2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧
厠の窓から覗くと、鶏小屋の脇の壁のところに陣どって、せっせと藁をしごいている男がいた。雨の日でも同じ場所で同じ手仕事をつづけていたが、その俯き加減の面長な顔には、黒い立派な口鬚もあり、ちょっと、トーマスマンに似ていた。概して、この村の男た…
五月に入ると、近所の国民学校の講堂で毎晩、点呼の予習が行われていた。それを正三は知らなかったのであるが、漸くそれに気づいたのは、点呼前四日のことであった。その日から、彼も早めに夕食をおえては、そこへ出掛けて行った。その学校も今では既に兵舎…
片山のところに召集令状がやって来た。精悍な彼は、いつものように冗談をいいながら、てきぱきと事務の後始末をして行くのであった。 「これまで点呼を受けたことはあるのですか」と正三は彼に訊ねた。 「それも今年はじめてあるはずだったのですが、……いき…
『資本論』において、労働者が主体的となる契機は、商品―貨幣というカテゴリーにおいて、労働者が位置するポジションが変更されるときに見出される。すなわち、資本が決して処理しえない「他者」としての労働者は、消費者としてあらわれるのだ。それゆえ、資…
資本主義のグローバル化の下に、国民国家が消滅するだろうという見通しがしばしば語られている。海外貿易による相互依存的な関係の網目が発達したため、もはや一国内での経済政策が以前ほど有効に機能しなくなったことは確かである。しかし、ステートやネー…
ところで、貨幣を蓄積すれば、いつでも物を獲得できるのだから、当人が物を蓄積する必要はない。したがって、蓄積は、貨幣の蓄積としてのみはじまるのだ。それは、物を蓄積することには、技術的に限界があるからではない。そもそも、貨幣経済の圏外にあるど…
カントによれば、総合的判断でしかありえないことを分析的判断によって証明してしまうのが形而上学であり、思弁哲学であった。しかし、同じことが事後的な立場に立つ思想についてあてはまる。形而上学とは、事後的にしかないものを事前に投射してしまう思考…
シュティルナーは、人はエゴイストであると主張する。だが、同時に、彼は通常エゴイストと見なされるのはエゴイストではない、という。たとえば、人が利益あるいは欲望の追求に「憑かれて」(所有されてpossessed)いるのであれば、それはまさに「私の所有」…
……デモクリトスの自然哲学とエピクロスのそれを同一視するのは、古くから確立された偏見である。だから、エピクロスによるデモクリトスの自然哲学の変更は、たんに恣意的な気まぐれにすぎないと考えられている。一方、私はディテールに関して顕微鏡的な探求…
僕は、病気のあいだに君の『ヘラクレイトス』を十分に研究して、散逸した遺文から体系を組み立て直す仕事がみごとにできていると思うし、また論争にみられる鋭い洞察にも感じ入った。(中略)君がこの仕事で克服しなくてはならなかった困難は、僕も約一八年…
私は、ここで、マルクスがいう「ブルジョワ独裁」について言及しておきたい。それは後に詳述するように、彼のいう「プロレタリア独裁」に関連する問題だからである。マルクスが、ブルジョア独裁をむしろ「普通選挙」において見ていることに注意すべきである…
死者は、われわれが勝手に感情移入できる相手ではないし、われわれが勝手に代弁できる相手ではない。死者は語らないし、無関心である。死者の名において語る者は、何にせよ、自分を語っているだけだ。死者を弔う者は、死者を忘れるためにそうするのだ。弔っ…
近代科学は、道徳的・美的な判断を括弧に入れるところに成立する。そのとき、はじめて「対象」があらわれるのだ。しかし、それは自然科学だけではない。マキャベリが近代政治学の祖となったのは、道徳を括弧に入れることによって政治を考察したからである。…
(…)固有名に関するクリプキの論点のもう一つは、固有名による指示固定が私的ではありえず、共同体による命名とその歴史的な伝達の連鎖によってあるということである。この場合、クリプキは「共同体」といっているけれども、厳密にいえば、それは共同体と共…
カントは一般性と普遍性を鋭く区別していた。それはスピノザが概念と観念を区別していたのと同様である。一般性は経験から抽象されるのに対して、普遍性は或る飛躍なしには得られない。最初に述べたように、認識が普遍的であるためには、それがア・プリオリ…
ブランケンブルグは精神分裂病を「生きられる現象学的還元」であるといった(『自明性の喪失』)。現象学者は自明性――私が在り対象世界が在るというような――を括弧に入れていくが、その括弧をいつでもはずすことができる。しかし、精神分裂病者においては自…
ある言語の規則はそれをしゃべっている者ではなく、それを学ぶ「外国人」の側から考えられたものである。ということは、私自身は、自分のしゃべっている日本語の文法を知る必要がなく、また知ることができないということを意味する。しかし、私は、外国人が…
重要なのは、カントが「普遍性」を求めたとき、不可避的に、「他者」を導入しなければならなかったこと、その他者は共同主観性や共通感覚において私と同一化できるような相手ではないということである。それは超越的な他者(神)ではなくて、超越論的な他者…
さらに、カントは美が対象に対する没関心性において見いだされるといっている。それはいわば、関心を括弧に入れることである。いかなる関心か? 知的・道徳的関心である。われわれはある対象に対して、真か偽か、善か悪か、快か不快かという、少なくとも三つ…
「最近、新しい作品をレコーディングしたんだ」 とラズリは言って、テープをカセットデッキに突っ込んだ。流れてきたのは、何だか凶悪な音楽だった。死にかけの獣が吠えているような。ベースが背骨のようにきしみ、ディストーションをかけたシンセサイザーが…
ロックンロールは何者をも救済しない、いやさない。ロックンロールが言っていることはひとつだけだ。おれはお前が壊れるまでやりたい。そう、あの感じだ。いまだ名づけられていない精神状態、G7とC7とDの三つのコードだけで、腰と膝が拍子を打ち出す、何もか…
9日・10日 10時半起床。ストレッチ。腕立て伏せをした翌日はやはりいくらか腰が悪くなる。なるべく負担のかからないフォームを意識してはいるつもりなんだけれど。トーストとバナナとミカンの朝食をとったのちコーヒーをがぶ飲みしながら昨夜やりそこねたiTu…
7日(火) 10時半起床。ストレッチ。おもてにでると快晴で、短く刈りこんだ後頭部にさしこむ日射しが暑かった。パンの耳とマフィンとコーヒーの朝食。洗濯。きのう長々と書き記したブログの手入れをしてアップ。「A」の紙本はじぶんの発注した分20冊を差っ引…
3日(金) 9時に起きた。前日の残り物の寿司とおでんをたらふく食した。10時過ぎに(…)が車でやってきたので助手席に乗った。(…)の家の近所にある墓場の駐車場に車を止めて(…)がやってくるのを待った。(…)を乗せてから車を(…)の自宅付近にある駐車…
2日(木) 5時半起床。めざましが鳴りひびくち同時に推敲!という意識が血流よりもはやく全身をかけめぐり一発で覚醒しきった。飯も食わずストレッチもせずパソコンにむかった。ある程度手を加えたところで近所のコンビニに出向いて牛乳とサンドウィッチを購…
31日(火) 5時半起床。「A」推敲。そして脱稿。ぎりぎり間に合った。前夜ひらめいた最後の難所の打開策は完璧だった。やりきった。絞りつくした。もうこれ以上はなにも出てこない。 8時より12時間の奴隷労働。行きしな、たしか河原町通を今出川から丸太町に…