20131211

 ここで、カントが倫理学において重要な転換をしていることに注意してほしい。それは自由という観点から道徳性を見たことです。彼にとって、道徳性は善悪よりもむしろ「自由」の問題です。自由なくしては、善悪はない。自由とは、自己原因的であること、自律的であること、主体的であることと同義です。しかし、そのような自由がいかにしてありうるのか、というのが彼の問いです。そして、彼はそれを「自由であれ」という至上命令に見出します。
 これまでの倫理学は善悪が何であるかを論じてきました。先に述べたように、それには二通りの考え方がある。一方に、善悪を共同体の規範として見る見方があり、他方に、それを個人の幸福(利益)という観点から見る見方があります。しかし、カントによれば、それらはいずれも「他律的」なものです。共同体の規範に従うということが「他律的」であるということは明白です。さらに、幸福主義――善を幸福から説明する功利主義的な考え――も、根本的に感覚や感情にもとづいており、諸原因に規定されるから、「他律的」なのです。それらに対して、カントは、道徳性を「自由である」ことにのみ見出します。自由がないならば、主体が無く責任がありえない。そこには、自然的・社会的な因果性しかない。
 カントが自由を「義務に従う」ことに見出したことは、大きな誤解を生んでいます。それは、一般に、義務が、共同体が各個人に課すものと見なされるからです。しかし、カントのいう義務は、「自由であれ」という義務です。くりかえしていうと、それは自然的・社会的因果性を括弧に入れよ、ということと同じです。自由であることを意志することによってのみ、自由が生じる。それ以外に、自由は生じない。「当為であるがゆえに可能である」というカントの言葉は、それを意味しています。
柄谷行人『倫理21』)



10時半起床。ストレッチ。パンの耳2枚とバナナとみかんとヨーグルトとコーヒーの朝食。12時半より「A」。16時半終了。やや手こずった。今週中にword上での修正を終えて来週はそれをプリントアウトしたものを元に最後の推敲というかたちでいけたらいいんじゃないかと思う。とりあえずなんとしても年内にケリをつけたい。
大家さんが家賃の催促にやってきたので支払った。うぐいす色の餅をもらった。オーブンで焼いて食った。美味かった。
長距離を長距離走として走るのではなく短距離走の連続が結果的に長距離に達している、そんなふうな生き方をこそのぞむべきだと思った。
戸をばんばんやる音がしたのでおもてにでたら若い男がひとりいて、まちがってたらすみませんと断るその口ぶりからしてはっきりとすでにおのれがそのまちがいを犯していることを自覚しているアレだったのだが、あのーぼくこの近くで塾講師をやっているものなんですけども、ここに小中学生のお子さんって、そうですよね、いませんよね、すみません、あのーこのあたりにそういうお宅って(「引っ越してきたばっかなんでちょっとわかんないすね」)、ああ、そうですか、どうもおいそがしいところを失礼しました。
懸垂と腹筋をした。17時半ごろに(…)さんからそろそろ忘年会にむかうからと連絡があったので軽くひっかけてから地下鉄で三条京阪まで出た。信号待ちをしている途中に(…)さんから着信があったので出ると、ちょっとした手違いからおまえたちの座る席に(…)さん(本社の人間)が着くことになったからあまり派手にやりすぎないようにと釘をさされた。ブックオフの前で(…)さんと落ち合ったところで(…)さんからの伝言を伝えると、(…)さんが腰痛のために来れないかもしれないらしくそうなるとじぶんと(…)さんと本社の(…)さんの三人でテーブルを囲むという地獄絵図とあいなるわけでそれだけはなんとしても避けなければならないとなった。忘年会がはじまるまでにまだいくらか時間があったので(…)さんのおすすめのカフェに出かけた。なんという店か忘れたし道順なんてさっぱり覚えていないけれども、隠れ家っつったら本来こういう立地をいうんだよみたいなおもてからはまったく見えない細い路地の奥の奥に息をひそめているようなこじんまりとしたおしゃれな店で、(…)さんはここのコーヒーが京都でいちばん美味いという。たしかに美味かった。そしていつもいく店のコーヒーと同系統の味だった。店の片隅には書籍が平積みになっていて(…)さんに断ってからちょっとのぞかせてもらうと、ジョイスユリシーズ』やチュツオーラの『やし酒飲み』でない作品が置いてあったりした。(…)さんから留守電が入っていることに気づいた(…)さんが伝言をチェックしてみると、腰痛がひどくなってしまったので今日は行けないとのことで、これで悪魔のトライアングルが確定してしまった。どうしたものかとなった。(…)さんは仕事中も腰痛のいらだちから(…)さんに八つ当たりしまくっていたとのことで、あのひともむかしはあんなことやこんなことしてタイミングさえうまくいけばいまごろ関東で親分クラスになっていただろうに、年齢からなのかなんなのか妙に子供っぽいところがあっていやいやそりゃいくらなんでもおとなげないでしょみたいな八つ当たりを(…)さんにたいしてすることがあるのだという。とかなんとかいろいろ話したはずであるのだけれどなかなかに酔いがまわっていたのであんまりはっきり覚えていない。たぶん一時間ほど経ったところで忘年会の会場にむかったのだけれどとりあえず不参加になった(…)さんの分の寿司も肉も食うことができて満足だったしビンゴも一番乗りだった(クソみたいな景品だったけど)。ただあとになってさんざん指摘されたけれどめんどうな(…)さんの相手をめんどうじゃないほうの(…)さんにまかせきりで飯ばっかり集中して食いつづけていたのはいただけないというか、おい、このB型!という指弾を受けた。本社の(…)さんと交わした言葉なんて、鍋に次々と肉をぶちこむこちらにむかってそんなにあせらんともだれもとって食わへんからとあきれ顔でいわれたくらいのものだ。(…)からこれまでさんざんうわさに聞いていた(…)というクソめんどうなおっさんが会の終盤から(…)さんにガンガン絡んでいてこれ(…)さんキレたらやばいなと思っていたのだけれどそこはもう慣れっこなのかうまいこと流していて、会がひらけてから今度はめんどうなほうの(…)さんに絡みはじめて、その瞬間(…)さん(…)さんからとっさの目配せがあり、いまがチャンスだ座敷を出よというアレで、(…)さんと(…)を残してみんながいっせいにさーっと座敷をあとにしてエレベーターに乗り込むまでがほとんどコントみたいな、これここまであからさまにやっちゃっていいのかよみたいなアレだったので腹を抱えて笑った。店の外に出てから(…)さんとその(…)さんの浮気相手なのではないかと目されている女性と別れて、(…)さん(…)さんじぶんの三人でさっそく夜の町にくりだすことになったのだけれどまずは(…)さんが店のフライヤーを置かしてもらう約束になっている外国人の経営しているバーに出かけることになって、したらそこの従業員のブラジル人の男性が偶然(…)さんの顔見知りで、そのひとは元々は××で、界隈でかつてはかなり手広くやっていたらしいのだけれど、きのう(…)さんが電話をかけたときも開口一番いま××××ったばかりなんでという応対があったといい、そういうこと知り合ってまもない人間相手にそれもよりによって電話で口にするかよとあって爆笑した。自主規制を余儀なくされるような話をさんざん交わしたのちさよならしていやーほんと木屋町とか祇園ってけっこうせまいもんなんだなーと(…)さんのツレと(…)さんのツレが簡単に、主として裏社会を媒介として結びついてしまう現場をこれまで何度か目撃していることをあわせて思って、なんだかんだでこちらも(…)さん周囲のひとたちと何度かご一緒させてもらっているわけであるしこういうつながりっていうのが要するに居酒屋文化であり飲み会文化であり盛り場の社交なんだなと思った。そしてそういういちいちがとても新鮮である。そもそも誘ってでももらわないかぎり繁華街に出かけることなどまずないので、たとえば別れ際にしばしば交わされるなにかしらトリッキーでアクティブな西洋風の握手の仕方ひとつとってもこちらは知らないし、おごってもらった酒の空になったグラスを去り際テーブルの上に置かれた別の空のグラスにチンとたたいてごちそうさまですとやるマナーも知らない。ここにじぶんの知らない未踏の領域がたしかに存在していると、その地下にひそむ危うさおそろしさ含めて飲みに出かけるたびにとてもおもしろく思うし興味津々になる。不良という語ひとつとっても田舎の高校生と都市の酔いどれではぜんぜん意味がちがう。ぜんぜん意味がちがうその不良外国人とわかれてからは鴨川に出て、(…)さんが立ち小便をした。酔いがさめてきつつあったので三人でひっかけたのだけれどけっこうな量をのんでしまったので、やばいとき特有のやばさのきざしみたいなものがだんだんと出てきて、(…)さんにこれけっこう今日やばいかもしんないすわというと、いやわかるわかる(…)くんこれいつもの感じやなという話になって、それなので本当はそのあと(…)さんの地元まわりの友人の彼女でありまた(…)さんとも長い付き合いでもある女性の経営する界隈ではとても有名な立ち飲み屋に出かける予定だったのだけれど、迷惑をかけることになってしまうといけないのでひとまず様子見をするというアレでどこかに入りましょうと(…)さんがいうのでたまたま目の前にあったブラック企業ワタミに突入した。どれだけの時間滞在していたのかはっきりと覚えていない。当初の予定では一杯だけ頼んで様子見というアレだったはずなのだけれどなんだかんだで三杯か四杯は注文したんでないだろうか。携帯にどうにかメモした記録を引用するとこのとき「記憶が肉離れをおこしている」。あともうひとつのメモに「ニーチェは話し中」とあるのだけれどこれなんだろ、と書いて思い出したのだけれどアレだ、ニーチェがうんぬんかんぬんとしゃべっていたら(…)さんがいやいやいまニーチェ話し中やからみたいなわけのわからないツッコミでこちらの無駄口を断ち落とした一幕があったのだ。ワタミではとにかくずっと笑っていた。(…)さんは例のごとく冷静沈着だったけれどもじぶんと(…)さんはけっこうべろんべろんのぐでんぐでんで、べろんべろんのぐでんぐでんに身をゆだねて言葉が口を突くままリミッターをかけずにいたら(…)さんがいきなりおまえやっぱり天才なんやな、おれ芸術わからんけどおまえが天才っていうんは今日はっきりわかった、ほんで天才と馬鹿が紙一重っていうんもおまえと出会って納得したわ、おまえはふつうの生活にかんしては馬鹿なんやな、やけどあのー、おまえじぶんのワールドに入ったら天才になりよる、とかなんとか言い出して(…)さんもそこにのっかってそうでしょう、そうでしょう、ほんまにそうなんですよ、(…)くんはほんまにそういうとこある、天才なんやけどキチガイなんですよ、人格疑うことあるしめんどくさいけどかわいいんです、とかいって、そのときは褒め言葉のように受けとっていてクソご機嫌だったのだけれどいま思い返してみるとわりと両義的だったかもしれない(たしかにこいつはこいつでほんまめんどくさいとこあんねんと(…)さんがものすごく気持ちの入った声で頷いていた覚えもある)。あとは頭おかしいやつはやっぱり酔いかたがおかしいから見ていておもしろい、(…)くんがときどきこいつを誘って飲みに出かける理由がわかった、こいつにだったら月に一度くらい投資する価値がある、金払ってでもいっしょに飲みたくなるみたいなことも言い出して、それだからひょっとしてこれから本当に三人で遊びにくりだす機会が増えるかもしれない。次は(…)もいっしょにみたいな話もたしか出た。記憶というのはつくづくじぶんにとって都合のよろしい部分だけを過保護にするもので、それだからほかにもせめておれが会社辞めるまでおまえはいてくれだとか、おまえが出勤するとちょっと元気になれるだとか、おまえはいま職場の人間全員から引っ張りだこなんだぞだとか、そういう気分のよろしくなるような言葉ばかりをわりとはっきり覚えていて、こんなんでもいちおうは上司であるところの(…)さんから基本的にはずっと誉められっぱなしだったのですごく上機嫌だったしその名残は酔いの名残といっしょにこれを書いているいまでもまだいくらか残存している。そういう(…)株急上昇中のおり、でもいまはこんなんですけど(…)くん××××ったときとか完全にチンピラですからね、ほんとヤンキーの話しかしやへんから、ずっとケンカの話しとるから、と(…)さんが割って入ったので爆笑してこのとき少しゲロを吐きそうになった。ワタミをあとにしてからは(…)さん(…)さん共通の知人がやっている立ち飲み屋に出かけて、(…)さんはまだまだ平然としていたけれどもじぶんと(…)さんはもういますぐ眠ってしまうんでないかというくらいのふらっふらのぐでんぐでんで、ジンジャエールを注文したらいきなり叱られた。曰く、立ち飲み屋に入って先輩のおごりでそれでソフトドリンクを頼むんだったらそもそも立ち飲み屋などに入ってくるなというアレらしいのだけれどああそれが木屋町の掟なんですかくらいにしかもう返答もできないし(「そうや、それが木屋町のルールや」)きっぷのよろしい姉貴というキャラづけもどうでもいいし、なるほど(…)さんがいっていたとおりやたらと気合いのはいった女のひとだなと思っていたのだけれど次に意識のはっきりした瞬間にはさっきのお叱りはどこにいったんだというくらい物腰がやわらかくなっていて、どうもこちらが酒にめっぽう弱いことを(…)さんがフォローしてくれていたらしく、それだったらしかたないみたいなアレになったようでそこからは酔いをさますためにお冷やを三杯くらいたてつづけにいただいた。水を飲むにつれて意識がだんだんとクリアになってきて店を去るころにはほとんどシラフで、かわりに(…)さんがひどかった。千鳥足でふらっふらほっつき歩きながら何語かわからない言葉ばかりむにゃむにゃつぶやいていてこれで明日このひと出勤っていうのはマジで地獄だなと思った。強烈な尿意をこらえながらタクシーに乗り込んだ。すでに3時半をまわっていた。帰宅するとまたもや暖房がつけっぱなしだった。小便をしてからパソコンをつけて寝た。