20131213

 ここで、重要なことは、第一に、カント的な「義務」に従うとき、多くの場合、不幸に陥るということです。カントは、宗教的な主張(神や霊魂やあの世)といったものを理論的に証明することを形而上学として論駁しました。また、現実に存在する宗教を、迷信や蒙昧として否定しました。しかし、倫理的(実践的)にのみ、それが要請されざるをえないことを認めたのです。もしこの世がすべてで、死ねば終わりであるならば、ひとは倫理的であるよりは、現実の幸福を志向するでしょう。だから、死後の生命や審判があるという信仰は、倫理性を励ますものです。カントは、倫理的であるかぎりにおいて、宗教を認めるのです。宗教はこの世で善人であるならば、あの世で救われる、というようなことではない。「自由であれ」という至上命令に従うために、そのような信仰が必要だというのです。実際、あの世を信じない人も、死後に自分がどう評価されるかを気にかけているならば、或る意味で、死後の生を信じていることになるわけです。
柄谷行人『倫理21』)



11時起床。ストレッチ。パンの耳2枚とバナナとヨーグルトとクリームチーズとコーヒーの朝食。12時半より発音練習&音読。16時半終了。暖房が無化されるレベルの冷え込みのためなのかなんなのか勉強中はやたらと眠たかった。ビブレまでぶつくさやりながら出かけて電池とプリンターのインクを購入したのちふだんは利用しないスーパーに立ちより食材を購入し帰宅。腕立て伏せをしてからシャワーを浴びて玄米と納豆と冷や奴ともずくと胸肉とわけぎと水菜を酒と塩こしょうで蒸し煮したものをかっ喰らったのちウェブ巡回し、『映画史』読み進めて寝た。