2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

20140228

われわれの動作はその九割までが習慣や自動現象に従っている。それらを意志や思考に従属させるのは、反=自然的なことだ。 (ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』) モデルたちが自動的に動くようになり(すべてを計測し、重さを量り、…

20140227

真実と虚偽の混淆においては、真実は虚偽を際立たせ、虚偽は真実を信じることを妨げる。本物の嵐で難破した本物の船の甲板に立って、遭難の恐怖を演じてみせている一人の俳優。われわれは俳優も、船も、嵐も信じない。 (ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳…

20140226

つなぎ目の部分で起きていること。「大きな戦闘が行なわれるのは」、とM将軍が言っていた――「ほとんどつねに、複数の参謀本部地図どうしの交点においてである」と。 (ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』) 10時起床。きのうの外出が…

20140225

成功が偉大であればあるほど、それは失敗すれすれに接近する(ちょうど絵の傑作とは、一歩間違えれば俗悪な看板絵と化すものであるように)。 (ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』) 10時起床。ぽかぽか陽気。歯を磨き、ストレッチを…

20140224

自分の手段を十全に活用する能力は、手段の数が増えれば増えるほど減じてゆく。 (ロベール・ブレッソン/松浦寿輝・訳『シネマトグラフ覚書』) 11時過ぎ起床。煙草のにおいがいまだに霧散しきれぬ煙となってたちこめているようであったのでひとまず香を焚い…

20140223

十九日同地海軍水上機基地部隊生存者約四十八名ガ合流。数日後ブララカオ川口ニ破損碇泊中ノ機帆船ヲ修理シテルソン島ニ渡ルト称シ、全員山ヲ下ッタガ、ゲリラニ襲ワレ、指揮官石崎少尉以下十名ノ犠牲ヲ出シテ再ビ山ニ戻ッタ。我隊ヨリ分与セル食糧モ同時ニ…

20140222

下士官一、兵四ガカミナウエ分哨ニ行ク途中デアッタ。衛生兵ハ衛生材料ニツキ海軍部隊ト交渉ノタメ便乗シタ。中間ノ小駅デ不意ニ本線ヲハズレテ引込線ニ入ッタ。運転シテイタ兵士ガ下車シテ調ベルト、転轍部ニ小石ガ挿ンデアル。危険ヲ直感シテ顧ミルト、線…

20140221

ミンダナオの三人の病人中二人が死んだ。水葬が行われるそうで、有志は後甲板に集合と廻状が来た。 祖国を三日の先に見ながら死んだ人達は確かに気の毒であった。しかし、彼等が気の毒なのは戦闘によって死んだ人達が気の毒なのと正確に同じである。私とても…

20140220

沖へ出てだんだん筏は孤独になった。我々は曳船の進む方向によって乗るのはどの船かと探している。曳船を操縦しているのは二人の比島人である。訊いてみると、 「ダット・オーベルデア That overthere」(比島語に th の発音はない)といって、あまり遠くな…

20140219

その他外業先で海軍用語で「銀蝿」、つまり盗んで来た品物が沢山ある。スウェーター、手袋、靴、その他俘虜規格外の品物がふんだんに有る。俘虜もさすがにこれだけは米軍の検査官の前に出す勇気がない。 米軍もこの種の品物の存在を知っていた。中隊付きの米…

20140218

一体美人とは何だろうか。無論美しい女にきまっているが、我々は何によって或る女を美しく、他の女を醜いと思うのだろう。美学者は無論鼻の高さとか、額と頬の釣合とかについて、シンメトリーや黄金分割の法則を提示するだろうが、もし我々が全くそういう法…

20140217

進藤の名が収容所に鳴り響いたのは、戦争も終りに近く、毎週各中隊で演芸大会が催されるようになってからである。或る夜、わが中隊の俘虜達が、それぞれの流行歌やお国自慢の民謡などを聞かせた後、飛び入りで「姑娘の歌」を歌った。かなり音域の広い裏声で…

20140215

東条英機の自殺未遂に俘虜達は大いに笑った。 「胸なんか射たなくても射つところはいくらでもあるじゃねえか。第一MPが来た途端にやらかすなんて、強盗殺人犯じゃあるまいし、いやしくも一国の首相のやることかね」とわが中隊長はいった。 山下奉文元大将が…

20140215

彼はセブの山中で初めて女を知っていた。部隊と行動を共にした従軍看護婦が、兵達を慰安した。一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制…

20140214

私は私の小市民根性に賭けていうが、広島市民も、将来原子爆弾を受くべき都市の市民も、私と何の関係もない。俸給生活者たる私の直接考慮の及ぶ範囲は、私の家族と友人に限られている。家族は現在疎開している公算大であるし、聡明なるわが友人達は、それぞ…

20140213

秋山は田辺哲学の信奉者であった。私は早くから哲学する習慣を捨てていたので、とても彼の話相手になることは出来なかったが、高等学校の時「直接経験」に関して抱いた疑問を御愛嬌までに提出してみることにした。 「ここに煙草がある」といって私は机の上に…

20140212

以上私はわが中隊本部を形づくる人々について逐次語った。退屈した読者は或いは私がこの方法によって、中隊全員について書くのではないかと懸念されたかも知れないが、その人は安心してよろしい。「俘虜名簿と競争する」ことは、この記録を書き始めて以来絶…

20140211

今日多くの俘虜の記録が降服の心理について書き、「人間性」「生きる欲望」の如き観念をもってそれを飾っているが、卑見によればかかる行為には、必ずしも心理的連続性を求めなくてもいいのである。 或るレイテの俘虜は肉薄攻撃に出されて家ほどある米戦車を…

20140210

9日(日) 6時20分起床。携帯電話のアラームで目覚めたのだけれどもこれめざましで目覚めるより若干不愉快な気がする。理由はないけれども。強いていうなら四連勤の現実のせいかな。「いま日本でいちばんどん底にある人間ランキング」があるとすればじぶんと…

20140208

多分こんな冗漫な論議を重ねて読者を退屈させるよりは、私は最初からこの一線に沿って物語るべきであったろう。それによっても私は別に事実からさして遠くはならなかったかも知れない。しかし私は自分の物語があまりにも小説的になるのを懼れる。俘虜の生活…

20140207

以下の私の記述が刻明な観察に基づくと思わないで戴きたい。私はただ漠然たる記憶を刻明に辿っているだけである。 (大岡昇平『俘虜記』) 夢。夜の異国にいる。アメリカの郊外のようである。MVを観ているような視線にたっているが、同時にじぶんは出演者の…

20140206

私のマラリアの熱は一週間で去ったが、なお根強い衰弱が残っていた。しかし私は漸く杖なしで歩けるようになった。歩けるようになると共に、私はそれまでの軍隊式の小刻みの歩き方を止め、歩度一杯に歩く昔の歩き方に変えた。そしてそのリズムは足を引き抜く…

20140205

この時銃声が轟いた。それはその時私の緊張も、近づく決定的な瞬間も吹き飛ばして鳴ったように、今も私の耳で鳴り、私のあらゆる思考を終止せしめる。これが事件であった。 (大岡昇平『俘虜記』) その足取りの先で控えている「私」の存在にてんで気づかぬ…

20140204

二十年ぶりで読み返すイエスの一代記は無論少年の時とは全く異った感銘を与えた。彼に荒唐無稽な医療的奇蹟を仮構するほど無智な弟子の筆にも、これだけ生々とした生き身の人間の跡を伝えしめたイエスの人格には、たしかに神の子と呼ぶのが最も適わしい力と…

20140203

夜、狭い一人吊りの蚊帳の中で私は全く孤独である。しかし私は夜のこうした時間それほど退屈したわけではない。応召して以来、いやでも無為にすごさねばならぬ立哨中とか消燈後の孤独の時間を、私は専ら考えてすごした。私は生涯で軍隊におけるほど瞑想的で…

20140202

ピジャマという簡単な衣服のこれ以上様々な着方は考え出せるものではない。彼等は日本の軍隊の習慣に従って皆上衣をズボンの中へたくし込んでいたが、或る者は喉まできっちりボタンをかけ、或る者は襟を背広のように折り返していた。袖は或いは手首まで或い…

20140201

私は俘虜となることを、日本の軍人の教えるほど恥ずべきものとは思っていなかった。兵器が進歩し、戦闘を決定する要素において人力の占める割合が著しく減少した今日、局所の戦闘力に懸絶を生ぜしめたのは指揮者の責任であり、無益な抵抗を放棄するのは各兵…