20131215

窓をあける。湯を沸かす。七時だ。窓から通りを眺める。早出のサラリーマンたちがトボトボと歩いている。何だか、誰かとてつもなくえらい人が死んだ朝の風景のようだ。
中島らも「頭の中がカユいんだ」)



6時半起床。(…)さんと両親とじぶんの四人で忘年会の会場になったような座敷で食事をする夢を見た気がする。8時より12時間の奴隷労働。今週から(…)さんの休みが金曜日から日曜日に変更になった((…)さんがいないと(…)さんが仕事をサボりまくるため)。ゆえに日曜日はじぶんが司令塔ということになる。トラブルやクレームの対処などもろもろ面倒はあるもののこの一癖も二癖もある強者ぞろいの職場でひとかどの立ち位置を確保するのに比べたら断然楽勝である。この職場に来てからというもの人間関係のゲームで優位にことを進めるテクニックのいくつかをとても自覚的に使用しているじぶんをしばしば思う。高校生のとき以来だ。いちど舐められたらとことん舐められきってしまうヤンキー村社会におけるサバイバル術その応用篇in本職。
京都新聞を読んでいたら千葉雅也のインタビューが載っていた。日曜日の京都新聞には新刊本の書評コーナーがあって昼食後にそれをながめるのがひそやかな楽しみになっている。(…)さんがいないと頭数ひとつ足りない独特のさびしさとも活気のなさともつかぬものが職場にただよう一瞬があるとはいえ、じぶんひとりで過ごす時間が圧倒的に増えるため内職がやりやすくなるというメリットもないことはない。ただこの時期はたいそういそがしいので今日なども昼過ぎからはほとんど立ちっぱなしの動きっぱなしでバタバタするはめにはなったのだけれど。日曜日は(…)さんのみならず相性のわるい面々をうまく仲介してくれる(…)さんもいないためぎすぎすしがちな空気を緩和する仕事すべてをこちらが一身に背負うことになるわけで、(…)さん(…)さん(…)さんのおそるべきトライアングルの重心にたってきわめて不安定なこの均衡を12時間にわたってどうにか維持しつづけてみせる必要のあるこのポジションにかんしては率直にいってじぶんくらいしかできないだろうみたいな自負のないこともない。(…)さんもそれを見越して魔の日曜日をこちらにゆだねた。しっかりしないといけない。
帰宅してからシャワーを浴びて部屋にもどると例のごとく(…)がいたので例のごとくくら寿司に出かけて例のごとく(…)にはしごした。日曜日は一週間のうちもっともたくさんひとに会ってもっともたくさんおしゃべりする日である。月曜日よりはじまる五日間の座敷牢と沈黙にそなえた備蓄曜日。ある意味でじぶんほど休日としての日曜日の意義を噛み締めている人間はいないといえる。寿司をかっ喰らってコーヒーを飲んでくだんのマイミクと交わしていたライン上のやりとりを(…)に見せてもらってなんやこのメンヘラ怖ッ!とドン引きしたり正月に帰省したさいに(…)でも誘って古着屋と温泉に出かけようと作戦をたてたりその(…)の祖母がかつて映画の予告編かなにかをテレビで見ていていわゆる動物ものだったらしいのだけれど飼い犬が主人の亡骸のおさめられた棺桶の小窓をのぞきこんでクゥ〜ンと鳴き声をあげる場面を目にするがいなや犬畜生でもこういう気持ちはわかるんやなぁとつぶやいたという笑い話を紹介したり(…)さんに腰痛と肩こりと小学生低学年のころからずっと続いているじぶんの寝言のひどさ(「死ね!」「殺すぞ!」「うるせえ!」の三つだけをかれこれ20年近く毎晩のように叫んでいる)について語って笑われたり(…)さんと(…)の三人で業界内輪話でまた盛り上がったり(…)ちゃんに頼まれてボディピを外し小指のとおるピアスホールを見せてうわぁ……というおいしいリアクションをいただいたりして店を去ったのち薬物市場で甘いものを買って食って3時すぎに(…)が明日もまた仕事かよーとぼやきながら買ったばかりのケッタに乗って去るのを見送ってから軽くひっかけて寝た。