20230529

The past and the future were the same thing to him, one forgotten and the other not remembered; he had no more notion of dying than a cat.
(Flannery O’Connor “A Late Encounter with the Enemy”)



 10時半にアラームで起床。二年生の(…)さんから微信が届いている。スピーチコンテスト校内予選の結果が出たという。一年生の一等賞は(…)くんと(…)さんのふたり。後者は妥当。前者についてはスピーチ本番の出来そのものは正直まったくダメだったと思うが、日頃のやる気と地力を考慮すればやはり妥当ということにはなる((…)先生などはスピーチそのものも発音の点から高く評価していたようだが)。二年生の一等賞は(…)さんと(…)さん。前者は妥当、後者は大健闘。(…)くんは三等賞。やはり本番で文章が飛んでしまったのが問題だったのだろう。三年生の一等賞は(…)さんと(…)さんのふたりで、ま、これは誰が選んでもそうなる。(…)さんは(…)くんを推しているので、この結果にはちょっと不満がある様子——というよりも、(…)さんのことがあまり好きではないのだろう、彼女が代表に選ばれることには反対のようだ(いちおう、彼女は今学期になってから全然勉強していないというのが反対の理由として掲げられているのだが、おそらくそれ以外の理由もいろいろあるらしいというのが、日頃の言動のあちこちからけっこう察せられる)。
 今日も絶賛嗅覚&味覚障害。あたまも少し重い感じがしたのだが、どうも寝ているあいだに首に負荷がかったらしい。ふつうの枕の上にアイスノンを重ねていたのだが、それがダメだったのかもしれない、ちょっと高すぎたのかもしれない。メシは例によって第五食堂の炒面。食す前にはいちおう律儀に黒酢をかけるのだが、マジで味がしないので意味がない。食後は昨日回収したばかりのコーヒー豆を開封し、ひさしぶりにインスタントではないコーヒーを飲んだのだが、やっぱり味がしない。ネルまでわざわざ新調したのに(しかし舌触りの変化ははっきりと感じられる)。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿し、ウェブ各所巡回。2022年5月29日づけの記事を読み返す。そのまま2013年5月29日づけの記事も読み返したが、以下のくだり、完全に失念していた。そういえば、そんなこともあったかもしれない。交通事故後の病院通いの一幕。

(…)病院に到着したのはたしか17時だった気がする。二時間待って診察五分。駄目なウィダーインゼリーのキャッチコピーみたい。待ち時間はひたすらきのう届いたばかりの『ハートで感じる英文法』を読みすすめた。おもしろい。そしてわかりやすい。
ロビーで診察を待っているまばらなひとびとの中にひとり、汚れた作業服に身を包んだ坊主頭の巨漢がいて、挙動や発言などから察するにどうも精神障害をわずらっているらしいというか、ひょっとすると精神障害ではなくて知的障害なのかもしれないが、看護士をよびつけては何度も順番を確認したり、公衆電話を利用する金がないから病院の電話を貸してくれと言い出したり、なにぶん人目をひきがちであるところのその巨漢が、部活動の途中で怪我でもしたのか学校指定のものらしいジャージを着用してひとり腰かけている女子中学生か女子高生かわからないけれどもなんとなく前者な気がするそんな推定女子中学生のほうをじっと見つめ、片時も目を離さず、座席四つ分の距離だったと思うが、とにかく妥協のない凝視を送り出していて、なんかこれまずいことになりそうなんすけどと思いながらその様子をうかがっているじぶんは彼らの腰かけている座席の二列後方にひかえていたわけだけれど、盗み見るとかそんななまやさしいレベルではない熱視線である。推定女子中学生もとっくに気づいてはいるのだろうけれどそこは完全なる無視というか、目をあわせたらまずいということがたぶんわかっていてウォークマンで聴覚を封じて拒絶の身振りをとるなどしていたのだけれど、そうこうするうちに、それまでも何度も席を立ってはろくに読みもしない雑誌などをとっかえひっかえしていた巨漢のほうが席を立って戻ってきたその機会を利用して座席四つ分の距離をおいた席にではなく座席二つ分の距離をおいた席に腰を落ち着けてしまい、で、さすがにちょっと身の危険を感じたのか巨漢のほうをちらりと横目で見遣ったそのまなざしをがっちりホールドするかたちで巨漢のほうがとうとう口火を切った。会話内容ははっきりと聞こえなかったのだが、たぶん今何歳だだとか何という名前だだとかそういうアレが繰り出されはじめ、推定女子中学生の表情こそこちらからはうかがえなかったものの相当びびっているだろうことは疑いようもなく、さて、周囲を見渡してみれば老人・主婦・子連れと頭数に入らないようなひとたちばかりであるし、なんでまたじぶんがいるときにかぎってこういうことが起こるのかと内心げんなりするというかそもそも仮に頭数に入る何者かがいたところでこういうシチュエーションで最初を一歩を踏み出すことのできる奴なんてそうそういないというのはあの、なんだったっけか、ストックホルム症候群ではなくて、と、ここまで書いたところで「傍観」+「犯罪」でググってみたところトップにウィキの「傍観者効果」という項目がヒットしたのでああそうそうこれだこれという感じなのだけれど、とにかくこの傍観者効果があるだろうからきっとだれもなにもできないだろうし、そしてその点、同調圧力を唾棄するはねっかえりのB型たるじぶんなどわりと平気というか金縛りは即時「解!」みたいなこともできなくはないタイプであると自認するにやぶさかではないので、それゆえ、とにかく、推定女子中学生が明確に否定の意思をあらわにするかあるいは巨漢が推定女子中学生の体に触れるかするというのを出撃トリガーとする待機姿勢に入っておこうと考えたものの、しかし状況が状況というか立場が立場というか、詳細は省くというか察してくれたまえというところなのだけれど、ここで悪目立ちしてしまえばすべてが水の泡になりかねないというリスクを抱えこんでいる身でもあるのでなかなかどうして気が進まない、事を大きくしたくない、そしてそれにもかかわらずこの巨漢相手に派手に怒鳴り声をあげているじぶんの姿がありありと想像できるというどうしようもない按配で、と、そうこう考えをめぐらしているうちに、不意に、そうだ!受付にいって事情を話せばいいんだ!そんでもって余っている男手を呼んでもらって巨漢と推定女子中学生の腰かけている席の近場で威嚇的に待機してもらっておけばいいんだ!とすばらしき名案を思いつき、そうなれば万事良好、すべてよし、というわけでそうしようと席を立ちかけたところで推定女子中学生が診察室に呼びだされてしまい、ほとんど奇蹟といってもいいほど完璧に無駄なタイミングで立ちあがってしまったこの身をどう処理すればいいのか、尿意も便意もないのにとりあえず便所に行った。
診察室から出てきた推定女子中学生は巨漢を尻目に会計待ちのため受付のほうに近い席に移動した。巨漢の診察順はたしかじぶんのひとつ後ろかふたつ後ろである。となればもう心配するにはおよばないだろうと思ったのは見事な思いちがいで、雑誌を返しにいくふりをして推定女子中学生の腰かけている座席のほうにまではるばる遠征しては本棚の陰からじっと彼女のほうに熱視線をむけたり用もないだろうにその近くを歩くなどしはじめ、ただ受付に近い席であるからそうした巨漢の行動の逐一は職員らの目にはっきりと映っている。であるからにはまあ大丈夫だろうというアレでじぶんの診察がまわってきて、二時間待ち五分で終了、で、診察室を出ると、診察室のそばの座席に大またをひらいて腰かけていた巨漢と目が合い、ああこのニタニタ笑いはあの女の子にしたらかなりきっついもんがあるだろうなと思った。会計待ちということで受付のそばの席に腰かけると推定女子中学生はまだいて、看護士さんたちもさっさとこの子の会計をすませてやって巨漢とバッティングしないように気をきかすとかできないもんかねと思っているそこにふたたび巨漢があらわれ、その唐突さにこちらもびくっとしてしまったが、推定女子中学生のいるほうにむかって歩きだし、どうもこれまた彼女の近くの席に座ってなにやら話しかけようとする魂胆ではないかと、そう思って推定女子中学生のほうをちらっと見遣ると、巨漢の接近に備えて席を移ろうかどうか迷っているらしいそぶりが若干見え、表情はこわばり、うろたえ、完全におびえきっている。あ、これ駄目だ、と思ったので、とりあえず席からたちあがり、それで直線的な歩みを重ねる巨漢の進路にわりこんだ。肩が派手にぶつかった。思いのほか大きな声で巨漢が「わ!」と言ったので、目立つなっつってんだろうがこの馬鹿野郎が!と内心思いながら、しかしここまできたらままよとばかりに、とりあえずメンチを切り、次いで周囲に聞こえない程度の音量で舌打ちした。小声で「え?」と戸惑うような声の漏れるのが聞こえたので、輩に徹して「邪魔くせえな」と相手に聞こえるよう吐き捨てたのだけれど、この声はおもいのほか大きくひびいてしまったかもしれない。が、いまさらあとにはひけん。というわけで推定女子中学生のすわる座席の斜め後ろの座席に移動してそこに腰をおろし、もじもじとなにやら立ちつくしている巨漢のほうにむけてそこからふたたびメンチを切り、すると推定女子中学生のほうにむけて接近しようかどうか決めあぐねていたらしいそのもじもじがぴたりと止まり、それからなにかこう、こちらを中心とする半径五メートルの円いバリアの周辺をうろつきまわるかのごとくあたりさわりのない距離をぶらぶらとしはじめ、そしてまたそのぶらぶらのあらゆる機会を利用してちらちらとこちらの視線を盗み見てくるので、そのまなざしひとつひとつをいちいち真正面から受け止めて丁寧にメンチを切りかえすというクソくだらんピンポンラリー的な対応を強いられてしまい、滑稽きわまりない、というか端的にいってクソしょぼい闘争というほかない事態におちいってしまったわけだが、そうこうしているうちに診察室のほうから巨漢の名前を呼ぶ看護婦さんの声がたち、すると巨漢はその体躯からは想像もつかないような機敏さで踵をかえすがいなや走り去っていって、ひとまず安堵。
巨漢が診察を受けている間に推定女子中学生も処方箋を受けとって病院を後にして、次いでじぶんも処方箋を受けとり、それでもまだ巨漢は診察室から戻ってこず、診察は長引けば長引くほどありがたいのだけれどと思いながら病院の外の薬局にいくとそこに推定女子中学生がいて、薬局はたいそうせまいし、スタッフはみな女性である。この状況で診察を終えた巨漢がやってくるというのがいちばんまずいと思っていたのだけれど、まあ奴が来るより先に推定女子中学生のほうが先にここを出るだろうと、そういう見込みとは裏腹にあろうことか薬剤師のお姉さんが推定女子中学生にお薬手帳か何かの発行をすすめるなどしはじめ、推定女子中学生も推定女子中学生でとりあえずうながされるがままにはいはいとふたつ返事で、そうこうするうちにじぶんの番がやってきて、いつもの湿布と痛み止めをもらい、お大事にと送り出され、推定女子中学生はまだ中にいる。巨漢がやって来るのも時間の問題な気がする。おめえこっちがいろいろ気ィ回してやってんのに何やってんだよ!と心の叫びをかみしめながらとりあえず薬局の前でiPodをいじるふりをしながらしばらく突っ立ち、こうなるとどっちがストーカーだかわかったもんじゃない、馬鹿らしい、こんな小娘にいったい何の義理があるというのか?なぜおれの神聖なる時間をどこの馬の骨ともしれぬこの小娘に割かなければならぬのか?などと考えていたらますます馬鹿らしく、ゆえに、もういいや、しーらね、となった。後のことは薬局のひとびとにゆだねることにしてすたこらさっさと帰った。とちゅうで生鮮館に立ち寄り、半額になっていた刺身を買った。飯つくる気力なんてとっくにないね!

「しかし状況が状況というか立場が立場というか、詳細は省くというか察してくれたまえというところなのだけれど、ここで悪目立ちしてしまえばすべてが水の泡になりかねないというリスクを抱えこんでいる身でもあるのでなかなかどうして気が進まない、事を大きくしたくない」というのは、(…)病院通いをしていたからで、そんなときに仮に取っ組み合いにでもなってしまえば、じぶんの嘘がモロバレするというおそれがあったため。あと、ここまで献身的(?)にあれこれやっておきながら、最後の最後であっけなく責任放棄するあたりは、物語ではない現実という感じでたいそうよろしいと思った。

 作業中、ひさしぶりにルイジ・ノーノを流した。はじめはクセナキスを流すつもりだったのだが、クセナキスはなんだかんだで一年に一度か二度はききたくなるけれどもルイジ・ノーノはそうでもないな、もしかしたらもう二年か三年くらいきいていないのではないかとふと思い、それでAppleMusicから適当にチョイスしたものを流した。緊張感のある種類の現代音楽をスピーカーからいつもよりほんの少し大きめの音で流す、そういう聴取しかいまは受け付けないというような身体的コンディションというものがたしかにある。『Luigi Nono: Variazioni canoniche, A Carlo Scarpa & No Hay Caminos, Hay Que Caminar』(Michael Gielen & Sinfonieorchester des S”udwestfunks)と『Luigi Nono: La lontananza nostalgica utopica Futura』(Marco Fusi & Pierluigi Billone)。ミヒャエル・ギーレン Michael Gielenというのはドイツの指揮者兼作曲家で2019年に91歳で亡くなっている。日本語版ウィキペディアによれば、「現代音楽を得意とし、グスタフ・マーラーアルノルト・シェーンベルクなど大編成の楽曲を精妙で色彩豊かなアンサンブルで聴かせる」とのこと。ピエールルイジ・ビッローネ Pierluigi Billone は英語版Wikipediaによると、1960年生まれのイタリア人作曲家で、“known for works which often "reinvent" the performance techniques of the instruments involved.”とあるので、もしかしたらケージみたいなことをやっているのかもしれない——と思ってYouTubeで演奏動画をディグってみたところ、これ(https://www.youtube.com/watch?v=jINCc84-otg)とかこれ(https://www.youtube.com/watch?v=XXbpzKPsjOY)とかおもしろそうなのがヒットした、というか「東京現音計画」なるアカウントの存在をはじめて知った! なんやこれ! おもしろそうやな! というわけでさっそく同アカウントで投稿されている、タイトルが気になった「Ayana Tsujita: Save Point 辻田絢菜《セーブ・ポイント》(2021)」というコンサート動画を視聴してみたのだが(https://www.youtube.com/watch?v=MFoBdwyR77c)、これがマジですばらしかった、ちょっとのぞくだけのつもりだったのに結局あたまから尻まで集中して視聴するはめになった! もう15年ほど前になるが、ミニマル・ミュージックばかりバカのひとつ覚えのようにとにかくききまくっていた時期があり、当然その流れでポスト・ミニマリズムの作曲家のものにも手を出しはじめたのだがどれもこれも全然しっくりこず、マイケル・ナイマンジョン・アダムズも全然ダメだわとなったというか(ナイマンは『実験音楽 ケージとその後』という名著を残しているので良しとするが)、少なくとも当時こちらがきいた音源にかぎっていうならば、マイケル・ナイマンジョン・アダムズミニマリズムを俗情と結託させただけのもんじゃんという印象で(アルヴォ・ペルトはかろうじてそこから逃れていた気がするが)、それは、こちらが「ポスト・ミニマリズム」という字面から勝手に想像していたタイプの音楽では全然なかった、だからこそ余計に反発をおぼえたのだと思うのだが、いま、この辻田絢菜《セーブ・ポイント》をきいて、じぶんがはじめて「ポスト・ミニマリズム」という字面を目にしたときに漠然と期待した音楽、それはまさしくこういう音楽だったのかもと非常にしっくりきた、だからついつい最初から最後まで通して視聴してしまうことになった。本当にすばらしい。ググってみたところ、この方はいまゲーム音楽や映画音楽の仕事にもたずさわっているっぽい。あと、AppleMusicに『OTO』というSingleがあったのでこれもダウンロードした。

 授業準備にとりかかる。明日の授業で配布する印刷をまとめて印刷し、データをUSBメモリにインポートする。その後、『ネオリベラリズム精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか』(樫村愛子)の続き。17時をまわったところで第五食堂で夕飯を打包。
 食後、ベッドに移動して20分の仮眠。(…)さんと(…)さんから順次、明日の午後スピーチコンテスト代表として会議に参加する必要があるので授業を途中で抜けると連絡。東院四年生の(…)さんからはモーメンツに投稿していた世話になった教師人への感謝の手紙の日本語訳が送られてきた。学生らがこちらを表する言葉、ほぼ100%といっていいほど「幽默」と「自由」の二語だ。
 ひさしぶりに執筆する気だった。しかしその前に鼻うがいについて調べた。コロナ後遺症について、上咽頭炎の慢性化が原因のひとつであり、そこを治療すれば改善するという例が認められるみたいな話を、一年以上前にどこかで見聞きしたことがあったのだが、ところで、こちらはここ数日、鼻の奥にツーンとした痛みをおぼえることがある。熱が出ているあいだは、鼻詰まりもなかったし咳も出なかった、ただときおり喉に違和感をおぼえるだけだったのだが、熱がひいてほどなく喉に痛みを感じるようになり、かつ、これまで体験したことのない鼻の奥のツーンとした痛みを呼吸の最中に感じるようになった、そして気のせいかなと思われていたその痛みが微妙に悪化しつつある気がして、今日調べてみたところ、これはコロナだけではなく普通の風邪でもときおり生じる症状らしいのだがそれはともかく、その流れで「慢性上咽頭炎」というワードに行きあたり、あ、これって後遺症の原因の一種という説があるやつじゃん! となったのだった。それでさらに調べてみたところ、ふつうのうがいでは上咽頭には消毒が行き届かない、だからこそそこが炎症をおこしているのであれば鼻うがいをすべきであるという意見があるらしく、実際、コロナ後遺症が一日二回の鼻うがいで軽減したというデータもあるみたいで、だったらやるしかないなと思い、水道水ではなくミネラルウォーターに塩を溶かしてこしらえた生理食塩水を鼻から吸いこんで口から出すという江戸時代の曲芸かよみたいなことに挑むことにしたのだが、ところで、小瓶につめてある白い結晶が砂糖であるのか塩であるのかを判別するためにぺろりとしてみたところ、そもそも味覚および嗅覚障害であるのでどちらであるのかまったく理解できずに爆笑してしまうという一幕があった。
 ミネラルウォーターに塩を溶かしている最中、(…)さんと(…)さんのふたりから散歩の誘いが届いたので了承。鼻の穴から吸いこんだ塩水を口から「オエエエエ!」と吐くだけの簡単なお仕事をすませたのち、イージーパンツと無地の白Tシャツという簡単な外着に着替えて出発。

 女子寮に向けて歩く。女子ふたりは女子ふたりでこちらの寮に向かっているという話だったが、よっぽどトロトロしていたのか、結局、女子寮まで残りわずかの地点で合流することになった。嗅覚障害と味覚障害について話す。(…)さんには前回会ったときに話したが、(…)さんはこれが初耳だからだろう、ちょっと気の毒そうな表情を浮かべていた。ふたりとも去年感染したときは微熱であったし、後遺症に悩まされることもなかったという。
 (…)湖のほうに歩こうとふたりがいう。夜になるとさすがにすずしい。湖畔沿いとなるともっとすずしいはず。音楽関係の学科の教室が入っている棟のそばを通りがかる。さまざまな楽器の音がごちゃまぜになって聞こえてくる。ちょっとフリージャズみたいだ。オペラっぽい歌声も聞こえてくる。棟のそばには竹ばかりが植えられている一画がある。バスケットボールのコート一つ分くらいのスペースの人工的な竹林。なかには石畳の道が通っている。ところどころに照明付きの木造テーブルも設置されており、そのうちのひとつを男女のカップルが占めている。フリージャズを頭上から浴びながらその竹林を抜ける。
 三年生のスピーチコンテスト代表はだれになるのかという話になる。今日、(…)先生が(…)さんと(…)さんのふたりを呼び出してなにやら話していたと(…)さんがいう。ということは新四年生の担当教師は(…)先生なのだろう。(…)さんは院試があるのでスピーチには参加しないと以前語っていた。(…)さんについては興味があるかもしれないという話だったはずだが、結局、彼女もやはり院試があるからという理由で断ったらしい。するとだれが代表になるのだろう? (…)くんになるかもしれないという話もあったが、彼は彼でやっぱり院試組ではなかったか?
 (…)湖をはさんで対岸に図書館をのぞむ位置にある広場に出る。南門のすぐ近く。後ろから肩をつかまれ「先生!」と呼びかけられる。二年生の(…)くん。なにしてるのとたずねると、これからジョギングに行くという(たぶんグラウンドで走るつもりなのだろう)。きみはそういえば今学期すごく痩せたよねというと、20キロ痩せたというので、さすがにびっくりした。(…)くんは背が低い。たぶん165センチもないと思うのだが、それで20キロというのはなかなかではないかと思うのだが、これはもしかしたら斤と公斤の取り違えがあったのかもしれない、実際は20斤=10公斤(キロ)痩せたということなのかもしれない、それだったら納得がいく。味覚および嗅覚障害について告げると、彼も感染後しばらく続いたという。そのときは水だけなぜか奇妙に甘く感じたというので、そういうこともあるのかと思った。
 (…)くんが去る。(…)さんと(…)さんのふたりは少し離れたところで待機している。毎度毎度後輩が話しかけてくるたびに逃げるなよと思う。ふたりのそばでは釣りをしているおっちゃんとギャラリーのおっちゃんが複数いる。釣りではなかった、どうやら仕掛けらしかった。太い支柱の先に青いネットがくくりつけられているもの。ただのタモではない。ネットは平べったい三角錐をしている。たぶん魚がいちど中に入りこんだら外に出ることができなくなっている、そういうタイプの仕掛けなのだと思う、ネットの内側に餌かなにかをしこんでおいてしばらく沈み込ませておくのだろう。で、いまはちょうどその仕掛けをひきあげている最中だった。スマホのライトでギャラリーがネットとバケツを照らしているのをこちらものぞいてみたが、バケツのなかに大量のテナガエビがいて、おー! 天ぷらサイズのテナガじゃん! と興奮した。ギャラリーのひとりであるおっちゃんが、日本人か? とすぐに話しかけてきたので、そうだと応じると、日本でもこいつはいるのかというので、いる、食べることもあると応じた。でもザリガニは食べないんだろう? というので、食べない、じぶんも中国に来てはじめて食べたと受ける。そうしたやりとりをみた(…)さんがちょっと驚いたようすで、先生はなぜ(…)弁のおじさんと会話できるのか? みたいなことを(…)さんにささやくのが聞こえる。聞き取れているわけではない、文脈と部分的な単語でなんとなく推理しているだけだ。テナガエビのほかにウナギやドジョウっぽいくねくねした細長い魚も一匹まじっていたので、こいつも食べるのかとたずねると、食べるという返事。おいしい? とたずねると、ギャラリーのおっちゃんも学生ふたりも声をそろえて、好吃! という。
 去る。テナガエビがいるということは意外にこの湖の水質はきれいなのかもしれない。ジムのそばに到着する。二年生のときにジムの会員になった(…)さんであるが、あれから結局ジムに通っているのか? ヨガの教室に参加しているのか? とたずねると、まったく通っていないという返事。クラスメイトの(…)くんはしょっちゅうジムに通っているよね、朋友圈にいつもじぶんやジム仲間の半裸写真を投稿しているよねという。ふたりは筋肉ムキムキの男は好きじゃないといった。気持ち悪いと続けたのち、「ちょっとテロリストみたいです」というので、これにはクソ笑った。筋肉=テロリストの図式が存在するのか?
 歩く。われわれの後ろを歩いている女子学生の集団が、こちらのあやつる日本語をきいて、日语日语と口にするのが聞き取れたので、また話しかけてくるパターンかな、連絡先交換のパターンかなと思ったが、そうはならなかった。(われわれのあいだだけの)通称「恋人の道」を通る。湖で釣りをしているひとは今日はひとりもいない。公務員試験の準備ははじめたのと(…)さんにたずねると、まだしていないという返事。いまが楽しければなんでもいい! みたいなことをいうので、ぼくみたいな人間になっちゃうよと受ける。湖のそばの岸辺にはいつものボートが一艘放置されている。そのすぐそばにはバイクが一台置かれていたが、持ち主らしい姿は周囲のどこにも見当たらない。くさむらに隠れてカップルが青姦でもしてるんじゃないかと警戒する。
 食べられない桃の実のなっている木がある。なりぐあいを確認してから図書館のほうにいき、そのまま第五食堂付近の果物屋へ。桃を見た途端、フルーツを食いたくなったのだ。串にささったメロンのスライスを買う。いつもは夕張メロンみたいな黄色っぽい色合いをしたやつしか売っていないのだが、今日は日本の回転寿司屋でまわってきそうな緑のメロンがあったので、そいつを買ってみることに。3元。実はかなりやわらかくジューシーなのだが、やっぱり味はしない、しかし口触りでわかる、こいつはきっとかなり甘い。
 外国人寮にたどりつく。解散するにはまだちょっとはやいということでそのまま女子寮のほうに向かう。バスケットコートでは試合がおこなわれている。電光掲示板まで用意されている本格的な試合だったので、学部対抗試合はもう終わったんじゃないのかと思ってフェンス越しの遠目にのぞくと、電光掲示板に表示されているチーム名前が、それぞれ銀行と自動車学校の名前になっている。どういうことかと学生ふたりにたずねる。説明にかなり手こずっているふうだったが、どうやらスポンサーらしい。選手は社員ではなく、うちの学生。ユニフォーム代であったり練習代であったり差し入れであったりを企業が出すかわりに、こういう試合の場でうちの企業をしっかり宣伝してくれみたいなアレっぽい。そういう話をしているうちに、こちらの左隣にふらりと女子学生があらわれる。日本人吗? というので、对啊と受ける。しかしそれ以上続く言葉があるわけでもない。学生らふたりもこういうときいつもそうであるように彼女とこちらのあいだに入ろうとしないどころかむしろガッツリシカトする。中国人の若者はというと主語がデカすぎるのでうちの日本語学科の学生はというふうに規模をひかえめにしていうが、見知らぬ他者とのコミュニケーションの場において、「社交恐怖症」と「敵意」の二種類しか持ち合わせていないんではないかと思うことがしばしばある。(…)くんとか(…)さんとか(…)さんとか(…)さんとかあのあたりは全然そんなふうではなかったのだが、と、書いたところで気づいたのだが、これはもしかしてアレか? コロナ以降の特徴なのか? 中学ないしは高校時代にがっつりコロナの影響を受けている世代以降の特徴なのでは?
 試合が終わる。銀行がスポンサーをしているほうのチームが勝つ。コートを離れてそのまま女子寮まで歩く。二年生の(…)さんと(…)さんから声をかけられる。また排他的ペアで行動している。(…)さんと(…)さんが部屋から手のひらにおさまる小ぶりなサイズの桃をひとつずつ持ってきてくれる。受け取り、ありがとう、おやすみ、とあいさつして女子寮を去る。
 帰宅してさっそく桃を食う。シャワーを浴び、ストレッチをし、今日づけの記事にとりかかる。中断後、トーストを二枚食し、鼻うがいをし、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。1時半にベッド移動。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。

20230528

The season was changing. Even a small change in the weather made Mrs. Cope thankful, but when the seasons changed she seemed almost frightened at her good fortune in escaping whatever it was that pursued her.
(Flannery O’Connor “A Circle in the Fire”)



 昼前起床。今日も最高気温は35度。朝昼兼用の食事として炒面を第五食堂で打包。例によってまったく味がしない。昨日よりももっとひどくなっているかもしれない。食後のコーヒー(無味無臭)を飲みながら、きのうづけの記事を書く。
 16時をまわったところでケッタにのって后街の快递へ。后街の入り口ではアーチ型の門がもうけられていた。原材料は紙か発泡スチロールかわからんがそういうふわふわしたもので、私立幼稚園の文化祭の入り口にその日だけ仮設されるような代物で、なにかイベントでもあるんだろうかとふしぎに思ったが、門に印字にされている文字を見るかぎりそういうふうでもなさそう、むしろ520の文字が見えたのでなんでいまさらと首をひねったくらいであったが、これを書いているいまふと思った、むしろ今日は門の撤去工事中だったのかもしれない、5月20日からおよそ一週間にわたっておこなわれていたなにかしらのイベントのようなものが今日終わったということでは? いやしかしそれだったら、学生らがモーメンツになにかしら投稿しているか?
 快递に到着。コーヒー豆を回収する必要があるのだが、快递にブツが届いてからすでに一週間近く経過、回収手続きのできないまま長らく放置していたため、淘宝のデータ上ではすでに荷物は回収済みということになってしまっている。倉庫の外にあるデスクについてパソコンをカタカタやっている女性スタッフに声をかけてスマホの画面をみせると、こちらにじぶんのスマホを差し出す。そこに荷物番号を打ち込めみたいなことをいうのでそのとおりにする。手続きはそれでよし。倉庫にあるブツを持っていけというので、倉庫のどこにあるのかとたずねると、そうしたやりとりの最中こちらが外国人であることに気づいたのかもしれない、わざわざ倉庫の奥に入っていってこちらの代わりにブツを持ってきてくれた。伝票に名前を書くようにいわれる。「(…)」と書き記すと、なんじゃこりゃ! みたいなびっくりした顔になる。英語じゃないのか? というので、これが自分の名前だと中国語で告げる。
 とにかくブツは無事回収できた。帰路は(…)で食パンを三袋購入。寮にいったんもどってケッタだけ停めておいてから、第五食堂に徒歩で出向いて打包。どうせ味も香りもわからんのだからと唐辛子を焼いてひたしたようなおかずをわざと選んでみた。辛味というのは性格には味覚ではなく痛覚であるみたいな、嘘か本当かよくわからん話をずっと以前どこかで見聞きした記憶があるのだが、実際食ってみると、味も香りもまったくわからんのにぴりぴりとする辛さだけはたしかに(大幅にデバフがかかっていたとは思うが)感じられた。そして無理してそんなもん食ったせいで、のちほど腹痛に苛まれてトイレに駆け込んだ。
 食後は仮眠。それから先日書いた卒業生への手紙をモーメンツに投稿し、きのうづけの記事を完成させたところで、シャワーを浴びる。あがってストレッチ。(…)さんにもらったのど飴をなめながら、きのうづけの記事を投稿し、ウェブ各所を巡回し、2022年5月28日づけの記事の読み返し。2013年5月28日づけの記事も読み返し、「×××たちが塩の柱になるとき」に再掲する。

 今日づけの記事をここまで書くと22時半だった。明後日の授業をどうしようかなと考える。前回の授業をコロナで休講にしたため、予定がけっこう狂ってしまった。あれこれ考えながら資料作成。途中、トースト二枚の夜食をとり、歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェック。その後、授業準備を再開するも、0時半になったところで中断し、ベッドに移動。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きを読み進めて就寝。

20230527

A coarse-looking orange-colored sun coming up behind the east range of mountains was making the sky a dull red behind them, but in front of them it was still gray and they faced a gray transparent moon, hardly stronger than a thumbprint and completely without light.
(Flannery O’Connor “The Artificial Nigger”)



 夜中から朝方にかけて、何度も何度も汗だくになって、その都度上着を変えた。たぶん三回か四回、着替えたと思う。熱によるものではない、ふつうに室温の問題だろう。ぼちぼちアイスノンを出す頃合いだ。
 昼ごろに起きる。体調は上々。喉の痛みだけはやはりいくらか残っている。風邪のときの痛みとは全然違う。風邪をひいたときの喉の痛みというのは、唾を飲み込むたびに、喉の奥がじゅわっと痛む、かさぶたがはがれたばかりの面に水を流すようなしみるような痛みだが、いまの痛みは、それよりももっと奥深いところに縦にするどい傷口が線として走っており、表面は乾燥しているその傷口を外側から無理やり開こうとするような種類の痛みだ。ただ、完全にはじめて体験する痛みかといわれたらそうでもなく、去年の冬休み中に風邪をひいたとき、これとおなじような喉の痛みを経験したことがあったし、あのときもやっぱり味覚および嗅覚障害に見舞われたのだった(という共通点から、今回のこの体調不良も実はコロナでもなんでもなく、風邪もしくはインフルエンザの可能性もあるのではないかという気がしないでもないのだが、実際のところは不明)。
 『Lifetime of a Flower』(石橋英子ジム・オルーク)を流しながら、作文コンクール用の原稿最終チェック。途中、二年生の(…)さんから微信。またクレーンゲームでぬいぐるみをゲットらしく(しかも三つ!)、その写真が送られてくる。今日は誕生日だという。ケーキがまだあまっているので食べないかというので、熱はひいたけれどもいっしょに食事してもだいじょうぶかちょっと心配だよと受けると、かまわないという返事。第三食堂に来てくれというので了承。
 それで身支度を整えて外に出たが、信じられないくらい暑かった、たぶん35度ほどあった。病みあがりのコンディションでこの熱気の中を移動するのはなかなかけっこうしんどいなと思いつつ、ケッタで第三食堂まで移動。すでに昼飯時はすぎているので、食堂内にいる人影はごくごくわずか。(…)さんの姿も見当たらない。着いたよと微信を送る。
 ほどなくして(…)さんと三年生の(…)さんがそろってあらわれる。誕生日おめでとうございますと(…)さんに告げる。食事の配達ありがとうございましたと(…)さんにあたまを下げる。第三食堂の二階に移動する。(…)さんはでかいケーキの箱を手にしている。ちょっとした鳥籠くらいのサイズがあるもの。中に入っているケーキは残りわずかになっていたが、箱のサイズから察するに、元々はかなりでかいものだったようす。父君が送ってくれたものだという。(…)さんは朝から御相伴にあずかったとのこと。
 紙皿とプラスチックのナイフをもらう。残っているケーキをさらに半分にカットしてそれだけ食う。第三食堂の二階はエアコンがついていない。そのせいでかなり蒸し蒸しとして暑く、この環境でケーキを食っても普通に味わう余裕なんてないというか、そもそも絶賛味覚障害中なので味がわからん(ただ、塩っけよりは甘みのほうがまだ微妙に感じやすい気はする)。
 長話の流れになる。(…)さんは最初からそのつもりだったのだろう。とはいえ、こちらとサシで話すというのも体裁が悪いというのもあって、おそらく(…)さんを呼び寄せたものではないかと思われる。実際、(…)さんはのちほど、わたしは先生と食事をする前、いつも(…)さんや(…)さんたちを誘います、でもみんないっしょに行かないといいます、先生と話すのは緊張するといいます、と嘆いてみせた。たしかにきみのクラスメイトはシャイな子たちが多いからねと応じたものの、この(…)さんの解釈には実は漏れがあるというのがこちらの認識。クラスメイトたちが(…)さんに食事に誘われても同行しようとしないのは、こちらと日本語でやりとりすることに対する緊張もあるだろうが、おそらくそれ以上に、中学時代から日本語を勉強しているために日常会話であればペラペラな(…)さんに対する引け目、彼女がこちらと同席する場であれば彼女が会話の主導権をほぼすべて独占してしまい、じぶんたちが介入する余地がまったくないということに対する一種の諦念みたいなものもあるはず。実際、(…)さんですら、(…)さんが同席している場では、こちらとの会話に多少及び腰になっている節が見え隠れしているのだ。
 今日の昼間、(…)さんは(…)さんといっしょに万达にいき、そこで例によってクレーンゲームで遊び、それから誕生日ということで日本料理屋でラーメンや寿司を食ったという。さらにセブンイレブンにも立ち寄っていろいろに買ったというのだが、こちらのためにおにぎりと手巻き寿司まで買ってきてくれていたので、これじゃあどっちが誕生日かわからんなといいながら、ありがたく受けとった。
 (…)さんはまた進路の悩みについて話した。日本の怪談や妖怪が大好きな彼女としては、大学院で民俗学を研究したい(雲南大学や中国人民大学などにそういう研究室があるようだ)。しかし父親としては彼女に日本語教師として故郷大連で生活してほしいというあたまがあるとのこと。日本語教師になるとすれば、大学院では翻訳・通訳関係か、あるいは言語学関係になるのだろうが、(…)さんとしてはそういう方面にあまり興味がないというので、いつも言っていることであるが、大学院の研究というのはやりたくないことを義務感でやれるようなものではない、研究内容が興味関心の対象でないと地獄を見ることになる、だから親の顔はいったん忘れろと助言した。親には嘘を言えばいい、民俗学の方面を研究しても教師になれるといえばいい、実際教師の資格試験を受けるだけであれば研究内容は関係ないではないかというと、(…)さんもうんうんと同意した。
 そんな(…)さんは今日はめずらしく花びらをちらした薄黄色のワンピースを着ていた。ちょっとレトロな古着テイストがあってかわいかったので、その服良いね、どうしたの? とたずねると、母親にゆずってもらったものだという。
 途中、たまたま食堂にやってきた二年生の(…)さんと(…)さんが、(…)さんにうながされるがまま場にくわわった。そうしてケーキの残りを食ったわけだが、クラスの中でもともとダントツにおとなしいふたりであるので、やはりガチガチに緊張しているのがよくわかる。コロナのときに熱が何度出たとか、故郷は(…)省のどこであるのかとか、そういう簡単な質問をなるべくゆっくりと口にしてみたりしたのだが、本当におどおどとしていて、見ているだけで気の毒になってしまう。やっぱおれの外見も問題なのかもしれんなァと思った。外見でこわいひとと思われるのを避けるためにも授業中はとにかく道化に徹しきっているわけだが、それはそれでいわゆる底抜けのパリピ、底抜けの陽キャみたいな印象を与えてしまい、結果、「社交恐怖症」を自称する子らを萎縮させてしまうのかもしれない。むずかしいなあ、もう!
 ふたりはじきにメシを注文するために席をたった。いつのまにか夕飯時になっているのだった。そういうわけでわれわれ三人も席を立ち、そのまま食堂をあとにすることにしたが、第三食堂の入り口で仮設テントが設けられており、そこで書籍のセールが開催されていたので、これは当然のぞいていくことに。日本人作家のものではやはり村上春樹東野圭吾がダントツで多い。あとは太宰治芥川龍之介川端康成江戸川乱歩など、まあだいたいいつもとおなじ顔ぶれ。書籍とは別に、俳優やアイドル、アニメやゲームのポスターを売っているコーナーもあった。胸の谷間をあらわにした白人女優のポスターらしきものを見つけた(…)さんがこれ先生のですねというので、アホと応じる。(…)さんは『ONE PIECE』のルフィの手配書を模したポスターがちょっと欲しいと言っていた。
 せんせー! といきなりアニメ声で呼ばれた。一年生の(…)さんだった。声を聞いたら、マジで一発でわかる。近くに中華版BL小説やポスターがあったので、きみが必要なのはこれでしょう? と茶化す。先生はなにがほしいですかというので、さっきの巨乳美女ポスターを見せる。それから陳列されている小説の中に一冊、真っ赤な装丁の中華人民共和国共産党なんとか民法なんとかみたいな本があったのをおぼえていたので、これがおすすめですと教える。(…)さんは笑った。さらにひとり女子学生がくわわった。(…)さんとコンビということは(…)さんだと思ってそう確認してみたが、そうではなかった、(…)さんだった。謝った。目が悪いので授業中後ろのほうに座っている子は顔がよくわからないのだと弁明した。
 やりとりしていると、今度は全然知らない男子学生に声をかけられた。日本語で「留学生?」というので、「教師!」と応じると、はてなという顔になるので、「先生!」と重ねて続けると、おお! みたいな表情になる。で、そのまま去ってしまう。日本語を独学で勉強している他学部の学生だろう。こういうことがときどきあるんだよと話していると、しばらくして、先の男子学生が別の男子学生たちを複数人ひきつれてもどってきたが、こちらを取り囲むだけで別に日本語で会話をはじめるでもない、みんなもじもじしていて、おれはパンダぢゃねーよ!
 さらにまた「先生!」と声がかかった。今度は三年生の(…)さんだった。顔がちょっと日焼けしているふうだったので、もしかしたら最近彼氏とどこか旅行したばかりなのかもしれない。日本に行くまであと少しでしょう? ちゃんと勉強してんのか? と茶化すと、まあまあという返事。しかし七月末に日本に向かう(…)さんと違って、(…)さんと(…)さんのふたりは八月出国らしい。以前、友阿の(…)で髪の毛の長さの話になったとき、(…)さんが(…)さんの髪の毛も長くてとてもきれいだと言っていたのを思い出したので、おさげをチェックさせてもらうと、たしかにかなり長かった。しかしそれでも腰に達するほど長い(…)さんにはおよばない。(…)さんはもうかれこれ五年ほど髪を伸ばしつづけている。
 学生らと別れる。第五食堂に立ち寄って打包する。いつもよりおかずが少ないのにどうしてだろうと思ったが、帰宅して理由がわかった、時刻はすでに18時をまわっていた、思っていたよりも長く第三食堂付近で時間を潰してしまっていたのだ。帰宅してメシ食う。それから作文コンクール用原稿の最終チェック。一年生の(…)さんが原稿に書いている内容のウラがとれなかったのだが(コロナ以降の日中民間企業の協力や人道的支援についての情報)、(…)さん曰く、知り合いに調べて送ってもらった情報一覧のなかにあったというので、まあいいかとひとまずそのままで良しとすることに。それからwordで体裁を整え、応募表を作成し、事務局にメールで送信。応募手続きが済んだことを参加者らに報告して、これでひとまず今年の作文コンクールは終わり! 肩の荷がひとつおりた!
 シャワーを浴びる。ストレッチをし、白湯をのみ、梨を食い(梨は喉の痛みにいいと学生らが教えてくれた)、(…)さんからもらったおにぎりと手巻き寿司を食ったが、味がしねえ! 特に手巻き寿司はサーモンとわさびという最強の組み合わせであるはずなのに、マジで! なーんも! 味がしねえ! ほんまええ加減にせえよ! これ、一時帰国中まで続くんやったら、なんのために帰国すんのかわからんくなるやんけ!

 ひとつ書き忘れていた。夕飯をとってほどなく、第三食堂でたまたま同席することになった(…)さんから微信が届いたのだった。「先生、あなたを見るたびに緊張して、何を言っているのかさっぱり分かりません。」「私の日本語が下手だからです」とのことで、ちょっと笑ってしまったが、(…)さんは日本語能力自体特別低いわけではない、(…)さんのほうは正直かなり難アリであるが、(…)さんの場合は単純に慣れの問題にすぎない。だからそう伝えた。分かりましたという言葉のあとに、突然英語で“But I am also very worried that I may have used inappropriate words and offended you.”と続いたので、あ、彼女はうちのクラスのなかではわりと英語のできるほうなんだなと思いつつ、じぶんはもう五年以上この仕事をしている、学生らの犯しやすい誤りや間違いにも慣れている、そのなかに仮に失礼な言い回しや不適切な表現があったとしてもそれを悪意として受け取ることは絶対にない、むしろそういう受け取り方をする教師がいるとすればそいつはすぐにでも仕事をやめるべきだと思うと受けた。日本語学科はどうも「社交恐怖症」の子が多いから緊張するのは仕方ないと受けると、わたしも「社恐」ですという予想通りの反応。相手を傷つけてしまったり怒らせてしまったりする可能性をおそれて、それだったらいっそのことはじめからコミュニケーションをとりたくないという考えの持ち主が、「社交恐怖症」を自称する子には多いでしょう? でもそうじゃないんだよ、傷つけてしまったり怒らせてしまったりした場合は単純に謝ればいいだけなんだよ、簡単な話なんだよ、その段階を抜きにしてそもそものコミュニケーションを回避するのはやっぱりもったいないとぼくは思うよと言ったのち、コミュニケーションとは交通のようなものであってときおり事故が生じることがある、でも人間はいまさら交通なしで生きていくことなんてできない、事故を減らす努力はするべきだと思うけど交通そのものを諦めることはないと思うよと、「投げ瓶通信」とおなじくらい手垢のついたコミュニケーションの比喩であるが、そう語った。“In the future, when I am afraid of communicating with others, I will remember this sentence and overcome my fear”とのこと。

20230526

They were grandfather and grandson but they looked enough alike to be brothers and brothers not too far apart in age, for Mr.Head had a youthful expression by daylight, while the boy’s look was ancient, as if he knew everything already and would be pleased to forget it.
(Flannery O’Connor “The Artificial Nigger”)



 10時ごろ起床。熟睡の感あり。起き抜けの感覚で、あ、治ったな、とわかった。それで今日は平常モードで過ごすことに。授業は休んだが、夕飯もじぶんで食堂まで回収しにいくつもり(もちろんマスクは装着していくが)。
 歯磨きしながらスマホでニュースをチェックする。朝食兼昼食はクリームパン。コーヒーも飲む。小腹がすいたところで、バナナや梨なども追加で食す。きのうに引き続き、キッチンと阳台の窓をあけて、部屋に風を通す。
 きのうづけの記事の続きを書いて投稿する。ウェブ各所を巡回し、2022年5月26日づけの記事の読み返し。以下、初出は2021年5月26日づけの記事。

 ヒューマン・ネイチャーが「人間の本性」ならば、ヒューマン・フェイトは「人間の運命」とでも訳すことができるもので、僕が作り出した表現です。この概念を提示するにあたって参考にしたのはジャン=ジャック・ルソーの自然人の概念でした。
 ルソーによれば、自然人はいかなる束縛も受けずに自由に生きています。たしかに誰かと一夜を共にすることもあるだろう。しかし、いかなる束縛もなければ、人間はその後、その相手と一緒にいるはずがないとルソーは言います。自由にひとりで生きていき、同じことを繰り返すはずだと。ルソーは家族制度を自然なものだと論じたジョン・ロックを批判してこのようなことを述べました。子どもが生まれるまでには十か月かかるというのに、その間、なんの束縛もない、自然状態における男女が、その間ずっと一緒にいるなどというのは不自然であって、ロックは社会状態における常識を自然状態に投影したにすぎないというわけです。
 ルソーが言うことは論理としては筋が通っていると思われます。たしかに自然人というものが存在するとしたら、何ものにも、誰にも拘束されることなく、フラフラと自分の好きなとおりに生きていくでしょう。それはわからなくはない。
 しかし、少し立ち止まって考えてみると、どこか納得できないところがあります。というのも、私たちのほとんどは、たとえ自由であろうとも、誰かと一緒にいたいと願うものだからです。たしかに自由なら誰かと一緒にいる必要はない。誰かと一緒にいるというのは面倒なことばかりでしょう。にもかかわらず、私たちが誰かと一緒にいたいと願うのはなぜなのか。ここには大きな謎があります。
 ここでヒントになるのは、自然状態が、これまでも存在せず、今も存在しておらず、これからも存在することはない状態であり、したがって、自然人は実際には存在しない虚構的な存在だということです。ルソーはこの虚構的存在を説明することで、社会状態という現実を分析しようとした。自然人が虚構的存在であるというのは、それが純粋な人間本性を具現化しているということです。仮にまったく無傷の純粋な人間本性がこの世に存在として現れ出たとしたら、それはたしかにルソーの言うとおりになるでしょう。
 しかし私たちは、絶対に、無傷の純粋な人間本性ではあり得ません。現実のなかで生きることで私たちは多かれ少なかれ必ず傷を負うからです。熊谷さんの言う予測誤差もまた傷の原因でしょう。おなかが空いているのに、すぐには食事が与えられない。そうしたズレだけでも私たちは傷を負います。私たちを傷を負うことを運命づけられている。
 傷を負うことが私たちの運命であるとすると、その傷によってもたらされるさまざまな結果・効果は普遍的なものであることになります。つまり、人間が傷を負った存在であることに例外はないわけです。そうすると、傷のもたらす結果・効果はまるで人間の本性であるかのように見える。しかし、もしそれらを混同してしまったら、あとから人間に付与される性質がもともとそこに内在していたことになってしまう。だから、自然人のような虚構を立てて人間の本性を考えると同時に、普遍的に存在するこの世での人間的生のあり方を、人間の運命という概念で考える必要があるのではないか。つるつるのヒューマン・ネイチャーを想定したうえで、ざらざらした傷だらけの存在にならざるを得ないというわれわれの運命、ヒューマン・フェイトについて考える必要があるのではないか。
 ヒューマン・フェイトとして考えられるべき傷が、人をして、誰かと一緒にいたいと感じさせるのではないかというのが私の仮説です。これは精神分析の知見にも依拠したものであって、ある意味ではそれを言い換えたものかもしれませんが、ヒューマン・ネイチャーとヒューマン・フェイトという対で考えることで見えてくるものがあると思って、こういうふうに僕は命名しているんですね。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.163-166 國分発言)

 それから10年前の記事の読み返し&再掲もたまっていたので、まとめて片付ける。2013年5月22日づけの記事から同年同月26日づけの記事まで。以下は26日づけの記事より。

――私はね、時々こういう埒もないことを考えるんです。人生というのは、地面に穴を掘って、そしてそれを埋めることじゃないかってね。若い時には、一心不乱に、目的も何も分からずに、せっせと掘って行く。自分の廻りに掘った土が堆く積み重なる。そして何処からか、何時からか、今度はその土を穴の中に投げ込んでそれを埋めて行く。自分の掘った土ばかりじゃなく、他人の掘った土までもシャベルですくって穴の中に入れる。
福永武彦「退屈な少年」)

 以下も26日づけの記事より。(…)さんの話はおぼえていたが、(…)さんの知り合いのヤクザの話は完全に忘れていた。

出勤してすぐ(…)さんにうながされるままに水瓶をのぞいてみると、きのうは三匹しかいなかった赤ちゃんメダカが十匹以上に増えていた。午後にもういちどのぞいてみるとさらにもう十匹以上増えていて、空前のベビーラッシュである。円筒型のゴミ箱を急ごしらえの水瓶かわりにしてまだ孵化していない卵のくっついた水草をそちらにうつした。来週出勤するときにはもっともっと増えているかもしれない。(…)さんが子メダカの写メをとって職場の名前でやっているtwitterにアップしようかと迷っていて、これ社長に見つかったら何サボってんですかといわれそうだもんなーというものだからいくらなんでもそこまで冷たくあしらわれることもないんじゃないですかと応じると、まあそうやよなぁといって、でもまたすぐにうーんと迷いはじめたので、今度はどうしたものかと思ったら、こんなのアップしたらタチの悪い客が来ていたずらされるかもしれないと不安気にいう。そこまで神経質になることもないんじゃないかと思うのだけれど、でもまあそれなりにけったいな連中の出入りする場所ではあるわけだし、なにされるかわかったもんじゃないと心配になるというか、むしろなにかされてしまった場合、なにかをしたその相手にたいしてなにをしでかすかわからないそういう面子ばかりのこちらのほうが懸念事項というか、事実、今日など(…)さんにあおられるかたちで(…)さんが服役するきっかけになったときの出来事のやたらとなまなましい細部を語っていたのだけれど、人間の肉はかたい、刃渡り25センチの刃物にもかかわらず腹を刺しただけで先端が折れる、日本刀でひとを斬りつけたときもたった一度で刃こぼれしたのだ、みたいな、(…)さん曰く「あのじいさんまったく反省しとらん」話っぷりで、とにかくそういうアレだから、下手にもめ事とか起きるとやばい気がする。メダカをきっかけに人殺しという珍妙な事件さえ勃発しかねない。というわけで、結局(…)さんはじぶんの個人名義のtwitterだかfacebookに子メダカの写真をアップしたらしかった。

(…)さんの友人で、いまも交流があるのかどうかはしらないけれど、元柔道全国三位のヤクザがいて、ただひとが良すぎるというかヤクザらしくない人情家というか、たとえば取り立てに行った先だとかそれこそ交通事故の示談の場だとか、要するにしのぎどきの場においてターゲットと話しこんでいるうちにしばしば相手に肩入れするというか情がうつるというか、相手が善良であることがわかってしまうとその途端に、もういい、もうおまえは帰っていいと、せっかくのカモをのがしてしまうということがよくあって、おまえそんなんじゃヤクザやってけないよと周囲からたびたび注意されていたらしいのだけれど、(…)さんはそのひとが激怒しているのを一度だけ見たことがあるという。発売されたばかりのドリームキャストの、とくに時代を先取りしまくっていたといわれているネット対戦みたいなのに、そのひとは当時どっぷりはまりこんでいて、そのコミュニティ上で知り合った友人さえいたらしいのだけれど、あるときそうした友人のうちのひとりと慣れないキーボードでやりとりしている状況がわずらわしく思われてきて、そのむねを相手に伝え、そうして相手の電話番号を聞き出し、それで電話で直接コンタクトをとることにしたらしいのだけれど、いざ電話をかけてみると、チャットではさんざん偉そうにふかしまくっていた当の相手というのが、受話器を介した生身の声から察するかぎり、本当にどこにでもいるただの馬鹿な若造のそれだったので、おれはどうしてこんなやつにボロクソにいわれておとなしく従っていたのだと、だんだんと頭にきて、最終的に相手の住所をききだしておめー首を洗って待ってろ的な、そういうアレで直接相手の家に出向いたとかなんとかで、その一件がいったいどのような落着点を見出したのかはしらないけれども、とにかくその一件があって以降(…)さんは、うかつにインターネットでひとと知り合ってはいけないのだなあと思ったらしい。

 そのまま今日づけの記事をここまで書くと、時刻は15時半だった。二杯目のコーヒーを用意して気づいたのだが、嗅覚が半分死んでいる。後遺症なのか、単なる鼻詰まりなのか、いまのところは不明。鼻詰まりに関しては昨日から症状として出はじめたばかり。詰まっているというより、ただ通りが少し悪くなっているだけなので、それで嗅覚がここまで失われることがあるだろうかと思う。しかしほぼ熱だけで、咳も出なければ喉の痛みもほぼなかった症状の最後に、ある意味コロナを象徴する嗅覚および味覚異常というのは、筋書きとしてなかなかちょっと奇をてらいすぎなのでは?

 (…)くんと(…)さんの作文コンクール用原稿を修正する。(…)一年生の(…)くんに、改定後の期末テストのスケジュールを送り、クラスメイトらに転送しておくようにとお願いする。それからずいぶんひさしぶりになるが、ようやく外出することに。たまっていたゴミを出し、ケッタをひいて敷地外に出ようとしたところ、管理人の(…)が晴れやかな笑顔でこちらに手をふってみせるので、こちらが寝込んでいたことを(…)から聞き知ったか、あるいは差し入れを持ってきてくれた学生経由で聞き知ったかしたのだろうなと思いつつ、你好! とあいさつ。身体好吗? というので、很好! と応じてから、ケッタに乗ってまずは第三食堂へ。
 解放感がすさまじかった。一ヶ月間の隔離生活を終えた当日にも感じられなかった解放感。隔離生活をしているあいだは別に体調を崩していたわけでもなかったし、あれはあれでかなり楽チンで快適なものだったというか、少なくともシチュエーションを楽しむ余裕があった、それに対して今回のおよそ五日間は普通に体調不良であったわけだし、病気が病気なのでどういう方向に転ぶかよくわからんという不透明さもあった、それがひとまずの決着を得つつある、完全回復したとはまだいえないのかもしれないが少なくともこうして外出できるようになった、鼻詰まりとのどの違和感こそ残るものの熱は完全にひいた、とりあえずは活動可能となった、そういうよろこびのようなものがたしかにしみじみわいてきたのだと思う。だから、ペダルをこぎすすめて第三食堂までケッタを走らせるいつもの道がかなり爽快だった。
 第三食堂では饭卡のチャージだけすませる。そのまま第五食堂の二階で打包。ここのスタッフも、ほとんど毎日のように決まった時間にじぶんたちのところに来ていた外国人がある日突然ぴたりと来なくなった、そして数日置いてふたたび姿をあらわしたと思ったら頬に無精髭のはえたマスク姿になっていた、というこの流れだけでおそらくこちらの身になにが生じたか、だいたい理解できるんじゃないだろうか。
 帰宅して食す。食欲は問題なし。胃は少し小さくなっているようであるが、食えないということは全然ない。しかし味が遠い。味覚も嗅覚もすべて喪失したというほどではない、少なくとも去年の冬休み中に経験したやつほどひどくはないのだが、しかしまあ塩気が全然感じられない。三年生の(…)さんと(…)さんのふたりから、今日は夕飯を持っていかなくてもだいじょうぶなのかとたずねる微信が届いたので、今日から外出可能と判断したので問題なしと返信。いろいろ世話になったのでまた来週にでも食事をおごると約束(さすがに明日明後日の週末いっしょにメシを食うというのはまだはやすぎる、感染させてしまうリスクがあるだろうと判断)。(…)さんは気にしなくてもいいと言ったが、「でも先生が申し訳ないと思ったら、食事に誘ってもいいんだ」と続けたのち、6月1日から中国で『天空の城ラピュタ』の劇場公開がはじまる、それに一緒に行きませんかという提案があったので、了承。
 食後はだらだら過ごした。なにもかもが本調子というわけではない、まだあたまをフルに使うのはしんどいのだ(という大義をかくれみのにして、YouTubeでクソほどどうでもいい動画をザッピングしてしまう)。シャワーを浴びる。鼻詰まりが悪化する。というか、日中は鼻詰まりなどないにひとしいのだが、夜になると決まって詰まりはじめる、これは交感神経と副交感神経のアレもあるんだろうが、単純にシャワーを浴びて体温が一時的に上昇するのも原因なのかもしれない。この鼻詰まりというのがちょっと頭痛につながるような詰まり方、鼻をすするたびに奥のほうがツーンと痛むような感じのする詰まりかたで、それがちょっと不愉快。
 ストレッチをする。梨を食う。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックする。そのままあらためて作文コンクール用原稿の添削の続きにとりかかろうとしたが、余力がなかったので、寝床に移動。Bliss and Other Stories(Katherine Mansfield)の続きをちょっとだけ読み進めて就寝。

20230525

 午前中に目が覚めた。微熱は続いているが、具合はかなりよくなっている。(…)一年生の(…)さんから期末テストの内容である「道案内」について質問。(…)さんからは作文コンクール用の原稿をあらためて修正したのでチェックしてほしいという依頼。
 シャワーを浴び、歯磨きをすませる。とにかく体の凝りや張りがしんどく、なんだったら微熱よりもそっちのほうがきついので、しっかりストレッチをする。ストレッチをするだけでしんどくなるのに体力の衰えを感じる。こればっかりはどうしようもない。
 今日はもうベッドでごろごろしないと決める。可能なかぎり平常通り過ごす(ただし外出は控える)。食事はトーストとフルーツ。コーヒーも飲む。ベッドでほぼ寝たきりだった数日前、本の読めるコンディションでもないし、YouTubeで適当にむかしのバラエティ番組などを流していたのだが(もちろん流すだけ流して視聴する余裕はなかったが)、その関係で、YouTubeのトップ画面にめちゃイケの動画が表示された。で、むかし大好きだったなァと思いながら、朝食のお共に軽く視聴してみることにしたのだが、だまされたと思ってまずはこの動画(https://youtu.be/sCI9jSf0eek?t=1703)を1分半ほど視聴してほしい。
 氷川きよしがゲスト出演している「爆烈お父さん」のコーナーで、氷川きよしが原宿や代官山で私服を買っていると発言をする、それをきいたチャラチャラしたもの嫌いな加藤浩次演じるお父さんがブチギレて「家訓」を読み上げるといういつもの流れなのだが、「演歌歌手なのに普通な場所で服を買っちゃう奴は」という家訓前半に続くのが「武蔵丸ピッコロ吹いたらついて来る」というフレーズで、これにはマジでクソ笑った。こんな経験ははじめてかもしれない、ふつう声を出して笑うとき、たとえそれがコンマ1秒のことだったとしても、じぶんの置かれた状況などをいったん把握したうえでこれくらいの声の大きさであれば出してもだいじょうぶだろうという計算が働くものだ、けれどもこのときはそんな計算を抜きにしてマジでいきなりでかい笑い声が出た、というかこの経験をすることでむしろ日頃じぶんが声を出して笑うとき、たとえどれほど自然で反射的なものに思われてもそれでもなお一種のはばかりの介在していたことが遡及的に認識された。本当にびっくりした。自意識の吹き飛ばされるような笑いがあるんだ、と。
 洗濯機をまわし(ほとんどが寝巻き用のTシャツだ、汗をかくたびに着替えていたので大量にたまっている)、デスクに向かい、おとついづけの記事を投稿する。そのままきのうづけの記事も書いて投稿。作文コンクールの原稿について、24日までにこちらに送るようにと告げてあったにもかかわらず、一年生の(…)くんと(…)さんからはいまだに音沙汰がないので連絡。(…)さんはまだ500字、(…)くんにいたっては規定文字数を大幅にオーバーする2500字とのこと。今日中に完成させてこちらに送ることができない場合は、応募手続きなどじぶんですませてくれとここは厳しく対応する。なんでこう、こっちの学生は締め切りに対しても、みんながみんなというわけではないけれども、にしてもこれほどルーズなんだろうか? コンクールの締め切りそのものが月末であるので、たぶん学生らとしてはひそかにそこをデッドラインとして見ているのだろう、ぎりぎりそこにすべりこめばいいというあたまなんだろうが、添削や応募手続きに要する時間と手間暇の計算がそこには欠けている。だからこそ、文章添削や応募手続きなどにはそれ相応の時間を要する、そうであるからこそ一週間前である24日を締め切りとするという、その意図を説明する文章も含めてこちらは通知しておいたわけなのだが、にもかかわらずこれなのだ、コンクールに参加しようとする意欲があり、能力も高い学生ですらこれなのだから、そりゃあ卒業のかかっている卒論であろうとも締め切りを守らない学生も出るわなという感じだ。

 熱もほぼひいたし、いい加減部屋を換気したほうがいいように思われたので、台所と阳台の窓をあけた。それから一年前の記事の読み返し。2022年5月22日づけの記事から25日づけの記事をまとめて読む。前回、(…)さんと(…)さんと友阿に出かけた日の記事だったと思うが、学生会の内部でもいろいろ政治的な駆け引きがあるらしいと書きつけた、それについて2022年5月25日づけの記事に裏打ちするような内容が記録されていた。卒業を間近にひかえた当時(…)四年生の(…)くん、(…)くん、(…)くんと一緒に火鍋を食ってコーヒーを飲んでだべった夜の記録。

 学生会でも同じようなものだと(…)くんと(…)くんはいった。二人とも学生会に参加していたわけだが、上の役職に就くためには先輩のおぼえのめでたい人物になる必要があるという。だから結局上のほうにいく人間というのは(…)さんみたいな権謀術数に長けた人物になるということで、(…)くんはそういう「権力のゲーム」が嫌になって二年生の時に学生会を抜けたらしい(「権力のゲーム」というワードが面白すぎたので、「わかりやすいわ〜!」と爆笑していると、(…)くんも爆笑し、それからなぜかこちらに握手を求めた)。

 このくだりを読んでいるだけで、(…)くんの気さくな笑顔がよみがえり、ああいう気のいいやつといっしょに馬鹿笑いできる一瞬があっただけでも、この仕事をはじめた甲斐はあったよなとしみじみ思った。
 夕飯はまた(…)さんと(…)さんにお願いした。第四食堂の西红柿炒鸡蛋面と夜食と翌日の朝食用にクリームパン。このまま症状が悪化しないようであれば、明日以降は自分で買い出しに出るつもり。とはいえ、授業に出るのはまだはやいと思うので(こちらの体調そのものよりも学生らに移してしまう可能性をおそれている)、明日の一年生の日語会話(二)についてはおやすみさせてくださいと昼間グループチャットのほうに通知したのだった。
 食事をとる。そのまま作文コンクール用の原稿チェックにとりかかる。(…)さんのものは完璧。彼女、たぶん受賞すると思う。(…)さんのものは正直むずかしいと思う。こちらのことを褒めそやす内容になっているのだが、具体的なエピソードがひとつもなく、空疎な美辞麗句に尽きているので(こういうのもいかにも中国的だよなと思う)。添削を終えたところでふたりに返却。(…)さんとはじめてちょっと長めにやりとりを交わした。彼女が真剣に勉強をはじめたのは二年生の途中から。一年生のときは当時恋人だった(…)くんといつも一緒にいて、モーメンツにもしょっちゅう彼に関する内容を投稿していて(誇張でもなんでもなく、一日に最低五回は「(…)は〜」みたいな文章を投稿していた)、とにかく恋愛に完全に狂っているなという感じで、当然勉強などまったくしていなかったのだが、いまは大学院進学を目指して勉強しているという。一年生は完全に無駄でしたというので、恋愛経験そのものは無駄ではないよ、全部財産だよと応じた。
 おなじ二年生の(…)さんからパンを差し入れしようかという微信が届いた。今日別の学生に持ってきてもらったばかりだからだいじょうぶと応じた。中国では次の感染ピークが六月下旬におとずれるという報道を、今日か昨日か忘れたが、ネットで目にしていたのでそのことを伝え、きみも二度目の感染に気をつけてねと続けると、「全然怖くないです」という反応。ま、フルオープン後の中国は死者や重傷者やLong COVIDなんてほぼ存在しないという空気が作りあげられているもんなと思っていると、「中国には“是福不是祸,是祸躲不过”という言葉があります」と続いた。「福であれば禍であらず、禍であれば逃れられず」といったところか。ちょっと「ニーバーの祈り」を思い出した。
 (…)くんと(…)さんからも作文コンクール用の原稿が送られてくる。ふたりとも案の定テーマから逸脱している。とはいえ、後者については肝となる段落ふたつのうち、ひとつが逸脱しているだけだったので(彼女が選んだテーマはポストコロナ後の日中交流みたいなアレであるのに、コロナとはまったく関係のない教科書問題や歴史問題についての記述が、文脈を無視してそこだけ無理やりねじこんだみたいにごろりと横たわっている)、その点だけ指摘(この指摘が、教科書問題や歴史問題に対する「日本人」のアレルギーとして受け取られないように言葉を尽くすのが、愛国心の尋常でない若い世代を相手にするときはまた面倒なわけだが)。(…)くんに関してはテーマ全無視。ふだんの会話と同じ。つまり、自分の大好きな日本の歴史を語りたいだけ。そういうわけで、彼の選んだテーマは日中友好条約四十周年うんぬんであるにもかかわらず、弥生時代から近代にかけての歴史をひたすら、オタクがみずからの知識を問わず語りに開陳してひけらかし何者かに勝ち誇ろうとするかのようなあのテンションで、論旨も構成もなくただただ記述しているのみという代物。さすがにこれはダメだろと思ったのでその点指摘すると、応募テーマをそもそもろくに見ていなかったと笑顔の絵文字付きで返信してみせるので、こいつアホかと思い、真面目な話をするとこれがもし作文のテストだったらほぼ最低点になると思うよ、問題文をちゃんと理解していないというのは作文の内容うんぬん以前の問題だからと伝えた。(…)くんはたしかに一年生のなかではトップレベルに会話が上手であるし、少なくともこちらの授業を受けるときの態度も熱心であるし、やる気もある。ただコミュニケーションのあり方もそうであるし、今回の作文コンクール用の原稿もそうであるし、さらにいえばスピーチコンテストの原稿もそうだったが、端的に、独りよがりなところがある。コミュニケーションの場では、会話の文脈を頻繁にぶったぎってじぶんの興味関心にひきつけようとするし、その場合相手の興味関心を考慮することをあまりしない。作文コンクール用の原稿でもやはりテーマを無視してじぶんの興味関心ばかり書きつらねているし(しかもそこには構成的意思がなく、本当にただの垂れ流しになっている)、スピーチコンテスト用の原稿にいたってはそもそもスピーチというものを無視した、新海誠村上春樹に通ずる感傷的なモードをコテコテに盛っただけの、本当に悪い意味でのポエムみたいなものをただぼそぼそと読み上げただけだった。他者がいない。ここをもうちょっとなんとかしたほうがいい。そうしないと、今後、クラスでもちょっと浮いてしまうんじゃないかと思う。N1なんて楽勝だとクラスのグループチャットでイキりまくった発言をしてすでにいくらか顰蹙を買ったらしいという情報もこちらの耳に入ってきているし、このままではかつての(…)さんみたいになってしまうかもしれない。
 シャワーを浴びる。ストレッチをする。(…)さんから書き直しを終えた作文が送られてくる。完璧になっていた。日中、締め切りをオーバーしていることを警告した強めのメッセージを送った際には、書きあげることができるかどうかわかりませんと泣き顔の絵文字を付して送ってみせたほどであったのに、追い込まれたらこのペースでできるんじゃないかという感じ。ま、彼女はモーメンツの投稿を見ているかぎり、かなりソシャゲにハマっているようであるしそれにくわえて大学内に彼氏もいるしで、日頃はそれほど熱心に学習しているわけではないのだろう(いまは高校時代の日本語学習の貯金で優位に立っているが、今後一年でランクが下がることも考えられる)。しかし、今回の書き直しはこちらの指摘を十全に理解したものになっていたので、これだったら問題ない、やればできるじゃん、おつかれさまといたわると、先生はすごい、コロナで気分が悪いはずなのに作文を添削するなんて、そんなにまじめなことに感動しますみたいな反応があったので、いや、熱はいま全然ないからわりとだいじょうぶなんだよと返信。
 (…)くんの作文については、結局、こちらが全面的に手を加えることに。直すのも手間であるし、直したところでいい結果を得られるわけもないしで、こんなもんただの苦行やんけという感じ。(…)くんはスピーチ代表に選ばれる可能性もあるわけだし、そうなったらそうなったで、こういう作文ばかり書くようであればやっぱり問題であるし、次回顔をあわせたタイミングであらためてしっかり伝えるべきことを伝えたほうがよさそう。
 添削のあいだ、なぜか不意にABBAの“Dancing Queen”がききたくなり、ずっとリピート再生してしまった。これ、やっぱり、めちゃくちゃいい曲だよなァ。
 クリームパン食す。歯磨きしながらジャンプ+の更新をチェックする。今日は昼寝をしていない。ごろごろもほとんどしていない。部屋の外に出ない以外は可能なかぎり通常の生活を送ったかたち。ただ、夜になるとやっぱり、あたまがちょっと重くなる。カフェインの離脱症状かなと思ったが、いちおうコーヒーは二杯飲んでいるし、頭痛というよりも発熱に近いあたまの重さなので、やはりコロナだろう。熱は37度あるかないかなのだが、体感はやっぱりそれよりしんどい。そういうわけで23時には寝床についたし、寝付くのに時間もかからなかった。

20230524

 朝、のどの痛みで一度目が覚めたが、二度寝。次に目が覚めた際、水分を摂取したら、のどの痛みはおさまった。とはいえ、多少の違和感は相変わらずあるし、痰がからむようにもなっている。これはしかし治りかけている証拠だろう。熱もたびたび測ったが、やっぱり37度前後を行ったり来たりという感じ。
 記録が手元に残されていないし、ここ数日、毎日おなじように安静にしているだけというか、ほとんどシームレスな日々を送っているせいで、どの時間帯にどういうことをしたのか、そしてそのとき体調はどうであったか、全然よくおぼえとらん。とりあえず朝昼兼用でパンとフルーツを食ったのは確か。あとは離脱症状対策にコーヒーも飲んだ。
 順不動で学生と交わしたやりとりだけ記録しておく。まず(…)四年生の(…)さんから卒業写真が届いた。Wi-Fiのない環境にいたため、送るのが遅れたという弁明付き。もしかしたら卒業旅行でもしていたのかもしれない。卒業生の(…)さんからは中国で日本語の文献をどうやって手に入れればいいのかという質問。こちらはVPNを経由して国外のネットを使用しているのでよくわからないと返答。まずは図書館で資料を探してみればと、そんなことはとっくにすませているだろうがと思いつつもいちおう形式的に返事すると、あ! その手がありましたか! みたいな反応があって、逆にびっくりした。いや、基本中の基本やろ、と。(…)さんは専攻を日本語からマルクス政治学に変更して大学院を受験したという記憶があったのだが、その点確認すると、そのときは院試に失敗、浪人して専攻を「生態修復」に変更した上で翌年合格したという話だった。どこの大学院に入ったのかは詳しく聞いていない。指導教授からは日本と中国の生態環境の比較研究をするようにと言われているという。具体的には森林共生社会うんぬんみたいなアレらしい。(…)一年生の(…)さん、(…)くんからも見舞いの微信。夕飯は二年生の誰かにお願いしようとグループチャットにメッセージを投稿したところ、ちょうど政治の授業中だったらしく、それで何度も申し訳ないけどと断りつつ、結局、(…)さんと(…)さんのふたりに第三食堂のハンバーガーを二つお願いした(しかしハンバーガーはまだちょっと早かったかもしれない、食ったあとちょっと気持ち悪くなった)。授業の終わったタイミングで(…)さんから食事を運びましょうかという申し出があった。あと(…)さんからは以前(…)さんからも送られてきた食堂のメシを配送依頼するミニプログラムも送られてきたが、中身を確認してみたところ、配送対象先に外国人寮は入っていなかった。夜は大連の(…)さんから翻訳のチェック依頼が入った。こちらが伏せっていることを知らなかったようす。これは断った。
 夜、頭痛に悩まされた。離脱症状対策にいちおうコーヒーは二杯飲んであったはずなのだが、いま手元にあるのはインスタントのみで、もしかしたらカフェインの含有量が少なかったのかもしれない、それで三杯目を飲みながらソファで書見をすることに。ほとんど一日中ベッドに横たわっているせいで、身体中が痛くなりつつあったし、首まわりの負荷も相当しんどいことになっていたので、筋トレは無理にしても、なるべく通常通りの生活を送ろうと決めたわけだが、夜は昼よりもやっぱり熱があがりやすくなるのかもしれない、ソファで『東京の生活史』を読んでいるうちにだんだんとしんどくなってきて、結局、わりとはやばやとベッドにもどることになった。熱は37度台後半。一日のピーク時でこの程度なのだから、徐々によくなってはいる、しかし風邪に比べるとやはり圧倒的にしつこい、ふつうの風邪だったら、「あ、どうも山場は越えたな、明日の朝目が覚めたら完全復活しているパターンだな」と判断されるそのような区切りをいくつか経過したはずであるのに、残り火みたいな微熱と倦怠感が居残るのだ(もっとも、この倦怠感は寝たきり生活に由来するものである可能性のほうが高いが)。なかなかうっとうしい。なんだかんだで今週いっぱいは休みになりそう。
 ひとつ書き忘れていた。(…)さんとやりとりした際、(…)先生はどうしているのか聞いたのだった。彼女はこちらよりも数日はやく感染していたはずだが、いまだ気分が悪いらしく、きのうの授業は自習だったらしい。それで、わざわざ補講をせずとも自習ということにすれば、あとでバタバタせずに済むのかと学習した。といってもこちらはもとより補講をするつもりはない、学生らもそれをきっと望んでいない、補講をしたていで適当にごまかしてやろうという魂胆だったのだが、もしかしたら監査が入っていて、あとで事務室のほうからあれこれ言われるかもしれないので、もしそういうことがあったら(…)先生と同様、作文の課題を出していたというていでごまかしましょうと(…)さんと口裏を合わせた。来月に四級試験をひかえている彼女らとしてもそのほうがいい。
 あと、ceroの新譜『e o』も一度だけ聞いた。万全な体調じゃないのでアレだが、前作よりもずっと好きかもしれない。

20230523

 10時ごろ起床。ひさしぶりにまとめて寝た。ずいぶんすっきりしたと思う。しかし体のだるさはまだ抜けない。37度台の微熱もある。昨夜からひとつ気になっていることがあった、もう40時間ほどコーヒーを飲んでいないのにどうしてカフェインの離脱症状が出ていないのだろう? 通常であれば、24時間を超えたあたりで強烈な頭痛がはじまるのだが、それが全然ないのだ。体調不良時にはそのあたりの身体の反応も変化をきたすものなのだろうか? あるいは頭痛が出てないだけで、この体のだるさであったり微妙な関節痛であったりは、コロナではなくむしろカフェインの離脱症状に由来するものだったりするのだろうか? そういうわけで今日は具合の安定しているタイミングでコーヒーを飲んでみることに決めた。
 二年生の(…)さんから微信。のどの痛みが気になったので病院に行った、しかしコロナは陰性だったという報告。
 三年生の(…)さんからも微信。いま第五食堂にいる、食事を持っていくこともできるというので、昼はいらない、しかし夕飯を持ってきてほしいとお願いする。
 薄切りの食パンを食べる。バナナを食べ、ドラゴンフルーツを食べる。それからベッドに移動し、また少し寝た。たっぷり寝汗を掻いたおかげか、体がすっきりした。熱も37度前後で安定しているようだったので、いまのうちにとシャワーを浴びた。あがったところでゆっくりとストレッチ。体中ががちがちに痛い。ゆっくりとのばす。背中や首まわりの凝りや張りについては、ストレッチをするよりも懸垂をしたほうが手っ取り早いのだが、さすがにこのコンディションで懸垂はあまりよろしくないだろう。
 コーヒーを飲む。しみる。だんだんと生活を通常モードに復していこうというわけでデスクに向かい、おとついづけの記事の続きを書いて投稿する。体力がないので、記事冒頭の抜き書きは省略。一年前の日記と十年前の日記の読み返しも省略。それから(…)一年生の(…)くんに微信を送り、明後日の授業は休みにすると伝える。この調子だと明日には熱もひくかもしれないが、しかし感染力の高い病気であるわけだし、病み上がりすぐに復帰するわけにはやはりいかないだろう。26日(金)の授業は微妙。学生と体調、双方と相談して決めるか。
 また少し寝た。汗を掻き、かなり楽になった。熱もとうとう37度を切った。寒気があるときはとにかく暖かくする、そして汗を掻きはじめたら逆に体を涼しくする。そうするのがベターだという情報を昨日ネットで見ていたので、基本的にはそのとおりにする。実際、汗を掻くと、本当にすっきりする。少なくとも日中は解熱剤なしでやっていけることがわかった。熱のあがりやすい夜はどうなるかまだわからない。
 夕方、(…)さんが夕飯を持ってきてくれる。今日はひとりだったようだ。第四食堂の西红柿炒鸡蛋面か第五食堂のセロリと豚肉の餃子どちらかを買ってきてほしいとお願いしていたのだが、両方買ってきてくれた。それでひさしぶりにメシらしいメシを食った。西红柿炒鸡蛋面を食ったのだが、マジでうまくて、体が芯からよみがえる感じ。餃子は夜食としてのちほど食うことに。
 その後、しばらく寝床でだらだらした。ぶりかえしの気配もない。熱は36度から37度を行ったり来たりしているが、38度台に突き抜けることはもはやない。明日はもう平常運転でも問題ないかもしれない(それでもいちおうまだ部屋は出ないことにするが)。
 ふたたびデスクに向かい、きのうづけの記事を書いて投稿する。夜食の餃子は結局ろくに食わなかった。書見もできるコンディションだったと思うが、ベッドに移動したあとは、スマホでだらだらとYouTubeを流したりして過ごした。入眠前だけはやっぱり解熱剤が必要かなと思っていたのだが、そんなこともなかった。