便をするため庭に出たがった、それで庭に面した窓をあけてみたのだが大雨だった、これはさすがに庭に出すわけにはいかないと判断、おむつだけあたらしいものに交換すればいいと母は考えたのだが、(…)はそれでも庭に出たがった、それで庭に出たがる(…)を中腰の状態で抱えてひきとめようとしたところそのまま尻餅をついて転んだ、ひどい痛みが走った、(…)は(…)で室内でそのまま小便を漏らした、しばらく痛みにもだえたがその後ずいぶんよくなった、しかし朝出勤前の弟が母の顔色を見て土気色になっているではないかと仰天、仕事を休んで整形外科に連れていった、レントゲンをとったところ異常なしとの結果だったが、それから数日経っても痛みはひかない、むしろ痛みのあまり仰向けになっても横向きになっても眠れない、それでもういちど病院にいってレントゲン撮影、するとちょっとあやしいところがあるということになってMRIを撮ることに、MRIのあの個室に40分間横になって撮影した結果胸椎が骨折していることが判明、それで絶対安静ということになったのだという。きのう病院でコルセットの型取りをしたので今後はそれを装着して生活することになるというので、全治どんだけなんとたずねると、三ヶ月ほどという返事。しかし絶対安静が三ヶ月続くというわけではなく、おそらく一ヶ月ほどで日常的な家事はできるようになるだろうとのことで、いまは父と弟が交代で家事を担当しているらしい。尻餅をついただけで胸椎骨折というのはさすがに弱すぎるだろうと思ったが、(…)の体重は24キロあるし母は小柄であるし年齢もたしか今年で七十歳であるし、まあそういうこともありうるか。夏休みに一時帰国した際にエアロバイクを買ってやるから身体が治ったら運動したほうがいいといった。骨を強くするのはむずかしいにしても筋肉をつけることは年がいってからでもできる。父は毎日アホみたいにはたらいているからまだだいじょうぶだろうが、母は仕事をやめて以降体をほとんどまったく動かしていない、これは絶対によくないと思う。エアロバイクを置くスペースがないと母は前回こちらが一時帰国中に同様の提案をしたときに渋ってみせたが、スペースうんぬんよりも健康のほうがずっと大切だろう。たぶんいまどきのエアロバイクだったらタブレットスマホをセットすることのできる備品みたいなものもあるだろうし、それで動画でも観ながら毎日小一時間自転車を漕ぎつづければいいのだ。
 コーヒーを二杯たてつづけに飲みながらきのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読みかえす。以下、2014年4月21日づけの記事より。この記述はなかなかかっこいい。ちょっと『族長の秋』みたいだ。

(…)古い文献によれば、この地方の吟遊詩人は小鳥の鳴き声を真似できることで有名で、その結果、鳥の渡りの習慣を変えてしまった可能性があるのだという。
マイケル・オンダーチェ村松潔・訳『ディビザデロ通り』)

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は15時。キッチンと阳台の窓をひらいて風を通す。シンクをみがき、リビングと寝室に掃除機をかける。いろいろ買いたいものがあったので、うちに来る前にスーパーで食材を買い出しするつもりでいるだろうC.Mさんに連絡をして、いっしょに(…)で買い物しましょうと提案する。明後日の日語基礎写作(二)で配布する資料「ニュースの原稿」を37人分印刷する。
 16時半をまわったところで寮を出る。徒歩で(…)にむかう。西門経由と北門経由どちらのほうが近いのかわからないが、前回は西門経由でおとずれたので今日は北門経由でむかってみることにする。到着したところで、テナントとして入っているケンタッキーの入り口にあるベンチに腰かけ、Katherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読む。1ページも読まないうちに半袖Tシャツ一枚きりのC.Mさんがあらわれる。今日はずっと寮でごろごろしていたという。
 買い物をする。のどが渇いていたのでC.Mさんおすすめのココナッツミルクを買う。C.Mさんが作ってくれるのは重慶料理。必要なものは鶏もも肉とセロリと玉ねぎと娃娃菜(白菜の小さいやつ)のみ。こちらはココナッツミルクのほか、キッチン用の布巾と红枣のヨーグルトとトマトスープのインスタントラーメンを買い物かごにぶちこんだ。レジにならんだところで、野菜に値段をつけてもらうのを忘れていることに気づいたので、C.Mさんにたのんで野菜売り場に野菜をもっていってもらった。野菜以外の商品だけ先にレジでバーコードを読み取ってもらう。C.Mさんはなかなかもどってこなかった。買い物中もずっとスマホでだれかとやりとりしているようすだったが、清算をすませて店の外に出たところで、スマホばかりいじっていて申し訳ないみたいなことを口にした。友人が最近ボーダーコリーの幼犬を飼いはじめたのだが、(…)とおなじ病気にかかっていろいろ苦労しているので、いろいろアドバイスを送っているのだという。
 北門経由で大学にもどる。もうすぐ労働節だし(…)と再会できるでしょうというと、切符を買うことができなかったので帰省しないという返事。C.Mさんとおなじく江西省出身のC.KさんとE.Sさんのふたりも切符が買えなかったと言っていたなと思い出し、その点告げてみたところ、最近中国の有名な网红がC.Mさんの故郷をおとずれた影響で江西省行きの高铁の切符が全然手に入らなくなったのだという。なるほど。故郷の写真を見せてもらったが、山間に伝統的な建築物があるその風景がちょっと京都っぽかった。もともと観光地として有名だったのとたずねると、最近くだんの网红が紹介するまでほぼ無名であったとのこと。その网红もいわゆる「案件」で彼の地をおとずれたのかもしれない。
 寮に到着。管理人のMr.Gのところで客人はサインをする必要があるのだが、しょっちゅうひとりでこちらの寮をおとずれる彼女を見て、Mr.Gは内心どう思っているんだろうなと思う。ま、それでいえば、そもそもC.Mさん自身なにを考えているのかよくわからんというか、日本語にはさほど興味はないようであるし、こちらの授業中にしたってだいたいいつも辺獄のベラックワみたいな無の表情を浮かべて机にべったり突っ伏しているのだが、それでいてなぜか日頃の交流はもとめる、それもだいたいタイマンでこちらと会いたがる。かといって深々と交わすなにかがあるのかといえば全然そんなふうでもなく、だいたいメシだけ作って満足みたいなアレで、実際今日にしたところで、先学期にくらべて5キロも太ってしまったのでいまはダイエット中、だからメシは作るけれどもじぶんでは食べないといってこちらのメシのみ作り、かつ、その調理もこちらの手伝いを不要とする、それについては授業準備をしたいこちらとしてもありがたいし、実際、彼女がキッチンとあれこれたちはらいてくれているあいだ、こちらは印刷した資料をホッチキスで綴じたり、「わたしのアイドル」の採点表を作成して印刷したりしたわけだが、メシができあがったらできあがったで、やはりじぶんはひと口も食わず、ただこちらが食うようすをながめていたりスマホをいじったりするだけ、それでしばらく経ったところで、ルームメイトといっしょに(ダイエット用の)食事に行くといって部屋を出ていったのだった。本当にただ料理をするだけ! なんともつかみどころがないというか、C.Mさんはたぶんマジでただ単に料理を作るのが好きなのだろう、だれかにふるまうのが好きというのですらない、本当にただキッチンでガチャガチャやるのが好き、そうするのがなによりも気分転換になる、そういうタイプの人間なのだ。
 しかし、ま、長々と滞在されるよりはありがたい。そういうわけで彼女が去ったあとは予定どおり授業準備を再開。日語会話(二)の第19課を詰める。続けて第17課の資料も前回の失敗を踏まえて改稿。途中で完全に集中力が切れたので気分転換をかねてチェンマイのシャワーを浴びる。あがったところでコーヒーをいれたのだが、前々から接触のあやしくなっていた電気ケトルがいよいよ本格的にぶっこわれつつあり、これはいちおう寮の備品扱いであるはずだからLに報告すれば大学持ちで新品を購入することができる、というかそれでいえばコピー機のカートリッジにしてもコピー用紙にしてもそうであるはずなのだが、いちいち請求するのがめんどうなので結局自腹を切っている。電気ケトルだけはいちおう明日打診してみようかなと思う。淘宝をざっとチェックしてみたのだが、コーヒーをいれるのに特化したタイプの、注ぎ口の細くなっているやつがそれほど高くない値段であったので、スクショを撮って明日Lに送ってみるか。
 第17課の続きを最後まで詰める。きのうから『sentiment』(claire rousay)をくりかえし流しているのだが、これはかなりいい。前作の『A Softer Focus』は正直それほどピンとこなかったのだが、『sentiment』はすばらしい。あと、『Śisei』(arauchi yu)もすごくいい。現代音楽やミニマルの要素がちょこちょこ差し込まれていてその響きにいちいちおっと思う。おなじceroのメンバーのソロ作でいうと、『Triptych』(Shohei Takagi Parallela Botanica)もあるわけだが、『Śisei』のほうがじぶんにはなじむ気がする。高城晶平といえば、『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』(VIDEOTAPEMUSIC)のなかに“PINBALL (feat. 高城晶平)”という楽曲があるけれども、ここで披露しているラップが、たとえば『My Lost City』のころとは全然違う調子になっていて、それで、お! と思ったのだった。
 音楽といえば、C.Mさんがこしらえてくれたメシを食っているあいだ、スピーカーからシュトックハウゼンの“ヘリコプター弦楽四重奏曲”を流していたところ、「先生、この音楽は気持ち悪いです」と言われたのだった。学生らがうちに来るときは比較的ポップな音楽を流すようにしているというか、少なくともメロディのある曲をBGMとして採用するようにしているのだが(現代音楽とかノイズとかストイックなミニマルミュージックとか流していると学生らが居心地悪そうにそわそわしだす)、今日はすっかり油断しており、いつものようにじぶんの好きなものを流していたのだった。
 夜食はスーパーで買ったトマトスープのインスタントラーメンを野菜といっしょに炒面風に炒めたもの。食し、歯磨きをすませ、今日づけの記事の続きをここまで書くと、時刻は0時だった。

 寝床に移動後、『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。
 どのタイミングでそう考えたのか忘れてしまったが、「実弾(仮)」脱稿後、ひさしぶりに新人賞にでも応募してみようかなと思った。じぶんが書きたいものを書いた結果、応募条件にたまたまあてはまるものにとりあえず送ってみるというこれまでのやりかたではなく、本気で獲りにいってみようかなと思ったのだ。そこらの作家よりはじぶんのほうがはるかに書けるという自覚はとっくにあるし、いまさら新人賞なんてというアレもなくはないのだが、と、書いていて思いだしたのだが母親だ、母親が骨折したという話をきいたときにいずれそう遠くない未来におとずれるかもしれない死を連想してしまい、その前に門外漢にもわかりやすい成果としての新人賞をとってやってもいいかもしれないなとふと思ったのだ。
 あと、もうひとつ書き忘れていたのだが、日中モーメンツをのぞいたところ、四年生のS.JさんとK.Eくんが日本の観光地の写真をあげており、それで、あ、あのふたりもいまインターンシップで日本にいるんだと驚いたのだった。てっきり処理水の一件でキャンセルしたものとばかり思っていたわけだが、それでいうとS.Jさんは海鮮丼の写真まで堂々と投稿していて、ということはおそらく現地で中国政府による主張とはまったく異なる主張を目に耳にしたのだろう、そして海鮮類を口にしてもまったく問題ないと判断したのだと思われるわけだが、それにしたってこうしてモーメンツに海鮮類の写真を投稿するのはかなりめずらしい、というか勇気のいる行動ではないか? 実際、去年の夏にインターンシップで長野に行き、処理水に関する壁の外の主張を知って納得したR.SさんとC.Rさんにしても、わざわざ海鮮類の写真をSNSにあげるようなことはしなかった。S.Jさん、もしかしたらいろいろ思うところがあるのかもしれない。彼女とはプライベートで交流した経験がほぼないので、どういう思想の持ちぬしであるのか、こちらは全然知らないわけだが。

20240420

 現実に存在している人間というのは、いくつもの面を持っていて、私たちはその人に対して実際のところは統一したイメージを持つことを放棄していて、何か事があるたびにその人との経験からあらためてその人のことを考え直すという風にしているのだが、現実の中では自分がそういう風にしているということをあんまり考えていない。つまり統一したイメージを持つことを放棄しているということを自覚していない。(だからこそ、血液型とか星座とか心理学のタイプ分類の本を読んで、「そうだよね」と安直に納得してしまったりする。こちらの側にきちんとしたイメージができていたらそんなものは必要ない。)
 しかし小説を読むときには「この人物はどういう人か」というイメージを持とうとするし、書く側もそういう風に書くことになっていて、それゆえに自分たちが現実の中で接する知り合いについての統一したイメージや輪郭を持っていないことまでは小説を読みながら考えが及ばない。(だから血液型などの性格分類は小説みたいなフィクションだということになる。)
 小島信夫の小説、とりわけこの三冊の中に出てくる人物たちは私たちが現実の中で出会う人間のように振る舞いつづける。そしてそれゆえに、私は自分が現実の中で知り合いについて統一したイメージを持ったりその人についての輪郭を持ったりしているわけではなかったことに気づく。そんなことを読者に気づかせる小説は他にない。その登場人物たちが「結局どういう人なのか」「結局何が言いたくて作者・小島信夫に接近してきたのか」そんなことはわからない。それは現実に存在する人間がそうであるのと同じようにわからない。「そうなのだ。現実の世界では相手の意図するところを全部わかろうなんてハナから思っていないんだ」と、そのことに読みながら気づく。
 小島信夫は『暮坂』の中で夏目漱石の『道草』のある箇所を思い出して、こういうことを書く。
 
……そのとき不意に思い出した小説の内容は、何となつかしくリアルで、しかも気持よく感じられることか。それでいて小説であるがために気持よく読んでしまっていたあの内容は、小説としてリアルであることとは別のものを含んでいると思えた。その感じは何と口にしていいか、どんなふうに自分自身に説明していいものか、この暗闇のように、腹立たしいほど、暗く奥深いだけであった。
 
 読者を驚かせるのは、小説としてリアルなことではなくて、小説から離れてリアルなことが小説に書かれているときだ。
 小説を書くという行為は作業であって、作業というものはそれをする者の事前の意図をこえた精密さを作業する者に要求しはじめる。たとえば塀をペンキで塗っているとして、塗る前は「まあ適当なところでいいか」ぐらいに考えていたものが、いざ塗りはじめると塗りむらが目について、「もう少し」「もう少し」と、精密さの方に引っ張られていく。
 小説を書くとなるとその精密さへの誘惑はもっと強く、語のレベル、センテンスのレベルで手を入れ出すとキリがなくなるが、小説を書くプロであるかぎり手を入れれば入れただけ文章は確かに良くなっていく。しかしそれで小説として精密になり、リアルにもなっていったとしても、それはあくまでも小説としてリアルなだけであって、小説から離れてリアルなものが生まれるわけではない。
 小説としてリアルなことと小説から離れてリアルなことは別の原理なのではないか。小説としての精密さばかりに気をとられていると現実がどういうものであるかがおろそかになるとか、小説としての精密さばかりに気をとられずに現実を忘れないようにしなければならないとか、と書くことは簡単だけれど、それはスポーツで「力むな。もっと肩の力を抜け」と言うのと同じくらい難しい。
保坂和志『小説の誕生』 p.232-234)



 11時前起床。朝方、たしか8時ごろだったと思うが、上の部屋ではない別の部屋からコンコンコンコンなにかを打ちつけるような音がひびいてきて、耳栓越しにもやかましく目が覚めた。中国の寮(アパート)、なんでこんなにどいつもこいつもクソうるさいんや?
 朝昼兼用の食事は第四食堂ですませることに。(…)で麺をオーダーしたところ、「先生!」と先客から呼びかけられた。二年生のC.Kさん。ほかでもないこの店を依然おすすめしてくれた張本人。打包する彼女とバイバイしたのち、こちらは近くのテーブルに移動してオーダーしたものを食したのだが、いつもは红烧なんとか面をオーダーするところを今日は招牌と名前に入っていた看板メニューをオーダーしてみた。羊の内臓と血を固めたやつを細く切ったものがのっかっている麺だったが、あんまりうまくなかった、これだったらいつものやつのほうずっとうまい、なんでこれが招牌なんやと疑問に思う。値段はいつものやつにくらべると2元か3元安かったが、京都弁風にいうと「値打ちがない」。
 売店でペットボトルの紅茶を買って帰宅。さすがにもう衣替えしてもいいだろうというわけでダウンジャケットを二着たてつづけに洗濯機の「羊毛」コースで洗う。きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返し、そのまま今日づけの記事もここまで書くと、時刻は15時半だった。

 寮を出る。階段でインド人のJとすれちがう。そばには新入りらしい外教の男性がいる。どこの国出身か忘れたが、以前も見かけた人物だ——と書いたところで外教のグループチャットを確認したところ、そうだ、Aという名前だ。国籍はどこだっけ? 以前調べて日記に書きつけた記憶があるのだが、たしかパキスタンかインドではなかったか? まあなんでもええわ。門前ではJ一家ともすれちがった。Aと会うのはひさしぶりだったのでそう告げると、大きくなったでしょうとCがいう。来年中にはきみより背が高くなるかもしれないねといってから、クラスでも大きいほうなのとたずねると、真ん中よりもちょっと後ろという返事。Tと会うのはひさしぶりなんだからhugでもすればとCがうながすと、ちょっとめんどうくさそうな恥ずかしそうな表情を浮かべてAがやってくる。ぎゅっとhugする。
 ケッタにのって(…)へ。食パン三袋購入。あんたずいぶん長いあいだ見てなかったけどとおばちゃんがいうので、店には来てるよ、ほかの店員さんがいつもいたけどと応じる。レジには見覚えのないおばちゃんがもうひとり入っており、こちらの会計を担当してくれたのだが、その際に支払いは微信ではなくて支付宝のほうがうんぬんかんぬんという。するとすぐに顔見知りのほうのおばちゃんが割って入って、このひとは日本人だよ、支払いはいつも微信なんだよみたいなことをいう。初顔合わせのおばちゃんはすこしびっくりしたようすで、日本人なのか、中国語が上手なんだなと驚いてみせる。中国人は外国人の中国語をマジですぐに褒める。これは極端な意見でも誇張でもなし、マジでそのまま受け取ってほしいのだが、你好と谢谢、それにくわえてたとえば「私は◯◯人です」みたいな初級のフレーズを中国語で口にできただけで、あんたは中国語がとても上手だな! とほぼ100%の確率で相手は褒めてくれる。だから本気で中国語を学ぶ気のある外国人にとって現地で生活するのはけっこう愉快なんではないかと思う。
 (…)楼の快递でプリンターのカートリッジを受けとる。いつものおっさんだけではなく学生バイトらしい女の子が入っていた。めずらしい。そのまま帰宅してもじきにまた食堂に出向くはめになる時間帯だったので、第四食堂付近にあるバスケコート近くのベンチに腰かけて17時ごろまで書見することに。暑くもなければ寒くもない。湿気は多少あるものの、花粉はほとんど飛散していないし(あるいは薬がよく効いている)、蚊も全然見当たらない。ある意味最高のロケーションでKatherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読みすすめる。illuminationという単語に啓示・啓蒙の意味があることをはじめて知った。啓示といったらrevelationだとばかり思っていた。おなじ啓示といっても、ジョイスepiphanyで、オコナーはrevelationというイメージなのだが、ウルフやマンスフィールドの作品をilluminationというコンセプトから読み解くこともできるのか。ウルフも一度まとめて読まないといけない。原文はかなり複雑に入り組んでいるだろうし、まずは日本語訳でもろもろ読んで(再読して)、気に入ったものの原文に当たるというふうにすればいいか。
 書見の最中、「先生!」と声をかけられた。一年生のK.Sくんだった。もともと日本語学科2班に所属していたが、今学期から他学院に転籍した男の子。歴史学院だったよねと確認すると、マルクス政治思想学院だという(中国語での)返事。高校二年生から日本語を勉強している彼であるが、会話はほぼ成立しない。いまはむしろ英語のほうがいいのかなと思って英語に切り替えてみたが、英語は全然わからないという中国語での返事があって、結局、日本語と中国語のちゃんぽんで軽くやりとりを交わすことになったのだが、あたらしい環境を楽しめているようす。以前K先生からK.Sくんは大学で実施されたメンタルヘルスのテストでうつ病疑いの結果が出ているという話を聞いていたのでちょっと心配だったのだが、じぶんがもともと興味のあった学科に転籍することができて、もしかしたらけっこう持ちなおしたのかもしれない、先学期はそんな姿を一度も見かけたことはなかったのだが、今日はTシャツにハーフパンツでどうやらバドミントンを楽しんでいたようだった。よかった、よかった。
 17時をまわったところで書見を切りあげて第五食堂へ。打包し、帰宅し、食し、20分の仮眠をとり、チェンマイのシャワーを浴びる。その後、20時半から23時半まで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34の最後をまた書きなおした。それからシーン35の前半をがっつり加筆修正。修正部は赤文字にしているのだが、シーン34にしてもシーン35にしても原稿の半分が赤色に染まっており、第五稿でなおこの修正頻度なのか、完全に書きなおしているにひとしいじゃないかと苦笑せざるをえない。
 しかしこうして書いていてあらためて思うのだが、小説を書きはじめた当初はメタフィクションばかり書いていて、そこから(映画や漫画と差別化する意味で)言語というメディウムにのみ可能なことを(メタフィクションという要素を除去し、一定程度の「筋」を取り入れたうえで)探究する小説を書きだし(その最大の参照先がムージルであり、成果が「A」や「S」である)、そしていまはむしろメディウムに対するこだわりをあえて捨て去る、換言すれば、映画や漫画にも翻訳可能なものを書く——というよりもむしろまず映像ありきで構成したものを言語で再構成しなおすという逆輸入的な発想にたつ——「実弾(仮)」にとりくんでいるわけで、これって大雑把にいえば、ポストモダン文学→モダニズム近代文学というふうに文学の歴史をさかのぼっているにひとしいんではないか。おれもなかなかけったいな足取りの持ちぬしやな。
 最近全然運動していないことに思いいたったのでひさしぶりに懸垂。それからトースト二枚の夜食をとり、めちゃくちゃひさしぶりにプロテインを飲み、歯磨きをすませたのち、「定義集」の結果を文集およびスライドにまとめた。2時になったところで寝床に移動。

20240419

 宇宙というとき私たちは、宇宙の中にふわふわ浮かんでいるボールのようなものをイメージしているだろう。しかし宇宙というのはそんなものではない。ではどういうものが宇宙のイメージか? 宇宙は私たちが地球儀みたいに視覚像を持てるようなものではない。視覚像とはそれに似たものによって代用することであって、宇宙は他の何とも似ていないのだから、宇宙をイメージできる像はない。つまり、宇宙について考えるということは、視覚像が拒絶されるということを経験することでもある。
 人間は視覚によって把えることができるけれど、人間の一生は視覚によって把えることも視覚によって代用可能なイメージを作ることもできない。しかし私たちは人間の一生をイメージできる視覚像を持っていないことに関して、何も不思議に思わないしもどかしさも感じない。そしてそのとき、私たちは「人間の一生の外」という言葉を使おうと思わない。
 宇宙も世界も存在している仕方は人間の一生とは全然違っているけれど、それを代用する視覚像がないということだけは人間の一生も宇宙も世界も同じであって、だからそれに対して「外」という言葉は使えるはずがない。
保坂和志『小説の誕生』 p.228)



 8時15分起床。トーストとコーヒーの朝食。ケッタに乗って外国語学院に向かう途中、南門から少し離れたところにひとりぽつんと立っていた警備員が緑色の細い棒を持っているのが目につき、朝顔の鉢植えにぶっさす支柱みたいなもののようにみえたのだけれどもまるで釣り竿を構えるようにして持っているしその棒の先端も錘がついているかのようにぐにゃりと弧を描いているしで、ちょうど茂みのそばに立っていたこともあって、え? もしかしてキリギリス釣りでもしとんけ? と思った。しかし近づいてよく見てみると釣り竿でも園芸用の支柱でもなく、警備員のおっさんが手にしていたのは茎の長い雑草で、あのな、ええ年したおっさんがなんで仕事中に道端の雑草ちぎってぶらぶらさせとんねん! 童心に返りすぎやろ!
 しかしキリギリス釣りなんて遊びがあることをずいぶんひさしぶりに思いだした。キリギリス釣りをしたことはしかしない。実家にあった昆虫図鑑でそうした捕獲方法があることを知ってはいたが、子どもの時分のこちらはそんなまわりくどいことなどせず、草むらがあったら直接手ぶらでつっこんでいってキリギリスでもバッタでもカマキリでもなんでも手づかみしていたのだ。
 キリギリスといえばSはキリギリスのことをいつもスイッチョンと呼んでいて、いかにも田舎くさいその呼び名を現役で使っているその時点でけっこうおもしろかったのだけれども、当時クラスメイトだったJという名前の女子のことを、あいつかわいいけど正面から見るとちょいちょいスイッチョンにみえるよなと不意にこぼしたことがあり、あれはけっこうおもしろかった。ちなみにキリギリス=スイッチョンは「実弾(仮)」にも登場させている。
 あと、これを書いているいまふと思い出したのだが、Sは中学に入学するまでずっと、ニガーが黒人の蔑称であるように、スタローンは白人男性の蔑称であると勘違いしていた。
 外国語学院に到着する。駐輪場のそばでスタローンことJがぶらぶらしながらタバコを吸っていたので、Good morning! と声をかける。Long time no see! に続き、How are you? とあったので、先週体調を崩して数日間授業を休んでいたと受ける。風邪だったのかCovidだったのかわからないけどというと、WHOがどうのこうのというので、うん? とききかえすと、WHOがあらたなワクチンがどうのこうのみたいなことを苦虫をかみつぶしたような表情でいうものだから、ああ、また陰謀論の話かと適当に流した。いちおうわれわれの契約書には授業中政治や宗教に関する内容については触れてはいけないという文章が盛り込まれているわけだが、Jはああいうタイプであるしどうなんだろ、学生ら相手に微妙ににおわせたりしているのだろうか? コロナについてもアメリカの生物兵器だのWHOのprojectだのわけのわからんことをこちらの前で語ってみせたことがかつてあったわけだが、たとえばコロナウイルスアメリカ政府やアメリカの製薬会社による兵器であるとするタイプの陰謀論は中国政府にとってはむしろ好都合なわけであり、となると授業中にそういう話をJがしたとしても別段おとがめなしで済んだりするのかもしれないが、とはいえ英語学科の学生にだって当然VPNを噛ませて西側の情報を仕入れたり西側の価値観をひそかにインストールしていたりする学生が決して多くないだろうけれどもいるはずであって、そういう学生がたとえば、R.Hくんがこちらとふたりきりのときに西側視点での政治の話をしたがるように、Jに共感をもとめてアプローチをすることもおそらくあると思うのだが、その場合に返ってくるのはしかし、とにかく反アメリカ的な言説であればどれほど荒唐無稽なものであっても鵜呑みにしてしまうある意味平均的な中国人よりも極端でやばいスタローンのガンギマリになった饒舌であるわけで、それはなかなか困惑するだろうなと思う。

 10時から二年生の日語会話(四)。ディスカッション。テーマは「連休の過ごし方」と「大学の改革案」。前者の選択肢は「旅行」と「帰省」と「寮でゴロゴロ」、後者の選択肢は「食堂の無料化」と「自習の中止」と「寮のひとり部屋化」。まあまあ盛りあがった。今年の労働節の予定についても質問してみたが、旅行もせず帰省もせず大学に残るという学生の数がおもいのほか多かった。理由としては高铁のチケットをとることができないからとか、调休のせいで連休が短いからとか、そのあたりが挙げられた。一方で、たしか瀋陽の大学といっていたと思うが、16日連休を実施する大学もあるらしい。信じられない。あと、おなじ(…)省内でも(…)大学は例年调休なしでがっつり連休を採用しているとのこと。
 今日の授業はめずらしくR.Kさんが休みだった。遅刻は多いが、欠席はめずらしいので、ルームメイトらにたずねてみると、おそらくアラームを設定し忘れているのだろうとの返事。つまり寝坊だ。授業後にO.Gさんが教壇にやってきて曰く、R.Kさんは朝の5時まで起きていたとのこと。わたしがどうしてそれを知っていると思いますかと続けてみせるので、もしかしてきみも5時まで起きていたのとたずねると、わたしは全然寝ていません、ずっと起きていましたという返事。徹夜らしい。学生らが徹夜をしているのを見るたびにちょっとうらやましくなる。こちらは徹夜なんてもう絶対にできない。徹夜できるというのは本当にとんでもない能力だと思う。学生時代はたしかにこちらも徹夜なんてしょっちゅうしていた。夏休みにAのアパートに集まって徹夜でトランプしたりぷよぷよしたりしたその翌日にそのまま川に泳ぎに行っていたりしたのだから信じられない。「体力」というのはまさしくああいうものだと思う。本だってむかしのほうがガンガン読めた。
 R.Hくんから昼メシに誘われる。この時間帯は混雑するので食堂には行きたくないと応じると、じゃあセブンイレブンでという返事。それで先週同様、ふたりそろってセブンイレブンで弁当を買った。道中は例によって最近日本語圏のインターネットで話題になったあれこれについていろいろ質問をぶつけられるわけだが、こちらは彼ほどしょっちゅうSNSに入り浸っているわけではない、というかインスタもフェイスブックもなんだったらミクシーも一度もアカウントを作ったことはないわけであるし、Twitterにしても中国まわりの情報に特化したROM専アカウントをひとつ持っているきり、そんななかで唯一15年以上続けているのがもはや古の時代の営みとされている長文日記ブログであって、世の中でなにがバズってなにが炎上しているか、そんなもん知ったこっちゃない。R.Hくん曰く、最近自転車に乗った日本人女性の動画が炎上したという。子連れであるにもかかわらず交通マナーがおそろしく悪くしかもじぶんのあやまちを悪びれるようすもなくうんぬんかんぬんと続けてみせるので、燃えた女も燃やした連中もどっちもクソってことでしょ、どいつもこいつも暇なんだよ、ほかにやることのない連中ばかりなんだよと乱暴に切り捨てた。中国でもこの手のニュースはよく炎上するとR.Hくんはいった。中国人の交通マナーはなかなかえげつないもんなと思っていると、政府がわざとそういう報道ばかりする、そうすることで本当に知られたくないニュースから目を逸らすと続いたので、あ、やっぱそっち方面の話題にもっていきたいわけねと思った。R.Hくんからはほかに訪米時の岸田文雄のスピーチについてどう思うかとか、れいわ新撰組についてどう思うかとか、Twitter経由で触れたとおぼしきあれこれについて問われたが、正直どう思うもクソもない、そんな話をするくらいなら(…)中学校の四階の男子トイレに信じられないほどでかいうんこが流されずそのままになっているのが放課後に発見、うわさがうわさを呼ぶかたちでそのとき部活中だったあらゆる男子生徒が次々に練習を切りあげて四階に押しかけた1998年のできごとについて語り合うほうがよっぽど有意義だ。れいわ新撰組は減税をしようとしていますよ、減税はいいことですよね、減税すれば世の中はよくなりますよというので、市民目線にとってはありがたいことだろうけれども減税しさえすれば社会問題の大半が解決するみたいな単純な話はおかしい、税収が減ればその分のひずみは当然生じるわけであってそのプラスの面とマイナスの面を慎重に検討するのが政治だ、なになにすれば万事オッケーみたいな魔法の解決法なんてものは存在しないし仮にそういう謳い文句をくりかえしている人間がいれば警戒すべきだとしか思わないと応じた。いや、こちらはれいわ新撰組の政策なんて全然知らんわけやが!
 帰宅。30分の昼寝をとったのち、14時過ぎから17時過ぎまで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34、ようやく完成。半分以上書き換えた。シーン35の前半もがっつり加筆修正する。ここはそれほどむずかしくない。
 夕飯は第五食堂で打包。食後、なんとなく外で書見したい気分になったが、金曜夜のスタバは地獄の可能性があるので、ひさしぶりに図書館で過ごすことに。保温杯にコーヒーを200ccいれてバッグに隠して図書館へ。三階にある長机の一画に腰かけて『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。19時前から閉館まぎわの22時までがっつり書見。閉館前に館内に流れる謎のセンチメンタルなメロディをひさしぶりにきいた。書見中、集中が切れかけたタイミングで気分転換に、『Śisei』(arauchi yu)や『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』(VIDEOTAPEMUSIC)を流した。

ひとを狂気にするのは、懐疑ではなくて、確信である。
(353)

……ぼくにはあらゆる病気の徴候が欠けている……
(354)

(…)ぼくはまた、現代の内面生活、野心、幸福、精神性、その他が、どの点で文学から離れたところで行われているかも考えた。
(370)

六月一七日。グストルは、魚が彼には恐怖の混じった魅力を及ぼすと話した。田舎で最初の数日間彼は何時間も気が狂ったように魚釣りに熱中した。それから熱が冷め、恐怖と境を接する嫌悪が消えた。子供の頃、彼は内臓を抜いた魚の骨を取って、それを深皿に載せ、何時間もその前に立って、じっと眺めていたことがあるという。
 彼は、同じように、鳥に惹かれるひともいるばかりか、顔に鳥的なものがあるひとさえいる、誰もが自分と協調する動物をもっていて、そのひとはその動物と神秘に内面的に関連しているのだと主張した。
(376)

 リドの思い出。一二歳の少女の外陰部、盲目の眼のよう。
(396)

一一月末。ぼくはいつもより早く床に就いた。風邪をひいたような気がする。そう、たぶんすこし熱があるのだ。電灯が点っている。ぼくは天井かバルコニーに出るドアの上に垂れているカーテンを見る。ぼくがもう脱衣を終わっていたとき、きみは脱衣を始めた。ぼくは待つ。ぼくはきみの音を聞くだけだ。部屋のこの部分、あの部分での、不可解な足音。きみは来て、きみのベッドの上になにかを置く。それはなんだろう。きみは戸棚を開け、なにかを詰め込むかあるいは取り出す。ぼくは戸棚が閉まる音を聞く。きみはテーブルの上にいくつか固い物、箪笥の大理石版の上にあるのとは別な物を置く。きみは絶えず動いている。それからぼくは髪をといてブラシで梳く聞き慣れた音を聞く。それから洗面台に張られる水。さっきもう脱衣は終わったのに、いままた脱いでいる、きみが何着服を着ているのかぼくには不可解だ。靴。それからきみの靴下が、さっき靴がしたように、絶えず行ったり来たりする。きみはいくつものコップに、三度、四度とつづけざまに水を注ぐ、なんのためなのかぼくにはさっぱりわからない。ぼくはとうに想像できるものは想像し尽くしたのに、きみはあきらかにまだ現実のなかでなにか新しいものを発見している。ぼくはきみがネグリジェを着る音を聞く。しかし、それだけではまだまだ終わらない。またしても百の小さな行動がある。ぼくは、きみが急いでいることを知っている、したがってそれらすべてはあきらかに必要なことなのだ。ぼくは理解する。ぼくたちは魂をもっていないはずの動物たちが、朝から晩まで、きちんと秩序立った行動をする物言わぬ動作を驚嘆して眺めるではないか。それとまったく同じことなのだ。きみが実行する無数の操作について、きみには絶対に必要と思われ、実は完全に無意味なすべてについて、きみはまったく意識していない。しかしそれはきみの生のなかに高く聳え立っている。待っているぼくは偶然それを感じる。
(398-399)

 上のくだりは今回読んだ範囲のなかでもっともムージルを感じた。すばらしい。

 ドイツで驚いたこと。非常な暗さ。非常な湿気。人間がけっして長くは滞在できない土地に来たのかと思う。街路、空気、衣服、すべてがじめじめしている。ミュンヒェンでのことだ。
(407)

 ここを読んだとき、タイ旅行中に知り合った西洋人らのことを思いだした。Sもふくめて西洋人らは雨季のタイの湿気について、単なる不快感の表明を超えた呪詛を撒き散らしていた。つまり、それが一種のウイルスのごとく直接的に体調不良をもたらす原因であるかのような口ぶりで呪っていたのだが、気圧によって頭痛がもたらされるとか、湿気のせいで古傷が痛むとか、そういう話はよく目にし耳にしていたものの、湿気のせいで体調が漠然と悪化する、肉体的に疲れやすくなる、そういう発想はタイとおなじく雨季を有する国に生まれたじぶんにはまったくなかったので、当時かなりおどろいたものだった。

聖霊降臨祭前の日曜日
 アイヒカンプ近郊の奇妙なグルーネヴァルト。体操場と遊戯場。青いトランクホーズをはいた娘たちが腕を組んで歩いて行く。スポーツ場のある場所では若い二人が水泳着をきて日光浴をしている。みなは走ったり、ボールを蹴ったり、ハンドボールをしたりしている。二組は、体操着で、フェンシングまでしている。都会の犬を野外に放したかのようだ。噴出する無意味な運動衝動。かれらは自分がしていることに完全に白痴的に幸福である。
(413)

ベルリン、八月、戦争。
 あらゆる面から雪崩れ落ちてくるような雰囲気。(…)
 根こそぎにされた知識人たち。
 しばらく経って、自分はふたたび平衡を回復した、自分の見解はなに一つ変更する必要がないと断言する人びと。たとえばビー。
 あらゆる美化とならんで、カフェでの俗悪な歌。すべての新聞で論争を挑もうとする興奮。戦場に赴く権利がないために、列車に殺到する人びと。
 記念教会の階段の上で、懺悔とミサ聖祭の間に、俗人が説教をはじめる。
 産院での多数の緊急結婚。
 女性たちのいちだんと質素な服装。
 ぼくは号外を手にいれるため、かなりのスピードで走る自動車の屋根にぶら下がる。
 さまざまな職業の声明。アポロンは沈黙し、軍神が時を支配する、と俳優協会の声明は結論する。
 唯一つの新聞、ポスト紙だけは依然として社会民主党員たちを攻撃して、けっして眼を放してはならない「国内の敵」について論じる。
 第一日、夕方、路上で誰もが号外を求めて犇き合い、号外が声高に読み上げられ、市街電車がきわめて緩慢に通り抜けようとしているとき、二〇歳代の終わりの大男が叫びはじめる、立ち止まれ、諸君、立ち止まれ! そして気違いじみてステッキを振り回す。彼の眼は狂人の表情をたたえている。精神異常者が所を得て、したい放題のことをする。
(415)

 上のくだりはかなりなまなましい。開戦の高揚感。有事の興奮。コロナ流行当初の記憶と響き合うところもある。

 ひとはいったいに、ただ宗教的であるときにだけ愛することができる。
(425)

 しかし神秘は消えた。神秘は市中では持続できないのだ。
(426)

農民たちの性的特徴について適切な観念を得たいと思うならば、かれらの食べ方を思い出さねばならない。かれらはゆっくりと、音を立てて、一嚙み一嚙みを味わいながら咀嚼する。同様にかれらはまた一歩一歩を確かめて踊る、おそらく他のすべても同様だろう。
(427)

 テンナでの榴散弾数発と飛箭。すでにしばらく前からそれは聞こえていた。風のようにヒューヒューという、か、あるいは風のようにザワザワする物音。それがしだいに高まる。時間がひどく長く思われる。それは突然ぼくのすぐ傍らの地面に突きささった。物音がすいこまれたかのようだった。風の戦ぎについてはなにも思い出せない。突然増大した近さについてもなにも思い出せない。しかし事実はそのとおりだったのだろう、なぜなら、ぼくは本能的に上体を横に倒し、両脚はしっかりと直立したままかなり深いおじぎをしていたのだから。しかしそのとき、驚愕は跡形もなかった。また、いつもは不安をともなわなくとも起こる動悸のような、純粋に神経性の驚愕もなかった。——後になって非常に快適な感情。それを体験したという満足感。ほとんど誇り。共同体に取り上げられたという感覚。洗礼。——
(435)

 上のくだりは「黒つぐみ」にそのまま応用されている。『日記』には「黒つぐみ」の元ネタだけではなく「グリージャ」の元ネタも多数書きつけられている。「ポルトガルの女」と「トンカ」はわからないが、少なくとも「グリージャ」と「黒つぐみ」については、ムージルが現実に体験したこと、実際に目にし耳にしたものを(ゴダールモンタージュのように)単純にならべることで成立している部分——「ならべたらつながってしまう」その力に依存しているというかその力を信頼している部分——がかなりあると思う。

危険は理論的なものであり、疲労は現実的である。
(451)

なにかを仕上げられるとき、そして、書きながら目は数ページ先を見ているとき、そのときにだけ真剣に書くこと。まだその域に達していないときには、無責任に素描することで満足し、最初の障害で放棄すること。
(474)

 帰宅。チェンマイのシャワーを浴びる。ついでにトイレと浴室の掃除もおこなうつもりだったので、浴室にスピーカーをもちこんでLampの『恋人へ』と『一夜のペーソス』を流す。あがったところでトマトスープのインスタントラーメンをこしらえて食し、歯磨きをすませ、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の日記を読み返す。2014年4月19日づけの記事は全体的におもしろい。

 職場の更衣室で着替えているときにミサンガのちぎれたことに気づいた。ミサンガといっても四五日前、いたんだ畳のうえにガムテープを貼りつけている途中にいぐさの中からひょろりとでてきた硬い一本をなんとなく右手首に巻きつけて結んだものだった。ちぎれたからにはなにかが起きるにちがいないと思った。

 ここを読んだときは、さすがに「嘘やろ!?」とびびった。おれは(…)アパートのあの腐った畳のいぐさをミサンガ代わりにしとったんか! (…)荘の住人の残りものや(…)の客の残りものをバクバク食っとったエピソードよりもこっちのほうがずっとキチガイじみとるやんけ!
 あと、以下のくだりにも苦笑した。キレるタイミングがまったく理解できん。これ、当時は一般公開していたブログだったから伏せているだけで、もしかしてシャブを炙ったあとやったんかとも疑ったが、夜はふつうに眠っているようであるのでそうではないはず。シラフだ。

 帰路、二人組の警官に自転車を止められた。無点灯とイヤホンの双方が原因だった。警官はとても下手に、ほとんど卑屈といっていいほどこちらを気遣ってみせるような態度でバインダーにとめられたシートをさしだし、住所と氏名と生年月日の記入をこちらにうながしてみせた。おそらくは上層部の指令で、自転車マナー向上のための検問のさいにはなるべくひとあたりのよいふうに、さしさわりなく下手に出るように命じられているのだろうと察せられた。「学生?」というので、「フリーターです」と応じた。記入しているこちらのそばを一組の中年男女が通りすぎていった。警官に止められる直前、自転車にのって彼らのわきを通りすぎるこちらにむけて男のほうがなにやらわめいていたのは目にとめていた。いかにも酔漢めいた身ぶりとはりあげた声らしくおもわれたが、大音量で2pacを聴いていたこちらの耳にははっきりと届かなかった。その酔漢が警官の手にした懐中電灯の円いひかりに照らされたシートの空白を埋めているこちらのそばを通過してしばらく、ぴたりとその場に足をとめてふりかえるがいなや、わかいもんつかまえてしょうもないことしとんなよコラ、と叫んだ。その怒声が、なぜかとつぜんこちらの気に触れた。シートから顔をあげて男のほうをじっと見据えていると、もう一声なにやら続くところがあった。おっさんおまえなんや! と気づいたら声をはりあげていた。警官のひとりが、まあまあ放っておいて、とこちらをたしなめるふうにいった。また怒声がたった。ふたたび、おまえなんやねんコラ! と応じていた。あーもう相手したらあかん、放っといたらええから、とおなじ警官がいった。シートの残りを記入し防犯登録の確認を終えると、例の男はいままさに変わろうしている歩行者信号をまえにしてふらふらとしていた。連れあいらしい女性の姿はすでになかった。こちらの視線に気づいたらしいもう一方の警官が、Mさん相手したらあかんよ、もう放っといて、とシートに記入したこちらの名前を呼んでたしなめるようにいった。生年月日の記入漏れがあったらしく、口頭でたずねられたので西暦で応じたのち、元号で答えなおした。ありがとうございました、というふしぎな感謝の言葉とともに解放されたので、自転車を横断歩道の手前まで進めてそこで乗り捨て、いままさにその先へと渡ろうとしているおっさんの肩に手をかけた。こちらにふりかえらせて、おっさんおまえさっきからなにいうとんねん、とジャケットの襟元を握りしめあげるようにしてからぶんぶんと揺さぶり因縁をつけた。背後からかけてくる足音があって、たちまち先のふたりの警官の手によってひきはがされた。なぜかひとことも言葉を発さない男にむけて、いくつかの売り言葉を叩きこんだ。そのたびに、落ち着いて、もう放っておけばいいから、と警官に制された。制されれば制されるほどますます煮えくりかえってくるものがあって、こちらの正面にたってなだめようとする警官のその肩のむこうに手をのばして例の男の襟元をふたたびにぎりしめてふりまわそうとしたが、もういっぽうの警官の機転により失敗におわった。だーめーだって! だめだから! それ以上は現行犯になるから! といわれて一気に頭が冷えた。捨て台詞を吐きすてて自転車をおこして家路の続きをたどった。警官は追ってこなかった。

 記事の読み返しのすんだところで、そのまま今日づけの記事も途中まで書いた。1時になったところで作業を中断し、寝床に移動。

20240418

 空間、空気といったものは、それに馴れていない人間はすぐにその異質さや特殊さを感じることができるけれど、馴れている人同士のあいだでは言葉としてうまく言うことができにくいし、そういう空間や空気であることをつい忘れてしまう。
保坂和志『小説の誕生』 p.196-197)



 6時15分起床。トースト二枚とコーヒー。8時から三年生の日語文章選読。「キラキラする義務などない」の残りを片付けたのち、「卒業生のみなさんへ(2019年)」。後者については自分がかつて書いた文章であるし、京都時代の思い出に触れた内容もふくまれているので、必要最低限の解説だけ事前にこしらえておきさすればあとはどうとでもなるだろう、即興でおしゃべりするかたちでも十分成立するだろうとたかをくくっていたのだが、さすがに調子にのりすぎた、準備がおろそかだった、途中でだらしなく間延びしてしまった。反省。やっぱり準備は必要。ゴダールが好きな映画監督を三人挙げろという質問だったかに「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたみたいなエピソードがあったように記憶しているけれども、授業に必要なものはなにかと問われたら「準備、準備、準備」にマジで尽きる。準備にかけた時間がかならずしもプラスに働くとはかぎらないが、少なくともマイナスに働くことだけは絶対にないと断言できる。
 三年生は労働節の連休明けに、あれはどういう名目だったろうか? たしか口語実践演習みたいなアレだったと思うけれども修学旅行みたいな感じで遠方に出かけるのがならいで、ゼロコロナ政策がまだ生きていたころは旅行の代わりに(…)市内にとどまって(…)市の文化だの歴史だのを日本語で紹介する動画を制作するというつまらない企画にたずさわることを余儀なくされていたわけだが、今年は例年どおり旅行することに決まったらしい。目的地は西安。現地には一週間ほど滞在するというのだが、(…)からバスで12時間かけて移動するとのことで、いやそれは地獄やなと思った。先生もいっしょに来てくださいとC.Sさんから言われたが、こちらは大学に残って一年生や二年生の授業をしなければならないので無理!
 授業を終えて教壇の荷物を片付けていたところ、次の授業でこの教室を使う英語学科の学生らが続々とやってきたのだが、見慣れない日本人であるこちらのようすをやや遠巻きに観察しているのがひしひしと感じられて、しかし話しかけてくるわけではない。たぶん三年生だろうなと思う。一年生や二年生であればもっとひとなつっこいというか、すれていないところがあるので、好奇心から話しかけてくる場合が多い。
 となりの教室に移動したのち、便所で小便をすませる。便所から出たところで二年生のR.Hさんとばったり遭遇。最近毎日のようにばったり会うねというと、たぶんyou3yuan2ですという返事。発音から逆算して「有缘」かと推測、縁があるねと応じる。
 10時から一年生2班の日語会話(二)。第14課&第15課。きのうの1班の授業と同様、重複をおそれず簡単な質問をとにかく連発しまくる。「好きなスポーツはなんですか」とかそういうレベルのもの。それでもまともに答えることのできない学生はかなりの数いるし、既習組にしても「週に何回くらいしますか」とか「何年くらい続けていますか」とか続けるとだいたいみんな口ごもってしまう。口ごもらせるくらいでちょうどいいのかなとちょっと思った。これまでは相手が口ごもってしまうような質問は相手の発話意欲(自信)を喪失せしめる可能性があるのでよくない、なるべくだれでも答えることができるような簡単な質問にとどめたほうがいいという方針でいたのだが、むしろそれは逆効果だったかもしれない、簡単すぎるというアレで一部の学生を退屈させてしまっていたかもしれない、優秀でやる気のある学生を相手にする場合は歯応えのある質問をガンガン投げてやったほうがいいかもしれない。ちょっとそのあたり今後も意識してみよう。
 しかしまあよかった。先週——じゃないわ、先週は病気で伏していたのだから先々週か、先々週の一年生の授業は両クラスとも失敗だったのでひさしぶりにたいがい嫌ンなった、もうこの仕事もぼちぼち潮時かなと思ったものだったが、今週でちょっともちなおした。おれはこのレベルの学生相手によくやっているよ、本当によくdealしているしhandleしているとあらためて思った。学生のモチベーションが低い、教員のモチベーションも低い(かつ教員同士の仲がおそろしく悪い)、給料が少ない、日本人どころか外国人がマジで全然いない——一般的な外教やったら裸足で逃げる環境やで! 引っ越しするのがめんどうくさいというただそれだけの理由でこんな僻地に五年六年勤めとる人間まずおらんやろ!
 昼飯は(…)。瑞幸咖啡でアイスコーヒーを打包して帰宅。30分の昼寝をとったのち、14時から17時すぎまで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34の後半を延々といじくる。別に全然むずかしい場面ではないのだが、なんとなく文章がつるつると流れすぎてしまっている気がしてしっくりこず、起伏をもうけるための記述をどうにか挿入することはできないだろうかと延々とあたまを悩ませてしまった格好。悪い癖が出ている。つるつるはつるつるのままでもかまわないのが「実弾(仮)」という小説のstyle(スタイル=文体)ではなかったか?
 夕飯は第五食堂で打包。食後、チェンマイのシャワーを浴びる。ここ数日、外気にくらべて室内の温度がずっと高く感じられていたので(ときどきエアコンをつけるほどだった)、今日は雨降りであるし花粉もそれほど飛散していないだろうというアレもあり、ひさしぶりにキッチンと阳台の窓をあけて風を通した。空気が入れ換わるとあたまの冴える感じがする。二酸化炭素の濃度が下がるからだ。
 コーヒーを淹れて、きのうづけの記事の続きを書く。投稿し、ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読みかえす。「実弾(仮)」の初稿があがったのは2022年4月18日らしい。いまから二年前。初稿は865枚。第五稿現在、総枚数は1100枚をうわまわっている。しかし改稿だけで二年かけているのかと考えると、おれもたいがいやなとさすがに苦笑せざるをえない。シャワーを浴びている最中、なんとなく決定稿は第十稿くらいかなという見通しを得たのだが、単純計算であと二年か。
 2014年4月18日づけの記事には「携帯電話の液晶画面に流れてくる一行ニュースにガルシア・マルケスの訃報があって、まだ生きていたのかとそちらの意味でびっくりした」という記述があった。

 今日づけの記事をここまで書くと時刻は21時だった。明日の日語会話(四)で行うディスカッションの内容を考えてまとめる。それからふたたび「実弾(仮)」第五稿作文。23時半までカタカタやってシーン34の最後を大幅に加筆する。
 寝床に移動後、Katherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読み進めて就寝。

20240417

 前回、名前を出した荒川修作が考えていることを私が理解している範囲で、ごく大ざっぱに書くとこういうことだ。
「生き物は空間との関わりによって、形と動きを作り出される。だから、虫は虫で空間との関わりに応じてそれぞれいろいろな形になったし、鳥や魚や獣もそれぞれいろいろな形になった。
 人間もまたその延長に位置するはずなのだが、人間は空間との関わりを歴史を通じてどんどん希薄にしてしまって、それにつれて人間を形成しているはずの、肉体と精神の二つのうちの精神ばかり育ててしまった。
 精神が優位になりすぎたために空間がどんどんフラットで抵抗のないものになってしまったのだが、いまここで肉体に負荷をかけるという性質を空間に取り戻すことで人間の生命の様態が変わる。そのような空間では、個体としての肉体は滅んだとしても、生命は空間の中に生きつづけることになる。」
保坂和志『小説の誕生』 p.184-185)



 ものすごい夢をみた。しかし細部の記憶はすでにない。五十代の白人男性と二十代の若い女性——たぶんこちらも白人だったと思うが記憶が定かではない、もしかしたら中国人女性だったかもしれない——のふたりが主役の映画を見ている夢。ふたりは単なる知り合いらしい。もしかしたら同僚だったかもしれない。恋愛要素はまったくといってもない。その予感もきざしも気配もない。そこから物語がはじまるのだが、リアリティのある描写の積み重ねの果てに、そのふたりは最終的にある程度性的なスキンシップをもとめあうようになる。具体的にどのような描写があったのかは不明であるのだが(単純に目覚めとともに忘れてしまったのかもしれないし、夢のなかでも表象されていなかったのかもしれない)、いずれにせよ、その映画を最初から最後まで観たこちらはとんでもないショックを受けていた。こんなにまっすぐなリアリズム作品が現代でも可能なのか、と。ここまでリアリティのある、上品でつつましやかな、それでいて現実離れしているわけでもなければ過度に現実におもねっているわけでもない、ただひたすら微妙なニュアンスの積み重ねによるリアリズムが可能なのか、と。そしてその積み重ねだけで、このような関係のダイナミズムにここまで説得力をもたせることができるのか、と。リアリズムを志すのであればここまで徹底してやらなければならないとあたまをおもいきりどつかれたような気分だった。衝撃は起床後もしばらく尾を引いた。

 8時15分起床。トーストとコーヒー。午前中に授業がある日はめんどうくさいのでインスタントですませがちだが、今日はちゃんと豆から挽いた。嗅覚および味覚はだいぶ回復している。しかし二種類ある豆の香りを嗅ぎわけるにはまだいたらない。
 10時から一年生2班の日語会話(二)。第18課。前回の授業では男子学生を中心に内職が目立ったので方針を転換、簡単な質問でもかまわないので重複をおそれずガンガン投げまくることにした。簡単な質問であっても相手の発語をうながすことがいちおうできるわけであるし、場合によってはその返答が脱線のきっかけになるわけであるし、既習組にはやや歯応えのある問題をぶつけることもできるわけであるし、この方針でやったほうがいいかもしれない。明日の1班の授業でもやってみよう。二年生はとにかくモチベーションが高く明るいクラスであるので「全体に対する質問」が機能しやすく、それに慣れっこになっていたわけだが、もともとうちの大学はさほどモチベーションの高くない学生が大半を占めているわけであり、「全体に対する質問」を放りなげても返事が返ってこないのが普通だったのだ、だから質問は個人指名したほうがいいのだった、そのことをすっかり忘れていた。二年生が異端児なのだ。
 授業後、第四食堂入口のハンバーガー店で打包。となりにあるフルーツの盛り合わせの店——カットフルーツやヨーグルトやタピオカなどを好き放題タッパに盛ってグラム数で支払いをすませるタイプの店——から出てきた二年生のR.Hさんから声をかけられる。最近やたらとキャンパスで顔をあわせる機会が多い。第四食堂で鱼粉を注文したのだが、オーダーしたものが出てくるまでかなり時間がかかりそうだったので、その時間を利用してフルーツを買っていたとのこと。R.Hさん、こちらと日本語で会話を交わすことに最近は全然抵抗や緊張を感じていないようであるし、口語もどんどん上達しつつあるようにみえるし、もしかしたら今年のスピーチコンテストの代表は彼女になるかもしれない。本人も興味があると以前言っていたことであるし。
 帰宅。ハンバーガーを食ったのち、ベッドで30分ほど昼寝。覚めたところでコーヒーを淹れ、きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所を巡回。1年前と10年前の記事の読み返し。そういえば、午前中の会話の授業の新出単語に「日記」が登場したので、かれこれ18年ほど毎日日記を書いている、毎日だいたい10000字から20000字ほど書いていると板書しつつ説明したのだが、学生らはやはりたいそうびっくりしているようだった。ひとりひとり質問してみたのだが、日記を書く習慣のある学生はほとんどいなかった。
 以下は2023年4月17日づけの記事より。

 ラカンはしばしば、彼がそのような難しさをどれだけ重要と考えているか述べている。たとえば、セミネール第18巻における『エクリ』についての見解を見られたい。「多くのひとたちが躊躇うことなく私に「何ひとつとして分からない」と言っていた。それだけでもたいしたものだと気づいてほしい。何も理解できないものが希望を可能にする。それはあなたがその理解できないものに触発されているしるしなのだ。だからあなたが何も理解できなかったのは良いことである。なぜならあなたは、自分の頭のなかにすでに確かにあったこと以外、決して何も理解できないからだ」(…)。
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』 p.245)

 記事の読みかえしに続けて、今日づけの記事もここまで書くと、時刻は16時前だった。作業中は『Rhetorical Islands』(Giuseppe Ielasi ジュゼッペ・イエラシ)と『melodica』(nica & haruka nakamura)を流した。

 明日の授業で使用する資料を印刷し、データをUSBメモリにインポートする。17時になったところで第四食堂へ。红烧なんとか面を食べる。あいかわらず激ウマ。しかしこれだけでは物足りない、夜中に腹が減るに決まっているのでそのまま第五食堂にはしごして野菜だけ打包する。
 帰宅して食事。ここ数日ずっとバスケコートで学院対抗別試合のようなものがおこなわれているのだが、今日はもしかしたら決勝戦だったのかもしれない、やたらと遅い時間帯まで太鼓の音にあわせた「加油!(ドンドン!) 加油!(ドンドン!)」という応援と歓声が響いていた。あと、たぶんハーフタイムか試合と試合の合間のことだと思うのだが、アニメ版『スラムダンク』の主題歌も流れていた。「きみが好きだ〜と♪さけび〜たい♪」というアレ。
 チェンマイのシャワーを浴びる。作文するつもりだったが、なんとなくそういうコンディションでない感じがしたので、「定義」の添削をすることに。赤のボールペン片手に修正と採点をすませたのち、おもしろ回答をひとまずざっとピックアップして一覧にまとめる。
 23時になったところで作業を中断。寝床に移動後はKatherine Mansfield and Virginia Woolfの続きを読み進めて就寝。

20240416

 たとえば、信仰というのは、その人が信仰するシャカやキリストやマホメットの言葉に寄りそって生きることで、自分自身では言葉を残すことのできない人たちも不死性を得られるということなのではないか。私を構成しているのは他の人たちによって語られた言葉の群れだ。私というのがそういう存在であるならば、ある人がシャカならシャカの言葉に寄りそって生きるなら、その人はシャカと同じかそれにちかい不死性を得ることができるのではないか。
保坂和志『小説の誕生』 p.183)



 6時半起床。雨降り。ひどい湿気。8時から二年生の日語基礎写作(二)。時間いっぱい使って「村上春樹の比喩」。前半で解説&クイズ、後半で実践。問題なし。
 雨の降るなか、傘差し運転で(…)へ。食パンを三袋購入する。第四食堂に立ち寄り、猪脚饭を打包。寮にもどると、ナイジェリア人のHがちょうど電動スクーターにのって門の外に出るところだったので、門を開けて通してやる。ありがとう、ひどい天気だな。電動スクーターを傘差し運転する人間をはじめて見た。
 帰宅してはやめの昼食。11時から13時までたっぷり昼寝。正午に起きるつもりだったのだが二度寝してしまった。ほどなくして卒業生のR.Kくんから連絡。10分後に大学に到着する、と。
 それで身支度をととのえて瑞幸咖啡へ。R.Kくんと再会。ひさしぶりとあいさつしてアイスコーヒーを注文。そのままおよそ三時間ほどカウンター席で談笑。週末に上海にいくという。姉が上海に住んでいるので同居する予定。姉は現在生物学の博士課程に在籍しており、今年で卒業。彼氏からはすでにプロポーズを受けている。彼氏はよくできた人物であり、姉のことをつねに尊重しており、プロポーズをする前にもわざわざR.Kくんにこれこれこういう計画を考えているのだがどうだろうかと相談したり、親しい友人たちにビデオを撮ってもらってそれを編集するなりしていた。いいひとだねというと、でもわたしはそんなふうな関係は嫌だというので、どうしてとたずねると、彼氏を尊重する彼女のほうがいいという返事。要するに、男のほうが女よりも立場が明確に上である——そのような男尊女卑的な関係性のほうがじぶんにはいいということなのだろう。そういう発言をなんの悪気もなくしてみせる点からもわかるようにR.Kくんはおそらくかなり保守的な人物。なにかの拍子に污染水の話になったが、中国国内で流通している情報にまったく疑念を抱いていないようすだったし、ゼロコロナが徹底されていた時代にこの国で流通していた情報がいかに出鱈目だったかという話をこちらがやや遠回しに披露してみせたときも、「でも世論を誘導するのは大事です」という反応があった。ある種の典型。
 以前微信でやりとりした際、上海で仕事を探すと言っていた件について、あれはバイトを探すという意味なのかと確認したところ、正社員であるという返事。じゃあ働きながら修士課程に通うの? とたずねると、然りの返事。授業および課題は週末の二日間にかためて平日は朝から晩まで会社で働くつもりだというので、さすがにそれは無理でしょう、かなり厳しいんでないのといったが、本人はだいじょうぶだと言ってゆずらない。じぶんは忙しいほうがいい、寝そべるのは好きじゃないというのだが、しかし大学院に進学した学生らはだいたいみんな、学部生時代ののんびりした日々がなつかしい、院生生活は本当に忙しい、毎日論文をたくさん読まなければならない! と嘆いている。R.Kくん、院生の生活というものをもしかしたら根本的に理解していないのではないか? 働きながら修士をとる学生は(…)大学にたくさんいるのかとたずねると、おそらく前例がないという返事。ちなみに彼は日本語学科の翻訳コースを選考。同級生はおよそ20人ほどだという。修士にしてはけっこう多い。
 この一年、ずっと浪人として生活していた。実家のすぐそばに「自習室」があったので、月におよそ500元払って毎日そこで勉強していた。同時に、ジムに通って筋トレも継続した。毎日、実家→自習室→ジムのローテーションだった。それでじぶんには自律した生活を送ることができるのだという手応えのようなものがあったのだろう、それもあって会社員として働きながら修士をとるというこちらからすれば無茶としかおもえない計画も根を詰めれば達成できると考えているふうだった。卒業後は貿易関係の仕事に就きたいという。ずっと以前からそう考えていたらしく、卒論のテーマも貿易にしたとのこと。これは知らなかった。
 家庭は裕福だという。両親はなんの仕事をしているのかとたずねると、東北地方や新疆で手に入れたナッツ類を(…)省内で売買する仕事。稼ぎはかなりいいのだが、肉体労働であるので大変であるし、買い手がなかなかつかないときなどはかなりやきもきするはめになる。院試に失敗したらその家業を継ぐつもりだったが、じぶんとしてはやはり大学で学んだ知識を使った頭脳労働に就きたい。だから今回院試に成功してほっとしているとのことだった。
 かつてのクラスメイトらの話にもなる。全然知らなかったのだが、C.Sさんは現在黑龙江の大学院に在籍しているらしい。現役時に合格したのだという。彼女はもともと(…)大学だったか(…)大学だったかを志望していたはず。そこは無理だったが、別の大学院にすべりこむことができたということだろう。あと、R.Sくんは現在インターンシップで日本にいる。日本にいること自体はモーメンツの投稿経由で知っていたが、彼はインターンシップに参加するために大学を卒業直前で休学、しかるがゆえに現在もまだ四年生という立場らしい。これも初耳だった。もうすぐ帰国する、帰国したら先生に会いたいと言っているとのこと。R.Sくんはあのクラスのなかでもっとも日本語能力の高い学生であったし、将来は日本で働きたいともつねづね言っていた。ちょっといまどういう将来を考えているのか、こちらとしても知りたい。
 先生は日本に帰国するつもりかというので、最近ときどきそういう可能性についても考えると応じる。モーメンツの投稿でなんとなくそんな気がしていたという反応があったが、こちらがモーメンツに投稿しているのは学生らといっしょに遊んだ記録だけであるので、なぜそんなふうな解釈にいたったのかは不明。また以前みたいに貧乏暮らししながら読み書きだけの毎日を送りたいんだよね、ぼくももうすぐ四十歳だし、残された人生があと何年あるのかわからないからという。結婚はしないのかというので、結婚願望を抱いたことは一度もないと応じると、R.Kくんはかなり困ったようす。この社会における保守的な価値観を全面的にインストールしている彼なので、結婚願望もなく貧乏暮らしをのぞんでいるこちらの選択をどう理解すればいいのか困惑しているふうだった。ただ同時に、そんなふうにじぶんのやりたいことがはっきりしているのはすばらしい、うらやましいという反応もあって、これは日本にいても中国にいてもしょっちゅう投げかけられる言葉だ。たしかにじぶんは幸福だと思う。二十代のはやい時期に、じぶんがなにをやりたいか、その答えをはっきりと見つけることができた。人生を棒に捨ててもよいと思えるものに出会うことができた。そういう意味で本当に恵まれている。
 16時前になったところで、ぼちぼち小便をしたくなってきたからと理由をつけて店を出ることに。R.Kくんはこのあと(…)に移動、その後N先生と合流していっしょに食事をとる予定であるという。外国人寮の前でさようなら。またなにかあったら連絡してくれといって別れる。

 帰宅。きのうづけの記事の続きを書いて投稿。ウェブ各所を巡回し、1年前と10年前の記事を読み返す。以下、2014年4月16日づけの記事より。『ここは退屈迎えに来て』(山内マリコ)について。以下で語っている「挑戦」は、「実弾(仮)」を書くにあたってこちらの脳裏に常にあるものでもある。

ただひとつ気になったのは収録されている作品の大半が「出戻り」の立ち位置からの語りとなっているところであり(これはじっさいに語り手が「出戻り」であるかどうかをいっているのではない)、この小説の語り手はみなみずからの生まれ育った故郷であるところの「ファスト風土」文化圏について批判的に、皮肉っぽく、とどのつまりはその「外」から(あるいはその「外」との対比関係を介して)語っている。そしてそのように皮肉っぽくときに辛辣なふうにさえみえる語りの距離感をもっともあらわにするものとして、たとえば三人称で書かれているにもかかわらずまるで目の前でくりひろげられている光景を高みの見物するような距離感で(おなじ位置にあるだれかにむけて)語りきかせているようなふしぎな印象をもたらす語りの「やがて哀しき女の子」があったりする(ここでの語りは三人称のていをとりながらもその実態は「外」に身を置く無名の傍観者による「一人称の距離感」をはっきりと保持している)。ゆえにこの作家の今後進むべき方向として、たとえば皮肉っぽく批判的なこの「外」からの語りを「内」にもちこんでみせることができるのかどうかというおそるべき無理難題、とどのつまりは 「椎名くん」の一人称で書くという挑戦がある、そういってみることもできるだろう。

 第五食堂で夕飯を打包。食後チェンマイのシャワーを浴びたのち、19時過ぎから22時過ぎまで「実弾(仮)」第五稿作文。シーン34をがっつり加筆修正。かなりよくなったと思う。以下はそのシーン34の前半部。

 尻が冷える。ひざを片方ずつゆっくりと胸のほうにひき寄せ、体育座りの姿勢になる。コンバースの靴底が濡れた地面を軽く削り、土と草の濃いにおいがその傷跡からわずかにふくらんでたちのぼる。体育座りをしたまま重心を左側に、すかしっぺでもするみたいにかたむける。もちあがった尻の下に右手を差しいれ、中指の腹でブラックデニムの生地に触れる。表面はひんやりとしているものの、中のボクサーパンツまでしみているかどうかはわからない。おなじ手で地面に触れてみる。砂利のたくさんまじった赤土はじっとりとしているが、雨水をふくんでいるのか、ただ単に冷えているだけなのか、どちらともつかない。
 左ひざを横倒しにする。そのひざをはさみこむようにして両手を地面に突き、右足のつま先にもぐっと体重をこめて三点で体を支えながら、寝かせていた左ひざを浮かせてそちらもつま先立ちになる。蛙のようなその姿勢からひざをまっすぐにのばし、壁を押す手のかたちで地面に突いていた両手を離陸させ、視界を急激な俯瞰に転じながらゆっくりとその場に立ちあがる——その拍子に、右脇腹に鈍い痛みが走る。息をひゅっと吸う。たまらず体を硬直させる。痛みの走った瞬間の姿勢を維持したまま、脇腹を左手のひらで押さえる。歯を軽く噛み合わせたまま、口からふうっとほそく息を吐く。痛みがしずまったところで、あてがった指先にぐっと力をこめて、パーカー越しにも浮きあがっているのがわかる肋骨を一本ずつ、アコーディオンの鍵盤でも押さえるみたいにしてたどってみる。どれかひとつというわけでもないが、たしかに痛む。折れてはいない。
 雑草はほとんど生えておらず、赤土と砂利だけがむきだしになっている湿った地面が、新緑がにおいたつ旺盛な山を背にして、飾り気なく無骨にひろがっている。周囲に人影はない。ひとの声も当然しないし、車の通行する音もきこえてこない。代わりに、巻き舌みたいな鳴き声のハルゼミがジキジキジージキジキジージキジキジーと、山の木々の高い位置で輪唱でもするみたいに、音の途切れ目を作っては負けというゲームでもしているかのように、ひっきりなしに追いかけあって騒ぎあっている。地上は地上で、姿のみえない昆虫らがジージージージー鳴いたり、翅をこすりあわせて高い音を丸っこく奏でたりしている。孝奈は湿った地面の上を一歩一歩、足を運ぶたびに痛む右の脇腹を軽く抱えるようにしながら、山とは逆方向にむけてゆっくりと歩きはじめた。足音がじゃりじゃりとたつ。近いところにひそんでいる虫が、足音の接近に気づいて不意に息を殺すたびに、その命がとても身近なものに感じられる。
 赤土と砂利の地面の尽きた先には車道がある。白線のすっかり消えさっているその車道を、ちょうど小学校の二十五メートルプールに敷きつめた土砂をそのかたちのままどしんと——まるで容器に入ったプリンを逆さまにして皿に盛ったみたいに——置いた格好をしている空き地の上から孝奈は見おろした。空き地と車道をむすぶ急な斜面にはとっかかりがほとんどない。鵜川はここをあがるとき、革靴をすべらせて、まぬけな動物のように四つん這いになった。それも一度だけではなく、二度も。
 二メートルほど低い位置にある道路を見おろしながら、前歯とうわくちびるのあいだに突っこんでおいたティッシュを、孝奈はオーケーサインにした右手の人差し指と親指で取りだした。ティッシュは去りぎわに鵜川が放り捨てていったものだった。
「おまえにこんなこと言うてもしゃあないけどな」鵜川はそう言いながら、皮のめくれた拳をポケットティッシュでぬぐった。「明日じいちゃんの四十九日でバタバタしとるんやわ。ほやしもう妙な意地張んな。おとなしいしとけ」
 残ったポケットティッシュを袋ごと、四つん這いと土下座のあいだのような姿勢でうずくまりながら口から真っ赤な唾液を垂らしている孝奈のそばに放り投げると、鵜川は拳をぬぐったティッシュを丸めて革靴の先についた泥を拭きとり、そのままざりざりと足音をたてながら立ちさった。孝奈はおなじ姿勢のまましばらく動かず、ただふうふうと呼吸をくりかえしながら耳だけをそばだてて、鵜川が斜面をずり落ちるようにして車道におりたあと道路脇に停めてある車に乗りこみ、法事の準備でいそがしくしている実家にむけて走り去っていくのを待った。車の排気音が消えさり、ぽっかりと口を開けた静寂のなかで一匹のハルゼミがその気をうかがっていたかのようにジキジキジーと鳴きはじめたところで、ようやく顔をあげて上体を起こした。一度ひざ立ちになったものの、そのまま立ちあがる気力はなく、足を崩して地面に尻をつくと、鵜川の放っていったポケットティッシュの袋をひろい、新台入替日の記載されているパチンコ店のチラシが入っている面の裏から、震える指でつまみとったティッシュを丸めて口の中に突っこんだ。それからパーカーの袖やフロントに血が付着していないかどうかをたしかめた。血は洗濯してもとれないことを孝奈は前回学習した。
 そのティッシュのかたまりは、いま、真っ赤にそまっている。くちびるや歯茎にティッシュの滓がひっついてなかなかはがれないのを孝奈は舌でなぞってあつめた。あつめたものをそのまま道路の上にぺっと吐こうとするが、唾液もすべて吸いとられてしまっているので、うまく吐きだすことができない。切れて血のにじんでいるくちびるにどうしてもはりついてしまう。
 車が二台ぎりぎりすれちがうことのできるほどしかない車道のむこうには、錆と黒ずみの目立つガードレールをはさんで、まったく手入れのされていない休耕田が、道路より一メートル弱ほど低くなった位置に敷かれている。ガードレールのむこう側からは、短い支柱の先端に円形の頭部のついている反射板がカタツムリの角みたいにぴょこぴょことのぞいているが、輪切りにしたオレンジみたいなその板はどれもこれも割れて砕けている。孝奈は汚れたティッシュを足元に捨て、くちびるにはりついたものを指先でつまんだりこすり落としたりしながら、車道のむこうにひろがるその景色をなんとなく視線でたどった。好き放題に生い茂っている雑草の背丈のちがいで、かろうじて十字に交差する畦道に見当をつけることができるものの、長らくひとが足を踏みいれていないことのあきらかな休耕田は、はるかむこうにある雑木林の入り口まで続いている。錆びたトタンを貼りあわせたような納屋と、石の蓋で口をふさがれた井戸がぽつんとあるほかは、全体的に起伏がなくのっぺりとしている地上の上空、さっきまであるかなしかの雨が降っていた空は、ほこりのような雲できめこまかく覆われており、雲が薄くなっているあたりは、そのむこうに隠れている太陽がなかば透けているために、灰色というよりは銀色にそまっており、光線が差しているわけでもないのに見あげることのできないほどまぶしい。
 くちびるの隙間から唾ではなく空気を、まるで吹き矢でも吹くようにするどく吐きだす。切れたくちびるにこびりついていたティッシュが、歯クソのように口元から飛びだし、すぐに視界から消えさる。孝奈はもう一度、視線をかなたにまで送りだした。雑草に覆われた休耕田はなにものにも邪魔されずのびひろがり、黒々とした雑木林がそれを防波堤のように彼方で受けとめている。灰色の空は高く、さえぎる建物も稜線もない。目の前の景色はたしかにひろびろとひらけている。それにもかかわらず、ながめているだけで息がつまってくる。これが地元なのだと孝奈は不意に思った。たぶん名古屋にはこんな風景はない。東京や大阪にも。

 作業中はずっとYouTubeにあがっている自然の音を流していたのだが、「虫の音」とかで検索すると秋の虫の音をつめあわせた入眠BGMとか夏のセミの鳴き声を風鈴の音色なんかと重ねたほとんどフィクショナルな「夏」を仮構したBGMとかそういうものばかりで、特定の時期に特定の土地でがっつりフィールドレコーディングしたものというのはあまり見つからない。たとえばシーン34は2011年6月上旬の東海地方の田舎を舞台としているのでそのような設定とぴたりとくるフィールドレコーディング音源が存在するのであればそれを流しっぱなしにして文章を書きたいわけだが(聴覚と嗅覚にまつわる描写はどうしても抜けが多くなるのでそういう「素材」がほしくなる)、なかなかお目当てのものはない。
 夜食のトーストを食し、歯磨きをすませたあと、寝床に移動してひさしぶりに『ムージル日記』(ロベルト・ムージル/円子修平・訳)の続き。

 ユイスマンの『逆しま』を読みながら、ぼくはこの傾向の反対側の限界を発見した——そしてその必要性はぼくのまことに不幸な範例のなかに直接的に感じられる——作者がその作中人物たちに長口舌をふるわせるのほどぎこちなく感じられるものはない。かれらは、作者があらかじめ吹き込んでおいた蓄音機になってしまう。
 だからぼくは言いたい。ロマンのなかでは作者自身が話さないことが原則である、と。[これが許されるのは、趣味や思考法、その他の変革期にだけである、たとえばそれが近代の誕生に随伴したシュトゥルム・ウント・ドランクの時代のように。こういうロマンは「内容的」であって、そこには「芸術」が欠けている(ハルデンベルクがゲーテの『ヴェルター』を判定したような意味で)許されるものの限界はここではエセーからの分離にある]しかしまた物語の作中人物たちも「ロマン」を話してはならない。書く「芸術」の実質は、言うべきことが作中人物たちにふさわしいシチュエーションを作ること、他方、言うべきことを思考の流れのなかから、いわば示唆的な結節点のように選び——作中人物たちが「あまり」話さないようにすることにある。ユイスマンスの『ディレンマ』のなかの公証人がかなり成功した一例をしめしている。
(201-202)

 Ⅰ・α一般に人間について語られたそのものを因果関係の原因として造型するのではなく、今の状態と以前ノ状態[スタートゥス・クヴォ・アンテ]との間の眼につく隙き間を残しておくほうが、おそらく効果を高めるだろう。
(209)

思考が世界を高めるというのは、きわめて古い誤謬である。現代のより深い心理学は、世界を高めるのは感情であると主張してためらわない。感情という培養基から取り上げられないあらゆる思考は、ボール紙に播かれた草の種と同じように緑色に芽生えることができるであろう、しかし草の芽は芽生えるのと同じ速さで枯れてしまう。
(233)

 ある種の——エロティックなばかりではない——関係は、これと同じ関係はかつて存在したことがない、という観念によって、独特の音色を維持する。
(256, ゲオルク・ジンメル「二人の社会」より)

ぼくがきみの代わりに、きみのイメージを愛していたことを、ぼくはとうから気づいている。きみはそのイメージに温かさと性的なものをあたえるだけだ。
(264)

アナ なぜなら、生起する一切は死んだ騒音に他ならないから。でも、あなたのなかになにかが眼を開くと、世界は顫動する。
(277)

イグナーツ ぼくたちは他の人びとがやめるとこから始めるのだ。
(282)

 アンナ・カレーニナ
 「官房の制服」の原則がすばらしい首尾一貫性をもって遂行されている。作中人物はけっしてきまった様子をしているのではなく、いつでも他の誰かが「彼はこんなふうだ」と言うのである。それはきわめて厳格に遵守されていて、カレーニンの手は、アンナがそれを見つめるときには、粗野で骨ばっていると記され、リュディア・イワノーヴナが見るときには、柔らかで白いと言われる。考察はつねに個々の作中人物の思考であって、そのために、なんらかの強制が加えられることなしに、多様な世界像の併立という、強い印象が生じる。読者は、たとえばアンナが好意的であるときには、そして、好意的でないと感じられるときには、彼女がどのような様子をするかを見る。
(339-340)