20240724

土曜の夜になると僕はあいかわらずロビーの椅子に座って時間を過した。電話のかかってくるあてはなかったが、他にやることもなかった。僕はいつもTVの野球中継をつけて、それを見ているふりをしていた。そして僕とTVのあいだに横たわる茫漠とした空間をふ…

20240723

永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが…

20240722

もっと昔、僕がまだ若く、その記憶がずっと鮮明だったころ、僕は直子について書いてみようと試みたことが何度かある。でもそのときは一行たりとも書くことができなかった。その最初の一行さえ出てくれば、あとは何もかもすらすらと書いてしまえるだろうとい…

20240721

ヴィリリオは「未来がない——つまり、プロパガンダがなく、したがって「信仰」もない——とき、うつ病が生じる。」と述べる(Virilio. 2002)。未来とは人間的時間であり人間の幻想であるゆえ、未来の死は、現在の強度のみに生き、新しい現実を迎え入れる安定性…

20240720

ジルーのみならず現在の教育論において他者や「他者性」はキーワードとなっている。民主主義社会の成員は他者に寛容であり他者と共生できる必要があり、そのタスクは現在の教育のいわばわずかに残された正当性を支えている。しかし先に見た他者は主体にとっ…

20240719

フロイトは、幻想とは誤りであるとして捨て去られるようなものではないとし、幻想の重要性を指摘している。フロイトは現実原則自体快楽原則(幻想)の上に成立しその迂回でしかないとしていた。現実原則は常に快楽原則とその幻想の対象に橋渡しされながら獲…

20240718

作者体調不良により、本日更新予定の「ファーブル三宅の昆虫食はじめました」第197400027皿はおやすみさせていただきます。ご了承ください。 午前中に起きた。起きぬけ早々に下痢に見舞われることはなかった。一瞬、もしかして治ったかな? あした出発できる…

20240717

作者体調不良により、本日の「カルロス・三宅・カスタネダの呪術でひもとく仮想通貨の未来」はおやすみさせていただきます。ご了承ください。 今日も終日下痢。熱はない。だるさもない。空腹もぼちぼち感じる。しかしとにかく下痢が止まらない。コロナ対策で…

20240716

作者体調不良により、本日の「ニルヴァーナ三宅のアルカイック・グルメ〜東南アジア編」はおやすみさせていただきます。ご了承ください。 終日、下痢。軽い下痢ではない。ほとんど水。昨夜、眠る前に下痢ラ豪雨に見舞われていたので、整腸剤を服用しておいた…

20240715

作者体調不良により、本日の「幸運はこう掴め! ハッピー三宅のエンジョイ・ユア・ライフ!」第8629回はおやすみさせていただきます。ご了承ください。 7時15分起床。パンを切らしていたのでコーヒーだけ飲む。売店でミネラルウォーターと抹茶アイスクリーム…

20240714

「感情労働」とは、ホックシールド(1983)による概念で、「公的に観察可能な表情と身体的表現を作るために行う感情の管理であり、賃金と引き換えに売られ、したがって交換価値を有する行為」である。私的文脈における同種の行為であり、使用価値を有するも…

20240713

ここで、なぜ若者が大酒やドラッグなどに走るのかを「極端な経験のカルト」という観点から分析したル・ブルトン(Le Breton D. 2000)の議論を見よう。 ル・ブルトンによれば「極端な経験のカルト」とは、大酒や危険なこと等、「死」も厭わない極端な経験へ…

20240712

(…)ここで鬱の問題に精神分析的にアプローチするため、二〇世紀の半ばでも鬱が回収されていたとされるカテゴリーである「メランコリー」に焦点を当てよう。現在の診断では「内因性鬱病」とも呼ばれ単極型(鬱病)に近い観念であるとされるメランコリーは、…

20240711

また大文字の他者の不安定さは具体的な他者との関係の困難も導いている。それは、一方でキャクシアリらが指摘する、トラウマと犠牲者への人々の抽象的同一化があり、他方でフロイトがいう親近者や隣人との「些細な差異のナルシシズム narzissmus der kleinen…

20240710

このような情況で精神分析が明らかにできるのは次の二点である。 第一に、再帰的主体が生まれるには、マクドナルド化を生み出しているような現在の社会状況では困難であることである。このような社会状況が主体を危機に陥れることは精神分析の観点からいえば…

20240709

しかしこのような社会の再帰化・個人化は精神分析的認識を獲得し蓄積した主体を前提にしており、それはギデンズのいうように一部のエリートにのみ可能なことであって、現在のようにグローバル資本主義が次々に「周辺者」を生み出す社会では、「例外」が多数…

20240708

また女性がおかれていたのは、イマジナリー以前の世界としての「メランコリー状態」であり、それは、イマジナリーさえもてない、死への同一化の状態であった。主体にとっての対象が対象化される以前の対象(もの)への同化(主体と対象の未分化)としての「…

20240707

こうしてイマジナリーとは、眼下の現実にはない、理想的なものの審級であり、現実に虐げられている人にとっての希望となり、現実に不安を抱いている人にとって、逃避場所としても存在する。子どもにとってイマジナリーが重要であるように、イマジナリーは弱…

20240706

(…)「イマジナリー」とは精神分析の概念で、「人が自分が依存する他者との同一化の中で主体を形成すること」を意味するが、コーネルはここで「イマジナリー」を「自分がこうありたいという人格を想像し直し表現する心の空間」であると規定し、フェミニズム…

20240705

(…)コーネルは、このような、祖母が母へと、母が娘である自分へと及ぼしたような作用、誰か他の者の無意識がとりつくことを「亡霊」と呼んでいる。そして、コーネルのように、「亡霊」の存在を見据えてこれと取り組む(言語化する)とき、その呪縛は解かれ…

20240704

性がなぜ社会の根幹にあるかといえば、それは、人間の性が、動物的なもので社会によってコントロールされなければならないものだからではなく、動物的な性的欲求を超えた可塑性をもち、他者との関わりを強くもって身体や主体の構成を支えるからである。フロ…

20240703

ラカンの精神分析理論では、意識・理性・言語の領域は「象徴的なもの」と呼ばれる。また、フロイトが他者と関わる「性」の領域として記述した領域は、「想像的なもの」(イマジナリーおよびイマジネール。本章ではコーネルを参照するので、イマジナリーの用…

20240702

原初的な構造形成がなされていない自閉症から見えてくることは、第一に自閉症には世界の同一性がないこと、そして同一性は通常、自己へと中心化されているため自己がないことであり、第二に彼らの同一性の欠如は汎化(一般化・抽象化)作用という人間的フィ…

20240701

このジジェク理論の特性、構造の生成そのものを論じえない傾向は、ジジェクにおいて「転移」(=権力および構造の維持)と(出来事としての)「隠喩」(構造の生成)を混同する事態となって現れている。例えばジジェク(Žižek 1989)は、キリスト教の権威は…

20240630

ここで現在社会的に起こっている、主体が「非主体」へ向かう「精神のノーマライゼーション」とは、社会(他者)の解体に伴い、マジョリティである主体-健常者を支えていた、根源的空虚や無根拠性を埋める幻想が失われつつあることである。そして彼らが自閉症…

20240629

もちろん現在資本主義が自由な構築により人間の生を破壊しかかっているとはいえ、ここで資本主義は単純にこれまでのすべての差異を無化してきているというわけではない。資本主義はむしろ常に歴史的に差異を利用してきたのであり、現在においても既存の差異…

20240628

精神分析理論が現代の危機に対して指し示しているのは、信頼(S1)と知(S2)の失墜である。精神分析で言うS1とは主人のシニフィアンと呼ばれる、世界に対する無根拠な信頼であり、S2は象徴的なものの宝庫である。フーコーの議論で言えばS1が権力、S2が知で…

20240627

田所(2007)は、テレビ・バッシングは、テレビの自作自演性を、オーディエンス共同体において楽しむことが困難になったとき、テレビ攻撃として生まれたとする。「やらせ」という言葉は一九七七年頃定着していくが、その頃の週刊誌上でのテレビやらせ記事は…

20240626

スティグレールによれば、ハイパーインダストリアル時代のさまざまなテクノロジーが人々の記憶の材料そのものを単一化し(例えば現実はテレビからだけ受け取られていく、書物はベストセラーだけが読まれていく等等)、個人の固有性(によって成立する「個体…

20240625

世論が生産・加工される現場がテレマーケティング会社であることは、世論が今日もつ意味を規定しているが、ここで、そもそも世論という人工物の社会学的意味について批判したのは、政治は象徴闘争であるとし、政治知識や能力における文化資本の存在を指摘し…