20131214

 その頃の京都では、「村八分」が神話的な人気を誇っていた。ビートいっぱいでタメの効いたリフと激しい踊りと、そしてマイクを蹴倒して演奏を中断して帰ってしまうアグレッシブさが僕たちをシビレさせていた。
 僕は、ダムハウスでそのギタリストの山口富士夫をまん前に見たことがある。彼は黒人とのハーフで、眉を剃りあげた大きな目の下に肺病やみのようなメイクをしていた。ケツの皮膚がカギ裂きから見える、おそろしくボロボロのジーンズをはいていた。
 ダムハウスの机とか椅子は、コーラとかビールの空きケースで作ってある。トイレに立った山口富士夫は、まあ、何かキメていたのだろう、少しフラついた足でその空き箱の板を踏み抜いてしまった。抜けない。
 何せ、当時の京都では神話的なカッコ良さを喧伝されているロッカーである。そいつが便所に立ったとたんに椅子板を踏み抜いて動けなくなってしまったのだ。みんな注目している。ピンチである。どうやって切り抜けるつもりだろう。他人事ながら、僕はハッとなって彼を見た。富士夫は、ゆっくりとした口調でこう言った。
「オイオイ、誰か何とかしてくれよ」
 完璧なキメ方。どっかのスーパーバンドの誰かさんのような、頭脳とカリスマ性を備えたボーカリストの格好良さではなく、ヨタ者で、ギターをひくしか能のないミュージシャンのみが持っている、ささくれた、すりきれた、しかしどこかに影のようなやさしさを含んだ「退屈」がそこにあった。
中島らも「頭の中がカユいんだ」)



6時半起床。パンの耳とコーヒーの朝食。朝からここ最近のブログをざっと斜め読みして「偶景」の素材を確保していたらあやうく仕事に遅刻しそうになった。「A」に目処がついたらなによりもまず「偶景」のたまりにたまった素材をしっかり彫刻しないといけない。ただ、どうもここ数ヶ月分書き足してきた断片群はいまひとつ面白くないんでないかという気がする。言葉遣いが抽象的すぎるのが問題であることはまちがいない。具体的な日々のなかで具体的にきわだっていた瞬間の採集であるのだからそれを語る言葉のひとつもひとつもきわめて具体的であるべきだろう。「A」が終わり次第これまでに記述した230枚+αから優れたものだけを選出し、それらすべてをいずれ一から書きなおすことにする。
8時より12時間の奴隷労働。顔をあわせるなり(…)さんからニーチェには無事に会えたかといわれたのでおかげさまでと応じた。いままでさんざんいろんな意味でぶっとんでるやつを見てきたつもりだがこのあいだのおまえに勝るやつはいないとのこと。恐悦でござる。
職場に体重計のあることを思い出して昼食後にふと思い立ち体重を計ってみたところぴったし60キロあった。食後+着衣であることをさしひいてマイナス2キロとしても58キロ。大学卒業後一年かそこらの時期にマークした48キロから考えるとぴったり10キロおそらくは筋肉のみで増やすことに成功しているといちおうはいえるわけだけど少々時間がかかりすぎであるというか、52キロくらいまではわりとすんなり増えたのだけれどそこから現状維持が四五年間続いたことを思うとあれはやはり完全に栄養不足だったのだろう、もっと早くに食事(量)の重要性に気づくべきであったと無駄な努力の悔やまれるようなところがなくもない。半年ほど前にやはり職場で体重を計った記憶があるのであれはいつだったろうかとブログ内検索をかけてみると7月15日で、この日の日記によると当時56キロをマークしている(…)。それから約五ヶ月でプラス4キロになったわけだが、目に見えてはっきりと体重のつきはじめたのはここ一ヶ月ほどで、10月上旬、日常生活にさしつかえのでるほどの腰痛に苛まれたその日から数日後(…)さんにすすめられるがままに胸肉生活を開始し、それまでは大量の野菜とすこしの魚というのがベーシックな食生活で、魚の切り身にしてもたまの鶏肉や豚肉にしても一食につき100gというか起き抜けにパンの耳を食するのをのぞけば実質いちにち一食生活を送っていたのだから一日につき肉は100gだったわけでそりゃあどれだけ運動したところで筋肉も体力もつきようがないというもので、いまはいちどの夕食につき200〜250gの胸肉をとるようになりプロテインも飲みはじめたこともあってまさしく水を得た魚であるというか、圧倒的に不足していたタンパク質と愉快な栄養素たちを摂取しはじめてからというもの、はじめて日々の運動が目に見えるかたちの結果として日ごとにあらわれつつあるそんな手応えがたしかに感ぜられてこれはなかなかに楽しい。なんかまた空手とかやりたくなってきた。このペースでやることやりつづけたら来年内にはたぶん65キロくらいまでは順当にのびるんでないだろうか。170センチで65キロだったらまずまずしっかりした身体だといえるだろう。ただしまちがっても170センチ80キロとかにはなりたくない。
英語にせよ筋トレにせよ、ここにきてじぶんを育成ゲームの対象として見なす視線が勢いを増して前景化しつつあるような気がする。
(…)さんがへそのやや下方ちょうど両脚の付け根のあたりにある腰骨かなにかのでっぱりの部分が黒ずみはじめているのを見てここ数日ずっと皮膚ガンかなにかではないかと気が気でなかったらしいのだけれど、黒ずみの正体が仕事で着用する前掛けの結び目かなにかで圧迫されてうんぬんみたいなどうでもいいアレだったのが発覚してとたんに元気になったという話をみんながしていたので笑って、黒ずみっていったいどんなふうになってたんすかといって実物を見せてもらったのだけれど黒ずみよりも(…)さんのへそのほうが気になって、でべそというのではないんだろうけどなにかへその窪みの部分がすべて埋まっているように見えたものだから(…)さんなんすかこのヘソどうかしたんですかと問うと、いやーえへへといいながら歯のない口をあけて白髪をぼさぼさ掻いてみせるのではてなと思っていると、これね、若いころにね、撃たれたんや、とあって、最初は下手な冗談かなにかいってるのかと思ったのだけれど冗談にしてはJさんがマジ照れみたいな表情を浮かべているので、いやいやマジでいってるんすか、撃たれたって拳銃でってことっすか、と続けて問うと、いやこういうのいうとなんか自慢しとるみたいやろ、やしワシ言いたくなかったんや、とますます頭をぼさぼさやりながら照れ笑いを浮かべてみせるのでこれってヘソじゃないんですかといいながら(…)さんの着用しているTシャツをさらにがばっとめくってみるとじぶんの想定していたよりもずっと高い位置にへそがあって、そのへそはもちろんくぼんでいたわけだけれどじゃあそのさらに下方に位置するこのヘソらしきものの正体はとなったところで、(…)さんマジで!!!!とクッソ驚いた。被弾の一件については(…)さんも(…)さんももちろん初耳で、どこの組と揉めてたときの話ですかと(…)さんが具体的な名前をいくつかあげながら問うと、いやいやそんなんちゃうねん、弾がな、入っとらんいうさかい、だれも入っとるて思うとらんかったさかいな、ここからちょうどそこ、そやな、(…)くんのおるくらいの距離やな、そこくらいからまあためしにこう撃ってやな、そしたらまあ(銃痕を指さしながら)こうや、という話で、要するに仲間内でふざけていた結果としての事故だったらしいのだけれど、痛かったですかという(…)さんの質問にたいして、いや痛いっていうよか熱ッ!って思うたな、熱い熱いッ!ってなったわ、というクソリアルな返答があったときにはさすがに腹を抱えて笑った。銃は空気銃かなにかを基にした改造銃だったらしくそれだからたいしたことはないと(…)さんはいっていたのだけれど銃痕はあきらかにたいしたことがあり、こんな立派な傷跡こしらえとる男見んのぼくケンシロウ以来っすわと告げると(…)さんが口にふくみかけたコーラを吹きかけた。
職場の京都新聞をぼんやりながめていたらオルガ・トカルチュクのインタビューが載っていた。名前の響きがなんとなく頭の片隅に居残りつづけているのでいつか読もういつか読もうと思いつづけてきてけっきょくまだ一冊も手をだしていない作家だ。女性だとはしらなかった。
帰宅後、ダンベルをつかって僧帽筋と腕を鍛えた。それからシャワーを浴びてストレッチをし、バイト帰りの途中のスーパーで購入した半額品の親子丼とチキンカツを納豆と冷や奴ともずくといういつもの面々といっしょに食らい、ここまでまとめて日記を書いた。歯をみがきながら年があけたら東京に遊びにいこうかなと考えていたら楽しくなってきたのでこれはいいアイディアだと思った。それから「偶景」と「邪道」は両方ともボツにしようと考えた。床について『映画史』をペラペラやりながら寝た。